この世の果ての中学校 4章 ヒーラーおばさまと魔女よけの秘術

灼熱した地球でたくましく生きる6人の子供たち

 

 

 

 

 

 

のーんびりした人類絶滅小説です。

 

今日はハッピーフライデー

いつもの授業はお休みで、自由行動の日です。

六人の中学生は、医務室のヒーラーおばさまに連れられて、ファンタジーにある「ヒーラーおばさまのハーブ農場」を見学に出かけます。

 

そこでヒーリングの技を身につけた生徒達を、薄闇の帰り道で待っていたのは、人の記憶を食べる魔女「クオックおばば」でした。

 

前回のお話は下記をお読みください。

この世の果ての中学校 3章 黄色いバス停

 

4章 ヒーラーおばさまと魔女よけの秘術

 

  金曜日の昼休みに、医務室のおばさまがぶらっと教室にやってきた。

窓際に集まってお喋りしていたマリエと咲良とエーヴァを見つけると、そっと近寄ってきて、ひそひそ声で話し始めた。

 

「花の三人組のみなさん!ちょっと聞いてくれる~」 

・・・昨日の朝のことなんだけど、今日の午後の授業でヒーリングの実技を希望者に教えてほしいと、ハル先生から頼まれましたの。それでファンタジーアにある私のハーブ農場の見学会でもしようかなと思いついて、昨日の午後に手入れに行ってきましたのよ・・・

 

医務室のおばさまはいつもは可愛い看護婦のスタイルなのに、今日はエプロン掛けのおばさまファッションだ。

三人組みの真ん中に座り込んだおばさまは、額にかかった髪の毛をちょっと巻き上げてから、ひそひそ話を続ける。

 

・・・咲良はいつもママを手伝ってファンタジーアの修理をしているから、よく知ってると思うけれど、幻想の世界は脆くて壊れやすいものなの。

 だからとても繊細に扱わないといけません。

 ところがです、最近、夕暮れ近くになるとファンタジーアの片隅にとんでもないものが現れています。

 咲良、ちょっと聞いてくれる?

 ファンタジーアの薄闇に小さなほころびができているようなの!

 昨日も、農場からの帰り道で、丸くて小さな朧の闇が通り道に浮かんでいるの見つけましたの。

 ふらふらと宙に浮いているので、こっそり近づいてみると、向こうの闇の中から、得体の知れない者がこちらの世界を覗いていたのです・・・

 

「きっとあいつらなの、あいつらが目覚めて、ファンタジーアに潜り込んで来たのよ」

 思わず三人は身を乗り出して、おばさまの次の言葉を待った。

 

「あら、こんなブラックな話をするのはみんなには早すぎたようね。続きはまたの機会にお話ししましょうね」

 

 ヒーラーおばさまは慌てたように立ち上がり、ふっと、まわりを見渡して、そのまま教室を出て行った。

 

「何よ、これ、ヒーラーおばさま! お話最後まで聞かせてよ」

 三人はあっけにとられて、おばさまの後ろ姿を眺めていた。

 

 午後の授業開始のチャイムが鳴って、ハル先生が教室に入ってきた。

「ちょっと、ヒーラーおばさまはここにいらっしゃらなかった? 医務室にもどこにもおられないの。午後の授業、あれだけお願いしておいたのに・・・」

 先生はふと思いついたように身体を縮め、教室の四隅を探し始めた。

 そして奥の一番暗いコーナーをじっとのぞき込んだ。

 

「やっぱり・・・ヒーラーおばさま、そんなところに隠れてらっしゃるのね」

 

 部屋の一隅からヒーラーおばさまがぬっと姿を現した。

「ご免なさい、着替えに手間取っちゃって・・」

 

 看護婦の白衣に着替えて、ピンクの花柄刺繍のエプロンを締め、聴診器を首に架けた小柄なヒーラーおばさまがみんなの前に現れた。

 

「ヤッホー!ヒーラーおばさまだ!」 

 ペトロと匠が口笛を吹き、足を踏みならす。

 ふたりは派手な取っ組み合いをしては、いつも医務室のヒーラーおばさまの世話になっているのだ。

 

「静かに!それでは午後の課外授業のことを説明しますね」

 そう言ってハル先生は医務室のおばさまを壇上に引っ張り上げた。

 

・・・今日は、いつもみんながお世話になってる医務室のヒーラーおばさまの課外授業です。

 私がお願いをしましたのはヒーリング技術の特別講座です。 

 ヒーリングは暗い心を明るくしたり、苦しいときを乗り越えるための心の技術です。

 ヒーリングを施術するプロのことをヒーラーと言います。

 医務室のおばさまはハーブで施術するヒーラーなのです。

 今のうちにヒーリングの技術を身につけておいたら、将来きっと役に立つときが来ます。

 女生徒にはビッグチャンスですよ。

 では希望者は席について、ヒーラーおばさまの講義をよく聞いてくださいね・・・

 

 マリエとエーヴァと咲良は、急いで最前列の席を確保した。

 

「花の三人組が残るんなら、仕方ねーな。俺たちも聞いてみるか!」

 匠とペトロが2列目の席に座り込んだ。 

 

 帰りかけた裕大が立ち止まり、唸った。

「なんだよ・・・ハッピーフライデーなのに遊び相手もいないのかよ」

 裕大が渋々腕組みをして最後尾に座った。

 

・・・ヒーラーおばさま、お得意の人集めの術だった。

 

「あら、みんな全員でわたしの話を聞いてくれるのね」

 ヒーラーおばさま、満面の笑みで壇上から講義を始めた。

 

・・・私はファンタジーアにハーブの農場を持っています。

 ファンタジーアにはマイ・ワールドからも入ることが出来ますが、正しい入り口は『幻想の大門』です。

 今日は私が育てているいろんな種類のハーブをみなさんに試してもらおうと思っているのですが、実は帰りに寄り道をしてみたいところがあります。

 そこで、まず、おばさまのマイ・ワールドでヒーリングの勉強をしてから、帰りに内緒の寄り道をしてみようかな、という計画です。

 

「内緒の寄り道ってなんだろ?」匠がペトロに聞く。

「いつもの痛~い予防注射かもしれないよ。匠がいつも逃げ回ってるやつさ。逃げられない場所で、いきなりプッツン!」

「ゲッ!」匠がペトロを蹴飛ばした。

 

・・・それじゃ、行くわよ!

 ヒーラーおばさまはピンクのエプロンのポケットから鍵を取り出して、マイ・ワールドをカチリと開けた。

 

 ピンクの風船が出てきて、みんなの背丈ほどに膨らんだ。

 おばさまが最初にピンクの風船ゲートに飛び込んでいった。

 

 みんなも次々にヒーラーおばさまを追いかけていった。

 ハル先生はピンクの風船を、誰もいなくなった教室の片隅にしっかりと固定させると、教壇のデスクに戻り、その上にナノコンを置いた。

 

 深呼吸を一つすると、ハル先生の指が、ピアニストのようにナノコンのボードの上で踊った。

 指先が単調なリズムに揺らめいて白く輝き、飛び散った。

 

 いつの間にかハル先生の姿が消えた。 

 カタカタという乾いた音だけがいつまでも教室に響いていた。
 

 

・・・トンネルを抜けると、そこはヒーラーおばさまのハーブ農場だった。

 ファンタジーアの暖かい日差しがハーブ畑にいっぱい降り注いでいる。

 

「女の子は農場の小屋でハーブの研究よ! 男の子はこのボールでしばらく遊んでいてくださいね」

 

  そう言って、おばさまは裕大に三色に色分けされたサッカー・ボールを手渡した。 

  三人は農場の空き地で「トライアングル・ヒーラー・ボール」を始めた。

 

 ヒーラー・ボールは男子生徒のために、おばさまが急遽作り出したボール・ゲームだった。

 ハーブの葉っぱや根っこや青くて硬い果物の実を包み込んだ多機能ボールを蹴飛ばして遊ぶ競技だ。

 
 丸いボールは赤・黄・青の三色に色分けされていて、蹴飛ばす箇所によっていろんなハーブの香りが飛び出してくる。

 赤色に当たると、タマゴの腐ったような悪臭が飛び散る。

 

 黄色を蹴飛ばすとしびれ薬草が足にくっついてしばらく足が動かなくなる。

 青色は蹴飛ばしても皮がへこむだけだ。

 

 「うまく蹴飛ばすと三回に一回は天国に近い素敵な香りが出て来るわよ」

 ピピーとスタートの笛を吹くと、おばさまは花の三人組みを引き連れて、農場の小さな小屋に入っていった。」

 

 三人は空き地の三隅に、それぞれのゴールポストを作って、ゲームを始めた。

 三人は激しくボールを奪い合って、敵のゴールに向かって攻め上がった。

 

 ゴールに成功する前に、三人は悪臭に打ち負かされて地面に倒れ込んでいた。

 ヒーラーおばさまが、この後のホラーとの遭遇に備えて男子生徒を特訓しているのだった。

 

「ペトロ、『天国の素敵な香』って、どこをけったら出てくると思う?」

 匠がペトロに尋ねた。

 

「この三色ボール、色分けした線の真上を蹴飛ばしたらどうなるのかな。きっとそれが正解だな。でも僕の技術じゃ無理かな・・」

 ボールを軽く叩いて、調べた振りをしていたペトロが、匠の前にそのボールをそっと置いた。

 

 匠が、いきなりボールを蹴った。

 匠の右足は正確にレッドとイエローの間の緑のラインをキックした。

 

 ボールはペトロのゴールに向かって一直線に飛んだ。

「ゴール!」

 

 ペトロが叫んだ横で、腐った卵の匂いにまみれ、しびれた足を抱えた匠が横たわって、うめいていた。

 

 男の子たちがヒーラー・ボールで遊んでいる隙に、女の子たちは農場の道具小屋で、ちょっと気になる男の子を惹きつけるヒーリングの秘術をおばさまに教えてもらった。

 

・・・それでも効果が出ないときにはこれでお茶を点てて、飲ませなさい・・・そう言っておばさまは三種類のハーブを調合した秘薬を三人に渡した。

 

「これで本日の授業は終わり。でも、悪ガキ隊が帰ってこないうちにお知らせしておきたいことがあるの」
 優しかったおばさまの表情が急に厳しくなった。

 

「母親には子育てという大変な仕事があります。将来、みんなに子供が生まれて、万一、家の倉庫の食料が尽きてきたら、おばさまのことを思い出してください。この農場に来て、道具小屋の地下室の蓋を開けるのです」

 

 おばさまは三人が囲んでいた大きな木のテーブルを、静かに指さした。

「みんなでこのテーブルを横にずらしてみましょう」

 

 テーブルは思ったより重くて、四人でかけ声をかけて、ようやく1メーターほど動かした。

 床に、四角く切られた上げ蓋が現れた。

 

「この蓋を開けて、中を覗いてごらん」

 咲良が板に取り付けられた小さな金具を起こして、蓋を持ち上げ、横に外して床に置いた。

 

 床に四角い穴が開いたので、三人は顔を突っ込んで、中を覗き込んだ。

 床の下は地下室になっていた。

 

 棚が三列、四段に並んでいて、そこには大小の段ボール箱が大量に保管されていた。

 英語とロシア語らしい二種類の横文字がそれぞれの箱に印刷されていた。

 

「おばさま、あれ何? もしかして・・・全部食料品だったりして・・・」

 咲良の声が震えた。

 

「正解。ここはヒーラーおばさまの極秘の食料備蓄庫なの。段ボールの中は、病原体の混入していないピュアー・フード。NASAの倉庫とロシアの宇宙基地から、厳重に保管されていた非常用食料を勝手に頂いて参りました」

 

「勝手に? おばさまそれって国際犯罪じゃない?  たしかケネデイー宇宙センターとボストチヌイ宇宙基地よ。おばさま一人で出かけて・・盗んできたの?」

 宇宙船パイロットの娘、エーヴァが絶句した。

 

「盗むだなんて人聞きの悪いこと、言わないで! 一年前、お前さん達を救助するために世界に飛んだ軍の高速飛行艇が、燃料補給をかねてちょっと寄り道しただけの話よ」

 

・・・おばさまはその時、政府の保健室に勤めていたのよ。

 思いついて、アメリカ組とヨーロッパ組のクルーに内緒で頼んでおいたの。

 基地は閉鎖寸前だったから事は簡単。

大事の前の小事』ってとこよ・・・

 

 可愛いエプロンで手を拭きながら、ヒーラーおばさまは艶然と笑った。

 

「『ダイジとかジョージ』ってのは一体、何者じゃな?」 

 日本語が苦手な咲良が大まじめに聞く。

 

「日本のことわざ。大事はお前さん達の子供のことで、小事はおばさまの盗みのこと」 

 ヒーラーおばさまは大きく胸を張り、得意満面で食料品のメニューを紹介した。

 

 ・・右の棚から行くわね、最初の棚は10年は保存の効くサバイバル仕様の宇宙食ですよ。

 ほとんどが缶詰で、肉類、魚、そして野菜のシチューとスープ。

 真ん中の棚はドライフーズで、米、乾パンにお豆さん。

 あと、日本製のカップヌードルとカレー・ライスを特殊包装したものが少々。

 

 三番目の棚には、戸棚の引き出しにおばさまの処方メモ付きの乾燥ハーブが山ほど入っています。

 料理とお茶と、それから緊急の医療用です。

 ドームへの不意の侵略者に備えて、100%侵入不可能な場所・・・つまりマイ・ワールドの地下を保管室に選んだのです。

 侵略者はどこにいるか分かりませんからね・・・ヒーラーおばさまはマイ・ワールドに入れない校長先生とカレル教授の顔を思い浮かべてクスッと笑い、お話を続ける。

 

・・・そのときが来たら、この食料でお前たちの子供を育てるのです!

 数年は子供達のいのちを繋ぐことができます。

 その間になんとか自給自足の体制を作りなさい。

 

 命尽きるまで、頑張るのですよ。

 みんなのママを見習って・・・。

 

 そう言っておばさまは三人を集めて、両腕で力一杯、抱きしめた。

「地下室のことは悪ガキ隊にはしばらく内緒にしておきましょうね・・。さあ、そろそろ三人を呼んでらっしゃい。みんなで三時のお茶にしましょう」

 

 六人が道具小屋に集合した。

 お腹が空いて喉も渇いてきた生徒たちのために、おばさまが地下室の棚に寝かせておいたロシヤ製のチーズの大きな一塊と、NASAのクラッカーがテーブルの上のお皿に盛られた。

 

 おばさまがナイフでスライスしてくれた濃厚なチーズを、クラッカーの上に乗せてみんなで食べた。
 それと、アップルミントに少量のステピアを加えてちょっと甘めにした熱いハーブ・ティーを頂いた。

 

「このチーズ・クラッカー、むっちゃ、うめー」

 匠が一気に五つ食べた。

 負けじとペトロが六つ食べた。

 裕大が無言で十枚食べた。

 

「地下の倉庫のことはやっぱり悪ガキ隊には当分秘密にしましょうね」

 咲良がエーヴァとマリエにそっと囁く。

 

ダイジの前のジョージ

 咲良が言って、エーヴァとマリエがうなずいた。

 

 お喋りしている中に夕暮れが迫ってきた。 

 一行はハーブ農場を後にして、ファンタジーアの裏通りに潜り込んでいった。

 

 風がピタリと止んで、辺りは静寂に包まれる。

 影に潜むものが動き出す時間がやって来た。

 

 ヒーラーおばさまが感覚を研ぎ澄ます。

 ほんの少しの異変も見落とさないように、前方の夕闇に向けてぎろりと目を見開き、

 左手をエプロンのポケットに突っ込んで、注意深く一団の先頭を歩む。

 

 どこからか冷たい風が一筋流れ込んできて、頬を撫でた。

 

 一行は、つと立ち止まる。

 おばさまは左手をポケットから出して、暖まった指を立て、風に向ける。

 

”ひやり”と感じる方向に向かって、指を指し示した。

「こっち!」

 

 数歩、歩いて、立ち止まり、そのまま動かなくなったヒーラーおばさまの目は、空中の一点を凝視していた。

「ここです!」

 

 おばさまが指さした空間に、小さな黒い裂け目がぽつんと空いていた。

 それはファンタジーアの片隅にできたほんの小さな《破れ》だった。

 

 生徒たちの目の高さぐらいにある破れから、冷たい空気がファンタジーアに流れ込む。

 ファンタジーアからは暖かい空気が穴の中に吸い込まれていった。

 

 二つの空気の流れがこすれ合って、細くて甲高い音が響く。

「ヒュール、ヒュールル!」 

   
「暗闇でだれか泣いてるみたいだぜ」

 裕大がぼそっと言った。

「きっと、俺たちを呼んでるんだ」

 匠がぶるった。

 

「この割れ目から何者かがファンタジーアに侵入してきた気配はありませんよ。こんな小さな破れ穴ですからね。でも昨日覗いて見たら、ネズミみたいな小さな生き物が穴の中からこちらを窺ってましたよ」

 

 そう言って、ヒーラーおばさまは破れ穴から数歩離れて、悪ガキ隊を促す。

・・・どうしたの。男の子の出番ですよ・・・

 おばさまの顔がそう言っていた。

 

「ペトロ、ここ、お前の出番だよ」

 裕大と匠がペトロのおしりをそっと押した。

 

「そんなに押すなよ。ホラーなんてどこにでもいるんだからさ」

 ペトロが大口叩いて破れに近づこうとしたとき、マリエが数歩先を動いた。

 

「みんなが闇を怖がるから、ホラーが生まれてくるのよ」

 マリエはぶつぶつ言いながら穴に近づき、思い切り背伸びをして、宙に浮かんだ破れ目の中を覗き込んだ。

 

「あっ! ちっちゃなのが三匹逃げてった。あの子たち学校の地下に住んでるスペース・イタチよ。おなか空かすと廊下に出てきて、私の足に可愛い歯で噛みついて来るの。こんなとこに潜んでたのね。怖がらないで戻ってらっしゃい」

 マリエの声が弾んでいた。

 

・・・なんだって、スペースイタチだって? 学校の電子図鑑で見たことねーぞ・・・

 ペトロの好奇心が膨らんで我慢が出来なくなった。

 

「お願い、順番だよ」

 マリエに場所を代ってもらうと、ペトロは破れに顔をくっつけて穴の中を覗き込んだ。

 ほっぺたに冷たい風が吹き付けてくる。

 目の前には薄暗い闇が広がっているだけで、生き物の影もない。

 

 よく見てみようと、ペトロは顔を穴にいれ、首を右にかしげてみた。

 闇も右に揺れ動いた。

 顔を左に戻すと闇が重なり、ひときわ黒い影ができあがった。

 

 黒い影はゆらりと立ち上がって形を作り始める。

 

 二本の細い足が下に伸びて、その上に胴体が出来た。

 胴体の両側に手が生えた。

 

 胴体の上に黒い顔が浮かび上がって、飛び出した二つの眼が緑色に光り始めた。

 片方の目玉から緑色の触手が伸びてきて、先端がペトロの左の目を覗き込んだ。

 

「ペトロか、よ~く来た」

 触手の先が開いて、しゃがれた声でしゃべった。

 

 ペトロは驚愕して声が出ない。

 触手はするりとペトロの眼の中に入り込んできた。

 

 ぬめぬめしたそいつは喉首を通り抜けて左の胸のあたりまでやってきた。

 ~うねうねと捜し物をしている~

 

 ・・・気持ち悪い、止めてくれー!・・・

  ペトロの悲鳴は声にならない。

 

「おかしいぞ、この子には心臓がない」

 しゃがれた声がペトロの胸の中で響いた。

 

 ペトロはあわてて、息を止め、心臓の場所を隠した。

 そのうち、息が詰まってきて、心臓が勝手にどんと脈打った。

 

 触手が音を聞きつけて動き、ペトロの心臓を探し当てた。

「見つけたよペトロ。おばばのいうことをよく聞きなさい。でないと、ほら、心臓を止めるよ!」

 

 触手が心臓をいじくりだした。

 胸が燃え上がるように熱くなって、ペトロは悲鳴を上げた。

 

「助けて! こいつイタチなんかじゃない! 緑の目をした魔女だ!」

 破れ穴に顔を突っ込み、おしりを突き出して叫んでいるペトロを見て、ヒーラーボールのことで頭にきていた匠が、鼻で笑った。

 

「ふん、こんどは緑目の魔女やて? もう騙されへんぞ、ペトロ」

 

 クスクス笑った生徒たちの目の前に、穴の中から枯れ木のように細い腕が二本出てきた。

 鈎爪の指がぺトロの両脇を掴んで、 ペトロの身体を穴の中へ引きずり込んでいった。

 

  残った両足がばたばたと宙に騒いでいる。

 

 ヒーラーおばさまが、血相変えてペトロに駆け寄った。

 ペトロの足首を両手で掴み、必死で引っ張った。

 

 おばさまは一度掴んだものは決して手放さない。

 ヒーラーおばさまもペトロの足に引っ張られて、穴の中に姿を消した。

 

 破れ穴の中からクックッと笑う声が響いてきた。

「あの声は、もしかして、クオックおばば?」

 

 成り行きを見守っていた咲良が、細い腕の正体に気がついた。

「たいへん!ペトロの記憶が食べられちゃう!」

 

「クオックおばばは、人間の記憶を糧にして何百年も生き続けてきた、危険な魔女です。ファンタジーアの宿敵、クオックおばばに近づいてはだめですよ! 咲良は、まだまだ、おばばに太刀打ちできません」

  咲良はファンタジーアの女王、ママから何度もそう警告されていた。

 

・・・でも、ここはファンタジーア王国。わたしの友達にこんな狼藉は許せない!・・・

 

 王女の血が燃え上がって、咲良は破れをこじ開けると闇の中に飛び込んで行った。 

 三人を飲み込むと、破れはゆっくりとその入り口を閉じた。

 

 闇の中で、おばばの触手がペトロの記憶を探っている。

「思い出せペトロ。お前の記憶は、ナパ・バレーでウイルスに侵された畑の毒イチゴを食べたといっておる。それなら、どうやって生き残ったのじゃ。イチゴ畑で何が起こったのか、ほら思い出せ!」

 

 ペトロは記憶の淵に迷い込んでいた。

 おばばの触手が、ペトロの記憶の回廊から失われた記憶を引きずり出してくる。

 

・・・僕が野菜畑で昼寝してたら、その人は空から舞い降りてきたんだ。

 僕に触って「ペトロは6人の中の一人に選ばれた。もう安心だよ」と言った。 

 それだけだよ・・・

 

「近い。真実はもう少しじゃ。その人とは何者だ?」

・・・牧師みたいな白い服を着た知らないおじさんだったよ・・・

 

「それではそのとき何が起こった?」

・・・なんにも覚えてない・・・

 

「そんな筈がない。なにかが変わったはずだ。おまえ達六人だけが地球に生き残った理由が知りたい。どうしてもじゃ。命をもぎ取られた者たち、この世の百億の怨念だ。お前の身体の隅々までほじくってでも真実を暴き出してやる」

 

 ペトロの記憶がオババに吸い取られ、いくつもの大事な思い出が朧になって消えていった。

 ペトロは記憶の抜け殻となって、意識を失った。

 

「クオックおばば!答えなさい。どこにいる?」

 飛びこんで来たファンタジーアの娘、咲良が暗闇に毅然として立ち、両手を開いて闇を振り払った。

 

 おばばの答えはない。

「光を! 闇に光を! おばばを照らしだせ!」

 

 咲良は三度表現を変えて唱い、ファンタジーアの光を暗闇に呼んだが、光は現れない。

 

「誰か知らんが、ここは魔界だ。おばばの世界に光は無用じゃ」

 小ばかにしたような、枯れた笑いが洞窟に響いた。

 

 焦った咲良は、暗闇の天井を見上げ、大声を張り上げた。 

「こら! マリエ、そこにいるんでしょ。聞こえたらみんなでさっきの穴こじ開けてよ!」

 

「咲良ねーちゃん! 聞こえたわよ。ちょっと待ってね」

 マリエが、咲良の声をたどって、破れ目の痕跡を探し当てた。

 

 指で穴をこじ開けようとしたが、破れの痕跡が素早く反応して、忽ちその姿を消した。

「代わろうマリエ、僕の出番だ!」

 

 マリエと入れ替わった匠が、気合いとともに宙に身体を浮かせ、一回転して、痕跡が消えた辺りに必殺の蹴りをたたき込んだ。

 ぼこっと音がして、こぶし大の穴が空いた。

 

 ファンタジーアの夕日が一筋、暗闇に飛び込んだ。

「やっと来たわね」

 咲良は、頭上から降ってきた夕日を両方の掌で受け止めた。

 掌から光を四方に反射させて暗闇に潜むおばばを探す。

 

 おばばは闇の一角に潜み、執拗にペトロの記憶を覗き込んでいた。

 そのおばばの細い足首をヒーラーおばさまが必死で引っ張っていた。

 

「邪魔するな!」おばばがヒーラーおばさまの顔を思い切り蹴飛ばした。

  ヒーラーおばさまは悲鳴を上げて、両手で顔を覆った。

 

 咲良の目の前でその様子が光の中に浮かんだ。

 傷ついたおばさまを見て、咲良が激怒した。

 

 咲良は両手の掌の角度を変え、おばばの顔に夕日を集中させた。

 「ギャッ!」

 

 暗闇の魔女の目は太陽の光には耐えられない。

 悲鳴を上げたおばばが咲良の方に見えない目を上げた。

 

 咲良は毅然としてオババに命令した。

「私はファンタジーアの王女、咲良。クオックおばば、諦めてペトロから離れなさい」

 

 その一言で、おばばはペトロから身を起こした。

「今一息のところを! ファンタジーアの小娘ごときが邪魔などしおって・・・今に見ておれ!」

 

 悔しそうなうなり声を上げ、魔女はさっと身を翻して闇に溶けていった。 

 

 裕大と匠が破れを開いて穴に飛びこみ、倒れているペトロを運び出してきた。

 ファンタジーアの大地に仰向けに寝かされたペトロの顔からは、人間らしい表情が抜け落ちていた。

 

「お願い神様、私のペトロを返して下さい」

 マリエがペトロの身体を揺さぶって、意識を呼び戻そうとした。

 ペトロの目は開いているが、マリエを見ていない。

 心はどこか遠くに行ったままだ。

 

「マリエ、落ち着きなさい。ペトロに特別の処方をしますから、少し離れていなさい」

 ヒーラーおばさまはエプロンのポケットから真空パックを取り出すと、ばりばりと袋を破っ

て、「みんな伏せて」というと、中身のペースト状の黄色い塊をペトロの鼻先にくっつけた。
 

 ものすごい悪臭が周りに飛び散った。

「マランドリアン! 究極の気付け薬です」

 

それは、熟成した臭みを持つ熱帯の二種類の果実に、長い年月を掛けて発酵させた日本の「くさや」を煮込み合わせて練り上げた、ヒーラーおばさま秘蔵の逸品。

 ペトロのからだが地面から飛び上がり、宙を舞った。

 

「ふぎゃ~ たまんねー!」

 ペトロが混沌の淵から一気に帰還して、ふらふらと立ち上がった。

 

 代わりに臭気を吸い込んだ裕大と匠が、ヒーラー・ボールの特訓の効果も無く、ばたばたと

地面に倒れていった。

 

「ちょっと待ってね」

 むせかえって苦しんでいる三人を見て、マリエが首にかけていた小袋を取り出した。

 

 それは亡くなった牧師の父から「いつも身に付けておくように」といわれていたお守り袋だった。

「これは古代からの神への捧げ物、私の大事なお守り、フランキンセンスよ」

 

 マリエは袋から高貴な樹木の乳香エキスを取り出して、三人の鼻先にスプレーして回った。

 スパイシーで神々しい香りが、肺に染みこんで地獄の臭気を追い払い、悪ガキ隊は生き返った。

 

「マリエ、お守りのフランキンセンス、私にも少しだけ分けてくれない」

 ヒーラーおばさまが掌をマリエに差しだして、スプレーから乳香を二吹き、掌に頂いた。

 息を止めながら、乳香の上にマランドリアンを乗せて掌でこね合わせ、粉状に仕上げた。

 

 おばさまは、できあがった怪しげなものを口をすぼめて掌からふっと吹き上げ、風に乗せて破れ穴に送り込んだ。

 

「試作品!神の力を借りた魔女よけ『目には目を』です」

 おばさまが力強く宣言して、みんなに目配せをした。

 

「ギヤーッ!」

 穴のそばに戻ってきて、こちらの様子を窺っていたクオックおばばの乾いた悲鳴が、洞窟の壁に反響して、ファンタジーアの夕闇に悲しく響いた。

 

・・・

  ヒーラーおばさまを先頭にして、生徒たちの一行が元気にファンタジーアの出口、教室の片隅に到着した。

 

 「どうだった? ファンタジーアの寄り道は面白かった?」

 宇宙の第二方程式に取り組んでいたハル先生が計算の手を止めて、教室に戻ってきた騒々しい一団に声をかけた。

 

「ちょっとした事件がありましたのよ」

 ヒーラーおばさまはハル先生に報告を済ませてから、生徒たちを席に着かせた。

 

「ファンタジーとホラーは人の心が創り上げる幻想の世界の光と影、表と裏にあたります。だからふとしたことで破れ目が出来ると、二つは繋がってしまうのです」

 

 ファンタジーアの王女、咲良がおばさまに・・・その通りですわ・・・と頷いてから、はっと気がついた。

 ・・・ホラーの魔女とファンタジーの王女は親戚みたいなものなんだ・・・

 

 クオックおばばの若い頃なんて、とんでもない美人で、私のママとそっくりだったって、昔パパから聞いた事がある・・・

 二人の瞳が緑色で、自分も同じ色なのを思い出して、咲良は思わずくすっと笑ってしまう。

 

「咲良、みんなも今日は大活躍ね。お疲れ様でした」

 ヒーラーおばさまがにこやかにみんなに笑いかけて、今日の課外授業をまとめた。

 

「ファンタジーアがある限りホラーもどこかで逞しく生きているのです。ところでちょっとペトロに確かめてみましょう。ペトロ、クオックおばばに記憶を盗まれたときはどんな気持ちだった?」

「記憶が奪われると、なんだか空しい気持ちだけが残りました。記憶がないのは、死んでるのとおんなじです。生き返ってこられたのはみんなのおかげです」

 ペトロは助けてもらったみんなにお礼を言った。

 

 ハル先生の合図で生徒たちが立ち上って、みんなでおばさまに特別授業のお礼を言った。

 おばさまは教壇を降りて、教室の奥に向かい、柱につないで固定しておいたピンクの風船から空気を抜いて、エプロンのポケットに収めた。

 

 それから振り向いて、みんなに小さく手を振ると、コーナーの暗闇に素早く飛び込んで姿を消していった。

 

 ナノコンに向かって難しい計算を再開したハル先生に、ペトロが近づいていった。

「ハル先生、宇宙の第二方程式は完成間近でしょうか」

 

 先生は数字とアルファベットと記号が狂ったように踊っている画面を、ザザーッとスクロールして答えた。

「今日は結論が出ました。宇宙の方程式を完成しようとすれば宇宙と同じくらいの大きさのコンピュータが必要だという結論が出ました。これはもう止めた方が良いということかもしれませんね、ペトロ」

 

 ハル先生は大きな溜息をついてナノコンの電源を切り、ペトロを振り向いて、小さくウインクをした。 

・ ・・

 家に帰ったペトロはクオックおばばの事件をママに報告するのをやめた。

 パパがいなくなってからママはペトロのことをよく心配する。

 あまり心配ばかりしてると頭がはげちゃうぞ、とペトロもママのことが心配になる。

 

 ペトロは庭に出て、お土産にヒーラーおばさまから頂いたハーブの苗をスコップで土を深く掘って、しっかりと植え付けた。

 

 それから手を止めて、おばばの技で蘇った記憶「白い服を着た男」のことを考えた。

 

・・・おばばが言ったとおりだ。あのとき僕の中で何かが変わったような気がする。誰かのルールで動いていた世界が、僕のルールでも少し動くようになった。

 でも本当のところは「白い服の男」は熱くなったナパ・バレーの昼寝に現れた夢の中の男なんだ。

 きっと、いつもの白昼夢だったんだ・・・

 

 ペトロは記憶の小部屋に、白い服を着た男を閉じ込めて鍵をかけた。

 それから苗の周りの土に水をたっぷり撒いて、いつかまたやってくるホラーとの戦いに備えて、立派なハーブに育つように念力を込めて祈った。

      (続く)

【すべての作品は無断転載を禁じております】

この世の果ての中学校 【 目次編】

 

 

 

 

 

 

自然が崩壊し、人類が絶滅した21世紀の終わり、地球に生き残ったわずか6人の中学生が、巨大ドームの中に造られた中学校で生き延び、助け合いながら逞しく成長していく物語です。

 

目次  

この世の果ての中学校  プロローグ「ついにあいつがやって来た」  

この世の果ての中学校  一章 ハッピー・フライデー「ペトロの誕生日」

この世の果ての中学校 2章「リアルの世界は一度逝ったら戻れない(前編)」

この世の果ての中学校 2章 リアルの世界は一度逝ったら戻れない(中編)

この世の果ての中学校 2章 リアルの世界は一度逝ったら戻れない(後編)

この世の果ての中学校 3章 黄色いバス停

この世の果ての中学校 4章 ヒーラーおばさまと魔女よけの秘術

この世の果ての中学校 5章  三界はぐれと異界への旅

この世の果ての中学校 6章 七人の調査隊と消えた巨人

この世の果ての中学校 7章 ハル先生が森の家族に食べられた!

この世の果ての中学校 8章 マーが森の家族の秘密を話した!

この世の果ての中学校 9章 緑の小惑星テラ 誕生の謎

この世の果ての中学校 10章 生き残った少年エドと黒い絨毯の危機!

この世の果ての中学校11章 大きなエドから生まれた空飛ぶ小さな子供たち!

この世の果ての中学校 12章 秘密のPTA “やっぱり~パパやママは幽霊だった?”

この世の果ての中学校 13章 学校の地下室は”国会議事堂”だった!

この世の果ての中学校 14章 過去からの訪問者

この世の果ての中学校15章 “過去からの訪問者の家族は暗黒宇宙に消えた”

この世の果ての中学校16章“深夜の生徒会議”

この世の果ての中学校17章“虚構の手品師と秘密の技”

この世の果ての中学校18章 “カレル教授が実験室からさらわれた”     

この世の果ての中学校19章 “ホラーの広場”

この世の果ての中学校20章“クオックおばばにカレル教授の記憶が盗まれた!”

この世の果ての中学校21章“ゴルゴン一家と蘇ったカレル先生の記憶 ”

この夜の果ての中学校/エピソード“ゴルゴン一族宇宙の旅”

この世の果ての中学校22章“クレアとボブは緑の怪物を探しに森に出かけた” 

この世の果ての中学校23章“匠は開かずの扉を開けて守り神の大会に迷い込んだ”

この世の果ての中学校24章 “天上の会議場と詐欺師ホワイトスモーキー”

この世の果ての中学校25章“ダーク・プロジェクト 完璧な計画などどこにもない”

この世の果ての中学校26章“虚構の手品師と未来を見に行ったら地球は消えていたよ”

この世の果ての中学校27章“詐欺師ホワイトスモーキーが天上の秘密を漏らした”

この世の果ての中学校28章 “ ペトロは迎えの天馬に乗り 天上の守り神と談判に出かけた!”

この世の果ての中学校29章 “地上に降りてきた太陽神と白い棺”

この世の果ての中学校30章“暴かれた宇宙の歪みの秘密!”

この世の果ての中学校31章“もう俺たちは後戻りできない”

この世の果ての中学校最終章“お腹が減ったママとパパと先生たち!”

 

あらすじ

21世紀の末、地球の温暖化が進み、地球上では生命体による生き残りを賭けた絶滅戦争が起こった。捕食ピラミッドの頂点に立つ人類に、崩壊が進む自然界が秘かに送り込んだ最終兵器は未知のウイルスだった。

人類をはじめ、この戦争に勝者はなかった。人類最後の砦として、ウイルスの侵入を許さない巨大ドームが創られた。世界からドームに集められた人類は、男女3人ずつ、わずか6人の中学生だった。

 

子供たちを育てるのは、すでに命を無くして幽体に身を移した両親や、人工知能・AIとなった先生たち。戦いの相手は、知的ウイルス、魔女、異形のもの、アンデッド、それにブラックホールに暮らしている未知の知的生命体です。 

 

主な登場人物

中学三年

裕大・・・YUTA アフリカ原住民の子孫 東京在 孤児  

咲良・・・幻想の世界・ファンタジーアの王女 

 

中学二年 

匠・・・六甲山 日本 武道家の跡継ぎ

エーヴァ・・・パリ フランス 宇宙飛行士の娘

 

中学一年

ペトロ・・・米国 ナパバレー 少し変わった科学少年

マリエ・・・ワルシャワ ポーランド 牧師の娘

 

パパやママたち

生徒たちのパパやママ・・・ファンタジーアの女王 リアルの王 他

                  

先生

カレル教授・・・生命科学者

ハル先生・・・教授の恋人 宇宙物理学者

校長先生・・・中学校の経営者

医務室のおばさん・・・プロのヒーラー

 

そのほかの人物

虚構の手品師・・・時空の旅の手配師

三界はぐれ・・・三界から追放された男

 

クオックおばば・・・魔女

アンデッド・・・死んでも死にきれない者たち

ホラー・・異界の者

ゴルゴン一族・・宇宙の犯罪人・追放された一族

 

ファー・・・惑星テラ1の森の家族のパパ

マー・・・同じく森の家族のママ

カーナ、キッカ、クプシ・・・同じく森の家族の子供たち

 

大きなエド・・・惑星テラ2の最後の住人

小さなエド、アナ、クレア、ボブ・・・惑星テラ3に住む大きなエドの子供達

 

緑の風のおじさん・・・惑星テラに潜む緑の怪物

ホワイト・スモーキー・・・天上の案内人

 

連載長編になりますので、ゆっくりお読みくださいね。

 

 

この世の果ての中学校 3章 黄色いバス停

 

灼熱した地球でたくましく生きる6人の子供たち

 

 

 

 

 

 

 

の~んびりした人類絶滅小説です

今回は、地球に生き残った六人の子供達が、先祖の魂が暮らす黄泉の国へ体験旅行に出かけます。

黄泉の国では、誰でも一人だけ好きな人に出会うことができるのです。

 

 匠は大好きだったおばあちゃんに会うことに決めていました。

 

・・・長編の連載ですので、ゆっくりお読みください。

 

(前回の話は下記をご覧ください)

この世の果ての中学校 2章 リアルの世界は一度逝ったら戻れない(後編)

 

3章 黄色いバス停

 

「おはよー」

 Tシャツに紺のブレザー、Gパンにスニーカーというお得意のオールド・ファッションに、愛用のハットを斜めにかぶったカレル教授が、金曜日の朝一番に教室に入ってきた。

 これが先生の正装だった。

 

 今日は特別の日、生徒たち全員で黄泉の国を訪問する記念すべき日だ。

 先祖の霊に、地球に残された人類である六人の子供たちをお披露目する大事なセレモニーの時だ。

 

 先生はハットを脱いで教壇のデスクに置くと、教室の窓に近づいて、顔を外に突き出した。

 校庭の空の雲の具合を眺めたり、空気の湿り気を嗅いだり、指を突き出して風向きを調べたりして、今日のドームの天気を予測している。

 

「みんな!今日は絶好の散歩日和だ。暑苦しい身体なんかは脱ぎ捨てて、魂一つになって、風に揺られて黄泉の国へいこうじゃないか!」

  カレル先生はよっぽどの悪天候でなければ、今日は子供達を黄泉の国の体験旅行に連れ出すことに決めていた。

 

 黄泉の国は生身の身体では行けない。

 そんなことをしたら、二度とこの世には戻ってこられない。

 

 幽体離脱して魂だけになれば一度だけの体験旅行として、黄泉の国に行ける。

 そしてどうしても会いたい人に、一人だけ面会することができるのだ。

 

「いつかは逝かねばならない処だから、少し早い目にどんなところかこの目で事前に確かめておきましょう」 

 そう言って、カレル先生は黄泉の国への招待状であるバスの乗車券を、六人の生徒たちに一通ずつ手渡した。

 

「カレル先生、僕はこのツアーに参加できません。実は僕の魂は身体からなかなか離れてくれないのです」

 大柄な生徒会長の裕大が乗車券を手にして情けない声を出した。

 

「私もファンタジーアの王女なのに、肝心の幽体離脱で失敗ばかりしています」

 咲良が悔しそうに口をとがらせた。

 

「幽体離脱が出来るのは子供の時だけなのだよ。身体が大きくなると、幽体離脱が難しくなってしまう。年長の裕大と咲良はこれがラスト・チャンスかもしれない。リラックスしてもう一度チャレンジしてみようよ」

  カレル先生はみんなを隣のトレーニング・ルームに連れていった。

 

 そこには六つのマットが床の上に整然と並べられていた。

「よーく聞いてくれよ!幽体離脱の方法は二つある」

 

 マットに座り込んだ生徒を前にして、先生は魂を肉体から離脱させる方法を教えた。

「一つ目はいつものやり方、意識を分散させて魂の分身を作りだす方法だ。意識をもうろうとさせて、魂を二つに仕分けるタイミングがキーポイントとなる。ペトロはすでに自分の分身をマイワールドに作っているから、三体目を作ることになる」

 

 先生は裕大と咲良に視線を合わせて、話を続ける。

「次に成功が確実な新しい方法だ・・・肉体を極限まで痛めつけて、耐えきれなくなった魂が肉体から逃げ出すのを待つ方法だ。こちらの方は臨死状態つまり『ひとだま』ができあがるのと同じ理屈だ。痛みの極限状態をどこまで我慢できるか、そこがポイントだ」

 

 カレル教授は鋭い目つきで、生徒を見渡した。

「一つ目は医務室のヒーラーおばさまにお願いして、ヒーリングの超絶技法を駆使して睡眠状態の君たちから魂を分離させる施術をしてもらう。これには30分から40分が必要となる。二つ目はこの私が瀕死の状態を作るお手伝いをさせて頂く。こちらは簡単で5分でできる。ではどちらでも好きな方法を選びなさい」

 

 しばらくしてカレル先生が手持ちぶさたに部屋から出て行った。

 入れ替わりに、緊急連絡を受けた医務室のヒーラーおばさまが、秘蔵の「ハーブ・ボックス」を六つ抱えてトレーニングルームに駆け込んでいった。

 

 30分が経過してトレーニング・ルームから四人が元気に出てきた。

 中学二年のエーヴァと匠、一年生のマリエとペトロが「準備完了です」と、カレル先生に報告した。

 

 本物の身体より少し小さくなった四人の身体は、プラズマのように白く輝き、その上に軽いシャツにジーパン、スニーカーを履いていた。

 さらに10分が経過して、咲良と裕大が身体を小さくして教室に現れた。

「まただめでしたわ」咲良がうつむいた。

「修行不足でした」裕大がつぶやいた。

 

「仕方がない、臨死覚悟でやってみるか!」

 カレル先生が腕まくりをして、いやがる二人をトレーニング・ルームに連れて行くと、ヒーラーおばさまが部屋に一人残っていた。

 

「あら、裕大も咲良もこんなところで何をしてるの。あなたたちのマットをよくご覧なさい!」

 二人はマットを見つめ直した。

 

 六つのマットの上では生徒たちが静かに寝息をかいている。

 その中には咲良と裕大の姿があった。

 

 二人は幽体分離に成功していた。

「ヤッター」咲良と裕大が跳び上がった。

 

「さーてと、先生もそろそろ準備をして、みんなに同行するとしますか」

 カレル先生が恥ずかしそうに、呟いた。

 

「あれっ? カレル先生も黄泉の国のご体験は初めてなのでしょうか? そのお年で随分と奥手ですこと。ヒーラーおばさま! 追加であと一人施術をお願いしますわ」

 咲良が教授をからかった。

 

「咲良! 驚くんじゃねーぞ!」

 カレル教授がいきなり自分の服を脱ぎ始めた。

 

 咲良が慌てて目を逸らそうとしたが、そらせない。

 ハットと服を脱ぎ捨てると、その下から同じようなTシャツにジーパンと紺のブレザー姿の先生が現れた。

 

 その身体はぱちぱちと火花を発して、怪しげな青い色に輝き始めた。

 教授は、プラズマ用の軽いハットをどこかから取り出して斜めにかぶり、ふわりと宙に浮かび上がった。

 

 そして空中から、妖しく咲良に微笑む。

「咲良、このファッションどうかな?」

 

「せ、先生は・・」

 咲良の顔は真っ青。

 

「・・・や、やっぱり・・・本物のひとだま」

 倒れかけた咲良の体を、そばにいた裕大が慌てて支えた。

 

 カレル先生が肉体を失った魂であることを咲良も裕大も、生徒たちみんなも感づいていた。

 カレル先生はとても軽くて、走ると宙に浮かびあがる。

 

 その上相当のお年寄りの筈なのに、とても若く見える。

 いつでもどこでも、エネルギーが切れるとすぐに寝込んでしまう。

 

 でも、カレル先生の正体がたとえ幽体であったとしても・・・大好きな、尊敬する先生であることに疑いはなかった。

 

「みんな集まってくれるかな」

 カレル先生は軽やかに床に着地すると、いつもの調子で生徒を呼び集めた。

 

・・・白状すると、先生は大昔に本物の幽体離脱を済ませているので、今さら離脱の必要は無いんだよ。

 みんなも先生が幽体であることを知っていて、知らない振りをしてくれていたんだと思う。

 幽体の活動に必要な特殊エネルギーを補給するために、先生は週に一度、黄泉の国と往復をしなければならない。

 その物質は先祖の幽体から少しずつ分けて頂くとても貴重なものなので、無駄には使えないのだ。

  今は週に一度、みんなを教えるために、学校と黄泉の国を往復している。

 そんな先生だけど、みんなには、この姿をあるがままに受け止めて欲しい・・・

 

  カレル先生は辛い出来事を思い出して、思わず言葉に詰まってしまった。

  ヒーラーおばさまが椅子から立ち上がって、教授を優しく抱いた。

 

  「出発!」

 元気を回復したカレル先生が、大事のハットを教室の窓から校庭の空高く放り上げて、宇宙遊泳を開始した。

 

「匠、宇宙遊泳って、どうすりゃいいの?」

 咲良と裕大が匠に聞いた。

「簡単だよ。まず両足で思い切り地面を蹴る。幽体は軽いから、宙に浮く。それから遊泳開始だよ。一番スピードが出るのは、クロールをすればいいんだ。腕で水の代わりに空気を掴まえて、身体の下を、後ろに送るんだよ。いつでも息ができるから楽だよ」

 カレル教授が「整列!」とみんなに声をかけた。

「僕の姿が見えるところから決して離れないように! 今日は初心者のために二人ずつペアーを組んで雁形の二列縦隊で行く」

 生徒たちは隊列を組み、地面を蹴って空に飛び立った。

 

 カレル教授が先頭に立ち、エーヴァが咲良を、匠が裕大を横からサポートして続く。

 マリエとペトロがお喋りしながら空を飛ぶ。

 

 上昇を続けてドームの天井に到着した。

 薄青い天蓋をくぐり抜けると、「バス停留所と書かれた黄色い看板が雲の中で揺れていた。

 

 そこには黄色い宇宙バスと黄色い制服を着た運転手が待っていた。

 全員がバスに乗り込んで、シートに落ち着くと、逞しい体をした若い男の運転手が黄泉の国の説明を始めた。

 

「今日は皆さんの人生でただ一度のチャンスです。一番会いたい人に面会が可能です。懐かしいおばあちゃんや、お爺ちゃん、亡くなった友達、誰とでも会えます。尊敬する過去の偉い人に会って、どうしても聞きたいことを質問しても良いのですよ」

 

「いまからお渡しするのは面会希望カードです。会いたい人の名前を書いて下さい。願いを込めて運転席の横の黄色いポストに入れて下さい。面会の時間はきっかり30分です。これだけは守ってください。黄泉の御霊は疲れやすいのです」 

 

 匠は大好きなおばあちゃんのフルネームをカードに書いて、黄色いポストに入れた。

 

・・・小さかった頃、匠の夏の日は毎年暑くなっていった。

 大好きな夏休みがやって来ると、朝早くから畑や森に出かけて、トンボ取りや、魚釣りをして過ごした。

 オスのヤンマは自分の飛び回るテリトリーを決めていて、同じところをグルグル廻って来る。 通り道でじっと待ち構えていて網で捕る。

 

 一匹獲れば後は棒の先に長い糸でくくりつけて飛ばすと、他のオスが誘われて追いかけて来るので、網で獲る。

 

 おばあちゃんや、おじいちゃんが子供の頃は、大きなかごがいっぱいになってヤンマの羽根が痛むので、可哀相だから掴まえたらすぐに放してやったと言っていた。

 

 最後の夏休みの日、午前中かかってようやく銀ヤンマを一匹捕まえた。

 森の中の池からは魚の影が消えたので、もう魚釣りはあきらめていた。

 

 遊び友達が、なぜだかどんどん少なくなって、とうとう一人になった。

 午後になると木陰を探してもなかなか見つからなくて、お腹も空いたので急いで家に帰る。

 

 おばあちゃんが一人で留守番をしていて、匠が大好きな冷たいお素麺をいっぱい作って待っていてくれた。

「今朝は遠くの《牛が首池》までトンボ取りに、一人で行ってきたけど、フナもコイもきれいなタナゴもみんないなくなってたよ」

 

 お腹がふくれた匠は、縁側で寝っ転がりながらおばあちゃんに《今日の報告》をした。

 昼寝を始めた匠を、おばあちゃんは長い間うちわで仰いでくれた。

 

 夕方になるとおばあちゃんが「さー匠、そろそろトンボを家に帰してあげましょう」と言った。

 かごから庭に放してやると、銀ヤンマは真っ赤に燃え上がった夕空に舞い上がって、嬉しそうに山に帰っていった。

 おばあちゃんも目を細めて嬉しそうに笑っていた。

 

 次の日、朝からママが目を真っ赤にしているので、どうしたのと聞くと、おばあちゃんが亡くなったよと言った。 

 匠は思い切り泣いて、おばーちゃんにお別れをした。 

 それ以来トンボも姿を消した。

 

 今日はもうすぐ大好きなおばあちゃんに会える。

 本当に久しぶりだ。  
 

「終点です」

 運転手の声が聞こえて、匠の目が覚めた。

 

 広場の真ん中に「バス停・終点」と書かれた黄色い案内板が立っていた。

 広場はいくつものふわふわの白い雲が小さな小山のように折り重なってできていた。

 

 黄色い髪をした案内人が二人も待っていてくれて、生徒を一人ずつバスから離れたところに連れて行った。

「匠君だね、お待たせしました」

 

 最後に残った匠は、案内人に先導されて、雲の小山をいくつか越えて、小さな窪地に着いた。

 凹みには小さな可愛いベンチが匠を待っていた。

 

 ベンチに座って、おばーちゃんを待つように、と言って案内人はバス停に戻っていった。

 ベンチは雲で出来ていて、座ると身体が沈み込んで、とても居心地が良かった。

 

 ふと気がつくと、仲間の姿がどこにも見えなかった。

 心細くなった匠は、肩に担いできた小さなリュックを横に置いて、腕組みをした。

 

 それから、おばあちゃんの事だけを考えて、静かに待つことにした。

 時間がたって、匠は立ち上がった。

 

 足踏みをして、、また座り込んだ。

 もう待ちきれなくなったとき、白い雲の切れ目からおばあちゃんが現れた。

 

「匠!」おばあちゃんは大きな声を上げて両腕を拡げた。

 匠はおばあちゃんの胸に飛びこんでいった。

 

 おばあちゃんは昔のままでちっとも変わっていなかった。

 二人で隣り合わせにベンチに座ると、匠はおばあちゃんがいなくなってからいっぱい溜まってしまった《今日の報告》をしたくなった。

 

「あの日縁側でどこまで話したっけ」

 匠が聞くと・・・。

 

「《牛が首池》の魚がいなくなったとこまでだよ」

 おばあちゃんはあの日のことを覚えてくれていた。

 

 匠はそれから友達が一人もいなくなったことや、緑がどこかへ消えたこと。

 大阪の田舎の家から東京の学校にママと一緒に移ってきたこと。

 

 新しい学校には世界から集められた五人の仲間と家族がいて、一緒に暮らしていること。

 おじいちゃんに習った武術の練習を今でも毎朝一人で続けていること。

 何から何までみんな話した。

 

   おばあちゃんはにこにこ笑いながら、匠の話を最後まで聞いてくれた。

 匠はリュックを開けて、おばあちゃんとおじいちゃんへの贈り物を取り出した。

 

 匠のマイ・ワールドで育てた大きな柿の実だ。

 昔、おじいちゃんとおばあちゃんが結婚記念日に田舎の家の庭に植えて大事に育て上げ、毎年食べるのを楽しみにしていた柿の木は、東京の学校へ移ってくる前に枯れてしまった。

 

 匠は悲しくて、マイ・ワールドに柿の木の苗を植えて、育てた。

 実が見事に大きくなって、今が食べ頃だ。

 

「今朝、僕が木に登って取ったんだよ。二人で食べてくれるまでは、幻になって消えてしまわないように念力をかけてあるんだ」

 匠が自慢をすると、おばあちゃんは柿の実をバッグに大事にしまい込んで、匠をしっかり抱きしめた。

 
 おばあちゃんはとても軽くなっていた。

 匠がおばあちゃんを抱きしめ返すと、おばあちゃんの身体が空中に浮かび上がってしまった。
 

 慌てておばーちゃんをベンチに戻して、二人で大笑いした。

 おじいちゃんから匠へのメッセージを預かってきましたよ、とおばあちゃんがいった。

 

「匠の身体にはおじいちゃんからの贈り物がしっかり組み込まれているそうですよ。それは《絶対諦めないアスリートの魂》ですって。苦しいときはおじいちゃんを思い出してその魂を取り出して、自分を励ましなさい。きっと役に立ちます、そう言ってましたよ」

 

 匠は、武道や遊泳の基本を教えてもらったおじいちゃんを思い出して、何が何でも会いたくなってきた。
 

 ピッ、ピッ! と腕の時計が鳴った。

 あっという間に約束の30分が過ぎてしまった。

 

「ママと元気に暮らすのですよ」

 最後にもう一度匠を抱きしめると、おばあちゃんは何度も何度も振り返りながら、雲の中へ消えていった。

 匠は、おじいちゃんはきっとおばあちゃんと一緒に暮らしているのに違いないと思った。

 

 どうしてもおじいちゃんに会いたくて、我慢できなくなった匠は、おばあちゃんのあとをこっそり付けて行った。

 

 雲の小山に隠れながら、見え隠れするおばーちゃんの後ろ姿を追いかけている中に、乳白色の濃い霧が出てきて、視界が遮られた。

 

 気が付くとおばあちゃんの姿が消え、匠は迷子になっていた。

 その上、風まで強くなって来た。

 

 強い風が吹きつけてきて、匠の身体はいつの間にか黄泉の国の暗い片隅に運ばれていった。 

 

 ・・・集合場所のバス停に生徒たちが次々と帰ってきた。

 マリエはいつも一緒だった教会の近くの農家の親友、エーヴァは一枚も売れない気のいい画家のおじいちゃん、裕大はよく怒られた部族長のおじいちゃんに会ってきていた。

 

 咲良は作家のミハエル・エンデ先生とファンタジーアの将来をどうするか相談してきたわよ、と自慢した。

「なんてったって先生の小説の世界『ファンタージェン』は、咲良の世界『ファンタジーア』と見えないトンネルで繋がってるんだから」と咲良は断言した。

 

 ペトロは、真っ白いもじゃもじゃ頭のアインシュタイン博士に会って、2016年の宇宙物理学界での出来事を報告していた。

 ペトロは壇上の科学者に、宇宙の法則を修正してあげた話をする。

 

 感激したアインシュタイン博士は、ハル先生が取り組んでいる宇宙の第二方程式のヒントを思いついて、ペトロの用意した電子メモ帳に書き込んでくれた。

「ハル先生が大喜びするぞ」と、ペトロは電子メモを持って跳びはねていた。   
 

 黄泉の国の案内人が慌て始めた。

 面会の時間はとっくに過ぎているのに、匠だけが帰ってこない。

 

「ベンチの側の白い雲に残されたスニーカーの足跡では、匠は祖母の後をつけていったものと思われます。行方不明です」 と案内人が言った。

 今度ばかりはカレル先生も途方に暮れた。

 黄泉の国に結界の張り出し保険はかけられない。

 

 匠が迷い込んだ黄泉の果ては、リアル・現実の領域だった。

「匠が危ない!」

 

 先生は匠を求めて、頭上を流れる白い霧の中に飛び込んでいった。

 黄泉の案内人が数人、一斉に後を追っていった。

 

・・・こんな雲ばかり広がる世界で、霧が流れて、風が吹き荒れて、視界がゼロで、カレル先生はどうやって匠を見つけるつもり?・・・

 五人の生徒は顔を見合わせた。

 

 ペトロが小声で聞き覚えのある唄を歌い始めた。

「こんな時に童謡なんか歌って何事よ!」

 匠と仲良しのエーヴァがペトロに目をむいた。

 

 ペトロはリュックを肩から外すと、水筒を取り出して、一口水を飲んだ。

 それから、リュックの底をかき回して、大きな鍵を取り出した。

 

 鍵を自分の胸のポケットの鍵穴にさし込んで、カチリと廻す。

 ペテロの胸のあたりから青い風船のようなものが現れて、プーッとみんなの背丈の三倍ぐらいに膨らんだ。

 

 ペトロは、マイ・ワールドの鍵をいつもリュックに入れて持ち歩いていた。

「ヤットコ、ヤットコ繰り出した・・」

 

 ペトロが調子外れに歌い始めると、風船の中から10頭の騎馬と10人の兵隊がばらばらと転がり出してきた。

 ペトロの歩兵軍団は、羽の生えた騎馬軍団にパワー・アップされていた。

 

「いいかお前達、霧の中から匠を探し出して、ここへ連れ戻して来るんだ。必ずだ!」

 騎馬兵に命令を下すと、匠はリュックから指揮棒を取り出して振り上げ、一拍おいた。

 

「サー、みんな、いこうぜ! おもちゃのマーチだ」

 目を丸くしているみんなの前で、指揮棒が一気に振り下ろされた。

 

 みんなは「おもちゃのマーチ」を空に向かって声を合わせて歌った。

 歌声が風に乗って舞い上がると、騎馬軍団は空高く雲を蹴り、白い霧の中に消えていった。

 

 匠は懸命に泳いでいたが、何の目印も無い霧の中では、黄色いバス停の方向が分からなくなった。 

 疲れ果てた匠は灰色の霧の中を流されていった。

 

 疲労が限界までやってくると、魂が抜け落ちていくように心地よかった。

 匠は風と霧に身を任せて漂い始めた。

 

「匠! 諦めてはだめだ!」
 叱咤する声が身体の中から聞こえた。

 

 おじいちゃんから受け継いだ「アスリートの魂」が目を覚まして、五感を蘇らせる。

 遠くから、仲間の歌う声が風に乗って聞こえてきた。

「ペトロだ! ペトロの兵隊の歌だ」

 匠は声を張り上げて歌った。

 

 霧の中から、一騎、二騎と騎馬兵が現れてきた。

 先頭の騎馬兵が匠を担ぎ上げ、馬上に乗せた。

 

 騎馬兵は集合して一列に並び、生徒たちの歌声に向かって戻っていった。

 霧が晴れて、騎馬軍団が生徒たちの頭上に現れた。 

 

 先頭の馬上で、匠が元気に歌っていた。

 天馬の背中から飛び降りた匠に、ペトロが駆け寄った。

 

「こら匠、一体どこで遊んでたんだよ!」

 ペトロが背伸びして匠の頭をゴンと叩いた。

 

 みんなが走りよってきて、匠の頭をぼこぼこにした。

 

・・・帰りの宇宙遊泳はとても楽だった。

 バス停からジャンプするとあっという間に学校の校庭に着陸した。

 

 みんなはトレーニングルームに駆け込んで、

 気持ちよさそうに寝込んでいる自分たちの身体を確認した。

 

「ただいま」と言いながら、幽体から生身への帰還を無事果たしていった。

 

・・・それにしてもペトロのサイコキネシスは進化したもんだ。ファンタジーアを離れた黄泉の国でも幻想を実体化するまでの力を身につけていたとはね。参った参った!

 

 カレル教授はぶつぶつと独り言を言いながら、ペトロの頭を一撫でして個室へ戻り、そのまま特殊魔法瓶に潜り込んで、ぐっすりお休みになった。

 

   ペトロはハル先生を探していた。

 ハル先生の部屋まで行って、ドアをノックしてみたが、返事がない。

 

 部屋の中から小さな音が聞こえるので、ノブを回してドアを少し開け、中を覗き込んだ。

 部屋の中には誰もいない。

 

 デスクが窓際にあって、その上のナノコンが勝手に軽やかな音を立てていた。

 

「ハル先生!」と呼んでも誰も出てこないので、ペトロは諦めてドアを締め、Uターンして教室に戻り始めた。

「ペトロ! どうかしたの?」

 いま閉めたドアが開いて、中からハル先生が顔を出した。

 

「あれっ、先生、部屋にいらしたのですか?」

「お入りなさい。デスクに向かって仕事していたのですよ」

 

 さっきは確かに誰の姿も見えなかったのに、僕の勘違いかなと思いながら、部屋に入って、小さなメモリーをハル先生に差し出した。

 

「これ、お土産だよ。黄泉の国でアインシュタイン博士とお会いして、議論して来たんだ。これは博士から頂いた宇宙の第二方程式のヒントだよ。ハル先生のお役に立てれば良いのですが、とおっしゃってたよ」

 ハル先生は「きゃっ!」と叫んで椅子から飛び上った。

 

「ペトロ、一緒に見てみましょう」

 先生が震える手で、ナノコンにメモリーを差し込むと、博士からのメッセージと手書きのサインがディスプレーに現れた。

 

「ハル先生! 気をつけてください。宇宙はやはり加速膨張を続けているようです。宇宙の第2方程式を完成するのには、宇宙空間の歪みの解明と幸運が少し必要かもしれません。A・アインシュタイン」

 

 ハル先生は「宇宙空間の歪みの構図」と書かれた同封のファイルを開けると、ナノコンに慎重に写し替え、直ちに計算に取りかかった。

 ハル先生の目がめらめらと燃え上がっていった。

 

 これはだめだ! ハル先生はもう半日は計算の世界から帰ってこない。

 ペトロは先生の邪魔にならないようにドアをそっと締めると、教室に戻った。
 

 教室で匠が一人残って、ペトロの帰りを待っていた。

「ペトロ、今日は助けてくれてありがとう!」

 

  匠はぺこんと頭を下げてペトロにお礼を言った。

 それから「さっきのお返しだ」といってペトロの頭を軽く叩いた。

 

 匠のスマホでラインが騒いだ。

「門の前にいます。ママ」

 

 カレル先生からの緊急連絡で匠のママが迎えに来ていた。

 おばあちゃんと話した「今日の報告」をママにしたくて、匠は一目散に校庭に駆け出していった。

 (続く)

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オリンピック女子テニス / 金メダリストのベストファッションを紹介

テニス観戦の興味の一つは、女性選手の機能的で華麗なファッションです。

女性のアスリートがオリンピックのテニス競技に参加できたのは1900年の第2回パリ・オリンピックが始まりです。パリから2016年リオデジャネイロ・オリンピックまで、途中中止を挟んで、競技の記録写真からオリンピック女子テニス、金メダリストのベストファッションを選んで紹介します。

1900年パリオリンピックの女子テニス・金メダリストはロングスカートでプレーしていた?

 

シャーロット・クーパー
パリ五輪テニス優勝

 

1900年、パリで開催された第2回近代オリンピックに女性がはじめて参加しました。

このときテニスの女子シングルスと混合ダブルスで二つの金メダルを手にしたのが、写真のシャーロット・クーパーです。

 

イギリス・ロンドン生まれのシャーロットは全英オープンに相当する「ウインブルドン選手権」で5回も優勝している名プレーヤーです。

このときのパリ・オリンピックは、世紀の変わり目にあたる国際博の付帯競技大会として開かれていて、運営の体制が整わず、陸上以外の競技は公式記録が残されていません。

 

しかしテニスは別格だったようです。

優勝者のシャーロットの立派な記念写真が残されていました。

 

襟付きの長袖ブラウスに小さなネクタイ、足首が隠れそうなロングスカートにベルトがきりりと締められています。

この写真は金メダルの表彰式のときの服装でしょうか?

 

それとも、プレーするときもこの服装だったのでしょうか?

このファッションでプレーをしたら、スカートで足がもつれて、転んでしまいそうです。

 

じつは、1900年当時、女性はこんな服装でテニス・プレーをしていたのです。

 

・・

次の写真は、パリから8年後の1908年に開催されたロンドン・オリンピックで、テニスのシングルスに優勝したドロテア・ダグラス・チェンバースのプレー写真です。

 

1908年ロンドン五輪優勝
ドロテア・ダグラス・チェンバース

イングランド出身のドロテアは、重たそうなスカートを引きずりながら、こんなスタイルでプレーをしていました。

ドロテアは、自分のバックサイドに来たボールを打ち返すために、右足を踏み込んで肩を廻しています。

 

バックサイドというのは右利きなら身体の左側にあたります。

バックサイドに来たボールは右足を思い切り左に踏み込まないと、力強い返球ができません。

 

ドロテアのスカートが膝にかかって、身体をひねるのも限度いっぱいのように見えます。

これではあっという間に疲れてしまうでしょうね。

 

ドロテアはこの服装でウインブルドンのシングルスで7回も優勝しているのです。

1900年から1910年頃の女性のテニス・ファッションには慎み深い上品さが求められていました。

 

足首まであるロングドレス、長袖のブラウス、ネクタイにタイトなベルト・・・

機能性のみじんもない悲劇的ファッションで、彼女たちは長い時間、コートの上でけなげに戦ったのです。

 

スザンヌ・ランランはジャン・パトーのデザインでコートを跳ねた。

 

VOGUE誌のサイトによれば・・1920年代「テニスの女神」と呼ばれたパリ出身のスザンヌ・ランランが、当時流行していたフラッパースタイルをテニスコートに持ち込みました。

 彼女が身につけていたのは、ノースリーブのドレスで、膝がちょうど隠れるくらいのプリーツスカートになっています。

 

プレー中のランラン

このファッションはシャーロットやドロテアのものと比べて、格段に機能的です。

足の可動域も拡がり、コートを飛び跳ねています。

 

ランランの戦績は全仏優勝六回、ウインブルドン六回、1920アントワープ・オリンピックで金メダル獲得というすさまじい活躍振りでした。

 

このファッションを考案したのは当時の人気デザイナー、ジャン・パトーです。

ジャン・パトーはテニス・ファッションを華やかにしただけでなく、機能を進化させて女性のテニスの発展に大きな貢献をした人物といえます。

 

1929年にテニスファッションの原型/膝下までのプリーツ・スカートにカーディガン

 

ヘレン・ウイルス・ムーディー
1929年

 

この写真の女性は、米国出身で1924年パリ五輪のシングルスで金メダルを獲得したヘレン・ウイルス・ムーディーです。

写真は1929年に撮影されたものです。

 

服装は膝下までの白いプリーツ・スカートに襟付きシャツとカーディガンという、テニスファッションの原型ができあがっています。

おとなしいファッションですが、この服装なら現在のテニスコートでプレーしても、おかしくありません。

 

悲しいことですが、ヘレンの活躍した1924年からオリンピックのテニスは長い凍結の時期に入ります。

テニスのプレーヤーは半世紀以上の間、オリンピックという華やかなステージからその姿を消しています。

 

オリンピック・テニスの凍結と復活

 

1928年から1984年までのおよそ60年と言う長い期間、オリンピックからテニス競技が除外されています。

原因はテニス競技のプロ化が始まったことです。

 

男子、女子とも、賞金が手に入るテニス試合が始まって、ランラン選手をはじめ、有力選手のプロ転向が進みます。

その結果、スポーツのアマチュアリズムを提唱していたIOCは、プロ化したテニス競技をオリンピックから除外することを決めました。

 

その後、60年もの歳月が流れて、1984年のロサンゼルスオリンピックで公開競技としてテニス復活が試されています。

ロスオリンピックは、米国のピーター・ユベロスという実業家が大会組織委員長を務め、オリンピックの運営に民間主導のマーケテイング手法を導入して、事業の黒字化に成功したことで有名です。

 

この大会以降、オリンピックはアマチュア主義からプロの選手を含めた商業化「オリンピック・マーケティング」の時代に突入していきます。

そして1988年、ソウルオリンピックでついにテニス競技が64年振りに公式競技として復活します。

 

競技に賞金はありませんが、プロ選手の出場が認められ、有力選手が出場しました。

基本理念「オリンピックはアマチュアスポーツの祭典である」と言う考え方が大きく変更された大会でした。

 

このとき女子シングルスで金メダルを取ったのがドイツのシュテフィー・グラフです。

シュテフィー・グラフ

 

グラフは世界ランキング一位の地位を377週(7年強)続けたという男女を通じて史上最多の記録を持っています。

また全豪・全仏・全英・全米の四大タイトルをとる“グランドスラム”に加えて、オリンピックの金メダルをあわせた“ゴールデンスラム”を達成しました。

(4大大会のことを単にグランドスラムと呼ぶことがあります)

 

しかも、すべてのタイトルを1988年の一年間で獲得したテニス史上ただ一人のプレーヤーです。

グラフのプレースタイルは卓越したフットワークと必殺のフォアハンドでした。

 

写真を見てください。

ファッションに一分の隙もありません。

 

半袖シャツに、動きやすいミニスカ、軽いテニスシューズに髪留め。

一切の無駄をそぎ取った究極の機能美と言えるファッションです。

 

女子テニスの歴史上、もっとも機能的なスタイルといえるかもしれません。

グラフはこのスタイルで強敵のナブラチロワやクリス・エバートと戦い、3回のグランドスラムを達成しました。

 

彼女は引退後、男子のグランドスラマー、アンドレ・アガシと結婚しました。

アガシはバツイチで、できちゃった婚だそうです。

 

今は幸せな二児の母親で、夫婦でチャリテイー活動に励んでいるという話です。

 

もう一人のゴールデンスラマー/セリーナ・ウイリアムズ

 

 

セリーナ・ウイリアムズ

 

オリンピックベストの最後は、セリーナ・ウイリアムズの華麗でパワー溢れるテニス・ファッションです。

エレガントで機能的な白いワンピースに身を包んだセリーナは米国の国民的英雄です。

 

彼女はグラフと並び四大タイトルとオリンピック金メダルをとったゴールデンスラマーです。

さらに男女を通じてシングルス・ダブルス共に「キャリア・ゴールデンスラム」を獲得しているただ一人の選手です。

 

彼女は2002~2003年、2014~2015年に全米などのグランドスラム4大会を連続優勝しています。

また、2012年ロンドンオリンピックでシングルスとダブルスの両方で金メダルを獲得。

 

プレースタイルは姉のビーナス・ウイリアムズとともに圧倒的なパワー・テニスです。

二人が組んだダブルスは大胆なファッションと共に、男子をしのぐほどのスピードとパワーで観客を魅了しました。

 

エピソード/セリーナ・ウイリアムズは大坂なおみ選手が2018年の全米オープン決勝で戦った相手!

 

2018年9月、全米オープン・テニスで、大坂なおみ選手は、ゴールデンスラマーのセリーナ・ウイリアムズを破って、日本人で初めてグランドスラムのチャンピオンに輝きました。

 

この試合で審判の警告に対して、セリーヌ選手は「警告されるようなことは何もしていない」と抗議をして、試合中なんども審判に怒りを表しました。

試合中、観客もセリーナ選手に同情して、審判にブーイングを繰り返しています。

 

試合後の表彰式で、セリーナの全米制覇を期待していた地元ファンからはブーイングが起こったのです。

セリーナは客席に対し、ブーイングではなく大坂のグランドスラム制覇を祝うように呼びかけました。

 

大坂は「みんな、セリーナのことを応援していたのをわかっています。こんな終わり方になって、ごめんなさい」と声を詰まらせます。

セリーナに「プレーしてくれてありがとう」と涙ぐみ、憧れの元世界女王への敬意を忘れません。

(NEWS JAPAN より)

 大坂なおみ、セリーナ破りテニス全米オープン初優勝

 

大坂なおみに話しかけるセリーナ

 

二人の優しいやりとりは、観客と世界を感激させました。

大坂なおみ選手! 東京オリンピック! 応援してます!

 

大坂なおみ選手はどんなファッションで東京オリンピックのコートに現れるのでしょうか?

セリーナウイリアムズは欠場の予定ですが、世界の若手選手のベストファッションが今から楽しみです。

(おわり)

 

【記事は無断の転載を禁じています】

この世の果ての中学校 2章 リアルの世界は一度逝ったら戻れない(後編)

 灼熱した地球でたくましく生きる6人の子供たち

 

 

 

 

 

 

の~んびりした人類絶滅物語です。

 21世紀の末、人類が絶滅した地球に残された六人の中学生が、カレル先生に連れられて2016年の東京へタイムワープします。

 リアルな世界、東京は一度逝ったら決して戻れない怖い世界です。

 初めての繁華街で迷い、遊んで、大きなホテルで休憩した後・・・生徒たちはカレル先生が子供時代を過ごした郊外の実家で、楽しい一夜を過ごしました。

 その夜、少年時代のカレル君とハルちゃんの秘密の計画を知ってしまいます。

 翌日、六人はネイチャーアドベンチャー号で東京近鄕の山に出かけて、初めての自然観察と川遊びをします。

 しかし、そこで六人を待っていたのは、突然の極地豪雨と恐ろしい暴風でした。 

 

全編は、下記をご覧くださいね。

この世の果ての中学校 2章 リアルの世界は一度逝ったら戻れない(中編)

 

2章 リアルの世界は一度逝ったら戻れない(後編)

 

めっちゃ腹減った!

 朝早く、マリエがベッドで叫んだ。

「ワオ―!昨日の晩ご飯、あんなに沢山頂いたのに、どうしてこんなに飢えてるの?」

 エーヴァが両手を天井に向けて思い切り伸ばす。

 

「ここは空気がきれいだから、あっという間にお腹が減るのよ」

 咲良が窓を開けて、朝日が届けてくれる柔らかい風を胸一杯、吸い込む。

 

 朝の食事はカレルのママが用意してくれたものではとても足りなくて、生徒達はリュックか

ら非常食と飲料水をいっぱい持ち出して来た。

 カレルのママが目を丸くして見守る中、みんなは昼食用に少しだけ取って置いて、残りを完食してしまった。

 

 軽くなったリュックを担いで、生徒たちがカレル家の門の前に集合した。

 おじさんとおばさん、カレル少年とブー太郎が見送りに出てきた。
 

 集合時間きっかりに、カレル先生が寝ぼけ眼で現れた。

 最後にマリエが「遅れて御免なさい」と言って道の向こうから走ってきた。
 

 全員がそろうと、生徒たちは横一列に並んで、カレル家の人々にお礼を言った。

 「たいへんお世話になりました。ごちそうさまでした」

 

 ブブー!と騒々しい音がして「ネイチャー・アドベンチャー号」の表示板をつけた10人乗りの小さなバスが現れて、門の前に止まった。

 ものすごく大きなサングラスをかけた背の高い外国人みたいな運転手が降りてきた。

 

「お待たせしました。ただいまからネイチャー・アドベンチャーの旅にご案内いたします。どうぞご乗車ください」

英語みたいな日本語で運転手が喋った。

 

「裕大兄ちゃん!あの運転手どこかでみたことあるよ」

「何言ってんだペトロ、ここは2016年の東京だぞ。バスの運転手を知ってる訳ねーだろが・・」

 

 ペトロは首をかしげながら、バスに乗り込んで、一番後ろの席に着いた。

 バスがゆっくり動き出すと、生徒たちは窓から身を乗り出して、カレル家の人たちの姿が見えなくなるまで手を振り続けた。

 

 カレル先生は一番前の助手席に座ると、すぐに椅子をリクライニングした。

 サングラスの運転手に、登山口に着いたら起こしてくれるように頼んで、愛用のハットで顔を隠し、さっさと寝込んでしまった。

 

 マリエがペトロの席にやって来て、横の空いているシートを指さした。
「ここ、座ってもいい?」

「いいよ。でもさっきはどうして集合時間に遅れたの?」

「カレル家のすぐそばに可愛い教会があるのを、昨日見つけておいたの。朝の礼拝に行ってきたわ。昔からのお勤めなの」

 

 マリエはポーランドのワルシャワ郊外にある小さな教会の娘だった。 

 教会は丘の上にあった。

 

 丘の麓からどこまでも続く一本道は緑の畑に囲まれていて、その先は地平線に重なって消えていた。

 マリエは教会の自分の小さな部屋から、外の世界を眺めるのが大好きだった。 

 

 一本道の両側には農家が点在していて、どの家にもマリエの友達がいた。

 日曜日には友達が両親に連れられてミサにやって来た。

 

  ミサのあと、マリエは友達とお喋りをして遊んだ。

 そんなある日、急に丘の空気が熱くなってきた。

 

 黄色い太陽のせいで、地平線が黄色くなった。

 そのうち、畑も丘も茶色い荒れ地に変わっていく。

 

 マリエには病気の原因がよくわからないのだけれど、友達や、知り合いの人やその家族が次々に亡くなっていった。

 教会の毎日はお葬式でとても忙しくなる。

 

 日曜日は逆にミサに来る人の数がどんどん減っていく。

 ある日の朝、牧師のパパの姿が消えた。

 

 ママはパパが天に召されたと言ったけれども、マリエは信じない。

 マリエに挨拶なしでパパが黙って消えるはずがない。

 

 パパはどこかにいる。

 マリエはパパがいつか帰ってくるまでお祈りを続けることにした。

 

「さっき教会でお祈りしたら、神様に私のお祈りが届いて、しっかり聞いてくれてたわ。ドームの世界ではね、いくらお祈りしても神様の声はもう聞こえない。人間を守ってくれる神様はいなくなったの」

 となりのシートからペトロに話しかけるマリエの表情がふっと曇った。

 マリエはいつもどこか遠くを見ている。

 

 ペトロはそんなマリエのことがとても心配で気にかかる。

「はい、これ!カレル君からペトロに秘密のプレゼントだって」
 

 マリエがこっそりペトロに新聞を手渡した。

 日付は今日、朝刊だ。

 

「宇宙物理学会は大混乱!天才少年かいたずらか?」

 一面に大きな見出しで、監視カメラのぼやけた顔写真と「少年の行方を捜しています」と言う囲み記事が掲載されていた。

 

「その新聞、先生には絶対見せない方がいいよってカレル君が言ってたわ。むちゃくちゃ怒られるって」 

 慌てたペトロはバスの助手席にいるカレル先生を、身体を伸ばしてちらっと見た。

 

 先生はいびきを掻いて熟睡している。

 ペトロは一安心して、マリエにお礼を言ってから、さっき別れたカレル君にも小さくお礼を呟く。

 

 それから新聞を小さく畳んで自分のリュックの底に隠した。

 

 みんなを乗せたバスは山の斜面をS字にカーブしながら、坂を登り切って目的の登山口に着いた。

 カレル先生は、運転手に荒っぽく起こされて急いでバスから飛び降りる。

 

 「うーん」一つ大きな伸びをして、先生は周りの山々を懐かしそうに眺めた。

 マリエがまねをして小さな伸びをして、まわりの山々を眺める。

 

「今日は午後から天気が変わるかもしれないから、皆さん気をつけて下さいよ」 

 運転手がラジオの天気予報を伝えて、「帰りのお迎えはいいのですね?」とカレル先生に何度も念を押した。

 

 先生が頷くと、運転手はでっかいサングラスをかけ直してバスをUターンさせ、元来た道を戻って行った。 

 

 カレル先生は子どもの頃、夏休みにパパに連れられてこの山を何回も登っていた。

 

 曲がりくねった細い登山道や、迷い込んだら危ない脇道や、冷たくておいしい飲み水の湧いているところや、雨が降るとでっかいミミズが出て来て、たまり水で足が滑ってひっくり返るところや、絶対に近寄ってはいけない崩れそうな崖や、瓦礫で危険な川筋を今でも良く覚えていた。
 

 今日は一番安全な道を選んで、生徒たちを先導して行く。

 急坂をしばらく上ると、少し開けた場所にたどり着いた。

 

 そこは日当たりのいい小さな広場になっていて、生徒の背丈くらいの樹木と小さな草花でいっぱい覆われていた。

 

「全員集合!いまから昆虫採集を始めまーす」

 先生の大きな声が青い空に突き抜ける。
 

 カレル先生はナップザックから大きな白い布を取り出して、ふわふわした白い花が一杯咲いている樹木に近づく。

 匠とペトロを呼んで、布の四隅を持たせて、木のすぐ下の空間に拡げさせた。

 

 次に細長い枯れ枝を裕大に渡して、花の付いた樹木を上からとんとんと叩かせた。

 甘い香りに誘われて白い花に集まっていた昆虫が、ばらばらと白い布の上に落ちてきた。

 

 白い布の上では色の付いた昆虫は丸見えだ。

 ひっくり返っている昆虫たちを、咲良とエーヴァとマリエがピンセットでピックアップして、小さな観察用のガラス瓶に入れていく。

 

「これは新種だ。おまえは珍種だ」

 ガラス瓶の中の昆虫を、カレル先生が一匹ずつ生徒に解説していった。

 

「カメちゃん!元気か。久しぶりだな」

 先生はカメムシというくさい匂いのする虫にキスをした。

 

 匠がまねをしてカメムシにキスをした。

「おえーっ!」

 

「匠、仲良くしろよ!虫も人間も生き物は先祖をたどれば、みな海の中で生まれたらしいぞ。

 おれたちみんな海から生まれた兄弟なんだ」と先生はいう。

 

 生徒たちが暮らしているドームに昆虫はいない。

 指の先ほどの小さな生きものが、ガラス瓶の中から命がけで逃れようとする様子に生徒達は心を奪われていた。

 

「お疲れさん。君たち解放の時だ」

 先生の合図で、生徒たちは観察を終えた昆虫を、ガラス瓶から白い捕獲網の上に放してやった。

 

 一センチほどの小さな金色のコガネムシが捕獲網から飛び立とうとして、薄い羽根を必死でぷるぷると震わせた。

「がんばれ!」マリエが両手を握りしめて叫んだ。

 

 マリエの大きな声に驚いた虫たちが一斉に飛び立って逃げていった。

 

・・・再び山道を登ると、道幅は狭くなり、危ない急斜面が続いた。

「確かこのあたりだ」先頭のカレル先生が立ち止まった。

 

「小休止!」

 カレル先生は、愛用のハットを脱いでバタバタと顔を仰いで、辺りを見渡す。

 

「先生、前方、右斜め下に渓流発見!」

 匠が、木々の隙間から、急斜面の下に細い渓流が日光を浴びて銀色に輝いているのを見つけた。

 

 飛び散る飛沫の中に小さな影がちらちらと動いていた。

 「ここだ。間違いない、あの渓流は先生が中学生の頃、魚獲りをした秘密の場所だ」

 

 先生は細い下り道を見つけると、周りの木に掴まりながら後ろ向きに降りていく。

 六人が大騒ぎをしながら先生のあとについて降りる。

 

「しっ!静かに!」

 先生が川の流れを指さした。

 

 流れの速い岩場を、数匹の魚が流れに逆らって上流に向かって泳いでいる。

「あれは岩魚(いわな)だ」

 

・・・上流から落ちてくる昆虫とか、エサになるものなら何でも食べようと待ち構えているんだ。

川魚は人の影が見えたらさっと岩陰に隠れるからな。

いいか、隠れた場所をよーく覚えておくんだぞ。

隠れている岩魚にそーっと近づいて、一気につかみ取りだ・・・。
 

 先生は用意しておいた軍手をナップザックから取り出してみんなに手渡した。

「岩魚をつかんでも滑りやすいから、これでしっかり押さえるんだ!」
 

 水辺に近づくと、人影が水面に落ち、泳いでいた岩魚はさっと散って、岩陰に隠れ、姿を消した。

 ペトロは靴を脱いで、ズボンの裾をまくり上げて、流れに忍び込んだ。

 

 覚えておいた岩陰に近づくと、そーっと両手を下から伸ばした。

 魚の身体に手が触れると、一気に両手で掴みかかった。

 

 魚はすばしこく跳ねて逃げていった。

 裕大がようやく小さい岩魚を一匹掴まえた。

 

「10センチに届かないのは子供だからリリースしなさい」

 先生に促されて、裕大が渋々放してやった。

 

 エーヴァと咲良とマリエが三人チームで追いかけ回して、砂場に追い詰め、でかいのを一匹掴まえた。

 

・・・しばらく姿を消していた匠が、上流から戻ってきた。

 20~30センチぐらいの脂がのった立派な岩魚を10匹も獲っていた。

 匠は、2本の岩笹で結わえた岩魚をみんなの目の前でぶらぶらさせた。

「お前すげーな、どうやってとるんだ?」 

一匹も掴めなかったペトロが匠に聞いた。

 

「ペトロ、大発見だ!いいか、魚は後ろ向きには泳げない。魚の気持ちになって、頭の方から逃げ道を抑えるんだ。あとは両手で素早くゲットだ!」

 ペトロが「了解!」と言ってトライしたが一匹も掴めない。

「集合! 匠のおかげで旨そうなのがいっぱい獲れたからもう十分だ。自炊の準備だ」

 

 みんなは川岸に打ち上げられている乾燥した木ぎれを集めて来た。

 川のそばで火を起こし、小さな枝をナイフで削って串を作った。

 

「ご免なさい、お命、頂きます」

 両手を合わせて拝んでから、カレル先生は用意した塩を岩魚にまぶして、一匹ずつ頭から串に突き刺した。

 マリエが横で十字を切った。

 

 先生は、できあがった串を焚火から少し離して、地面に斜めに立てた。

 焼き上がってきた岩魚の脂がしたたり落ちて、香ばしい匂いがみんなの鼻を突く。

 

 こんがり焼き上がると紙の取り皿に移して身をほぐし、先生の用意してきたショウガ醤油をかけた。 

 飯ごうで炊き上げたご飯に、岩魚の身をまぶして一気に食べた。

 

「ウメーッ!」 全員でがっついた。

 

 食事が済むと水生動物の生態観察が始まった。

「川にはトンボのヤゴや、カゲロウやトビケラの幼虫や、小さな山椒魚の子供やいろんな生き物が隠れてるよ」

 

 カレル先生に教えられて、生徒たちは大きな岩をひっくり返して、底にへばりついている生き物の観察を始めた。

 みんなは時間を忘れて夢中で遊んだ。
 

 カレル先生は岸辺の草むらに入って、昼寝を始めた。

 先生は中学生の頃、この岸辺の草むらに一人で入り込んだ時のことを思い出していた。

 

・・・あのとき、僕の足音に驚いた蝶の大群が、隠れていた草むらや低木から一斉に飛び立って、空をピンク色に染めて舞った。

 薄いピンク色をした中型の蝶々、アサギマダラは夏が近づくと、遠いところからはるばる海を渡って山深い渓谷に集まってくる。

 きっと子孫を残すために大きな群れになるんだ・・・。

 先生は少年に戻って、優しいピンクの風に身を任せ、蝶の群れに乗って飛翔していた。  
  

「さわさわ!」 

 不思議な風の音が上流から聞こえて来た。

 川遊びをしていた咲良が物音に気付いて小首をかしげた。

 咲良は、音の正体を確かめようと、流れの中の大きな岩に登って立ち上がった。

 

 幻想の世界「ファンタジーア」の王女・咲良には、ときどき誰にも聞こえない音が聞こえた

り、誰にも見えない景色が見えたりする。

 ひとときが経ち、川の上流から淡いピンク色をした、目も覚めるような蝶が群れをな

して風に流されてきた。

 

 咲良はアサギマダラの群翔の中にいた。

 蝶たちは咲良にぶつかりそうになるとひらりひらりと身をかわす。

 

 そして慌てた様子で集まり、下流の方に群れて飛び去っていく。

 咲良は岩の上に立ち尽くして蝶の群れが飛び去るのを眺めた。

 

 さわさわという音の正体は蝶の群れを運ぶ沢風の音だった。

 咲良には、その音がなにかよくないことが起きる前兆に聞こえた。

 

 蝶はなにかに怯えて逃げている。

 咲良は岩の上で待ち構えた。 

 

 「ざわざわーっ!」

 風の様子がいきなり変わった。

 蝶の群れを追い立てるように、上流から強い風が吹き付けてきた。

 風に巻き込まれた木の葉が咲良の顔や身体にぶつかっては散っていく。

 

 咲良は風に吹き飛ばされそうになりながら、岩の上に両足を踏ん張って堪えた。

 蝶の群れを追いかけて遊んでいたマリエとエーヴァが、突風に身体を持って行かれて流れに倒れ、悲鳴を上げた。

 

 咲良は、乱暴な風に向かって両手を力強く伸ばして、命令を発した。

「私はファンタジーアの王女、咲良! どうか静かにして下さい! お願い、止まって下さい! こら、止まれ!」

 

 咲良の声が渓谷に響いた。

 咲良には乱暴な風の正体がはっきりと見えた。

 

 それは半透明で緑色の輪郭をしていた。

 咲良は岩の上で背筋を伸ばし、握りしめた両の拳を、風の心臓部めがけて突き刺した。

 

「鎮まりなさい!」咲良の声が響き渡った。

 勢いよく沢を駆け下りてきた風は、不意に咲良の拳に体を貫かれて、慌てて立ち止まり、その姿を現した。

 

 巨大な二つの緑の目が、岩の上に立つ咲良の顔を見つめ、咲良の心に探りを入れた。

「俺様に鎮まれだと? 何だ、この娘は・・・森に住む幻想一族の者じゃないか」

 

 風は、警告のひと風をビユッと咲良の顔に吹き付けた。

 そして散らばった身体を集めると、蝶の群れを追いかけて、川下に向かって通り抜けていった。

 咲良には風が吹きかけていった一声が、はっきりと聞こえた。

「咲良とやら!俺よりもっとでかい奴がすぐやってくるぞ。危ないぞ、気をつけろよ!」

 風の声は警告をしていた。

 「早く逃げろ!」

 

 咲良は岩の上から仲間を振り向いて叫んだ! 

「みんなよく聞いて! いまの強風よりもっと大きなのがすぐここへやってくるわ! お願い! 急いで岸辺に逃げて!」

 

 エーヴァとマリエは蝶の群れの残りを追いかけていた。

 裕大と匠とペトロは川の中で水を掛け合っていた。

 

 咲良の声はまるで耳に届いていない。

 咲良は、血相を変え、声を限りに叫んだ。

 

「恐ろしいのがすぐにやってくるわよ! みんな早く川から逃げなさい!」

 咲良の顔が、今まで見たことがないような鬼の形相に変わっている。

 マリエとエーヴァは怖くなって、慌てて岸に上がった。

 

 木陰で、のんびりと昼寝をしていたカレル先生が咲良の甲高い声で目を覚ました。

 ポケットの中で、昨晩のお礼に、ドームで出会うまでカレル少年から借りてきたスマホがなにか叫んでいた。

 取り出して見ると画面に緊急避難警報が入っている。

 

 先生は驚いて立ち上がり、生徒たちに向かって大声を上げた。

「この川の上流で局地豪雨だ! 早く川からあがりなさい!」

 

 水際に残っていた男子生徒も水をはね飛ばして、岸に駈け上がった。

 

「ゴーッ!」

 大地が震えるような音が上流から響いてきた。

 突然、川の水かさが増して、上流の水面はふくれ上がっている。

 

「鉄砲水だ、みんな川から離れろ!」

 カレル先生が慌てて叫んだ。 

 生徒たちは近くの森に向かって逃げ出した。

 

「あれっ?」

 森の手前で、裕大が仲間の数が一人足りないことに気が付いた。

 

 振り返ると咲良がまだ川の真ん中にいた。

 逃げろ!と叫んでいた咲良が一人岩の上に残っている。

 

 裕大は慌てて川岸まで走って戻った。

「咲良、戻ってこい。咲良!」

 裕大がいくら呼んでも咲良は振り返りもしない。

「止まれ! 静まれ! 消え失せろ!」

 咲良は両手を拡げて、上流から迫ってくる水の流れに向かって叫んでいた。

 

 咲良は幻想の世界、ファンタジーアの王女だ。

 

 ファンタジアーアでは咲良が三回表現を変えて命令すると邪悪な者たちは立ち去って行く。

 緑の怪物は理解したのに、どうしたのか、今度の邪悪な奴は姿も見せない。

 

「止まれ! 静まれ! 消え失せろ!」

 咲良は濁流に向かって両腕を突き出し、命令を繰り返した。

  
  裕大が気が付いた。

 アフリカの原住民の子孫、裕大は現実の怖さを知っていた。

 リアルから一度、危険な旅に足を踏み外すと、この世に戻ってくることができない。

 幻想の森から出てきた咲良は、現実というものの怖さをまだ知らない。

 

 迫ってくる濁流に向かって、恐れることはないと、一歩も引く気がない。

 裕大は咲良を助けようと決めて、頭から流れに飛びこんでいった。

 

 カレル先生が、咲良と裕大が濁流の中にいるのを見つけ、茫然と岸辺に立ちすくんだ。

 先生の軽い身体では、こんな流れの中では二人に近づく前に自分が一気に押し流されてしまう。

 

 濁流が音を立てて盛り上がり、岩の上の咲良を呑み込もうとした。

 裕大は岩に飛び乗ると、咲良の身体を後ろから両腕で担ぎ上げ、岸辺に向かって力の限り放り投げた。

 

 咲良の身体が水際に落ち、カレル先生と匠が咲良の手を掴んで岸に引っ張り上げた。  

 咲良と入れ違うように、濁流が裕大を襲った。

 

 裕大は流れに足を取られて岩から転び、うねりの中に呑み込まれていった。

 カレル先生が、覚悟を決めて裕大を助けに飛び込んで行った。

 

 瞬く間に、二人の姿は荒れ狂う流れの中に消えていった。

 

 震えている咲良を真ん中に囲んで、生徒たちは森の大きな木の下で身体を寄せ合って、雨と横なぐりの風をしのいでいた。

 冷え切った身体を足踏みをして温め、声を掛け合いながら、先生と裕大が戻ってくるのをいつまでも待った。

 

 夕闇が近づいた頃、びしょ濡れのカレル先生が疲れきった様子で戻ってきた。

 先生の表情が凍り付いていた。

 

「裕大を見うしなった!」

 先生は咳き込みながら、声を絞り出した。

「裕大は濁流に呑まれて、川下へ流されてしまった」

 

 生徒たちは声もなく青ざめ、雨の中を立ちつくした。

 咲良が声を上げて泣き出した。

 

 雷鳴が轟いて、すぐ側に稲妻が落ちた。

 カレル先生と五人の生徒は身動きが取れなくなった。

「ここにいると全員が危ない。いったん元の世界にもどろう!」

 先生が深刻な顔つきで、タイムトラベル・スオッチを、学校を出発した日の翌日の午後1時に合わせるように生徒たちに指示した。

 

 「GO!」

 先生の合図でみんなは一斉にスオッチを稼働させた。

 一瞬にして世界は銀色に輝き、豪雨と雷鳴はあっという間に遠い過去へと流れ去って行った。  
 

 見慣れた教室が目の前に現れ、みんなはびしょ濡れのまま、椅子に座り込んだ。

 だが、どこかへいってしまって戻らない生徒が一人出てしまった。

 

 カレル先生は「リアルの世界と実習講座」と書かれた教壇の大きな電子ボードに「裕太は

逝ってしまった」と書き加えた。

 咲良がまた泣きだした。

 

 他の四人は泣くのを必死にこらえている。

 カレル先生はボードの「逝」という字を二本線で消して、「行」という字に書き変えた。

 

「咲良がみんなを助けて、代わりに裕太が『行って』しまった。先生はこれからもう一度、裕大を探しに出かける」

 先生はスオッチをもう一度ONにした。

 

 先生の身体は銀色の光に包まれて輝き、次の瞬間四方に飛び散って時空の薄闇に消えていった。

 

・・・医務室のヒーラーおばさまが、教室にやってきて、大きな乾いたタオルをみんなに優しく配った。

「さー、みんな、このタオルで身体をよく拭いて、温まりなさい。心配しないで、二人の帰りを待ちましょう」

 
 教室のドアがバタンと開いて、突風が吹き込んできた。

 愛用のハットを斜めに被ったカレル先生が、全身ずぶ濡れの裕大を連れて帰ってきた。

 

 裕大が元気に手を振ると、咲良が裕大めがけて飛びついていった。

 カレル先生が黒板の前に立って真面目な顔をして講釈を始めた。

 

・・・リアルの世界には気をつけろと、みんなに言っておいたはずです。

21世紀の始め頃から地球の環境は大きく乱れ始めたのです。

さっきの山も緑が少なくなって、保水能力が落ちたところに、局地豪雨に見舞われて、とんで

もない鉄砲水があふれたのです・・・

 

 カレル先生は濡れたハットをタオルで包んで水気を取った。

・・・でも今回は初めてのタイムトラベルなので、万一に備えて私たちの世界から「結界」を設けておいたから裕大を無事取り戻せました。

昔の世界は本物でしたが、実は皆さんの身体だけはここの世界の内部にいたわけです。

過去に張り出した結界越しに、昔を覗いたり、接触したりしていたというわけでした。

 

 カレル先生は乾いたハットを廻しながらにやりと笑った。

・・・みんなは喉が渇いて、お腹もが減ったはずだ。

 おいしかった料理も所詮は虚構の一品。

 お腹の中で消えて無くなったのでした。

 すべては虚構の手品師と先生との共同授業。

 お疲れ様でした。

 でも記憶は本物。勉強になりましたか!

 

 カレル先生はさらりと言ってのけた。

 生徒たちはあっけにとられて椅子からのけぞった。

 

 裕大のパパが心配になって駆けつけてきた。

 裕大がパパに付き添われて帰っていくと、ペトロは教室をこっそり抜け出した。

 

 廊下に出るとリュックを開けてカレル少年からプレゼントされた新聞を取り出そうとした。

 

 宇宙の方程式に取り組んでいるハル先生に見せて、宇宙物理学会での冒険談を自慢しようと思いついたのだ。

 もちろんカレル先生には、絶対に内緒でだ。

 

「アレッ!」リュックの中に入れておいた大事な新聞がない。

 リュックを逆さまにして振ってみたが、出てこない。

 

「ペトロ、コピーならここにあるよ」

 後ろからカレル先生の声が聞こえて、ペトロは跳び上がった。

 

「ペトロ、お土産はだめだと言っただろ。過去の世界のものはこの世界には持ち込めないんだ。いずれは消えてしまう運命なんだよ。ほら! 結界越しに新聞をコピーしておいた。でもな、ペトロのせいであの世界の宇宙物理は一日で60年近く進歩してしまったはずだ。こんないたずらは今回限りだよ」

 

 先生は新聞紙のコピーを丸めてペトロの頭をトンと叩くと、そのコピーをペトロに手渡して、教授室に姿を消した。

  ペトロはコピーを大事にリュックに収め、ママに見せて自慢をすることにした。

 

 生徒たちは、2016年の冒険談をママやパパに早く報告したくなった。みんなはドームの厳しい夕陽の中を、それぞれの家に向かって元気に走り出していった。

 

  カレル先生の教授室にノックがあって一人の男が入ってきた。 

 ひょろりと背が高く、鋭く切り込んだ彫像のような顔は、黒い仮面を被っているように見える。

 

 パラレル宇宙を舞台にしてトリックを仕掛ける「虚構の手品師」だ。

 手品師は顔を隠したまま今回の時間旅行に同行していた。

 

 繁華街の通行人だったり、ネイチャー・アドベンチャー号のバス運転手だったりした。

 カレル教授は笑みを浮かべて立ち上がり、親しそうに手品師と握手を交わした。

 

 昨晩、2016年の科学者への招待状を確かに二人に手渡してきました。1年前の彼らの学校視察の時にも大変お世話になりました。教授が一年前のお礼を改めて手品師に言った。

 

 一人になったカレル教授は愛用のハットを、型崩れしないように大事にデスクのボックスに

納めた。次に壁際に近づいて隣の部屋の様子を窺った。

 

 カタカタとナノコンを叩く音が聞こえてきた。

 ハル先生の宇宙の方程式の計算が続いていることを確かめると、ウーンと大きく伸びをして服を脱ぎ捨てた。

 

 気楽なプラズマ姿に戻った先生は、部屋の片隅にある大きな内部全面反射型の専用電子魔法瓶に入り込んでお休みになった。
 

 生徒たちには秘密だったが、そこは先生のベッド・ルームで、カレル先生の正体は実は「ひとだま」なのだった。

 

 (続く)

続きを読んでくださいね。

この世の果ての中学校 3章 黄色いバス停

 

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第二回 パリ・オリンピックのゴルフは競馬場の中? 選手はオリンピックと知らなかった!

 2016年リオデジャネイロ・オリンピックに続いて、2020年東京オリンピックでもゴルフ競技が開催されます。

女子では全英オープン優勝の渋野選手や米ツアーで活躍中の畑岡選手、男子では松山選手や今平選手、復活した石川選手などの活躍が期待されています。

 

ここではオリンピックで行われたゴルフ競技の歴史を振り返って、1900年のパリ、1904年のセントルイスでのゴルフにまつわるエピソードを集めてみました。

 

(1900年パリオリンピックの記事は下記をご覧ください)

競泳はセーヌ川! マラソンは炎天下! 1900年パリ五輪は万博の付録だった?

 

1900年パリ五輪ゴルフ/開催場所は競馬場!参加選手はオリンピックと知らなかった?

 

優勝 チャールズ・サンズ

 

19oo年のパリ・オリンピックで、ゴルフ競技がはじめて五輪の正式競技として採用されています。

しかし、このときパリでは、19世紀から20世紀の変わり目に際して、歴史的な意味を持つ国際博覧会が盛大に開催されていたのです。

 

そのためオリンピックは万国博の附属競技会とされ、まとまりのつかない運営体制で実施され、陸上競技以外は公式記録としても認められないような惨憺たる有様でした。

ゴルフ競技も冷遇され、本格的なゴルフコースではなくて、パリから50キロ離れた競馬場の中に造られたCompiègne Clubで行われました。

 

競馬場というのは競馬のレースが外周で行われるために、真ん中に大きな空間ができます。

レースのない日はここが格好のゴルフ場になります。

 

日本でもむかし、仁川の競馬場のまん中が、9ホールのパブリックのゴルフコースになっていて、レースのない平日に練習ラウンドができました。

ときどき、騎手に引かれた競走馬がティーグラウンドの前を横切るので、その時はゴルフは小休止になります。

高い競走馬にボールを当てたりしたらとんでもないことになりますからね。

 

競馬場のゴルフコースは、設計上の理由で、どうしても平坦で変化が少なくて、良いスコアが出るコースになります。

Compiègne Clubは、密生したラフ(長く伸びた芝生)やグリーンを狭くして、変化をつけてコース設計をしたと記録されています。

 

1900年10月2日、男子の競技が始まりました。

イギリス、フランス、ギリシャ、アメリカから参加した12人のアマチュア選手が、36ホールのストローク・プレーで争っています。

 

競技は、アメリカのチャールズ・サンズが二位に1打差で優勝しました。

スコアは82-85でした。

 

1ラウンド平均スコアは83.5です。

彼は1895年からゴルフを始め、その年の全米アマチュアで決勝に残った経歴を持っています。

 

しかしこのスコアは現在のアマチュアならハンデイキャップ10程度の人のレベルです。

現在は道具が格段に進化していますので一概に比較はできませんが、当時の世界のトップ・アマチュアはこの位のレベルだったと思われます。

 

サンズの経歴は変わっています。

サンズは1905年のテニスの全米チャンピオンです。

 

パリオリンピックのテニスにも出場して、このときは調子が出なかったのか、初戦敗退しています。

テニスとゴルフの2種目に出場しているのですから、これはオリンピック新記録でしょうね。

 

サンズのゴルフの腕前がどのくらいだったのか、気になって調べてみました。

この年と同じ1900年に行われた全英オープン・ゴルフの優勝者は、どのくらいのスコアで回っていたのでしょうか?

 

全英オープンの歴史は古く、1860 年にスコットランドのブレストウイックゴルフクラブで第一回の大会が開催されています。

1990年の大会はゴルフの聖地と言われるセント・アンドルーズ・オールドコースで行われ、イングランドのジョン・H・テイラーと言う選手が309のスコアで優勝していました。

 

このテイラーのスコアは1ラウンド平均にすると77.25になります。

パリで同年に行われたサンズのスコアは83.5でした。

 

セントアンドルーのコースは、パリ近郊の競馬場のコースより難易度が相当高いと思われますので、プロとアマチュアのトップ比較としても、二人の力の差は大きすぎます。

パリオリンピックのゴルフのレベルは全英オープンのレベルと比較してずいぶんマイナーだったようです。

 

リンクスという海岸沿いの自然を生かしたセントアンドルーズの難しさは別格なのです。

余談になりますが、筆者はテレビ放送の仕事で2000年の全英オープンの立ち会いに行ったとき、セントアンドリュースのコースを日本の丸山選手の組について回りました。

 

あるホールで丸山選手が打ち込んだラフは、近づいてみますと、芝の高さがわたしのひざまでありました。

そのラフは非力なアマチュアにはとても脱出できる状況ではありません。

 

しかし、丸山選手は豪腕でした。

ラフに沈み込んだボールを見事にとらえて、フェアウエーに運んだのです。

 

わたしはそのラフに恐れをなして翌日の月曜日に予定していたラウンドを止めました。

今思い起こしますとゴルフの発祥の地と呼ばれる聖地でのラウンド中止とは、もったいないことをしたものです。

 

話をパリに戻しますと、男子ゴルフの翌日に女子のゴルフ競技が行われました。

 

優勝 マーガレット・アボット

 

競技は男子と同じ競馬場のコースで9ホールで争われ、アメリカからパリに芸術の勉強にきていたマーガレット・アボットと言う女性が優勝しています。

9ホールのスコアは47ストロークでした。

 

「あらっ!それならわたしでも・・オリンピック・チャンピオン?」

そう思う女性の読者もきっとおられますよね。

 

実は、このときパリに同伴していた彼女の母親・ Maryも一緒にオリンピックでプレーをして7位に入っているのです。

親子で同じ競技の出場はもちろんオリンピック珍記録ですよ。

 

後日の調査でわかったことですが、二人の母娘はこの大会が、オリンピックであることを知らないままアメリカに帰っています。

競馬場主催の懇親ゴルフ大会とでも思っていたのでしょうか。

 

男子の選手たちも、自分たちがオリンピックに参加しているという認識はなかったと記録されています。

第二回パリのオリンピックはあくまで万博の付録イベントでした。

 

付録のオリンピックですから、競技の記録は、陸上競技以外はIOCの公式記録からすべて削除され、ゴルフの記録も空白のままになっています。

五輪のゴルフ競技の始まりはパリの社交界のコンペ程度のレベルでした。

 

1904年セントルイスオリンピックのゴルフ競技はアメリカとカナダの二カ国対抗だった!

 

1904年米国セントルイスで開催されたオリンピックのゴルフ競技は、男子のみで行われ、参加者は75人で三人はカナダ国籍、残りはすべてアメリカ国籍という北米大陸大会になりました。

もともとゴルフはスコットランドで育った競技ですから、英国やヨーロッパの選手はわざわざゴルフ後進国のアメリカまで遠い船旅で出かける気持ちにはならなかったのでしょう。

 

このときの個人戦は、パリのときのようなストローク・プレーではなくて、二人ずつ戦って勝ち抜いていくマッチ・プレー形式で行われました。

優勝はアメリカ選手を撃破したカナダのジョージ・シーモア・リオン(George Seymour Lyon)という選手でした。

 

米国やカナダでゴルフ人気が高まるのは相当後のことで、リオンも38才の年でゴルフをはじめカナダのアマチュア・チャンピオンになっています。

今では考えられない高年齢でのゴルフ人生のスタートだったのです。

 

・・オリンピックにおけるゴルフ競技の歴史はセントルイスで終わってしまいました。

セントルイスの4年後にロンドンでオリンピックが開催されていますが、ゴルフの盛んな英国なのに、なぜかゴルフ競技は中止となっています。

 

これは推測に過ぎませんが、英国におけるゴルフは近代オリンピックに比べても、はるかに歴史のあるスポーツで、ゴルフのメッカとしての「全英オープン」が存在する以上、ロンドンオリンピックでゴルフ競技を開催する意味があまりなかったのではないでしょうか?

 

セントルイスオリンピックのあと、112年間の空白の時を経て、ゴルフがオリンピックに復活するのは、2016年のブラジル・リオ・オリンピックでした。

 

リオの反省/東京オリンピックでのゴルフ競技に緊急提案!

 

リオ五輪ゴルフ・メダリスト
左から銀ヘンリック・ステンソン 金ジャスティン・ローズ 銅マット・クーチャー

 

リオ五輪では英国のジャスティンローズが金、スエーデンのヘンリック・ステンソンが銀、米国のマット・クーチャーが銅と世界ランク上位の選手がメダルを獲得しました。

 

しかしリオのオリンピックでは、ゴルフ競技への出場を辞退した男子選手が続出しています。

ジェイソン・ディ

ローリー・マキロイ

ダステイン・ジョンソン

ジョーダン・スピース

松山英樹

 

このほかにも相当数の有力選手が参加を辞退しています。

ジカ熱の感染を危惧したことと、治安への不安が、その理由でした。

 

それにしてもこの選手たちは当時のPGAランクで世界のトップ10に相当する人気選手です。

全英オープン、全米プロ、全米オープン、マスターズの四大メジャートーナメントでトップ10の半数が辞退したら、そのトーナメントはメジャーとはいえないでしょうね。

 

それでは来年に迫った東京オリンピックに世界のゴルフの有力選手は何人くらい参加してくれるのでしょうか?

男子の有力選手の大半はアメリカとヨーロッパです。

 

来年も秋口からUSPGAトーナメントは4試合によるフェデックスカップ・プレーオフに突入します。

フェデックスカップのチャンピオンには11億円が渡されます。

 

年間の賞金レースの頂点を目指して、熾烈な勝ち残りレースが始まるのです。

世界の有力選手によって争われるこの大会は、年間の王者を決める巨額の賞金レースなのです。

 

一方、東京オリンピックは、酷暑のなか、四日間にわたって、個人戦が行われます。

その前には、コース攻略のための練習日が必要です。

 

スタッフの帯同も必要です。

欧米から東京オリンピックに出場するには移動も含めて、少なくても10日間の日数が必要になります。

 

秋のプレーオフを控えて、東京オリンピックへの出場を彼らはどのように考えるのでしょう。

国を代表する名誉と金銀銅のメダルという勲章が用意されていますが、オリンピックには賞金はありません。

 

東京オリンピックのゴルフ競技は、リオ以上に、有力選手を惹きつけるだけの魅力があるかどうか、疑問に思えてきます。

なにか良いアイデアはないものでしょうか?

 

全くの素人考えですが、ここはメジャー競技と張り合わないで、別のアプローチをしたらいかがでしょう?

どうぞ笑いながらお聞きください。

 

いくら名門といっても、賞金の出ないゴルフトーナメントで四日間も同じコースでプレーをしたら、選手も観客もテレビの前の視聴者も飽きがこないでしょうか?

 

猛暑の四日間、予選カットなしでは、順位が後半の選手は三日目や最終日にモチベーションを保つのはたいへんでしょうね。

テレビ映りもないし、観客もついて来ないし、ツアー・ポイントの加算もないし、選手には辛くて張り合いのない日になりそうです。

 

ここは、ぎゅっと引き締めて、コンパクトにいたしましょう。

四日間競技を予選なしの二日間にいたしましょう。

 

いきなり二日間の決勝ラウンドです。

これで選手の肉体的負担は半減して、東京オリンピック参加へのハードルがどんと下がります。

 

圧縮した二日間に選手の集中力が増して、僅差の緊迫したゲーム展開が期待されます。

切り取った二日間の中、最初の日は日本や世界の子供たちを招待して、選手との交流の日にします。

 

ついでにスポンサーを付けてゴルフで遊ぼう○○デーにしましょう。

 

本番前日は、練習日として有料で公開します。

練習日はテレビ中継を入れて、有力選手の練習プレーを見ながら、丸山選手と岡本綾子のホール攻略レッスン番組にします。

 

「なるほど、このロングホール、渋野選手の戦略は、2オンを狙わずに3打目に賭ける考えですよ。十分届く距離なのにどうしてでしょう。直接シンデレラにインタビューして聞いてみましょう」

・・有力選手のコース戦略を徹底調査しましょう。

 

これで、視聴者のテレビ中継本番への予備知識は整います。

あとは本番で世界の一流選手のプレーをテレビの前で楽しみましょう。

 

以上は勝手な提案でした。

いまから東京オリンピックでの日本選手の活躍が楽しみです。

 

・・リオ・オリンピックでせっかく112年振りに復活したゴルフです。

東京のあとつぎのオリンピック開催地、パリでは124年振りのオリンピック・ゴルフ開催が決まっています。

 

東京やパリを最後に、またどこかに消えてしまわないように、私たちゴルフファンも東京オリンピックのゴルフ競技を応援してまいりましょう。

 (続く)

 

渋野日向子選手の全英オープン優勝の活躍はここからご覧ください。

https://tossinn.com/?p=3661

 

【記事の無断転載は禁じられています】

 

この世の果ての中学校 2章 リアルの世界は一度逝ったら戻れない(中編)

 灼熱した地球でたくましく生きる6人の子供たち

 

 

 

 

 

 22世紀の地球に生き残った六人の中学生が、カレル先生に連れられて、2016年の東京にタイムワープしました。

 その日、お邪魔した先生の実家で、生徒たちはカレル少年・・・実は中学時代のカレル先生です・・・と仲間のハルちゃんに出会います。

 中学生の二人は、自分たちの世界の行く末に暗い予感を抱いていました。

 実は、二人の住む地球もカレル先生や六人の子供達の地球とそっくり同じ運命をたどっていたのです。

 その夜、カレル先生は二人からとんでもない相談を受けることになります。

 

・・・ここまでの話は、どうぞ前の章の記事をお読みください。

この夜の果ての中学校 2章 リアルの世界は一度逝ったら戻れない(前編)

 

2章 リアルの世界は一度逝ったら戻れない(中編)

 深夜にペトロはベッドで目覚めた。

 ・・・僕はどこにいるの?・・・

 

 ぼやけていた脳髄が徐々に記憶の輪郭を結んでいく。

 ここは2016年の東京・カレル先生の実家の二階、庭に面したベッド・ルームだ。

 

 裕大兄ちゃんと匠が隣のベッドで寝込んでいる筈だ。

 寝返りを打って、横向きになると、ガラス戸のカーテン越しに東京の夜空がぼんやり見えた。

 

・・・ドームの中の僕らの世界と違って、ここの空には星がいっぱい広がって、青色や黄色や白色にチカチカ輝いてるはずだ!・・・

 スマホの電子図書館で何度も見た21世紀はじめの輝くような夜空を思い返していると、ペトロはテラスに出て本物の夜空を見たくなった。

 

 裕大兄ちゃんと匠を起こさないように、こっそりベッドを抜け出して、ガラス戸を少し開けてテラスに一歩踏み出した。

「あれっ?」テラスに先客がいた。

 

 パジャマを着たままテラスにしゃがみ込んでいる二つの後ろ姿は、裕大兄ちゃんと匠だ。

 物音に気付いた裕大がペトロを振り向いて、唇に手を当てた。

 

 ペトロは音を立てないようにへっぴり腰で近づいて、二人の間に割り込んだ。

 匠がそっと下の庭を指さした。

 

 見下ろすと、庭の小さなガーデン・テーブルにカレル先生とカレル少年が向かい合って座っている。

 テーブルには先生の愛用のハットが置かれていた。

 

 先生は足を組んで椅子に腰掛け、腕組みをして厳しい表情で話をしている。

 カレル少年は両肘をテーブルに乗っけて顔を両手で支えながら、先生の話に聞き入っている。

 

 先生が夜空を指さして、カレル君に何か言った。

 カレル君が空を見上げたので、ペトロも思わず頭を持ち上げた。

 

 頭上では満天の星が、春の霞の中でもやいでいた。

 星々は輪郭が少しずつぼやけて、離れたり近寄ったり、ちかちかと囁き合ったりしている。

 

 宇宙はとんでもなく美しかった。

 「すげー!」

 

 思わず一言漏らしたペトロの口を、匠の右手が抑えた。  

 庭から、さわやかな夜風がテラスに吹き上げて、二人の会話を届けてくれた。

 

 カレル先生が話していた。

・・・私たちが暮らしている未来では、夜空なんてものは見られない。

 みんなは半透明の大きなドームで覆われた世界に住んでるんだよ。

 

 ドームの中の空気は、地下水から作り出した酸素を送り出してクリーン・アップしている。

 未来の地球には緑がなくて、大気はなかなかきれいにならないんだ。

 

 数ヶ月前にも、宇宙に出て地球を観測したら、相変わらず茶色の不毛の大地がどこまでも続いていたよ・・・

 

「先生の地球で、地球環境の荒廃が決定的になったのは、いつ頃のことでしょうか?」 

 カレル君の質問に先生は足を組み替えて、腕組みをした。

 

「笑わないでくれよ!」先生がぼそりと言った。

 

・・・こんな話をしたら、カレルは、とんでもなくばかげた話だと思うだろうけど。

 それが始まったのは、地球の環境破壊が進んで、人間の姿も次第に少なくなった21世紀の後半のことだ。

 ある日の朝、地球の各地で、緑の山や丘や畑が次々に地上から消えてしまった。

 

 その後には、巨大な荒れ地やクレータだけが残されていたんだよ・・・

 

 「カレル! 緑色したすべての生き物が結論を出したんだよ。地球にこのままいたら絶滅してしまうとね。どこか人間のいない安全なところへ逃げだしていったんだ。空飛ぶ緑の群れが世界中で目撃されているんだよ」

 

 カレル少年がクスクス笑いながら教授を見つめた。

「先生、空を飛べる昆虫とか鳥類が逃げ出したのならともかく、身動きの取れない植物が空を飛んでどこかへ逃げ出しただなんて、科学者の先生の言葉とはとても思えませんね」

 

 渋い顔のカレル教授を相手に、少年が追い打ちをかける。 

「先生、人類が招いた急激な環境悪化が原因で、臨界温度を超えた植物が一気に枯れ果てて地上から姿を消したのでしょう。それは絶望した人間の作りだした幻想でしょうね・・・きっと」

 

 真っ当な少年の意見に、教授が渋々頷いた。

「カレルのいうことが正しくて、私たちが混乱していただけかもしれない。失って始めて気が付いたことだが・・・地球の自然は宇宙から授かったとても壊れやすくてかけがえのない宝物だったということだよ」

 

「先生方は、どうしてそんな馬鹿なことをやってしまったのです!」

 少年はカレル教授に向かって思わず「馬鹿なこと」といってしまった。

 

 少年はすぐに反省したが、自分たちの未来もそんなことになるかも知れないなんて考えると、目の前の先生にもむかっ腹が立った。

 

「先生のような賢い科学者がいっぱいいて、どうしてそんな結末になってしまったのですか? 僕はその理由がどうしても知りたいんです」

 

 先生は悲しそうにカレル少年を見つめていたが、テーブルの上から大事のハットを取り上げると、夢遊病者のようにゆっくりと廻し始めた。

 

・・・俺たち人間は皆、欲が深すぎたのだと思う。どこまでも快適さを追い続けて、知らないうちに限度を超えていた。

 気が付いたときには、地球の温度は産業革命のはじめに比べて、6度も上昇していたんだ。

 6度の上昇は地球環境には致命的だったようだ。

 自然界のダムが決壊して、緑がどこかへ流されて、消えてしまった・・・

 

 先生の声はしわがれて、次の言葉が途切れた。

 大事のハットが教授の手から滑って地面に落ちる。 

 

 カレル君が慌ててハットを拾い上げてテーブルに戻してあげた。

「ありがとうカレル!今から思うと、実はこれはまだ地獄のはじまりにすぎなかったんだ!」

 

・・・植物は食物連鎖のベースメントだ。

 俺たち人類が頂点にいた食物連鎖のピラミッドは、底が抜けてしまったんだ。

 80億人を超えた人類を養う食料なんて一つの地球上でいつまでも生産できるはずがなかった。

 地球が3つ必要だと警告する学者もいたよ。

 そのうち、いのちの源の海からも、魚の餌になる植物プランクトンが姿を消した。

 わずかに手元に残された野菜も果物も、家畜の飼料もたちまち底を突いた。

 

・・・俺たち研究者はゲノムを編集して、食料の増産に命がけで取り組んだ。

 荒れ地で育つ新種の作物とか、少ない飼料で、成長の早い家畜とかだ。

 すこしずつだが道筋が見え始めたとき、予想もしなかったことが起きた・・・

 

ゲノムの逆襲!」カレル少年が声高に叫んだ。

 それはカレル先生からすでに聞かされていた恐ろしい台詞だ。

 

「そうだ、ゲノムの逆襲だ。植物も動物も自らを守るために、人類に逆襲を仕掛けた。最終捕食者と被捕食者との間でゲノム戦争が勃発したんだ。やつらの送り込んだ最終兵器は知的ウイルスだった!」

 

「そして、地球の人類は終焉を迎えた?」

カレル少年が呟く。

 

「両者ともにだ。絶滅ゲームは長くは続かなかった。

 カレル、この戦いに勝者はなかったんだよ」

 言い終えると先生は天を仰いで嘆息し、口を閉じた。

 

 少年が言葉を引き継いだ。

「いま僕は大学の研究メンバーに入れてもらって、先生と同じ生命科学を勉強しています。

大学の環境研究会では、地球の環境は着実に温度の上昇が続いて、各地で異変が起こっている

と言ってます。先生の話を聞く度に、僕たちも先生の世界と同じ道を歩んでいるように思えて

なりません」

 

 そう言って、カレル少年は寒そうに両手で身体を抱えた。 

 初夏の夜気が冷たく二人の頬を撫でた。    

 

 二階のテラスにも一筋の風が吹き付け、薄ら寒い夜の気配が通りすぎていった。

 

「おい、庭の会話すっごくヤベーぞ。俺たち六人も、もうすぐ絶滅かよ!」 

 裕大が震え声で言った。

 

「裕大兄ちゃん、安心していいよ。カレル先生の口ぶりでは、僕たちの世界の戦いは、すでに終わったことなんだよ」

 ペトロがクールに解説する。

 

 庭から、カレル先生が話題を変えたのが聞こえた。

「ところでカレル、お友達のハルちゃんは元気にしてますか?」

 先生はカレル少年に思わせ振りに目配せをする。

 

 カレル君は、もちろん先生が今日来ることはちゃんとハルちゃんに伝えてあった。

・・・今夜は二人で打ち合わせておいた”大事な計画”を実行するつもりだ。

 

 ハルちゃんは、迎えに行ったママの車でもうすぐ到着するはず。

 あれあの影は・・・

 カレル少年は、先生の背後からそっと近づいてくる小さな影に気が付いて、クスクス笑い出した。

 

「元気なハルでーす!」 

 背中から可愛い返事が返ってきて、びっくりして振り向いた先生の首根っこに、ハルちゃんがかじりついた。

 

 亡くなったカレル先生の恋人、ハルがいま目の前にいる。

 

 カレル教授の顔が、嬉しそうにくちゃくちゃに崩れていく。 

 庭のテーブルで、三人の笑い声がはじけていった。

 

「ハルちゃんのお勉強は進んでますか? 大好きな宇宙の方程式は完成間近でしょうか?」

 カレル先生がハルちゃんをからかう。

 

 ハルちゃんは平日は近くの公立の中学校に通いながら、土日は神戸のポートアイランドまで出かけて行く。

 ハルちゃんは国立理化学研究所でスーパーコンピュータ・京(けい)を使って難解な計算をしていた。

 ハルちゃんは研究所の特別研究員だった。

 

 カレル先生にからかわれたハルちゃんは、”チャンス到来”と今夜の計画を開始した。

「先生、大好きな宇宙の方程式は計算が膨大になって、スパコンの利用時間が制限されてしまったので中止しています」

 

・・・いまは、地球環境の未来をスパコンで予測しています。ハルの計算では、長期予測の結果はあまり良くないのです。

 

・・・地球環境はカレル君の生命科学と近いフィールドなので、相談したり、励まし合ったり、喧嘩したりしています。

カレル先生! 最近の私、なんだか、この前お聞きした仕事仲間のハル先生の《悲しい結末》に一日、一日近づいている気がします。

夜中に寒気がして目が覚めるともう朝まで眠れません。

世界の偉い科学者に思い切ってわたしの予測結果を報告しても、誰もあたしの報告書なんか読んでくれないのです。

 

地球環境はいい方向へは動いていません。

このままではこの世界はカレル先生の世界と同じ結末を迎えてしまいます。

これからハルはどうしたらいいのか・・・

 

 口ごもったハルちゃんの顔がクチャッと崩れて、大きな二つの目から涙が噴き出した。

 先生が慌ててハンカチを取り出してハルちゃんに手渡す。

 

 ハルちゃんはもらったハンカチで「クチャン」と鼻をかんだ。

 それから大きな声で泣き出した。

 

 カレル先生はそんなハルちゃんを懸命に励ました。

・・・ハルちゃん、カレルといまもその話をしていたところだよ。

 先生の思いつく答えは一つしかない。

 

 地球環境の悪化を食い止めるには、世界のリーダーを本気にさせることだ。

 ターゲットは主要国の首脳を説得できる科学者の中のキーマンだよ!

 

 わずか8人くらいだ。

 一人ずつ理解者を増やして行けば、数ヶ月でなんとかなる数字だ!・・・

 

 ハルちゃんはカレル少年と目を合わせた。

 ・・・近い! ”泣き落とし計画” スタートOK・・・
 

 ハルちゃんとカレル君は椅子に座り直した。

 そして打ち合わせておいた作戦を開始した。

 

「先生! 今おっしゃった世界の科学者、キーマン8人を未来の地球環境の視察に連れ出すことはできないでしょうか?」

 カレル少年が正面攻撃を開始した。

 ハル少女がすかさず援護射撃をする。

 

・・・私たちがいくら偉い科学者を説得しようとしても、先生方は本気で取り合ってくれません。どうせちょっと頭のいい中学生のたわごとにすぎないと思ってるんです。

 

・・・こうなったら、想像力に欠けたあの人たちを強引に引きずり出してでも、『未来の現実』を見せつけてやります。

 私たちの子供たちに訪れる『絶望』がどんなものかをです!・・・

 

 ハルちゃんが両手を握りしめ、空に向けて突き上げる。

 カレル先生も思わず空を見上げて「ウーン」と唸った。

 

 カレル少年が教授を逃がさないように追い詰める。

「先生にお願いする以外、あの頑固な人たちを説得する方法がないのです」

 

 カレル教授は、困り切った表情で二人を見つめた。

 カレル少年が椅子から立ち上がって、玄関の横で鎖につながれていたブー太郎の耳元に囁いた。

「お前の可愛い孫のためだぞ。ブー太郎、手伝え!」

 

 ハルちゃんとカレル少年が先生の前に立って、ぺこんと頭を下げた。

 横でブー太郎も大きな頭を地面にこすりつけた。

 カレル教授がプッと噴き出した。

 

 カレル先生はハットをかぶりなおすと、厳しい顔つきで話し始める。

「二人とも良く聞きなさい。実は、君たちの希望を叶えることの出来る男が、世界にたった一人だけ存在するんだよ」 

 

・・・それは、虚構の手品師と呼ばれる男だ。無数無限の宇宙を旅している正体不明の男だよ。彼を探し出して君たちの世界から『未来の地球視察』が可能かどうか聞いてみましょう。

 彼と時間旅行契約を結べたら、この世界から『結界』を未来に張り出して、視察団に未来の荒れ果てた地球を覗き込んでもらうことができる。

 そのあとドームの中の会議場で、校長先生や私たちとミーテイングが出来れば最高だ・・・

 「そんな計画でどうかな?」

 カレル君とハルちゃんが両側からカレル教授に抱きついていった。

 ブー太郎が先生の顔を大きな舌でなめ上げた。

 

「虚構の手品師って誰のことだ?」テラスで裕大がささやいた。

「ときどき校長室に現れる、仮面を被った男の人のことだよ」匠が小さく答えた。

「なんだか不気味だな」裕大が呟く。

「昨日、僕も学校の廊下で会ったよ」と、ペトロがひそひそと付け加える。

「いきなり僕の目の前に天井からドスンと落ちてきてさ・・・びっくりして、どこから来たのって聞いたら・・・たったいま、となりの世界から帰ってきたところだ。今からカレル先生とみんなの旅行の打ち合わせだって・・・言ってたよ。荒い息してたから、仮面の下は普通のおじさんだと思うよ」

 

 庭から、カレル少年の興奮した声が風に乗ってテラスの三人に届いた。

「先生! 例えば、ここをいまから数ヶ月後に出発するとしたら、先生の世界の到着年月日はいつ頃になるのでしょうか?」

 

 教授が即座に答えた。

「2090年11月3日の祭日です」

「えっ!もう到着の日付まで決まっているのですか?」

「今朝、ここへ出発するとき、私たちの時代は2091年でした。それより1年前になります。中学校の授業もお休みの日ですよ」

  カレル先生がハットを勢いよく廻してニヤリと笑った。

 カレル少年は、首をかしげてその意味を考え込んだ。 

 「うーんと???」

 

 腕組みしているカレル君を横目に、ハルちゃんは得意の計算を頭の中で素早く済ませた。

「カレル先生は、すでに1年前に私たちの訪問を経験しておられるということですね」 

 「流石ハルちゃん!ご明察です」

カレル教授がハットを空に放り投げた。

 

「虚構の手品師が、今日からちょうど六ヶ月後の朝9時にこの庭に迎えに参ります。ハルちゃんとカレル君もそんなスケジュールで計画に取りかかっているのではありませんか?」
 

  二人は顔を見合わせた。

 先生はすでに二人の計画の内容まで知っている。だから今日ここへ打ち合わせにやって来てくれたのだ。 

・・・ということは視察の結果や、科学者たちの反応もすでにわかっている・・・筈!

 

 二人の考えていることを見透かしたように、教授が先回りして答える。

「視察の結果は事前に申し上げないでおきましょう。それだけは手品師から堅く禁じられています。行動する前に結果を知ったら、時空のパラドックスの箱が開いてしまう・・・そのときは時間旅行の契約はできなくなると言ってましたよ」

 
 教授はブー太郎がくわえてきたハットを手に取ると、テーブルに伏せ、もう一度ニヤリと笑った。

「実はカレルとハルちゃんに未来からのビッグプレゼントがあります」

 先生はテーブルの上のハットを手に取ると、裏張りを慎重に外して、開いた。

 テーブルに厚手の封書の束が転がりだした。

 

「これは8人の科学者宛に、それぞれの母国語と英語で書かれた、未来からの招待状です。君たち宛のものも含めて、10通です」

 そう言って教授は封書を5通ずつに分けて二人に手渡した。

「この招待状がないことには、科学者は未来視察の話など信じてくれませんよ」

 

 二人は封書の束を震える手で受け取り、テーブルに置いた。

 カレル君の受け取った一番上の封書の宛名は、世界の権威だが悪名高い科学者ドクター・マーカーだった。

 

 カレル君とハルちゃんの顔は、喜びで、真っ赤だ。

 しばらく封書を眺めていたカレル少年が教授に震える声で尋ねた。

 

「先生、これってどう言ったらいいのか・・・本物の招待状なんでしょうね?」

「昨日作り上げて、本日持参した公式の招待状だよ。招待者の名義は校長先生と私の名前にしてある。未来の代表者二人のサイン入りだ。文句の付けようのない公式の招待状だよ」

 教授は廻していた空のハットをぴたりと止めて、付け加えた。

「大事な話を先にしておこう。招待状の有効期限はいまからきっかり6ヶ月だ」

 

「それって賞味期限みたいなものでしょうか?」

 ハルちゃんの質問に教授が”プッ!”と吹き出した。

 

・・・ハルちゃん、未来から持ち込んだものはここではいずれ消滅してしまうのですよ。

 次元を超えて持ち込んだものは本来あるべき場所、つまり未来に帰って行くのです。

 封書は、虚構の手品師に頼んでなんとか半年は保つように細工がしてあります。

 君たちはその間に8人の科学者を説得して、決着をつけなければならないのです・・・

 

 カレル少年とハルちゃんは、慌てて封筒の宛名書きを一枚ずつ確認していった。封書の表書きには世界をリードする8人の科学者の名前が記されている。その名前は二人の考えていた科学者の候補リストとぴったり一致していた。二人はもう一度、国名とアドレスと名前を読み上げた。

 

 そのうち、二人の表情が曇りだした。

 ・・・こんな偉い科学者が、日本の中学生から届いた招待状を、本当に未来から送られてきたものだなんて信じてくれるだろうか?

 冗談だと決めつけて、大笑いしながらゴミ箱に放り込んでお終い・・・。

 科学者の反応を想像するハルちゃんの眉が、不安そうにぎゅっと真ん中に寄せられていく。

 

 カレル先生がそんな二人の懸念に気が付いた。

「君たちが心配している通り、科学者は未来からの招待状なんて、まず信じないだろうな。科学者は疑うのが仕事だから・・。私自身、同業だからよく分かるよ」

 

・・・科学者は頑固で困る・・・と続けて、カレル先生はいたずらっぽく口をゆがめた。

「君たち宛の封筒を開けて中の書類を読んでご覧。それが本物の未来からの招待状であることを証明するある仕掛けがしてあるよ」

 

 二人は大慌てで自分宛の封筒を開いて、声を合わせて読み上げていった。

「えっ!」ある箇所にやってきて、二人が絶句した。

 そこには、今から数か月後に発表される2016年ノーベル文学賞の受賞者名が予測してあった。その名前は二人ともよく知っている名前だった。しかし受賞者は作家ではなくて、音楽家だった。

「驚いた?『友よ、答えは風に吹かれて』の作者ボブ・ディランだ。今頃はまだノーベル賞の選考委員会で極秘に検討中の筈だよ。歌詞が文学賞の対象に選ばれるわけだ。封書を開いたら最後、このコメントは記憶に焼きつくぞ。馬鹿げた冗談だとね。これが未来からのメッセージだ。外れる確率は1,000分の一。正式に受賞者が発表されたら、先生方もひっくり返ってゴミ箱を探すだろうね。招待状が未来からの手紙であることを信じざるをえなくなる。それでもまだ疑う科学者には『あなたは未来から選ばれた、地球の運命を決める八人のキーマンの一人なのです』とかいって、虚栄心をくすぐることだ。このセリフはきっと効果的だよ」

 

 「ヤッター!」

 カレル少年が封書を空に突き上げて、歓声を上げた。

 

 「カレル、つぎのテーマだ。この封筒をどうやって科学者本人に届けるかがポイントだよ」

  教授の質問に、カレル少年の答えはすでに決まっていた。

 「この封書の差出人は大学教授の肩書き付きでパパの名前にします。パパは世界で高名な作家の一人ですから、僕たち二人とは信頼度が違います。ハルと僕の名前は同行研究員として出発の日まで年齢を伏せておきます」

 

 カレル教授は頷いて、もう一つ付け加えた。

「科学者の中で特に気をつけて欲しいのがドクター・マーカーだ。地球環境の科学者で、世界の研究者仲間ではリーダ格だが、気むずかしいので有名だ。だが、世界の首脳に強い影響力を持っているので、この男だけは外せない。視察団の団長に祭り上げて、必ず引っ張り出してください」

 

 二階のテラスで裕大が匠に囁いた。

「匠! 1年前にカレル少年とハルちゃんが視察団を引き連れて俺たちの学校を訪問しているらしいぞ」

「俺、視察団なんて見たこともないし、カレル先生からなーんも聞かされてねーよ」

 そう言って、匠が大あくびをした。

「ぼくもだ、クシャン!」

 冷えてきた夜風で、ペトロが大きなくしゃみをしてしまった。

 テーブルの側で眠り込んでいたブー太郎が目を覚まし、テラスの三人に気が付いて嬉しそうに吠え立てた。

 慌ててテラスから立ち上がったパジャマ姿の三人を見つけて、ハルちゃんとカレル君がクスクス笑った。

 

 ハルちゃんがテラスの三人に「初めまして、ハルでーす」と大きく手を振った。

 テラスの三人も照れくさそうに手を振った。

「そんな格好で外にいると風邪をひくぞ。明日は早いからもう休みなさい」

 カレル先生はテラスの三人に大声で注意をすると、ブー太郎の頭をもう一撫でした。

 

 それから二人とワンコを庭に残して、リビングに戻っていった。

 リビングでおじさんとおばさんがソファーに座って、カレル先生を待っていた。

 

 カレル少年とハルちゃんは、リビングで話を始めた三つの影が幸せそうに揺れ動いているのを確かめた。

 それから、月がどこかに消えて、星の輝きに取って代わっていく五月の夜の空を眺めた。

 

 裕大と匠とペトロは部屋に戻り、ベッドの上に仰向けに寝っ転がった。

 緊張から解放されると、たちまち眠気が襲ってきた。

 

「あのヤベー絶滅話、俺たちなんだかムニュ」と裕大。

「なにか匂うぞ!未来に戻ったら必ずムニャ」と匠。

「けりつけようぜい、ムニャムニャ」とペトロが締めた。 

 男の約束をした三人は、たちまち眠りこんだ。

 
 一階の寝室では、咲良とエーヴァとマリエが、カーテンの影からそっと離れて、ベッドに戻った。

「二階の悪ガキ隊、ブー太郎に見つかっちゃったみたいね」

 マリエが言って、三人でくっくっと笑った。

 

 それから長ーい、長ーいお喋りが始まった。          

 (続く)

 

ここから続きを読んでくださいね。

この世の果ての中学校 2章 リアルの世界は一度逝ったら戻れない(後編)

 

【すべての作品は無断転載を禁じております】

記録から消された幻のオリンピック/ゲオルギオス1世の執念で開かれたアテネ五輪とは?

開催から45年後になって五輪の公式記録から削除された“幻のオリンピック”があったことをあなたは知っていますか?

その答えは1906年ギリシャのアテネで開かれた“中間年オリンピック”です。

 

1904年のセントルイスオリンピック、1908年のロンドンオリンピックのちょうど中間の年である1906年に、アテネでオリンピックが開催されています。

オリンピックは4年に1度開催されるはずなのにどうしたことでしょうか?

消し去られた記録“中間年オリンピック”誕生の秘密を調べてみました。

 

“中間年オリンピック”誕生のいきさつとは?

 

中間年という中途半端な年に五輪の開催を実現した人物はギリシャの王ゲオルギオス1世です。

ゲオルギオス1世はオリンピックの提唱者クーベルタン男爵と共に、古代オリンピックを近代オリンピックとして1896年にアテネで蘇らせた人物の一人です。

 

ゲオルギオス1世は「オリンピックはギリシャ固有の伝統であり、ギリシャを離れて行われるべきものではない」という強い信念を持っていました。

ところが、ギリシャ王の要請にもかかわらず、第2回オリンピックはアテネを離れ、1900年にクーベルタン男爵の故郷・フランスのパリで万博の付属競技大会として開かれます。

その後、アメリカ大陸に渡った第3回オリンピックは1904年にセントルイスで開催され、さらに1908年の第4回大会はヨーロッパに戻りますが、アテネではなく英国のロンドンで開催されることが決まりました。

 

オリンピックがオリンピック発祥の地、アテネに戻る気配はまるでなかったのです。

IOC国際オリンピック委員会はクーベルタン男爵の提唱の元に、「オリンピックは世界の国が持ち回りで開催し、4年に1度行われるものとする」というルールを決めていました。

 

一方、アテネではギリシャの王ゲオルギオス1世が執念を燃やし続けています。

オリンピックはギリシャ固有の祭典であり、永遠にアテネで開催されべきである”と。

 

ゲオルギオスは、IOCの決定に対して一計を案じます。

・・・4年に1度、持ち回りで行う世界に開かれたオリンピックなら、その真ん中の年には原点に戻り、オリンピック発祥の地ギリシャのアテネで開催されるべきである・・・

と世界に訴えたのです。

 

中間年のオリンピック」と呼ばれたゲオルギオスの訴えは、1904年セントルイス大会と1908年ロンドン大会の中間の年、1906年にアテネで実現することになります。

近代オリンピックの提唱者であるクーベルタンの見解に反対して、オリンピックを毎回アテネで行うことに執着したギリシャの王、ゲオルギオス1世とはいったいどのような人物だったのでしょうか?

 

オリンピックのアテネ開催に執念を燃やし続けたゲオルギオス1世とは、どんな人物?

 

彼は1845年12月24日にデンマークのコペンハーゲンでデンマークの王クリスチャン9世の次男として生まれています。

生家グリュックスブルク家はデンマーク王国とノルウエー王国を束ねた王家でした。

 

彼の兄フレゼリク8世は父親の後を継いでデンマークの国王になっていますから、次男の彼はギリシャの国王として養子に出されたことになりますね。

当時のヨーロッパは各国の王侯貴族がお互いに親戚関係にありましたから、こんなことは珍しくもなんともなかったのです。

 

彼のフルネームを紹介します。

「クリステイアノス・グリエルモス・フェルデイナノス・アドルフォス・ゲオルギオス」

 

伝統のあるヨーロッパ貴族の名前は、両親や祖先の名前、出身地などを加えていって、このようにとても長いフルネームになるのです。

当時のヨーロッパでは王室間の婚姻は広く行われていて、ゲオルギオスは17才の若さでギリシャの王として迎えられることになります。

 

その頃、ギリシャは長年にわたって征服されていたオスマン帝国からの独立を、欧州列強(イギリス、フランス、ロシア、オーストリアなど)の支援の元に果たしていました。

そして、欧州列強は相談の結果、オスマン帝国に長年征服されて疲弊したギリシャが立ち直るには、当面君主制が適当であるという結論を下したのです。

ギリシャはすでに君主としてドイツの貴族オソン一世を初代国王に迎えていました。

 

ところがギリシャの初代王として赴任したオソンは、経済政策で大失敗をしてしまいました。

彼はオスマン帝国以上の重税を国民にかけたのです。

そのうえ、ギリシャの習慣や風習に無頓着なオソン王はギリシャ正教に改宗することをせず、ドイツ人の女性とギリシャ国外で結婚式を挙げる有様でした。

 

ギリシャ国民の反発を招いた結果として、1854年、2度目のクーデターが起こり、身の危険を感じた国王夫妻は英国の艦艇でギリシャからバイエルンに逃げ帰ることになります。

そして1863年、ギリシャ議会は初代国王オソン1世の廃位を決め、ゲオルギオスの国王即位を可決しました。

 

新しくギリシャ国王として迎えられたゲオルギオスの若い肩には、政治改革と経済の復興という大きな課題が乗っていたのでした。

 

(若いときのゲオルギオス1世)

 

ところで、ゲオルギオスは英語読みで「ジョージ」です。

「ゲオルギオス」と読むと、とても近寄りがたい雰囲気ですが、「ジョージ1世」というと、俄然、親しみやすい印象になります。

 

上の写真は当時のゲオルギオス1世です。

いかにも若々しくて、気品に溢れて見えます。

 

ゲオルギオスは“ギリシャの国民に自ら歩み寄って、気さくに付き合った”と言われています。

オソン王の失敗から教訓を学んだ彼は、まずギリシャ語を覚え、ギリシャ聖教に帰依しました。

 

次に懸案であった憲法を制定して新しいギリシャ政治の土台を作り上げます。

1院制議会制による立憲君主制国家であることを内外に宣言したのです。

 

このとき制定された選挙制度は当時のヨーロッパでは相当進歩的なもので、ゲオルギオス国王は開かれた王室として国民と共に歩む姿勢を示したのです。

そして疲弊した経済を農政改革によって主導し、近代化を図ります。

 

月日はたち、1894年、万博が開催されていたパリで「古代オリンピックを復活して、新しい世界のオリンピックを作り上げる」という案がフランスのクーベルタン男爵から、各国のスポーツ界代表を集めた会議で提議されました。

提案は満場一致で認められ、第1回近代オリンピック大会を2年後の1896年にギリシャのアテネで開催することが決定されます。

 

ギリシャのアテネで計画された第1回近代オリンピックの誕生に際して、最大の課題は資金集めでした。

当時、できあがったばかりのIOC国際オリンピック委員会は欧米主要国12カ国からスポーツ界の有志14名を初代委員として構成しています。

 

IOCは現在のような各国単位の支部組織を持たなかったこともあって、各国からの資金集めは大変難しいことでした。

あたりまえの話ですが、スポンサーシップとか、オリジナルグッズとか、テレビの放送権といった資金集めのためのマーケティング手法はまだ存在しません。

資金集めはもっぱら、個人からの寄付に頼っていたのです。

 

このころ、国際社会でのギリシャの地位を復活させることに腐心していたゲオルギオスにとつて、近代オリンピックをアテネで開催し成功に導くことはギリシャ国王として至上の命題であると思ったのに違いありません。

ギリシャの王としてゲオルギオス1世は財政面での協力を惜しまずに行いました。

 

彼はヨーロッパ各国の王室とのネットワーク(姻戚関係)を通じて、経済界の有力者からの資金集めに奔走します。

当時、ギリシャ王国は、王の指導の下に農政を中心とした経済の回復に向かっている真っ最中で、財政の状態は悪く、オリンピックの資金集めは王の外交手腕に頼らざるを得ない状況でした。

 

国王自らの努力で、なんとか海外同胞からの資金が集まり、第1回近代オリンピックは無事開催の日を迎えました。

1896年4月6日・開会宣言は国王が自ら行い、オリンピック会場にファンファーレが鳴り響きます。

 

ゲオルギオス国王にとってその瞬間は忘れがたい感動の瞬間だったことでしょう。

ゲオルギオス1世の胸の中に、オリンピックは永遠にギリシャと共にあると言う固い信念が生まれた瞬間でした。

 

一方、ゲオルギオスの強い思いに反して、IOC国際オリンピック委員会は第2回大会をパリで開催したあと、第3回大会は海を越えた米国のセント・ルイス、その次は英国のロンドンで行うことに決めてしまいました。

しかし、IOCの決定に対抗して中間年オリンピックのアテネ開催を宣言したゲオルギオスの執念が、最後にはIOC国際オリンピック委員会を動かし、セントルイスとロンドンの中間年1906年にオリンピックをアテネで実現させることに成功するのでした。

 

それでは、中間年のアテネ・オリンピックとはどのような大会だったのでしょうか?

 

参加は自費/マラソンの優勝者シェリングはカナダからバイトしながらやって来た!

1906年開会式・パナシナイコスタジアム

 

 

 

 

 

 

 

 

五輪史上はじめて、開会式典が競技と独立したイベントとして企画され、パナシナイコスタジアムで挙行されました。このとき、ゲオルギオス1世の開会宣言に続いて、各国の旗の後ろで選手が行進するというセレモニーが生まれています。

 

マラソン優勝・シェリング

オリンピックのメイン競技、マラソンのエピソードを紹介します。

このときのマラソンの金メダリストはカナダのウイリアム・シェリングという選手で、2時間51分23秒6と言う自己ベストのタイムで走っています。

 

ボストンマラソンで実績のあるシェリングはカナダの代表に選ばれたのですが、渡航資金が乏しくてとてもアテネまでいけません。

当時は代表に選ばれても、資金は自分持ちだったのです。

 

困り切ったシェリングは、競馬に運命をかけました。

掛け率は6倍。

勝ち目は薄いが、高倍率。

これにシェリングは有り金のすべてをかけます。

 

シェリングは強運の持ち主でした。

なんとこの競走馬が優勝したのです。

 

カナダを出発したシェリングは船で2ヶ月かかってギリシャに到着。

現地に適応するために練習をしながらさらに2ヶ月間をギリシャで暮らしています。

オリンピック開催までの間シェリングはアテネの鉄道の駅でポーターをしながら練習にかかる費用や、生活費を稼いで過ごしました。

 

オリンピックが始まり、マラソンランナーは全員出発地点の「マラトン」に運ばれます。

マラトンはその名の通り“マラソン”の発祥の地です。

 

前日の夜をギリシャの外務大臣の邸宅で過ごしたあと、5月1日午後3時5分にレースがスタートしました。

マラソンコースは1896年と同様にタフなコースです。

 

距離は測定された結果、41.86 km。

気温は27度と高く、マラソンには危険な温度でしたが体制と準備は完璧でした。

 

パリやセントルイスの“疑惑マラソン”の不備な警護体制が反省されたのでしょうか。

選手は1マイル間隔に5人の兵士によって守られ、急救、介護士、軍の外科医、担架によって救急体制が整えられています。

 

最初オーストラリアと米国の二人の選手が先頭を走ります。

しかし25キロ地点でカナダのシェリングが2人を抜き去り、そのまま独走しました。

 

ギリシャの人たちは1896年のアテネオリンピックでギリシャ人ルイスが優勝したときの感激を思い出して、自国選手が競技場に走り込んでくることを期待していました。

ゴールの競技場に見知らぬカナダのシェリングが現れたとき、観衆の落胆振りは明らかでした。

 

拍手の少ない中、1人の若者がシェリングを歓迎して競技場の入り口まで出迎えたのです。

若者はシェリングと併走して場内を1周、ゴールに向かいます。

 

彼はギリシャの王ゲオルギオスの息子、プリンスギオルグでした。

プリンスはかつての第1回アテネオリンピックでギリシャのルイスが優勝したときにも、競技場の中をルイスと併走して走っています。

 

しかし今回は地元の選手ではなくて、カナダの選手に併走したのです。

シェリングはゴールしたあと、シューズを脱いで感謝の気持ちと共にプリンスの手に渡しました。

 

プリンスは喜んで記念の品物を受け取り、観衆に向かってシューズを高く掲げて、頭上で大きく振ります。

2人の友情に感激した観衆は大きな拍手を送りました。

 

圧倒的な強さで優勝したシェリングには、国王ゲオルギオス1世から報償として、生きた子羊と女神アテネの彫像が送られます。

名誉を獲得したとはいえ、当時の報償は渡航費にはほど遠いものでした。

 

無事カナダに凱旋した彼には、生誕地のハミルトン市から5000ドルが贈られ、トロント市は400ドルを贈りました。

シェリングは間もなく現役を退き、ハミルトン市は彼の功績を称えて「ビリー・シェリング公園」を造っています。

「中間年のオリンピック」アテネオリンピックは公式記録から削除され「幻のオリンピック」とされた?

 

第2回アテネオリンピックは、1906年にセントルイス大会とロンドン大会の中間年に開催されました。

いわゆる「中間年オリンピック」としてIOC国際オリンピック委員会の公式オリンピックとして認められた上で、開催されているのです。

 

このときの開会式でゲオルギオス自らが開会宣言をしています。

第1回アテネに続いて2度目の開会宣言です。

 

ギリシャ国王として、さぞ誇らしかったことでしょうね。

余談になりますが、歴史上オリンピックで開会宣言を2度行っているのは3人だけです。

 

1人は1936年の夏と冬のドイツ大会で開会を宣言したアドルフ・ヒトラーです。

このころは夏期と冬期のオリンピックは同じ場所で同じ年に行われました。

 

2人目は1976年のカナダのモントリオール大会でカナダの女王として、また、2012年ロンドン大会ではイギリス女王として宣言したエリザベス2世です。

3人目は1964年東京オリンピックと、1972年札幌の冬期オリンピックで開会を宣言した日本の昭和天皇です。

 

ゲオルギオス1世はアテネ・オリンピックと共に生きた人物でした。

その後、中間年オリンピックがアテネで開催されることはありませんでした。

 

理由としては、ギリシャの財政が好転しなかったことと・・・

ゲオルギオス1世が、1913年3月18日、第1次バルカン戦争中にオスマン帝国から奪還したテッサロニキを訪問した際に暗殺されたことによります。

 

ゲオルギオスは気さくな人柄で、政情不安のテッサロニキを訪問したときも町中で無防備だったとされています。

ゲオルギオスは凶弾に倒れ、68才で世を去りました。

 

そして1950年にIOCはアテネの中間年大会の記録を公式記録から削除しました。

 

削除の理由は「4年に1度開催される」というオリンピック・ルールに抵触するからと言う理由でした。

しかし1950年という年は開催から44年も経っているのです。

 

およそ半世紀後になぜ削除したのか、腑に落ちない話です。

第2回アテネオリンピックは、開催内容にも問題があったからだ、と言う見方がありますが、果たしてどうでしょう。

 

開催内容の目安として、アテネ大会を参加国数(地域)、参加人数、競技種目数の三項目で前後のオリンピックと比較してみました。    

 

    セントルイス   アテネ    ロンドン

開催年度    1904        1906         1908

参加国             13            20              22

参加人数    689            903           2035

競技   16種目(89競技) 13(78)   22(110)

 

参加国数ではアテネはロンドンと拮抗しています。

参加人数はアテネはセントルイスから5割増えて、ロンドンではアテネの倍増です。

セントルイスに比べてアテネは競技数が減っていますが、ボクシング、アーチェリー、ゴルフ、ラクロスで、逆に射撃が増えています。

 

ざっくり見たところ、素人感覚ではセントルイスと遜色ない内容に見えます。

アテネの中間年オリンピックは内容がなかったと言う話は論拠に乏しい気がします。

 

4年に1度のオリンピック開催という原点に戻り、公式記録から削除されたのでしょうか?

それ以降、ゲオルギオス1世が執念で開催した1906年アテネオリンピックは「幻のオリンピック」として語り継がれているのです。

 

(おわり)

【参照:JOC公式サイト、ウイキペデイア他】

 

(記事は無断転載を禁じています)

 

 

この世の果ての中学校 2章「リアルの世界は一度逝ったら戻れない(前編)」

 の~んびりした人類絶滅小説。

 今回は、地球に生き残った六人の子供達が、カレル先生に連れられて2016年のリアルの世界・東京にタイムスリップします。

 

 リアルの世界・東京は一度逝ったら戻れない! 

 こわ~いところです。

 それでも、その旅は昔の穏やかで豊かだった日々を、ドームでつらい日々を過ごす6人の生徒たちにも経験させてあげたいという、カレル先生の強い希望だったのです。

 

 カレル先生の実家で、6人の生徒たちは中学生の頃のカレル君や、宿敵のけんか相手、先生の両親、愛犬のブー太郎に出会うことになります。

 

 これまでの話は下の二つをご覧ください。

この世の果ての中学校 プロローグ「ついにあいつがやって来た」

この世の果ての中学校 一章 ハッピーフライデー「ペトロの誕生日」

 

2章「リアルの世界は一度逝ったら戻れない(前編)」

 

「今日は初めてのタイムトラベルだ! いまから一泊二日で2016年のリアルな東京視察に出かける」 

 金曜日の朝、愛用のハットを斜めに被ったカレル先生が、六人の生徒を教室に集めて宣言した。

 

「ヤッター!」

 女生徒が歓声を上げ、男子生徒は床を踏みならして、うおーっ!と吠えた。

 

「都心は繁華街や工事中が多くて危険だから、直接、目的の宿泊地に向かうことにする」

 

「先生宿泊はホテルでしょうか?」

 エーヴァが目を輝かせて聞いた。

 

「残念だが、今夜の宿泊先は先生の実家だ。先生が子供の頃暮らしていた家だよ」

 カレル先生の目が、昔を思い出して潤んできた。

 

・・・実は先生は今晩、家族と会って大事な話をしなければならないんだ。

 あの世界の未来に関わる話だ。

 でも、君たちは遠慮しないで騒いで、楽しく過ごして欲しい。

 それから明日は山登りと、自然観察、ネイチャー・アドベンチャーだ・・・

 

 ちょっと落ち込んだ生徒六人の視線が生徒会長の裕大に集まった。

 裕大が手を上げてみんなの気持ちを代弁した。

「カレル先生、お願いがあります。今日はみんなのハッピー・フライデーだから、僕たちの希望を言ってもいいですか?」
 
「おっと、失礼した。ハッピー・フライデーをすっかり忘れてたよ。それじゃ~、みんなの希望を聞かせてくれ・・・」

 

「フルーツの入ったケーキ食べたい!」前列のマリエとペトロが叫んだ。

「繁華街で遊びたい!」二列目のエーヴァと匠が続いた。

「ショッピングしたい!」咲良と裕大が追加した。

 

 ここドームの中の世界には豊かな山も、緑も、繁華街も、買い物のできるショップも、フレッシュな果物も無かった。

 あるのは厳しい現実と幻想の世界だけ。

 

 カレル先生は、何でも手の届いた自分の子供の頃を思いだして、生徒たちの叫びに胸が痛んだ。

「わかった!それじゃプログラムを追加しよう。まず都心の繁華街に潜り込んでぶらぶらしよう。途中どこかでケーキとお茶をする。

・・それから郊外にある先生の実家を目指す。これでどうだ?」

 

 大騒ぎを始めた生徒たちにストップをかけて、カレル先生が旅の注意をした。

「その代わり約束を三つ守って欲しい。

一つ、未来から来たことは決して誰にも話さない。もちろん先生の家族は別だ。

二つ、争い事は起こすな。匠、誰にも手を出すな。ペトロ、口喧嘩もだめだ。

三つ、お土産は持ち帰るな。咲良、買い物は我慢しよう。以上だ」

 

 ・・・ということでスケジュールの変更です。

 ・・・そこんところをなんとかお願いしますよ。 

 

カレル先生は旅行の変更をスマホでどこかに伝え、了承を取りつけたようだ。
 

「交渉成功!」

 先生が、愛用のハットを脱いで空中で一振りすると、教壇の電子ボードに21世紀の世界地図が浮かび上がった。

 

 ゆっくりと地図がズーム・アップして一番大きな大陸の南側に、小さな四つの島が輪郭を表す。その真ん中を先生が指さした。

 

「目的地はここだ! 日本の首都、東京の都心の繁華街を目指す。

 世界でもっともビジーで怖い場所の一つだ。

 今からタイム・トラベル・スオッチを配る。

 何があってもこれだけは無くさないように、しっかり腕にはめてロックしろ。

 失うと時空を彷徨って、どこかへ逝ってしまう。

 二度と帰れなくなるぞ」

 

 配られたタイムトラベルバッグを身に着けると、全員が時計の文字盤を2016年5月7日10時00分に合わせた。

 

「GO!」

 カレル先生の合図で生徒たちがスオッチをONにする。

 教室は銀色に輝き、一瞬にして白く薄い闇に吸い込まれた。

 

 世界はゆっくりと回転を始め、時空の揺らめきに翻弄された生徒たちが上げる悲鳴と共に、はるかな過去に向かって巻き戻されていった。 

 闇を漂う生徒たちの目の前に、薄い幕一枚を隔てて、ビルに囲まれた繁華街が迫ってきた。道路は行き交う車と、人混みでごった返している。

 

「僕の動きをよく見ておいてくれ!」

   カレル先生は薄い膜をするりと通り抜けて、道路の人混みの中に入り込んで行った。

 

 道路を歩く人たちは、目の前に先生が現れても、驚いて立ち止まって一言文句を言うだけで、すぐに歩き始めた。

 人混みを避けてビルの片隅に身体を移した先生が「ここへ飛びこんで来い!」と生徒たちに合図をする。

 最初に、小さなマリエが白く薄い膜を通り抜けてカレル先生の胸の中に飛びこんでいった。 

ペトロ、エーヴァ、そして全員が続く。

 

・・・未来からの訪問者、六人の生徒と一人の先生が東京の雑踏の中に紛れ込んでいった。

 

「車と人にはぶつからないように、気をつけた方がいいよ。ここではどんなことも一度やってしまうとやり直しが効かないらしいよ」

 リアルの王の息子、裕大が咲良にそっと囁いた。

 

「えっ! ここには現実しかないの? なんてさみしいとこなの」

 ファンタジーアの王女、咲良がぶるっと身体を震わせて思わず裕大の手を掴んだ。

 

 咲良が暮らしていた幻想の世界、ファンタジーアでは一度や二度はやり直しが効いた。

 

「いまの、やり直しよ」

 王女が命令すれば現実は元に戻せる。

 それにここは人が多すぎる。

 人いきれで眩暈を起こしそうになる。

 

 咲良が、地下鉄の駅から階段を駆け上がってきた若い女性をよけきれずに、ぶつかってしまった。 

 咲良が謝って話しかけようとしたら、その女性は咲良をじろりと見て、一言も言わずに立ち去ってしまった。

 咲良はその態度にコチンときた。

 今度はタクシーの乗り場に向って、スマホを見ながら早足で歩いてきた背広姿の男の人に身体が接触してしまった。

 

「ご免なさい、私、咲良と言います。遠くからやってきましたもので、人混みに慣れなくて」

 咲良は自分から挨拶をして、謝った。

 

 男の人は振り返って咲良を見つめると、ちらっと時計を見て・・・

「ごめん。話してる時間が無くて・・」と言って、慌てた様子で歩き去っていった。
 

 咲良は訳が分からなくて、ますます頭にきた。

 「何これ? 王女に向かって失礼な! みんな、どうなってんのよ?」

 

 咲良の故郷のファンタジーアではだれかに出会えば、挨拶をして、軽い会話をするのが当たり前の礼儀だった。

 

「この様な挨拶をしない人の関係を、この世界では『他人』とか『人ごと』といいます」

 カレル先生がおかしな解説をして、咲良を慰めた。

 

「ファンタジーアでは他人という関係はありません。『まだよく知らない人』という表現ならあります」

 咲良がほっぺたを膨らませて怒っていた。
 

 メインストリートから一歩脇道に入り込むと、連休の狭間の平日なのに、大学生や高校生が賑やかにお喋りをしながら歩いていた。

 カレル先生も学生の頃によく来て遊んだ界隈だった。

 エーヴァがどこかからブーンというマシーンの音と、ガチャガチャという摩擦音に混じって男の子たちの叫び声を聞きつけた。

「あっ! あの音は宇宙船の発着音よ、ちょっと遊ばせて」

 

 エーヴァは、カレル先生にお願いして500円玉を数枚借りて店の中に飛び込んで行った。

  NASA発東京オリンピック特別協賛「スーパー・スペース・バトル!」のコーナーの前に人だかりがしていた。

 

 それはシングル乗りの五艇の宇宙艇で、バトルを争うNASAのバーチャルゲームだった。 

 しばらくゲームを観戦していたエーヴァが、次の番でウエイティングしている男子の高校生四人グループに声を掛けた。

 

「一人、混ぜてくれない?」 

 ジーパンとピンクのTシャツを着た金髪の可愛い女の子が、いきなり乱入してきて乱暴な口をきいた。

 

高校生が目をむいた。

「どこから来た?」

一番でかい赤いチェックのシャツが聞いた。

 

「海の向こうよ」

 チカッとウインクすると、エーヴァは空いたコックピット・ブースにさっさと入り込んだ。

 

 ヘッドセットを装着し終えると、プリプリ!とお尻で軽くリズムを取った。

「そこのでかいの・・早くいらっしゃい!」

 

 エーヴァが、スペース・シップのエンジン・ボタンを押した。

 スタート・ラインに滑り込んでいくエーヴァに気が付いて、四人の高校生が慌てて四隻の宇宙艇に飛び乗った。

 

「痛めつけて欲しいか?」

でかい赤シャツが隣のスタートラインからエーヴァに笑いかけた。

「泣かせてあげるわよ」

エーヴァが受け流す。

 

一周のテストランが終わり、轟音と共に5艇のスペース・シップがバトルを開始した。

 

 応援に駆けつけた五人とカレル先生が観覧ブースに座り込んだ。

 マリエが、大声を上げてエーヴァの応援を始めた。 

 

 エーヴァはフランス空軍のパイロットの娘で、子供の頃は地球脱出用の小型宇宙船が自宅代わりだった。

 パパに頼んで、内緒で操縦を教えてもらい、腕はプロ並みだった。 

 

 エーヴァに絡むつもりが逆にからかわれた赤シャツが、視界を失って仲間と衝突し、宇宙艇の操縦シートから派手に床に転げ落ちた。5人の高校生がスタートラインに戻ってきたときにはエーヴァの姿はなかった。

 

「ほんのお遊びでしたわ。これご自宅にお土産」

 引き上げてきたエーヴァが、カレル先生に報告を済ませ、景品を差し出した。
 

  繁華街から小さな公園を通り抜けると、生徒たちの家の100倍はありそうな大きなビルが現れた。

「このホテルで休憩していくか?」

 

 カレル先生はそう言うと、ずんずんと大きなホテルに入っていった。エントランスで制服のボーイに小さくたたんだ紙きれをそっと手渡した。

 制服のボーイが自動ドアを手で開けたまま、待ち構えてくれるので、みんなも慌ててホテルのロビーに入っていった。

 

 匠やペトロにとってホテルは、小さな子供の頃、都会から人影が消える前に、両親に手を引いてもらって食事に出かけた時の記憶がかすかに残っているだけだった。

 ロビーの広い空間を通り抜け、突き当たりに並んでいる小さな部屋の一つに全員で入り込むと、先生が扉の横の操縦ボタンを押した。

 扉が閉まって、部屋が丸ごと縦に動き始めた。

 

「ヒエー! この宇宙船どこにも窓がねーぞ!」

 匠がわめいた。

 生徒たちの乗り物はいつもエーヴァ・パパの操縦する小型の宇宙船と決まっていて、丸い窓が沢山並んでいて外が見える。

 外の景色を眺めたら、いまどこにいるのか・・安全なドームの中か、ドームの外の危険地帯に出たのかがすぐに分かる。

「ここ気持ち悪いよ!」

 匠が騒いでいる中に、宇宙船はビルの最上階に到着して、ドアが開いた。

 フロアーに出るとすぐ前にガラス張りの広い部屋があった。ガラスの向こうには大都会の午後の景色が拡がっていた。

 みんなは眺めのいい窓際を探して、ふかふかのシートに落ち着いた。

 

 それからサンドイッチやプリンやケーキやアイスクリームや果物やフレッシュ・ジュースを片っ端からやっつけながら、慌ただしい下界の風景をゆったり眺めた。

 

 ふざけ合ったり、お喋りしたりして午後のひとときを楽しんだ。 

 お腹がいっぱいになったペトロがラウンジから廊下に出てきて、最上階のフロアーを探検し始めた。

 

 宴会場や大小の会議室が続いていて、廊下の突き当たりの大きな部屋に「宇宙物理学会会議場」という案内板が出ていた。

 会議は始まっていて、受付と書かれたデスクの前にはだれもいなかった。

 

 ペトロは科学が大好きで、今はハル先生の特別授業の「宇宙の方程式」に取り組んでいる。
 
 「宇宙物理学会」の文字に興味を引かれたペトロはドアをそっと開け、中を覗いてみた。

 

 会議場は満員で、いろんな国の言葉が飛び交い、世界から集まってきた学者や先生方が方々で議論している。

 遠くてよく見えないけれども、壇上のボードになんだか見たような数式が書かれていた。

 

 ひげもじゃで巨体の偉そうな先生が、立派な講演机にもたれかかりながら・・

「お静かに・・それでは次の質問をお願いします」と会場の人たちに呼びかけていた。

 

 何人かが手をあげると、ひげもじゃ先生が順番に指名をして、次々と質問に簡単明瞭に答えていった。

 ペトロは会議場の後方から、満員の座席の横を通り抜けて、ボードに書いてある数式がよく見えるところまで近づいてみた。

 

 それはアルファベットと数字が入った簡単な一行の方程式で、タイトルは「アインシュタインの方程式」と書いてあった。

「あれっ! これってハル先生の宇宙の第一方程式にそっくりじゃない」

  ペトロはなんだかぞくぞくしてきて、方程式をよく確認してみようと、もう一歩壇上に近づいてみた。

「宇宙の構造」と説明書きが付いているところはハル先生の第一方程式と同じだけど、「宇宙項」と説明のあるところが、ハル先生の方程式と少し違っていた。

 アインシュタイン先生がとんでもない天才科学者だったことはペトロもよく知っていた。

 

  「でもこの方程式は間違っている」

 だってハル先生は「宇宙の第一方程式はこれで完成よ」と言って、今は次の第二方程式に取り組んでいるからだ。

「もうご質問はございませんね」

 ひげの先生が偉そうにひげもじゃを一筋むしりとった。

 

 次の瞬間、ペトロの右手が勝手に上がってしまった。

 ひげの先生は慌てた様子でペトロを見つめた。

 

 先生はちょっと目が悪くて、ペトロが少年であることに気が付かない。

 壇上からペトロを指さして「どうぞ!」と質問を促した。

 

 ペトロは、もしもハル先生ならこんなときどうするだろう、と考えて、直ちに行動に移った。

 トットットッと舞台の横から小さな階段を登って、壇上まで上がると、方程式の書かれたボードを見上げた。

 

 それは電子ペンで書き込むタイプのボードだった。 

 ペトロは電子ペンを探して、手に取ると、思い切り背伸びをして、方程式の「宇宙項」の所を二本線で消した。

 

 そしてもう一度伸びをして正しい数式に書き換えてあげた
 

 数式が完成すると・・

「先生、これでいかがでしょうか?」といつもの授業の調子でひげもじゃ先生に尋ねた。

 

 ボードを見つめていた先生の顔がみるみるうちに真っ赤に染まっていった。

「こらーっ!」

 

 ひげもじゃ先生は会議場に響き渡る大声で吠えると、血相変えてペトロに飛びかかってきた。

 先生はとんでもない悪ガキのいたずらと思い込んで、頭に血が上って、怒り狂っている。

 

 小さなペトロの前にひげもじゃ先生の巨体が迫った。

 ペトロは一歩横に跳んで、なんとか先生の突進をかわした。

 

 掴む相手がいなくなった先生は、前のめりになって、見事に床に転んでしまった。

 先生の悲鳴を背中で聞きながら、ペトロは壇上から飛び降り、一目散に会議場から逃げだした。

 

 廊下に出ると、ペトロは背筋を伸ばしてゆっくりと歩いた。

 

 ラウンジに戻って、仲間のいるところに無事到着すると、目立たないようにシートに深々と小さな身体を沈めた。

 表の廊下で、警備員の叫ぶ声がしばらく聞こえていた。

 知らん振りを決め込んで一息つくと、ペトロはサイド・テーブルに手を伸ばして、ショート・ケーキに乗っかっている大好きなイチゴを指でつかんだ。

 口に運んで軽く噛むと、イチゴはチュッとつぶれて、新鮮な果汁が飛び出してきた。
 

 ペトロはしばらく昼寝をすることに決めた。

 ペトロはすぐ夢を見る。

 

  ××× 

 いまは遠い故郷、サンフランシスコのすぐ北のナパ峡谷に沿って広がっているブドウ畑のそばの小さな土地・・・

 パパが借りていろんな野菜を育てている畑に仰向けに寝ている。
 

 パパはここからいくつか山を越えたシリコン・バレーというところにある最先端技術の企業の研究員だ。

 パパの趣味は仕事とは正反対で、古本集めと、畑仕事だ。

 

 天気のいい休みの日には小さなペトロはパパと一緒に畑に出て、野良仕事を手伝う。

 疲れてくると、ペトロは野菜を収穫した後の畑の畦に寝転がって、勝手な空想遊びをする。

 

 パパは野良仕事の合間、合間にペトロに声を掛けてくる。

 ペトロが元気に返事をすると、安心して仕事を再開する。

 いまペトロは畑に仰向けに寝て、太陽の日差しを浴びて真っ赤に熟した食べ頃のイチゴをつまんでは食べている。

 昔大きな山火事があって、ワイン畑から野菜畑に変わったところだ。

 

 渓谷から吹き上げてくる風が、青く抜けるようなカリフォルニアの空に舞い上がって行く。

 ここは昼間は太陽が照って暖かく、夜は温度が下がる。

 

 渓谷の川の流れから適当な湿気が上がってくるので、毎日水やりに通わなくても野菜は育つてくれるんだ、とずぼらなパパが勝手な理屈を言う。 

 

「ペトロ! そのイチゴを食べてはダメだ!」

 パパの叫ぶ声が遠くから聞こえた。
 

 パパの話では、最近ここの野菜は、人間に食べられないように変身して、食べた人の体を犯す悪い有機体を含むようになってしまったそうだ。

 パパはブドウ農園の人たちと共同で、悪い有機体を含まないブドウや新種の野菜を開発中だ。

 地球のどこもかもで、果物の出来る樹木や、食料になる野菜や、大人しい家畜の生態にまでとても危険な変化が起こり始めている、とパパたちが集まって怖い話をしていた。

 

「食べ物がなくなったら、緑の野菜や果樹のあるどこかの惑星を探しに行かなくっちゃ」

 

 ペトロは高い空の向こうにある緑の惑星を想像してみる。

「そこにも人類や動物はいるのかな?」

 やがて気持ちのいい眠りに落ちると、パパの声も聞こえなくなった。

 ペトロの横で一緒に寝っ転がっているマリエがなにかムニャムニャ喋っている。

 

 パパの姿がどこかに消えて、こんなところにマリエがいる?  
  ×××

 

「さっきはどこ行ってたの?」

 マリエの声でペトロの目が覚めた。

 

 仲良しのマリエがアップル・パイを頬張りながらとなりのシートからペトロに話しかけてきた。

「ちょっと奥の部屋で、ひげもじゃの偉い先生にお勉強教えてあげてた。内緒だよ!」

 

 ペトロは、ひげもじゃ先生とのやりとりをすっかり話して、マリエに自慢をしたかったのだけれど、なんだか嫌な予感がして、お喋りするのを我慢した。

「内緒ね」と繰り返すと、マリエはアップルパイをもう一口、頬張る。
 

 そばのシートで気持ちよく寝込んでいる裕大の大きないびきが聞こえてきた。

「少し遅くなったから、そろそろ我が家に向かうとするか」 

 カレル先生が大きな伸びをして、裕大を起こした。

 

「出発!今からカレル先生のお宅にお邪魔する!」

 目覚めた生徒会長の一言で、みんなは重いリュックを肩に担ぎ上げた。

 リュックは宿泊用のパジャマやタオルや下着の着替えや、洗面用具や、それに大事な非常食と飲料水でぱんぱんにふくれあがっている。

 

 非常食と飲料水は使わずに備えておくようにと、カレル先生から命令が下っていた。

 先生のお宅でごちそうになるのに、どうして非常食がこんなにたくさんいるのかよくわからない。

 

「多分タイムトラベルで迷子になったときのためだよ」ペトロの説明でみんなは納得していた。

 

 ホテルを出てしばらく歩くと、迷路のように入り組んだ巨大な駅に着いた。

「ここで迷子になるなよ、見つけるのに数時間はかかるからな」

 

 カレル先生が先頭に立って、駅の構内に入り、四方に繋がる通路をあっちこっち歩いて、長くて動く階段を登ったり、下りたり、径路板を見たり、通行人に聞いたり、迷路ゲームを楽しんでようやく目的のホームにたどり着いた。

 

 電車に乗りこむと、中は結構混んでいた。

 乗客は座っている人も、立っている人もみんな、スマホに夢中で、スマホの中で暮らしているみたいだ。

 

 ベビーカーで子供を連れているママまで片手でスマホをしている。

 電車が揺れてベビーカーが動き出すと、慌ててベビーカーをつかむ。

 

 スマホを見ていないのは生徒たちだけだ。

 携帯は「持って行ってもどことも繋がらないよ」と先生が言うので、教室に置いてきた。

 

 生徒たちは乗降客の邪魔にならないように、開閉しない側のドアのそばに集まって、騒々しい町並みから静かな住宅街に移り変わっていく風景を興味深そうに眺めている。

 電車はあっという間に、都心から離れた郊外の駅に到着した。

 

「この駅でおりるぞ!」
 カレル先生が電車から降りて改札に向かった。

 

 エーヴァが電車からプラットホームに降りて、みんなの先頭に立って改札に向かって歩き始めた。

 そのとき、制服を着た高校生と中学生の男子のグループが、到着してきた電車に飛び乗ろうと、ホームに走り込んできた。

 

 騒々しいグループの中で一番でかいボスっぽいのが、ふと立ち止まった。

 デニムのジーパンと、ピンクのTシャツの上に薄手の白いセーターを着込んで、リュックを肩に担いだ可愛い女の子が近づいてくるのに気が付いた。

 

 ボスっぽいのがその子にさっと近づいて、片手で胸にタッチした。

 キャッと悲鳴を上げるエーヴァに向かってピュッと口笛を吹いて、近くの車両に駆け込んだ。

 

 その車両に匠が残っていた。

 みんなの最後に電車から降りようとしていた匠が、エーヴァの悲鳴を聞きつけてドアの前で立ち止まった。

 その車両に駆け込んできたボスが、大きな肩をどんと匠にぶつけた。

 

「なにすんだよ!」

 よろけた匠が叫んだ。

 

「どけよチビ! 邪魔なんだよ」

 笑いながら、ボスが片手で匠の身体を乱暴に払いのけた。

 

 弾みで飛ばされた匠は、危なくホームと電車の間にはまりそうになった。

 匠はとっさに肩に抱えていたナップザックをホームに放り投げ、電車からホームの床に前足を伸ばして着地した。

 

 着いた方の片足で、くるりと身体を半回転させ、体制を立て直した。

 

  匠はホームに立ち、電車の中の高校生に正面から向かい合った。

 両手をだらりと下げ、そいつを下から睨み上げた。

 匠の素早い身のこなしに驚きながらボスは匠を見下ろして、肩を怒らした。

 

「なんだよてめえ、文句あるんか!」

その一言で・・・匠の顔つきが一変した。

 

「匠、やめろ!」

 事態に気が付いたカレル先生が、ホームから振り向いて大声を上げた。

 

 匠は武道家の孫、鍛え上げられた跡継ぎだ。

 小さいが本気で殴ったら、高校生の方が危ない。

 

 高校生は、匠の右肩がぴくりと小さく動いたことに気が付いた。

 次の瞬間、下からズンと突き上げられて来る匠の拳を見て、思わず目を閉じた。

 

 高校生は殴られることを覚悟した。

 何事もないのでそっと目を開けると、拳は目の前1センチのところでピタリと寸止めされていた。

 人差し指と中指の二本が鈎爪になって両方の黒目のすぐ前にあった。
 

 ピピーと車掌が警告の笛を吹いた。

 茫然と突っ立っている高校生の前でドアが閉じていった。

 

 動き出した車両の中で、高校生が無事を確かめるように、自分の顔を掌でそっと触っているのを見て、匠はガラス越しに小さく手を振ってやった。

 

 匠は殴ってもいない相手の顔にすでに大きな生傷があって、制服の黄色い銀杏のマークに、血が茶色くなってこびりついていることに気が付いた。

 電車が出て行き、カレル先生がホームに全員を呼び集めた。

 

 匠はてっきり怒られるものと思って、身体を縮めて先生に近づいた。

「匠、お前よく我慢したな!」

 

 カレル先生は顔をくしゃくしゃにして匠の肩を叩いた。

 それからエーヴァに向き直って「だいじょうぶか?」と心配顔で聞いた。

 

どうってことねーよ

 

男の子みたいな口ぶりでエーヴァが答える。

「エーヴァ、あの高校生は中高のボスだ。この近くに大学付属の中・高一貫校があるんだ・・・」
 

 カレル先生は遠い昔を思い出した。

 あの高校生には見覚えがあった。

 

 それどころか、あの顔は忘れようがなかった。

 先生は頭を一振りして・・・「よっしゃー、我が家に向かって出発!」と全員に号令した。

 

 改札口を通りすぎたところで、エーヴァが匠の側に来て文句を言った。

「匠、おかげですっきりしたわよ。 でもさ、ついでにあの野郎、“ズン!”と殴り倒してくれてりゃもっと気持ちよかったんだ」

 言い終えると、エーヴァは拳を握りしめて勢いよく空に突き上げた。

「先生から喧嘩は止められてるからね。ちょっと驚かしただけだよ」

 そう答えて匠は・・・エーヴァの口から男の子みたいに乱暴な言葉が飛び出すと、なんだかとっても可愛くて~胸に“ズン!”~と来るな・・・と思う。

 

 駅を出ると、登りの坂道がだらだらと続いた。

 先頭を歩いて、息が切れてきたカレル先生は、坂の途中で愛用のハットを斜めに被り直して一休み。

 

 カレル先生は若い振りをしているが、実は相当のご高齢なのだ。

 みんなが追いつくと、「近いぞ、もう一息だ!」と気合いを入れ直して足を早めた。
  

  ×××
 カレル先生は少年時代を、この近くの家で両親と三人で暮らしていた。

 先生のパパはヨーロッパのプラハからやってきた高名な作家で、この近くの大学で客員教授としてヨーロッパ文学を教えていた。

 

 ママはその大学で学ぶ日本の学生だった。

 ある日、構内のレストランでたまたま同じテーブルで隣り合わせに座った二人は、無駄話から話が弾み過ぎて、ちょっとした口喧嘩になってしまった。

 

 とても年が離れているのに気が付いた教授があわてて謝った。

 相手が教授と気が付いた学生も、大慌てで謝って・・・大笑いした二人はその日のうちに仲良くなり、翌週には恋に落ち、一月後には二人だけで近くの教会で結婚式を挙げた。

 

 東京で一緒に暮らすことに決めた二人の間に生まれたカレル二世は、毎日を楽しく走り回って成長していった。

 今回の課外授業では、カレル先生が子供の頃に経験した楽しいことを、生徒たちにも体験させてやりたいと思っていた。

 

 自然の中で遊ぶスリルに満ちた興奮とか、季節の手料理とか、例えそれがひとときの虚構の体験であるとしても、子供たちが生きていくことの素晴らしさに気付く時間にしたいと願っていた。

 ×××

 

 初夏に向かう東京の五月の夕陽は新緑に反射して、目に痛い。

 とても高齢の先生は、太陽が苦手で、いつも愛用のハットを被って直射日光を避けている。

 

 四つ角に出るたびに、ハットを少しずらし、懐かしそうな目つきで周りを確認すると、

「こちらだ」と自信たっぷりに叫んで、早足で歩いて行く。

 そのうち、いまにも走り出しそうなペースになって来た。

 

 必死について行く生徒からは、先生はまるで宙に浮かんで飛んでいるように見えた。 

 坂道の傾斜が厳しくなってきて、最後尾のペトロとマリエがダウン寸前になったとき、ようやく高台にある大きな屋敷に到着した。

 

「ピンポーン、僕だよ!」 

 カレル先生が石造りの門の前で大きな声で叫んだ。
 

 庭を走る足音がして、長身のおじさんと優しそうなおばさんが、門を開けて出てきた。

 

「ハーイ! カレルの生徒たちだ、遠いところからみんな良く来た、良く来た」

 茶色い髪に青い目をしたおじさんは、大きな身体を折り曲げて男の子と握手を交わしたり、女の子と軽くハグしたりしている。

 

「いらっしゃい、お名前は?」

 若くて黒い髪の小柄なおばさんは、一人ずつ生徒の名前を聞いて顔を見つめ、忘れないようにもう一度名前を呼ぶ。

 それから両手で抱きしめる。

 

「おじゃましまーす!」

 全員で順番に門をくぐると、庭の石畳が奥の玄関まで続いていた。

 

 玄関のそばに大きな白い犬がつながれている。 

 でっかいワンコが先頭でやって来た大きな裕大を見つけて、勢いよく吠えた。

 

 「ブー太郎! お客さまですよ、静かにしなさい!」 

 おばさんが命令しても、ちっともいうことを聞かない。

 

 裕大を先頭に押し立てて、生徒が一列に庭の石畳を踏んで玄関に近づく・・・。

 ワンコはふさふさのしっぽを、丸いお尻ごと猛烈に振りながら、鎖をいっぱいに引っ張って、激しく吠えたてた。
 

 生徒たちは、でっかいワンコの前で立ちすくんでしまった。

 そのとき、小さなマリエがみんなの前に出て来て、自分より大きなワンコに歩み寄った。

 

「ブー太郎、どうしたの?」 

 腰をかがめて、優しく聞いた。

 ワンコは吠えるのを止めてマリエの顔を見て、少し首をかしげた。

 それから芝生にぺたんと座り込んだ。

 

 マリエはワンコの大きな頭を撫でてやりながら、お喋りを始めた。

 その隙間をみて、みんなはワンコのそばを通り抜けて、玄関に走り込んでいった。

 

「あら、マリエはブー太郎とお話ができるのね」

 おばさんがやってきて、マリエと二人でワンコとお喋りを続けた。

 

「マリエ、ブー太郎はなんて言ってたの?」

 ペトロが玄関の上がり間口でマリエを待ち構えて聞いた。

 

「頭、撫でて欲しいって! あの子はみんなに遊んで欲しくて吠えてただけなの」

 ペトロは庭に戻ると、白いワンコに思い切って近づいた。

 

 それから腰を屈めて怖々頭を撫でてみた。

 ワンコが嬉しそうに頭をすり寄せてきた。

 

「ペトロ、もっとしっかり頭を掻いて欲しいっていってるわよ」

 玄関からマリエの声が聞こえた。

 

 おばさんが庭に面した広いリビング・ルームにみんなを案内してくれた。

「男の子は二階のベッド・ルーム、女の子は一階の寝室、三人づつで一部屋よ」

 

・・・いつもは海外からの留学生を泊めてる部屋だから、自由に使っていいの。荷物を放り込んでから順番にシャワーを浴びて、六時にリビングに集合ですよ!・・・ 

 

 おばさんがお尻を叩いて急がせると、生徒たちは階段と廊下の二手に分かれて、自分たちのベッドルームに向かった。

 カレル先生の悲鳴が聞こえて来て、ペトロは階段の途中でリビングを振り向いた。

 

 先生より背の高いおじさんが「久しぶりだカレル!元気か?」と言って先生を抱き上げて、床の上をグルグルと廻っている。

 年上に見えるカレル先生が、ずいぶん若いおじさんに抱き上げられて、子供みたいに笑っていた。

 逆さまみたいだけれども、なんだかハッピーな光景だった。 

 

 六時になって、生徒たちがリビングに集合した。

 おばさんが淹れてくれた冷たいお茶で渇いた喉を潤して、お喋りして騒いでいると、玄関から「ピンポーン!」という男の子の声がして、ブー太郎が騒ぎ出した。

 

「ただいま!」

 大声を上げた少年がリビングに半分、顔を覗かせた。

 

「お帰り! みんなでお邪魔してるよ」

 それまで目を凝らして読んでいた久しぶりの朝刊をソファーに放り投げて、カレル先生が少年をリビングに招き入れた。

 

 部屋に入ってきた少年を見てみんなが目を丸くした。

 少年の青い目がカレル先生の瞳の色とそっくりで、顔つきもそっくり。

 そこまではみんなで予想していた通りでだれも驚かなかった。

 

 でも、よく見ると、着ている制服の上着はしわくちゃで、ボタンが半分取れて、胸のあたりに血がいっぱい付いて赤黒く汚れていた。

 

「また連中にやられたのか!」

 カレル先生が問い質した。

 

「うん」と頷いて・・・

少年は上着を脱いでカバンと一緒に派手にソファーに放り投げ、照れくさそうに頭を掻いた。

「駅で会った高校生たちだな! しつこい奴らだ」

 カレル先生はぶつぶつ独り言を言いながら、少年をみんなに紹介した。

 

「この子はこの家の一人息子で、私と同じ名前でカレルと言います。中学二年生です」

 

 カレル少年は、ちょっと照れくさそうに歓迎の挨拶をしてくれた。

「よくいらっしゃいました。みなさんのことは先生からなんども聞いています。ここは皆さんのお家だと思って、どうぞ思いっ切り騒いで下さい」

 

 匠は、カレル少年が着ている制服の胸のマークが、さっきの乱暴な高校生のものと同じ黄色の銀杏のマークであることと、血糊が少年の上着に付いているのに、顔や手足には生傷がまったくないことを見逃さなかった。

 

 生徒たちが順番に自己紹介を済ませると、先生がカレル少年を手招きした。

「匠はカレルと同じ中学二年だが、凄腕の武道家だ。二度と無い機会だから、匠からでかい奴らを相手にしたときの必殺技を教えて貰ったらどうだ?」

 

 先生は、カレル少年が目を輝かせたのを見て、匠に指導の約束を取り付けると、みんなをリビングに残して靴下を脱いだ。テラスから裸足のままで庭に出て行った先生は、ブー太郎に近づいて、首から鎖を外して自由にした。

 

 それから、先生は四つん這いになって、挑発するように、ブー太郎に一声唸った。

 ワンコが先生に飛びついた。

 取っ組み合いが始まって、先生がワンコに倒された。

 足をバタバタさせている先生の顔を、ワンコが上から長い舌でなめた。

 

 悲鳴を上げて逃げ回っている嬉しそうな先生の姿を、テラスのガラス越しに全員があきれかえって眺めていた。

 
 そのあと、カレル少年はリビングで生徒に取り囲まれて、質問攻めに遭った。

 通っている中学校の授業の内容とか、給食の献立とか、部活とか、いじめの話とかだった。

 

 いじめはずいぶんひどくて、カレル少年もやられるのは嫌いだから、柔道部に入って、毎日、朝稽古をして鍛えていると言った。

 匠は駅での高校生との一幕を少年に話した。

「カレル君はあいつにやられたんじゃなくて、やっつけたんでしょ」

 匠が高校生の顔の生傷を思い出して付け加えると、カレル少年が答えた。

「いい勝負なんだ。あいつ、中高のボスで子分いっぱい連れてるけどさ、いつも二人だけで勝負しようって言うんだ。そこんところはまともなんだよ」

 

「ガチンコの原因って、どんなことなの?」

 ボスにちょっかい出されて頭にきていたエーヴァが横から聞いた。

 

「僕が中学の授業に出ないで、近くの大学の研究室にしょっちゅう出入りしているのをたれ込みで知ってさ、それで怒ってんのさ。

・・・あれでもあいつ高校二年で学年委員なんだ。

 中学の先生が僕の研究を黙認しているので、余計腹が立つみたいだ。

 きっと僕のこと中学二年にしてはからだがでかいし、研究なんかしている生意気な奴だと思ってるんだろうけどね・・・

 僕にも大事な研究があるんだから、これ以上邪魔しないで欲しいんだ」

 

 匠は、カレル少年が目を輝かせながら話をするのをじっと聞いていたが、突然、カレル先生からの頼まれ事を思い出した。

 

「お主、できるな、一勝負するか!」

 匠が仕掛けて、二人の目が合った。

 

「センパイ!ご指導いただけますか?」

 カレル少年が頭を下げて、二人は庭に出た。

 

   一息ついたカレル先生とブー太郎が、仲よく見学を始めた。
 

 キッチンからうまそうな匂いがリビングに流れ込んできて、生徒たちのお腹がグーグー鳴った。

 「今日は天気がいいからテラスでデイナーだ」

 おじさんがエプロンを掛けたままキッチンから出てきて、庭に張り出したテラスに置かれた大きなテーブルに、取り皿を並べ始めた。

 

 生徒たちも手伝ってナイフやフォークやお箸をテーブル・クロスの上に並べた。

 おばさんが、料理を盛り付けた大皿をいくつも運んできて、テーブルに並べた。

 

 みんなが料理を見て歓声を上げた。

 咲良が料理のメニューや作り方も教えてとせがんだ。

 

 おばさんはエプロンで手を拭きながら、「カレル家の本日のメニューよ」と言って献立を紹介してくれた。

・・・これはね、カレルおじさんが買ってきてくれたイベリコ豚を、熱い大判のフライパンで皮ぱりぱりにソテーしたの。 

 とろとろのバルサミコ・ソースをたっぷり掛けてメイン・デイッシュのできあがり。 

 バルサミコ・ソースが薄いときにはプラムをつぶして混ぜるととろとろになるわよ。

 サイドに蒸し上げた春キャベツをいっぱい添えてと・・・キャベツは今が旬でとても美味しいの。

 

 それと、今朝、不思議なことが起こったのよ。

 

 朝まだ暗い中からブー太郎があんまり吠えるので、散歩に連れて行ったの。そしたらブー太郎が私を力ずくで、山の方に引っ張っていくの。

 行き着いた先はおじさんが大事に手入れしている竹藪畑。前足で土を掘り出したので、うんこでもするのかなと思ってよく見たら・・・違うの。

 土が盛り上がってるのを教えてくれたのよ! 

 なんてこと、季節外れなのに、まるでみんなの到着に合わせたみたいに、大ぶりで、真っ白なタケノコが六つも採れたわ。

 すぐに茹で上げておいた朝堀の白子を、バターとオリーブ・オイルで焼き上げたの。

 それにマーマレードとお酒とお醤油に木の芽を刻み込んだ特製たれを絡めて出来上がり。

 

 カレル家の旬の逸品よ!

 ブー太郎にお礼を言って、あつあつご飯で召し上がれ!・・・

 ドームの世界ではお目にかかれない山盛りの料理を目の前にして、生徒たちのお腹がまたグーッと鳴った。

 

 (続く)

続きを読んでくださいね。

この世の果ての中学校 2章「リアルの世界は一度逝ったら戻れない(中編)

 

 

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競泳はセーヌ川! マラソンは炎天下! 1900年パリ五輪は万博の付録だった?

1900年、日本では鹿鳴館が華やかにその姿を現した明治33年、パリでは万国博覧会が開催されていました。

エッフェル塔が建てられ、街には地下鉄が走り、4700万人の人々がパリに詰めかけます。

その年、パリではなんと第二回近代オリンピックが万博と同時に開催されていたのです。

 

パリかアテネか? オリンピック開催地を巡るクーベルタンとギリシャ王たちの争い!

 

第一回近代オリンピックは、1896年にアテネで行われ、厳しい財政の中にもかかわらず大成功を収め、ギリシャは大きな名声を勝ち取りました。

ギリシャの王ゲオルギオス一世はオリンピックは自分たちの国技であり、永遠にギリシャのアテネで行われるべきであると主張します。

 

しかし、IOCは、開かれた近代オリンピックは毎年異なる場所で行うべきであると宣言して、ギリシャの猛反対にもかかわらず第2回大会をパリで開催することを決めました。

オリンピックの提唱者であったクーベルタン男爵は、オリンピックは平和の精神に基づき、世界に開かれたスポーツであるべきだという理念の持ち主でした。オリンピックは世界のすべての国が順番に開催するべきものであると。

 

(クーベルタン男爵)

もともと、フランス人であったクーベルタン男爵は、第一回近代オリンピックを自国のフランス・パリで開催したいという考えを持っていたといわれています。

 

クーベルタンは1894年にパリで行われた万国博覧会のとき、欧米各国のスポーツ関係者を集めた国際会議を開いて、第一回近代オリンピックをパリで開催する構想を提案します。

これに反対したのが後にIOC国際オリンピック委員会の初代会長となったディミトリウス・ヴィケラスというギリシャの財界人です。

 

彼は第一回近代オリンピックはオリンピック発祥の地であるギリシャで開催するべきであるという意見の持ち主でした。

会議では討議が続きますが、ヴィケラスの説得により、第一回オリンピックはギリシャのアテネで二年後の1896年に開かれることになり、彼は発足したIOCの初代会長に就任します。

 

IOC会長は次期開催地から選ばれるべきであるという考えに基づくものでした。

第一回近代オリンピックがアテネで無事終了しますと、クーベルタン男爵は、さっそく第二回近代オリンピックをパリで開催するための準備を開始します。

 

アテネ大会が終わるや否や、彼はIOCの2代目の会長に就任しました。

もともとオリンピックの提唱者であるクーベルタン男爵がIOC会長に就任することで、次回の開催をフランスのパリで行うことを決定的にしたのです。

 

IOC初代会長:デイミトリウス・ヴィケラス 

       ギリシャ 1894~1896

IOC第二代会長:ピエール・ド・クーベルタン男爵

       フランス 1896~1925

 

アテネ・オリンピック開催の年、1896年に会長が入れ替わりました。

オリンピックが終了した年の年内に、早くもクーベルタン男爵が次の会長に就任しているのです。

一方、資金集めに奔走して、第一回アテネ・オリンピックを成功に導いたギリシャの王ゲオルギオス一世は、オリンピックは古代オリンピックが行われたギリシャ固有のものであり、永遠にギリシャで開催されるべきであると主張していました。

 

見解も利害も対立するクーベルタン男爵とゲオルギオス一世の間には、第二回開催地を巡って激しい確執があったと思われます。

ギリシャの王の強い反対にもかかわらず、第二回近代オリンピックは、クーベルタンの生まれ故郷、フランスのパリで1900年に開催されることになりました。

 

ところが驚いたことに、パリでは1900年に国際博覧会(万博)を開催する計画が進んでいたのです。

万博と、オリンピックという二つの世界規模のイベントが同じ年に同じ街で計画されたことになります。

 

現在ではとても考えられないことです。

じつは、博覧会の歴史は近代オリンピックよりも相当古く、パリだけでもそれまでに四回の国際博が実施されていました。

 

そのうえ、1900年は19世紀最後の年であり、国際博覧会としても新しい世紀へとつなぐ重要な役割を持っていたのです。

パリでは、世紀の変わり目にあたり、フランスの芸術性を表現したコンセプトをベースに、史上最大規模の博覧会が計画されていました。

 

その結果、万博と五輪はそれぞれ独立したプロジェクトとして運営されるのではなく、オリンピックは「万国博の付属国際競技大会」として実施されることになったのです。

 

近代オリンピックは、まだまだスタートしたばかりの黎明期にあたり、国際博覧会に付属した競技大会として併催されました。

その運営はたいへんな混乱の中で行われることになります。

パリは大混乱/オリンピックの水泳はセーヌ川で行われた!

さて、1900年パリ万博は4月14日から11月12日まで半年以上にわたって行われ、4800万人という博覧会史上最多の来場者をパリに集めました。

万博会場はエッフェル塔がそびえるパリの中心部、セーヌ川を挟んだ二つのエリアで開催されています。

エッフェル塔、セーヌ川を含む万博会場のパノラマ図

(ウイキペデイアより)

 

一方、併催されたオリンピックは5月20日に開会式が行われ、10月28日に閉会式が行われました。

パリオリンピックは5ヶ月という長期にわたって、混雑を極めたパリ万博と共に実施されているのです。

 

競技数が増え、参加国が増えた現在でも夏季オリンピックの競技はコンパクトに16日以内で行うことになっています。

開催が5ヶ月間に分散していたパリでは、競技の運営は大変困難で、現場は混乱を極めたようです。

 

ところで、水泳競技はパリのどこで行われたと思いますか?

アテネオリンピックの水泳競技は、港町ピレウスのゼーアという湾で行われましたが、パリには海はないのでパリの街中を流れるセーヌ川で実施されました。

 

自由形は三種目に増え、200m、1000m、4000m それに200m背泳ぎなどが加わっています。

アテネでは自由形は平泳ぎがメインでしたが、パリでは背泳ぎが自由型から分離されています。

 

平泳ぎを裏返して始まった新しい泳法の背泳ぎは、平泳ぎよりスピードが出るので、自由形から分離して、別の競技にしたのです。

自由形が形にとらわれないで、スピードを競うのであれば、逆に平泳ぎを分離して独立するべきだと思われますが・・。

 

競泳の関係者は、伝統ある平泳ぎをメインの泳法として大事にしたくて、自由形に残したのだといわれています。

ところでパリを流れるセーヌ川は、ヨーロッパの上流から水を集めて、ゆったり流れる大河です。

 

大会の関係者は大河の中にどんなコースを作ったのでしょうか?

 

フレデリック・レーン200m自由形、200m障害優勝(ウイキペデイア)

この写真の水泳選手は200m自由形に優勝したオーストラリアのフレデリック・レーンです。

レース直後か直前の写真と思われますが、となりの男がフレデリックの肩に手をかけて、優勝を祝福しているようにも見えます。

 

フレデリックは自信たっぷりの様子です。

ウイキペデイアによれば、レースはセーヌ川の川上から川下に向かって行われたと伝えています。

陸上競技では「追い風3m」とかいいますが、追い風が強いと、公式記録としては認められません。

 

セーヌ川では追い風どころが、水そのものが動いているのですから、とんでもなく早い記録が出たようです。

これでは参考記録にもならなかったでしょう。

 

日本の逸話に「河童の川流れ」という言葉があります。

いくら泳ぎが上手な河童でも、「速い流れの川では流されてしまうので気をつけろ」という警句です。

 

セーヌ川は落差が少なくて、流れもゆったりしているように見えますが、水量も多くて選手は大変だったことでしょう。

 

ところで、写真のフレデリックは200m障害にも優勝したと記録されていますので「水泳選手が陸上の障害レースにも出場したのか?」と驚いて調べたら、全くの勘違いでした。

 

水泳競技になんと、障害レースが新設されていたのです。

セーヌ川の中にどんな障害物を設けたのでしょう?

 

このとき、セーヌ川の両岸の万博会場を結んで、アレキサンドル三世橋が記念に架けられた(前掲のパノラマ写真に工事中の橋の写真が写っています)ということですから、新しい橋桁のまわりを泳いで何周もしたのでしょうか。

どうやらそうではなくて、セーヌ川に浮かぶものは何でも障害物にしたのです。

 

浮かんでいるボートや、水面に突き出しているポール、それに小さな船、何でも障害物だったとされています。

 

パリの次に行われた米国セントルイス・オリンピックの競泳記録を調べてみましたが、障害レースの記録はありません。

 

競泳の障害レースは一体どんな目的で設けられたのでしょうか?

おそらく観客を喜ばすためのショー・イベントだったと思われます。

 

パリ・オリンピックでは、これ以外にもオリンピック史上一度きりで終わった種目がいっぱいあります。

 

面白い競技としては、「綱引き」があります。

綱引きはスポーツ種目として許容範囲内でしょうが・・「凧揚げ」に「魚釣り」まで実施したと記録に残っています。

 

古代ギリシャのオリンピック選手が、もしもパリにやって来て、オリンピック選手が凧揚げや魚釣りをしているのを見たら、大笑いしたことでしょう。

 

鳩を打ち落とす射撃競技から伝書鳩競技、熱気球の競争まで行われました。

 

日経BPの記事で、国際オリンピック史学会の元会長ビル・ロマン氏の言葉を紹介しています。 

「1990年のパリ・オリンピックは空前絶後の数の公開競技が実施されたがその好例が熱気球レースである。あまりにも多くのイベントが開催され、どれがオリンピック種目か判断できないほどだった」と。

 

 

万博のイベントなのか、オリンピック競技なのか、観客にも区別がつかなかったのです。

まるでパリの夏祭りじゃありませんか?

 

オリンピックが万博の共催イベントとして方々で分散して開催されたために、IOCやクーベルタン男爵(IOC会長)のコントロールも陸上競技で精一杯で、そのほかの競技までは行き届かなかったのでしょう。

 

水泳競技に話を戻しますと、オリンピックの歴史上、いつ頃から競泳が海や川ではなくて、正式の競技プールで行われるようになったのでしょうか。

1904年の第三回オリンピックはセントルイスで行われましたが、水泳競技は人造湖が会場だったと記されています。

 

第四回ロンドンオリンピックではじめて競泳用のプールが作られていました。

なんと、陸上競技場のフィールドに100mプールが設けられたのです。

観客は陸上と水泳の両方の競技を一度に見ることができたのですね。

 

このとき、競泳の自由形では、平泳ぎではなくて、クロールがメインな泳法になっています。

自由形は高速泳法のクロールの時代に移り、平泳ぎは独立した種目として別立てにされました。

 

オリンピックの水泳会場は・・アテネの海から、セーヌ川、セントルイスの人造湖、ロンドンの競泳用のプール・・と、新しい泳法の出現と共にその形を変えていったのです。

 

話を戻して1900年のパリでは、万博で混雑する中、陸上の花形・マラソンはどのように行われたのでしょうか?

マラソンは炎天下のパリで行われ、脱落選手が続出した!

マラソンは1900年の夏、7月19日午後の2時半にスタートして、選手はパリ市街の40.26kmのコースを走りました。

 

その時の様子が「The Sankei News」のサイトに出ていました。

記事によれば、科学誌「ジャーナル・オブ・スポーツサイエンス」のデータを元にして過去のオリンピック・マラソンを調べた結果、1990年のパリオリンピックが、五輪史上もっとも過酷なレ-スだったと結論づけています。

 

その日、気温は35~39度まで上がり、半数を超える選手が体力を使い果たして、途中で棄権しています。

優勝はミッシェル・テアトというフランスの選手で、記録は2時間59分45秒でした。

 

彼はパリのパン職人で、パリの裏通りをよく知っていて、途中で近道をしたのではないかと、一部の選手からクレームがついたそうです。

それにしても、選手がコースから外れたら、沿道の観客や警備員から注意される筈ですよね。

 

ということは、このときのマラソンは、沿道にロープが張られたり、観客が整然と応援していたりと言った風景はなかったということになります。

沿道に観客はいなかったのでしょうか?

 

マラソン選手がコースを走っている一枚のピンぼけ写真が見つかりました。

1900年パリ・マラソンと書いてあります。

 

これは先頭集団でしょうか?

 

選手三人を囲んで、観客?が自転車で走っています。

右後ろの自転車には、関係者を示す腕章らしいものを付けた男がいます。

 

これだけ自転車に囲まれていては、選手はとても走りにくそうです。

コース管理が行き届いていたとはとても思えません。

 

三人の先頭を走る縞模様のシャツの男は、優勝したミッシェル・テアトでしょうか?

優勝したテアトの写真では彼は縞模様のシャツを着ています。

 

こちらもピンぼけ写真なので、同一人物かどうか判別できません。

いずれにしてもテアトのマラソン記録は公式記録として現在も認められているのです。

 

スですから、もともとコースの管理がたいへんです。

そのうえ、万博との併催でしたから、競技の管理も混乱を来したのでしょう。

 

ゲオルギオスの執念/アテネに再びオリンピックを!

ヨーロッパのパリを離れて、アメリカ大陸に渡ったオリンピックは、セントルイスから再びヨーロッパに戻り、英国のロンドンで第三回大会が開催されることになりました。

 

IOC国際オリンピック委員会はクーベルタン男爵の提唱の元に、1894年の会議で「オリンピックは世界の国が持ち回りで開催し、四年に一度行われるものとする」ことに決めていました。

オリンピックがオリンピック発祥の地、アテネに戻る気配はありませんでした。

 

その頃、アテネでは、ギリシャ経済の復興に力を入れたギリシャの王ギオルギオス一世が、かっての執念を燃やし続けていました。

(ゲオルギオス一世)

「オリンピックはギリシャ固有の祭典であり、永遠にアテネで開催されべきである」と主張していたのです。

ギリシャの王ゲオルギオスは、一計を案じます。

 

四年に一度、持ち回りで行う世界に開かれたオリンピックなら、その真ん中の年には原点に戻り、オリンピックの発祥の地ギリシャのアテネで開催されるべきである、と世界に訴えたのです。

もちろん冬のオリンピックではなくて、夏期オリンピックのことです。

 

そしてこの訴えは1906年に「幻のオリンピック」としてアテネで実現されることになります。

 

   (続く)

 

アテネで行われた第一回近代オリンピックについては、下記の記事をご覧ください。

マラソン優勝賞品はロバ一頭/水泳は海の中/第一回 近代オリンピックは貧乏だった!