いつもの教室、いつもの金曜日の朝のことだ。
”ドスン!”
担任のハル先生を囲んでお喋りをしていたら、黒板の前に白い閃光が走って、一人の男が空中から落ちてきた。
「あ、痛て―!」
腰をなでながら立ち上がった男がこちらを向いた。
ひょろりと背が高く、やせぎすで、顔に黒い仮面をかぶっている。
男は、ハル先生に向かって「ハーイ!」と手を振ると、背中に担いできたでっかいタイム・トラベル時計を講義用のデスクにどんと置いた。
「ワオ! ご紹介しよう、時空を彷徨う僕らのレジェンド!虚構の手品師のご帰還だよ!」
顔見知りのペトロが立ち上がって紹介すると・・・生徒たちも、椅子から立ち上がって大きな拍手で出迎える。
手品師の仮面が歪んで、一瞬、笑ったように見えた。笑ったように見えたのは喋ろうとして口を小さく開いたからだ。
「ペトロ!“虚構の手品師”と紹介してくれてありがとう。そのネーミング、マジ気に入ったぜい!」と答える手品師。
「虚構の手品師さんとやら、おかえりなさい。いきなり教室に呼び戻してすみません」
手品師に一言詫びると、ハル先生が教壇に立った。
・・・皆さん、虚構の手品師はよくご存じですよね。タイムトラベルでいつもお世話になっている先生です。
今日は、先生にお願いをして、私たちの未来を見に行きたいと思います。
みんなの未来計画、ダーク・プロジェクトについての事前視察です!
みんなのダーク・プロジェクトを量子パソコンでシミュレーションしてみたのですが、計算が不可能で、結末も予測できないので・・・ハル先生、どうしようかと悩んでいます。
もしかして、計画が宇宙の法則からはみ出してるんじゃないかと思うの。
それで、手品師の先生にお願いして、プロジェクトの結末を見てみようと思いついたのです。
でも、手品師の先生によれば、未来へのタイムトラベルは危険がつきものだそうです。
いまから、先生のお話をよく聞いて、参加するかどうかを自分で判断して下さいね。
それでは、手品師の先生、よろしくお願いします・・・
ハル先生がどうぞと促して、手品師が壇上に上がった。
・・・つい、先ほどのことだよ。
久しぶりに200年前のバルセロナの旧市街で古書をあさっていたら、突然、ハル先生から緊急連絡が入った。
ダーク・プロジェクトの計画が、宇宙の法則からはみ出してるんじゃないかとハル先生が言ってる。
平たく言えば、みんなの計画は自然の摂理に対して不遜で、未来はデインジャラスということになる。
で、慌てて過去から戻ってきたって訳だ。
過去への旅は歴史の記録である程度の予測ができるが、未来への旅は予測不可能で命がけだといっておく。
ところで匠! ハル先生から信じられない報告を聞いた。天上の会議場の話だ。
大長老とかの話だと、天上の会議場で決めたことが自然の摂理になるのだとか?
とても信じられない話だが・・・匠の経験が現実のもので、ハル先生の宇宙の法則によるシミュレーションが予測不可能なら、惑星融合計画は宇宙のルールである神の摂理からも逸脱していることになる・・・。
手品師の暗い目の奥がぎらりと光った。
・・・つまりだ、神の怒りで、プロジェクトは失敗するということだ。
いいかえれば、いまの計画では、二つの惑星は融合ではなくて、爆発する可能性が高い。
みんなも知っていると思うが、ダークマターとダークエネルギーは、この宇宙の誕生にかかわる未知のもので、人類がうかつに手を出してはいけない科学の聖域といわれている。
いいかえれば、このタイムトラベルは惑星同士の激突に遭遇して、無事に帰還できるかどうか、一切の責任を持てないということになる。
で、どうだ? この話を聞いても、まだ、未来を確かめに行きたいというクレージーな・・・おっと、勇敢な生徒はいるのかな・・・
手品師の仮面がすこし崩れて、あざ笑っているようにも、やさしく誘っているようにも見える。
「なにが起こるのかどうしても見てみたい!」
咲良とエーヴァが顔を見合わせながらゆっくり手を上げた。
「ウーン、未来なんか見ない方がいい」
マリエが下を向いて呟いた。しばらく考えて、手品師に向かって言った。
「怖いから見たくない。でもみんなで行くのなら怖くない」
「分かった、それじゃこうしよう。今から男子抜きで、ハル先生を入れて、選抜チーム・花の4人組で未来視察に出かけることにする」
手品師が言い終わるのを待たずに、匠が勢いよく右手を突き上げた。
「手品師のおじさん! 待ってよ、天上の話は夢なんかじゃない、あれは現実だよ。緑の惑星の小さなボブとの約束なんだ。僕も未来を確かめに行く!」
「いいの? 発案者の ペトロ君に、生徒会長の裕大さん! 二人とも教室においていくわよ?」
年長の咲良が二人を振り向いてほざいた。
裕大とペトロが顔を見合わせた。
それからあわてて手を上げた。
にやりと笑った虚構の手品師が、6人の生徒達に椅子から立ち上がるように促した。
・・・君たち6人にはいまから教室の窓際の席に移ってもらう。
タイムスリップは安全のためにこの教室丸ごとで移動するから、窓際が特等席だ。
視察の目標の時間はプロジェクト予定日の2093年3月1日の水曜日だ。
ペトロ、予定はこの日で正しいのかな・・・
「あくまで、現在から最短でのスケジュールですが・・・」とペトロが答える。
・・・それでは、視察先の月日は3月1日からプロジェクトの結末が判明する日時までとする。
目的地は地球の東京、巨大ドームとその上空。つまりこの中学校とその上空だ。
惑星がうまく融合するかどうか、結末をこの教室の窓から視察することになる。
よく聞いてほしい! 教室から窓の外へは何があっても出ないと約束してくれ!
窓の外側に、”次元の結界”を設けておくが、窓から手や顔を出すことを厳禁する。
視察は未来を覗き見するだけだ。
間違って結界の外にはみ出した手や顔は未来の一部になる。
君たちの体には二度と戻ってこないと覚悟しろ!・・・
生徒たちには、手品師の能面が期待と不安が交錯したような表情に見える。
六人の生徒たちの期待と不安が手品師の仮面に写し出されているからだ。
「みんな、覚悟はできた?」
ハル先生が立ち上がって、校庭の見える窓際の席に移った。
生徒たちがハル先生を挟んで窓際の席で身を寄せ合う。
手品師が話を続ける。
・・・みんな、いまから起こることは少々不気味だが、騒ぐんじゃないぞ。
じつは、長年積み重ねたタイム・トラベルが原因となって、この仮面の裏側が、直接、小さな時空のブラックホールにつながってしまったんだ。
つまり、未来は虚構の手品師の仮面の奥深くに存在するということだ。
準備はOKかな?
それでは虚構の手品の始まりだ。
私の素顔をご覧に入れよう・・・
手品師の両手が静かに仮面に動き、耳のあたりをつかんで顔から外した。
「ぎゃー!」
手品師の横に座っていた匠が悲鳴を上げた。
“仮面の下にはあるべき物が何も無かった”
そこには、目や鼻や口は無く、あるべきところに、えぐり取られたように深い暗黒が広がっていた。
「騒ぐな、匠! 本番はこれからだ。裕大もペトロも、咲良もエーヴァもマリエも、覚悟を決めたはずだ。あわてないでゆっくり目をつぶって、動くんじゃないぞ!」
・・・そーら、暗闇がやって来た・・・
手品師の声が暗黒のなかから優しく話しかける。
仮面のあったところから深い闇がにじみ出してきた。
小さなブラックホールが、時空の地平線を広げ、じわりと教室を飲みこんだ。
教室と共に飲み込まれた7つの人影は無限に圧縮され、時空の特異点に向かってゆっくりと落ちていく。
教室のあった空間は無となり、生徒達の悲鳴だけが響いた。
・・・「ココどこ?」
マリエの声が闇に響き、未来の時空に反転した教室がゆるやかに元の姿を取り戻した。
窓の外も教室の中も闇、闇、闇が続き、教室のデスクに置かれたトラベル時計の文字盤だけが暗闇に輝いた。
「2093.2.10」→ 「2.20」→ 「2.25」→ 「2.27」
目を覚ました咲良とエーヴァがタイムトラベルウオッチの文字盤に現れる数字を読み上げていく。
ダーク・プロジェクトの予定日「3.01」が近づいてきた。
「ペトロ! 来るぞ! ボブの惑星が来るぞ!」
匠の声が闇に響く。
「来い!来い! 頼むよ、そっと来てくれ!」
ペトロが、教室の窓から暗闇に叫んだ。
「神様お願い!どうぞ成功させてください」
マリエの祈る声が聞こえる。
2093.3.01
窓の外に一瞬、巨大な閃光が走った。
生徒達は思わず目を閉じて顔を伏せた。
眼を開いたときには、光は消え失せ、闇が戻った。
文字盤の数字が飛ぶように過ぎ去っていく。
「3.02」 →「3.03」→「3.04 」→「3.10」→「4.01」→「7.23 」
6人の生徒たちとハル先生が眺める窓の外には校庭の姿は無く、ただ薄い暗闇が広がるだけ。
「あーっ!」
窓の外を眺めていたハル先生が悲鳴を上げた。
そして、あわてて手で口を抑えた。
「ハル先生どうしたの?」マリエが先生の顔を覗き込む。
「マリエ、何でもない。でもなんだか未来の校庭は埃っぽいみたいで・・・やだね」
・・・ハル先生が何か隠してる。この態度おかしい・・・
マリエは窓の外を穴の開くほど、眺めた。
暗闇以外、校庭も、埃も、何も見えなかった。
「世界はどこへ行った?」
ペトロの心臓が高鳴って、ぎゅっと縮んだ。
「速度 10分の1!」
手品師の声が、普段の一オクターブは高い。
そのうえ、震えていた。
8.01 → 8.02 → 8.03
時間はゆったりと流れていく。
窓の外には、校庭も、教会のある小高い丘も、緑の惑星の広場も、ボブやクレアの姿も・・・星のかけらもなかった。
窓ガラスの向こうには 暗闇だけがどこまでも広がっていた。
突然、デスクに置かれた手品師の仮面を赤い一筋の光が切り裂いた。
仮面で反射した光はトラベル時計の表示板を舐めた。
デスクの上に置かれた時計の表示がねじを巻かれたように一気に動いた。
2100→2110→2150
遠い世界の数字が跳びはねている。
最期に、数字が消え表示板が白く輝いた。
薄い闇が教室にまで侵入してきて、みんなの顔が見えない。
窓の外では漆黒の闇が永遠の時を過ごしていた。
時の最果てに広がる闇の世界はとてつもなく美しかった。
闇が遠くで小さく揺らぎ、ペトロを「ペトロ」と呼んだ。
匠には「またきたのか・・・匠」と聞こえた。
マリエには「よく来たマリエ」と聞こえた。
ハルは「おまえはいったいなにものだ?」と聞かれた。
咲良とエーヴァと裕大には「宇宙のカオスへようこそ!」と聞こえた。
真っ赤な一筋の光が教室に差し込んで、ペトロの顔を斜めに走った。
光は確かめるようにちらちらとペトロの神経細胞を調べた。
「ペトロか! よく聞け! 聖域を越えてはだめだ!」
光がそう囁いて、ペトロのシノプスが反応して騒いだ。
「これなんの光? 君はどこから来たの?」
ペトロの手が教室の窓を開け、光の正体をつかもうと結界の外に顔を出した。
ペトロの顔が風になびくように闇に揺れ、輪郭を崩し始めた。
「止めろペトロ! 危ない!」
後ろから、大きな手が伸びてペトロの肩をがっちりと掴み、教室の中に引きずり戻した。
ペトロの頬に虚構の手品師の右手が激しく飛ぶ。
「痛エッ!」
叫んだペトロの歪んだ顔が形を取り戻していった。
”全員窓から離れろ! ここは危険だ。直ちに帰還する!”
手品師の叫ぶ声が教室に反響した。
トラベル時計に再び数字が現れ、現在に向かって勢いよく巻き戻されていった。
数字の流れが止まり、窓の外に校庭がいつもの姿を現した。
虚構の手品師が、ゆっくりと教壇に上り、電子黒板に二つの文字を書いた。
「破滅」
生徒たちはその場で凍り付き、ハル先生の膝の上から大事なナノコンが転がり落ちた。
手品師は生徒たちを電子ボードの前に呼び集めた。
・・・未来に起こりうる結末は、起こりうる事実として正直に告げなければならないと思う。
トラベル時計のスピードが早すぎて、君たちには暗闇にしか見えなかったかもしれないが、私にはその瞬間がかすかに見えた。
ハル先生の目からは、その時の映像が捉えられてナノコンに記録されているはずだ。
ハル先生!そのときの様子を、通常の速さで電子ボードに映し出していただけますか?・・・
ハル先生は床からナノコンを拾い上げると、無言で壇上に近づいた。
そして、記録された映像データを、電子ボードの黒板いっぱいに映し出していった。
【データ解析映像】
対象:2093.3.01 12:00 地球・ドーム中学校・上空
撮影: HARU
緑色をした惑星が猛烈なスピードでドームの上空に向かって接近して来る。
いきなり、惑星の手前前方に無数の白く光る筋が走った。
ハル先生がナノコンのキーボードを激しく叩き、テンポを落とし、映像をアップする。
白い筋に見えたのは小型のミサイルのような大量の飛翔体で、宇宙空間で次々に爆発を起こして、粉々に飛び散った。
飛び散った粉塵が緑の惑星に小さな手を無数に伸ばして、地球に近づくのを押しとどめているように見える。
惑星と地球は大量の粉塵に押しとどめられて、接近する速度を落として近づき、ついに小さな接点を作りだした。
接点は校庭の上空だった。
惑星に吹き荒れる嵐と、地球の気流が激しくぶつかり、よじれ、二つの惑星の地表がくぼみ、山が吹き飛んだ。
緑の惑星はバウンドをして一度、地球を離れた。
離れた惑星が地球の引力に引き留められ、また地球に向かってきた。
二つの惑星はバウンドを繰り返した。
そして、たまりかねた様に地球の大地が裂け、マグマが噴出した。
【データ解析映像】
対象:2093.3.01 12:10 地球・ドーム下 地殻
撮影: HARU
詳細:内部で核分裂→核爆発に誘導 小さな核爆発→巨大核爆発
・・・生徒たちの上げる悲鳴が教室に響いた・・・
電子ボードに映る二つの惑星は、無数の小さな塊となってばらばらに飛び散って、宇宙に姿を消した。
生徒たちは息を潜めて、手品師の宣告を待った。
「爆発のあとには大量の宇宙塵が浮遊した。君たちには宇宙は薄い暗闇として見えたはずだ。結論をいおう」
・・・残念だが君たちの計画は失敗する。君たちが見た埃だらけの世界こそ“この世の果ての中学校”そのものだ・・・
生徒たちはがっくりと肩を落とした。
「バタン!」
教室のドアが乱暴に開いて、カレル教授が飛びこんできた。
「何事だ!」
うつむいている生徒たちを見回してから、黒板の電子ボードに目をやり、文字を読み上げた。
「破滅?」
手品師が肩をすくめて、両の掌を上に向ける。
それから手短に報告をした。
「何だ、君たちはその程度の失敗で落ち込んでるのか!」
カレル先生は大声を張り上げ、愛用のハットを振り回す。
・・・君たちは、手品師の先生のおかげで計画を修正する大事なチャンスをもらったんじゃないか。
何をしてるんだ! 手品師に感謝をして新しい計画を立てるんだ。さっさと始めなさい!・・・
カレル教授はハットを斜めに被り直し、ハル先生と手品師を呼んで、何ごとか話し合いながら三人で教室から出て行った。
(続く)
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この世の果ての中学校27章“詐欺師ホワイトスモーキーが天上の秘密を漏らした”
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