この世の果ての中学校24章 “天上の会議場と詐欺師ホワイトスモーキー”

 匠は「アスリートの守り神 地球より来たる」と大嘘を名乗って天上の会議場に潜り込んだ。そこでは宇宙に生きるあらゆる種の「守り神」が集まって緊急会議を催していた。討議は終わり、長老会の結論が出るまでの間、場内の方々で命の守り神が話し合う言葉が飛び交っていた。

前回のストトーリーはここからどうぞ。

この世の果ての中学校23章“匠は開かずの扉を開けて守り神の大会に迷い込んだ”

“天上の会議場と詐欺師ホワイトスモーキー”

会議場は、議事堂と裁判所を兼ねた構造で、正面には一段高くなった席が横に一列並んでいる。そこは長老たちの座る席でいまは誰もいない。

 長老席の前から左右に二列の長い会議用テーブルが後方に伸びて、最後尾は凹型になって繋がっている。

 前方には白い法衣を身に纏った判事や弁護士や検事たちが礼儀正しく座っている。

 彼らの姿は人間に似ているが、正体は定かでなかった。

 種の守り神でない彼らは、中立の立場を示すために、常に形が少しずつ変化して、違う種の姿に移っていく。

 長いテーブルの後方には、絶滅寸前の動物達の守り神や、生き残っている植物や昆虫の守り神、遠い宇宙からやってきた生き物の代表が会議に緊急招集されていた。

 守り神と呼ばれる彼らは、むかしは会議場に溢れるほどの数で埋め尽くされていたが、今は空席が目立っている。

 

 会議は休憩中で、守り神たちはお喋りに忙しかった。匠は騒々しい後方の集団に何気なく近づき、空いている席を見つけて腰を下ろした。

 守り神達は、迷彩服を着た小さな匠になんの関心も示さなかった。
 
 どんどん!・・・木槌を叩く音が部屋中に響き渡る。

 会議場の奥から数人の長老が現れ、一段高い席に腰を下ろした。

 場内が静まるのを待って、ひときわ目立つ赤い髪の男が、一枚の書類で顔を隠して立ち上がった。

 ゆっくりと書類を顔から外した男の顔は太陽のように輝き、その光は会議場の隅々を照らし出した。

 しわぶきを一つすると長老は書類を読み上げる。

 その声は朗々と会議場に響き渡った。
      
「本日の会議のテーマに鑑み、人類の言葉で長老会の結論を申し上げる」

 ひとーつ、緑の守り神が人類の守り神も兼ねるという緑の守り神の申し出は受け入れがたい。守り神は二つの種の守り神を兼ねることは出来ない。 

 ふたつ、しかしながら人類の子どもたちのひたむきな努力を尊重して、緑の第三惑星がここ歪みの中を通過して地球に向かうことを許可する。

 

 みっつ、神々は余計な手を出さず、人類の子どもたちの知恵と努力次第として、その結果を見守ることとする。

 

 大長老は長老会の結論を伝え終えた。

「以上だ! 緑の守り神殿! 提案者としてのご意見があれば申し述べられよ!」

 

 緑色の手足に、緑色の髪の毛、緑の肌の顔を持った男が前方のテーブル席から立ち上がり、最長老に向かって恭しく一礼をした。

「大長老どの、長老会の結論、緑の守り神謹んでお受けいたします」

 

 匠は最後尾のテーブルから首を伸ばして声の主を確認した。

・・・あの男だ。間違いない。ハンモックで寝ていた僕を踏んづけていった緑の怪物だ。

 ボブとクレアが会った風の怪物が緑の守り神だ。

 二人の頼みを聞いて緊急の天上会議を開いてくれたんだ・・・

 
 議長席で立ち上がっている大長老の光り輝く目が、出席者の全員を睨み付けていく。

「何度も会議で申し上げておることだが、ここで繰り返し申し上げる。天上の会議で一度決めたことは決して変えられない、永遠にだ。なぜならそれが宇宙の意志だからだ。宇宙の意志には揺らぎがない。それは常に真理だからだ」

「どんどん!」

閉会の木槌が打ち鳴らされ、全員が立ち上がって大長老に顔を向けた。匠も慌てて立ち上がったが、大長老の放つ光がまぶしくて手で顔を隠してしまった。

 

そのときだった。大長老の声が会議場に鳴り響いた。

「天上の会議に生き物が紛れ込んでおる! 一人だけ顔を隠しておる。ほれ!そこにおる」

 大長老の長い指が匠を指し示していた。

 匠を除く種の守り神は、全員が大長老の光る顔を正視することが出来たのだ。

 “生き人は中身を抜き取られますよ!” 

 白い煙の忠告を思い出した匠はあわててリュックを担ぎ上げ、扉に向かって走った。

 

「掴まえろ! 身の皮をはげ」

 部屋の四隅から黒い衛兵がばらばらと現れ、口々に叫ぶ。

 扉の手前で黒い衛兵が二人、両側から匠に追いつき襲いかかった。

 匠はその場でジャンプして両足で左右斜めに同時蹴りを入れる。

 一人は顔を押さえ、もう一人は急所を押さえて床に倒れ込んだ。

「出口をふさげ! 扉を入れ替えろ!」

 倒れた衛兵が、呻きながら叫んだ。

 匠はNO.3 の扉に走り、ドアノブに飛びついた。

 手前に引っ張って、開けようとしたがびくともしない。

 扉は既に入れ替えられていた。

 

「早く! こちらです」

 隣の扉 NO.4が外から開いて、白い煙が顔を覗かせ、匠に手招きをした。

 匠が扉の外に転がり出ると、煙は電子操作のマスター・キーを使って、5つの扉すべてを一気にロックしてしまった。

 部屋の内側から衛兵が扉を叩く音が聞こえた。

 

「扉はこの五つだけ、これでしばらく時間を稼げます」

 白い煙はにやりと笑うと、匠を先導して飛ぶように階段を下っていく。

 匠も五段飛びであとに続く。

 歪みの出はいり口に通じる部屋までやってくると、受付役が椅子に座り込んで、気持ちよさそうに居眠りをしていた。

 

「会議は終了いたしました。お急ぎのご様子なので、アスリートの守り神を出はいり口までご案内して参ります」

 煙が早口で受付役に報告した。

 受付役は眠そうな顔を上げて匠を確認すると、記帳簿を開いてアスリートの守り神のサインの上に大きくチョンと“お帰り”の印をつけた。

「お疲れ様でした!」

 一言、匠に出席の御礼を言うと、案内役はすぐに眠り込んでしまった。

 

「入るときはあんなにややこしいのに、帰るときは愛想なしだな」

 匠が白い煙に囁くと、煙はくすりと笑って匠に聞いてきた。

「それよりお連れする出口の位置を教えて下さいな」

 匠は立ち止まった。

 少し考えてから、二回頭を掻いた。

 

・・・まさか、まさか出入り口の場所を忘れたなんて言わないで下さい。

 二人とも取っ捕まってしまいます。あなたは中身を取られ、私はなけなしの皮を取られます。

 技を!アスリートの守り神の技で早く出入り口をみつけて下さい・・・

 

 階段の上から匠を探す衛兵の声が近づいてきた。

 匠は背中のリュックからスペース・ウエアを取り出すと、落ち着いた振りをして時間をかけて身につけた。

 それからやけくそになって口笛を吹き、ふてくされてポケットに両手を突っ込んだ。

 匠の左手が、なにかを包んだハンカチに触れた。そっとつかみ出してハンカチを開けて見ると、エーヴァにプレゼントする予定のハーフポーションの葉っぱが出てきた。

「なんだ! 鍵をお持ちじゃないですか!」

 煙が安心した様子で匠の次のアクションを待っている。

 匠は緑の守り神になったつもりで、掌を上に向けフーッと一拭きして葉っぱを宙に飛ばした。

 葉っぱは回転しながら宙を飛び、一点でピタリと静止した。匠が近づいて手で触れると、そこには透明な歪みの壁があった。

 

「そこですね、出口は!」

 白い煙が嬉しそうに揺れた。

 

「ここです」

 匠は大きく息を吸い込み、宙に浮かんだ葉っぱに向かって一気に息を吹きつけた。

 

「そーれ! お前の育った緑の森に帰ってけー!」

 匠が命じると、緑の葉っぱはゆっくりと回転を始めて、透明な壁に鋭い切り込みを入れていった。

 小さな暗い亀裂がぽつんと開いて、上下にツツーと拡がった。

 

「やったぜい!」

 匠は細長い穴に頭から飛びこんで、壁の外に転がり出した。

 後ろを振り向くと、亀裂の薄闇の中に煙が残っている。

 白い煙の一筋が寂しそうに揺れた。

 

「僕と一緒に来ないか?」

 歪みの外から匠が誘ってみた。

「エッ!一緒に行ってもいいのですか?」

 白い煙が喜んでくしゃくしゃに身体を縮めた。

 

「でも、君の中身はどうするの?」と匠が聞く。

「置いていきます。こんなチャンスは二度と来ません。いつか気が向いた時に中身を取り返しに戻ってきます」

 

 そう言って白い煙はひょいと壁の穴をくぐり抜けて天上の歪みから外に出てきた。煙の後ろで壁の穴が閉じていった。

 

 それまで宙を漂っていた緑の葉っぱが、故郷の惑星テラに向かって飛び立とうと身構えたとき、気がついた白い煙はそっと近づいて葉っぱを呑み込み、腹の中に仕舞い込んだ。

「つぎのために鍵はお預かりいたしました」煙が嬉しそうに揺れた。

 

「天上の証拠品、僕もひとかけらいただきまーす!」

 匠は壁の亀裂の痕から、透明な石のかけらを一つむしり取ってポケットに収めた。

 

「帰るぞ!」

 気合いを入れ直した匠は、白い煙を自分の宇宙服の中に押し込んだ。

 それから地球に向かって一直線に宇宙遊泳を開始した。

 

 旅の途中で緑の惑星テラ3のボブとクレアに匠がショートメールを送った。

「発見!驚かないで!緑の風のおじさんは本物の緑の守り神だったよ。詳細はあとで」
    

「元気な小僧だ!」

 天上の会議室で監視カメラを見ながら、大長老が大笑いをした。 

 

「詐欺師も逃がしてしまいました」

 衛兵の隊長が報告した。

「奴は長い間務めた。刑期は今日で終わりにしてやろう」

 

「そろそろ惑星テラに戻ります。子供たちのために、歪みの通行許可証を頂いて参ります」

 緑の守り神が大長老に挨拶をして席を立った。

 

・・・一度決めたことは永遠に変えられない。さ~て、人類の子どもたちのひたむきな努力が幸運に恵まれるように、俺たちも祈ろう・・・

 大長老は顔を真っ赤に輝かせると、緑の守り神とともに宇宙の果てに向かって祈った。

 

 匠は四つの昼と三つの夜を休みなしで泳ぎ抜いた。

 三っ目の夜、匠は宇宙のゴミの山に迷い込んでいた。微少な黒い物体が至る処に浮遊していてスペース・ウエアにぶつかり、匠の遊泳のスピードを落とした。

 ポケットに入れておいた歪みの壁の石が、黒い物体に反応して激しく動いた。匠の身体はゆっくりと回転しながら飛ばされていった。

「もうちょっとや、匠、頑張らんかい!」

 身体の中ではぐれ親父の声が匠を励ます。

 

 ドームの中、学校の校庭の中央に男が一人空を向いて立っている。

 しわだらけの絣の着物を身につけ、大きな下駄を履いて、木綿の手ぬぐいを首に巻いた無精ひげの男だ。

 匠の姿が夕陽の中に黒い点となって現れた。

 疲れきった匠はスピードを制御することができない。

 匠の身体はドームの天蓋を斜めに突っ切り、隕石のようにまっすぐ校庭に向かって落ちた。

 男は匠の着地点を目指して走り、足を踏ん張り、大きく両手を拡げる。

 落ちてきた匠の身体は逞しい男の腕でがっちりと受け止められた。

 

「ようやった。ようやった!

 はぐれ親父は匠を抱きかかえ、校舎に向かって歩き出す。

 教室で待ち構えていた5人の生徒たちが校庭にかけだしてきた。

 

「あとは頼むわ!」

 親父は裕大とペトロに匠を預けると、下駄の音を校庭に響かせて姿を消した。

 校門の前で匠のママが心配そうに待っていた。

「匠は大丈夫ですか?」小さな声でママが聞く。

「俺とお前の息子だ。一晩寝たら、元通りだ」とはぐれ親父が答えた。

 

 裕大とペトロが、両側から匠を抱きかかえるようにして、医務室に運びこんだ。

 埃だらけのスペース・ウエアを脱がして、匠の体をそっとベッドに横たえる。

 咲良とエーヴァとマリエが、眠り込んでいる匠に毛布を掛け、枕を首の下にそっと押し込んだ。

 それから五人は心配そうに匠を取り囲んだ。

 

 ベッドのそばで一筋の白い浮遊物体が心細げに揺らいでいた。

「あなたはなにもの?」エーヴァが煙を見つけて、そっと近づく。

 旅の間、匠に必死でしがみついていた白い煙は疲れきっていた。

 “煙”は目の前に柔らかそうなエーヴァの肩を見つけて、ここで一休みと決め込むと、断り無しにふわりと腰掛けた。

「きゃっ!」エーヴァの上げた悲鳴に、驚いた煙は宙に浮かんだ。

  横にいたマリエが素早く白い煙を掌に乗せた。

「白い煙さん、あなたはどこから飛んで来たの?」

 

 煙はしばらくは口を開かないことに決めていた。

 久しぶりの地球で一度口を開くと詐欺師の本性が現れてまたまた嘘八百、何を言い出すかさっぱり自信が持てなかったからだ。

 騒ぎで目を覚ました匠がベッドに起き上がると、煙は安全な匠の肩の上に飛び移った。

 

「えーっと、みんなに紹介するね」

 寝ぼけ眼で話し始めた匠は言葉に詰まった。

 “元詐欺師”とは言えないし、“中身を抜かれた薄皮おじさん”では失礼だ。

「天上の案内人、スモーキーおじさんだ。天上で皮をむかれそうになっていた僕を、助け出してくれたんだ」

 匠、得意の口から出まかせだった。

 

「天上の案内人”ホワイト・スモーキー”と呼んで下さい」

 白い煙が匠の肩の上で自己紹介をした。

 

「そうだ、ペトロにプレゼントだ」

寝ぼけ眼の匠がベッドの側に置いた宇宙服のポケットを探り、中から透明な石を取り出してペトロに手渡した。

・・・ペトロ、これ目にみえない不思議な石だ。ここにあるのにほら“薄闇”にしか見えないだろ。

 宇宙の果ての歪みの壁の“おこぼれ”だ。

 それと僕のスペースウエアに付いてる宇宙の浮遊物質を拭き取って分析してほしい。

 不思議だよ、透明な石と宇宙の埃の二つは相性が悪くていつも反発してる。こいつら何者か正体が知りたい。

 それから、見つけたんだ。緑の怪物と天上の会議場の長老たち!でもその話は長くなるから明日にするよ・・・
 

 任務を終えた匠はもう一度ベッドに横になり、肩の上にホワイトスモーキーを乗せたまま大きないびきを掻いて、深い眠りに落ちていった。

(続く)
 

続きはここからお読みください。

この世の果ての中学校25章“ダーク・プロジェクト 完璧な計画などどこにもない”

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1904年セントルイスオリンピックは万博の余興?史上最悪のマラソンレースを再現 !

はじめてヨーロッパから離れ、アメリカのセントルイスで行われた第3回オリンピックのマラソンは、史上最悪のレースとして歴史に残されています。1位でゴールしたアメリカのフレッド・ローツ選手が、途中で自動車に乗って距離を稼いでいたという「キセル事件」が起こったのです。ウイキペディアによればローツ選手は不正を糾弾されて、優勝を取り消され、マラソン界から追放を命じられたとされています。

 

フレッド・ローツ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このあと処分は軽減されますが、ローツは意図してこのような不正を働いたのでしょうか?それとも疲れ切ってレースを諦めた上での冗談だったのでしょうか? 

じつはセントルイスオリンピックは、ルイジアナをフランスから買い取った100周年を記念した万国博の一環として行われました。お祭り騒ぎのフェアーの影響で、オリンピックも本来の精神や趣旨から少し外れてしまったのです。

アメリカの歴史を語るスミソニアン博物館の公式サイトに掲載された記事を主なベースにして、セントルイスオリンピックのお祭り騒ぎのイベントと最悪のマラソンレースを再現してみました。

セントルイスオリンピック1904年 史上最悪のマラソンレース

オリンピックは万国博覧会の余興だった?

 

セントルイスオリンピック
(ポスター)

 

写真は1904年セントルイスオリンピックのポスターです。「五輪」のシンボルマークが開発されたのは1920年大会からで、ここではまだ使われていません。

ポスターの下半分をご覧ください。「万博 ルイジアナ購入博覧会」と記されています。

じつはセントルイスのオリンピックは、万国博覧会と併催しているイベントでした。万博はアメリカがルイジアナをフランスから購入した100周年を祝い、「アメリカの世紀」を唱い上げる幕開けイベントでした。オリンピックは万博の一環として催されていたのです。

 

「人類学の日」と呼ばれるスポーツイベントが“民族の体力測定”を目的としたオリンピックのゲームとして行われました。万博会場に作られた「国際的な村」(アメリカインデアン村やフィリピンの原住民の村、日本のアイヌの人を集めた村)から選手が募集されて、少数民族の体力を測定するという名目のもとに、白人の観客に向けた余興としてゲームを競わせたのです。

日本からはアイヌの人達がアイヌ村の展示物として(陳列)されていたと記録されています。日本は当時日露戦争のただ中でしたが、万博に“芸術的催し”で参加しています。オリンピックに参加するのは第5回ストックホルム大会からで、このオリンピックには参加していません。

「人類学の日」のゲームは、グリースポールクライム(あぶらを塗った棒登り)、ジャベリンコンテスト(やり投げ)、エスニックダンス、泥投げなどを競技として白人の観客に見せたのです。このような競技が体力測定などという科学的な調査目的で行われたはずがなく、「人類学の日」のゲームには人種差別的な発想が背景にあるとして、後々までの批判の的になりました。

 

ジャベリンコンテスト
Javelin contest during the Anthropology Days. Photo: St. Louis Public Library (www.slpl.org)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真はやり投げコンテストの風景です。

近代オリンピックの創始者で、IOCオリンピック委員会のクーベルタン委員長は「人類学の日」の競技を見て茫然自失して言ったのです。

「(オリンピックの競技のように)走って、ジャンプして、投げて白人を後塵にすることを覚えなさい!」と。

 

マラソンのスタートラインに集まった有力選手と不思議な選手たち

 

オリンピックのマラソンは、ギリシャの古代オリンピックの伝統を引き継いで、近代オリンピックの精神を示す象徴的なゲームといわれています。しかし1904年セントルイスのマラソンは競技を競い合う崇高な精神というより、万博のフェアー「お祭り」の雰囲気に近いイベントになっていました。

有力選手はボストンマラソンの優勝者や入賞者でしたが、ほとんどは中距離のランナーや足が自慢のアマチユアの人達でした。

アメリカ人の有力選手はサム・メラー、ニュートン、ジョン・ロードン、トーマス・ヒックスなど、マラソンの経験者です。

アメリカ人のフレッド・ローツは、普段はレンガ職人で昼に働き、夜間にトレーニングを積んでいました。アマチュアのローツはアマチュアアスレチックユニオンが主催する「特別な5マイルレース」に出場して、本戦への出場権を手に入れたという経歴の持ち主です。このローツ選手がレース途中の“キセル走行”でルール違反とされ、代わってトーマス・ヒックスが優勝者として表彰されることになります。

 

スタートラインにひとりのキューバ人が現れました。フェリックス・カルバジャルという名前のもと郵便配達員です。郵便配達で鍛えた足でキューバ中をトレッキングしながら、デモンストレーションをしてセントルイスまでの旅費を集めました。ニューオーリンズに着いたカルバジャルはサイコロゲームに手を出して、全財産を失います。困った彼はセントルイスまでヒッチハイクをしてなんとかたどり着いたのです。

スタートラインに現れた彼は、ベレー帽をかぶり、白い長袖のシャツに、普通のストリートシューズを履いていました。濃い色の足元まで届く長いズボンは、とてもマラソンランナーに相応しいとはいえない代物。見るに見かねたオリンピアンのひとりがハサミを探して、カルバジャルのズボンの膝から下を切り落としました。

フェリックス・カルバハル Cuban marathoner (and former mailman) Félix Carbajal Photo: Britannica.com

 

 

 

 

 

 

 

 

写真は半ズボンになった小柄なカルバジャルです。二日間なにも食べていなかった彼は腹ぺこでレースに挑み、ガンバって4位でレースを終えることになります。

 

スタートラインに不思議な選手が二組現れました。長距離のマラソンは一度も走ったことがないというギリシャ人が10人。裸足でスタートラインに立った南アフリカのツアナ族が二人です。ツアナ族の二人は博覧会の「南アフリカ世界フェア」に展示物として参加していたのですが、なぜかオリンピックのマラソンに裸足で駆けつけたのでした。

南アからマラソン参加の二人。一人は裸足。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人間が走った、史上もっとも過酷なマラソンレースが始まった!

 

1904年のオリンピックマラソンレース(ミズーリ歴史協会)

 

 

 

 

 

 

 

 

1904年8月30日午後3時30分にレースがスタートしました。大勢の米国人、10人のギリシャ代表、キューバが一人、そして南ア(RSA)の黒人二人を含めて4カ国の代表32人がまず競技場を一周します。

 

競技場を一周する選手達

 

 

 

 

 

 

 

 

競技場を一周する選手達です。20番を付けているのが優勝したトーマス・ヒックスです。温度は33度と1日で1番暑く、湿度の高い時間を選んでいます。そして水の補給箇所はコースでただ一つ、11マイル地点の井戸に限られました。(6マイルの給水塔と12マイルの井戸の2カ所だったという説もあります)

 

どうしてそんな過酷な時間や給水にしたのでしょうか?マラソンゲームのチーフオーガナイザーのジェームス・サリバンは、研究分野である「意図的な脱水の限界と影響をテストするために、水分摂取を最小限に抑えた」としています。

コースは39.99キロ、厳しく長い7つの丘がある、舗装のない埃だらけの道路でした。馬や犬がコースを横切り、コーチや医者を乗せた車がランナーと併走して走り、埃を巻き上げていました。ランナーはほこりを吸い込んで、激しく咳き込んでいました。吸い込んだ埃はこのあとランナーの肺を痛めつけることになります。

 

フレッド・ローツが先頭に立ちトーマス・ヒックスが後を追います。途中、米国のウイリアムガルシアが道路脇で倒れ、オリンピックマラソン史上初の死者になりかけていました。病院に担ぎ込まれたガルシアの食道は埃だらけで、内部が侵食されていました。米国有力選手のジョン・ロードンは嘔吐の発作に苦しみ、途中で棄権します。

キューバのカルバジャルはブロークン英語で観客とお喋りしたり、先頭を争いながらレースを楽しんでいました。途中、車に乗った男が桃を食べているのをみて、欲しいと手を出したのですが断られます。彼はふざけてももを二つひったくり、走りながら食べたのです。

40時間以上なにも食べずにいた空腹の彼は道ばたのリンゴの青い実に気づいて(腐っていたという説もあります)二つとって平らげます。すぐに強烈な腹痛に襲われた彼は、横になって昼寝をして休み、その後立ち上がり4位に食い込んでレースを終えることになります。昼寝をしなかったら優勝したかもしれないと、彼の実力と健闘を称える記事があります。

 

南アから黒人としてはじめてオリンピックに参加した二人の黒人のうち、マシアン・ヤンは野犬に追いかけられて、コースから数キロも離れてしまいました。ヤンは完走して12位に入り、もう一人のレン・タウは9位に入っています。

9マイル地点でけいれんに悩まされていたローツは、伴走していた自動車に乗ってヒッチハイクをすることに決めました。途中ローツはゴールの競技場に向かう車の上から「通り過ぎる観客や、他のランナーに手を振っていた」(スミソニアン記事)と報告されています。

・・・ローツが意図して不正を仕組んでいたのなら、この行動は極めて不自然と言わざるをえません。

 

一方、優勝をしたヒックスはこのときあと10マイル地点で2人のサポートクルーの管理の下に走っていました。疲労困憊し、喉が渇いたヒックスはハンドラー(助言者・クルーのこと)に飲み物を欲しいと訴えますが、拒否されます。許されたのは、暖かい蒸留水で口を拭うことだけでした。

二人のハンドラーとトーマス・ヒックス
二人のクルーとトーマス・ヒックス

 

 

 

 

 

 

 

 

フィニッシュから7マイルに近づいたとき、よれよれになったヒックスにハンドラーは「ストリキニーネと卵白の混合物」を与えました。ストリキニーネは毒物ですが、当時は少量で刺激剤として使われていました。これはオリンピックで薬物が使用された初めての記録です。薬物使用が禁止されるのは後のことです。

 

その間、車に乗ってけいれんから回復したローツは11マイルを稼いでくれた車からコースに降りました。車が故障して動かなくなったのです。「車から現れたローツを見てヒックスのハンドラーの1人がコースから外れるように命じます」(カッコ内はスミソニアンの記事からの引用です。他の記事ではこの様子は見当たりません)

しかしローツはそのまま走り続け、3時間弱のタイムで競技場のゴールにフィニッシュしました。アメリカ人のゴールに喜んだ観衆が歓声を上げ、ルーズベルト大統領の娘のアリス・ルーズベルトが金メダルをローツの首にかけようとしたときです。だれかが「その男は車に乗ってフィニッシュラインまで来た詐欺男だ」と告げて歓声はブーイングに変わります。

ローツは微笑んで「これは冗談だ。名誉を受け入れるつもりはなかった」と主張しました。しかし主催者はローツの生涯の選手活動を禁じる決定を下したのです。

 

その頃、ヒックスはストリキニーネの影響で顔は青ざめ、足を引きずっていました。ローツが失格になったと聞いて、ヒックスは足を速めようとしますが、トレーナーはヒックスの体力では無理な試みと思い、卵白入りのストリキニーネをもう一彼に与えます。今回は食べ物をうまく喉に通すために、ブランデーを飲ませました。

 

「ヒックスは油を差した機械のように、機械的に走っていました。目はくすんで、肌の色は青白く、腕には重りがついたようで、膝は硬く、足はほとんど持ち上がらない状態でした」(大会オフィシャル チャールズ・ルーカス談)

ヒックスはこのとき幻覚症状を呈しています。ゴールまではまだまだ遠い20マイル地点にいると錯覚していました。元気になるために、さらに食べものを頼み、横になり、ブランデーを飲み、卵白を二つ食べます。

ヒックスは丘を越え、最後の坂を速度を落としてゆっくりと下りました。ついにスタジアムについたとき、ヒックスは観客の前をスピードを上げて走ろうとしましたが、足がもつれました。彼のトレーナーはフィニッシュラインまで彼を運び、彼の足を前後に動かし、身体を持ち上げてゴールラインを越えさせたのです。

 

ヒックスは勝者と宣言されました。そのあとヒックスがその場を離れるのに4人の医師と1時間が必要でした。レースで8ポンドも体重を失ったヒックスは言っています。「この恐るべき丘は選手を粉々に引き裂いた」と。

 

ヒックスの記録は3時間28分45秒で従来のオリンピック記録から30分も遅く、マラソンの参加選手32名のうち完走は18名、棄権は14名。これらは代々のオリンピックのマラソン史上最悪の結果として記録に残りました。ローツの「わたしは冗談を言ってるんだ」という主張が通り、彼の出場停止は1年間にとどまります。

ヒックスとローツは翌年のボストンマラソンで再会し、ローツは「自分の足以外の助けなしに見事に優勝を果たしました」(スミソニアン記事)

(おわり)

 

[主な参照記事と引用画像出典]

The 1904 Olympic Marathon May Have Been the Strangest Ever SMITHSONIANMAG.COM

Disastrous  1904 Men’s Olympic MarathonExpress To Nowhere 

Wikipedia Athletics at the 1904 Summer Olympics – Men’s marathon

 

【記事は無断転載を禁じられています】

この世の果ての中学校23章“匠は開かずの扉を開けて守り神の大会に迷い込んだ”

  匠は、地球から遠く離れた宇宙の片隅にスペースハンモックを浮かべて、孤独なときを過ごしながら、第三惑星に住む小さなエドの家族から返信が届くのを待っていた。

 

 三日目の朝がやって来て、スペース・フォンにエドの家族から電子メールが二通届いた。

 最初のメールはボブとクレアからだった。

 そこには、森の中で滝の上からやってきた緑の怪物に出会ったことが詳しく書かれていた。 

 

 ・・・匠よく聞いてね! 私たち、緑の怪物とお話ししたけど、正体は、やさしい緑の風のおじ様だったわよ。(クレア)

 それから、“惑星テラは地球から逃げ出した緑の植物と土の塊からできあがった”と言っていたよ。(ボブ)

 最後に、“地球の自然を壊した人類には、種の命を守ってくれる守り神がいなくなった”という話をおじ様から聞いて、二人とも岩から落ちて気を失ってしまったんだ。(ボブとクレア)・・・

 

(前回のお話はここからお読みください)

この世の果ての中学校22章“クレアとボブは緑の怪物を探しに森に出かけた” 

 

この世の果ての中学校23章“匠は開かずの扉を開けて守り神の大会に迷い込んだ”

 

 エドの家族から届いた二通目のメールは、パパ・エドとママ・エドからだった。

“匠、返事一日も待たせて御免。クレアとボブの話を聞いて、僕らも卒倒しそうだよ。

 惑星テラを地球に呼び戻して、融合する話だけど、この惑星の小さなエドの家族全員に相談したら、大賛成! みんなその日を待ちかねてるよ。

”早く計画立てて一緒になろうよって!”

 (パパ・エドとママ・エドより)

 

・・・こちら匠、いま中継地点。メール二通読んだところ。

 僕はここで一日じゃなくて三日も待ったんだよ。

 宇宙の歪みが影響して、こことそことは時間の経過が違うみたいだ。

 その上、スペースハンモックで寝てたら、気持ちの悪い緑の怪物の夢まで見ちゃつた。

 クレアとボブの緑の風のおじさんの話、それからほかの家族と相談してくれた話、急いで地球のみんなに報告するからね。

 またこちらから連絡するから、メール・ボックスはいつも空けておいてよ!・・・

 

 エドの家族にメールを打ち終えた匠は、急いでハンモックから飛び降りた。

 ハンモックを小さく折り畳むと、リュックに収めて帰り支度を整える。

 

「ただ今任務完了! 地球に向けて出発しまーす!」

 匠は地球を目指して架空のスタートラインに立ち、肩の力を抜いて軽くジャンプをした。

「長旅に備えて準備運動、1!2!3!」

 

 3回めのジャンプで匠は不思議なことに気が付いた。

 前方に緑色した小さな宇宙ゴミが見える。 

 ジャンプを終えるとそれは消えた。

 

 近づいて見ると、宇宙ではありえない物体・・・緑色した小さな葉っぱの端切れ、半片だ。

 葉っぱの周りを手で触ると、硬い壁のざらざらした感触が伝わって来る。

 

 顔を近づけてよくみると、目の前に半透明の薄い壁があって、葉っぱの残り半分が壁の向こう側にぼやっと浮かんでいるのが見えた。

 

「あっ! この葉っぱ、僕を踏んづけて行った緑の怪物が落としていったものだ。あれは夢じゃない。あいつ、この壁の中にいる」

  匠は半透明の壁を力一杯押してみたが、びくともしない。

 手で探りながら壁伝いに移動してみたが、壁の堅い感触だけがどこまでも続いていた。

「このざらざら壁、どこまで行っても入り口なし!」

 探索をあきらめて出発地点に戻って来ると、さっきの葉っぱが風もないのに小馬鹿にしたようにヒラヒラと揺れた。

 

 頭にきた匠が葉っぱをむしり取った。

「風の怪物の落としもの、第三惑星の森の葉っぱのハーフ・ポーション。愛するエーヴァへのプレゼントに頂きまーす」

 匠は、切り取った葉っぱをハンカチに包んでポケットに優しく仕舞い込んだ。

 プレゼントに喜ぶエーヴァの顔を思い浮かべだとき、匠の後ろでギギッと鈍い音がした。

 驚いて振り返ると、むしった葉っぱのあとの空間に小さな暗い亀裂が走っている。

 

「なに、この穴?」

 近づくと、亀裂はじわりと動いた。

 

「うぐっ!」

 匠の喉が詰まった。 

 

 つつーっと、亀裂が上下に拡がっていく。

 いつのまにか、人ひとりが通れるくらいの細長い穴が匠の目の前にできあがった。  

 

 匠はそっと穴を覗いてみた。 

 人気のない薄闇の中で、葉っぱの片端がひらひらと宙を舞って、匠を誘っている。

 

「ヤ、ヤベーよ、この穴。天上への開かずの出はいり口だ」

・・・この中に半透明の緑色したのがうじゃうじゃいるのかよ・・・ブルっと匠が震えた。

 

「賢明なアスリート、決して危険に近づかず!」

 匠は回れ右をして、地球に向かって飛び立とうと身構えた。

 

“こら匠!恐れるな!開かずの扉がお前の前に開かれておる”

 叱咤するおじいちゃんの声ががんと頭に響いた。

 

“お前あほか! ここまで来てなに考えとんねん。こん中にこの世の秘密が隠されとるんやないか! しっかりせんかい!”

 はぐれ親父のしゃがれ声が聞こえた。

 

 「なんやと~? やったろやないか!」

 匠は気合いを入れなおして、亀裂の中の薄闇に頭から飛びこんでいった。
  

  ××

 どこまでも続く田舎道に、夕陽が山の長い影を落としている。

 遠くにかすんでみえる匠の家の屋根から、一筋の白い煙が立ち上っていた。

 

 道は人っ子一人歩いていない。 

 腹を空かしたヤンマが頭上をかすめて飛んだ。

 きっと夕暮に飛び交う蚊の群れを追っている。

 

 匠はおばあちゃんの待っている我が家に向かって、急ぎ足で歩く。

 いくら歩いても、立ち上る白い煙は遠くにかすんだままだ。 

 おかしい・・・匠の家は近づいてこない。

 

 道の両側には大きな柿の木が立ち並んで、地平線に続いていた。

 近くの柿の木は、実も葉っぱもまだ青い。

 少し歩くと実も葉っぱもだんだんと黄色くなる。

 

 遠くの方では、実が熟して、葉っぱは真っ赤に紅葉して見える。

 その先では枯れ葉が舞っている。 

 秋から冬。

 

 匠の故郷は、早、一年の終わりを迎えていた。

 でも田舎道には終わりがなく、わが家は遠くかすんで見える。

 

 匠は我に帰った。

「この景色は怪しい。何者かに騙されてるんじゃないのか? これが本物の風景か幻か、確かめてやる!」

 

 匠はいきなり身体を入れ替え、今来た道を全速力で逆走した。

 周りの風景が驚いたように巻き戻しを始め、匠の動きに追いつこうとしている。

 

 匠は急ブレーキをかけて止まった。

 周りの風景は、ゆっくりと時間をかけて停止をする。

 

 風景は匠の素早い動きに付いて来るのが精一杯だ。

「僕は記憶の迷路にはまり込んでいる。これは僕の心の中の風景に過ぎない」

 匠は笑いをかみ殺した。

 

「だれか知らんが、癪な技だ。ひっくり返してやれ!」

 匠はその場で思い切り高くジャンプをする。

 そして、逆転3回転に1/2横ひねりを加えて着地した。

 匠の目の前で田舎道は3回転宙を舞ったが、残りの1/2をひねりきれずに着地した。

 田舎道はぐにゃりと無残な形に崩れ落ちた。

 

 薄闇の中に白い一筋の煙が匠の前に現れた。

 

「恐れ入りました」

 術を破られた白い煙が、匠に一言失礼を詫びて頭を下げ、恥ずかしそうにどこかへ消えていった。
 

   ××

 薄闇が消えて明るい部屋の中に匠は立っていた。

「お見事です!」

 男の声が聞こえた。

 

 頑丈な木製の机に向かって座っていた男が、椅子から立ち上がった。

「受付処」と書かれた大きな表示板が机の上に置かれている。

 

 黒い僧服を着た男が仰々しく匠に頭を下げた。

「通門の技、しかと拝見させて頂きました。ここ開かずの天上に、ようこそお越し頂きました!」

・・・天上への入門試験にパスしたみたいだ・・・

 大物になった気持ちがして気分をよくした匠は、僧服の男に軽く頷き返す。

 

 僧服が言う。
「私は天上の門で受付役を務める者でございます。まずは、その堅苦しい僧服をお脱ぎになって、おくつろぎ下さい」

「ククッ!これスペースウエアだよ。僧服じゃないよ」

 匠がぼやくと受付役がすかさず答えた。

 

「ここ天上には清浄な空気が充ち満ちております。どなた様も安心して宇宙服をお脱ぎください」

 匠はつなぎのスペースウエアをゆっくり脱いで、空気を吸い込んでみた。

 天上の空気は地球の空気よりぐんとうまかった。

 

 匠はスペースウエアを脱いで丁寧に畳み、携帯リュックに収めた。

 迷彩服姿になり、受付役が勧める頑丈な木の椅子に腰を下ろした。 

 イスは大きすぎて、匠の脚は床に届かなかった。

 仕方が無いので、そのまま足をぶらぶらさせることにした。

 

 受付役は天上への訪問者がほんの少年であることに気が付いて目を丸くした。

・・・どこか見知らぬ惑星の神の王子かな?・・・

 

 ひとり呟くと、受付役は机の上の記帳簿に筆と硯を添えて、少年の前にそーっと差し出して言う。

「お役目とご芳名、それにお処のほどもご記帳下さい」

・・・こんな少年が筆と墨を使うことが出来るだろうか?・・・

 匠を見つめる受付役の顔に疑わしそうな表情が浮かんでいた。

 

・・・「ふん」入門の二次試験か。みておれ!・・・

 匠は記帳簿を手に取って、じっくり時間をかけて眺め、おもむろに口を開く。

 

「これは素晴らしい。この記帳簿は銀河宇宙の太陽系地球、日本国の昭和時代の越前和紙でできておりますね。いまは地球で入手できません。この手触りの暖かみは洋紙ではなかなか味わえませんよ」

 匠は厚みのある記帳簿を上にしたり逆さまにしたりしながら時間稼ぎをした。

 記帳簿の素材は、匠のおばあちゃんが俳句を書きあげるために、大事に使っていた古い和紙と同じだった。

 匠は大好きなおばあちゃんが呟いていたいつもの台詞を覚えていたのだ。

 

「これはこれは良くご存じで、この記帳簿は200年前から使い込んでおります。記帳された方々はそれこそ宇宙世界で由緒のある方々ばかりでございます」

・・・受付役はいつまで待っても匠が筆を取ろうとしないので、自分で硯を手にとって水差しから水を入れ、墨をすって墨汁を作り上げた。

 次に記帳簿を匠の手から取りもどすと、白紙のページを開いて「それではここにご記帳頂きます」と記帳を迫った。

 

「なるほど、道理で記帳簿がところどころ黄ばんできておるわけですね。“おっと”墨まですって頂いて恐縮です。ところで私の前にはどなたがお越しですかな?」

 役どころと名前をなんと記帳しようかと匠は知恵をひねっていた。 

 悠然と匠は前のページを繰り戻してみた。

 

【緑の守り神 惑星テラより】

 前のページには、美しく整った日本文字が書き込まれていた。

 署名の下には大きな掌の紋様が印されている。

 

・・・あいつだ。俺を乱暴に踏んづけていった緑色したあいつだ。なにが緑の守り神だ。あんな失礼なやつに負けてたまるか!・・・

 匠は筆を執ると、したたるほどたっぷりと墨を含ませた。

 そして達筆のおじいちゃんの激しい筆力を思い出して、思いつく様、はみ出しそうな勢いで和紙に書きなぐった。

 

【アスリートの守り神 銀河系惑星、地球より来る】

「ほほーっ、お見事!」

 匠の迫力に圧倒された受付役が上下逆さまに読もうとした。

 気が付くと、慌てて元に戻した。

 

 受付役はなんとか匠の署名を読み取った。
「初めてお聞きするご芳名です。失礼ながら守るべきアスリートの命の数はいかほどでございましょう」

・・・地球上の人類、合わせて6人です・・・言いかけて、匠は慌てて言い直した。

「地球上に生あるものすべてです」

「ほほーっ、それはお忙しい」

 受付役はちらっと匠の顔を疑わしそうに見たが、諦めたように匠の署名の横に“地球上に生あるものすべて”と小さく書き加えた。

 

「それでは利き手の紋様を頂きます」

 受付役が硯と懐紙を匠に差し出した。

 匠は右の掌に筆で墨を薄く塗りつけると、署名の下にぐいと押しつけた。

 匠が懐紙で掌の墨あとを拭き取るのを見届けると、受付役は立ち上がった。

「天上の緊急会議は相当前に始まっております。上階の会議場へお急ぎ下さい」

 

 匠がホッと一息ついて椅子から降りると、どこかから一筋の白い煙が匠の前に現れて揺らいだ。

「こちらへ!」

 白い煙は天上の会議場へと、匠を先導した。

 

 大理石で出来た広い階段を、煙はさっさと上って行く。

 匠が慌てて追いかけ、階段の途中で煙に並びかけると、煙は階段の下を振り帰って受付役の姿がみえないことを確かめてから匠に言った。

 

「先ほどはアスリートの守り神に向かって、無礼なことをいたしました」

 煙が声を潜めて謝った。

 一瞬言葉に詰まった匠が「あれはいい勝負でした。最後のひねりの差でしたよ」と慰める。

 煙は嬉しそうに顔をくしゃくしゃにした。

 

 数段登ると煙がまた話しかけてきた。

「あなたは生きものの種を守る神様というよりも、地上の生身の方(かた)のようですね」

 煙がズバリと言い当てた。

 

「えっ! 正体ばれちゃってたの!」

 匠は驚いて、階段で転びかけた。 

 

 煙がさっと手を伸ばして、匠の身体を支える。

「おっと、そんなに驚かないで下さい。じつは私も同じ生身の人間なんですよ。だから匂いで分かりました」

 そう言うと煙は階段の途中で立ち止まり、親しげに匠を見つめた。

 

「天上の人たちは五感以上の特別な能力をいくつもお持ちなのに、じつは臭覚が欠けているのです。私たち生き人と食べるものが違いますのでね」

 

・・・古くて腐っていないかどうかなど、食い物をかぎ分ける必要がないから臭覚は退化してしまったようです。

 でも私には先ほどの勝負の最中にあなたの正体が分かりました。

 生き人にもかかわらずあなたの技は特別です。

 ここへの入り口、天上への開かずの扉も神様しか通ることが出来ません。

 生き人は通れないはずです。

 だからあなたは受付役になにかの守り神と間違われたのです・・・。

「一体どうやったら開かずの扉を開けられるのか、後々のためにここは一つ、私にも教えていただけないものでしょうか」

 

 匠は煙男の頼みに、正直に答えていいものかどうか迷った。

・・・この男はまだ信用できない。天上のまわし者もしれない。一つこの男を試してやれ・・・

 
「葉っぱです。葉っぱの鍵で歪みの扉を開けました」

 匠は事実をぶつけて煙の反応を見た。

 

「そんなもので開くとはとても思えませんね。きっとなにか他人に明かせない秘伝の技をお持ちなのでしょうね」

 煙は肩を落とし、落胆した様子で匠を見つめた。

 

「あれは秘伝なんかじゃありません。たまたま舞っていた葉っぱを捕まえて、無念無想の技をかけ、葉っぱを鍵の形にして通門しただけです」

 煙が、半信半疑の様子で、渋々と頷いた。

 匠は、お返しに際どい質問をぶつけてみた。

「あなたも生身の人間だとおっしゃいましたが、僕にはあなたは一筋の白い煙にしかみえませんよ。なにかとんでもないご事情がおありのようですね」

 

 探りを入れる匠に、大きな溜息をついて煙が答えた。

「私は詐欺師です。三回生まれ変わって三回とも詐欺師でした」

 

・・・わたしは人を騙すことが楽しくて、楽しくて、どうしてもやめられなくて、とうとう神様に人間界に出ることを禁じられて、生きたままここへ連れてこられました。

 裁判にかけられた結果、罰としてここ天井の案内人を永遠に務めるように命じられたのです。

 その上勝手に逃げださないように身体の中身を抜き取られてしまって・・・「こんな有様に・・・」

 

 白い煙は恥ずかしそうに身体を縮めて話し続けた。

「そうですか・・・私は白い煙にみえますか。これは私の肉体と魂を繋ぐ命綱、生身の薄皮なのですが・・・。嘘ばかりついてきた男が正しい行き先へ客人をご案内するお役目とは、これは神様のきつーいジョークなのです」

 

 煙が白い身体をよじりながら匠に付け加える。

「気をつけて下さいよ! ここで生き人であることがばれたら、私のように中身を抜き取られますよ」

 身の上話を聞いた匠は、薄皮の案内人にさせられた男にすっかり同情してしまった。

 

・・・
 大理石の階段を上り詰めると、人気のない踊り場が現れた。

 踊り場の奥には五つの重そうな扉が並んでいる。

 扉の中から、かすかなざわめきが漏れてきた。

 

「ここは天上の会議場へのエントランス・ゾーンです。この扉の中が会議場です。さーて、議場のお席はどの辺りがお好みでしょうか?」

 白い煙が匠の顔を覗き込んだ。

「言葉の壁があるので、イヤホンで翻訳音声が流れるのはどの席でしょう?」

「ここ、天上は、会場そのもがニューラルインターフェースで構成されているので、何語で話そうが関係ないのですよ。種の異なる人たちの集まりなので、どんな言葉で話しても聞き取れるのです。ほら、あなた様とこうして自由に話せるのもそのおかげですよ」

「なるほど・・・了解しました」

さっぱり理解できない匠は、とりあえず頷いておいた。

 

「ところで、発言を求めるならどの扉になるのでしょう?」

 胸を張って匠が聞く。

「前の席ならあちらが入り口になります。長老たちのすぐ前です」

 煙は右端の扉 NO.1を指さした。

 

 気が付くと、匠は発言などできる立場じゃなかった。

「えーっと・・・目立たない席ならどの辺りでしょうか?」

 匠が聞き直した。

 

「後ろの席はこちらです」

 煙は目の前の扉 NO.3を指し示した。

「どちらにしましても最近は何故か守り神の空席が目立ちます。又どこかの惑星が生命を失ったようです。生命の種が絶滅すると、守り神も消滅するのです。それでは議場にお入りになって、後ろの席をお選び下さい」

 

 匠が頷くと、白い煙が揺れ、最後の注意をした。

「扉はご自分でお開け下さい。ドアノブに利き手を掛けると掌の紋様がチェックされて、先ほどの記帳簿の紋様と一致すればドアが開きます。退場の時は同じ扉を選んで下さい。入場の時と同じ扉、同じ紋様でないと扉は開きません。闖入者を排除または閉じ込めるためのセキュリテイー・システムです。それではご無事を!」

 

 匠は白い煙にお礼を言って、重い扉を音の出ないようにゆっくりと開けた。

 話し声と、喧噪が押し寄せて来る中を、匠は会議場に素早く入り込んでいった。
 

(続く)

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この世の果ての中学校24章 “天上の会議場と詐欺師ホワイトスモーキー”

 

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