この世の果ての中学校  プロローグ「ついにあいつがやって来た」  

  22世紀のはじめ、地球温暖化で廃墟と化した世界で、生き残った六人の中学生が、幽体に身を移した両親や先生の教育を受けて、逞しく成長していくお話です。

プロローグ「ついにあいつがやって来た」

 その日、教授は一人実験室に残っていた。

 部屋の中央に置かれた実験台には、白衣の女性が横たえられている。

 その顔からは既に生気が失われていたが、表情には少女のようなあどけなさが残されていた。

 国立科学研究所の堅い守りをくぐり抜けて、あいつは実験室の内部にまでやってきた。

 そして愛するハルが襲われ、命を失った。
 

 あいつらの正体は新種の病原体だ。

 食物連鎖のピラミッドの頂点に君臨してきた人類に対して、被捕食者たちが逆襲のために送り出してきた最終兵器だった。

 生きるために食った食料が、人間の体内で有害な病原体に変質したのだ。

 そいつは内側から人を襲って、細胞に侵食し、繁殖した。

 病原体は無数のコピーを作って体内を巡り、くしゃみや咳とともに人間の身体を出て新しい獲物を求めて空気中を漂う。

 病原体はカレル教授の研究仲間を襲い、ついに科学者で幼なじみの婚約者ハルの命までも奪っていった。 

「明日にはハルを病原体とともに焼き尽くさなければならない」

・・でも、それまでにどうしてもやらねばならない事がある。ハルのすべてを奪われてたまるか!・・ 
 教授のうなり声は、いつしか慟哭に代わった。
 

 薄い夕闇が訪れても、カレル教授はハルに寄り添い、嗚咽を繰り返していた。

 夜になり、教授はハルにすがりつくような姿勢で、ベッドの側に寝込んでしまった。

 
“バタン!”

 固く閉じておいたはずの実験室のドアが、外から乱暴に開けられた。 

 焼け付くように暑い夜の風が吹き付けてきて、教授は目を覚ました。

「カレル教授、夜分、お邪魔いたします。どうか、突然の非礼をお許しください」

 教授の目の前に、白い法衣を身にまとって、黒いカバンを胸に抱えた男が立っていた。

「私は牧師です。何度もドアをノックしたのですが、応答がなくて、ドアをこじ開けて入り込んできました。どうか驚かないで下さい。今朝、ハル先生の訃報をお聞きして、教会の総本部からお祈りをあげるために派遣されて参った者です」

 男は早口でまくし立てた。

「教会の本部かなにか知らんが、そこを動くんじゃない!」

いきなりの闖入者に驚いた教授は近くのデスクに走り、警報ボタンに手を伸ばした。

「無駄です」

教授の動きを押しとどめるように、男は首を横に振った。

「正面ゲートに警備の人たちは一人も残っていませんでした。悲しいことです。全員病原体にやられたのでしょうか」

 教授は無言で緊急ブザーを押した。しかしゲートからも詰め所からもなんの応答もなかった。

「家族のことが心配になって、警備を離れただけならいいのですが・・」

 牧師が小さな声で謝るように言う。

「この研究所のゲートが無人だというのか?」

 教授の詰問に牧師はゆっくりと頷いた。

「AIの警護ロボットが一人で仕事をしておりました。私の顔をスキャンして国際認証を済ませてから、入場を許可してくれましたよ。きっと教会本部からの緊急連絡がはいっていたのでしょう」

 牧師は首にぶら下げた入場許可証をちらりと見せた。

「教授、亡くなられた研究所のお仲間とハル先生に対して心からのお悔やみを申し上げます。私たちは、教授とハル先生が生命科学の分野で数々の素晴らしい成果を上げてこられたことを、教会のネットワークを通じてよく存じ上げております。私は牧師の勤めとして、病原体と戦い犠牲となられたハル先生に、どうしてもお祈りを差し上げなければなりません」

 牧師は教授が口を挟む暇を与えず、たたみかけるように話を続けた。

「カレル教授、これからのあなたの人生のためにも祈らなければならないのです。お二人で交わされた特別な約束を守るためにです」
 

 ハルとの約束事だと?

 この牧師はなぜそんなことを知っている。

 この男は一体何者だ? 
 
 二人が特別な関係であることは二人だけの秘密だった。

 昔、小さな教会で、先の知れない未来につかの間の約束を交わした二人は、その後も実験に明け暮れ、月日だけが過ぎていった。
 

・・ハルと過ごしたこの研究所も、私以外にはだれも守る者のいない裸の砦になってしまったのか。  
 我に返った教授が、目の前に立つ遠くからの闖入者を眺め直した。

 鉄灰色の髪に青い目、中背で東欧系の顔立ち。

 30代かそこら、まだとても若い。

 聖職者というよりは、海外からの若い留学生のようだ。
 

 静かに見返す男の目は青く澄み切っていた。 

・・東欧の深い湖のような瞳が、教授の乱れた心を誘い込むように慰めていく。

「それでは失礼して、お祈りを上げさせていただきます」
 牧師と名乗る男の勝手な言葉に、教授は思わず頷いてしまった。

 男は、立ち上がり、手術台に向かった。

 大事に抱えてきた黒いカバンを開けると、中から白い花の一束を取り出し、ハル先生の胸の上にそっと置く。

 そして十字を切って、祈りをあげた。

「とても美しいお方だ」 

  呟きながら、牧師は小さなパンとぶどう酒の小瓶を取り出すと、閉じられた唇に、ぶどう酒の香りとともにひとかけらのパンをそっと挟んだ。

 そして用意した聖水を胸のあたりに一振りすると、聖書の一節を読み上げた。
 

 牧師の祈りは、教授の乾いた胸にやさしく響いた。

「教授、どうぞご一緒に・・」 

 声をかけられて、教授は牧師と並んで立ち、祈りを捧げた。

 長い儀式を終えると、牧師は十字架を鞄に収め、教授の耳元で囁いた。

「終わりました。いつの日か、ハル先生が復活されることをお祈りしておきました」
 

 教授は、思わず牧師を睨みつけた。
・・まだ胸の内にある計画なのに、この牧師は・・
 

 教授は恋人のハルをどうしても取りもどしたくて、ある計画を実行しようと心に決めていた。

 教授は思い切って牧師に聞いてみた。

「牧師、私がこれからやろうとしていることを、あなたはすでにご存じのようだが?」

 牧師はにこやかに微笑んだ。

「カレル教授、その答えはあなたの目の中に書いてありますよ。どなたでも、かけがえのない、大事な人を失った直後はいろんな思いに耽るものです。あなたはすでにやるべき事を決めておられるようですね」

 牧師はもう一言、付け加えた。

「ハル先生の魂は私がしばらくお預かりいたしましょう。新しい器が出来上がるまで・

 その言葉に驚いたカレル教授は牧師の目を確かめるようにのぞき込んだ。

 教授の計画とは、いつかハルの魂をこの世界に復活させることだった。

 その計画をハルに話したとき、死を覚悟していたハル自身も、それを強く希望したのだった。

 教授はあらためて、牧師を見つめた。

 牧師の青い瞳の奥はどこまでも澄み渡って、一点の汚(けが)れもなかった。

「教授、ご懸念には及びません。肉体を失った魂をお預かりすることは、牧師として当たり前の勤めなのですから」

「ハルの魂はいずれ私の元に返していただきますよ」

 教授の真剣な口ぶりに、牧師は思わず吹き出した。
 

 それから、遠慮気味に請うた。

「急の長旅で疲れました。少し伺いたい事もございますので、どこかに座らせていただけると嬉しいのですが・・」

 教授は牧師の疲れた様子に気がつかなかったことを一言詫びて、牧師にソファーを勧め、自らはデスクの椅子をずらして、牧師に向かい合う形で腰を下ろした。

「お祈り、ありがとうございました。その上献花までしていただいて・・ここ東京ではハルの大好きな白い花などとても手に入らなくて、困っておりました。ハルもきっと喜んでおります」

 お礼を述べてから一拍おいた教授は、日本語を流ちょうに話す不思議な牧師の身元の詮索を始めた。

「ところで牧師様は、先ほど総本部とおっしゃったが、どちらの総本部からお越しいただいたのでしょうか? 横浜や神戸の教会とか日本の沿岸部はすでに人影がないと聞いておりますが」

「ヨーロッパにございますキリスト教会の総本部から参りました。各国の教会からは牧師も、神父も姿を消しつつありますので、今は会派の違いを超えて総本部を作り、拠点を移動しながら、協力し合っております。このたびは、名もない牧師の私が、神に仕える者の代表として遣わされて、専用の航空機で三時間を飛んで、ようやくここまでたどり着きました」 

・・この終末の世界を、ヨーロッパから東京までやって来たというのか!

 地球のあらゆるところで、死者への祈りが必要だという時に、ハル一人のために欧州総本部から派遣されて来ただと?・・

 教授の顔に浮かんだ当惑の色を見て、牧師は椅子に座り直して法衣の乱れを直した。

 そして背筋を伸ばして呼吸を整えた。

「実は、教授の抱えておられる仕事に関わる重要な情報を、総本部から預かって来ております。極秘の公文書としてです。一刻も早くお見せしたいのですが、その前にお聞きしたいことがございます。それは皆様方が進めておられる例の極秘プロジェクトのことです」

・・例の極秘プロジェクトだと?・・

 政府が国連と極秘で建設を進めてきた巨大ドームの存在をこの牧師は知っている。

 それは、人類の生き残りをかけた最終プロジェクトだった。

 そしてカレル教授はそのプロジェクトのリーダーだった。

 牧師は驚く教授を無視して話を続けた。

「現状を詳しくお話いただければ、あなたを信頼して、公文書をお渡しすることが出来ます。そこに書いてある情報は、プロジェクトの抱える基本的な課題を解決するのに、必ずお役に立つはずですよ」

・・確かにプロジェクトは今、決定的な問題を抱えて、行き詰まっていた。

 しかし、極秘の話を初対面のこの牧師に話していいものかどうか?

 ハルもいなくなった今、教授が相談出来る相手は親しい友人でもある、日本国政府の最高責任者ただ一人だった。

 今も官邸で最後の勤めを果たしているはずの総理に相談しても、こんな怪しげな話に『ゴー』とも『ストップ』とも言える訳がない。

「どこにでも教会の仲間がいるのです。国連内部にもです。カレル教授!ドームの計画はおよそ漏れ聞こえておりますよ」

 言い放った牧師の一言に、教授の直感が頭の中ではじけた。

「失うものは何もない。この不思議な牧師を信用して、すべてを話してみろ」と。

 カレル教授は結論を下す前に、もう一度、若い牧師の顔を見直した。

 牧師の額からは大粒の汗が吹き出していた。

 見ると、壁の温度計は40度近くになっていた。

「部屋の中までこんな暑さとは・・気がつかずに申し訳ない。どうやら空調までやられたみたいです」

 教授は立ち上がり、冷蔵庫を開けて、冷やしたペットボトルを二本取り出した。

 戻ってきた教授は椅子に座り直し、キャップを開けて、一本のボトルを牧師に差し出した。

「助かります」

牧師はボトルに口をつけて、ゴクリとうまそうに一口飲み込んだ。

「お祈りしていただいたお礼に、いいものをお見せいたしましょう」

 カレル教授は椅子を半回転させてデスクに向かい、パソコンを立ち上げた。

「これは私の可愛い量子パソコン・ハルちゃんです」

 カレル教授は指先で画面にタッチして、やさしく囁いた。

「ハル、お客様だ。全景でアップだ!」

 パソコンの画面からホログラムがにじみ出してきて、牧師の前の空間に広がっていった。

 ホログラムは小さな若い女性の姿になった。

「私はハルです。お待たせしました、これが建設中のドームです」

牧師の目の前の空間に、半径1メーターほどの半円球のドームが浮かび上がった。

「ハル、解説スタートだ」

カレル教授は、右手の人差し指で目の前のドームの天蓋をそっと撫でた。

「それではドームのすべてをお話いたしましょう。今までのお二人の会話を聞いておりましたら、牧師様には何もかもお見通しのようですね」

「始めまして、よろしくお願いしますね」若い牧師が笑って答えた。

ハルの電子音が響いた。

「このドームはここ都心から離れた丘陵地に建設中です。ドームは地球の大気の対流圏の内側に位置して、地上から10キロに達する半円形の巨大な天蓋で覆われ、外界と遮断されます。天蓋は有害な紫外線と高温を遮蔽する特殊な構造になっているのですよ。
・・目的は言うまでもなく、温暖化による高温の大気と、例の病原体からの隔絶です。空調を始めすべての環境はドーム内完結型で、ライフ・ラインとインフラのシステムはすべて地下に内蔵され、人工知能によって自動的にコントロールされます。居住用の施設は危険の分散のため、独立家屋つまり分散した建築物でランダムに構成されます」

電子音が続く。

「コンセプトはノアの箱舟。形は箱船を裏返しにした巨大建築物といったイメージでしょうか。ハードの施設系はほとんど完成しているのですが・・ソフトに難題を抱えております。ここで暮らす人々のことです。このあとはカレル教授に説明をお願いします」

ハルの解説が止まってしまった。

カレル教授はボトルから水をすこし飲んで、ハルの話を引き継いだ。

「牧師、実は難題を抱えております。人類の継承者となるべき若者を世界から集めるという極秘の作業についてです。長い時間をかけて、世界中から完全にランダムに候補者を選んだものの、救助クルーが現地に到着したときには、すでに本人は亡くなっているのです。こんなことの繰り返しです。我々の計画があいつらに読まれているようなのです。つまりドームは完成が間近なのに、肝心の居住者が未だ目標の0%という有様です」

 教授は大きなため息をついて、悔しそうに天を仰いだ。

「カレル教授、そのことですが、私たち総本部は候補者選びのお役にたてるかもしれません」

 牧師が胸に抱えた黒いカバンの革張りを、中身を確かめるように手でとんとんと叩いた。 

・・この中にその答えが詰まっているのですよ・・と。

「教会は地球上に広がる独自のネットワークを持っています。政府とか国際機関とか、おもてのネットワークと違って、裏の情報網とでも言うべきものです。教会の情報網には、国家間の利益相反がございませんから、集めた情報はきわめて信頼性が高いといえます」

 牧師はにやりと笑って、教授をみた。

「ご興味があればご紹介いたしますが・・」

 カレル教授の目がぎらりと輝き、身を乗り出して牧師に話の続きを催促した。 

 牧師は、教授をじらすようにゆっくりとカバンの蓋を開けながら話を続ける。

・・地球の異変に関して、私ども教会の調査網が手に入れた直近の情報です。

 基本的には地球上から緑・・つまり植物はほぼ消滅しました。

 海の中からもです。

 植物という食物連鎖のピラミッドの底辺が崩れた構図の中で、現在、生き残っている生命体は、病原体を内包する生命体と我々人類だけではないか、ということです。 

 地球上での絶滅戦争は最終レースに入ったようです。

 人類にとって、地球上で病原体から守られた比較的安全な地域は、周囲を海に囲まれた日本などの海洋国家、それも湾岸部を除いた地方に限られてきました。

 ここまでは教授の方がよくご存じのことで付け加えることはございません。 

 直近の情報は明暗二つです。

 最悪の情報は、我々の調査データから推定して、あと半年で地球上から人類という種は消え失せるだろうということです。

 もっとも、人類という食料がなくなったら、例の病原体も消滅することになりますが・・。

 牧師は暗く笑って、話を続けた。

「朗報は・・ この病原体に免疫を持った子供たちが地球上に六人いることが発見されたことです。わずか六人ですが、子供たちの免疫性は大変強くて・・接触や摂取をしても病原体に打ち勝っているということです。ただ、彼らの両親については免疫力が弱くて、このままではいずれ子供たちは両親を失い、世話をする者のいない地球の孤児になってしまいます」

 牧師が黒いカバンの蓋を開けて、教会のロゴの入った公式の封書を持ち出し、教授に差し出した。 

「この中に子供たちのリストが入っております」

 カレル教授は飛びつくように封書を受け取り、中から一枚の書類を取り出して開いた。

 

極秘[最終候補者リスト:日本語表記]

裕大   男14才 東京・日本

サラ   女14才 森林地帯・特定不可    

匠    男13才 裏六甲・日本      

エーヴァ 女13才 パリ郊外・フランス   

ペトロ  男12才 ナパバレー・アメリカ  

マリエ  女12才 ワルシャワ・ ポーランド  

 
リストを食い入るように見つめる教授に、牧師が説明を始めた。

  
「全員が十二才から一四才までの男女六人です。日本ですとちょうど、中学生の年齢にあたります。匠とマリエには父親がいません。裕大、サラ、エーヴァ、ペトロの両親は健在です。したがって、家族全員で16 名となります」

「リストの六人は、名前だけで姓が抜けておりますが・・?」

教授が怪訝そうに尋ねた。

「フルネームと所在の詳細はリストから意図的に削除してあります」

牧師がそう答えると、カレル教授は、こんな緊急事態になぜ詳細を伏せる必要があるのかと牧師に尋ねた。

「カレル教授、詳細につきましては極秘ファイルをお渡しします。万一、氏名が世の中に流れだすと、ネットに乗ってたちまち特定されてしまいます。羨望とやっかみの的になりとても危険です。その上、進化した知的病原体のターゲットになる恐れがあります。いずれ、子供たちやご両親の姓は永久に消去される事をおすすめしますよ」

・・苗字など必要ありません。いずれ、この六人しか人類は残らないのですから、認識コードは名前だけで十分なのですよ・・。

 牧師がそう言っているように教授には聞こえた。

 牧師はカバンの中から慎重に一枚のデイスクを取り出すと、黙って教授に手渡した。

 教授が受け取り、デスクのパソコンに入れてファイルを開くと、子供たち六人とその家族の詳細なプロフィールに続いて、診療カルテのようなデータと画像が出てきた。

「この画像は教会の医師団が撮影したものです。六人の子供たちの免疫細胞とDNA構造を拡大したものです」

 教授が画像が開くと、後ろから牧師が言った。

「教授ならこれが何を意味しているか一目でおわかりになるはずです」

 その静止画像は教授が繰り返し実験してきた遺伝子の塩基配列による免疫細胞のシステムと同類だった。

 これまで繰り返し教授のチームが開発した免疫システムの有効性は、その都度、わずか数日で、進化した病原体によって破られてしまった。

「これもまたいずれ破られる」

 教授は肩を落とした。

「せっかくだが、牧師、これは役に立たない・・」

 言い終わったそのとき、教授の目の前の画像が動き出した。

 教授の目がいっぱいに見開き、口から悲鳴が漏れた。

「なんだこれは!」

 塩基配列は一秒ごとに揺れ動き、且つ変化していた。

 細胞を構成する塩基配列群が無限に現れては消えていく。

「カレル教授! これは変化したウイルスが接触したとき、即時に対応できる抗体システムです!」

 牧師の声が教授の耳に届いた。

「こ、これは破られようがない。とてつもなく高度で且つシンプルな方法だ」

 教授の口からうめき声が漏れた。

・・六人の子供たちについての牧師の話は疑いようのない真実だった・・

「これは私ども科学者には思いも付かない免疫システムです。しかし残念ながら我々の現在の技術レベルでは、他の人間への転用は不可能です」

これはきっと六人の子供たちだけへの神様からの贈り物なのでしょう”

 教授の興奮した声が実験室に響いた。

 その言葉で若い牧師の顔がふと恥ずかしげにほころんだ。

「カレル教授、あなたはすでにご存じの筈です。被捕食者が人間に仕掛けた病原体・・ウイルスの遺伝子は、ルーツをたどれば人間そのものから飛び出した遺伝子だったのです。だから親和性があって容易に人間の細胞に侵入できます。しかしこの子供たちの免疫システムは親和性を排除してウイルスの侵入を防いでいます。教授、進化したウイルスが逆に新しい人類を作りあげたのです」

カレル教授の牧師に対する疑念は消え去った。

そのあと二人の話は弾んで深夜に及んだ。

教授はドーム世界の構想について、牧師を相手に熱心に語った。

「ドームの計画は、明日から、この六人の子供たちとその家族にポイントを絞って組み変えられる事になります」

・・まず、命をつなぐ食料ですが、保存食料で小人数の10年分の備蓄があります。

 しかし、いずれゼロ・ベースからの食料生産技術を開発する必要が出てまいります。

 子供たちが、自分たちだけで生き残れるような教育と準備を始めなければなりません。

 そのための施設と、子供たちのための特別なカリキュラム、それに優秀な先生方が必要です。

 さらに人類の歴史を語る図書館もです・・

「ハル、もう一度姿を現して、施設の進捗具合と新たな計画を話してくれませんか?」

 教授の言葉で、ハルがホログラムの小さな姿を見せた。

 ハルは牧師に近づいて軽くお礼のお辞儀をすると、これからの計画を説明した。

「六人の子供たちのお話をお聞きしました。教育施設として、学校が必要になります。ドームの中央に、六人の生徒のための小さな中学校を建設いたしましょう。その地下には将来の人類の復活に備えて、機密製のある小さな議事堂を計画いたします。実は地球から集めた人類の歴史図書館は、アーカイブされてドームの地下深くに完成しております。人類の絶滅に備えてです」

「人類が全員、絶滅してしまえば誰も使わない無駄な施設になりますが」 

ホログラムのハルとカレル教授、牧師の三人が同時に言って、顔を見合わせ小さく笑った。

 そしてすぐにまじめな話に戻った。

「子供たちのカリキュラムについて、いくつかアドバイスをさせていただきます」

 勝手なご提案ですがと、牧師が具体的な構想を語った。

・・調査によれば、六人の子供たちはそれぞれがとくべつな才能を内包しています。

 数十億の人類から神に選ばれた、たったの6人ですから、その才能は信じられないほどのものですよ。

 思いきったカリキュラムで、特別な能力を持つ新しい人類に育て上げていただかねばなりません。

 こどもたちの才能がどのようなものかは、教授ご自身でお会いになって、判断されるといいでしょう。

 きっと驚かれますよ。

・・次に、子供たちのご家族を紹介しておきます。

 まず、裕大の父親は最新の空調システムを製造する工場の技術責任者です。

 現実の世界、つまりドームのエコ・システムの管理運営などはお手のものでしょう。

 サラの家族は特別な一族です。

 聖職者の間では、「幻想を操る伝説の一族」といわれています。

 地球のあらゆる森林地帯に潜んで、子供たちの生まれつき持っている空想の力を集め、ファンタジーアという幻想の世界を作り上げていたというのです。

 その世界は子供たちだけの世界で、私ども大人には見えないらしいのです。

 サラ一族に対抗する闇の勢力が、大人になる前に子供から記憶を奪うからだと言われています。

 ここ数年で、子供たちの姿が地上から消えて、ファンタジーアが消滅したために、サラ一族が現実の世界に姿を現したのだと思われます。

 サラの両親の力を借りれば、ドームの中に六人の子供たちの「幻想の世界」を創ることが出来そうです。

 次に、先端科学の領域で天才エンジニアであるペトロの父親は、ほどなく異次元空間への転移技術を開発するはずです。

未来や過去への冒険の旅とか、子供たちの経験知を広げるために是非とも「虚構の旅」を子供たちの教育カリキュラムに加えることをおすすめします。

「幻想と虚構」この二つは、子供たちが過酷な現実を生き抜くために必要な経験と夢を育む、心のオアシスとなりますよ。

 教授、いかがでしょう? 

「リアルの世界」「幻想の世界」「虚構の旅」併せて三界からなるドーム・ワールドというのは?
 

 次にエーヴァのご家族についてですが・・。

 科学者であるカレル教授は、若い牧師が熱く語り、紡いでいく不思議な世界の物語に魅せられ、引き込まれていった。
  
 夜も更けて、牧師の言葉が、次第に途切れるようになってきた。

 実験室の不規則な空調の音に混じって、牧師の荒い呼吸が聞こえる。
 

・・牧師の胸があえいでいる。息苦しそうだ・・

 教授は、若々しく見えた若い牧師の顔が、急に年を取ったみたいに生気を失い始めた事に気が付いた。

 教授は慌てて牧師の脈を取って調べたが、特に異常はない。

「お別れの時間が参ったようです。そろそろ失礼しなければなりません」

 牧師はソファーの肘おきに手をやり、身体を支えながらよろよろと立ち上がった。

 慌てて牧師の身体を支えながら、カレル教授が聞いた。

「牧師、お名前をお聞かせ下さい。至急、軍の車を用意させますので」 

 牧師は体勢を立て直し、教授に礼を言った。

「最初に申し上げました通り、私は総本部から遣わされた、名もない牧師です。研究所のゲートの前に空港までの車を待たせておりますので、ご心配は無用です。それより教授、大切な子供たちをくれぐれもよろしくお願いしますよ!」

 牧師は、教授と別れの握手を済ませ、研究室の扉を自分で開け、誰もいない庭に出た。 

 カレル教授も庭に出て、牧師を見送った。

 燃えるように熱い外気が顔に吹き付けて来る。

 人気のない研究所のゲートに向かう牧師の白い法衣が熱風と夜の闇に揺らいで見えた。
 

 一瞬、教授は息をのんだ。

 牧師の後ろ姿が宙に浮かび、夜空に舞い上がって、薄い闇に消えていったように見えた。

「熱風による幻視か?」

 教授は頭を一振りしてドアを閉め、実験室の自分のデスクに戻った。

 そして、先ほどの封書を開いて、もう一度リストを確かめた。

 次に、パソコンから極秘の直通回線を開き、総理を含めて、わずかに生き残っている政府の責任者と軍の幹部に緊急連絡を入れ、ディスクのデータ・ファイルを送付した。
  

××
 軍に残された最後の精鋭から三班のクルーが直ちに編成され、空軍の基地から三機の超高速艇が六組の家族を救助するために、轟音とともに急発進した。
××

 ことは急がねばならなかった。

 病原体が最後の砦であるドームに侵入してくる前に、六組の家族を迎え入れ、ドームを外界と遮断する必要があった。

 連絡を終えた教授は、一息つくと、防護用の手袋をはめて、実験台の上のハル先生の遺体に向かい、腕の皮膚を少し切り開いて、慎重に遺伝子のサンプルを採取した。

 そのあと恋人ハルの情報は安全なところに保存された。

 しかし、病原体を含んだ遺体の血液のわずか一滴が、遺体の上にかがみ込んだときに自分の首筋に付着したことに、教授はまるで気が付かなかった。
  

 教授の仕事は朝まで続いた。

             ・・続く・・

(続きを読んでくださいね)

この世の果ての中学校  一章  ハッピー・フライデー「ペトロの誕生日」

【すべての作品は無断転載を禁じております】

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下條 俊隆

下條 俊隆

ペンネーム:筒井俊隆  作品:「消去」(SFマガジン)「相撲喪失」(宝石)他  大阪府出身・兵庫県芦屋市在住  大阪大学工学部入学・法学部卒業  職歴:(株)電通 上席常務執行役員・コンテンツ事業本部長  大阪国際会議場参与 学校法人顧問  プロフィール:学生時代に、筒井俊隆姓でSF小説を書いて小遣いを稼いでいました。 そのあと広告代理店・電通に勤めました。芦屋で阪神大震災に遭い、復興イベント「第一回神戸ルミナリエ」をみんなで立ち上げました。一人のおばあちゃんの「生きててよかった」の一声で、みんなと一緒に抱き合いました。 仕事はワールドサッカーからオリンピック、万博などのコンテンツビジネス。「千と千尋」など映画投資からITベンチャー投資。さいごに人事。まるでカオスな40年間でした。   人生の〆で、終活ブログをスタートしました。雑学とクレージーSF。チェックインしてみてくださいね。

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