この世の果ての中学校18章 “カレル教授が実験室からさらわれた”     

「ペトロ、その世界には近づかない方がいい」

 手品師の声が震えていた。

「ペトロは神様の存在を信じてるかな? “我々を越えた宇宙の意志”・・あれはカレル先生独特の表現だよ。一言で言えば神様のことだ。君たち六人を残して地球に人類がいなくなったのは神様の仕業だと教授は信じているようだ。神様は自然の調和を乱した人間を見限ったのかもしれないとね」

手品師の説明に驚いたペトロは、牧師の娘マリエが昔ペトロに囁いた言葉を思い出した。

・・この世界では、いくらお祈りしても神様の声はもう聞こえないの。人間の守り神はいなくなったのよ・・と。

「手品師のおじさん、僕のことなら心配いらないよ。ちょっと気になって聞いてみただけだよ」

ペトロは手品師のおじさんに余計な心配を掛けないよう、努めて明るくこたえた。

(前編のストーリーはここから読んでくださいね)

この世の果ての中学校17章“虚構の手品師と秘密の技”

この世の果ての中学校18章 “カレル教授が実験室からさらわれた” 

「ペトロ、その世界には近づかない方がいい」

手品師はペトロを見つめてもう一度繰り返した。

 言い終わると、手品師はふと周りを見回した。

 しばらく視線を彷徨わせ、なにか怪しげな世界でも覗いてしまったように身震いをした。

「ペトロ、何者かがよからぬことを企んでいるようだ。じつは先ほど教授の実験室を覗いてみたら、部屋の中がひどく荒されていた。あれはとても教授自身の仕業とは思えなくて、心配になってこの部屋に先生を探しにきたんだよ」

「カレル先生が行方不明だって? もしかしてお昼寝中かもしれないよ」

ペトロは思わず部屋の隅の魔法瓶を覗きにいつた。

 魔法ビンの中はもちろん空っぽだった。

 手品師のおじさんの様子がどうもおかしい。

 仮面の下で、何か僕に隠している。

 多分、カレル先生の行方のことだ。

「おじさん! カレル先生は何者かに誘拐されて、姿を消したのじゃないか・・おじさんは本当はそう思っているのじゃないですか? 僕に言えば心配すると思って・・」

「手品師のおじさん! 正直にいいなさい!」

 そう言ってペトロは手品師の仮面を、厳しく睨んでみた。

 能面の下の口から、ぷっと吹き出す音が聞こえた。

 それから、能面がぎゅっと引き締まった。

「白状すると、犯人は教授に恨みを持っている者の仕業じゃないかと思ってるんだ。教授が命がけで作った《とても貴重な物》が実験室から盗まれていたからなんだ」

・・先生が命がけで作ったとても貴重な物だって? 一体何のこと?・・

 ペトロが質問する前に、手品師が答えた。

「君たち全員の将来に関わる大事な物だ。そうだ、実験室で説明しよう。ペトロ、いまから私と一緒に、実験室まで付き合ってもらえないかな」

 ペトロが喜んで頷くと、手品師は小さなスペース・フォンを取り出して、だれかに連絡を始めた。

 相手は校長先生のようだった。

「先ほどはどうも・・いやまだ教授の姿は見つけられなくて、いまからもう一度ペトロと二人でラボの様子を確認して参ります。たまたま教授の部屋にペトロがやってきたもので・・私の助手としてしばらくお借りしますよ」

 手品師はスマホをポケットに収めると、椅子から立ち上がって部屋の奥に行き、大きなキャビネットをギシギシと横にずらした。

 キャビネットの後ろに隙間が出来て、暗闇の向こうに通廊が見えた。

「いくぞ、ペトロ!」

 ペトロは手品師のあとをあわてて追いかけて、勝手知った通廊に潜り込んでいった。

 手品師はまるで暗闇が見えているみたいに早足で歩いた。

 回廊を下って小さな踊り場に出ると図書館の方を指さして独り言を言った。

「なぜかこのあたりは最近、旨そうなイタリアン・レストランの匂いがするな」

 ペトロはゴルゴンの必殺の技を思い出して、クスッと笑った。

 図書館に入ると、エントランスの視界から隠れた一角に、奥に通じる細い通路があった。

 通路は図書館の裏側に回り込んで、突き当たりになって終わっていた。

 突き当たりの壁に「入室禁止、危険エリア」と書かれたちいさな扉があった。

 「この中が教授の実験室だよ」

 そういって手品師は、扉に取り付けられたドア・ノブに右手を差し出した。

 ドア・ノブには鍵穴も取っ手も無くて、真中に赤いの付いた、ちいさな四角い金属板がドアから張り出しているだけだ。

 手品師はプレートの表面ではなくて、左右の張り出した側面に親指と人差し指を貼り付けた。

 ピピーと小さな金属音がして、ロックが解錠されてドアが開いた。

「指紋照合だよペトロ。よく覚えておきなさい。ドア・ノブの表面の赤いで囲まれたところに指を貼り付けたりすると、くっついて指は離れなくなる。アウトだ! 防犯の仕掛けはシンプル・イズ・ベストだ」

 二人はクスクス笑いながらドアをくぐり抜けて実験室に入った。 

「私の指紋はすでに侵入者に盗まれている可能性があるな」

 手品師はそういって、指にフッと息を吹きかけて指の紋様を変えた。  

 次に、ドア・ノブの裏側を開いて、認証のサインを新しい指紋に変えてしまった。

 手品師の技に見とれているペトロに、手品師は伝えた。

「この部屋に入ることが出来るのは教授と私の二人だけだ。そして今からはペトロ、生徒代表で君もOKとなる」

 ペトロは手品師の真似をして親指と人差し指にフッと息を吹きかけ、ドア・ノブの裏側を開いて認証登録を済ませた。

 一歩入ると、部屋は広くて壁も天上も真っ白、最先端技術を装備した大病院の手術室のようだった。

 空調が静かな音を立てて、部屋の温度を一定に保っていた。

 中央の実験台の上には、大きな昆虫の触手みたいなものとか、ぐるぐる回るミキサーみたいなものとか、ペトロには意味不明の装置がクレーンからぶら下がっている。

 180度回転の椅子が中央の操作盤の前にあって、いつでもパネルの操作ができるように準備が整えてペトロを待っていた。

  ペトロは実験シートに座ってみた。

装置は万全で、実験の準備はOKだった。

「あれっ!よく見たらこの実験室はどこも荒らされていませんよ!」

 ・・さっきの話では部屋はむちゃくちゃに荒らされてたはずなのに・・

 ペトロが怪訝そうに手品師の顔を振り返ったら、手品師は仮面を歪めて答えた。

「すでに部屋は自分で掃除を済ませたようだ。それより奥の小部屋を調べてみよう。小部屋に隠しておいた貴重なものが盗まれて、なくなっていたのだよ」

・・掃除済みって、いったい誰が掃除してくれたんだよ?・・

 手品師が手招きをしたので、ペトロは黙って付いていった。

 突き当たりに小さなドアがあって、銀行の金庫室の入り口そっくりだった。

 手品師が大きな回転式のハンドルを右と左に数回廻した。

 カチリと音がして、重い扉が自動で開いた。

 扉の奥に小さなスペースが拡がっていて、持ち運びができる頑丈で大きなボックスが収められていた。

 ボックスの蓋は開いているが、なにかが盗まれたような形跡はなかった。

 ボックスの中を覗いてみると、小さな魔法瓶のような容器が整然と並べられていた。

 

 ペトロが手品師に疑問をぶつける前に、手品師が先手を取った。

「おー、ペトロ、盗まれた物は、すでに新しく再生済みのようだ。一体誰が部屋を掃除した上に、盗まれたものまで再生してくれたのかな・・ペトロの疑問には後で答えることにして、まずこちらからペトロにクイズだ。盗まれた魔法瓶の中身は何だったと思う?」

・・盗まれてもいないのに、盗まれた物は何だとは何だろう。僕らにとつて、とっても大事な物とか言ってたな・・

 ペトロはお腹が減ってきたので、口からでまかせを言った。

「冷凍食品」

「近い! 冷凍食品じゃなくて、凍結細胞だよ」

「人間のですか?」

「まさか。絶滅した動物の幹細胞だ。身体の中のどんな細胞にも成長できる細胞のことだよ。いろんな家畜の幹細胞が含まれている。それも最強、最良のものだ。それから少しだが植物の細胞も保存されている。ペトロ、このボックスはなにかに似てると思わないか?」

「ノアの箱舟」

「正解だ。ノアの箱舟のゲノム版だ。カレル教授とハル先生が、将来君たちが、成体を作り出せるように主要な生物の幹細胞を凍結保存しておいてくれたのだよ。それこそ二人が命をかけて作り出したものだ」

 ペトロはハル先生とカレル教授がゲノムの実験の犠牲になって、命を失い、幽体になってしまったことを知っていた。

 二人の先生が僕たちの未来のために、命をかけて凍結保存してくれた物だと知って、ペトロの胸は締め付けられた。

 ・・でもなんだかおかしい。動物たちの幹細胞は大事に保存されているのに、どうして僕たち人間の幹細胞は保存されていないのか? 順序が逆じゃないか。人類の保存が優先されるべきなのに・・

「おかしいじゃないですか?」

 ペトロが問いただすと、手品師は落ち着き払って答えた。

「おかしくもなんともない。人類の種はとても慎重に、あるところに保存されている。よく考えてご覧、それはどこかな?」

 ペトロはしばらく考え、答えを見つけて、絶句した。

 そしてゆっくりと自分の胸のあたりを指さした。

「その通りだ。君たちだよ。君たち六人こそ、大事に保存されている人類の幹細胞だ」

 ペトロはなんだか嬉しいような、馬鹿にされているような、複雑な気持ちになった。

 手品師のおじさんが大きな手をペトロの肩の上に優しく置いた。

「どうかな、ペトロの疑問は解けたかな?」

「一つは解けました。でも、おじさん、この実験室はきれいだし、冷凍庫からもなにも盗まれていないじゃないですか? 僕には、この部屋は、なにも荒らされていないように見えますよ?」

「さっき調べたときには、部屋は荒らされて、凍結細胞の入ったボックスは失われていたんだよ。でもペトロ、こんな貴重な物を無くすわけにはいかないじゃないか! 君たちの未来の仲間なんだよ・・実は教授と二人で凍結細胞が絶対に無くならないような方法を考えだして、実行に移していたんだ。そのからくりを順を追って説明しよう」

   手品師は手品のからくりをペトロに明かした。

・・カレル教授研究チームの実験室は、子供たちの未来に備えて、地球上の動物たちの最優良ゲノムを凍結幹細胞として永久保存し、隠した。

 それは例え見つけられ、盗まれても、決して無くなることはない。

 それは何故か? どこに隠したのか。またどんな仕掛けをしたのか。

【答え】を教えよう。

 一つ 実はラボは二つ存在する。

 しかしこの世の見かけは常に一つである。

 二つのラボにはそれぞれに「隠された物」がある。

 二つ  二つのラボに同時に進入することは絶対に出来ない。

 部屋は常にどちらか一つしかこの世に存在しないからだ。

 だから「隠された物」が二つとも同時に盗まれることはない。

 三つ 例えこの世のラボから「隠された物」が盗み出されたとしても、あの世のラボの「隠された物」が即座に自動増殖を開始し、盗まれたラボの空の冷凍庫に自らを分け与える。 

 そして荒らされたラボはいつも通り自らを自動清掃する。

 これら三重の防御によって隠された物が無くなることはない。

・・ペトロにはさらに秘密の情報を教えよう。

 ラボの一つは常に実験に使われていない状態にある。

 もったいない空間なので、私の古書店を昔のレトロなたたずまいのまま部屋の一角に再現してある。

「古書が山ほどある。いつかペトロをご案内するよ!」 

 手品師はすべての秘密を弟子のペトロに明かした。

「理解出来たかな? どうだペトロ!」 

 返事はなかった。

 ペトロは深く考え込んでしまったからだった。

・・・・・・・ 

 手品師とペトロは、「隠された大事な物」が元通りに復元されていることを確認すると、姿を消したカレル先生の捜索を始めた。

 図書館の中や隣の議事堂、地下の通廊の隅々まで調べたが、先生の姿はどこにもなかった。

 あきらめた二人はいったん教授の部屋まで戻った。

  部屋にも先生の姿はなかった。

 代わりに、校長先生とハル先生、ヒーラー・おばさまが心配して集まっていた。

 それからみんなで手分けして学校中を探した。

 校庭の隅の道具小屋や、使っていない教室や、屋根裏部屋や、トイレや、医務室や、ペトロが知らなかった秘密の小部屋まで探し廻ったが、教授の姿はどこにもなかった。

 ペトロは、裕大や咲良やエーヴァや匠やマリエやみんなのパパやママにカレル先生の失踪を連絡して、なにか情報がないか尋ねた。

 手がかりはなにもなくて、夕闇が迫ってきた。

「今日はもう無理だ。捜索はあすの早朝から再開しよう」

 暗くなった校庭を見つめて、心配顔の校長先生がぼそっと言った。

「ペトロ、もう遅いから家まで送ろうか?」

 家に帰ろうとして立ち上がったペトロに、手品師のおじさんが声をかけてくれた。

「こんなのへっちゃらだよ。一人で帰れるよ」

 ペトロは強気で答えたが、じつは少し不安だった。

 カレル先生が凍結ボックスと一緒にどこかへ消えてしまった。

・・地球が暑くなってから、ペトロの前から大好きな人が次々とどこかへ消えていった。これ以上、大事な人がいなくなるのはもう嫌だ・・

 ペトロの不安が、ペトロを見つめる手品師の表情にも映し出されていた。

 その表情には見覚えがあった。

 昔このドームにやってきた頃、ペトロはよくママを困らせた。 

 ママの用意した夕食を「こんなまずいの、食べたくない」と言ってママを困らせているのを見て、パパが浮かべた悲しそうな表情にそっくりだった。

 そんなある日、大好きなパパが突然いなくなったのだ。

「パパはどこへ行ったの?」とママに聞くと。

「『子供たちの未来を探しに旅にでる。必ず帰って来るから心配するな』と言って出かけたの」

 ママはそれだけしか答えてくれなかった。

 ペトロはあの日からパパが現れる日を待ち続けている。

 きっとママも同じだ。

 ペトロにはパパの悲しそうな表情と、目の前の手品師の顔が重なって見えた。

 ・・もしかしたら手品師のおじさんは僕のパパ・・

 でも待てよ! 

「ペトロはパパにそっくりよ」とママがよく言ってたぞ。

 なーんだ、おじさんの能面が僕の顔を写してるだけか。

「元気出せ、ペトロ! あしたは朝から裕大や匠やみんなでカレル先生を捜索だぞ!」

 自分にハッパをかけたペトロは、ママの待っている我が家に向かって、薄闇に包まれた坂道を一目散に駆け登っていった。

(続く)

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下條 俊隆

下條 俊隆

ペンネーム:筒井俊隆  作品:「消去」(SFマガジン)「相撲喪失」(宝石)他  大阪府出身・兵庫県芦屋市在住  大阪大学工学部入学・法学部卒業  職歴:(株)電通 上席常務執行役員・コンテンツ事業本部長  大阪国際会議場参与 学校法人顧問  プロフィール:学生時代に、筒井俊隆姓でSF小説を書いて小遣いを稼いでいました。 そのあと広告代理店・電通に勤めました。芦屋で阪神大震災に遭い、復興イベント「第一回神戸ルミナリエ」をみんなで立ち上げました。一人のおばあちゃんの「生きててよかった」の一声で、みんなと一緒に抱き合いました。 仕事はワールドサッカーからオリンピック、万博などのコンテンツビジネス。「千と千尋」など映画投資からITベンチャー投資。さいごに人事。まるでカオスな40年間でした。   人生の〆で、終活ブログをスタートしました。雑学とクレージーSF。チェックインしてみてくださいね。

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