芦屋で散歩②!カルチャー好きなら芦屋川から谷崎潤一郎記念館と市立美術博物館巡りがおすすめ

名作「細雪」の舞台となった芦屋でカルチャー探索はいかが? 地元の筆者がおすすめする「芦屋で散歩」の第二弾は、芦屋川沿いに芦屋浜まで足を伸ばして、芦屋を舞台にした「細雪」の「谷崎潤一郎記念館」と、芦屋ゆかりの画家たちの「芦屋市立美術博物館」を巡る散策ルートです。

お腹が空いたら、二つの施設の真ん中にあるオシャレな「カフェ・ド・ルポ」で手作りサンドでお喋りランチがおすすめ。JR・阪急・阪神の最寄りの各駅から両施設への探索のルートもご紹介します。

谷崎潤一郎記念館とは? エロスを愛した文豪谷崎潤一郎の生涯が息づくところ!

谷崎潤一郎記念館

谷崎潤一郎記念館

谷崎潤一郎記念館は、芦屋モダーンともいえるカルチャーを感じさせる記念館です。谷崎の愛した数寄屋風の邸宅と庭園から構成され、再現した書斎、直筆の原稿、愛用した机、硯、筆、美術品など多くの資料を展示しています。

玄関横に飾られている重さ15トンの巨石は神戸市東灘区岡本にあった旧谷崎邸の庭石です。阪神大水害のときに邸内に飛び込んできた石をそのまま庭石として置いたものと記録されています。

関東大震災を免れて阪神間に落ち着いた谷崎は、芦屋を舞台にした名作「細雪」を完成させます。「源氏物語」の美の世界に通じる谷崎のモダニズムが結実した記念碑的作品です。

細雪の4姉妹のモデルとなった末っ子の女性の方は、阪急芦屋川駅からほど近いところにお住まいで、近隣の娘さんに習い事を教えておられました。筆者も何度かお会いしましたが、占いが得意な、とても気さくで上品なおばさまでしたよ。

和風庭園

谷崎が愛した和風庭園〈モデル〉

記念館の奥に作られた和風庭園。ベンチのあるお休みどころです。庭園を眺めながら潤一郎の晩年のエロスへの思いや、青春時代を過ごした遥かな東京への望郷の念を想像してみてはいかがでしょう。

谷崎潤一郎
1886~1965 79才没 
妻 松子夫人 
親友は佐藤春夫

〈主な作品〉
初期作品   『刺青』『少年』『秘密』『人魚の嘆き』
短編     『小さな王国』
関西での作品 『蓼喰う虫』『卍』『春琴抄』
晩年の作品  『鍵』『癇癪老人』
芦屋での作品 『猫と庄三と二人のおんな』
通年での作品 『細雪』

〈参考〉

谷崎潤一郎記念館 公式サイト

芦屋市立美術博物館/芦屋ゆかりの画家の美術展や芦屋の歴史を紹介

リニューアルした芦屋市立美術博物館

リニューアルした芦屋市立美術博物館 〈2023/5/3撮影〉

芦屋市立美術博物館は芦屋ゆかりの画家の収蔵作品による常設展や、ときどきのテーマによる特別展を開催しています。また、芦屋の自然や歴史を語る収蔵品や資料を紹介する博物館としての機能も持っています。いつでも誰でも、気楽に立ち寄れる美術博物館です。

リニューアルした特別展として「芦屋の美術、もう一つの起点 伊藤継朗」展は2023 年4月15日~7月2日まで開催されました。

大阪生まれの伊藤継朗〈1907~1994〉は1928年に芦屋にアトリエを構えて画家として活動を開始。アトリエは小磯良平をはじめ多くの画家や文化人が集まる芦屋カルチャーの拠点となります。

特別展は、伊藤継朗をはじめゆかりの画家の作品も展示されました。

ここでは、特別展で撮影が許可された作品のうち伊藤継朗の作品4点をご紹介します。

二人の司教 伊藤継朗

二人の司教 1968年 伊藤継朗

上下3つの作品は同じ年の1968年に画かれたものです。

ギリシャの老人 1968年

ギリシャの老人 1968年 伊藤継朗

伊藤継朗は旅先で出会った人々を簡潔なフォルムで描いています。これらはギリシャ旅行の旅先での作品でしょうか。なんとなく漫画調でおどけた表現が可愛いですね。

裸婦3人 1989年

裸婦3人  1989年 伊藤継朗

学芸員の説明によりますと、彼の作品は絵の具の使い方が独特で、「チューブから直接カンパスにしぼり出したり、マッチ棒で絵の具を盛り上げたりと、独特の〈質感〉を出しているのが特徴」だそうです。質感溢れる裸婦3人像はその技法を使った代表作と言えます。

伊藤画伯はアトリエで一般に向けた絵画教室を開いてオープンな勉強会も行っていました。筆者の妻も子どもの頃に教室に参加したことがあるそうですよ。

リニューアル特別展の後は、歴史資料展示室が常設展示室に生まれかわる予定とされています。どのような作品にお目にかかれるのか楽しみです。

2023年7月22日~10月9日

「最後の浮世絵師 月岡芳年」特別展が開催されました。

最後の浮世絵師 月岡芳年

最後の浮世絵師 月岡芳年

公開作品

公開予定の作品

公開予定の作品

公開予定作品の一部/公式サイト

公開予定作品の一部/公式サイト

月岡芳年 
浮世絵師
“最後の浮世絵師”と呼ばれる。

天保10年~明治25年(1839年~1892年) 江戸新橋の吉岡家に生まれる。
12歳で歌川国芳に師事 武者絵、美人画、戯画を得意とするも、一時期精神を病み作品に影響 “血みどろ絵”や“無残絵”の芳年とされる。

“大蘇”と名乗り出してからは歴史画・風俗画などで人気浮世絵師として階段を駆け上った。

特別展では、芳年が全盛期から晩年にかけて描いた150点が展示されました。

2023年10月28日~2024年2月4日

「時代の解凍」特別展を開催中です。

2月5日以降は公式サイトをご覧下さい。

芦屋市立美術博物館 公式サイト

途中でお喋りランチするならカフェ・ド・ルポがおすすめ!

カフェ・ド・ルポ

カフェ・ド・ルポ店内

途中でお喋りとランチするならおしゃれなカフェ・ド・ルポがおすすです。芦屋美術博物館と谷崎潤一郎記念館を含む公園の一角にあり、ガラス越しに美術博物館を眺めながら一休みできます。ランチのおすすめは手作りのホットサンドでハムとツナの2種類があります。

カフェ・ド・ルポの手作りサンド

カフェ・ド・ルポの手作りサンド

野菜たっぷりなサンドはホットな中に食べるとおいしいですよ。テイクアウトできるので、目の前のオープンな公園でピクニック風に広げて食べるのもありです。

アクセスと散歩ルート

芦屋カルチャー散歩MAP

芦屋カルチャー散歩MAP

上は、芦屋美術博物館と谷崎潤一郎記念館への散歩しながらのMAPです。近くの鉄道駅は阪急芦屋川駅〈MAP上部〉、JR芦屋駅〈MAP右上〉、阪神芦屋駅〈MAP中央〉の3駅。芦屋川は上下に流れる細い青色のラインで示しています。いずれの駅をスタートしても、芦屋川側沿いがおすすめです。

川沿いをゆっくり歩いて、目的地まで、阪急とJRからは小一時間、阪神からは30分ほどの距離です。川沿いはときどき六甲おろしの風が吹くので帽子を川に飛ばされないように気をつけましょう。

芦屋川沿いには、市の記念建築物に指定されている芦屋教会と仏教会館があります。芦屋教会は平日でも開けてあるので、ステンドグラスが映える教会内部で一休みするのもありです。

芦屋教会

青い尖塔の芦屋教会

芦屋川の散策は右岸(上流に向かって右側)の川縁や側道を歩くのがおすすめ。対岸の瀟洒な邸宅やイタリアンレストラン・ベリーニの個性的なハザードを眺めながら、洋菓子のダニエルやアンリ・シャルパンティーエを覗いてみるの楽しいですよ。

芦屋川を下ってテニスコートを過ぎると芦屋浜に到着します。

芦屋浜を散歩

日曜日に芦屋浜を散歩する人達(友人撮影)

海の浜辺でひと休みしていると、いろいろな生き物に出会えますよ。カメラマンの友人が撮影した下の写真は浅瀬で小魚を狙う2羽のサギ。薄い青色に見えるのがアオサギで、飛び立とうとしているのがダイサギです。2羽とも小魚を狙って静かに立ちんぼをしていたのですが、アオサギがダイサギを威嚇して追いやりました。サギの間でも領海争いが起こるのですね。

芦屋浜で領海を争う2羽のサギ  

芦屋浜で領海を争う2羽のサギ(友人撮影)

ダイサギは白いサギのなかで1番大きなサギです。チュウサギ、コサギと続きます。ちっとも似ていませんが、サギは口の大きなペリカンの仲間だそうですよ。

先日は大きなエイが海辺を秘かに泳いでいたので、驚きました。エイは肌色をしていて海水に紛れるので、見つけにくいです。

浜の手前を左折してバス路を少し行くとバス停「緑町(美術博物館前)」です。

散歩抜きで美術館に行きたい方は3駅からバスが出ているので、利用すれば、「緑町(美術博物館前)」まで15分以内、下車2分で目的地です。

まとめ

芦屋で散歩、カルチャー探索のおすすめルートをご紹介しました。芦屋市立美術博物館と谷崎潤一郎記念館は2023年春にリニューアルを終えて記念展を開いています。芦屋川沿いの散歩がてら、覗いてみてくださいね。

(おわり)

芦屋川沿いの詳しい景観は下記サイトをご覧下さい。

芦屋で散歩! 途中でお喋りランチとスイーツするならベスト・ルートはこれで決まり

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下條 俊隆

下條 俊隆

ペンネーム:筒井俊隆  作品:「消去」(SFマガジン)「相撲喪失」(宝石)他  大阪府出身・兵庫県芦屋市在住  大阪大学工学部入学・法学部卒業  職歴:(株)電通 上席常務執行役員・コンテンツ事業本部長  大阪国際会議場参与 学校法人顧問  プロフィール:学生時代に、筒井俊隆姓でSF小説を書いて小遣いを稼いでいました。 そのあと広告代理店・電通に勤めました。芦屋で阪神大震災に遭い、復興イベント「第一回神戸ルミナリエ」をみんなで立ち上げました。一人のおばあちゃんの「生きててよかった」の一声で、みんなと一緒に抱き合いました。 仕事はワールドサッカーからオリンピック、万博などのコンテンツビジネス。「千と千尋」など映画投資からITベンチャー投資。さいごに人事。まるでカオスな40年間でした。   人生の〆で、終活ブログをスタートしました。雑学とクレージーSF。チェックインしてみてくださいね。

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