この世の果ての中学校28章 “ ペトロは迎えの天馬に乗り 天上の守り神と談判に出かけた!”

「マリエ、天上の神様に会うにはどうすればいい?」
「祈りを捧げるの、お祈りが通じるまで一生懸命によ」

 マリエと約束したペトロは、マイワールド「ペトロの神殿」に閉じこもって、丸一日をかけて小さな祭壇を作りあげた。

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この世の果ての中学校27章“詐欺師ホワイトスモーキーが天上の秘密を漏らした”

ペトロは迎えの天馬に乗り 天上の守り神と談判に出かけた!

    
「天上の神様どうか人間への怒りを解いてお力を貸して下さい。奇跡を起こす力をペトロに与えて下さい。必要とあれば代わりにどうぞ僕の命を取り上げて下さい」

 ペトロは祭壇の前で跪き、祈りを捧げた。一滴の水も飲まず、一切れのパンも食べずに頑張ったが、3日が経つても神様から返事は無かった。

「神様、あなたがそこにおられることは分かっています。せめてお会いしてお話がしたいのです」そう繰り返しながら、ペトロは祈った。

 さらに1日が経ったが答えはなしのつぶてだった。

「最後のお願いです。返事をくれなければ、ペトロは怒りますよ。もう僕も僕の友達もあなたのことなんか信じませんよ!」
 

 腹ぺこのペトロは開き直った。
「なんだよ、偉そうに黙りこくって。これで答えてくれなかったら匠と二人で、あの歪みのけつの穴こじ開けて天上に押しかけちゃうぞ!」

 次の日の朝早く、いつものようにペトロの兵隊が2人がかりで神殿の扉を広場に向かって開いた。朝の日差しが祭壇の前で眠り込んでいるペトロに差し込んできた。光は小さな天馬の形を作りあげて、ペトロの顔の上でゆらゆらと揺れたがペトロはまるで気がつかない。

 空の一角に黒い雲がぽつんと現れた。雲は近づき、一頭の黒い天馬に姿を変えて広場に降り立ち、一声大きくいなないた。

「何者だ!」ペトロの兵隊が数人駆けつけ、天馬を取り囲んだ。 

 天馬は前足で地面を激しく引っ掻き、兵隊に告げた。
「怪しい者ではありません。守り神の長老の命で、ペトロを天上にお連れするためにやってきました」
 兵隊たちは慌てて神殿に戻り、ペトロの身体を揺さぶったが、疲れ果てたペトロはいっこうに目を覚まさない。

 仕方なく、兵隊は数人でペトロを肩の上に担ぎ上げて天馬のそばに戻り、「お迎えの天馬がやって来ましたよ」とペトロの耳元に囁く。 

 天馬がもう一声いなないてペトロをたたき起こした。目を覚ましたペトロを優しそうな目が覗き込んで来る。

「やー、お馬ちゃん。どうした?」ペトロはまだ夢の中。
「守り神の最長老の命令で天上にお迎えに上がりました」天馬はもう一度いなないて、ペトロに背中を差し出した。

「最長老の招待だって?」ペトロは一気に目が覚めた。

・・・匠が身体の皮取られそうになったあの長老? やばい!・・・

 一瞬逡巡したが、ペトロは意を決して兵隊たちの肩の上から馬の背中に飛び移った。

 天馬の大きな背中はふさふさとした毛で覆われ、座り心地がよかった。

「腹が減っては戦は出来ぬ!」ペトロは兵隊に命じて、飲料水の入った大きなボトルと数日分の非常食をリュックに詰めて運ばせた。 

「いざ出陣!」ペトロは届いたリュックを肩に担ぐと、天馬の首に掴まる。

 天馬がいななき、空に駆け上った。天馬は猛烈な早さで宙を飛ぶ。

ペトロの騎馬兵が数騎後を追いかけたが、あっという間に引き離され、諦めて広場に舞い戻っていった。

 ペトロの神殿の暗闇からペトロの影が現れ、主人のいない台座に座る。
「しばらく影が留守を守ります」ペトロの影が心細げに呟いた。

「天上の会議場に着きましたよ! ペトロ、目を覚ましなさい」ふたときも経たないうちに、天馬が呼びかけてきた。

「もう着いたの? 匠はここまで来るのに7日もかかったんだよ」気持ちよく居眠りしていたペトロは頭を一振りして、天馬の背中から飛び降りた。任務を終えた天馬は黒い雲となって飛び散り、数人の黒い衛兵となって姿を現した。衛兵はペトロを天上の奥座敷に案内していく。

 奥座敷は天上の中でも特別なエリアで、庭園には賓客を迎えるための仕掛けが備わっていた。朝早い森の清冽な空気を送り出す装置や柔らかい太陽の陽だまりを作る装置。緑の木影と小川のせせらぎの中で小鳥たちがさえずり、水浴びをしている。 昔の地球にはどこにでもあっていまの地球にはどこにもない自然が、ペトロを迎えるために設けられた。

 黒い衛兵たちは、二間続きの奥座敷にペトロを案内して引き下がっていった。手前の広い座敷には三人の守り神が椅子に腰を下ろして、ペトロの到着を待ちかねている。庭に向かう小さな座敷にはもう一人の守り神が座っていたが、その顔は見えない。椅子に腰を下ろした最長老と呼ばれるその人は、光り輝く顔をしているので他の人と顔を合わさないように庭を向いていた。

 
 ペトロは、三人の守り神から等距離に置かれた立派な椅子に座るように勧められた。よく見るとその椅子の四本の足は少し宙に浮いている。椅子は大きすぎて、座るとペトロの足は床に届かなかった。

 上下の調節ができないこの椅子は始末に負えない。ペトロは、あきらめて両脚をぶらぶらさせながら三人の神様に名前を名乗り、天馬のお礼を言って挨拶をすませた。
 守り神も順番に挨拶を返してくれたが、ペトロの座っている椅子はペトロに話しかけてくる神様の方に向きを変えて宙を廻る。ペトロはなんだか犯罪人が取り調べを受けているような嫌な気分になる。

「一口お飲みください」衛兵が冷たい飲み物を入れたグラスを手渡してくれた。冷たくて甘いアイステイーを喉が渇いていたペトロは一気に飲んでしまった。

「おまえの願いは聞いた!」
 三人の神様が同時に口を開いたので、ペトロの椅子が三方向に揺れた。

「いまから質問をします。正直に答えなさい。嘘をつくとお前の命を本当に頂きますよ」
 三人の守り神が揃って言ったので、ペトロの椅子が激しく揺れた。

「嘘はつきません。正直に答えます。でも、その代わり質問は一人ずつ順番にお願いします。でないと目が回ります」
 三人の神様は笑いながら顔を見合わせ、お互いの質問の順番を譲り合う。

 最初に、がっちりした体躯に焦げ茶色の皮膚と、黒い髪の毛と、耳が小さな木の枝で出来ている、怖そうな男の神様がペトロに質問をした。

「私は大地を司る大地の神だ。始めに聞く。お前の一番好きなことはなにか?」
「食べることです。その次は昔の本を電子図書で読むことです」
「ふむ、食べ物ではなにが好きか?」
「もぎたての果物が一番好きです。でも最近は食べたことがありません」
「ふーむ! お前は俺様の大事な子供である果物が好物だというのか? 果物は種を方々の大地に蒔いてくれる者だけに、食べる権利を与えておる。それではお前は大好きな果物を食べたあと、種をどこの土地に蒔いてくれたのかな。正直に答えてみろ!」

「ゴミ箱です。すみません」
「ふざけるな!」大地の神の怒りでペトロの椅子がぐらりと揺れ、危なく床に落ちそうになった。
「俺様を馬鹿にする気か、果物の種は大地の神である俺様から生まれた孫であることを知らないとでも言う気か。孫を土に返さずにゴミ箱に捨ておって。何のために果物を食べた、我が子を食べた理由を言え!」

 大地の神が恐ろしい形相でペトロを睨みつけてきた。
「果物が大地と太陽から生まれたことぐらい知っています。でもお腹は減るし、美味しいものは美味しいのです」

 ペトロが正直に答えると、大地の神は大きな口を開けて笑って、腕組みをした。
「それでは質問を変える。いま目の前に甘い蜜をたっぷり含んだリンゴが10個、ジューシーな梨が6個、よく熟した柿が12個あるとする。どれも旨そうだぞ、さーどうする?」
 

  ペトロのお腹が思わず、グーッと鳴った。
「酸っぱいものからしぶいもの、それから甘い物の順番にと、えーっとリンゴから柿、それから梨、一つづつ食べてと、残りは持って帰ってみんなで分けます」
「ふーむ! 間違いとは言わんが、なんとも退屈きわまりない答えだ。せっかく俺様の子供たちを食べるのだから、一工夫も二工夫もあっても良さそうなものだ。りんごは残りはジャムにしますとか、梨は梨酒に挑戦しますとか、渋柿は皮をむいて干し柿にしてみますとか、いろいろ保存の方法も考えて答えるのが果物の親である俺様への礼儀というものだと思うが・・どうだ、答え直す気は無いか?」
「答え直しましょう。答えが退屈なのは質問が退屈だからです。目の前に果物があるわけでもないのにそんなことまで考えつきません。退屈はあなたのせいで私のせいではありません」
「なぬ? うーむ! まことに憎たらしい小僧だが、嘘を付いてるわけではなさそうだから今回だけ許してやろう」
「小僧と呼ぶのは止めて下さい。ペトロと名前を呼んで下さい」
 ペトロがぴしゃりと言うと、大地の神の顔がたちまち緩んで「これは失礼したペトロ君」と謝った。
 
 隣で大笑いした山の神が口を開いた。
 山の神の頭は先がとんがって白い雪に覆われている。写真で見た富士山そっくりだなー、とペトロが感心していると、いきなり質問が飛んできた。

「お前の一番嫌いな人間は誰だ?」
「むかしはいましたが今は嫌いな人は誰もいません」
「昔嫌いだった者とは誰だ」
「そんなことには返事できません」
「それではなぜ嫌いだったのか返事しろ」
「僕が勝手に嫌いだと決めつけていただけのことです。僕の心が狭かったせいです」
「天上の奥座敷までやって来て、昔嫌いだった誰かに気を遣ってこの俺様の質問に答えないとは、なんとも思い切りの悪い奴だが気骨も少しはありそうだから許してやる。話のついでに山の神として質問する。山に住む生き物でお前の嫌いなものはいるか? さー、答えてみろ」

「えーっと、朝になると山から飛んできて、せっかくきれいに仕分けしたゴミをぐちゃぐちゃにするうるさいカラスに、かまれると危ない毒のある蛇に、ときどき人を食べる熊に、人のお弁当に手を出す猿に、木から落ちてきて首に吸い付くヒルに、足から這い上がってくる山のダニに・・」ペトロが昔よく出会った動物たちを思い出している。
「もういい。それでは聞くが、ゴミをぐちゃぐちゃにしないカラス、毒の無い蛇、人を食わない熊、人の物に手を出さない猿、人の血をすわないヒルとかダニとか、こんな奴らは好きか?」
「うーん。好きなものもいるし、嫌いなのもいるし、どちらでもないものもいます」
「好きか嫌いかどちらでもないか、はっきり言って見ろ。いーや、面倒だ、好きなものだけ言って見ろ」
「うーん、カラスはやっぱりうるさいし、毒の無い蛇でも毒があるのかどうか分からなくて近寄れないし、食われなくても熊は怖いし、お猿は表情が僕に似ているとこがちょっと薄気味悪いし、ヒルとかダニは友達になりたいとは思いませんから・・あれ、好きなのいません」

「何だと! それでは俺の子供たちとは誰も友達になれないというのか」
「うーん」ペトロは下を向いてしまった。
「小僧! いやペトロ、正直に答えろ」
「うーん」
「うーん、とは答えとはとても思えん答えだが、正直であることは認める。許してやる」

 横で聞いて大笑いしていた優しそうなおばあさんが、椅子を降りてペトロのそばにやって来た。
「私は先祖の女神。ペトロは私を知っていますか?」
「存じ上げません。でもどこか見覚えのあるお顔です」
「なに? 私が誰かに似ているというのですか・・おやおやそれは嬉しい。考えていないで思い出しなさい。それは誰かな、早く、早く思い出しなさい」

 先祖の女神は、一体誰と似ているのか早く聞きたくて待ちきれない。しわだらけの手をペトロの頭に乗せると、じわりと頭の中に探りを入れてきた。
「えーい、ほらあなたの記憶タンスの上から三番目の引き出しですよ。間違いない、ここにあります。早くこの記憶を取り出しなさい」
「思い出しました。僕の子供の頃の記憶を盗み取りに来たおばば、カレル先生の大事な研究記憶を盗み取ったおばば、人の記憶を奪って喜んでるクオックおばばに、あなたはそっくりです」

 ペトロの椅子が跳びはね、身体が宙に飛んだ。 先祖の女神の柔和な顔つきが一変して、二つの目玉が顔から飛び出している。
「なんですって! 私のことをあの魔女とそっくりだというのですか。この愚か者! 過去の記憶にばかり執着していると誰でもこんな顔になるのです。年を取れば取るほどみんな似てきておんなじ顔になる。よく聞きなさいペトロ! クオックおばばは他人の記憶を盗み取る悪い魔女。私はみんなの記憶をきちんと整理、整頓して、役に立つ記憶を保存して次の世代に伝えていく女神。あらゆる生き物の先祖からの記憶のデータ・バンク。ゲノムの女王とはわらわのことです! そこらの盗っ人と大違い。ペトロ、よーく記憶しておきなさい!」
「これは大変失礼いたしました。あなたは先祖の女神、またの名をゲノムの女王! ペトロはしっかり記憶いたしました」
「よろしい、それではゲノムの女王としての質問です。単刀直入に聞きます。お前はカレル教授や研究仲間の行った所業・・遺伝子操作の数々の実験についてどう思いますか?」
「それは仕方なくおやりになったことです。地球から緑がなくなって、食べる物がなくなったからです。人類が生き残るために先生たちは荒れ果てた土地でも育つ作物を作ろうとしたのです。それから少量の餌でも大きく育つ家畜たちもです。自分たちの命までウイルスに奪われるような悪いことは何にもしていません」
 

 ペトロの胸にずっと溜まっていた疑問が自然と吹き出してしまった。しかし、その言葉は大地の神の怒りを買った。

「俺の子どもたちを好きなように切り刻みおって何を抜かす!」

 山の神の髪の毛が逆立って、白い粉雪が舞った。
「ちっとは作り変えられて食われる方の身にもなって見ろ。食い物をいじくる前に、自分を変えれば済む話じゃ。お前たちが小さくなればいい。少しだけの食料でも生きていけるようにゲノムをいじって小さく変身すればいい」

 黙って聞いていたペトロが、神様に食ってかかった。
「カレル先生は、生き物の尊厳を傷つけてはならないとおっしゃってました。人間も同じです。小さくなったり、変身したりしたら人間じゃなくなります。世代交代の度に小さくなっていくエドの子どもたちにも尊厳があります。僕たち地球の生き残りにもプライドがあります」
 ペトロの両手が怒りに震えた。

「ペトロは遺伝子とはなにか知っていますか?」
 先祖の女神がペトロに静かに尋ねた。
 

 ペトロは少し考えてから答えた。
「それぞれの生き物が生きていくための知恵袋だと思います。でも本当のところは僕は何も知らないのだと思います」
「遺伝子は守り神からの贈り物です。あなたはこんな風になりなさいよ、といって渡された人生のテキストだと思って、遺伝子を勝手に切り刻まないで大事に扱って欲しいのです」

 ペトロはそんなことは初耳だった。
「遺伝子って、守り神が作ったものなのですか?」
「それは違います。それぞれの生きものが作ったものです。先祖代々長ーい時間をかけて大事に作り上げてきたものですよ。私はそれをまとめ上げて、一つの印に書き換えているだけです。だからこのメッセージは他人が軽々しく変えないで欲しいのです。自分の変化は自分が決める。必要なときには交換する。そこには生き物が仲よく生きていくためのルールも入っています。大事なことはゆっくりゆっくりと、確かめながら、変わっていくことです。ペトロに覚えておいてほしいことはそれだけです」
先祖の女神はペトロの頭に優しく手を置いた。次にギロりと目をむいてペトロのゲノムを調べた。
「おや、立派な遺伝子です」そう呟くと、とことこと歩いて椅子に戻った。

「それでは今度は僕から質問します。人類を代表しての質問です。嘘をつくと許しませんよ」
 神々が嬉しそうに笑った。奥にいる長老も笑った。

「俺たちは嘘をつきたくてもつけないのだ。おかげで冗談の一つも言えん。寂しい限りだ」 大地の神がぶすっと言った。

「最初の質問です。緑の守り神が昔地球から緑を奪って去って行った。これは本当でしょうか? 地球の僕たちはたった6人で絶滅寸前。緑の惑星テラの子供たちもこのままではいずれ消滅します。これ以上僕たちの命を取らないで下さい。緑を奪っていったことが事実なら、もうそろそろ返して下さい。もとの地球を僕たちに返して下さい」
 ペトロは三人の神を順番に睨み付けていった。

「緑の守り神の話は事実だが、奪っていったわけではない。人類のおかげで不毛の地になった地球から緑の仲間と相談して逃げだしただけだ」大地の神が答えた。

「どちらにしても、人類にもとの地球を返すことは不可能だ」山の神が答えた。
 

 ペトロは惑星と地球の融合計画を説明した。
「宇宙の歪みの中でテラ3と地球を融合させたいのです。二つはまた一つになり、元の緑の地球に戻したいだけなのです。どんな命も大事だと思われるのなら僕たちに力をお貸し下さい。奇跡を起こす力を与えてください」

「私たちには出来ない。ペトロ、一度決めたことは変えられない」
 3人の神が同時に答えた。

「それは嘘です。やろうと思えば出来るはずです」ペトロが椅子から飛び降りて3人の神々に近づいた。ペトロの小さなこぶしが震えていた。

 突然、奥の座敷に座っていた長老が立ち上がり、庭園に向かって叫んだ。
「嘘ではない!人類を救えるのは人間の守り神だけだ。すべての命の種にはそれぞれの守り神がおるが、人間の守り神はいない」
 その声は庭園に轟き渡り、跳ね返ってペトロの耳に朗々と響いた。

「ペトロよく聞け! 人間の守り神はいなくなって久しい。彼は地球で一人の牧師として務めを果たしながら、人間の所業を見守っておった。しかしいくら彼が人間のために祈っても人間は人間としての努めを果たさなくなった。最大の種となった人間は地球の生き物のリーダーとしての秩序と責任を果たさなかったのだ。節度がなくただ横暴を極めた。自然は崩壊し、生命の種の生き残り戦争が始まった。自然からの報復とでも言うべき“ゲノムの逆襲”によって人類は絶滅の時を迎えた。守り神として孤立し、追い詰められた人間の守り神は最後の手段に出た。人類の中から未来を託す子供たち五人をランダムに選び出し、彼らに自らの肉体を分け与えることで、ゲノムの逆襲からその命を守った。ウイルスに負けない免疫システムを持った新人類だよペトロ、それがお前たちだ。6番目の子供は彼の娘だ。肉体を失った牧師は消滅し、カオスの中に戻っていった。それ以来人間の守り神はいない。ペトロ、悲しいことだが人類を守る者はもういないのだよ」 

 生命の守り神の最長老・太陽神が振り返り、その顔から発する光がペトロの胸を差し貫いた。

 ペトロの心は打ち砕かれていった。

・・マリエは神の子。僕たち五人も選ばれた最後の人類。でももうそんなことはどうでもいい。僕たちは普通の人間だ。普通に生きていたい。しばらくでもいいからエドの子どもたちと仲良く一緒に暮らしたい。でもその夢は叶わないと太陽神が言っている。 

「僕たちはただ元の緑の地球に戻って、普通に暮らしたいだけなのです。どうか怒りを解いて救って下さい」

「人類を救えば、また緑や他の生命の種を破滅させる」

「僕たちはそんな真似はしません。どうしてそこまで疑うのです」 

「人の心は不完全だからだ」

 ペトロはその答えにまごつき、怒りがこみ上げてきた。三人の神様の座っている椅子が大きく揺れ始めた。ペトロの怒りは太陽神に向かっていく。

「どうして僕たちは不完全なのでしょうか」

「それはお前! 不完全だから、生きていて楽しいのだ。お前たちは不完全に造られておる。つまり努力すれば完全に近づくという夢と希望を持てるようにだ」

「最初から完全だったらどうしていけないのでしょうか」

「完全になってしまったら、何の楽しみもない。それが神になるということだ」

 その言葉で、ペトロの頭のヒューズがパチンとはじけた。

「それでは僕たちは守り神より幸せな生き物なんだ」ペトロはクスリと笑うと、右手の親指をぐいと空に突き立てた。

「これってクール! 神様不幸でおれたちしあわせ! 匠や裕大やマリエや咲良やエーヴァや小さなエドにこの話したらみんなひっくり返って喜んで、それから、きっとゲラゲラ笑い出すよ!」
 ペトロはもうやけっぱちだ。

 みんなの笑い顔を想像してペトロは笑い始めた。笑い出すと止まらない。
 奥座敷で太陽神が庭園を向いて顔を隠し、笑い出した。

 いつの間にか守り神が全員笑っていた。

 先祖の女神が椅子から下りると、身体を揺らしてペトロに近づいてきた。

「お前さんは実に不完全で、ぶしつけで、楽しい生き物。ずーっとここにいて、何の楽しみもない私たちをいつまでも楽しませてくれませんか?」
 

 奥の座敷から太陽神が庭園に向かってペトロに告げた。

「お前は天上にまでやってきてとんでもないことを俺たちに頼んでおるが、正直に質問に答えた上に、ここまでみんなを笑わせてくれたから、その無礼な態度を許してやろう。ただし今回限りだ」

「ありがとうございます。それでは願いは聞き届けて頂けるのでしょうか?」

ペトロの心臓は期待に高鳴って脈打つた。

「うっはっはっ」神様たちがまた笑いだした。

「無礼な態度を許してやると言ったまでじゃ。願いを聞くとは言っとらん」

 大陽神がこちらを振り向いた。その顔はぎらぎらと輝いて、他の神たちの姿は暗くみえた。太陽神がペトロに言った。

「俺たちは一度決めたことは訂正できない」
 その言葉はペトロの胸にずしりと響いた。

「訂正できなければ変更して下さい!」
 ペトロは三人の守り神に、助けを求めた。

「山の神様、動物たちを返して下さい。大地の神様、果物を返して下さい。先祖の女神様、昔の時代を返して下さい」

「お前たちの過去と同じで、昔に後戻りは出来ないのですよ。神々の一言は重く、軽々しく変えられるようなものではないのです」

 先祖の女神が優しく諭す。山の神様と大地の神様は横を向いたままだ。

「このままでは僕は学校に戻れません。こうなったら言うことを聞いてもらうまで、ここから一歩も動きません。ペトロは死んでも動きません」

 ペトロは椅子から下りるとぐっと顎を引き、神様たちを一巡り睨み付け、床にあぐらを掻いて座り込んだ。

 困り切った神様たちが会議室に移って相談を始めた。

「牧師を呼び戻すわけにはいかんのか?」太陽神が訊ねた。

「無理です。暗黒物質に戻って消えました」守り神が全員で答えた。

 一時間が経過した。ペトロは微動だにしない。
 
 丸一日が過ぎていった。会議はまだ続いていた。
 ペトロは一歩も動かない。
 
 三日目の朝、三人の神様が疲れきった様子で戻ってきた。

「ここから動かないというのは本心か」大地の神がペトロに聞いた。

「本心です」

「それは覚悟の上でのことか?」山の神が聞いた。

「覚悟の上です」

「死んでも帰る気はないか?」先祖の女神が聞いた。

「願いを聞き届けてもらうまでは死んでも帰りません。僕もこの言葉は撤回しません」
 ペトロが言い切った。

 ぬっとペトロの前に太陽神が現れ、座敷の中が光で満たされた。

「覚悟の上だと言うことは分かった。質問をする。お前は人間が好きか? 嫌いか? 正直に答えろ!」

 ペトロは太陽神の放つ光がまぶしくて、思わず顔を両手で隠した。

「顔を隠すな。隠さず答えろ! お前は人間が好きか?」

「好きです。大好きです」ペトロは両手を下ろすと、まぶしいのを我慢して太陽神の顔をにらみ返した。

「どんな人間でもか、いい奴も、悪い奴も、だれもかもか?」
「だれもかもです」

「お前の願いを叶える方法が一つある。ただし答えは一つだけだ。どんな答えでも受け入れるか」
「受け入れます」

「念のためもう一度聞く。死ぬ覚悟は出来ておるか?」

「出来ております」

 ペトロは立ち上がると、決然と胸を張った。 

   ×××
 大好きな花の香りがする。

 ペトロは「マイ・ワールド」の花畑で遊んでいる。

 森の中の森、広場の噴水に妖精がちょんと腰掛けている。

「マリエ」とペトロが呼ぶと、妖精は笑ってそばにやってきて、いっぱいの花の上に寝っ転がった。

「痛くないようにしてあげるわ」

 妖精は耳元で囁くと、ペトロの胸をはだけて、フランキンセンスの花の香を擦り込んでくれた。

 樹液やフローラの小さい妖精たちが大騒ぎしながらペトロの胸に入り込んできた。
 ぶんぶん! いい気持ちだ。
 

 ペトロの身体の中に熱い手が差し込まれてきた。それはペトロの魂を探り当てた。ペトロは一瞬ちくりと痛みを感じた。森の中の森には太陽神がいて、その暖かい陽の下で仲間の生徒たちが楽しそうに遊んでいる声が聞こえた。

 ぶんぶん! ぶんぶん! と聞こえた。 

 そして声は遠くに去った。
 ×××

(続く)

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下條 俊隆

下條 俊隆

ペンネーム:筒井俊隆  作品:「消去」(SFマガジン)「相撲喪失」(宝石)他  大阪府出身・兵庫県芦屋市在住  大阪大学工学部入学・法学部卒業  職歴:(株)電通 上席常務執行役員・コンテンツ事業本部長  大阪国際会議場参与 学校法人顧問  プロフィール:学生時代に、筒井俊隆姓でSF小説を書いて小遣いを稼いでいました。 そのあと広告代理店・電通に勤めました。芦屋で阪神大震災に遭い、復興イベント「第一回神戸ルミナリエ」をみんなで立ち上げました。一人のおばあちゃんの「生きててよかった」の一声で、みんなと一緒に抱き合いました。 仕事はワールドサッカーからオリンピック、万博などのコンテンツビジネス。「千と千尋」など映画投資からITベンチャー投資。さいごに人事。まるでカオスな40年間でした。   人生の〆で、終活ブログをスタートしました。雑学とクレージーSF。チェックインしてみてくださいね。

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