古代ギリシャで1,169年もの長いあいだ開催された古代オリンピックは、ギリシャを属領としたローマによって、西暦393年の第293回大会をもって終止符を打たれました。キリスト教を国の宗教としたローマが、ゼウスの神に捧げられるオリンピックを異教の祭典として禁止したからです。
その後、1896年の第1回近代オリンピックがギリシャで開催されるまでの1,500年もの間、オリンピックは一部の人々の記憶に残るだけの歴史上の出来事でした。しかし、1,800年代の半ば、古代ギリシャの伝統の復活を願い、自らが稼いだ全財産を使ってオリンピック競技会を4回も復活させたとんでもない大富豪が現れます。男の名前はエバンゲリス・ザッパです。ザッパは古代オリンピックを復活させて、クーベルタンの提唱した近代オリンピック開催に道筋を付けた人物です。
現代のオリンピックの創設者の一人とされるザッパという人物と、1858年から1889年まで4回にわたり開催されたザッパスオリンピックを紹介します。
オリンピックを復活した大富豪エバンゲリス・ザッパとはどんな人物?
エバンゲリス・ザッパは1800年8月23日、オスマン帝国時代のギリシャの片田舎に生まれました。13才で家を離れて愛国組織に加わったザッパはオスマン帝国からのギリシャ独立戦争(1821~1831)に身を投じます。激しい戦いでいくつもの戦功をあげたザッパは少佐の階級を獲得。ギリシャはフランス、イギリス、ドイツ、ロシアなどヨーロッパの列強の応援のおかげで、オスマン帝国との戦いに勝利し、独立を果たしました。
凱旋したザッパはギリシャからワラキア(現ルーマニア)に移り、土地と農業で事業の才覚を発揮して大成功を収め、東ヨーロッパでも有数の富豪になりました。ザッパの総資産はギリシャ通貨で600万ゴールドドラクマに達したと推定されます。
熱烈なギリシャの愛国者で慈善家となったザッパは、ジャーナリストで古代オリンピックの復活を唱いあげるロマン派の詩人、パナギオティス・ソウトソスに触発され、ギリシャの伝統と栄光を取り戻すために、稼いだ全財産を古代オリンピックの復活に投じることを決心します。
ギリシャ独立戦争が勃発した日を祝日として、古代オリンピックの復活をするべきであるというソウトソスの提案を、ザッパスがギリシャ政府に財政的な保証を付けて持ち込みました。しかし当時のギリシャ王オットーから公式の回答はありませんでした。
1856年7月ソウトソスはザッパの努力を自らの機関誌に発表してオリンピック復活のキャンペーンを繰り広げます。復活推進派と世論におされたギリシャ王オットーは産業・農業の博覧会開催のときに同時にオリンピック競技会を催すことに同意します。ザッパは公約したとおり、オリンピック信託基金を設立するために必要な資金をギリシャ政府に提供しました。
こうして、ザッパスは1859年、1870年、1875年、1888年に古代オリンピックをギリシャ・アテネで復活させることに成功しました。
現代オリンピックの誕生と古代競技場パナシナイコスタジアムの復元
現代オリンピックの始まりとされるザッパスオリンピック(ギリシャ語:ΖάππειεςΟλυμπιάδες)は、ギリシャのアテネで1859年、1870年、1875年、1888年の4回に渡って開催されました。
第1回ザッパスオリンピックは1859年11月15日、アテネの中心部の広場で始まります。競技は古代オリンピックと同じように、ランニング、円盤投げ、やり投げ、レスリング、ジャンプ、棒登りなどが行われました。広場で行われたこの大会はゲーム的な要素が強く、競技会としての完成度は今一つとされています。ザッパスオリンピックが評価を高めた大きな理由は、1870年以降の3大会が古代のスタジアムを復元した競技場で開催されたことによります。
ザッパスは、紀元前6世紀に作られ、紀元140年に大理石で再建された古代ギリシャのパナシナイコスタジアムを、土の中から掘り起こして修復することを計画していました。パナシナイコスタジアムは、50,000席の収容能力を持った大競技場で、戦車競走を始め数々の古代競技や、陸上競技、レスリングが行われたスタジアムです。パナシナイコスタジアムはキリスト教の台頭によって廃棄され、土に埋もれていたのです。ザッパは独立した祖国にかっての栄光を取り戻す象徴としてパナシナイコを発掘して、大理石で光り輝くオリンピック競技場として復活させたかったのです。
1865年にザッパは亡くなりますが、1870年にザッパの基金によって3万人を収容できる新しいパナシナイコスタジアムが完成します。そして1870年に、復活したスタジアムでザッパスオリンピックが開催されました。
掘り起こされたPanathinaiko_Stadio_1870
ザッパスオリンピックは1859年から1889年まで4回開催された後、クーベルタンの提唱した世界に開かれた近代オリンピックへと引き継がれていきます。アテネでは、オリンピックの復活に反対した勢力と推進派が対立した時期がありましたが、その後、評判の悪いオットー国王が出身のドイツに去り、新しい国王の座に着いたゲオルギオス王や皇太子を含む推進派が勝利します。
1894年クーベルタン男爵がパリの万博に世界のスポーツ関係者を招集し、世界の国が参画する近代オリンピックを提案します。提案は満場一致で賛成され、国際オリンピック委員会IOCが発足。初代会長にギリシャの経済人が選任され、1896年にアテネで第1回近代オリンピックを開催することが決定しました。このときクーベルタン男爵は「ゲオルギオス・ギリシャ国王と皇太子は近代オリンピックのアテネ開催に支援を惜しまないでしょう」と断言しています。
アテネの第1回近代オリンピックの開会式は、ザッパスの遺言通り古代の形式を復元し、全面大理石に修復された美しいパナシナイコスタジアムで行われました。
写真の上は1896年、第1回近代オリンピックの開会式が開催されたアテネのパナシナイコ・スタジアムです。下は2004年夏季オリンピック、アーチェリー競技が行われているスタンドに、近代オリンピックの象徴「五輪」が観客席に影を落としています。再建された現在も、長い直線と半径の短いコーナーは、陸上競技やレスリングだけでなく戦車競技にも使われた古代ギリシャの様子を物語っています。
(ナショジオ・日経BP)
パナシナイコスタジアムは古代オリンピックから現在の近代オリンピックにつながる歴史を物語る建築物なのです。
おわりに
エバンゲリス・ザッパは子供のいない孤独な男として知られています。しかしザッパが愛情を注いだのは祖国ギリシャへの愛国の活動であり、古代オリンピックの復元によるオリンピアードの精神の復活であったのです。ザッパが蘇らせたパナシナイコスタジアムはオリンピアードの象徴として今も使われています。
エバンゲリス・ザッパは、クーベルタン男爵、ゲオルギオス・ギリシャ国王とともに現代のオリンピックを創設した人物の一人としてこれからも語り継がれていくでしょう。
(おわり)
参照:
https://en.m.wikipedia.org/wiki/Zappas_Olympics
https://en.m.wikipedia.org/wiki/Evangelos_Zappas
https://en.m.wikipedia.org/wiki/Panathenaic_Stadium
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下條 俊隆
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コメント
クーベルタン男爵が古代オリンピックを現代に復活させたと理解していました。ザッパなる人物がそこへ繋がる道を開いたとは全く知りませんでした。興味深く読ませてもらいました。
投稿ありがとうございます。世界に開かれた近代オリンピックとして復活を提唱したのはクーベルタン男爵でしょうが、古代オリンピックを復元して、近代につないだのは、ザッパオリンピックをはじめ、英国においてもいくつかの例が見られます。オープンなオリンピックを目指したクーベルタンでさえ、女性のオリンピックへの参画へは否定的でした。女性が男性と同じように参加できるのは相当後になってからです。歴史は違う視点で掘り返すと目から鱗が落ちて、面白いですね。