この世の果ての中学校29章“地上に降りてきた太陽神と白い棺”

  マリエは夢を見た。
 ペトロのマイワールドにある、森の中の森でペトロと戯れている夢だ。

 真っ赤な顔をした長老が、森の奥から二人をじっと睨んでいた。そのうち、長老の真っ赤に焼けた手が伸びてきて、ペトロの胸にぐさりと突き刺さった。それから、“ぶんぶん”と森の虫たちが集まってきて、ペトロの身体を担ぎ上げて、長老のいる森の奥に運んでいった。

地上に降りてきた太陽神と白い棺

 目が覚めてベッドから飛び起きたマリエの心臓がドンと鳴った。先週の金曜日に学校からの帰り、いつものように丘の上にあるマリエの教会までペトロが送ってくれてから、ペトロと連絡が途切れたままだ。ペトロは月曜日になっても学校に来ない。スマホにラインしたのに既読にもならない。

 ペトロは二、三日家に帰って来ない時は、決まってマイワールドのペトロの神殿にこもってなにかしている。だから今回も、ペトロがいなくなってもペトロのママも先生達もなんにも心配していない。でも何か胸騒ぎがする。
 

 不安になったマリエはペトロのママにもう一度電話を入れてみた。

「今朝、変な夢を見たの。ペトロはまだ帰ってこない?」

「神殿の大改造だとか言って、今回は一週間分も食料持って行ったわよ」

 ペトロのママはのんびり答えたが、マリエが見たおかしな夢の話をしたら、急に不安になったみたいだ。

「マリエ、私もなんだか心配になってきた。お願い! ペトロのマイワールド覗いて、ペトロの様子、見てきてくれないかしら。わたし、ペトロのママなのに、大人はだめだって神殿に入らせてくれないのよ」

「いいわよ、マリエもそのつもりだから。神殿に着いたら連絡入れるね」

マリエはペトロとの約束でいつでもペトロの神殿に入ることができる。二人はマイ・ワールドの鍵をひとつずつお互いに交換していた。

 ファンタジーアの正門を通り抜けてペトロの神殿に着いたマリエは、表の扉を鍵で開けてそーっと神殿の中に入った。

 物音に気が付いたペトロの影が片隅の玉座から立ち上がった。

「ペトロはいない?」マリエがそっと聞くと、影が嬉しそうに飛んできて答えた。

「マリエ、やっと来てくれましたね。ペトロに事件です。聞いてください」

 影が一気に報告した。

・・・ペトロが神殿の奥に祭壇をこしらえたこと。食べ物も水も一切口に入れず、一日中神に祈りを捧げていたこと。どうしても願いを聞いてくれない神様をののしったこと。三日目の朝、黒い天馬が空から降りてきて、天上からの迎えに来たと言ったこと。喜んだペトロは黒い天馬に乗って宇宙のどこかに向かっていった。それからもう三日が過ぎたこと・・・。

 マリエは慌ててスマホを取り出した。

「ペトロママ、大変! 神殿にペトロがいない。3日前に、黒い天馬とかに乗って、天上の神様に会いに行ったみたい」

 驚いたペトロのママがファンタジーアの正門をこじ開けて、ペトロの神殿に駆けつけてきた。マリエが神殿の扉の前で待っていると、ママの後ろに虚構の手品師が付き添っている。

 マリエは虚構の手品師がペトロのパパであることくらい、ずっと前から知っていた。仮面の下に隠された顔がマリエには何故か見えていた。その顔はペトロにそっくりだった。ペトロに話したら、ペトロも知っていて手品師が仮面を自分から外すまで黙ってるんだといった。いつもクールな手品師の顔が、今日はとても不安そうに見える。

「ペトロの神殿にようこそ!どうぞお入りください」

ペトロの影が神殿の扉から顔だけ出して、早く中に入るように言った。ペトロの幻想の創造物である影は、神殿の外に長くいると消滅してしまう。

「大人は子供のマイワールドに入れないのじゃない?」ペトロのママが影に尋ねた。
「大丈夫。ペトロがいなくて暇だから、何かの時にママやパパが入っても大丈夫なように神殿を強化しておきました」

 影が自慢げに扉を開けて、みんなを神殿に引き入れた。人気のない神殿の中をママとパパが見渡したが、ペトロの気配はどこにもなかった。しばらくの間、みんなでもう一度ペトロの影から詳しく話を聞いた。マリエは匠が挑戦した天上の守り神や太陽神の話を二人に教えた。

 ペトロの影が勧めてくれたので、ペトロが帰ってくるまでみんなでこの神殿で待ち続けることに決めた。ペトロの影はどこからか座り心地のいい椅子を三つと小さなテーブルを一つ運んできて、神殿の中央にセットしてくれた。厨房からいい匂いが漂ってきて、ペトロの影ができあがった紅茶のポットとカップをテーブルに並べる。

「ペトロの育てたミント入りのテイーです。気持ちが落ち着きますよ」
 影がそう言って紅茶をカップに注いでくれたので、三人は無言で熱い紅茶を口に運んだ。 

 マリエがよく見るとペトロのママの顔は蒼白で、手は細かく震えていた。手に取ったカップがソーサーとぶつかってガチャガチャと音を立てた。ママを気遣う手品師の仮面の下に、不吉な予感が影のように走った。

 不安を振り払うように仮面を一振りして手品師が立ち上がり、神殿の中を歩き回る。ペトロの創った天蓋を見上げ、壁に刻まれた彫刻を手で触れて調べた。新しい祭壇を見つけると、跪いて十字を切り、ママを誘って二人でペトロの無事を祈った。

 手品師がペトロの玉座に近づいて、斜めに立てかけられた双胴のケースを見つけた。影に一言断りを入れると、厳重に鍵をかけてある蓋を指先で探ってあっという間に開けてしまった。中から双子の楽器を取り出し、ママに黙って手渡す。楽器はペトロが造った双胴のガンバ。ガンバ奏者のママの表情がぱっと明るくなって、楽器を膝で抱え込み、ペトロの大好きなおもちゃのマーチを弾いた。手品師はママのそばに寄り添って、調子外れに歌を口ずさんだ。

 夕刻、玉座に座っていた影が、びくりと身体を震わせて立ち上がった。

「天馬だ!」影はかすかな馬のいななきを聞き取る。影は広場に向かう神殿の扉をすこし開け、待機していた兵隊に向かって大声を上げた。

 「ペトロのお帰りだ!扉を開け!」

兵隊たちが、一斉に神殿に駆け寄って重い扉を左右に開き終えると、その前に横一列に整列をする。

 天空に黒い天馬が一頭現れた。

 白い法衣を身にまとった男が天馬に跨がっている。天馬のあとには白木の棺を担いだ黒い衛兵が二列になって続く。

 やがて天馬が広場に降り立ち、大きくいなないた。

 白い法衣の男は馬から下り、神殿に近づくと手を胸に当て頭を下げた。男は輝く顔を持ち、太陽神と呼ばれていた。

 「ペトロをお返し申し上げる!」太陽神の鋭い声が神殿に響き渡った。

 太陽神に続いて衛兵の一軍と白い棺が広場に降り立つ。衛兵から白い棺が扉の前に整列しているペトロの兵隊に引き渡された。何ごとか事態を察したペトロの兵隊が身体を震わせて棺を担いだ。

 太陽神がペトロの神殿にぬっと入ってきた。暗かった神殿は太陽神の全身から発せられる白い光で燃えるように輝いた。

 ペトロのママとマリエはあまりの眩しさに、手で顔を隠した。虚構の手品師の仮面が太陽神の発する光を反射して銀色に輝き、二つの黒い虚構の目が太陽神をまっ正面から睨み付けた。 

 自らの発する光の強さに気がついた太陽神は衛兵の一人から黒いマントを借りて身につけ、急いで顔を隠した。次に、ペトロの兵になにかを伝えた。ペトロの兵は祭壇の前に置かれた低い台座を、二つ横並びに配置して全体を大きな白いクロスで覆った。兵隊たちが、できあがった台の上に白木の棺をそっと静かに置いた。
 

 太陽神は棺に近づき、重い蓋を静かに両側に拡げていった。棺の中には、いっぱいの白い花々に囲まれて、ペトロが静かに眠っていた。
 

 太陽神は棺の前に跪き、深々と頭を下げ、両手を合わせた。そしてペトロのママと手品師に近づいて一礼をすると、二人を丁重に棺に誘(いざな)っていった。

 ペトロのママとパパが棺に近づき、白い花々で囲まれたペトロの顔を覗き込んだ。

 ペトロの顔に少し驚いたような表情が残されている。ママとパパがペトロの名前を呼ぶと、ペトロの強ばった頬が安心したように緩んで、いつものいたずら好きな表情が戻ってきた。
 

 ママが、確かめるようにペトロの額にそっと手を当てた。指の先からひやりとした感触が伝わると、ママの心の中を、恐ろしい現実が突き抜けていった。

 ママの口から絞り出すような悲鳴が上がった。

 その声は神殿の静寂を切り裂いて、手品師とマリエの胸の中に残されていたかすかな希望を粉々に打ち砕いていった。泣きじゃくるペトロのママを胸の中に抱きしめて、手品師は茫然と立ちすくんでいる。能面の顔は一切の表情を失っていた。

 マリエの表情が崩れ、泣き出した。

 太陽神は大きなひまわりの花そっくりの光り輝く顔をマントから現し、ペトロのママとパパに向けた。
「“お願い、どうか悲しまないで” これはペトロからママとパパへの言葉です。ペトロは天に召されて人間の守り神となったのです。ペトロは決然として、自ら守り神への道を選びました。いまはただ、ペトロの肉体を愛する人の元にお返しするだけです。ペトロの魂はいま天上の神々と共にあります。若いペトロは新しい命を得て、元気に守り神への道を修行中なのです。ですからどうかそんなに悲しまないで・・ペトロを祝福してあげてほしいのです」

 太陽神の顔には、溢れた涙が流れ落ちているのだが、焼け付く熱さですぐに蒸発してしまって、誰も太陽神が涙を流していることに気がつかなかった。

 マリエが泣き崩れている。

 マリエは泣きながらペトロの額に触れたり、ほっぺたに口づけをしたり、いつものように話しかけたりしていた。

 三人の悲しむ様子を見ていた太陽神は、主(あるじ)を失って、今にも消え入りそうに暗闇の一隅に隠れているペトロの影を呼んだ。太陽神がなにかを伝え、影が頷いた。
 

 太陽神は影の胸に光り輝く掌を当てた。影は影ではなくなり、光を放ち始め、ペトロによく似た少年の姿を作り上げた。少年になった影は、これで神殿の外に出て太陽の光の中でも、ペトロの代役を務めることが出来る。太陽神は両手を大きく拡げ、掌から柔らかい光を放った。太陽の暖かい日差しが棺のそばに立つペトロのママとパパ、そしてマリエの冷え切った身体を優しく暖めていった。 
 

 太陽神はマリエに近づき、四つ折りにした一枚の封書をマリエに手渡した。
「マリエに・・」封書の表の字は、あの下手なペトロの字。マリエはその場で開いて、涙をこらえて読み上げた。

「歪みの中で勝負だ! 僕はマリエと人間の守り神になったよ・・・ペトロ」

「マリエ、わかるか?」太陽神が尋ねた。

「全員に伝える、とペトロに言って下さい」マリエが頷いて声を絞り出した。 

 太陽神はもう一度、ママと手品師に向かい、身体を二つに折り、顔を隠し、深々と頭を下げた。そして光り輝く男は黒いマントを翻して、広場に出た。 

 太陽神は黒い天馬に飛び乗り、一鞭当て、黒い衛兵を引き連れて天上に駆け上っていった。
 

 ペトロの棺のそばにママと手品師のパパを残して、マリエが立ち上がった。棺に向かってもう一度十字を切ると、神殿から表に出た。大きな深呼吸をして息を整え、スマホを取り出して友達や先生やみんなのママやパパたちに片っ端から緊急連絡を入れた。魔法瓶の中のカレル先生にもメールを入れた。

 
 カレル教授の眠っている特殊魔法瓶が宙に舞い上がった。床に落ちて蓋が飛び、中からカレル教授が転がり出した。

「あいつだ、あいつが天上から降りてきた」

 真っ赤な顔の男に焼き尽くされる夢を見た教授は、校庭に飛びだしていった。空には、夕陽に向かう黒い天馬とその上に跨がっている輝く男の姿が見えた。
 

 教授は慌ててスマホを取り出した。マリエからメールが一通、届いていた。目を通したカレル教授の顔から血の気が引いた。

「しまった!」
 

 教授の顔は夕日に照らされて燃え上がり、その目は遠ざかって行く黒い点をいつまでも睨み続けていた。 

(続く)

 この世の果ての中学校30章“暴かれた宇宙の歪みの秘密!”

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下條 俊隆

下條 俊隆

ペンネーム:筒井俊隆  作品:「消去」(SFマガジン)「相撲喪失」(宝石)他  大阪府出身・兵庫県芦屋市在住  大阪大学工学部入学・法学部卒業  職歴:(株)電通 上席常務執行役員・コンテンツ事業本部長  大阪国際会議場参与 学校法人顧問  プロフィール:学生時代に、筒井俊隆姓でSF小説を書いて小遣いを稼いでいました。 そのあと広告代理店・電通に勤めました。芦屋で阪神大震災に遭い、復興イベント「第一回神戸ルミナリエ」をみんなで立ち上げました。一人のおばあちゃんの「生きててよかった」の一声で、みんなと一緒に抱き合いました。 仕事はワールドサッカーからオリンピック、万博などのコンテンツビジネス。「千と千尋」など映画投資からITベンチャー投資。さいごに人事。まるでカオスな40年間でした。   人生の〆で、終活ブログをスタートしました。雑学とクレージーSF。チェックインしてみてくださいね。

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