マリエは夢を見ていた。
ペトロのマイワールドにある、森の中の森でペトロと戯れている夢だ。
真っ赤な顔をした最長老が、森の奥から二人をじっと睨んでいる。
そのうち、長老の真っ赤に焼けた手が”ツツーッ”と伸びてきて、
ペトロの胸にぐさりと突き刺さった。
それから、
“ぶんぶん!”
と騒ぎながら、森の虫たちが集まってきて、
ペトロの身体を担ぎ上げて森の奥に運んでいった。
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この世の果ての中学校28章 “ ペトロは迎えの天馬に乗り 天上の守り神と談判に出かけた!”
地上に降りてきた太陽神と白い棺
夢から覚めて、マリエはベッドから飛び起きた。
心臓がドンと鳴った。
先週の金曜日、学校が終わって、いつものように丘の上にあるマリエの教会までペトロが送ってくれてから、ペトロとは連絡が取れない。
ペトロは月曜日になっても学校に来ない。
スマホにラインしたのに既読にもならない。
ペトロは二、三日家に帰って来ない時は、決まってマイワールドのペトロの神殿にこもってなにかしている。
だから今回も、ペトロがいなくなってもペトロのママも先生達もなんにも心配していない。
でも何か胸騒ぎがする。
いつもは一日に一回は電話をくれるのに・・・。
不安になったマリエはペトロのママに電話を入れてみた。
「今朝、変な夢を見ちゃって、なんだか心配になって・・・。ペトロはまだ帰ってこない?」
「神殿の大改造だとか言って、今回は一週間分も食料持って行ったわよ」
ペトロのママはのんびり答えたが、マリエが見たおかしな夢の話をしたら、急に不安になったみたいだ。
「マリエ、私もなんだか心配になってきた。お願い! ペトロのマイワールド覗いてきてくれないかしら。ペトロが大人はだめだって神殿に入らせてくれないのよ」
「いいわよ、マリエもそのつもりだから。なにかわかったら連絡入れるわね」
マリエはいつでもペトロの神殿に入ることができた。
二人はお互いのマイ・ワールドの鍵をひとつづつ交換していたのだ。
ファンタジーアの正門を通り抜けてペトロの神殿に着いたマリエは、表の扉を鍵で開けてそーっと神殿の中に入った。
物音に気が付いたペトロの影が片隅の玉座から立ち上がった。
「ペトロはいる?」マリエがそっと聞くと、影が嬉しそうにすっ飛んできて答えた。
「やっと来てくれましたね! マリエ、ぺトロに大事件です!」
顔をしかめながら影が一気に報告をしてくれた。
・・・ペトロが神殿の奥に祭壇をこしらえたこと。
食べ物も水も一切口に入れず、一日中神に祈りを捧げていたこと。
願いを聞いてもくれない神様をののしったこと。
三日目の朝、黒い天馬が空から降りてきて、天上から迎えに来たこと。
ペトロは黒い天馬に乗って空のどこかに向かっていったこと。
それからもう三日が過ぎたこと・・・。
マリエは慌ててスマホを取り出して、ペトロのママに伝えた。
「大変! 神殿にペトロがいないの。ペトロの影の話だけど、3日前に、迎えに来た黒い天馬に乗って、たった一人で天上に向かったみたいよ」
・・・驚いたペトロのママが、ファンタジーアの正門をこじ開けて、ペトロの神殿に駆けつけてきた。
神殿の入り口でマリエが待っていると、息を切らしたママの後ろに仮面の男が付き添っている。
マリエは、虚構の手品師がペトロのパパであることくらい、ずっと前から知っていた。
仮面の下に隠された顔がマリエには何故か見えていたのだ。
その顔はペトロにそっくりだった。
ペトロも手品師の正体が自分のパパであることを知っていて、「パパが仮面を自分から外すまでは僕も黙ってるんだよ」とマリエに言う。
いつもクールな手品師の仮面が、今日はとても不安そうに見える。
ペトロの影が神殿の扉から顔だけ出して、早く中に入るように言った。
「大人は子供のマイワールドに入れないのじゃない?」
ペトロのママが影に尋ねると・・・。
「ペトロがいなくて心配で、心配で、何かの時にママやパパが入っても大丈夫なように神殿を強化しておきました」
影が自慢げに言って、みんなを神殿に引き入れた。
ママとパパが見渡したが、ペトロの気配はどこにもない。
顔を寄せ合って相談した結果、ペトロが帰ってくるまでみんなでこの神殿で待ち続けることに決めた。
ペトロの影が、座り心地のいい椅子を三つと小さなテーブルを一つ運んできて、神殿の中央にセットしてくれた。
いい匂いが漂ってきて、ペトロの影が紅茶のポットとカップをテーブルに並べる。
「ペトロがここの森で育てたミント入りのテイーです。気持ちが落ち着きますよ」
影がそう言って紅茶をカップに注いでくれたので、三人は無言で熱い紅茶を口に運ぶ。
マリエが見るとペトロのママの顔は蒼白で、手は細かく震えていた。
手に取ったカップがソーサーとぶつかってガチャガチャと音を立てた。
不安を振り払うように、仮面を一振りした手品師が立ち上がり、ママを誘って神殿の中を歩き回る。
ペトロの創った重厚な天蓋を見上げ、壁に刻まれた彫刻を手で触れて調べた。
新しい祭壇を見つけると、跪いて十字を切り、二人でペトロの無事を祈った。
手品師がペトロの玉座に斜めに立てかけられた双胴のケースを見つけた。
厳重に鍵をかけてある蓋を指先で探ると、あっという間に蓋が開いた。
中から双子の楽器を取り出し、黙ってママに手渡す。
ペトロが造った双胴のガンバ。
ガンバ奏者のママの表情がぱっと明るくなって、楽器を膝で抱え込み、ペトロの大好きなおもちゃのマーチを弾いた。
神殿の前の広場に、弾けるリズムに乗ってペトロの兵隊が集まりだした。
玉座に座っていた影が、びくりと身体を震わせて立ち上がった。
「天馬だ!」
影はかすかな馬のいななきを聞き取った。
急いで、広場に向かう神殿の扉を開け、兵隊に向かって大声を上げる。
「ペトロのお帰りだ! 全員、整列!」
兵隊たちが、神殿に駆け寄って、横一列に整列をする。
天空に黒い天馬が一頭現れた。
・・・白い法衣を身にまとった男が天馬に跨がっている。
天馬のあとには白木の棺を担いだ黒い衛兵が二列になって続く。
やがて天馬が広場に降り立ち、大きくいなないた。
白い法衣の男は馬から下り、神殿に近づくと手を胸に当て頭を下げた。
男は輝く顔を持ち、太陽神と呼ばれていた。
太陽神の声が神殿にまで響き渡る。
「聖なるペトロを謹んでお返し申し上げる!」
続いて、白い棺を担いだ衛兵たちが広場に降りてきた。
ペトロの兵隊が衛兵を取り囲むと、衛兵は、兵隊に棺を受け取ってほしいと頼んだ。
棺の主がペトロであることを察知したペトロの兵隊が、身体を震わせながら棺を引き継ぐ。
・・・太陽神がペトロの神殿にぬっと入ってきた。
暗かった神殿が太陽神の全身から発せられる白い光で満たされ、隅々まで輝いた。
ママとマリエはあまりの眩しさに、手で顔を隠した。
虚構の手品師の仮面が太陽神の発する光を反射して銀色に輝き、眼の窟からは暗い目が太陽神を睨み付けている。
ただならぬ気配を感じた衛兵たちが、太陽神を取り囲んで警戒態勢を敷いた。
「待て!」
一言いうと、太陽神は、衛兵の一人から黒いマントを借りて身につけ、急いで顔を隠した。
次に、衛兵に何事かを指示した。
衛兵たちは、祭壇の前に置かれた台座を、二つ横並びに配置して全体を大きな白いクロスで覆い、ペトロの兵隊に頷く。
ペトロの兵隊たちは、新しくできあがった台座の上に、担いできた白木の棺をそっと静かに置いた。
太陽神は棺に近づき、重い蓋を静かに両側に拡げていった。
棺の中には、いっぱいの白い花々に囲まれて、
ペトロが静かに眠っていた。
太陽神は棺の前に跪き、深々と頭を下げ、両手を合わせた。
そしてペトロのママと手品師に近づいて一礼をすると、二人を丁重に棺に誘(いざな)っていった。
二人が棺に近づき、花に囲まれたペトロの顔を覗き込んだ。
ペトロの顔に少し驚いたような表情が残されている。
「ペトロ!」とママが名前を呼ぶと、
ペトロの強ばった頬が安心したように緩んで、いつものいたずら好きな表情が戻ってきた。
ママが、確かめるようにペトロの額にそっと手を当てた。
指の先からひやりとした感触が伝わると、ママの心の中を、恐ろしい現実が突き抜けていった。
ママの口から絞り出すような悲鳴が上がった。
その声は神殿の静寂を切り裂いて、残されていたかすかな希望を粉々に打ち砕いていった。
泣きじゃくるペトロのママを胸の中に抱きしめて、手品師が茫然と立ちすくんでいる。
能面の顔は一切の表情を失っていた。
マリエの表情が崩れ、大声で泣き出した。
太陽神は光り輝く顔をマントから現し、ペトロのママとパパとマリエに向けて話しかけた。
・・・“お願い、どうか悲しまないで”
これはペトロからママとパパとマリエへの言葉です。
ペトロは天に召されて人間の守り神となったのです。
ペトロは決然として、自ら守り神への道を選びました。
いまはただ、聖なるペトロの肉体を愛する人の元にお返しするだけです。
ペトロの魂は、いま天上の神々と共にあります。
若いペトロは新しい命を得て、元気に守り神への道を修行中なのです。
ですからどうかそんなに悲しまないでください。
ペトロのために祈り、祝福してあげてほしいのです・・・
太陽神の顔には、溢れた涙が流れ落ちているのだが、焼け付く熱さですぐに蒸発してしまって、誰も太陽神が涙を流していることに気がつかなかった。
マリエが泣き崩れている。
ペトロの額に触れたり、泣きながらほっぺたに口づけをしたり、いつものように話しかけたりしていた。
三人の悲しむ様子を見ていた太陽神は、主(あるじ)を失って、今にも消え入りそうに暗闇の一隅に隠れているペトロの影をそっと呼んだ。
太陽神がなにかを伝え、影が頷いた。
太陽神は影の胸に光り輝く掌を当てた。
影は影ではなくなり、光を放ち始め、ペトロによく似た少年の姿を作り上げた。
影は、これで、主のいない神殿の外に出て、太陽の光の中でもペトロの代役を務めることができた。
次に、
太陽神はマリエに近づき、四つ折りにした一枚の封書をマリエに手渡した。
「愛するマリエに・・・」
封書の表の字は、あの下手なペトロの字。
マリエはその場で開いて、涙をこらえて読み上げた。
「天上の歪みの中で勝負だ! 僕が代わりにマリエとみんなの守り神になってあげるよ ・・・ペトロ」
「マリエ、意味はわかるか?」と太陽神が尋ねた。
「全員に伝える、とペトロに言って下さい」
マリエが頷き、声を絞り出した。
太陽神は、ママと手品師に向かい、身体を二つに折り、顔を伏せ、涙を隠して、深々と頭を下げた。
そして、黒いマントを翻して、広場に出た。
太陽神は黒い天馬に飛び乗り、一鞭当て、衛兵を引き連れて天上に駆け上っていった。
マリエが立ち上がった。
棺に向かってもう一度十字を切ると、神殿から表に出た。
大きな深呼吸をして息を整え、スマホを取り出して友達や先生やママやパパたちに片っ端から緊急連絡を入れた。
魔法瓶の中のカレル先生にもメールを入れた。
カレル教授が眠っている特殊魔法瓶が宙に舞い上がった。
床に落ちて蓋が飛び、中からカレル教授が転がり出した。
「あいつだ、あいつが天上から降りてきた」と、叫びながら、校庭に飛びだしていった。
空には、夕陽に向かう黒い天馬とその上に跨がっている輝く男の姿が見えた。
「しまった!」
その一言ともに、教授の顔は夕日に照らされて燃え上がり、その目は遠ざかって行く黒い点をいつまでも睨み続けていた。
(続く)
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