この世の果ての中学校30章“暴かれた宇宙の歪みの秘密!”

 「ギリ、ガリ!」 
  朝早く、磨き砂でガラスをこするような嫌な音が聞こえて来て、マリエは目が覚めた。サイド・テーブルに手を伸ばしてスマホをつかみ、ペトロにラインでモーニングコールを入れる。

「オハヨー! ママが朝から教会のステンドグラス磨き始めた。うるさくて目が覚めたからペトロも起こすことにした」

 発信して、マリエはハッと気が付く。 
“ペトロはもういない。お葬式もこの教会で3日前に済ませたばかり”

暴かれた宇宙の歪みの秘密!

 マリエはベッドから飛び起きて、人間の守り神になったペトロにそっと十字を切る。

 それから、ママと二人だけでトーストとサラダと紅茶で簡単な朝食をとった。ママはいつもお腹がいっぱいと言って自分の食事を用意しない。でもときどき食べる振りだけする。本当はママはゴーストだから食事をとる必要がないんだけど、ママはそのことをマリエに知られたくないようだし、マリエも“知ってることを知られたくない”ので、二人はいまでも“知らん振りゲーム”を続けている。マリエはそんなママの振る舞いになんだか感動を覚える。
 

 いつもの朝のお祈りは学校に行ってからみんなと一緒にすることにして、二人で家を出た。昨晩ママと一緒に作った肩につける黒い喪章は、みんなに配るために小さな箱に詰めて背中のリュックに入れてある。マリエはペトロのことを話題にしないで、黙ってママの手を軽く握った。学校が近づいて来てマリエがママに聞いた。

「どうしてあんなに朝早くからステンドグラス磨いたりしてたの?」

「あらマリエ、知らなかったの? 昔からのママの習慣よ。朝陽が射すと教会に人間の守り神がやってくるの。朝の太陽の光を反射しているステンドグラスの七色に誘われて・・ね」

 ママがそんなことを軽く言ってのけて、マリエの手を強く握りしめる。

「ふーん。マリエもステンドグラス磨くの手伝ってみようかな」

 マリエもいい返して、ママの手をぎゅっと握る。

 学校に着いて教室に入って行くと、みんなのママやパパ、それに校長先生や医務室のおばさんまでPTAのメンバーが勢揃いしていた。ハル先生と生徒達が校庭で始めたダーク・プロジェクトの進捗状況を教室の窓から見守ることにしていたからだ。

 ペトロのママが虚構の手品師に付き添われて窓際に座っている。ペトロの光る影がときどきやってきてママを慰めていたが、ママは天馬の消えた遠くの空をぼんやり見つめるだけ。みんなは落ち込んでいるペトロのママを気遣って、声をかけずにそっとしている。

 マリエがリュックから黒い喪章を取り出して全員に配った。みんなが肩につけ終わるのをみて、マリエのママが立ち上がる。

「それでは皆様、私たちの新しい守り神、ペトロに朝のお祈りを捧げましょう。そしてどうか子どもたちのダークプロジェクトが成功しますように、守り神にお願いをいたしましょう!」

 マリエのママが校庭の空に向かって十字を切った。教室の全員が立ち上がってペトロに長い祈りを捧げる。
 
“ジャン!”

 マリエのポケットでスマホが鳴った。取り出して見ると、ラインに返信が・・。

 マリエは慌てて教室から廊下に出た。
 

 “これ、もしかして・・・ペトロからの返信?” 

 心臓が跳び上がる。ラインを開くとメッセージが明滅していた。

「こちらペトロ。モーニングコールの返事、おそくなってごめん。ただいま守り神の修行中」

“ウソでしょ”マリエの心臓がバコバコして指が震えた。

「い・ま・ど・こ?」

「天上の庭からだよ」

「エッ?・・・守り神がラインなんかしてもいいの」

「いいんだ。でも人間と話をしてはだめだって」

「マリエとはいいの?」

「マリエとはOKだよ」

「マリエとはどうしてOKなの?」

「だって、マリエは神の子って呼ばれてるじゃない」

「昔からみんながそういうのよ。牧師の子だからよ」

「そうじゃないんだ。最長老が言ってたよ。マリエのパパは僕の“セ・ン・パ・イ”だって。マリエは人間の守り神の子・・・パパの正体知ってた?」

「うすうすね・・・でも家族も仲間も人類も、みーんな放り出して逃げちゃったパパの話なんて聞きたくない・・・グスン!」

「逃げたんじゃないよ。人類最後の子供たち、六人のいのちと引き替えに自分の存在を消したんだって。人類最後の子供たちって僕たち六人のことだよ」

「・・・」

「ごめん、修行開始だ。またライン入れる。これ二人だけのゴッドライン。ぜったい誰にも内緒だよ」

 二人の交わしたメッセージが画面からすーっと消えていった。でもマリエの目にはペトロの残したパパについての太字のメッセージがいつまでも焼き付いていた。

「マリエ、どうかしたの、また泣いてるの、それとも笑ってるの?」

 急に姿を消したマリエを探して、ママが教室から出てきた。

 マリエは、崩れた顔の表情を慌てて立て直した。

「大丈夫!校庭でみんなとプロジェクトの準備してくるね!」

 マリエは喪章の残りを入れたリュックを担いで、跳びはねながら校庭に出て行った。
 

 マリエのママが戻って来るのを待って、カレル教授が教室の教壇に登った。教授は愛用のハットを左手でゆっくり回してみんなの注意を引きつけ、右手で黒板に数式を一つ書いた。

 5+333=338

「皆さんご覧ください。このシンプルな数式が今から始まる惑星融合計画の核心を表しています。融合した新しい地球で人類が絶滅することなく生存を続けるためには、自然環境の復元と、少なくとも300人以上の若い人間が必要とされます。地球の人口はペトロがいなくなってわずか5人、緑の惑星の人口は333人。二つの惑星が融合に成功すると緑の自然が復元して、人口が338人になります。ペトロの計画は人類が生き残るための必然の帰結なのです」

 教授はハットの回転速度を落とし、声のトーンを下げた。

「皆様には惑星の融合に備えて、明日の早朝からこの教室に避難して頂く予定です。しかし白状しますと、大事な生徒達の生身の身体や、ゴーストである私たちの幽体が融合の時にどんなことになるのか、この私にもさっぱり予想がつかないのです」

 
 ハットがぴたりと止まった。

「ではここで、皆様よくご存じの方をお呼びして、あらためてご紹介させていただきます」

 教授がハットを斜めにかぶった。

「宇宙の果ての歪みの中を何回も遊泳しておられる三界はぐれの親父さんに、歪みの正体と惑星融合についてお聞きしたいと思います。親父さん!ご登壇願います」
 

 ママたちが騒ぎ出した。

「何ですって、三界はぐれがここにいるのですって?」

 教室を見渡したが、よれよれの絣の着物に下駄を履いた男などどこにもいない。

 そのとき靜かに教室のドアが開いた。

 そして一人の男が入ってきた。

 濃紺のスーツをクールに着こなして、真っ白いワイシャツの上に渋く光るシルバーのネクタイを締めたその男は教授の隣に立ち、にこやかに挨拶をした。

「お久しぶりです、通称三界はぐれです」

「ウソでしょ・・・この紳士があの三界はぐれですって?」

 あっけにとられているママたちに、カレル先生がすかさずコメントを入れる。

「昔、三界が追放したこの方は、実は人類のために宇宙を奔走して食料を調達したり、地球以外に住めそうな惑星が存在しないか調べていた国連の特務調査官です。地球での滞在期間が短く、明治の学生姿や怪しげな振る舞いが原因で、ここ三界から追放されてしまいました。そんな中で親身になって世話をしていた女性が匠のママです。そしてお二人の間に生まれた子どもが匠なのです」

 ママたちは眼を白黒しながら、ようやく理解をした。

 三界はぐれは匠のパパが変身した姿だった。ママたちの視線を浴びた匠のママが、顔を赤らめ、椅子から腰を浮かして挨拶をした。

「匠にも三界はぐれが匠の父親であることを昨晩、話したばかりですの。『そんなこと、とっくの昔に知ってたよ』と笑われましたが・・・以後お見知り置き下さいませ」

 はぐれがママと一緒に丁重に頭を下げた。

「それでは、調査官から歪みの驚くべき真実を紹介していただきましょう」

 カレル教授がハットを斜めにかぶり直した。

 紳士は顎をぐいと引き、歪みの正体と、歪んだ宇宙に突入したときの心構えを話し始めた。

「二つの惑星が融合する瞬間になにが起こるのか、誰にも予測が付きません。歪みの中を通過した経験なら何度かありますが、歪みという異常な時空を利用して行う惑星の融合は、まさに別次元のものです。匠とペトロが遭遇体験をした“歪み”という存在は、宇宙の始まり“ビッグバン”を起こした原始的なエネルギーに満たされた時空間です。そこにはいまもスピリチュアルで無限のエネルギーを持つ生命体の原型が生息しています。ペトロを失ったのはまことに悲しいことですが、ペトロがそのコロニーに加わったことで地球と緑の惑星の融合計画に希望を持つことが出来ました。ここにおられるペトロのパパ、つまり虚構の手品師とカレル教授、宇宙物理学者でAIのハル先生も私と同じ結論に達しておられます」

 紳士はパパやママを見渡して一拍おき、融合の時の心構えを話した。

「予測されることは、二つの惑星が衝突する段階で皆様の身体はひとまず、ばらばらに解体されるだろうということです。そして二つの惑星が融合をはじめる第二段階では、ばらばらにされた各部分が復元に向かってお互いを探し求めます。このとき皆様に試されるのが『再生の能力』です。『形状記憶力』が正しく働いてくれれば元の姿に戻れるのですが、間違って隣の人の形状記憶にくっついてしまったりすると、お友達と鼻の辺りが一部入れ替わったりとか・・・」

  裕大のパパとエーヴァのママがお互いの顔をちらっと心配そうに覗き込んだ。

 「これは、たとえばの話をしておりますだけで、決して皆様を脅かしているわけではございません。昔『蠅』というタイトルのSFの名作がございまして、テレポーテーションで人間の瞬間移動をする実験で、一度粒子になった身体が再び融合する際に、主人公の身体の一部がどこかから紛れ込んできた蠅と入れ替わってしまった・・・顔は人間、身体は蠅、なんて話がございました。いやご心配なく、この教室には蠅は見当たりませんから」

 教室が静まりかえる中、紳士の顔が溶け始めて表情が消えた。髪はザンバラ、三界はぐれの野生の顔が現れた。はぐれはネクタイをふりほどいて、空中に放り投げて喋った。

「マーぶっちゃけた話が今度はワシにもさっぱり分からんいうこっちゃ! あんまりこんな話気にせんと、あとは守り神ペトロと子供たちに任せまひょ。肩の力抜いて、歪みも融合も楽しもうやおまへんか・・」

 話し終えて匠のママの隣の席に座りかけたはぐれが、一拍おいて付け加えた。

「そや、明日の朝は奥様方は厚化粧は止めなはれ。歪みに入ったら、どっちゃみちお顔はぐじゃぐじゃの妖怪変化ですわ!」

“ワッハッハ!”と笑って椅子に座り込んだはぐれ親父のざんばら頭に、匠ママの鉄拳がゴンと打ち下ろされた。

「痛ぇー!」悲鳴を上げて頭を抱えたはぐれ親父を見て、すっかり落ち込んでいたペトロのママとパパが笑いだした。

“ありがとう”そっと匠ママがはぐれの耳元で囁いた。はぐれの芝居は一人息子を失ったペトロのママとパパを元気にする演技だった。

 校庭の真ん中に大きなテントが張られて、その中にプロジェクトの本部が設営された。多目的電子ボードが奥にデンと置かれ、デスクに向かっているハル先生のナノコンや生徒のスマホと、そして宇宙のお喋りチャットで緑の惑星とも無線ランで繋がっている。
 

 電子ボードにはスタッフメモがランダムに貼り付けられた。

「勝負は宇宙の歪みの中だよ!」(守り神のペトロからみんなへ。マリエ)

「宇宙の方程式がまだ完成しない。あしたの融合プロジェクトに間に合わない。困った」(ハル先生の一人言) 

「宇宙艇をダークマター採取用に改良中。順調よ」(みんなへエーヴァ)

「校庭の隅にゲスト用の大型避難テント、至急、設営してくれない?」(裕大へ咲良)

「設営終了したよ。でもゲストってだれのこと?」(裕大から咲良)

「ペトロの喪章の黒いリボン、左肩につけてね。センターテーブルの箱の中」(みんなへマリエ)

「ペトロが亡くなって、僕ら人間の守り神になつた話、聞いたよ。ボブたち悲しくて一晩中広場に集まって泣いた。それでこのプロジェクトのテーマソング作って、ペトロに捧げることにしたんだ。タイトルだけ決めたよ。『双子の惑星のシンフォニー』でどう?」(緑の惑星のボブ)

「決まりだよ!今からペトロのママに作曲お願いしてくる」(ボブへ匠)

“ジャン!”

 マリエのスマホが鳴った。本部の片隅に隠れて、そっとラインを開けた。

「こちら修行終了。そっちの準備どう?」

「難題が山ほど」

「どんなのが一番難しそう?」

「ハル先生、宇宙の方程式完成できずに悩んでる。あしたの計画に間に合わないつて。守り神から先生にアドバイスできる?」

「天上には宇宙の方程式みたいな法則はどこにもないよ。僕はまだ修行中だけど、神様はそうしたいと念じたらすべてそうなるんだって。それから、物事は未完成のうちが幸せだって最長老に言われたよ」

「宇宙の方程式も未完の方がいいってこと?」

「だって、完成したらハル先生、生きがい無くしちゃうかも」

「ウーン、分かった。そのことハル先生に言っとく」

「これから明日の融合に備えて、僕のダークエネルギー補給してくるよ。あっ、それからペトロの神殿だけど、惑星融合のショックに備えてみんなの避難所にして欲しいんだ。あそこなら僕のパワーが上手く伝わると思う。僕の影にもそう言っとくからね」

「分かった。そうする」

「じゃ、またね」

 二人のメッセージがラインから消えていった。
 

 マリエはぶつぶつ呟いているハル先生に、黒いリボンを一つ持って近づいた。

「巨大宇宙と量子小宇宙をインテグレートする仕上げ理論のスパイスはと・・・スピリチュアルな原始エネルギーを少量混ぜてと・・・」

「ハル先生!」マリエが呼びかけても、計算に夢中の先生はまるで気が付かない。マリエは、思い切って「ハルちゃん!元気?」と呼びかけた。

 ハル先生、ぱっと目覚め、振り返って大きな溜息を一つついた。マリエは先生の肩に喪章をつけながら、慰めてあげた。

「先生、あまり根を詰めないでください。今朝方ペトロが夢に出てきて偉そうに言うんですよ。ハル先生に天上からアドバイスですって。宇宙の方程式は未完のままが美しい。完成してしまったらなーんも目標なくなって、つまんないよですって。未完の部分はペトロが頑張って補いますから、このままプロジェクトを進めましょうって」

 ハル先生が目をぱちぱちさせて、しばらく考え込んだ。

「ハルちゃん、元気?」マリエがもう一度、耳元で囁いた。

「あっ!」と叫んで、ハル先生がナノコンを宙に放り上げた。マリエがすかさず受け止めて、さっとデスクに戻す。

「ハル、お散歩してくる」そう言ってハル先生、ナノコンを置いたままテントから校庭に出て行った。

 ハル先生がナノコン無しで歩くのは生まれて初めて。空を見上げて大きく深呼吸をすると、校庭の周りをゆっくりと歩いた。

「量子ナノコン持たずに歩けるAI・ハルの生存エリア、確かナノコンから半径300メーター以内」

 ぶつぶつ言って校庭の砂場に入り、砂の一握りを掌にのせて長い間見つめた。そのうち、砂粒が涙にぼやけて星に見えた。遠い昔、星空の元で夜遅くまで話し込んだ、仲良しの少年の姿が脳裏に蘇った。

 ハルちゃんは立ち上がって走り出した。校舎に入り、教室を覗いた。教壇のそばで座っているカレル少年の姿を見つけると、近づいて行っていきなりキスをした。驚いたカレル教授が椅子から滑り落ちた。ハルちゃんはあわてて校庭の本部に戻ってきた。その頬が赤らんで、目が潤んでいた。

「マリエ、ありがとう。ハル先生、気分絶好調! なんだか宇宙の呪縛から解放されたみたいよ」

 ハル先生はマリエをきつく抱きしめた。マリエもしっかりと先生を抱きしめてあげた。

 ハル先生が落ち着くのを待って、マリエが質問した。

「ハル先生、パパやママが避難するあの教室は緑の惑星との融合に耐えられるのでしょうか」

 うなづいたハル先生が量子ナノコンで計算を始めた。10 秒で結論が出た。

「大変、これじゃとても無理。急いでマリエ、なんとかしなくちゃ!」

 マリエは教室に駈け戻ってペトロの影を探した。

 ペトロのママに付き添っている光る影を見つけたマリエは、ペトロの神殿を強化することと、思いきって神殿を学校の校庭に運んでこられないか・・・至急の相談を始めた。 

 校舎のドアが開いて、咲良に引率されたホラーの広場の群れが校庭になだれ込んできた。先頭のホラーが奇声を上げて校庭を跳びはね、アンデッドがここはまぶしすぎると文句を言いながらぎくしゃくと続く。最後にクオックおばばが軽やかなステップで校庭に現れた。おばばは光が眼に入らないように目隠しをしているが、視力を越えた超能力で周りが見える。

 教室の窓から校庭を眺めている咲良のママをクオックおばばが見つけた。ホラーの守り神であるおばばは宿敵・ファンタジーアの女王に軽く手を振って挨拶をすると、避難用のテントの椅子に座り込んだ。おばばの到着を待っていたホラーやアンデッドたちが大声をあげて席を奪い合った。

「静かにしなさい!」咲良がホラーたちを叱りつけた。

“幻想と恐怖”は人間の心の光と闇。どちらが欠けても空想と創造のファンタジーアの世界が存続できなくなる。そう思った咲良はママと相談して、惑星が融合する時の巨大な衝撃からホラー一族を守り抜く決心をした。そして新しい世界ができあがればあらためてホラーをそこに解放するつもりだった。

 匠が、教室の窓際でぼんやりと校庭を眺めているペトロのママに近寄って、ダークプロジェクトのテーマソングの作曲を頼み込んだ。

「ボブのアイデでみんながプロジェクトのテーマソングを作って、天上のペトロに捧げたいと言っています。曲のタイトルは『双子の惑星のシンフォニー』です」 

 それを聞いて、落ち込んでいたママの目がぱっと輝いた。
「お願い匠!いますぐ双子のガンバをペトロの神殿から取って来て!」 

 10分でガンバを担いだ匠が走って戻ってきた。校庭の本部で待ち構えていたペトロのママが匠からガンバを受けとって小さな椅子に腰をかけた。

 目を細め、ガンバを両足に挟んだ。弓を振り上げて、一気にかき鳴らした。

“ギギー、ガガー”

 耳を手で隠したみんなに向かって、

「準備運動完了。みんな集まって!」ペトロ・ママが澄まし顔で言う。

 駆けつけたハル先生と生徒たちを前にママが立ち上がった。その目がぎらりと光る。

「みんな知ってるでしょ? それとも感じてる? 壮大な宇宙は音楽そのものなの。そして音楽は数学なのよ」ママが鋭く言い放つた。

「その通りですわ」宇宙物理学者のハル先生がしっかりと頷く。

「ハル先生!それでは完成した宇宙の方程式から双子の惑星のシンフォニーを作りましょう。そして完成したシンフォニーを宇宙に向かって解放しましょう」ママがハル先生に力強く迫った。

「あら、すみません。それがまだ未完成で・・」ハル先生が恥ずかしそうに下を向いた。

「なんとおっしゃいました? “未完成!”ですって? 荒々しく野性的、なんて美しい響き! 未完の方程式、そのまま楽曲に頂きま~す」

 ペトロのママは電子ボードに近づき、デスクの上に置かれたナノコンを優しくたたく。

「トントントン! こちらペトロのママ、未完成の方程式、恥ずかしがらずに出てらっしゃい!」

「そこ私のお腹!」ハル先生、自分のお腹を手で押さえて「くっくっ!」と笑う。

「あら失礼、ハル先生。それじゃ、未完の方程式を一式そのままオーディオに変換することは可能でしょうか?」ママがたたみかけた。

「やってみましょう。音源のソフトは山ほど持ってます。フルオーケストラでいかがかしら、こんな感じになりますが」

 電子ボードから野生のフルサウンドがゆったりと校庭に流れた。

「ハル先生、素敵!このサウンドで双子の惑星を動かしてみましょうよ。それじゃ、新しいシンフォニーのイントロとエンディングを、どなたかフレーズ付きで歌って聞かせてくれる? 守り神を泣かせるフレーズよ!」

「ペトロを泣かせるイントロはこれだよ」

 匠が大声で歌った。

“やっとこ、やっとこ繰り出した~”

「エンディングは風のおじさんのソフトランディングで決まりさ!」

 小さなボブが宇宙のお喋りチャットで歌った。

“♯答えは風に吹かれて♭”

 ママがガンバで即興で演奏してハル先生が編曲する。

 双子のシンフォニーが校庭に流された。教室の窓からパパやママや先生が歌った。おばばが手拍子を打ち、ホラーやアンデッドたちが足を踏みならした。

 緑の惑星のプレートからテーマソングが流れてエドの子供達が歌った。

 
 虚構の手品師は双子のシンフォニーに耳を傾けながら、本部の電子ボードに書き付けられたプロジェクトのチェック・メモを見つめていた。それから演奏を終えたペトロのママに一言囁く。しばらく考え込んでママが渋々頷いた。手品師は本部を抜け出し、教室に戻ってカレル教授を探した。

 
「私はもう一度、子供たちの未来を確認してきます。プロジェクトに何か不都合がみつかれば直ちに連絡を入れます」

 カレル教授にそう告げると、虚構の手品師は一人、未来に旅立って行った。

(続く)

続きはここからご覧ください。

https://tossinn.com/?p=5298
 

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下條 俊隆

下條 俊隆

ペンネーム:筒井俊隆  作品:「消去」(SFマガジン)「相撲喪失」(宝石)他  大阪府出身・兵庫県芦屋市在住  大阪大学工学部入学・法学部卒業  職歴:(株)電通 上席常務執行役員・コンテンツ事業本部長  大阪国際会議場参与 学校法人顧問  プロフィール:学生時代に、筒井俊隆姓でSF小説を書いて小遣いを稼いでいました。 そのあと広告代理店・電通に勤めました。芦屋で阪神大震災に遭い、復興イベント「第一回神戸ルミナリエ」をみんなで立ち上げました。一人のおばあちゃんの「生きててよかった」の一声で、みんなと一緒に抱き合いました。 仕事はワールドサッカーからオリンピック、万博などのコンテンツビジネス。「千と千尋」など映画投資からITベンチャー投資。さいごに人事。まるでカオスな40年間でした。   人生の〆で、終活ブログをスタートしました。雑学とクレージーSF。チェックインしてみてくださいね。

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