のーんびりした人類絶滅小説です。
今日はハッピーフライデー
いつもの授業はお休みで、自由行動の日です。
六人の中学生は、医務室のヒーラーおばさまに連れられて、ファンタジーにある「ヒーラーおばさまのハーブ農場」を見学に出かけます。
そこでヒーリングの技を身につけた生徒達を、薄闇の帰り道で待っていたのは、人の記憶を食べる魔女「クオックおばば」でした。
前回のお話は下記をお読みください。
4章 ヒーラーおばさまと魔女よけの秘術
金曜日の昼休みに、医務室のおばさまがぶらっと教室にやってきた。
窓際に集まってお喋りしていたマリエと咲良とエーヴァを見つけると、そっと近寄ってきて、ひそひそ声で話し始めた。
「花の三人組のみなさん!ちょっと聞いてくれる~」
・・・昨日の朝のことなんだけど、今日の午後の授業でヒーリングの実技を希望者に教えてほしいと、ハル先生から頼まれましたの。それでファンタジーアにある私のハーブ農場の見学会でもしようかなと思いついて、昨日の午後に手入れに行ってきましたのよ・・・
医務室のおばさまはいつもは可愛い看護婦のスタイルなのに、今日はエプロン掛けのおばさまファッションだ。
三人組みの真ん中に座り込んだおばさまは、額にかかった髪の毛をちょっと巻き上げてから、ひそひそ話を続ける。
・・・咲良はいつもママを手伝ってファンタジーアの修理をしているから、よく知ってると思うけれど、幻想の世界は脆くて壊れやすいものなの。
だからとても繊細に扱わないといけません。
ところがです、最近、夕暮れ近くになるとファンタジーアの片隅にとんでもないものが現れています。
咲良、ちょっと聞いてくれる?
ファンタジーアの薄闇に小さなほころびができているようなの!
昨日も、農場からの帰り道で、丸くて小さな朧の闇が通り道に浮かんでいるの見つけましたの。
ふらふらと宙に浮いているので、こっそり近づいてみると、向こうの闇の中から、得体の知れない者がこちらの世界を覗いていたのです・・・
「きっとあいつらなの、あいつらが目覚めて、ファンタジーアに潜り込んで来たのよ」
思わず三人は身を乗り出して、おばさまの次の言葉を待った。
「あら、こんなブラックな話をするのはみんなには早すぎたようね。続きはまたの機会にお話ししましょうね」
ヒーラーおばさまは慌てたように立ち上がり、ふっと、まわりを見渡して、そのまま教室を出て行った。
「何よ、これ、ヒーラーおばさま! お話最後まで聞かせてよ」
三人はあっけにとられて、おばさまの後ろ姿を眺めていた。
午後の授業開始のチャイムが鳴って、ハル先生が教室に入ってきた。
「ちょっと、ヒーラーおばさまはここにいらっしゃらなかった? 医務室にもどこにもおられないの。午後の授業、あれだけお願いしておいたのに・・・」
先生はふと思いついたように身体を縮め、教室の四隅を探し始めた。
そして奥の一番暗いコーナーをじっとのぞき込んだ。
「やっぱり・・・ヒーラーおばさま、そんなところに隠れてらっしゃるのね」
部屋の一隅からヒーラーおばさまがぬっと姿を現した。
「ご免なさい、着替えに手間取っちゃって・・」
看護婦の白衣に着替えて、ピンクの花柄刺繍のエプロンを締め、聴診器を首に架けた小柄なヒーラーおばさまがみんなの前に現れた。
「ヤッホー!ヒーラーおばさまだ!」
ペトロと匠が口笛を吹き、足を踏みならす。
ふたりは派手な取っ組み合いをしては、いつも医務室のヒーラーおばさまの世話になっているのだ。
「静かに!それでは午後の課外授業のことを説明しますね」
そう言ってハル先生は医務室のおばさまを壇上に引っ張り上げた。
・・・今日は、いつもみんながお世話になってる医務室のヒーラーおばさまの課外授業です。
私がお願いをしましたのはヒーリング技術の特別講座です。
ヒーリングは暗い心を明るくしたり、苦しいときを乗り越えるための心の技術です。
ヒーリングを施術するプロのことをヒーラーと言います。
医務室のおばさまはハーブで施術するヒーラーなのです。
今のうちにヒーリングの技術を身につけておいたら、将来きっと役に立つときが来ます。
女生徒にはビッグチャンスですよ。
では希望者は席について、ヒーラーおばさまの講義をよく聞いてくださいね・・・
マリエとエーヴァと咲良は、急いで最前列の席を確保した。
「花の三人組が残るんなら、仕方ねーな。俺たちも聞いてみるか!」
匠とペトロが2列目の席に座り込んだ。
帰りかけた裕大が立ち止まり、唸った。
「なんだよ・・・ハッピーフライデーなのに遊び相手もいないのかよ」
裕大が渋々腕組みをして最後尾に座った。
・・・ヒーラーおばさま、お得意の人集めの術だった。
「あら、みんな全員でわたしの話を聞いてくれるのね」
ヒーラーおばさま、満面の笑みで壇上から講義を始めた。
・・・私はファンタジーアにハーブの農場を持っています。
ファンタジーアにはマイ・ワールドからも入ることが出来ますが、正しい入り口は『幻想の大門』です。
今日は私が育てているいろんな種類のハーブをみなさんに試してもらおうと思っているのですが、実は帰りに寄り道をしてみたいところがあります。
そこで、まず、おばさまのマイ・ワールドでヒーリングの勉強をしてから、帰りに内緒の寄り道をしてみようかな、という計画です。
「内緒の寄り道ってなんだろ?」匠がペトロに聞く。
「いつもの痛~い予防注射かもしれないよ。匠がいつも逃げ回ってるやつさ。逃げられない場所で、いきなりプッツン!」
「ゲッ!」匠がペトロを蹴飛ばした。
・・・それじゃ、行くわよ!
ヒーラーおばさまはピンクのエプロンのポケットから鍵を取り出して、マイ・ワールドをカチリと開けた。
ピンクの風船が出てきて、みんなの背丈ほどに膨らんだ。
おばさまが最初にピンクの風船ゲートに飛び込んでいった。
みんなも次々にヒーラーおばさまを追いかけていった。
ハル先生はピンクの風船を、誰もいなくなった教室の片隅にしっかりと固定させると、教壇のデスクに戻り、その上にナノコンを置いた。
深呼吸を一つすると、ハル先生の指が、ピアニストのようにナノコンのボードの上で踊った。
指先が単調なリズムに揺らめいて白く輝き、飛び散った。
いつの間にかハル先生の姿が消えた。
カタカタという乾いた音だけがいつまでも教室に響いていた。
・・・トンネルを抜けると、そこはヒーラーおばさまのハーブ農場だった。
ファンタジーアの暖かい日差しがハーブ畑にいっぱい降り注いでいる。
「女の子は農場の小屋でハーブの研究よ! 男の子はこのボールでしばらく遊んでいてくださいね」
そう言って、おばさまは裕大に三色に色分けされたサッカー・ボールを手渡した。
三人は農場の空き地で「トライアングル・ヒーラー・ボール」を始めた。
ヒーラー・ボールは男子生徒のために、おばさまが急遽作り出したボール・ゲームだった。
ハーブの葉っぱや根っこや青くて硬い果物の実を包み込んだ多機能ボールを蹴飛ばして遊ぶ競技だ。
丸いボールは赤・黄・青の三色に色分けされていて、蹴飛ばす箇所によっていろんなハーブの香りが飛び出してくる。
赤色に当たると、タマゴの腐ったような悪臭が飛び散る。
黄色を蹴飛ばすとしびれ薬草が足にくっついてしばらく足が動かなくなる。
青色は蹴飛ばしても皮がへこむだけだ。
「うまく蹴飛ばすと三回に一回は天国に近い素敵な香りが出て来るわよ」
ピピーとスタートの笛を吹くと、おばさまは花の三人組みを引き連れて、農場の小さな小屋に入っていった。」
三人は空き地の三隅に、それぞれのゴールポストを作って、ゲームを始めた。
三人は激しくボールを奪い合って、敵のゴールに向かって攻め上がった。
ゴールに成功する前に、三人は悪臭に打ち負かされて地面に倒れ込んでいた。
ヒーラーおばさまが、この後のホラーとの遭遇に備えて男子生徒を特訓しているのだった。
「ペトロ、『天国の素敵な香』って、どこをけったら出てくると思う?」
匠がペトロに尋ねた。
「この三色ボール、色分けした線の真上を蹴飛ばしたらどうなるのかな。きっとそれが正解だな。でも僕の技術じゃ無理かな・・」
ボールを軽く叩いて、調べた振りをしていたペトロが、匠の前にそのボールをそっと置いた。
匠が、いきなりボールを蹴った。
匠の右足は正確にレッドとイエローの間の緑のラインをキックした。
ボールはペトロのゴールに向かって一直線に飛んだ。
「ゴール!」
ペトロが叫んだ横で、腐った卵の匂いにまみれ、しびれた足を抱えた匠が横たわって、うめいていた。
男の子たちがヒーラー・ボールで遊んでいる隙に、女の子たちは農場の道具小屋で、ちょっと気になる男の子を惹きつけるヒーリングの秘術をおばさまに教えてもらった。
・・・それでも効果が出ないときにはこれでお茶を点てて、飲ませなさい・・・そう言っておばさまは三種類のハーブを調合した秘薬を三人に渡した。
「これで本日の授業は終わり。でも、悪ガキ隊が帰ってこないうちにお知らせしておきたいことがあるの」
優しかったおばさまの表情が急に厳しくなった。
「母親には子育てという大変な仕事があります。将来、みんなに子供が生まれて、万一、家の倉庫の食料が尽きてきたら、おばさまのことを思い出してください。この農場に来て、道具小屋の地下室の蓋を開けるのです」
おばさまは三人が囲んでいた大きな木のテーブルを、静かに指さした。
「みんなでこのテーブルを横にずらしてみましょう」
テーブルは思ったより重くて、四人でかけ声をかけて、ようやく1メーターほど動かした。
床に、四角く切られた上げ蓋が現れた。
「この蓋を開けて、中を覗いてごらん」
咲良が板に取り付けられた小さな金具を起こして、蓋を持ち上げ、横に外して床に置いた。
床に四角い穴が開いたので、三人は顔を突っ込んで、中を覗き込んだ。
床の下は地下室になっていた。
棚が三列、四段に並んでいて、そこには大小の段ボール箱が大量に保管されていた。
英語とロシア語らしい二種類の横文字がそれぞれの箱に印刷されていた。
「おばさま、あれ何? もしかして・・・全部食料品だったりして・・・」
咲良の声が震えた。
「正解。ここはヒーラーおばさまの極秘の食料備蓄庫なの。段ボールの中は、病原体の混入していないピュアー・フード。NASAの倉庫とロシアの宇宙基地から、厳重に保管されていた非常用食料を勝手に頂いて参りました」
「勝手に? おばさまそれって国際犯罪じゃない? たしかケネデイー宇宙センターとボストチヌイ宇宙基地よ。おばさま一人で出かけて・・盗んできたの?」
宇宙船パイロットの娘、エーヴァが絶句した。
「盗むだなんて人聞きの悪いこと、言わないで! 一年前、お前さん達を救助するために世界に飛んだ軍の高速飛行艇が、燃料補給をかねてちょっと寄り道しただけの話よ」
・・・おばさまはその時、政府の保健室に勤めていたのよ。
思いついて、アメリカ組とヨーロッパ組のクルーに内緒で頼んでおいたの。
基地は閉鎖寸前だったから事は簡単。
『大事の前の小事』ってとこよ・・・
可愛いエプロンで手を拭きながら、ヒーラーおばさまは艶然と笑った。
「『ダイジとかジョージ』ってのは一体、何者じゃな?」
日本語が苦手な咲良が大まじめに聞く。
「日本のことわざ。大事はお前さん達の子供のことで、小事はおばさまの盗みのこと」
ヒーラーおばさまは大きく胸を張り、得意満面で食料品のメニューを紹介した。
・・右の棚から行くわね、最初の棚は10年は保存の効くサバイバル仕様の宇宙食ですよ。
ほとんどが缶詰で、肉類、魚、そして野菜のシチューとスープ。
真ん中の棚はドライフーズで、米、乾パンにお豆さん。
あと、日本製のカップヌードルとカレー・ライスを特殊包装したものが少々。
三番目の棚には、戸棚の引き出しにおばさまの処方メモ付きの乾燥ハーブが山ほど入っています。
料理とお茶と、それから緊急の医療用です。
ドームへの不意の侵略者に備えて、100%侵入不可能な場所・・・つまりマイ・ワールドの地下を保管室に選んだのです。
侵略者はどこにいるか分かりませんからね・・・ヒーラーおばさまはマイ・ワールドに入れない校長先生とカレル教授の顔を思い浮かべてクスッと笑い、お話を続ける。
・・・そのときが来たら、この食料でお前たちの子供を育てるのです!
数年は子供達のいのちを繋ぐことができます。
その間になんとか自給自足の体制を作りなさい。
命尽きるまで、頑張るのですよ。
みんなのママを見習って・・・。
そう言っておばさまは三人を集めて、両腕で力一杯、抱きしめた。
「地下室のことは悪ガキ隊にはしばらく内緒にしておきましょうね・・。さあ、そろそろ三人を呼んでらっしゃい。みんなで三時のお茶にしましょう」
六人が道具小屋に集合した。
お腹が空いて喉も渇いてきた生徒たちのために、おばさまが地下室の棚に寝かせておいたロシヤ製のチーズの大きな一塊と、NASAのクラッカーがテーブルの上のお皿に盛られた。
おばさまがナイフでスライスしてくれた濃厚なチーズを、クラッカーの上に乗せてみんなで食べた。
それと、アップルミントに少量のステピアを加えてちょっと甘めにした熱いハーブ・ティーを頂いた。
「このチーズ・クラッカー、むっちゃ、うめー」
匠が一気に五つ食べた。
負けじとペトロが六つ食べた。
裕大が無言で十枚食べた。
「地下の倉庫のことはやっぱり悪ガキ隊には当分秘密にしましょうね」
咲良がエーヴァとマリエにそっと囁く。
「ダイジの前のジョージよ」
咲良が言って、エーヴァとマリエがうなずいた。
お喋りしている中に夕暮れが迫ってきた。
一行はハーブ農場を後にして、ファンタジーアの裏通りに潜り込んでいった。
風がピタリと止んで、辺りは静寂に包まれる。
影に潜むものが動き出す時間がやって来た。
ヒーラーおばさまが感覚を研ぎ澄ます。
ほんの少しの異変も見落とさないように、前方の夕闇に向けてぎろりと目を見開き、
左手をエプロンのポケットに突っ込んで、注意深く一団の先頭を歩む。
どこからか冷たい風が一筋流れ込んできて、頬を撫でた。
一行は、つと立ち止まる。
おばさまは左手をポケットから出して、暖まった指を立て、風に向ける。
”ひやり”と感じる方向に向かって、指を指し示した。
「こっち!」
数歩、歩いて、立ち止まり、そのまま動かなくなったヒーラーおばさまの目は、空中の一点を凝視していた。
「ここです!」
おばさまが指さした空間に、小さな黒い裂け目がぽつんと空いていた。
それはファンタジーアの片隅にできたほんの小さな《破れ》だった。
生徒たちの目の高さぐらいにある破れから、冷たい空気がファンタジーアに流れ込む。
ファンタジーアからは暖かい空気が穴の中に吸い込まれていった。
二つの空気の流れがこすれ合って、細くて甲高い音が響く。
「ヒュール、ヒュールル!」
「暗闇でだれか泣いてるみたいだぜ」
裕大がぼそっと言った。
「きっと、俺たちを呼んでるんだ」
匠がぶるった。
「この割れ目から何者かがファンタジーアに侵入してきた気配はありませんよ。こんな小さな破れ穴ですからね。でも昨日覗いて見たら、ネズミみたいな小さな生き物が穴の中からこちらを窺ってましたよ」
そう言って、ヒーラーおばさまは破れ穴から数歩離れて、悪ガキ隊を促す。
・・・どうしたの。男の子の出番ですよ・・・
おばさまの顔がそう言っていた。
「ペトロ、ここ、お前の出番だよ」
裕大と匠がペトロのおしりをそっと押した。
「そんなに押すなよ。ホラーなんてどこにでもいるんだからさ」
ペトロが大口叩いて破れに近づこうとしたとき、マリエが数歩先を動いた。
「みんなが闇を怖がるから、ホラーが生まれてくるのよ」
マリエはぶつぶつ言いながら穴に近づき、思い切り背伸びをして、宙に浮かんだ破れ目の中を覗き込んだ。
「あっ! ちっちゃなのが三匹逃げてった。あの子たち学校の地下に住んでるスペース・イタチよ。おなか空かすと廊下に出てきて、私の足に可愛い歯で噛みついて来るの。こんなとこに潜んでたのね。怖がらないで戻ってらっしゃい」
マリエの声が弾んでいた。
・・・なんだって、スペースイタチだって? 学校の電子図鑑で見たことねーぞ・・・
ペトロの好奇心が膨らんで我慢が出来なくなった。
「お願い、順番だよ」
マリエに場所を代ってもらうと、ペトロは破れに顔をくっつけて穴の中を覗き込んだ。
ほっぺたに冷たい風が吹き付けてくる。
目の前には薄暗い闇が広がっているだけで、生き物の影もない。
よく見てみようと、ペトロは顔を穴にいれ、首を右にかしげてみた。
闇も右に揺れ動いた。
顔を左に戻すと闇が重なり、ひときわ黒い影ができあがった。
黒い影はゆらりと立ち上がって形を作り始める。
二本の細い足が下に伸びて、その上に胴体が出来た。
胴体の両側に手が生えた。
胴体の上に黒い顔が浮かび上がって、飛び出した二つの眼が緑色に光り始めた。
片方の目玉から緑色の触手が伸びてきて、先端がペトロの左の目を覗き込んだ。
「ペトロか、よ~く来た」
触手の先が開いて、しゃがれた声でしゃべった。
ペトロは驚愕して声が出ない。
触手はするりとペトロの眼の中に入り込んできた。
ぬめぬめしたそいつは喉首を通り抜けて左の胸のあたりまでやってきた。
~うねうねと捜し物をしている~
・・・気持ち悪い、止めてくれー!・・・
ペトロの悲鳴は声にならない。
「おかしいぞ、この子には心臓がない」
しゃがれた声がペトロの胸の中で響いた。
ペトロはあわてて、息を止め、心臓の場所を隠した。
そのうち、息が詰まってきて、心臓が勝手にどんと脈打った。
触手が音を聞きつけて動き、ペトロの心臓を探し当てた。
「見つけたよペトロ。おばばのいうことをよく聞きなさい。でないと、ほら、心臓を止めるよ!」
触手が心臓をいじくりだした。
胸が燃え上がるように熱くなって、ペトロは悲鳴を上げた。
「助けて! こいつイタチなんかじゃない! 緑の目をした魔女だ!」
破れ穴に顔を突っ込み、おしりを突き出して叫んでいるペトロを見て、ヒーラーボールのことで頭にきていた匠が、鼻で笑った。
「ふん、こんどは緑目の魔女やて? もう騙されへんぞ、ペトロ」
クスクス笑った生徒たちの目の前に、穴の中から枯れ木のように細い腕が二本出てきた。
鈎爪の指がぺトロの両脇を掴んで、 ペトロの身体を穴の中へ引きずり込んでいった。
残った両足がばたばたと宙に騒いでいる。
ヒーラーおばさまが、血相変えてペトロに駆け寄った。
ペトロの足首を両手で掴み、必死で引っ張った。
おばさまは一度掴んだものは決して手放さない。
ヒーラーおばさまもペトロの足に引っ張られて、穴の中に姿を消した。
破れ穴の中からクックッと笑う声が響いてきた。
「あの声は、もしかして、クオックおばば?」
成り行きを見守っていた咲良が、細い腕の正体に気がついた。
「たいへん!ペトロの記憶が食べられちゃう!」
「クオックおばばは、人間の記憶を糧にして何百年も生き続けてきた、危険な魔女です。ファンタジーアの宿敵、クオックおばばに近づいてはだめですよ! 咲良は、まだまだ、おばばに太刀打ちできません」
咲良はファンタジーアの女王、ママから何度もそう警告されていた。
・・・でも、ここはファンタジーア王国。わたしの友達にこんな狼藉は許せない!・・・
王女の血が燃え上がって、咲良は破れをこじ開けると闇の中に飛び込んで行った。
三人を飲み込むと、破れはゆっくりとその入り口を閉じた。
闇の中で、おばばの触手がペトロの記憶を探っている。
「思い出せペトロ。お前の記憶は、ナパ・バレーでウイルスに侵された畑の毒イチゴを食べたといっておる。それなら、どうやって生き残ったのじゃ。イチゴ畑で何が起こったのか、ほら思い出せ!」
ペトロは記憶の淵に迷い込んでいた。
おばばの触手が、ペトロの記憶の回廊から失われた記憶を引きずり出してくる。
・・・僕が野菜畑で昼寝してたら、その人は空から舞い降りてきたんだ。
僕に触って「ペトロは6人の中の一人に選ばれた。もう安心だよ」と言った。
それだけだよ・・・
「近い。真実はもう少しじゃ。その人とは何者だ?」
・・・牧師みたいな白い服を着た知らないおじさんだったよ・・・
「それではそのとき何が起こった?」
・・・なんにも覚えてない・・・
「そんな筈がない。なにかが変わったはずだ。おまえ達六人だけが地球に生き残った理由が知りたい。どうしてもじゃ。命をもぎ取られた者たち、この世の百億の怨念だ。お前の身体の隅々までほじくってでも真実を暴き出してやる」
ペトロの記憶がオババに吸い取られ、いくつもの大事な思い出が朧になって消えていった。
ペトロは記憶の抜け殻となって、意識を失った。
「クオックおばば!答えなさい。どこにいる?」
飛びこんで来たファンタジーアの娘、咲良が暗闇に毅然として立ち、両手を開いて闇を振り払った。
おばばの答えはない。
「光を! 闇に光を! おばばを照らしだせ!」
咲良は三度表現を変えて唱い、ファンタジーアの光を暗闇に呼んだが、光は現れない。
「誰か知らんが、ここは魔界だ。おばばの世界に光は無用じゃ」
小ばかにしたような、枯れた笑いが洞窟に響いた。
焦った咲良は、暗闇の天井を見上げ、大声を張り上げた。
「こら! マリエ、そこにいるんでしょ。聞こえたらみんなでさっきの穴こじ開けてよ!」
「咲良ねーちゃん! 聞こえたわよ。ちょっと待ってね」
マリエが、咲良の声をたどって、破れ目の痕跡を探し当てた。
指で穴をこじ開けようとしたが、破れの痕跡が素早く反応して、忽ちその姿を消した。
「代わろうマリエ、僕の出番だ!」
マリエと入れ替わった匠が、気合いとともに宙に身体を浮かせ、一回転して、痕跡が消えた辺りに必殺の蹴りをたたき込んだ。
ぼこっと音がして、こぶし大の穴が空いた。
ファンタジーアの夕日が一筋、暗闇に飛び込んだ。
「やっと来たわね」
咲良は、頭上から降ってきた夕日を両方の掌で受け止めた。
掌から光を四方に反射させて暗闇に潜むおばばを探す。
おばばは闇の一角に潜み、執拗にペトロの記憶を覗き込んでいた。
そのおばばの細い足首をヒーラーおばさまが必死で引っ張っていた。
「邪魔するな!」おばばがヒーラーおばさまの顔を思い切り蹴飛ばした。
ヒーラーおばさまは悲鳴を上げて、両手で顔を覆った。
咲良の目の前でその様子が光の中に浮かんだ。
傷ついたおばさまを見て、咲良が激怒した。
咲良は両手の掌の角度を変え、おばばの顔に夕日を集中させた。
「ギャッ!」
暗闇の魔女の目は太陽の光には耐えられない。
悲鳴を上げたおばばが咲良の方に見えない目を上げた。
咲良は毅然としてオババに命令した。
「私はファンタジーアの王女、咲良。クオックおばば、諦めてペトロから離れなさい」
その一言で、おばばはペトロから身を起こした。
「今一息のところを! ファンタジーアの小娘ごときが邪魔などしおって・・・今に見ておれ!」
悔しそうなうなり声を上げ、魔女はさっと身を翻して闇に溶けていった。
裕大と匠が破れを開いて穴に飛びこみ、倒れているペトロを運び出してきた。
ファンタジーアの大地に仰向けに寝かされたペトロの顔からは、人間らしい表情が抜け落ちていた。
「お願い神様、私のペトロを返して下さい」
マリエがペトロの身体を揺さぶって、意識を呼び戻そうとした。
ペトロの目は開いているが、マリエを見ていない。
心はどこか遠くに行ったままだ。
「マリエ、落ち着きなさい。ペトロに特別の処方をしますから、少し離れていなさい」
ヒーラーおばさまはエプロンのポケットから真空パックを取り出すと、ばりばりと袋を破っ
て、「みんな伏せて」というと、中身のペースト状の黄色い塊をペトロの鼻先にくっつけた。
ものすごい悪臭が周りに飛び散った。
「マランドリアン! 究極の気付け薬です」
それは、熟成した臭みを持つ熱帯の二種類の果実に、長い年月を掛けて発酵させた日本の「くさや」を煮込み合わせて練り上げた、ヒーラーおばさま秘蔵の逸品。
ペトロのからだが地面から飛び上がり、宙を舞った。
「ふぎゃ~ たまんねー!」
ペトロが混沌の淵から一気に帰還して、ふらふらと立ち上がった。
代わりに臭気を吸い込んだ裕大と匠が、ヒーラー・ボールの特訓の効果も無く、ばたばたと
地面に倒れていった。
「ちょっと待ってね」
むせかえって苦しんでいる三人を見て、マリエが首にかけていた小袋を取り出した。
それは亡くなった牧師の父から「いつも身に付けておくように」といわれていたお守り袋だった。
「これは古代からの神への捧げ物、私の大事なお守り、フランキンセンスよ」
マリエは袋から高貴な樹木の乳香エキスを取り出して、三人の鼻先にスプレーして回った。
スパイシーで神々しい香りが、肺に染みこんで地獄の臭気を追い払い、悪ガキ隊は生き返った。
「マリエ、お守りのフランキンセンス、私にも少しだけ分けてくれない」
ヒーラーおばさまが掌をマリエに差しだして、スプレーから乳香を二吹き、掌に頂いた。
息を止めながら、乳香の上にマランドリアンを乗せて掌でこね合わせ、粉状に仕上げた。
おばさまは、できあがった怪しげなものを口をすぼめて掌からふっと吹き上げ、風に乗せて破れ穴に送り込んだ。
「試作品!神の力を借りた魔女よけ『目には目を』です」
おばさまが力強く宣言して、みんなに目配せをした。
「ギヤーッ!」
穴のそばに戻ってきて、こちらの様子を窺っていたクオックおばばの乾いた悲鳴が、洞窟の壁に反響して、ファンタジーアの夕闇に悲しく響いた。
・・・
ヒーラーおばさまを先頭にして、生徒たちの一行が元気にファンタジーアの出口、教室の片隅に到着した。
「どうだった? ファンタジーアの寄り道は面白かった?」
宇宙の第二方程式に取り組んでいたハル先生が計算の手を止めて、教室に戻ってきた騒々しい一団に声をかけた。
「ちょっとした事件がありましたのよ」
ヒーラーおばさまはハル先生に報告を済ませてから、生徒たちを席に着かせた。
「ファンタジーとホラーは人の心が創り上げる幻想の世界の光と影、表と裏にあたります。だからふとしたことで破れ目が出来ると、二つは繋がってしまうのです」
ファンタジーアの王女、咲良がおばさまに・・・その通りですわ・・・と頷いてから、はっと気がついた。
・・・ホラーの魔女とファンタジーの王女は親戚みたいなものなんだ・・・
クオックおばばの若い頃なんて、とんでもない美人で、私のママとそっくりだったって、昔パパから聞いた事がある・・・
二人の瞳が緑色で、自分も同じ色なのを思い出して、咲良は思わずくすっと笑ってしまう。
「咲良、みんなも今日は大活躍ね。お疲れ様でした」
ヒーラーおばさまがにこやかにみんなに笑いかけて、今日の課外授業をまとめた。
「ファンタジーアがある限りホラーもどこかで逞しく生きているのです。ところでちょっとペトロに確かめてみましょう。ペトロ、クオックおばばに記憶を盗まれたときはどんな気持ちだった?」
「記憶が奪われると、なんだか空しい気持ちだけが残りました。記憶がないのは、死んでるのとおんなじです。生き返ってこられたのはみんなのおかげです」
ペトロは助けてもらったみんなにお礼を言った。
ハル先生の合図で生徒たちが立ち上って、みんなでおばさまに特別授業のお礼を言った。
おばさまは教壇を降りて、教室の奥に向かい、柱につないで固定しておいたピンクの風船から空気を抜いて、エプロンのポケットに収めた。
それから振り向いて、みんなに小さく手を振ると、コーナーの暗闇に素早く飛び込んで姿を消していった。
ナノコンに向かって難しい計算を再開したハル先生に、ペトロが近づいていった。
「ハル先生、宇宙の第二方程式は完成間近でしょうか」
先生は数字とアルファベットと記号が狂ったように踊っている画面を、ザザーッとスクロールして答えた。
「今日は結論が出ました。宇宙の方程式を完成しようとすれば宇宙と同じくらいの大きさのコンピュータが必要だという結論が出ました。これはもう止めた方が良いということかもしれませんね、ペトロ」
ハル先生は大きな溜息をついてナノコンの電源を切り、ペトロを振り向いて、小さくウインクをした。
・ ・・
家に帰ったペトロはクオックおばばの事件をママに報告するのをやめた。
パパがいなくなってからママはペトロのことをよく心配する。
あまり心配ばかりしてると頭がはげちゃうぞ、とペトロもママのことが心配になる。
ペトロは庭に出て、お土産にヒーラーおばさまから頂いたハーブの苗をスコップで土を深く掘って、しっかりと植え付けた。
それから手を止めて、おばばの技で蘇った記憶「白い服を着た男」のことを考えた。
・・・おばばが言ったとおりだ。あのとき僕の中で何かが変わったような気がする。誰かのルールで動いていた世界が、僕のルールでも少し動くようになった。
でも本当のところは「白い服の男」は熱くなったナパ・バレーの昼寝に現れた夢の中の男なんだ。
きっと、いつもの白昼夢だったんだ・・・
ペトロは記憶の小部屋に、白い服を着た男を閉じ込めて鍵をかけた。
それから苗の周りの土に水をたっぷり撒いて、いつかまたやってくるホラーとの戦いに備えて、立派なハーブに育つように念力を込めて祈った。
(続く)
【すべての作品は無断転載を禁じております】
