この世の果ての中学校 4章 ヒーラーおばさまと魔女よけの秘術

筒井俊隆のSFファンタジー!

のーんびりした人類絶滅小説です。

今日はハッピーフライデー。

六人の中学生は、医務室のヒーラーおばさまに連れられて、おばさまのマイワールド「ハーブ農場」を見学に出かけます。

そこでヒーリングの技を身につけた生徒達を、薄闇の帰り道で待っていたのは、人の記憶を食べる魔女「クオックおばば」でした。

前回のお話は下記をお読みください。

この世の果ての中学校 3章 黄色いバス停

4章 ヒーラーおばさまと魔女よけの秘術

  金曜日の昼休みに、医務室のおばさまがぶらっと教室にやってきた。

 お喋りしていたマリエと咲良とエーヴァを見つけると、そっと近寄ってきて、ひそひそ声で話し始めた。

「花の三人組の皆さん、ちょっと聞いてくれるかしら。実は今日の午後の授業でヒーリングの講義をしてほしいと、先日ハル先生から頼まれましたの。それでファンタジーアにある私のハーブ農場の見学会でもしようかなと思いついて、昨日手入れに行ってきましたのよ」

医務室のおばさまはいつもは可愛い看護婦のスタイルなのに、今日は普段着のおばさまファッションだ。

三人組みの真ん中に座り込んだおばさまは、額にかかった髪の毛をちょっと巻き上げてから、ひそひそ話を続けた。

・・咲良はいつもママを手伝ってファンタジーアの修理をしているから、よく知ってると思うけれど、幻想の世界は脆くて壊れやすいものなのね。

 だからとても繊細に扱わないといけません。

 ところがです、最近、夕暮れ近くになるとファンタジーアの片隅にとんでもないものが現れています。

 咲良、ファンタジーアの薄闇にほころびができているようですよ。

 昨日、農場からの帰り道で、丸くて小さな朧の闇が道に浮かんでいるの見つけましたの。

 ふらふらと宙に浮いているので、こっそり近づいてみると、向こうの闇の中から、得体の知れない者がこちらの世界を覗いていたのです・・

「きっとあいつらなの、あいつらが目覚めて、ファンタジーアに潜り込んで来たのよ」

 思わず三人は身を乗り出して、おばさまの次の言葉を待った。

・・「あら、こんなブラックな話をするのは早すぎたようね。続きはまたの機会にお話いたしましょうね」

 ヒーラーおばさまは慌てたように立ち上がると、まわりを見渡してそのまま教室を出て行った。

「何これ、おばさま! お話最後まで聞かせてよ」

 三人はあっけにとられて、おばさまの後ろ姿を眺めていた。

 午後の授業開始のチャイムが鳴って、ハル先生が教室に入ってきた。

「ちょっと、ヒーラーおばさまはここにいらっしゃらなかった? 医務室にもどこにもおられないの。午後の授業、あれだけお願いしておいたのに」

 先生はふと思いついたように身体を縮め、教室の四隅を探し始めた。

 そして奥の一番暗いコーナーをじっとのぞき込んだ。

「やっぱり・・ヒーラーおばさま、こんなところに隠れていらっしゃったのね」

 部屋の一隅からヒーラーおばさまが姿を現した。

「遅れてご免なさい、着替えに手間取っちゃって・・」

 看護婦の白衣に着替えて、ピンクの花柄刺繍のエプロンを締め、聴診器を首に架けた小柄なヒーラーおばさまが皆の前に現れた。

 ペトロと匠が口笛を吹き、足を踏みならした。

 ふたりは派手な喧嘩をしては、いつも医務室のヒーラーおばさまの世話になっていたのだ。

「静かに!それでは午後の授業のことを説明しますね」

 そう言ってハル先生は医務室のおばさまを教室の壇上に引っ張り上げた。

・・本日はみなさんよくご存じの医務室のヒーラーおばさまの特別授業です。

 私がお願いをしましたのはヒーリング技術の講義です。

 ヒーリングは暗い心を明るくしたり、苦しいときを乗り越えるための心の技術です。

 ヒーリングを施術するプロのことをヒーラーと言います。

 医務室のおばさまはハーブを施術するプロのヒーラーなのです。

 今のうちにヒーリングの技術を身につけておいたら、将来きっと役に立つときが来ます。

 特に花の三人組みには、滅多にないチャンスですよ。

 これは特別の講義ですので、希望者だけ残ってお話をお聞きしたいと思います。 

 では希望者は席について、ヒーラーおばさまの講義を良く聞いてくださいね・・

 マリエとエーヴァと咲良は、さっきの暗闇の話の続きが聞けるわよと、最前列の席に着いた。

「花の三人組が残るんなら、仕方ねーな。俺たちも聞いてみるか!」

 匠とペトロが2列目の席に座り込んだ。 

 帰りかけた裕大が立ち止まり、唸った。

「なんだよ・・ハッピーフライデーなのに遊び相手もいないのかよ」

 生徒会長の裕大が渋々腕組みをして最後尾に座った。

・・ヒーラーおばさま得意の人集めの術だった。

「あら、皆さん全員でわたしの話を聞いてくれるのね」

 ヒーラーおばさま、満面の笑みで壇上から講義を始めた。

・・私はファンタジーアにハーブの農場を持っています。

 ファンタジーアにはマイ・ワールドからも入ることが出来ますが、正しい入り口は『幻想の大門』です。

 今日は私が育てているいろんな種類のハーブをみなさんに試して貰おうと思っているのですが、実はもう一つ寄り道をしてみたいところがあるのです。

 そこは管理事務所が禁じている危険なルートです。

 だから『幻想の大門』から正規に入園したのでは、たどり着けないのです。

 そこで、まず、おばさまのマイ・ワールドでヒーリングの勉強をしてから、帰りに裏口入門して内緒の寄り道をしてみようかな、という計画です。

 冒険には多少の危険が伴いますが、新しい発見もありそうな予感がします。

 さて、皆様の御意見はいかがでしょうか?・・

 ヒーラーおばさまはそう言ってまずハル先生を見つめた。

 ハル先生は即座に答えた。

「みんなも知っていることと思いますが、裏口ルートを取ると、ファンタジーアでなにか事故が起っても自己責任になります。

 おばさまのお話では、今日の実習は100%安全とはいえないようですので、自己責任覚悟の希望者参加といたしましょう。

 ところで先生は急ぎのお仕事があって教室でお留守番をしております。

 いいですねみなさん、自己責任ですよ。

 よ~く考えて、自分たちで相談して結論を出しなさい」

 ハル先生は冷たく言い放った。

「来たわよ、初めての自己責任。問題は寄り道して出会うかもしれない危険の程度と、どれだけ面白いことが経験できそうかとの価値判断、リスクとリターンよ」

 航空機会社の社長の娘、エーヴァが解説すると、みんなは腕を組んで考え込んでしまった。 

 最年少のマリエが手を上げて、立ち上がった。

「優しいヒーラーおばさまからのお誘いよ! それにハル先生もお勧めなんだから、ちょっとぐらいのリスクなら私は行くわよ。ヒーリングの技術はどうしても身につけておきたいの。

それと咲良姉ちゃんにお願いがあるんだ・・ファンタジーアのルール違反でもってママに怒られるの覚悟してでも、私たちと一緒に来てくれたら心丈夫なんだけどさ」

「マリエ、もちOKよ! 花の三人組みで行こうよ」

 咲良とエーヴァが親指をぐいと突き上げた。

「ヒーラーおばさま、その寄り道の正体をヒントだけでも教えて頂けません?」

 どうするか決めかねているペトロが、悪ガキ代表でおばさまに尋ねた。

「ファンタジーアに破れ目が出来ているのです。ホラーがそこから侵入しようとしているようです」
 ・・あとは皆さんの興味次第ですよ、と言って、おばさまは黙ってしまった。

「ペトロ、本物のホラーだぞ!」

 匠がペトロの頭を殴った。

 男子の目つきが一気に変わった。

 本物のホラーには滅多に出会えない。

 裕大がさっと右手を挙げた。

 ペトロが左手を挙げた。

 ペトロはレフテイーだった。

 ペトロは心臓が右にあるので、利き手が逆だ。

 ペトロの驚きはみんなとは逆に、右の胸から始まる。

 ホラーは、人間の胸を狙って攻撃を仕掛けてくる。

 ペトロの家系は心臓が右にあって、ホラーの攻撃に防御が出来る体質だった。

 武道家の匠は戦いは得意だが、ホラーが苦手だ。

 だが、ペトロが手を上げたのなら、一人引き下がるわけにはいかなかった。

・・・匠が最後に手を上げて、全員が椅子から立ち上がった。

「さー!行くわよ」

 ヒーラーおばさまはピンクのエプロンのポケットから鍵を取り出して、マイ・ワールドをカチリと開けた。

 ピンクの風船が出てきて、みんなの背丈ほどに膨らんだ。

 おばさまが最初にピンクの風船ゲートに飛び込んでいった。

 みんなも次々にヒーラーおばさまを追いかけていった。

 ハル先生はピンクの風船を、誰もいなくなった教室の片隅にしっかりと固定させると、教壇のデスクに戻り、その上にナノコンを置いた。

 深呼吸を一つすると、ハル先生の指が、ピアニストのようにナノコンのボードの上で踊った。

 指先が単調なリズムに揺らめいて白く輝き、飛び散った。

 いつの間にかハル先生の姿が消えた。 

 カタカタという乾いた音だけがいつまでも教室に響いていた。
 

・・・トンネルを抜けると、ヒーラーおばさまのハーブ農場が現れた。

 ファンタジーアの暖かい日差しがハーブ畑にいっぱい降り注いでいた。

「女の子は農場の小屋でハーブの研究よ! 男の子はこのボールでしばらく遊んでいてくださいね」

  そう言って、おばさまは裕大に三色に色分けされたサッカー・ボールを手渡した。 

 三人は農場の空き地で「トライアングル・ヒーラー・ボール」を始めた。

 ヒーラー・ボールはホラーが目的で農場にやってきた男子生徒のために、おばさまが急遽作り出したボール・ゲームだった。

 ハーブの葉っぱや根っこや青くて硬い果物の実を包み込んだ多機能ボールを蹴飛ばして遊ぶ競技だ。

 
 丸いボールは赤・黄・青の三色に色分けされていて、蹴飛ばす箇所によっていろんなハーブの香りが飛び出してくる。

 赤色に当たると、タマゴの腐ったような悪臭が飛び散る。

 黄色を蹴飛ばすとしびれ薬草が足にくっついてしばらく足が動かなくなる。

 青色は蹴飛ばしても皮がへこむだけだ。

 「うまく蹴飛ばすと三回に一回は天国に近い素敵な香りが出てく来るわよ」

 おばさまはそう言って花の三人組みを引き連れて、農場の小さな小屋に入っていった。」

 三人は空き地の三隅に、それぞれのゴールポストを作って、ゲームを始めた。

 三人は激しくボールを奪い合って、敵のゴールに向かって攻め上がった。

 ゴールに成功する前に、三人は悪臭に打ち負かされて地面に倒れ込んでいた。

 ヒーラーおばさまが、ホラーとの遭遇に備えて、男子生徒を特訓しているのだった。

「ペトロ、『天国の素敵な香』はどこをけったら出てくると思う?」

 匠がペトロに尋ねた。

「この三色ボール、色分けした線の真上を蹴飛ばしたらどうなるのかな。きっとそれが正解だな。でも僕の技術じゃ無理かな・・」

 ボールを軽く叩いて、調べた振りをしていたペトロが、匠の前にそのボールをそっと置いた。

 匠が、いきなりボールを蹴った。

 匠の右足は正確にレッドとイエローの間の緑のラインをキックした。

 ボールはペトロのゴールに向かって一直線に飛んだ。

「ゴール!」

 ペトロが叫んだ横で、腐った卵の匂いにまみれ、しびれた足を抱えた匠が横たわって、うめいていた。

 男の子たちがヒーラー・ボールで遊んでいる隙に、女の子たちは農場の道具小屋で、ちょっと気になる男の子を惹きつけるヒーリングの秘術をおばさまに教えてもらった。

・・それでも効果が出ないときにはこれでお茶を点てて、飲ませなさい・・そう言っておばさまは三種類のハーブを調合した秘薬を三人に渡した。

「これで本日の授業は終わり。でも、悪ガキ隊が帰ってこないうちにお知らせしておきたいことがあるの」
 優しかったおばさまの表情が急に厳しくなった。

「女性には子育てという大変な仕事があります。将来、みんなに子供が生まれて、万一、家の倉庫の食料が尽きてきたら、おばさまのことを思い出してください。この農場に来て、道具小屋の地下室の蓋を開けるのです」

 おばさまは三人が囲んでいた大きな木星のテーブルを、静かに指さした。

「みんなでこのテーブルを横にずらしてみましょう」

 テーブルは思ったより重くて、四人でかけ声をかけて、ようやく1メーターほど動かした。

 床に、四角く切られた上げ蓋が現れた。

「この蓋を開けて、中を覗いてごらん」

 咲良が板に取り付けられた小さな金具を起こして、蓋を持ち上げ、横に外して床に置いた。

 床に四角い穴が開いたので、三人は顔を突っ込んで、中を覗き込んだ。

 床の下は地下室になっていた。

 棚が三列、四段に並んでいて、そこには大小の段ボール箱が大量に保管されていた。

 英語とロシア語らしい二種類の横文字がそれぞれの箱に印刷されていた。

「おばさま、あれ何? もしかして・・全部食料品だったりして・・」

 咲良の声が震えた。

「正解。ここはおばさまの極秘の食料備蓄庫なの。段ボールの中は、病原体の混入していないピュアー・フードです。NASAの倉庫とロシアの宇宙基地から、厳重に保管されていた非常用食料を勝手に頂いて参りました」

「勝手に? おばさまそれって国際犯罪じゃない?  たしかケネデイー宇宙センターとボストチヌイ宇宙基地よ。おばさま一人で出かけて・・盗んできたの?」

 宇宙船パイロットの娘、エーヴァが絶句した。

「盗むだなんて人聞きの悪いこと、言わないで! 一年前、お前さん達を救助するために世界に飛んだ軍の高速飛行艇が、燃料補給をかねて、帰りにちょっと寄り道しただけの話よ」

・・おばさまその時、政府の保健室に勤めていたの。

 思いついて、アメリカ組とヨーロッパ組のクルーに内緒で頼んでおいたの。

 基地は閉鎖寸前だったから事は簡単。

大事の前の小事』ってとこよ・・

 可愛いエプロンで手を拭きながら、ヒーラーおばさまは艶然と笑った。

「『ダイジとかジョージ』ってのは一体、何者じゃな?」 

 マリエが大まじめに聞く。

「日本のことわざ。大事はお前さん達のことで、小事はおばさまの盗みのこと」 

 ヒーラーおばさまは大きく胸を張り、得意満面で食料品のメニューを紹介した。

 ・・右の棚から行くわね、最初の棚は10年は保存の効くサバイバル仕様の宇宙食ですよ。

 ほとんどが缶詰で、肉類、魚、そして野菜のシチューとスープ。

 真ん中の棚はドライフーズで、米、乾パンにお豆さん。

 日本製のカップヌードルとカレー・ライスを特殊包装したものが少々。

 三番目の棚には、戸棚の引き出しにおばさまの処方メモ付きの乾燥ハーブが山ほど入っています。

 料理とお茶と、それから緊急の医療用です。

 おばさまはドームへの不意の侵略者に備えて、100%侵入不可能な場所、つまりマイ・ワールドの地下を保管室に選んだのです。

 侵略者はどこにいるか分かりませんからね・・。

 ヒーラーおばさまは校長先生とカレル教授の顔を思い浮かべてクスッと笑い、お話を続ける。

・・そのときが来たら、この食料でお前たちの子供を育てるのです!

 数年は子供達のいのちを繋ぐことができます。

 その間になんとか自給自足の体制を作りなさい。

 命尽きるまで、頑張るのですよ。

 お前さん達のママを見習ってね・・。

 そう言っておばさまは三人を集めて、両腕で力一杯、抱きしめた。

「地下室のことは悪ガキ隊にはしばらく内緒にしておきましょうね・・。さあ、そろそろ三人を呼んでらっしゃい。みんなで三時のお茶にしましょう」

 六人が道具小屋に集合した。

 お腹が空いて喉も渇いてきた生徒たちのために、おばさまが地下室の棚に寝かせておいたロシヤ製のチーズ・10年ものの大きな一塊と、NASAのクラッカーがテーブルの上のお皿に盛られた。

 おばさまがナイフでスライスしてくれた濃厚なチーズを、クラッカーに乗せてみんなで食べた。
 それとアップルミントに少量のステピアを加えてちょっと甘めにした熱いハーブ・ティーを頂いた。

「このチーズ・クラッカー、むっちゃ、うめー」

 匠が一気に五つも食べた。

 負けじとペトロが六つ食べた。
 裕大が無言で十枚食べた。

「地下の倉庫のことはやっぱり悪ガキ隊には当分秘密にしましょうね」

 咲良がエーヴァとマリエにそっと囁いた。

ダイジの前のジョージ

 マリエが頷いた。

 お喋りしている中に、夕暮れが近くなった。 

 一行はハーブ農場を後にして、ファンタジーアの裏通りに潜り込んでいった。

 風がピタリと止んで、辺りは静寂に包まれた。

 影に潜むものが動き出す時間がやって来た。

 ヒーラーおばさまが感覚を研ぎ澄ます。

 ほんの少しの異変も見落とさないように、前方の夕闇に向けて、ぎろりと目を見開く。

 左手をエプロンのポケットに突っ込んで、注意深く一団の先頭を歩む。

 どこからか冷たい風が一筋流れ込んできて、頬を撫でた。

 一行は、つと立ち止まる。

 おばさまは左手をポケットから出して、暖まった指を立て、風に向ける。

”ひやり”と感じる方向に向かって、指を指し示す。

「こっち!」

 数歩、歩いて、立ち止まり、そのまま動かなくなったヒーラーおばさまの目は、空中の一点を凝視していた。

「ここです!」

 おばさまが指さした空間に、小さな黒い裂け目がぽつんと空いていた。

 それはファンタジーアの片隅にできたほんの小さな《破れ》だった。

 生徒たちの目の高さぐらいにある小さな破れから、冷たい空気がファンタジーアに流れ込んできた。

 ファンタジーアからは暖かい空気が穴の中に吸い込まれていった。

 二つの空気の流れがこすれ合って、細くて甲高い音が響いた。

「ヒュール、ヒュールル!」 

   
「暗闇でだれか泣いてるみたいだぜ」

 裕大がぼそっと言った。

「きっと、俺たちを呼んでるんだ」

 匠がぶるった。

「この割れ目から何者かがファンタジーアに侵入してきた気配はありませんよ。こんな小さな破れ穴ですからね。でも昨日覗いて見たら、とっても小さな獣(けもの)が穴の中からこちらを窺ってましたよ」

 そう言って、ヒーラーおばさまは破れ穴から数歩離れて、悪ガキ隊を促す。

・・どうしたの。さー、男の子の出番ですよ・・おばさまの顔がそう言っていた。

「ペトロ、ここ、お前の出番だ」

 裕大と匠がペトロのおしりをそっと前に押した。

「そんなに押すなよ。ホラーなんてどうってことないんだからさ」

 ペトロがへっぴり腰で破れに近づこうとしたとき、マリエが数歩先を動いた。

「みんなが闇を怖がるから、ホラーが生まれてくるのよ」

 マリエはぶつぶつ言いながら穴に近づき、背をいっぱいに伸ばして、宙に浮かんだ破れ目の中を覗き込んだ。

「あっ! ちっちゃなのが三匹逃げてった。ヒーラーおばさま、あの子たち学校の地下に住んでるスペース・イタチの家族よ。おなか空かすと廊下に出てきて、私の足に可愛い歯で噛みついて来るの。こんなとこに潜んでたのね。怖がらないで戻ってらっしゃい」

 マリエの声が弾んで、実況中継を始めた。

・・なんだって、宇宙から来たイタチだって? 学校の電子図鑑でも見たことねーぞ・・

 ペトロの好奇心が膨らんでもう我慢が出来なくなった。

「お願い、順番だよ」

 マリエに頼んで場所を代ってもらうと、ペトロは破れに顔をくっつけて穴の中を覗き込んだ。

 ほっぺたに冷たい風が吹き付けてきた。

 目の前には薄暗い闇が広がっているだけで、イタチの影も形もない。

 もっとよく見てみようと、ペトロは顔を穴にいれ、首を右にかしげてみた。

 闇も右に揺れ動いた。

 顔を左に戻すと闇が重なり、ひときわ黒い影ができあがった。

 影はゆらりと立ち上がって、自らを形作り始めた。

 二本の細い足が闇に固まり、その上に胴体が出来た。

 胴体の両側に手が生えた。

 胴体の上に黒い顔が浮かび上がって、飛び出した二つの眼が緑色に光り始めた。

 片方の目玉から緑色の光が伸びてきて、触手のようなそいつの先端がペトロの左の目を覗き込んだ。

「ペトロか、よく来た」

 触手が喋った。

 ペトロは驚愕して声が出ない。

 触手はするりとペトロの眼の中に入り込んできた。

 ぬめぬめしたそいつは喉首を通り抜けて左の胸のあたりまでやってきた。

 ~うねうねと捜し物をしている~

 ・・気持ち悪い、止めてくれー!・・

  ペトロの悲鳴は声にならない。

「おかしいぞ、この子には心臓がない」

 しゃがれた声がペトロの胸の中で響いた。

 ペトロは息を止めて心臓の場所を隠した。

 そのうち、息が詰まってきて、心臓が勝手にどんと脈打った。

 触手が音を聞きつけて右に動き、ペトロの心臓を探し当てた。

「見つけたよペトロ。おばばのいうことをよく聞きなさい。でないと、ほら、心臓を止めるよ!」

 触手が心臓をいじくりだした。

 胸が燃え上がるように熱くなって、ペトロは悲鳴を上げた。

「助けて! こいつイタチなんかじゃない! 緑の目をした魔女だ!」

 破れ穴に顔を突っ込み、おしりを突き出して叫んでいるペトロを見て、ヒーラーボールのことで頭にきていた匠が、鼻で笑った。

「ふん、こんどは緑目の魔女やて? もう騙されへんぞ、ペトロ」

 クスクス笑った生徒たちの目の前で、穴の中から枯れ木のように細い腕が二本出てきた。

 鈎爪の指がぺトロの両肩をがっちり掴んで、引っ張り上げた。

  ペトロの身体が宙に浮かんで、穴の中へ引きずり込まれていった。

  残った両足がばたばたと宙に騒いでいた。

 ヒーラーおばさまが、血相変えてペトロに駆け寄った。

 ペトロの足首を両手で掴み、必死で引っ張ったが、闇の力はすさまじかつた。

 おばさまは一度掴んだものは決して手放さない。

 ヒーラーおばさまもペトロの足に引っ張られて、穴の中に姿を消した。

 破れ穴の中からからからと笑う声が響いてきた。

「あの声は、もしかして、クオックおばば?」

 少し離れて成り行きを見守っていた咲良が、細い腕の正体に気がついた。

「たいへん!ペトロの記憶が食べられちゃう!」

・・人間の記憶を糧にして何百年も生き続けてきた、危険な魔女・・。

「一族の宿敵、クオックおばばにだけは近づいてはだめです! 咲良は、まだまだ、おばばに太刀打ちできません」

 咲良は一族の女王・ママから何度もそう警告されていた。

「でも、ここはファンタジーア王国。わたしの仲間にこんな乱暴は許せない!」

 王女の血が燃え上がって、咲良は破れをこじ開け、闇の中に飛び込んで行った。
 三人を飲み込むと、破れはゆっくりとその入り口を閉じた。

 闇の中で、おばばの触手がペトロの記憶を探っていた。

「思い出せペトロ。お前の記憶は、ナパ・バレーで畑の毒イチゴを食べたといっておる。それなら、どうやって生き残ったのじゃ。イチゴ畑で何が起こったのか。ほら思い出せ!」

 ペトロは記憶の淵に迷い込んでいた。

 おばばの技が、ペトロの記憶の回廊から、失われた記憶まで引きずり出してきた。

・・僕が野菜畑で昼寝してたら、その人は空から降りてきたんだ。

 僕に触って「ペトロは6人の中の一人に選ばれた。もう安全だよ」と言った。 

 それだけだよ・・

「近い。真実はもう少しじゃ。その人とは何者だ?」

・・牧師みたいな白い服を着た知らない人だったよ・・

「それではそのとき何が起こった?」

・・なんにも覚えてない・・

「そんな筈がない。なにかが変わったはずだ。おまえ達六人だけが地球に生き残った理由が知りたい。どうしてもじゃ。命をもぎ取られた者たち、この世の百億の怨念だ。お前の身体の隅々までほじくってでも真実を暴き出してやる」

 ペトロの記憶がオババに吸い取られ、いくつもの大事な思い出が朧になって消えていった。

 ペトロは記憶の抜け殻となって、意識を失った。

「おばば答えなさい。どこにいる?」

 破れ目から飛びこんで来たファンタジーアの娘・咲良が、暗闇に毅然として立ち、両手を開いて闇を振り払った。

 おばばの答えはない。

「光を! 闇に光を! おばばを照らしだせ!」

 咲良は三度表現を変えて唱い、ファンタジーアの光を暗闇に呼んだが、光は現れない。

「誰か知らんが、ここは魔界だ。おばばの世界に光は無用じゃ」

 子馬鹿にしたような、枯れた笑いが洞窟に響いた。

 焦った咲良が、暗闇の天井を見上げ、大声を張り上げた。 

「こら! マリエ、そこにいるんでしょ。聞こえたらみんなでさっきの穴こじ開けてよ!」

「咲良ねーちゃん! 聞こえたわよ。ちょっと待ってね」

 マリエが、咲良の声をたどって、破れ目の痕跡を探し当てた。

 指で穴をこじ開けようとしたが、指の動きに破れの痕跡が反応して、忽ちその姿を消した。

「代わろうマリエ、僕の出番だ!」

 マリエと入れ替わった匠が、気合いとともに宙に身体を浮かせ、一回転して、痕跡が消えた辺りに必殺の蹴りをたたき込んだ。

 ぼこっと音がして、こぶし大の穴が空いた。

 ファンタジーアの夕日が一筋、暗闇に飛び込んだ。

「やっと来たわね」

 咲良は、頭上から降ってきた夕日を両方の掌で受け止めた。

 掌から光を四方に反射させて暗闇に潜むおばばを探した。

 おばばは闇の一角に潜み、触手を伸ばし、執拗にペトロの記憶を覗き込んでいた。

 そのおばばの細い足首をヒーラーおばさまが必死で引っ張っていた。

「邪魔するな!」おばばがヒーラーおばさまの顔を思い切り蹴飛ばした。

  ヒーラーおばさまは悲鳴を上げて、両手で顔を覆った。

 咲良の目の前でその様子が光の中に浮かんだ。

 傷ついたおばさまを見て、咲良が激怒した。

 咲良は両手の掌の角度を変え、おばばの顔に夕日を集中させた。

 「ギャッ!」

 暗闇の魔女の目は光には耐えられない。

 悲鳴を上げたおばばが咲良の方に見えない目を上げた。

 咲良は毅然としてオババに命令した。

「私はファンタジーアの王女、咲良。クオックおばば、諦めてペトロから離れなさい」

 暗闇に立つているのがサラ一族の娘であることを知ると、おばばはペトロから身を起こした。

「今一息のところを! ファンタジーアの小娘如きが邪魔などしおって・・今に見ておれ!」

 悔しそうなうなり声を上げ、魔女はさっと身を翻して闇に溶けていった。
 

 裕大と匠が破れを開いて穴に飛びこみ、倒れているペトロを運び出してきた。

 ファンタジーアの大地に仰向けに寝かされたペトロの顔からは、人間らしい表情が抜け落ちていた。

「お願い神様、私のペトロを返して下さい」

 マリエがペトロの身体を揺さぶって、意識を呼び戻そうとした。

 ペトロの目は開いているが、マリエを見ていない。

 心はどこか遠くに行ったままだった。

「マリエ、落ち着きなさい。今からペトロに特別の処方をしますから、少し離れていなさい」

 ヒーラーおばさまはエプロンのポケットから真空パックを取り出すと、ばりばりと袋を破っ

て、中身のペースト状の黄色い塊をペトロの鼻先にくっつけた。
 

 ものすごい悪臭が周りに飛び散った。

「マランドリアン! 究極の気付け薬です」

 ヒーラーおばさまがペトロに処方したのは、熟成した臭みを持つ熱帯の二種類の果実と、長い年月を掛けて発酵させた青魚を煮込み合わせて練り上げた、ヒーラーおばさま秘蔵の逸品だった。

 ペトロのからだが地面から飛び上がり、宙を舞った。

「これたまんねー」

 ペトロが混沌の淵から一気に帰還して、ふらふらと立ち上がった。

 代わりに臭気を吸い込んだ裕大と匠が、ヒーラー・ボールの特訓の効果も無く、ばたばたと

地面に倒れていった。

「ちょっと待ってね」

 むせかえって苦しんでいる三人を見て、マリエが首にかけていた小袋を取り出した。

 

 それは亡くなった牧師の父から「いつも身に付けておくように」といわれていたお守り袋だった。

「これは古代からの神への捧げ物、私の大事なお守り、フランキンセンスよ」

 マリエは袋から高貴な樹木の乳香エキスを取り出して、三人の鼻先にスプレーして回った。

 スパイシーで神々しい香りが、肺に染みこんで地獄の臭気を追い払い、悪ガキ隊は生き返った。

「マリエ、お守りのフランキンセンス、私にも少しだけ分けてくれない」

 ヒーラーおばさまが掌をマリエに差しだして、スプレーから乳香を二吹き、掌に頂いた。

 一吹きをおばばのキックで出来た顔の傷の上に塗りつけた。

 「これで私のお肌は一安心」

 おばさまは呟いて、残りの乳香の上にマランドリアンを乗せて掌でこね合わせ、粉状に仕上げた。

「蹴飛ばされたお礼をしなくちゃね」

おばさまは、できあがった怪しげなものを口をすぼめて掌からふっと吹き上げ、風に乗せて破れ穴に送り込んだ。

「試作品、神の力を借りた魔女よけ『目には目を』です」

 おばさまが力強く宣言して、みんなに目配せをした。

「ギヤーッ!」

 穴のそばに戻ってきて、こちらの様子を窺っていたクオックおばばの乾いた悲鳴が、洞窟の壁に反響して、ファンタジーアの夕闇に悲しく届いた。

・・

  ヒーラーおばさまを先頭にして、生徒たちの一行が元気にファンタジーアの出口「幻想の大門」に到着したころ、ホラーの破れ目は夕闇の中に静かに消えていった。

 「どうだった? ファンタジーアの寄り道は面白かった?」

 宇宙の第二方程式に取り組んでいたハル先生が、計算の手を止めて、校庭を突っ切って教室に戻ってきた騒々しい一団に声をかけた。

「ちょっとした事件がありましたのよ」

 ヒーラーおばさまはハル先生に簡単に報告を済ませてから、生徒たちを席に着かせた。

「ファンタジーとホラーは人の心が創り上げる幻想の世界の光と影、表と裏にあたります。だからふとしたことで破れ目が出来ると、二つは繋がってしまうのです」

 ファンタジーアの咲良がおばさまに・・その通りですわ・・と頷いてから、はっと気がついた。

 ・・ホラーとファンタジーは親戚みたいなものなんだ。

 クオックおばばの若い頃なんて、とんでもない美人で、私のママとそっくりだったって、昔おじいちゃんから聞いた事がある・・

 二人の瞳が同じ緑色で、自分も同じ色なのを思い出して、咲良は思わずクスリと笑った。

「咲良、今日は大活躍ね。お疲れ様でした」

 医務室のおばさまがにこやかに咲良に笑いかけて、授業をまとめた。

「ファンタジーアがある限りホラーもどこかで逞しく生きているのです。ところでちょっとペトロに確かめてみましょう。ペトロ、クオックおばばに記憶を盗まれたときはどんな気持ちだった?」

「記憶が奪われると、なんだか空しい気持ちだけが残りました。記憶がないのは、死んでるのとおんなじです。生き返ってこられたのはみんなのおかげです」

 ペトロは助けてもらったみんなにお礼を言った。

 おばさまが授業を締めくくった。

「ホラーは私たちの心の隙間を狙って、そっと気付かないうちに近づいてきます。心の闇には皆さん気をつけましょうね。ホラーが現れたら思いきり笑い飛ばしてやりなさい。それでも消えないときはヒーリングの技を使いなさい。そんな時のために、農場で差し上げたお土産のハーブを大事に育てて下さいね」

 ハル先生の合図で生徒たちが立ち上って、みんなでおばさまに特別授業のお礼を言った。

 おばさまは教壇を降りて、教室の奥に向かい、柱につないで固定しておいたピンクの風船から空気を抜いて、エプロンのポケットに収めた。

 それから振り向いて、みんなに小さく手を振ると、コーナーの暗闇に素早く飛び込んで姿を消した。

 ・・

 ナノコンに向かって難しい計算を再開したハル先生に、ペトロが近づいていった。

「ハル先生、宇宙の第二方程式は完成間近でしょうか」

 先生は数字とアルファベットと記号が狂ったように踊っている画面を、ザザーッとスクロールして答えた。

「今日は結論が出ました。宇宙の方程式を完成しようとすれば宇宙と同じくらいの大きさのコンピュータが必要だという計算ができました。これはもう止めた方が良いということかもしれません」

 ハル先生は大きな溜息をついてナノコンの電源を切り、ペトロを振り向いて、小さくウインクをした。 

  ・・

 家に帰ったペトロはクオックおばばの事件をママに報告するのをやめた。

 パパがいなくなってからママはペトロのことをよく心配する。

 あまり心配ばかりしてると頭がはげちゃうぞ、とペトロもママのことが心配になる。

 ペトロは庭に出て、ヒーラーおばさまに頂いたハーブの苗をスコップで土を深く掘って、しっかりと植え付けた。

 それから手を止めて、おばばの技で蘇った記憶「白い服を着た男」のことを考えた。

 ・・おばばが言ったとおりだ。あのときから僕の中で何かが変わったような気がする。誰かのルールで動いていた世界が、僕のルールでも少し動くようになった。

 でも本当のところは「白い服の男」は熱くなったナパ・バレーの昼寝に現れた夢の中の男なんだ。

 きっと、いつもの白昼夢だったんだ・・

 ペトロは記憶の小部屋に、白い服を着た男を閉じ込めて鍵をかけた。

 それから苗の周りの土に水をたっぷり撒いて、いつかまたやってくるホラーとの戦いに備えて、立派なハーブに育つように念力を込めて祈った。

      (続く)

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下條 俊隆

下條 俊隆

ペンネーム:筒井俊隆  作品:「消去」(SFマガジン)「相撲喪失」(宝石)他  大阪府出身・兵庫県芦屋市在住  大阪大学工学部入学・法学部卒業  職歴:(株)電通 上席常務執行役員・コンテンツ事業本部長  大阪国際会議場参与 学校法人顧問  プロフィール:学生時代に、筒井俊隆姓でSF小説を書いて小遣いを稼いでいました。 そのあと広告代理店・電通に勤めました。芦屋で阪神大震災に遭い、復興イベント「第一回神戸ルミナリエ」をみんなで立ち上げました。一人のおばあちゃんの「生きててよかった」の一声で、みんなと一緒に抱き合いました。 仕事はワールドサッカーからオリンピック、万博などのコンテンツビジネス。「千と千尋」など映画投資からITベンチャー投資。さいごに人事。まるでカオスな40年間でした。   人生の〆で、終活ブログをスタートしました。雑学とクレージーSF。チェックインしてみてくださいね。

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