2016年リオデジャネイロ・オリンピックに続いて、2020年東京オリンピックでもゴルフ競技が開催されます。
女子では全英オープン優勝の渋野選手や米ツアーで活躍中の畑岡選手、男子では松山選手や今平選手、復活した石川選手などの活躍が期待されています。
ここではオリンピックで行われたゴルフ競技の歴史を振り返って、1900年のパリ、1904年のセントルイスでのゴルフにまつわるエピソードを集めてみました。
(1900年パリオリンピックの記事は下記をご覧ください)
競泳はセーヌ川! マラソンは炎天下! 1900年パリ五輪は万博の付録だった?
目次
1900年パリ五輪ゴルフ/開催場所は競馬場!参加選手はオリンピックと知らなかった?
19oo年のパリ・オリンピックで、ゴルフ競技がはじめて五輪の正式競技として採用されています。
しかし、このときパリでは、19世紀から20世紀の変わり目に際して、歴史的な意味を持つ国際博覧会が盛大に開催されていたのです。
そのためオリンピックは万国博の附属競技会とされ、まとまりのつかない運営体制で実施され、陸上競技以外は公式記録としても認められないような惨憺たる有様でした。
ゴルフ競技も冷遇され、本格的なゴルフコースではなくて、パリから50キロ離れた競馬場の中に造られたCompiègne Clubで行われました。
競馬場というのは競馬のレースが外周で行われるために、真ん中に大きな空間ができます。
レースのない日はここが格好のゴルフ場になります。
日本でもむかし、仁川の競馬場のまん中が、9ホールのパブリックのゴルフコースになっていて、レースのない平日に練習ラウンドができました。
ときどき、騎手に引かれた競走馬がティーグラウンドの前を横切るので、その時はゴルフは小休止になります。
高い競走馬にボールを当てたりしたらとんでもないことになりますからね。
競馬場のゴルフコースは、設計上の理由で、どうしても平坦で変化が少なくて、良いスコアが出るコースになります。
Compiègne Clubは、密生したラフ(長く伸びた芝生)やグリーンを狭くして、変化をつけてコース設計をしたと記録されています。
1900年10月2日、男子の競技が始まりました。
イギリス、フランス、ギリシャ、アメリカから参加した12人のアマチュア選手が、36ホールのストローク・プレーで争っています。
競技は、アメリカのチャールズ・サンズが二位に1打差で優勝しました。
スコアは82-85でした。
1ラウンド平均スコアは83.5です。
彼は1895年からゴルフを始め、その年の全米アマチュアで決勝に残った経歴を持っています。
しかしこのスコアは現在のアマチュアならハンデイキャップ10程度の人のレベルです。
現在は道具が格段に進化していますので一概に比較はできませんが、当時の世界のトップ・アマチュアはこの位のレベルだったと思われます。
サンズの経歴は変わっています。
サンズは1905年のテニスの全米チャンピオンです。
パリオリンピックのテニスにも出場して、このときは調子が出なかったのか、初戦敗退しています。
テニスとゴルフの2種目に出場しているのですから、これはオリンピック新記録でしょうね。
サンズのゴルフの腕前がどのくらいだったのか、気になって調べてみました。
この年と同じ1900年に行われた全英オープン・ゴルフの優勝者は、どのくらいのスコアで回っていたのでしょうか?
全英オープンの歴史は古く、1860 年にスコットランドのブレストウイックゴルフクラブで第一回の大会が開催されています。
1990年の大会はゴルフの聖地と言われるセント・アンドルーズ・オールドコースで行われ、イングランドのジョン・H・テイラーと言う選手が309のスコアで優勝していました。
このテイラーのスコアは1ラウンド平均にすると77.25になります。
パリで同年に行われたサンズのスコアは83.5でした。
セントアンドルーのコースは、パリ近郊の競馬場のコースより難易度が相当高いと思われますので、プロとアマチュアのトップ比較としても、二人の力の差は大きすぎます。
パリオリンピックのゴルフのレベルは全英オープンのレベルと比較してずいぶんマイナーだったようです。
リンクスという海岸沿いの自然を生かしたセントアンドルーズの難しさは別格なのです。
余談になりますが、筆者はテレビ放送の仕事で2000年の全英オープンの立ち会いに行ったとき、セントアンドリュースのコースを日本の丸山選手の組について回りました。
あるホールで丸山選手が打ち込んだラフは、近づいてみますと、芝の高さがわたしのひざまでありました。
そのラフは非力なアマチュアにはとても脱出できる状況ではありません。
しかし、丸山選手は豪腕でした。
ラフに沈み込んだボールを見事にとらえて、フェアウエーに運んだのです。
わたしはそのラフに恐れをなして翌日の月曜日に予定していたラウンドを止めました。
今思い起こしますとゴルフの発祥の地と呼ばれる聖地でのラウンド中止とは、もったいないことをしたものです。
話をパリに戻しますと、男子ゴルフの翌日に女子のゴルフ競技が行われました。
競技は男子と同じ競馬場のコースで9ホールで争われ、アメリカからパリに芸術の勉強にきていたマーガレット・アボットと言う女性が優勝しています。
9ホールのスコアは47ストロークでした。
「あらっ!それならわたしでも・・オリンピック・チャンピオン?」
そう思う女性の読者もきっとおられますよね。
実は、このときパリに同伴していた彼女の母親・ Maryも一緒にオリンピックでプレーをして7位に入っているのです。
親子で同じ競技の出場はもちろんオリンピック珍記録ですよ。
後日の調査でわかったことですが、二人の母娘はこの大会が、オリンピックであることを知らないままアメリカに帰っています。
競馬場主催の懇親ゴルフ大会とでも思っていたのでしょうか。
男子の選手たちも、自分たちがオリンピックに参加しているという認識はなかったと記録されています。
第二回パリのオリンピックはあくまで万博の付録イベントでした。
付録のオリンピックですから、競技の記録は、陸上競技以外はIOCの公式記録からすべて削除され、ゴルフの記録も空白のままになっています。
五輪のゴルフ競技の始まりはパリの社交界のコンペ程度のレベルでした。
1904年セントルイスオリンピックのゴルフ競技はアメリカとカナダの二カ国対抗だった!
1904年米国セントルイスで開催されたオリンピックのゴルフ競技は、男子のみで行われ、参加者は75人で三人はカナダ国籍、残りはすべてアメリカ国籍という北米大陸大会になりました。
もともとゴルフはスコットランドで育った競技ですから、英国やヨーロッパの選手はわざわざゴルフ後進国のアメリカまで遠い船旅で出かける気持ちにはならなかったのでしょう。
このときの個人戦は、パリのときのようなストローク・プレーではなくて、二人ずつ戦って勝ち抜いていくマッチ・プレー形式で行われました。
優勝はアメリカ選手を撃破したカナダのジョージ・シーモア・リオン(George Seymour Lyon)という選手でした。
米国やカナダでゴルフ人気が高まるのは相当後のことで、リオンも38才の年でゴルフをはじめカナダのアマチュア・チャンピオンになっています。
今では考えられない高年齢でのゴルフ人生のスタートだったのです。
・・オリンピックにおけるゴルフ競技の歴史はセントルイスで終わってしまいました。
セントルイスの4年後にロンドンでオリンピックが開催されていますが、ゴルフの盛んな英国なのに、なぜかゴルフ競技は中止となっています。
これは推測に過ぎませんが、英国におけるゴルフは近代オリンピックに比べても、はるかに歴史のあるスポーツで、ゴルフのメッカとしての「全英オープン」が存在する以上、ロンドンオリンピックでゴルフ競技を開催する意味があまりなかったのではないでしょうか?
セントルイスオリンピックのあと、112年間の空白の時を経て、ゴルフがオリンピックに復活するのは、2016年のブラジル・リオ・オリンピックでした。
リオの反省/東京オリンピックでのゴルフ競技に緊急提案!
リオ五輪では英国のジャスティンローズが金、スエーデンのヘンリック・ステンソンが銀、米国のマット・クーチャーが銅と世界ランク上位の選手がメダルを獲得しました。
しかしリオのオリンピックでは、ゴルフ競技への出場を辞退した男子選手が続出しています。
ジェイソン・ディ
ローリー・マキロイ
ダステイン・ジョンソン
ジョーダン・スピース
松山英樹
このほかにも相当数の有力選手が参加を辞退しています。
ジカ熱の感染を危惧したことと、治安への不安が、その理由でした。
それにしてもこの選手たちは当時のPGAランクで世界のトップ10に相当する人気選手です。
全英オープン、全米プロ、全米オープン、マスターズの四大メジャートーナメントでトップ10の半数が辞退したら、そのトーナメントはメジャーとはいえないでしょうね。
それでは来年に迫った東京オリンピックに世界のゴルフの有力選手は何人くらい参加してくれるのでしょうか?
男子の有力選手の大半はアメリカとヨーロッパです。
来年も秋口からUSPGAトーナメントは4試合によるフェデックスカップ・プレーオフに突入します。
フェデックスカップのチャンピオンには11億円が渡されます。
年間の賞金レースの頂点を目指して、熾烈な勝ち残りレースが始まるのです。
世界の有力選手によって争われるこの大会は、年間の王者を決める巨額の賞金レースなのです。
一方、東京オリンピックは、酷暑のなか、四日間にわたって、個人戦が行われます。
その前には、コース攻略のための練習日が必要です。
スタッフの帯同も必要です。
欧米から東京オリンピックに出場するには移動も含めて、少なくても10日間の日数が必要になります。
秋のプレーオフを控えて、東京オリンピックへの出場を彼らはどのように考えるのでしょう。
国を代表する名誉と金銀銅のメダルという勲章が用意されていますが、オリンピックには賞金はありません。
東京オリンピックのゴルフ競技は、リオ以上に、有力選手を惹きつけるだけの魅力があるかどうか、疑問に思えてきます。
なにか良いアイデアはないものでしょうか?
全くの素人考えですが、ここはメジャー競技と張り合わないで、別のアプローチをしたらいかがでしょう?
どうぞ笑いながらお聞きください。
いくら名門といっても、賞金の出ないゴルフトーナメントで四日間も同じコースでプレーをしたら、選手も観客もテレビの前の視聴者も飽きがこないでしょうか?
猛暑の四日間、予選カットなしでは、順位が後半の選手は三日目や最終日にモチベーションを保つのはたいへんでしょうね。
テレビ映りもないし、観客もついて来ないし、ツアー・ポイントの加算もないし、選手には辛くて張り合いのない日になりそうです。
ここは、ぎゅっと引き締めて、コンパクトにいたしましょう。
四日間競技を予選なしの二日間にいたしましょう。
いきなり二日間の決勝ラウンドです。
これで選手の肉体的負担は半減して、東京オリンピック参加へのハードルがどんと下がります。
圧縮した二日間に選手の集中力が増して、僅差の緊迫したゲーム展開が期待されます。
切り取った二日間の中、最初の日は日本や世界の子供たちを招待して、選手との交流の日にします。
ついでにスポンサーを付けてゴルフで遊ぼう○○デーにしましょう。
本番前日は、練習日として有料で公開します。
練習日はテレビ中継を入れて、有力選手の練習プレーを見ながら、丸山選手と岡本綾子のホール攻略レッスン番組にします。
「なるほど、このロングホール、渋野選手の戦略は、2オンを狙わずに3打目に賭ける考えですよ。十分届く距離なのにどうしてでしょう。直接シンデレラにインタビューして聞いてみましょう」
・・有力選手のコース戦略を徹底調査しましょう。
これで、視聴者のテレビ中継本番への予備知識は整います。
あとは本番で世界の一流選手のプレーをテレビの前で楽しみましょう。
以上は勝手な提案でした。
いまから東京オリンピックでの日本選手の活躍が楽しみです。
・・リオ・オリンピックでせっかく112年振りに復活したゴルフです。
東京のあとつぎのオリンピック開催地、パリでは124年振りのオリンピック・ゴルフ開催が決まっています。
東京やパリを最後に、またどこかに消えてしまわないように、私たちゴルフファンも東京オリンピックのゴルフ競技を応援してまいりましょう。
(続く)
渋野日向子選手の全英オープン優勝の活躍はここからご覧ください。
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下條 俊隆
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コメント
オリンピック ネタ シリーズはみな面白いですが、このセントルイスのマラソンは秀逸ですね。博覧会で少数民族など人間を展示していたことは知っていましたが、マラソンも相当なひどさですね。
ご投稿、ありがとうございます。近代オリンピックは第二回のパリ、第三回のセントルイスともに、あくまで国際博覧会のおまけとして開催されています。なので、五輪はルールもエー加減で、クーベルタンおじ様もあきれかえっていたのです。古代オリンピックは選手は男だけでおちんちん丸出しですから、女性は既婚者だけ観覧を許されたのですね。これ記事にしたら面白そう、いかが?