みんなが避難したペトロの神殿と、小さなエドの集まっている森が、ゆるやかにぶつかり、歪み、押しつぶされていく。
「お願い、ペトロ! 助けて!」
悲鳴をあげながら守り神に祈る人たちの身体は、四方に砕け散り、ガンバの奏でる重い響きと共に宇宙に消えた。
前回の話はここからお読みください。
この世の果ての中学校最終章“お腹が減ったママとパパと先生たち”
ペトロはあわただしく、厳しい修行を乗り越えて、人間の守り神として天上の神殿に佇む。
神殿の庭園から、薄い帳を通して、パノラマのように広がる宇宙のすべてが見えた。
近くで、地球と惑星テラが衝突を繰り返していた。互いに食い込み、離れ、壊れていく様子が手に取るように見える。
ペトロの神殿から、たたきつけるようなガンバの響きとともに仲間の悲鳴が聞こえた。
××
スマホが鳴った。
「ペトロ! お願い・・・みんなを・・・助けて!」
いつものマリエの声が聞こえて、
だんだん小さくなり、
どこかへ、消えていった。
ペトロは太陽神から譲り受けた宇宙の始まりの力を、二つの掌に込め、双子の惑星に向かって放った。
それは、宇宙の創生と、命の誕生を約束する原始の光!
荒々しいガンバの響きに引き寄せられて双子の惑星を照らし出し、やさしく包み込んでいく。
二つの星は、そっと触れあった。
戯れ、愛し合いながら融合していく。
風が舞い、海が沸き立ち、山が盛り上がった。
いにしえに失われた自然が、あるべきところにその青い姿を現した。
そして、古い命が蘇り、新しい形が生まれ出ていく。
××
・・・マリエの頬を芝生がそっと撫でた。
目を覚ましたマリエは、柔らかい光に包まれて、校庭の芝生の上にあおむけに放り出されている。
ペトロの神殿はかき消え、空に消えていったはずの校舎が姿を現した。
みると、学校から細い道が丘の上の教会に続いている。
丘の先には緑の森が拡がり、遠い先には山の峰々が青く聳えていた。
マリエは、立ち上がり、空を見上げ、風を吸い込む。
「ワオ―!」
咲良と裕太が駆け寄ってきた。
三人は、抱き合って、笑って、泣いた。
それから、裸足になって、青い芝生の上を思い切り駆けた。
・・・
校庭の隅で、ママたちが目を覚ました。
「お腹減らない?」
ペトロのママがマリエのママに聞いた。
「なんだかペコペコ。こんなに空いたの、何年ぶりかしら?」
そう言って、二人は顔を見合わせた。
それから、掌でお互いの顔を勢いよく叩き合った。
「痛い!」
二人のほっぺたが、赤くはれ上がった。
「これって、なんだっけ?」
ペトロのママが呟く。
「 陽に焼けた素肌にお化粧するときのあの感じ?」
マリエのママが答える。
“もしかして・・・私たち・・・蘇った?”
「キャッ!」
二人が悲鳴を上げた。
悲鳴を聞きつけて、二人の周りにママ達が集まった。
顔を見合わせて、6人でほっぺたを叩き合っている。
「腹減ったー!」
パパ達が叫んで、
ママ達の上に倒れこみ、
それから、みんなで、芝生の上を転げ回った。
・・・
青く、突き抜けるような空から、銀色に輝く小さな宇宙艇が風に揺れながら、その姿を現した。
宇宙艇は人影の多い校庭をあきらめて、誰もいない砂場に不時着した。
扉を開けて、ハル先生がタラップを駆け降りて来る。
校庭を見回して、校舎から走り出してきたカレル教授を見つけると、大声をあげて抱きついていった。
「お帰りハル! あれっ! ナノコンはどうした?」
カレル教授が目を丸くして聞く。
「大事なハルのナノコン、宇宙に飛ばされたとき失くしちゃったみたいよ」
ハル先生がさらりと言う。
ハル先生とカレル教授はしばらくじっと見つめ合った。
「もう、計算やーめた」
ハル先生がそういって、カレル教授に長いキスをした。
教授のハットが宙に飛んだ。
匠とエーヴァが宇宙艇から下りてきた。
待ち構えていた咲良、マリエ、裕大の三人が二人を取り囲む。
裕大と咲良が匠の頭をぽんと叩いた。
小さなマリエがエーヴァのお尻を蹴飛ばした。
五人は相手かまわず、叩き合った。
それを見た、パパとママたちも駆け寄ってきて、
殴り合いに参加した。
・・・
丘の向こうの森の中から「わーっ!」という歓声が沸き上がった。
エドの子どもたちが学校に向かって、丘の斜面を駆け下りてきた。
先頭にはボブ、クレアが続く。
エーヴァがボブを抱き上げ、クレアとマリエがキスをした。
「キャッ!かわいい!」
パパやママたちがエドの子どもたちと抱き合ったり、背中を叩いたり、緑の髪の毛をぐしゃぐしゃにした。
・・・
ホラーの広場を鹿や熊が走り回っている。
広場の壁に描かれた動物たちの壁画が姿を消していた。
一人の娘が地下を流れる川の畔で身体を清めている。
天井に描かれていた美しい娘の姿がない。
クオックおばばが、若いころの姿を取り戻したみたいだ。
”お腹空いた。フレッシュな記憶が食べたい!”
娘は一言、贅沢を言うと、川辺に水を飲みにやってきた大鹿の背中に飛び乗り、角を掴み、腹を足で蹴り上げた。
驚いた大鹿は地下道を駆け上がり、校舎の廊下を駈け抜け、校庭に飛び出した。
まぶしい夕陽に驚いた牡鹿は立ち止まり、その場で跳びはねる。
娘の身体は牡鹿の背中から飛ばされ、校庭に落ちた。
娘の悲鳴を聞きつけて一人の若者が駆け寄り、娘を助け起こした。
若者は呻き声を上げている娘を抱きかかえ、牡鹿の背中にそっと戻す。
娘は若者に一言礼を言うと耳元に口を寄せ、
「あなたの記憶が食べたい」と甘い声で囁いた。
「こんな詐欺師の記憶で良ければ・・・」
思わず答えた若者は、大鹿の背中に片足を掛け、娘の後ろに飛び乗った。
ホワイト・スモーキーは牡鹿の腹を一蹴りして、娘と森の中に消えていった。
大鹿を追いかけて、熊や、猿や、羊たちが森に駆け込んで姿を消した。
「ホラーの広場をゴルゴン一族の住み家とする」
パパ・ゴルゴンがホラーの広場に一族を集めて宣言した。
暖かく、飲み水と食料があって、安全な地下の広場はゴルゴン一族の領地となった。
・・・
校長先生がカレル教授とハル先生を呼んで、校長室で打ち合わせを始めた。
「小さなエドたち緑の惑星の333人を加えて、合計338人に増えた生徒たちの教育をこれからどのように進めるかだが・・・」
頭をかかえた校長先生が、話を切り出したとき、部屋のドアがバタンと開いて背の高い男が入ってきた。
「カレル教授、大事なハットが落ちてましたよ」
未来の旅から帰ってきた虚構の手品師は校庭で拾った帽子を教授に手渡し、椅子に座り込んで大きく息を吐いた。
カレル教授は手品師にハットのお礼を言って、早速、気になることを訊ねた。
「あなたのことを生徒たちがとても心配していましたよ。ペトロのパパはどこへ行ったのかとね・・・それで、地球の未来はどうでした?」
「未来はずっと続いていました。ほぼ順調です」
手品師は努めて明るく答えた。
「ほぼ・・とは?」
耳聡い校長先生が聞き返す。
「念のため三つの未来をパラレルに覗いてきました。二つの未来は平和そのものでした」
「で、三つ目は・・・?」
校長先生と教授が声を合わせた。
「三つ目の地球では・・・生命を持つた一族が五つの大陸に分かれて戦っていました」
手品師が渋々と話を続ける。
・・・北の大陸では進化した昆虫が人類と戦い、
南の大陸では巨人の兵士が強国を作り上げて、
他の大陸に侵略を繰り返しているようでした・・・
校長と教授の表情が強ばったことに気が付いて、手品師が慌てて修正した。
「先生方、御心配には及びません。人類の未来は三つとも確かに存在していたのですから」
「この地球に、戦争が起こる確率は?」校長先生が手品師を問い詰める。
「33.3%」手品師は仕方なく答えた。
「ハル先生、巨人の住んでいた惑星や人食い昆虫の惑星が緑の惑星にくっついて地球にやってきた可能性はどのくらいありますか?」
カレル教授がハル先生に聞いた。
「おそらく33.3%くらいかと」
ナノコンを宇宙で失ったハル先生が計算が出来なくて困っていると・・・。
「暖かいハーブティーとクッキーはいかが?」
ヒーラーおばさまがやってきて、ハーブティーと秘蔵のクッキーを配った。
クッキーがあっという間になくなったのを見届けてから、ヒーラーおばさまが結論を出した。
・・・人間がいる限り、いつかはどこかで戦争が起こっても驚くには当たりません。子供たちを信頼して、もうその話は止めましょう・・・
「それより手品師の先生! お顔がペトロのパパに戻っておられますよ!」
驚いた手品師が両手で自分の顔を探って見ると、くぼんだ目に手が触った。鼻が伸びて、大きな耳が二つも付いていた。
「どうやら、わたしの虚構の旅は終わったようです。未来は子どもたちの手に戻りました」
手品師はペトロそっくりの顔で安堵の溜息をついた。
「あなた、お帰りなさい!」
ペトロのママが校長室のドアを開けて駆け込んできて、手品師の胸の中に飛び込んだ。
・・・
「代役は終わった。ペトロのもとに戻ろう」
校庭の隅からすべてを見届けたペトロの影は、一息つくと、校舎の暗闇に消えた。
影は、本来影のあるべき場所、守り神ペトロのいる天上へ帰って行った。
エピソード 若き勇者の記念碑
学校から森に続く一角に、小さなメモリアルパークが造られた。
ペトロがマイ・ワールドにつくった「森の中の森」が再現され、水が噴き上げる六角形のフォリーと、咲き乱れる花畑のそばに二つの記念碑が並んでいる。
一つはプレートで創られたエドの記念碑。
その横にペトロの記念碑が新しく建てられた。
祈念碑には、
「若きペトロここに眠る・・・2079年~2093年」
と刻んであった。
その前に全員が集まっている。今日は除幕式だ。
「まだ見習い中ですが即興です。演目は【亡き二人の勇者のためのパバーヌ】」
そういって、ペトロのママから特訓を受けたマリエが双子のガンバを演奏した。
演奏が始まると虚構の手品師がペトロの碑の前に跪き、一冊の古書を取り出して台座においた。
真っ黒な厚手の表紙に銀箔で「虚構の手品師と不毛の楽園」と書かれている。裏表紙には「無名の手品師に贈る。弟子・ペトロ著」とあった。
両手を合わせた手品師の目に涙が浮かび、その一粒はつつーと頬を伝わって、古書の上にぽとりと落ちた。
しずくは古書の表紙ににじみ込んでタイトルを消した。そして裏表紙に回り、著者の文字を消した。
しばらくして新しい文字が現れた。
黒い表紙に「この世の果ての中学校」の銀文字が鮮やかに浮かび上がった。
除幕式が終わり、ペトロの碑の台座に置かれた古書に興味を引かれたボブが、近づいて行って「この世の果ての中学校」を手に取った。
本を途中まで読んで自分の名前を見つけた。
そこには・・
「ボブが途中のページを開いたとたん、一陣の風がさっと吹きつけ、古書を空高くさらっていった」と太い文字で書いてあった。
ボブが慌てて本を閉じようとしたが、間に合わなかった。一陣の風がさっと吹き付け、古書を空高くさらっていった。
ボブは大事な本を飛ばした責任を感じて、ふさぎ込んだ。
「ボブは紙の本は好きかな?」ペトロのパパがボブに近寄って聞いた。
「本はまだ呼んだことがありません。でも是非一度読んで見たいと思っています」
ボブが答えると手品師はボブの肩に手を置いて、優しくささやく。
「いずれ私の古書店にご案内しよう。学校からわずか五分のところだ。隣の実験室には、みんなの将来の夢をかなえる秘密のプレゼントも隠してある」
ボブの目が輝いた。
ペトロに代わる弟子を探している手品師の技が小さなボブを捉えていく。
エピローグ
・・・お前達覚悟しておけ! 明日は古代ローマの闘技場に向かって出発する。ついでにもう少しさかのぼってギリシャの古代オリンピックも視察する。
ペトロのパパにお願いして、二泊三日の課外授業だ。
男子生徒は奴隷やアスリートの命をかけた戦いを体験してもらう。
女生徒はハル先生が引率する。ローマ帝国の女性たち、優雅な貴族と、過酷な平民や女奴隷の生き様の研究だ。
生徒の数が多すぎたから抽選で20名の代表に絞った・・・
そういって、はぐれ先生が生徒に旅の衣装と装備を説明する。
男子生徒には古代ローマの剣闘士・グラディエーターの重装衣装に槍と棍棒、兜と盾が、女生徒にはローマ貴族の白い上下の絹のローブに金色のベルトと小さな靴、そして勝者に与える髪飾りが用意された。
男子生徒は早くも興奮気味。
パパ・エドとアスリートの匠が校庭に出た。
「ペトロの弔い合戦だ!」匠は槍を選んだ。
「エドの敵討ちだ!」パパ・エドが棍棒を選んだ。
二人は不敵な笑いを浮かべ、戦いを開始した。
クレアとマリエがツンと顔を上に向け、気取った足取りで貴族夫人となって歩く。
長いローブの裾に蹴つまずいてクレアとマリエが芝生に倒れた。
××
「この授業、先が思いやられるぜ!」
守り神ペトロが天上から眺めて思い切り笑った。
××
「ジャン!」
マリエのポケットでスマホが鳴った。
「遊びに行っていい?」
マリエは丘の上の教会に向かって駆けだしていく。
教会のステンドグラスがキラキラと輝いている。
(おわり)
・・・
ボブが飛ばした古書「この世の果ての中学校」は時空を越えて、お手元に届いたでしょうか?
約5年をかけて書き、何度もリライトしている中にとんでもない長編になりました。
最後までお読みいただき、誠にありがとうございます。
・・・感謝を込めて、虚構の手品師
