ペトロは短く厳しい修行を終え、人間の守り神として天上の神殿に佇む。 神殿の庭園から薄い帳を通して、パノラマのように広がる宇宙のすべてが見えた。
この世の果ての時空で、地球と惑星テラが衝突を繰り返していた。互いに食い込み、離れ、壊れていく様子が手に取るように見える。
ペトロの神殿とエドの広場から仲間の悲鳴が聞こえた。ペトロの脳裏にみんなと過ごした記憶が蘇る。
××
「ジャン!」ペトロのスマホが鳴った。
「ペトロ、助けて!」マリエのメッセージが現れ、消えていった。
××
ペトロは太陽神から譲り受けた力のすべてを掌に込め、双子の惑星に向かって放った。それは宇宙の始まりのときに生まれ出た小さな光の束。二つの惑星は光に包まれて優しく触れあい、交錯し、戯れ、愛し合いながら一つに融合していく。
風が舞い、海が沸き立ち、山が盛り上がった。 いにしえの大自然が、あるべきところにその青い姿を現した。 古い命が蘇り、新しい形が生まれ出ていく。
この世の果ての中学校最終章“お腹が減ったママとパパと先生たち”
気がつくと、マリエは柔らかい光に包まれて、校庭の芝生の上に放り出されていた。ペトロの神殿はかき消え、空に消えていったはずの校舎が姿を現した。
学校から細い道が丘の上の教会に続いている。丘の先には緑の森が拡がり、その遠い先には山の峰々が青く聳えていた。
マリエは立ち上がり、空を見上げ、風を吸い込んだ。靴を脱ぎ捨て、裸足になって咲良と裕大と緑の芝生の上を駆けた。それから抱き合って、笑って、泣いた。
「お腹減らない?」
校庭の隅でペトロのママがマリエのママに聞いた。
「なんだかペコペコ。こんなに空いたの、何年ぶりかしら?」
そう言って、二人は顔を見合わせた。
それから、掌でお互いの顔を勢いよく叩き合った。
「痛い!」
二人のほっぺたが、赤くはれ上がった。
「これって?」
ペトロのママが呟く。
「 “生身”の反応!」
マリエのママが答えた。
“もしかして・・・私たち・・・蘇った?”
「キャッ!」二人が大きな悲鳴を上げた。
悲鳴を聞きつけて、二人の周りにママとパパ達が集まった。
顔を見合わせて、ほっぺたを叩き合った。
「腹減ったー!」パパ達が叫んで、ママ達の上に倒れこみ、みんなで芝生の上を転げ回った。
突き抜けるように青い空から、銀色に輝く小さな宇宙艇が揺れながら姿を現した。宇宙艇は校庭の砂場にたどり着いた。扉を開けて、ハル先生がタラップを駆け降りて来る。校庭を見回して、校舎から走り出してきたカレル教授を見つけ、抱きついていった。
「お帰りハル! あれっ! ナノコンはどうした?」
カレル教授が目を丸くして聞く。
“ハルがナノコンを抱えていない。ナノコン無しではハルは存在しない”
「命より大事なハルのナノコン、宇宙に飛ばされたとき失くしちゃったみたい」
ハル先生がさらりと言う。
ハル先生とカレル教授はしばらくじっと見つめ合った。そこにはハル少女とカレル少年がいた。
「もう計算やーめた」
一言ハル先生が言って、カレル教授に長いキスをした。教授のハットが宙に飛んだ。
匠とエーヴァが宇宙艇から下りてきた。待ち構えていた咲良、マリエ、裕大の三人が二人を取り囲んだ。
裕大と咲良が匠の頭をぽんと叩いた。小さなマリエがエーヴァのお尻を蹴飛ばした。五人は相手かまわず、叩き合った。パパとママたちも駆け寄ってきて、殴り合いに参加した。
丘の向こうの森の中から「わーっ!」という歓声が沸き上がった。
エドの子どもたちが丘の斜面を駆け降りてきた。
エーヴァがボブを抱き上げ、クレアとマリエがキスをした。パパやママたちがエドの子どもたちと抱き合ったり、背中を叩いたり、髪の毛をぐしゃぐしゃにした。
「エド、久しぶりだ! 元気か?」
はぐれ親父がエドの頭を軽く叩こうとしたら、エドの方が少し背が高い。
「あれ? お前ずいぶん成長したな。それとも俺が縮んだのか?」
はぐれ親父がぼやいて、みんなが笑った。
地下のホラーの広場を鹿や熊が走り回っている。広場の壁から、動物たちの壁画が姿を消していた。ホラーが肉体を取りもどした。
一人の娘が地下を流れる川の畔で身体を清めていた。天井に描かれていた美しい娘の絵画が消えていた。
「お腹空いた。フレッシュな記憶が食べたい!」
娘は一言、贅沢を言うと、川辺に水を飲みにやってきた大鹿の背中に飛び乗った。娘は鹿の角を掴み、腹を足で蹴り上げた。驚いた大鹿は地下道を駆け上がり、校舎の廊下を駈け抜け、みんなの集まっている校庭に飛び出した。
まぶしい夕陽に驚いた牡鹿は立ち止まり、その場で跳びはねた。娘の身体は牡鹿の前方に飛ばされ、校庭に落ちた。
娘の悲鳴を聞きつけて一人の若者が駆け寄り、娘を助け起こした。若者は呻き声を上げている娘を抱きかかえ、牡鹿の背中にそっと戻す。
娘は若者に一言礼を言うと耳元に口を寄せ、「あなたの記憶が食べたい」と甘い声で囁いた。
「こんな詐欺師の記憶で良ければ・・」
思わず答えた若者は、大鹿の背中に片足を掛け、娘の後ろに飛び乗った。ホワイト・スモーキーは牡鹿の腹を一蹴りして、娘と森の中に消えていった。大鹿を追いかけて、熊や、猿や、羊たちが森に駆け込んで姿を消した。
「この広場をゴルゴン一族の住み家とする」
パパ・ゴルゴンが一族を集めて宣言した。暖かく、飲み水と食料があって、安全な地下の広場はゴルゴン一族の領地となった。
咲良と裕大が教室に仲間を呼び集めた。
「ちょっと聞いて。ママとパパが蘇ったみたいなの」
咲良が声を潜めて言って、裕大が後を続ける。
「それでだ、二人で抱き合ってるんだ。おれ嬉しくて感動してるんだけど・・・いままで黄泉の通い人ってこと知らん振りしてきたからさ・・いまさら二人にお祝いとかどう言おうか悩んでるんだ」
「私とママは相談して、お互い、今まで通り知らんぷりすることに決めたの」
そう言ってマリエがクスッと笑った。
校長先生がカレル教授とハル先生を誘って校長室で打ち合わせを始めた。
「小さなエドたち緑の惑星の333人を加えて、合計338人に増えた生徒たちの教育をこれからどのように進めるかだが・・・」
校長先生が話を切り出したとき、部屋のドアがバタンと開いて背の高い男が入ってきた。
「カレル教授、大事なハットが校庭に落ちてましたよ」
未来の旅から帰ってきた虚構の手品師は拾った帽子を教授に手渡し、椅子に座り込んで大きく息を吐いた。カレル教授は手品師にハットのお礼を言って、早速、気になることを訊ねた。
「あなたのことを生徒たちがとても心配していましたよ。ペトロのパパはどこへ行ったのかとね・・それで、地球の未来はどうでした?」
「未来はずっと続いていました。ほぼ順調です」
手品師は努めて明るく答えた。
「ほぼ・・とは?」
耳聡い校長先生が聞き返す。
「念のため三つの未来をパラレルに覗いてきました。二つの未来は平和そのものでした」
「で、三つ目は・・・?」
校長先生と教授が同時に聞く。
「三つ目の地球では、生命を持つた個体群が五つの大陸に分かれて戦っていました。北の大陸では進化した昆虫が人類と戦い、南の大陸では巨人の兵士が強国を作り上げ、他の大陸に侵略を繰り返しているようでした」
校長と教授の表情が強ばったことに気が付いて、手品師が慌てて修正した。
「先生方、御心配には及びません。人類の未来は三つとも確かに存在していたのですから」
「未来に戦争が起こる確率は?」校長が手品師を問い詰める。
「33.3%」手品師は仕方なく答えた。
「ハル先生、巨人の住んでいた惑星や人食い昆虫の惑星が緑の惑星にくっついて地球にやってきた可能性はどのくらいありますか?」カレル教授がハル先生に聞いた。
「おそらく33.3%くらいかと」ナノコンを宇宙で失ったハル先生が計算が出来なくて困っていると・・。
「暖かいハーブティーとクッキーはいかが?」
ヒーラーおばさまがやってきて、ハーブティーと秘蔵のクッキーを配った。クッキーがあっという間になくなったのを見届けてから、ヒーラーおばさまが結論を出した。
「人間がいる限り、いつかはどこかで戦争が起こっても驚くには当たりません。子供たちを信頼して、もうその話は止めましょう。それより手品師の先生! お顔がペトロのパパに戻っておられますよ!」
驚いた手品師が両手で自分の顔を探って見ると、くぼんだ目に手が触った。鼻が伸びて、大きな耳が二つも付いていた。
能面は外された。
「わたしの虚構の旅はようやく終わったようです。未来は子どもたちの手に戻りました」
手品師はペトロそっくりの顔で安堵の溜息をついた。
「あなた、お帰りなさい!」
ペトロのママが校長室のドアを開けて駆け込んできて、パパの胸の中に飛び込んだ。
「代役は終わった。ペトロのもとに戻ろう」
校庭の隅からすべてを見届けたペトロの影は、一息つくと、校舎の暗闇に消えた。影は、本来影のあるべき場所、守り神ペトロの元へ帰って行った。
エピソード 若き勇者の記念碑
学校から森に続く一角に、小さなメモリアルパークが造られた。ペトロがマイ・ワールドに創った「森の中の森」が再現され、水が噴き上げる六角形のフォリーと、咲き乱れる花畑のそばに二つの記念碑が並んでいる。一つはプレートで創られたエドの記念碑、その横にはペトロの記念碑が新しく建てられた。
祈念碑には「若きペトロここに眠る・・2094年~2107年」と書いてあった。その前に全員が集まっている。今日は除幕式だ。
「まだ見習い中ですが即興です。演目は『亡き二人の勇者のためのパバーヌ」
ペトロのママから特訓を受けたマリエが双子のガンバを演奏した。
演奏が始まると虚構の手品師がペトロの碑の前に跪き、一冊の古書を取り出して台座においた。
真っ黒な厚手の表紙に銀箔で「虚構の手品師と不毛の楽園」と書かれている。裏表紙には「無名の手品師に贈る。弟子・ペトロ著 2125年秋地球テラ」とあった。
両手を合わせた手品師の目に涙が浮かび、その一粒はつつーと頬を伝わって、古書の上にぽとりと落ちた。しずくは古書の表紙ににじみ込んでタイトルを消した。そして裏表紙に回り、著者の文字を消した。
しばらくして新しい文字が現れた。黒い表紙に「この世の果ての中学校」の銀文字が鮮やかに浮かび上がった。裏表紙の著者名には五人の中学生と小さなエド達の名前が並び、末尾は「虚構の手品師」となった。
除幕式が終わり、ペトロの碑の台座に置かれた古書に興味を引かれたボブが、近づいて行って「この世の果ての中学校」を手に取った。本を裏返すと、裏表紙に自分の名前を見つけた。驚いたボブは中を見てみようと、最後のページを開いた。
そこには・・
「ボブが最後のページを開いたとたん、一陣の風がさっと吹きつけ、古書を空高くさらっていった」と太い文字で書いてあった。
ボブが慌てて本を閉じようとしたが、間に合わなかった。一陣の風がさっと吹き付け、古書を空高くさらっていった。
ボブは大事な本を飛ばした責任を感じて、ふさぎ込んだ。
「ボブは紙の本は好きかな?」ペトロのパパがボブに近寄って聞いた。
「本はまだ呼んだことがありません。でも是非一度読んで見たいと思っています」
ボブが答えると手品師はボブの肩に手を置いて、優しくささやく。
「いずれ私の古書店にご案内しよう。学校からわずか五分のところだ。隣の実験室には、みんなの将来の夢をかなえる秘密のプレゼントも隠してある」
ボブの目が輝いた。ペトロに代わる弟子を探している手品師の技が小さなボブを捉えていく。
エピローグ
「お前達覚悟しておけ! 明日は古代ローマの闘技場に向かって出発する。ついでにもう少しさかのぼってギリシャの古代オリンピックも視察する。ペトロのパパにお願いして、最後のタイムトラベル、二泊三日の課外授業だ。男子生徒は奴隷やアスリートの命をかけた戦いを体験してもらう。女生徒はハル先生が引率する。ローマ帝国の女性たち、優雅な貴族と、過酷な平民や女奴隷の生き様の研究だ。生徒の数が多すぎたから抽選で20名の代表に絞った」
教授に就任したはぐれ先生が生徒に集合をかけた。男子生徒には古代ローマの剣闘士・グラディエーターの重装衣装に槍と棍棒、兜と盾が、女生徒にはローマ貴族の白い上下の絹のローブに金色のベルトと小さな靴、そして勝者に与える髪飾りが用意された。
男子生徒は早くも興奮気味。パパ・エドとアスリートの匠が校庭に出た。
「ペトロの弔い合戦だ!」匠は槍を選んだ。
「エドの敵討ちだ!」パパ・エドが棍棒を選んだ。
二人は不敵な笑いを浮かべ、戦いを開始した。
クレアとマリエがツンと顔を上に向け、気取った足取りで貴族夫人となって歩く。長いローブの裾に蹴つまずいてクレアとマリエが芝生に倒れた。
××
「この授業、先が思いやられるぜ!」
守り神ペトロが天上から眺めて思い切り笑った。
××
「ジャン!」
マリエのポケットでスマホが鳴った。
メッセージをみたマリエは丘の上の教会に向かって駆けだした。
教会のステンドグラスがキラキラと輝いている。
(おわり)
××
ボブが飛ばした古書「この世の果ての中学校」は時空を越えてお手元に届いたでしょうか?
2年間かけて書いている中にとんでもない長編になりました。拙作をお読みいただき誠にありがとうございます。おかげさまで最後まで書き切ることができました。
この場をお借りして、深く御礼を申し上げます。
(虚構の手品師)
××
下條 俊隆
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