この世の果ての中学校 13章 学校の地下室は”国会議事堂”だった!

 ペトロとマリエのちびっ子スパイは、ママたちのあとをつけて秘密のPTAの会場に向かった。

 行き着いた地下道の突き当たりは明かりがついた踊り場になっていて、大きくて重そうな観音開きのドアがあった。

 

 そこには「国会議事堂」という立派な看板が掛かっていた。 

 右手には少し小さな自動ドアがあって、「国会電子図書館」と書いてあった。

 

 ここ、これ・・・なんだかヤベーよ!

 ペトロが口あんぐり。

 マリエは目を丸くしたまま、瞬きをしない。

 

  二人は手を繋いだまま、二つの扉の前で立ちすくんだ。

 

( 前回をまだの方は、ここから読んでくださいね)

この世の果ての中学校 12章 秘密のPTA “やっぱり~パパやママは幽霊だった”

 

この世の果ての中学校 13章 学校の地下室は”国会議事堂”だった!

 

「マリエ、国会議事堂ってなにするとこだったっけ?」とペトロが聞く。

 サンフランシスコで育ったペトロは、ワシントンの国会議事堂をみたこともない。

「国の未来を話し合う、とっても大事なところよ。でもどうして中学校の地下室なんかに議事堂があるのかしら」とマリエ。

「大事な国会議事堂は地下に隠して作ってさ、その上に僕らの学校を建てて、敵からカモフラージュしてたんじゃないかな? 中学校の地下にそんな大事なものあるなんて誰も思わないもんな。それよりママたち、国会議事堂と図書館のどちらにいると思う?」

ペトロが聞くと、マリエは小首をかしげて考え込んだ。

 

それから指をパチンとならした。

「分かった。ママたち国会議員で、今日は国会からの放送中継があるのよ。それでママ、たっぷり時間かけてお化粧してたのね。間違いなく議事堂の中よ」

 

「それでか? そういえば僕のママも、ずいぶん塗りまくってみたいだ!」

 二人で冗談いって、くっ!くっ!と笑う。

 

「でもね、議事堂じゃなくて、図書館で深夜の読書会なんてのもありかもね」とマリエ。

「わかった。それじゃ、だれかのパパかママが次にやって来てさ、どちらに入るか確かめようよ」とペトロ。

 

 二人でちいさく頷いて、ドアから少し離れた暗闇に隠れた。

 

 しばらくして、マリエとペトロが下りてきた同じ通廊から大勢の話し声が聞こえてきた。

 お喋りしながら踊り場の灯りの中に現れたのは、エーヴァのママとパパ、その後ろから裕大のママとパパだ。

 

 エーヴァのパパと裕太のパパが、二人がかりで国会議事堂の重いドアを大きな音を立てて開けると、ママたちが先頭で議事堂に入っていった。

 

 すかさず・・・葉隠れ帽子をかぶったペトロとマリエが、四人にぴったりくっついて議事堂に潜り込む。

 

 二人の目の前に、大理石の柱と白い壁に囲まれた立派な議事堂が現れた。

 

 丸い天井の照明灯から柔らかい光がおりてきて、場内をぼんやりと浮かび上がらせている。

 一段高くなった壇上に議長席が設けられて、その前に馬蹄型に会議テーブルが拡がっていた。

 

 議場の後方には少し高い位置に傍聴席が設けられている。

 ペトロとマリエは、誰もいない傍聴席に葉隠れの技を使ったまま座り込んだ。

 

「国会議員」と書かれたプレートが置かれた席に、ペトロとマリエのママが隣同士で並んで、澄まし顔で座っている。

 

 議長席には校長先生が座っていて、みんなが着席するのを腕組みしながら待っていた。

 テーブルの上のプレートには「日本国・総理大臣」と書かれている。

 

「やば! これ本物の国会?」

 ペトロが目をむいた。

 

「・・・みたいね!」

 マリエが喉を詰まらせた。

 

 裕大ママの議員席の隣には「リアルの王」と書かれたプレートが置かれていて、そこには裕太のパパが座っていた。

 

 やっぱりね、裕太パパがリアルの王で、リアルの王の使いでもあるのね。

 一人二役だったのね。 

 

 マリエが頷いたとき、咲良のママが悠然と姿を現した。

 横には、”ファンタジーアの郵便配達”がガードマンのようにピタリと付き添っていた。

 

 郵便配達は「ファンタジーアの女王」と書かれた席の椅子を手前に引いて、咲良のママが座るのをお手伝いしたあと、その横の「議員席」に着いた。

 

「あったりまえだけどさ・・・郵便配達のおじさんって正体は咲良のパパだろ? でもさ、ファンタジーアの郵便配達って、手紙なんてどこからも来るはずないから暇だろな。僕らのマイ・ワールドの鍵以外に一体なに運んでるのかな?」

 ペトロがマリエに小さな声で聞く。

 

「咲良おねーちゃんの話だと、郵便配達の仕事って、むかしはめちゃ忙しかったそうよ。ファンタジーアが北欧の森の中にあった頃は、世界に子供が一杯いて、みんな一つずつ秘密のマイワールド持つてたからなの。何十億という子供たちのマイワールドがファンタジーアと繋がってて、子供たちから女王様宛のお手紙が一杯来てたそうよ。 咲良もママと一緒にお返事書くのに大変だったっていってたわよ」

 

・・・「う~む、あと、お一人です」

 総理大臣が腕組みをしながら報告をした。

 

 最後に、匠のママがばたばたと議事堂に駆け込んできた。

「遅れちゃってすみません! 匠がどうしても離してくれなくて・・・なんとか言い含めてやっと出てまいりました」

 

「マリエ、匠はママっ子だもんな。きっとママのスカート引っ張って放さなかったんだぞ」

 天敵・匠の甘える姿を想像してペトロは必死で笑いをかみ殺した。

 

「それでは皆さんお揃いのようですので、本年度の臨時国会を開催いたします!」

 校長先生が立ち上がり、議事堂中に響き渡るような大声で開会を宣言した。

 

 人手不足で議長になる人がどこにもいなくて、総理大臣が議事を進行していた。

 校長先生は宣言を済ませると、面倒くさそうに議長席に座り込んで黙ってしまった。

 

 ファンタジーアの女王、咲良のママが手を上げて校長先生に発言を求める。

 総理がうなずくと、ママは勢いよく椅子から立ち上がって演説を始めた。

 

・・・いよいよ三界を一つにする大三界の日が近づいて参りました。 

 私たちは「リアル」「虚構」「幻想」の三界の力と知恵を統合して、子供たちが生きていくのにふさわしい未来世界、つまり”大三界”を地球に完成させたいと願っております。

 しかしながら私ども保護者や先生方が黄泉の国から毎夜頂いている生存のエネルギーにも限りがございます。

 ことは急ぎます。

 今日は子供たちにいつの日に、どの様に、この地球を引き継がせるのかを決める最終会議と聞いております・・・

 

 ファンタジーアの女王がぐんと背筋を伸ばして、総理を睨みつけた。

「ところで総理! 人類に残された時間、いいかえますと子供たちのための食料はあとどのくらい残っておりますのでしょうか? 総理、のんびり総理大臣の席に座ってなんかいないで、立ち上がって、正直にお答えください。どうなんですか! これ、校長先生!」

 

 女王の迫力に押されて、校長先生が椅子から跳びはねた。

「そ、その件は、担当大臣に答えさせます・・・担当大臣殿!」

 

 議事堂の奥から黒い影が現れて、トットっと歩いて総理の隣の「担当大臣」と書かれた席に座った。

「アッ! あれ、ヒーラーおばさまだ」

 

 マリエが思わず声を上げてしまった。

 ペトロが慌てて、マリエの口をふさぐ。

 

「ここ、絶対みんなに中継しないと!」

 マリエはポケットからスマホを取り出して、議事堂からの放送中継を始めた。

 

 ”ジャン!”

 四台のスマホが同時に鳴った。

 

 家のベッドで中継を待ちかねていた裕大と咲良とエーヴァと匠がスマホに飛びついた。

 スマホから、聞き慣れたヒーラーおばさまの声が聞こえた。

 

・・・質問にお答えします!

 もちろん、野菜とか肉類とかのフレッシュ・フードの備蓄はすでに使い切ってございません。

 残っておりますのは冷凍と保存食品ばかりですが、子供たち六人分で三年持つかどうかというところです。

 あとはコケ類、菌類の培養開発に期待するとしまして、どうしても足りないのは発育期に必

要な動物性のタンパク質です。

 ご存じの通り、人類が食べられる動物は、地球上から姿を消しています。

 あとは最近この辺りに住み着いている、宇宙からやってきたとみられるスペース・イタチを

増やして家畜化できないかと、検討を始めているところでございます・・・

 

 マリエのお腹の上でなにかが暴れ始めた。

 マリエが耳の後ろをなでて、”大丈夫、大人しくするのよ”と優しくなだめる。

 

「その子は人の言葉が分かるの?」

 ペトロが小声で聞く。

 

「地球の言葉を勉強中なの、この子の名前はゴルゴンよ」

「おいしそうな名前だな。昔、ピザで食べたことあるよ」

 

「アタリ! この子のおならはゴルゴンゾーラと匂いがとても似てるの」

・・・二人は会議の内容にうんざりして、お喋りを始めた。

 

♯「あ~と3年、あと3年。ペトロとあわせてあと6年。ゴルゴン食べてもあと7年」♭

 マリエが小さな声で歌っている。

 

 ゴルゴンがまた暴れだした。

 ペトロにはマリエの気持ちがわかった。

 

・・・とっても深刻な話のときはさ、歌でも歌ってないとやりきれないよ・・・

 ペトロが呟く。

 

 会議はまだ続いている。

 

 宇宙の外の異界まで飛び出して、食料の調査を済ませた宇宙艇ハル号の船長、エーヴァ・パパが代表質問をしていた。

「総理!  食料増産計画の件ですが、調査した外宇宙の惑星テラには緑の森がありました。あの緑を地球に移植できれば、野菜が手に入ります。野菜が手に入れば、家畜を育てられます」

 

エーヴァ・パパがあきらめ顔で質問を続けていた。

「ただし地球に移植するには宇宙空間の歪みを通過しなければならない。超大型の新航法宇宙船と大量の人手が必要となりますが、”総理” 資材と人材は調達可能でしょうか?」

 

「担当大臣殿」

 総理が担当大臣を呼んだ。

 

 暗闇からヒーラーおばさまが再び現れて、答弁席に着いて答えた。

「先日の宇宙への探索調査で資材は底をつきました。宇宙艇の燃料もあと往復一回限りです。人材はみな黄泉の国に参りました」

 
 やるせない溜息が国会議事堂を支配していた。

 ペトロのママが立ち上がって、校長先生に厳しく迫った。

 

「過去の世界から食料を手に入れたらどうでしょうか。こうなれば過去から輸入した”賞味期限切れ”でも、食べられるものなら何でもいいのじゃありませんか?」

 

「担当大臣殿」

 総理がだれかを呼んだが、声は虚しく議事堂に反響して、誰も現れなかった。

 

「虚構の手品師殿答弁をどうぞ! アッ、そうでした。彼は今日はここにはおりません。手品師は子供たちの未来探しの旅に行くと行って、先ほど出かけていきました。本日は担当大臣は欠席しております」

 

 ママたちが一斉に校長先生を睨み付けた。

 厳しい視線にたまりかねて、校長先生は自ら立ち上がって答弁を始めた。

 

・・・私は虚構の手品師にもうずいぶん前にその質問をしたことがあります。

 彼に笑われましたよ、虚構はあくまで虚構ですと。

 過去の世界にワープして美味しい料理を食べることが出来ても、所詮、それは幻影に過ぎない。

 食料をこの世界に持って帰っても、たちまち消えて無くなる。

 パラレルな世界とはそういうものだ。

 過去や未来を体験したつもりでも、それは私たちの世界とは違うレールの上を走っている別の世界を覗いているだけに過ぎない。

 私たちはリアルという一本のレールから外れることは決して出来ないのだと手品師が言ってました・・・

 

 答弁を終えると、校長先生は総理の席に戻ってドサリ!と座り込んだ。

 

・・・「ここのやりとり、なんだかお寒くない?」

 マリエが、放送中継を中断して、ペトロの背中を指で突つく。

 

「マリエ、そろそろ、ここ抜け出してとなりの電子図書館にいかない? ちょっと調べてみたいことがあるんだ」

 ペトロはそっと入り口の扉を指さした。

 

 マリエがうなずくと、二人は気付かれないようにそっと傍聴席を離れた。

 議事堂の扉は、匠のママが慌てて飛び込んできたときのまま、観音開きの真ん中が、少し開いた状態になっていた。

 

 二人は議事堂を抜け出した。

「念のため、葉隠れの葉っぱはかぶったままにしておこうよ」

 

 ペトロがそう言って、二人で電子図書館の扉の前に立つと、ドアが勝手に開いた。

「国会図書館にようこそ!」

 

 自動音声が数か国語で「Welcome!」とかいって、やさしく二人を迎えてくれた。

 その声はどこかで聞き覚えのある女性の声だった。

 

 二人が入り込むと、部屋の天井と壁から柔らかい照明が降ってきて、図書館の内部が浮かび上がった。
 二人はエントランス・ゾーンに立っていた。

 

 奥には教室位の大きさの部屋があって、ちいさな事務机がいくつか並んでいる。

 それぞれのデスクに図書検索用のパソコンが置かれていた。

 

 部屋の奥の壁は、一面に大きなガラスがはめ込まれていて、向こう側には体育館くらいの巨大な空間が広がっている。

 そこには、記録用と計算用のコンピューターが数列に分かれて並んでいた。

 

 そこは世界中の重要な記録がデジタル化されて収められている、電子図書館だった。

 二人は一つのデスクに椅子を二つ並べ、端末用パソコンに向かう。

 

「Welcome!ペトロ君! 深夜の国会図書館で君は一体なにを知りたいのかな?」

 マリエがおどけてペトロに尋ねた。

 

「ほら、タイムスリップしてカレル先生の昔の家にお邪魔したとき、庭の話、盗み聞きしたじゃない。あのときのカレル君とハルちゃんの話の続きがどうしても知りたいんだ」

 ペトロが知りたいのは、 カレル先生の子ども時代の家で、ペトロたちが二階のテラスから盗み聞きした話の続きだった。

 

 2016年の東京から、カレル少年とハル少女が世界の偉い科学者八人を引率して、今から二年前にこの世界を視察に来ているはずだった。

 2090年11月3日の祭日が、ペトロの記憶にある視察予定の日だった。

 

 ペトロとマリエはこの日付で、視察の記録がないかどうか、検索を開始した。

 数十分がたってマリエが小さな欠伸をしたとき、”やったよ!”とペトロの声が弾んだ。

 

【過去からの訪問者2090年11月3日】というファイルが目の前にあった。

 ファイルの頭には『最高機密』の赤い四文字が付いていた。

 

 なんとかしてファイルを開けようと、ペトロは”パスワード”の枠に思いつく限りのセンテンスを片っ端から放り込んでみる。

 すべての試みは無残に拒否されてしまった。

 

「このファイルは最高機密です。資格を持たずに侵入しようとするものは、法律で厳しく罰せられます」

 警告の赤い文字が派手に点灯した。

 

「最高機密っていったい誰に対して秘密なんだよ?」

 ペトロがキーボードをがんと叩いた。

 

「きっと私たちのことよ! だれかに閲覧拒否されてるのよ」

 マリエもドンと机を叩いた。

 

 そのときだった。
「ハーイ、ペトロ! 乱暴しないでよ。マリエと二人でこんな時間にどうしたの?」

 

 パソコンから呼びかけるその声は間違いなく聞き慣れたハル先生の声!

・・・電子図書館の中にハル先生がいる。マリエと二人でいるところを先生に見つかった・・・

 

 ペトロは椅子から転げ落ちそうになった。

 マリエがあわててペトロの身体を支える。

 

「ペトロもマリエもそんなに驚かないでよ。ばらしちゃうとね、このスーパーコンピューターも私の身体の一部なのよ。ハル先生、電子図書館の館長さんってとこかな・・・」

 ハル先生の声がなんだか眠たそう。

 
「あら、ハル先生!夜は電子図書館でお休みなのね。起こしちゃってごめんなさい」

 マリエが涼しい声でハル先生に答えた。

 

 神の子マリエは滅多なことでは驚かない。

「ハル館長にお願いします。閲覧拒否を解除して下さい。ハルちゃんとカレル君の計画、成功したのかどうか、ペトロもマリエもどうしても知りたいのです」

 

「ハル先生了解。でも館長自らは解除できないの。二人で考えてください。カレル教授が作った拒否解除の暗号。二人なら分かるはず。ヒント・・・”カレル家のディナーと関連あり”」

 

「豚のソテー」

 立ち直ったペトロが好物の名前を打ち込む。

 

 反応なし。

「タケノコ料理」

 

「近い・・・けど、あと1回限りです。カタカナと漢字で四文字」

 と、ハル先生の声。

 

「ブー太郎」

 マリエが四文字を叩くと、チャイムがピンポンと鳴って、ファイルが開いた。

 

【議事録または映像記録、どちらかを選択してください】の表示が出た。

 ペトロは「映像記録」にタッチした。

 

 マリエが慌ててスマホを取り出した。

 マリエはパソコンの横の小さな端子にスマホの細いケーブルの先をカチャカチャやって二つを繋いだ。

 

「ただいまから、国立国会図書館より、カレル少年とハルちゃん出演のドキュメンタリー番組『過去からの訪問者』を中継でお送りいたします」

 ”驚くな! 解説は図書館長のハル先生だよ”

 

 マリエのナレーションがスマホに流れて、ベッドで寝っ転がって次の中継を待ちわびていた四人の生徒が、ベッドから一斉に飛び起きた。

 

(続く)

続きはここからお読みください。

 

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この世の果ての中学校 12章 秘密のPTA “やっぱり~パパやママは幽霊だった?”

 宇宙探査の旅から無事、地球のドームに帰り着いた生徒たちを待っていたのは、家庭内異変でした。

 最近、パパやママの行動がどうも怪しげなのです。

 

 子供達には絶対・内緒で、土曜日の夜に中学校の地下の会議場で、パパやママや先生達の秘密のPTAが開催されることが決まっていたのです。 

 それを知った子どたちは、会議で何が行われるのか探るために、ペトロとマリエをスパイとして会議場に潜り込ませることにしました。

 

前回のお話はここからご覧ください。

この世の果ての中学校11章 大きなエドから生まれた空飛ぶ小さな子供たち!

 

12章 秘密のPTA ”やっぱり~パパやママは幽霊だった?”

 

 宇宙探査艇HAL号で、外宇宙で発見した3つの緑の惑星から 地球に無事帰還した週末の金曜日のこと。

 

 校長先生や両親への宇宙探査の成果報告会が午前中に終わり、フリータイムの午後になって、生徒会長の裕大が匠とペトロを教室の隅に呼んだ。

 

「ちょっと聞いてくれ。緊急の三界会議が始まるようなんだ。昨日の夜、パパとママがひそひそ話してるのを聞いてしまった。三界のメンバー全員が集まる緊急の会議みたいだ。明日の夜、場所はこの学校のどこかだ」

 

「そういえば俺のママも”明日はいつものPTAに夕方から出かける”とか言ってたぞ。でも、三界会議だなんて言ってないぞ」

匠がいうと、ペトロが頷いた。

「そうなんだ。僕のママも、土曜日は久しぶりのPTAだから夜は僕が一人で留守番だって言ってたよ」 

 “おかしい?”・・・三人は顔を見合わせた。

 

 三界会議は「リアルの世界・幻想の世界・虚構の世界」の代表者が集まる最高会議だった。

 この学校でもっとも重要な会議なのに、めったに開かれたことがない。

 

 “PTAとはレベルが違う”・・・はずだ。

 子供を代表する”生徒会長”として裕大が怒った。

 

「ママたちはPTAだと嘘をついて、俺たちを外した秘密の三界会議を開くつもりだ。先生達も入ってるはずだ。これは怪しい。俺たち、明日の会議の中身を知る必要があるぞ」

 

 最高会議に子供は外されたと知って、ペトロが燃えた。

「勝手に僕たち外しての最高会議かよ。何が秘密なんだろう。秘密の会議室とかがどこかにあるはずだ。探し出して、大人だけでなに話してんのか暴き出してやろうぜ」

 

「でもなペトロ。どうして三界会議のことそんなに内緒にしたがるのかそこら辺がよく分らん。俺たちが現実を知ったら絶望して、自殺するとでも思ってんのかな?」

 匠がそう言って、黙り込んだ。

 

 ペトロが恐ろしいことを言い始めた。

「この地球には温暖化による砂漠化現象で、人の住める土地が残されていないことぐらい、僕たちはとっくに知ってる。ドームの外には人の姿はもうどこにも見つからないことも知ってる。大事な食料が少なくなってることも知ってる。宇宙に食料が見つからなかったことも報告した。僕たちが厳しい現実を知っていることをママやパパたちも知っている。としたらだ・・・僕たちに知られたくないもっと深刻な秘密があるのじゃないかな」

 

 ・・・三人が沈黙し、教室に怪しげな静けさが漂う。

 

「実は、私たちもそう思ってるの!」

 どこにも姿が見えないのに、マリエの大きな声が、突然、割り込んできて、三人は椅子から飛び上がった。

 

「ぜーんぶ聞いちゃった。ごめん、葉隠れの術なの」とマリエ。

 咲良とエーヴァ、マリエが頭に乗せた葉っぱの帽子をちょっとずらして顔を覗かせた。

「第一惑星でキッカとカーナから葉隠れの術を教えてもらったの」とエーヴァ。

 

 ペトロがクスッ!と笑った。ペトロもクプシから葉っぱの帽子を貰っていたのだ。

 自室の机の中に隠して、ときどき葉隠れの練習をしている。

 

 直ちに、生徒六人は輪になって座り、緊急の生徒会議を始めた。

 

「ママとパパたちは、これ以上僕たちになにを隠してるんだろう?」

 匠が口火を切った。

 

「人の隠し事を見つけるのは、僕たちより、女の子の方がずっと上手だと思うよ。なにかもう掴んでるんじゃない?」

 ペトロが仲良しのマリエに何気なく聞いた。

 

「ママはきっと恥ずかしいんだと思うわ」

 マリエが仕方なく答えた。

 

「男の子も知ってるでしょ。夜になるとママもパパもどこかへ姿を消してしまうことくらい」  

 年長の咲良が平気な顔を装って囁く。

 

「小さい頃はずっと添い寝をしてくれたのに、今は私が寝付いてしまうとすぐいなくなる。ときどき、夜中に目が覚めて、パパとママを夢中で探すの。でも、どこにもいない。朝まで眠れないで起きていると、明け方になってこっそり帰ってくるのよ」

 エーヴァが声をひそめて続けた。

・・・夜になると黄泉の国へ帰っていくの。そして朝になると、戻ってくる。きっと・・・パパもママも・・・

 

 女子生徒、三人が口を揃えた。                                          

 “幽霊なのよ!”

 

「黄泉の国に通う・・・そんな姿を子供に見られたくないのよ」

 咲良がだめ押しした。

 

「そんなにはっきり言うなよ!」

 匠が悲鳴を上げた。

 

 ペトロの顔がみるみる青ざめていつた。

・・・僕のママも、むかしは夜になるとよくガンバを演奏して、ペトロとパパに聞かせてくれた。

でもパパがどこかへ消えた今は、疲れたと言ってはすぐ自分の部屋に消えてしまう。

そうかママは部屋にはいないんだ・・・

 

「そういえばここんところパパとママと三人で晩飯食ったことないぞ。いつも俺一人だ。俺外して二人きりで黄泉の国で外食なんかしてるのかよ!」

 冗談いって、ごまかしてる裕大の顔色がひどく悪い。

 

「おれのパパは昔からいない。でもママは今でも元気だ! 幽霊なんかじゃないぞ」

 匠の顔がうるうると歪んできた。

 

 そして、泣きながら吠えた。

お、おれ!幽霊のママなんか、いらんわい!

 

「匠、分かってるでしょ。幽霊でもママはママなのよ。魂は本物なのよ」

 エーヴァが泣きながら、匠の肩を抱いた。

 

 全員が言葉を失って、黙り込んでしまった。

 教室は静まりかえった。

 

 教室のどこかから不思議なささやき声が聞こえてきた。

・・・お前さんたちの両親はこのドームへ来る前に病原体に犯されていたのです。

 その上、お前さんたちのために、少しでも食料を残そうとしたのですよ。

 自分たちの肉体を失ったいまも、黄泉の国と往復しながら、先祖の魂から少しずつ存在のエネルギーを分けて頂いて、お前さんたちを必死に育てているのです。

 そんなパパとママに心から感謝しないといけませんよ・・・

 

 生徒たちは、この声はきっと自分の心の中から聞こえてくるのだと思う。

 

 実は、ヒーラーおばさまが教室の隅に隠れて、傷ついた心を癒やすフローラル・ハーブの香りを生徒たちにそっと振りかけながら、小さな声で囁いているのだった。

 

「パパやママにはこのまま知らん振りを続けようぜ!」 

 元気を取りもどした裕大が沈黙を破った。

 

「久しぶりだ! 匠、ペトロ、みんなで走ろう!」

 裕大が声を掛けて、教室の窓を乗り越えて校庭へ駆けだしていった。

 

 匠があとに続いた。

 ペトロがあわてて追いかけていった。

 

「さー、駆けっこよ!」

 咲良が誘って、エーヴァとマリエの三人も校庭に出た。

 

「オリンピックよ、私たち六人で走れば、地球のオリンピックになるわよ!」

 マリエがオリンピックの開会を勝手に宣言した。

 

「いまから、この世の果てのオリンピック始めまーす!」

 

 午後の厳しい日差しを浴びて、六人の生徒たちは校庭を全力で走った。

 

 ヒーラーおばさまが、誰もいなくなった教室の奥の暗闇から現れて、フッと小さく安堵の溜息をつくと、仕事場の医務室にとことこと戻っていった。

 

 翌日の土曜日、三界会議の日がやって来た。

 生徒たちは会議の様子を探る戦略を決めていた。

 

 優秀な秘密工作員二人を選んでおいて、親たちの後を付けて会議の場所に送り込もうというスパイ作戦だった。
 

 ・葉隠れの技で姿を隠せること

 ・小さくて目立たないこと

 ・途中で絶対喧嘩しないこと

 三つの条件からスパイはペトロとマリエの仲良し組に決定した。

 

「今夜は久しぶりのPTAだから、帰りは遅くなりますよ」

 その夜、ママはペトロを早々にベッド・ルームに追い込むと、家を出て学校に向かった。

 

 ママが家から消えると、ペトロはベッドを抜け出して葉隠れの帽子を被る。

 自分の姿を玄関の鏡に映して、姿が映らないことを確かめ、ママの後を急いで追いかけた。

 

 “今夜のママはお化粧も念入りで、とっても素敵に見えた”

 前を行くママの後ろ姿も軽やかで、なんだか宙に浮かんでいるみたいだ。

 

 学校の近くまでやってくると、先を行くママが校庭の入り口でだれかと出会ったのか、賑やかに挨拶を交わしている。

 相手の声の主はマリエのママのようだった。

 

・・・そうだ、葉っぱで隠れたマリエがそばにいるはず・・・ 

 「マリエ、どこにいる? 僕はここだよ」

 ペトロは小声で囁いて、マリエに見えるように、葉っぱを顔から少しずらした。

 

 ペトロの顔が暗闇からすぐ目の前に浮かび上がって、側にいたマリエは跳び上がった。二人は危なくぶつかるところだった。

 ペトロはマリエと手を繋いで、姿を隠したままママ達のあとを追う。

 

 ママたちは正門から校庭に入り、校舎の階段を上って、長い廊下を奥へ進んでいった。

 廊下の両側には使っていない教室や医務室がある。

 

 廊下の突き当たりは校長室になっていて、行き止まりだ。

 どこかの会議室に続くような廊下も階段もない。

 

 ペトロとマリエは通い慣れた廊下を、ママたちを見失わないように少し離れて追いかけて行った。

「ママたち、どこに向かってるのかな?」ペトロが一人言を言った。

 

 薄暗く、灯りが届かないところにやってくると、突然マリエが立ち止まった。

「ペトロ、ちょっと待ってね」

 マリエが葉っぱの帽子を脱いで姿を現した。

 

 そして、廊下の壁にある小さな破れ目を覗き込んだ。

「そこにいるのでしょ。出てらっしゃい」

 

 穴の中の暗闇から、小さな二つの目が輝いてこちらを見上げた。

 “チチッ!”とちいさく鳴く声がして、黒く細長い生き物が穴から飛び出してきた。

 立ち止まってから、マリエの肩に跳び乗った。

 

 マリエが葉っぱをかぶり直して姿を消すと、ちいさな生き物も見えなくなった。

 

「はて? やつは何者?」

 ペトロがマリエに聞いた。

 

「とっても可愛い秘密のお友達」

 マリエの声がすこし弾んでいた。

 

「やベ~」

 口から出かけた言葉を、ペトロはぐっと呑み込んだ。

 

・・・“秘密のお友達”ごときに焼き餅なんか焼いてるのを、マリエに悟られてはならない・・・

 

 マリエの秘密の友達はスペース・イタチだった。

 マリエは、いつの間にか学校に住み着いた宇宙の流れ者、スペース・イタチをすっかり手なづけていたのだ。

 

  寄り道してる間に、ママたちの姿がどこかに消えてしまった。

  慌てた二人は廊下の突き当たりまで走っていって、周りを見渡す。

 

 そこには校長室の古い木製のドア以外には階段も通路もない。

 校長室の側には、校舎の外へ出るちいさな扉がついているが、頑丈な鍵がかかっていた。

 

 廊下を引き返そうと思った二人の耳に、校長室の中からなにかのこすれる音が聞こえてきた。

 ペトロがドアを少しあけて、隙間から校長室の中を覗き込むと、薄闇の中でママたちが奥のキャビネットをギシギシと横にずらしている。

 

 キャビネットと壁の間に人が通れるくらいの小さな隙間を作ると、マリエのママとペトロのママは順番に中に入り込んで、姿を消してしまった。

 

「マリエ、追いかけよう!」

  二人は急いで校長室に飛びこみ、開いたままのキャビネットの隙間をくぐり抜けた。
 

 二人の後ろで、キャビネットがズズーッと勝手に閉まっていった。

 

 目の前は真っ暗闇。

 マリエがペトロの手をぎゅっと掴んだ。

 

 暗闇に慣れてくると、目の前は立派な石組みの通廊が緩やかに傾斜して、地下に向かうスロープになっていた。

 

 前方に薄い灯りが二つ浮かんで、小さく揺れているのが見える。

「あれって、懐中電灯の灯りかしら、それとも何かが光ってるの?」

 

 マリエの声が上ずってきた。

「あの大きさは懐中電灯の光じゃないよ、淡くて、大きすぎる。ということはだ・・・なんてこった、ママたちは懐中電灯がなくても暗闇が見えてるってことだ」

 

 ペトロはできるだけ回りくどくマリエの疑問に答える。

「マリエ、こんなこと言いたくないよ。でももう間違いない。僕らがみているのは“ひとだま”だよ」

 

 ペトロの手を握るマリエの指が震えていた。

 

・・・

 懐中電灯を忘れたペトロとマリエには周りがよく見えなかった。

 ペトロが右手で壁を手探りしながら、左手でマリエと手を繋いで、一歩一歩確かめる様に回廊を下りていった。

 

 やがてスロープは終わり、明るい照明に照らしだされた丸い踊り場に着いた。

 そこにママたちの姿はなかった。

 

 踊り場は突き当たりになっていて、大きな扉が二つ並んでいる。

 左手には大きくて重そうな、観音開きのドアがあった。

 

 そこには立派な看板が掛かっている。

 看板には「国会議事堂」と書いてあった。

 

(続く)

 

続きはここからお読みください。

この世の果ての中学校 13章 学校の地下室は”国会議事堂”だった!

 

【記事は無断転載を禁じられています】
 

この世の果ての中学校11章 大きなエドから生まれた空飛ぶ小さな子供たち!

 緑の第二惑星に、最後の一人として生き残った少年エドは、凶暴な虫たちの襲撃からはぐれ親父や男子生徒に助けられ、HAL号で調査隊とともに第三惑星に向かった。

 はぐれ親父の予言通り、第三惑星の裏側には緑の森が続いていた。

 

 ・・・宇宙艇のデッキから、エドが草原に飛び降りた。

 エドは、新しい世界の空気を胸いっぱい吸い込み、確かめるように足元の大地を踏みしめる。

 

 準備運動が終わると、エドは頭を下げ、顎をぐいと引く。

 そして前方に広がる深い森に向かって全速力で走りだした。

 

 はぐれが併走して、裕大と匠とペトロが後に続く。

 森が近づくとエドは一段とスピードを上げた。

 

 エドと、四人との距離が一気に開いていった。

 エドは森の手前で立ち止まり、振り向いて手を振った。

 

「ありがと~う!」

 大きな声でお礼を言うと、エドは、あっという間に森の中に消えていった。

 

 はぐれ親父と、四人の生徒もエドのあとを追って森の中に入っていった。

 

・・・前回のストーリーはここからご覧ください。

この世の果ての中学校 10章  生き残った少年エドと黒い絨毯

 

11章 エドから生まれた空飛ぶ小さな子供たち

 

 しばらくして森の頂きから、バン! という小さな破裂音が聞こえた。

 丘の上の空に一筋の青い煙が立ち上っている。

 

 煙は風に乗って麓の森にたなびいて消えていった。

 

 エドを追って森に消えたはぐれ親父がしばらくして森から出てきた。

”この森にでかい昆虫は見当たらない。エドの子供たちは一安心だ!”

 親父は独り言ちて、安堵のため息をつき、バタリと草原に座り込んだ。

 

 エドを追いかけて、森の頂上まで駆け上っていった裕大と匠とペトロが、息を弾ませながら、はぐれのもとに帰ってきた。

「エドは空に消えました。どこにも遺体はありません。これだけが残っていました」

 裕大がぼろぼろに裂けた衣服を親父に差し出した。

 匠は、使い込んだ大ぶりのナイフを、ペトロは履きつぶされた靴をはぐれに渡した。

 

 はぐれはエドの遺品を一つ一つ丁寧に調べた。

 裂けた衣服を小さくたたみ、靴は形を整えた。

 ナイフは鞘から抜き出して、手ぬぐいで汚れを拭い、もう一度鞘に戻した。 

 終わると、三人の顔を見つめた。

 

・・・お前たちに頼みがある。

 エドは立派に責任を果たして、空に散った。

 エドから生まれた子供たちが、この惑星で元気に育ってくれることを祈ろう!

 これは若い英雄の記念品だ。

 レジェンドとして名誉ある形をこの惑星に残してやりたいと思う。

 どうするか、生徒たち、みんなで知恵を絞って欲しい・・・

 

 そう言って、はぐれはエドの遺品を三人に預け、宇宙艇に戻っていった。

 途中で立ち止まって、空を見上げ、森の頂にかすかに漂う青い煙の跡を見つけた。

 

 「エド、よくやった!」

 輝く太陽に照らされて、はぐれ親父の無骨な顔にきらりと光るものが一筋見えた。

 

 ・・・宇宙艇のキャビンに生徒全員が集まって相談を始めた。

 結論がまとまると、六人は直ちに作業に取りかかった。

 

 宇宙艇の工具室から円筒型の金属製のボックスと、細長いプレート板を探し出した。

 次にハル先生に助けて貰って、プレートの裏面に特殊な仕掛けをした。

 

 それがおわると、プレート板の表面にみんなで考えた記念の文字を彫り込んでいった。

 六人は、エドの消えた森の近くに日当たりのいい平地を見つけて、縦型の穴を掘った。

 

 金属ボックスにエドの靴と、ナイフと、緑の衣服の切れ端を収めると、しっかりと蓋を締めて穴に埋め、細長いプレート板をボックスの上部に接合させた。

 最後に穴の周りの土をみんなで踏み固めた。

 

 円筒ボックスの上半分にプレート板を取り付けた1メーターほどの高さの記念碑が、地面から立ち上がった。

 大きな白い布で記念碑を覆って、準備が完了した。

 

 夕刻になり、森のそばで二日目のキャンプの準備が始まった。

「小さなエドはどこ? どこにいるの」

 

 マリエが森の中で乾いた薪を拾い集めながら、小さなエドを探していた。

 

 頭の上でブーンと小さな羽音が聞こえた。

 薄青い煙の中で10センチ位の小さな少年が羽根を震わせて浮かんでいる。

 

「エド、エドなのね!」

 目を丸くしたマリエの声が弾んだ。

 

「違うよ、僕はリトル・エドだよ」

 小さなエドが、小さな羽根を左右に振って、偉そうな挨拶をした。

「しばらくは羽が生えて空を飛べるんだぞ!」

 

 生まれたばかりのリトル・エドは、からだがとても柔らかそうに見えた。

 マリエはそっと右手の人差し指を宙に差し出した。

 小さなエドはマリエの指先に止まって羽を休ませる。

 

 エドにそっくりの小さな緑の目が必死にマリエを見つめた。

 羽が細かく震えている。

 

 マリエの胸はきゅんとつぶれた。

 

「お腹空かない?」

 マリエが尋ねた。

「一週間は大丈夫だよ。大きなエドから栄養分をもらってるんだ」

「寒くはない?」

「少し寒い」

 リトル・エドがぷるっと羽根を震わせた。

 

 マリエはリトル・エドを自分の頭に乗せて、暖かい髪の毛でしっかり包み込んだ。

「リトル・エド、動いちゃだめよ」

 

 小さなエドに言い聞かして、マリエは乾いた薪をもう少し集めた。

 キャンプ地に戻ると、仲間もエドの子どもたちを連れて帰っていた。

 

 ペトロは小川の上を気持ちよさそうに低空飛行しているアナに出会った。

 エーヴァは楓の幹に止まって、美味しそうに樹液のシロップをなめているボブを見つけた。

 

 匠は鼻にぶつかってきたクレアを連れて帰ってきた。

 エドの小さな子ども達は、柔らかくて丈夫な森の葉っぱを使って、可愛い緑の服を作り上げて身につけていた。

 

 元気なボブが、ぶんぶん飛び回りながら、お喋りを始めた。

 

「僕たちはみんな虫に食べられそうになって、大きなエドの中に隠れていたんだよ。今日は僕たちの誕生日なんだ。そうだ、大きなエドがいなくなったから、子供四人で家族しようよ」

 

 ボブが緊急提案をした。

 

「それじゃ、僕がパパをするよ」

 リトル・エドが、偉そうに胸を膨らませた。

 

「私はママよ」

 アナが長い髪の毛をひっつめると、くるりと結わえて丸い束にした。

 

「僕は弟で、クレアが姉さん」

 元気なボブが細身のクレアに甘えたくて、勝手に宣言をした。

 

「エド・ファミリーだよ」

 ボブが先頭になって、四人は輪になって宙を舞った。

 

「大きなエドはどうしてるかな」

 リトル・エドが心配そうに空を見上げる。

 エドの子どもたちは、赤く染まり出した夕暮の空を見上げた。

 四人は、必死に涙をこらえた。

 

 座っていた裕大がいきなり立ち上がった。

「今から全員で大きなエドとお別れの式典を行う!」

 匠が号令をかけた。

「全員整列、出発!」

 

 裕大が森の外れの小さな広場に向かって先頭で歩く。

 エドの子どもたちが羽音をぶんぶんたてながら、裕大の背中に一直線に並んで付いて行く。

 

 子供たちの周りを生徒たちが守って歩いた。

 森の側の小さな広場に、白い布で包まれた長方形のプレートが立っていた。

 

「これ、大きなエドの記念碑。今から除幕式を始めるわよ。位置について!」

 咲良が指揮して、四人のエドの子供たちが羽音を立てて、記念碑を覆う布の四隅を下から持げた。

 

「一、二の三!」

 

 咲良のかけ声で、エドの子どもたちが空高く飛んだ。

 布は高く持ち上げられ、ふわりと横の地面に落ちた。

 

 記念碑が現れ、夕陽を反射して黄金色に輝く。

「うわーを!」

エドの子どもたちが歓声を上げて、碑の周りを囲んだ。

 

「若き勇者・大きなエド 地球歴2092年 ここ第三惑星テラに眠る」

 ボブが大きな声で彫り込まれた文字を読み上げた。

 

 マリエが碑の前に跪いて、お祈りの言葉を勇者に捧げる。

 エドの子どもたちは順番に大きなエドにお別れの挨拶をした。

 

 リトル・エドが代表で、生徒たちに記念碑のお礼を言って、大きなエドとのお別れの式典が終わった。

 森の影から、はぐれ親父がこっそり記念碑に手を合わせていた。

 

・・・キャンプのたき火を囲んで、暖かいお茶が入り、お喋りが弾んでいった。

 丸太で作ったテーブルの上に小さな平底のお皿が二つ置かれている。

 リトル・エドとアナ、ボブとクレアが仲よくお皿の縁に止まって、暖かくて甘いハーブテイーを美味しそうに飲んでいた。

 

 同じ頃・・・宇宙艇の操縦室では地球へ帰るルートの検討会が始まっていた。

 はぐれが勧める、めちゃくちゃ時間が稼げるが、かなり危険な最短ルートを取るか、パイロットのエーヴァ・パパが主張する、かなり安全だが数日はかかりそうなルートを取るか、議論が盛り上がっていた。

「燃料が残り少なくなっています」

ハル先生がナノコンから顔を上げて報告して、直ちに結論が出た。
 

・・・森の側で、裕大が薪をたき火に追加した。 

 リトル・エドはマリエの頭、アナはペトロの右の肩。

 ボブはエーヴァの耳の上、クレアは匠の鼻の上に止まった。

 

 エドの子供たちの落ち着く場所が決まって、お喋りが弾んでいった。

 

 裕太が口火を切った。

「ここには小さな虫しかいなくてよかったぜ。森に凶暴な奴らが潜んでたら、俺たち今頃、派手にドンパチやってたとこだよ」

 裕大が電子銃をぶっ放す格好をする。

 

 つづいて、リトル・エドが賢そうなセリフを吐いた。

「僕はあの凶暴な虫たちを恨まないことにしたよ。

 虫たちだって、僕らが来るまでは平和に暮らしてたんだと思うんだ。

 戦争の原因は、大きな僕たちがやってきて、虫たちを少しづつ食べ出したからだよ。

 凶暴にしたのは僕たちの方だと思うんだ」

 

「そりゃ甘いな!」

 匠がリトル・エドを挑発した。

 

「とにかくさ、食べ物がないのが戦争の始まりだよ。

 驚くなよ、地球も緑の第二惑星と同じだ。

 地球の食料なんかとうの昔になくなってるんだ!

 食べられる側の植物や動物たちが、俺たち人類への逆襲を始めたんだ。

 ゲノムの逆襲だってカレル先生が言ってたぞ。

 もう終わった話だけどな・・・食うか食われるかなら、地球もここといい勝負だ」

 

 ボブが口をとんがらかして、反論した。

「そりゃー、この勝負は僕たちの勝ちだよ。

 なんてったってここじゃ、小さくならないと生きていけないんだもの。

 大きなエドと仲間の科学者が昔、難しいこと話してたよ。

 僕たちの生き方、これって『共生』とかに近いって・・・。 

 爆発して胞子で繁殖するのは人類の植物化現象だって。

 僕たちそのたびに小さくなっていくんだ。

 もう消滅寸前だよ」

 

 ペトロが割って入った。

「でもさボブ、ここにはまだ緑が一杯あるじゃない。

 自慢するわけじゃないけどさ、僕たち地球じゃ、緑の森なんて見たこと無いよ。

 これ、匠の決めのセリフだけどさ 

 ”俺たち、実は既に絶滅してるのかもしれねーんだ”。

 どうだ僕たちの勝ちだ」

 
「結構いい勝負ね?」

 ママ・アナが判定に困った。

「引き分けってとこかな」

 咲良が結論を出した。

 

 ”バン!” 

 焚き火がいきなり弾けて、みんな跳び上がった。
   大笑いしてまたお茶を飲んだ。

 

「私たちって、友達だよね」

 細身のクレアが焚き火に向かって確かめるようにいった。

 

「そうよ、私たちみんな友達よ」

 エーヴァが答えた。

 

「僕たち、これでもまだ人類なの?」

 小さなボブが心配そうに聞く。

 

「ボブ、安心なさい! 私たちいつまでも人類よ。だからこうして家族とか友達とかしてるのよ」

 マリエが優しくボブに微笑む。

 

“ブーン!”

 ママ役のアナが息をいっぱい吸いこんで胸を膨らませると、ペトロの肩から空中に浮かび上がった。

 

“ブン、ブーン、ブーン!” 

ボブとクレアとパパ役のリトル・エドも、胸を膨らませて、空中に浮かぶ上がった。

 

エドの家族が空中に輪を描いて生徒たちの頭の上をブンブン飛び回った。

「全員で、家族になろうよ。儀式だよ。立ち上がって、整列だよ」

 

 小さなボブが呼びかけた。

 地球のみんなが立ち上がって、エドの家族の輪の下で横一列に並んだ。

 

 マリエが一歩前に出た。

「いまから全員を人類の家族とする。仲よく助け合って生きていけますように・・・神のご加護を!」
 

 マリエが宣言して、胸の前で十字を切る。

 みんなで復唱して、人類の守り神に祈った。

 

「遅くなっちゃった。そろそろ失礼して、新しい家族の家を作らなくっちゃ。さー、忙しくなるぞ!」

 リトル・エドが生徒たちにお別れの挨拶をしようとした。

 

「あら、ボブとクレアがいないわよ」

 ママ・アナがボブとクレアの姿が消えたことに気がついてあわてだした。

 

 二人はテーブルの下や、裏返したお皿の中や、近くの藪の中まで調べてみたがどこにもいない。

 
・・・騒ぎを聞きつけて、はぐれ親父がどこからか現れた。

 

 親父はエーヴァのジャケットの胸ポケットを指さして「だめだよ」と首を横に振った。

 ボブとクレアがエーヴァの胸ポケットから首を出した。

 

「見つかっちゃった。お別れね」

 二人が残念そうに声を合わせた。

 

「悔しいけど、これでお別れね」

 エーヴァがそっと二人にキスをした。

 

 それから、みんなでやさしく抱き合ってお別れをした。 

 小さな4人の家族は、生徒達にもう一度お礼をいって、小さな羽音と共に森の中に消えていった。
 

・・・ 翌朝早く、HAL号は森の上空で静止して、宇宙に飛び出す準備をしていた。

 昨日大きなエドの消えたあたりの空に、森や草原の方々から薄青い煙の様な物が立ち上ってきた。

 

 煙は漂いながら一つに集まって、なにかの形を作り始めた。

 朝日に照らされて、大きなエドが空に現れた。

 

 数百の小さなエドたちが空いっぱいに大きなエドを描き出していた。

 大きなエドが、笑って、宇宙艇に手を振った。

 

 生徒たちが歓声を上げて、窓から手を振った。

 HAL号は両翼を交互に上下して、エドの子供たちに別れの挨拶を済ませると、船首を宇宙に向け、エンジンを全開した。

 

 はぐれ親父が大声で宣言した。

「いまから地球に向けて帰還する! でっかいブラックホールをいくつかくぐり抜けるが、時空の歪曲は無視することにした。非常識航法で一気に時間を遡る。みんな、驚くな!うまくいけば学校到着はだ・・・なんと・・・出発した日の昼すぎになる・・・予定だ!」

 

「帰りも、なんだか凄そうだな」

 生徒たちが顔を見合わせて、首をすくめた。

 

 (つづく)

 

【記事は転載を禁じられています】

 

この世の果ての中学校 10章 生き残った少年エドと黒い絨毯の危機!

 21世紀の末、荒廃した地球に残された最後の人類、わずか六人の中学生が自分たちの未来を逞しく切り開いていく物語です。

 ブラックホールから外宇宙に食料を求めて、六人は異世界への旅に出ます。

 宇宙探査艇HAL号は「時空の歪み」を抜け、緑の第二惑星テラの大気圏に入りました。

 その惑星には、はぐれ親父が昔世話になった少年エドが、ただ一人、生き残っていたのです。

 エドはナイフを手にして山の頂に立ち、黒い絨毯のような無数の昆虫たちに取り囲まれていました。

 

 前回のストーリーは、ここからどうぞお読みください。

この世の果ての中学校 9章 緑の小惑星テラ 誕生の謎

 

10章  生き残った少年エドと黒い絨毯の危機!

 

 エドは緑の丘陵の頂に佇んで、午後の日差しを浴びながら、碧く澄み切った空を見上げていた。

 今日は、虫たちは朝早く僕の様子を見に来て、何事もないと分かると深い森の大きな木の祠に帰っていった。

 

 僕の身体は大きいからまだまだ虫たちには負けない。

 それでも気をつけないと奴らはこっそりと身体の中に入り込む。

 

 仲良しのアナは、森を出て川に続く下り坂で転んだところをやられた。

 知らないうちに長い細い針で虫の子供を植え付けられていた。

 

 小さなボブは虫たちと勇敢に戦ったが、無数の虫たちに内部に入り込まれて、中から守りを破られた。

 クレアは弱っていたところを鋭い口を差し込まれて、血液を吸い取られてしまった。
 

 ついに仲間は誰一人いなくなった。

 それでも僕はみんなから引き継いだ肉体と魂のおかげで、十分に大きく、逞しくなって今日まで生き残ってきた。

 

 僕は虫たちにやられるわけにはいかない。

 僕の体の中にはアナもボブもクレアも、一族の魂がいっぱい生き続けているからだ。

 

  まだまだ「爆発」するのは我慢しなければならない。

 僕の中にいる小さなアナや、小さなボブや、小さなクレアを、少しでも成長させてからでないと、危なくてこの惑星に送り出せない。

 

 この森は食べ物は少ないけれども、平和だった。

 しかしいつの頃からか、虫たちが僕たち人間を狙うようになった。

 

 虫たちは古い朽ちた樹木や、甘い樹液や、葉っぱを食べ、花の季節には大好きな蜜を吸って暮らしていた。

 それがお互いを食べ合うようになってから少しずつ凶暴になった。

 

 いまでは虫たちが、僕たち人間を襲って来る。

 それも役割を分担して、一軍となってだ。

 

 またあの嫌な音が聞こえる。

 がさごそと虫たちが近づいてくる。

 

 偵察役の先兵が、どこか近くに隠れて僕の動きを探っている。

 

「お前たちに渡してたまるか!今爆発したら子ども達はみんな奴らの巣に連れて行かれる」

 

 エドは多目的ナイフを取り出すと、鞘を捨てて立ち上がった。

 最後の戦いに備えて、使い込んだ武器のナイフを両手で構えた。

 

 空を見上げる少年の目には絶望が浮かんでいた。

 碧い空に銀色の光が一筋現れて、細い円周軌道を描いて走った。
 

 「もしかするとあれは希望かな」

・・・違う、きっと僕の涙だ。今に消えてなくなる・・・

 

 

 宇宙探査艇はHAL号は、太陽の光線を反射して銀色に輝きながら、緑の峰々の上空をゆっくりと旋回していた。

 生徒たちは宇宙艇の両側の窓に分かれて、上空から惑星の地表を眺めた。

 

 第一惑星の切り立った山々とは違って、第二惑星は、丘陵がなだらかに続いている。

 昔の平和な地球がこの惑星で生き続けているように見える。 

 生徒たちは、はぐれ親父を助けたというエド一族の気配を探した。

 草原の小さな住居や、立ち上がる白い煙、森の中の小さな道や、林を焼いて作った畑など・・・はぐれ親父の話に出てきた風景や人影はどこにもない。

 

 生徒達が探すのを諦めかけた頃、裕大の叫ぶ声が操縦室の沈黙を破った。

「左前方の山頂に人影が一つ見えます!」

 

 はぐれ親父が副操縦士の席から飛び出して、裕大の覗く窓に走る。

 裕大の指さす先、緑の山の頂上付近に、身構えて立つ少年の姿が見えた。

 

「裕大! あの人影、エドに似てる!」

 裕大の頭を叩いて喜んだ親父の顔が、急に引き締まった。

 

・・・ちょっと待て、山の頂上にたった一人で身構えて、あいつ、一体なにしてるんだ? どこかに敵でも・・・ 

 見えない相手に構えて立つおかしな姿勢に気がついたはぐれ親父がパイロットのエーヴァ・パパに向かって叫んだ。

 

「旋回を頼む! 左前方の山頂に接近して、上空で船を静止させてくれ」

 はぐれ親父は副操縦士席に戻り、操作パネルを使って船外カメラを山頂に向けた。

 スクリーンの中から、ナイフを構える少年の先に細く黒い線が見える。

「あの黒いすじみたいなものはなんだ」

 少年の周りに黒い絨毯のようなものが拡がり、それは頂上から何本かの細い条に別れ、川の流れのように山の麓にまで達していた。

 はぐれ親父はうなり声を上げて、スクリーンの映像をズーム・アップした。

 

 パイロット席からエーヴァ・パパが呻いた。

「おい親父!あれ動いてるぞ」

 

 はぐれ親父の目が画面に釘付けになる。

 たしかに黒い絨毯は、細かく蠢(うごめ)いていた。

 

「あれは虫の群れじゃないか?」

 はぐれ親父の身体がシートから跳び上がった。

 

 小年は無数の虫に取り囲まれている。

 少年が立つ山は、頂上から麓まで小さな虫に覆われていた。

 

「全員、直ちに戦闘準備だ!」

 裕太、匠、ペトロの三人は電子銃を迷彩服のベルトに装着して戦闘態勢に入る。

 

 エーヴァ・パパの操縦する宇宙艇は静かに頂上に近づき、少年の頭上で静止した。

 

 はぐれ親父は、攻撃用の放射光線銃を立ち上げ、銃砲を艇先に突き出して、パイロットに頼んだ。

「エーヴァ・パパ! そのまま少年の上で、ゆ~っくり一回転してくれ!」

そういって、親父は放射光の照準を少年を取り囲む黒い絨毯に合わせる。

 

 ・・・少年は、頂上で立ち尽くしていた。

 まわりの がさごその音がすぐ側までやって来た。

 

 「もう待ちきれなくなって、僕に爆発を強制しに来たんだ。僕は虫たちに取り囲まれてしまった」

 

 そのうえ、頭の上に大きな影が現れ、ブーンと低い音で唸った。

「太陽の光と僕の涙で、かすんでよく見えないけど、こいつはとんでもなくでかい奴だ」

 

 少年は覚悟を決め、ナイフを両手で握りしめた。

 銀色に輝くそいつは頭の上でぐるりと一回転した。

 

「来るなら来てみろ!」

 少年はナイフを空に向かって突き上げた。

 そいつは口から白く輝く光を放射した。

 

 気がついたら、まわりの草むらにきれいなこげ茶色の焼け跡ができた。

 そいつは銀色の羽根を一振りして少年に合図をした。

 

 まるで少年に挨拶するようにだ。

 

 それから、大きく向きを変え、丘陵を斜めに回転しながら降下して、白い光線で丘の斜面を焼き尽くしていった。

 

 なにかが焼け焦げる嫌な匂いが立ちこめて、虫たちの気配が消えていった。

 

・・・黒いすじを焼き尽くしたHAL号は、麓から上昇して頂上に戻り、焼け焦げた地面に着陸した。

 HAL号の外部ドアが音を立てて開き、大きな男が飛び出してくる。

 男は、呆然と立ち尽くしている少年に駆け寄った。

 

 「大丈夫か?俺ははぐれだ!」 

 少年は男の顔を、確かめるように見つめた。

 遠い記憶が蘇ってきて、少年の顔が歓びで弾けた。

 

・・・この人は、昔、空を飛ぶ小さな一人乗りの乗り物でやってきた男だ。

 全身から血を流しながら乗り物から下りてきて、僕に「助けてくれ」と叫んだまま、意識を失って倒れた。

薬草で手当をすると、一日で意識が戻り、水を飲ませ、食料を食べさせると、たった三日で元気になった・・・

 

「エドか?」男が少年に聞いた。

「はい!エドです」と少年が弾ける声で答える。

 

「もう安全だ!悪いやつらはやっけた!」

 男は大きな手をエドの肩にやさしく置いて言った。

「その節は大変世話になった」

 

 エドは虫たちの攻撃から助けられたことに気づくと、地面に座り込んだ。

 嬉しくて泣き出してしまった。

 

「安心しろ、もう大丈夫だ」

 はぐれの大きな身体が、エドを抱きしめる。

 

 エドは手の中に握りしめていた大ぶりのナイフを男に手渡した。

 そのナイフは、元気になった男がここから去って行くときに、介抱のお礼にくれた物だった。

「あれからずっと愛用してます」とエドが報告する。

 

 はぐれは、少年が使い込んだナイフを手にとって、懐かしそうに眺めた。

 地面に落ちている鞘に気がついて拾い上げ、ナイフを収めてエドに返した。

 

 それから、エドに聞いた。

 「他の仲間はどこへ行った?」

 エドは言葉が出てこなくて、無言で首を横に振る。

 

 はぐれはそれ以上なにも聞かず、銀色の乗り物に向かって合図の手を振った。

 宇宙艇から、三人の少年が手に武器を持って駆けだしてきた。

 

 三人はエドに頷いてから、はぐれの前に整列した。

 はぐれが丘の斜面を調べるように指示をすると、三人は焼け焦げた草むらを調べながら、麓に向かって下っていった。

 

 はぐれはエドを座らせ、横に並んで腰を下ろす。

 エドは仲間の話を始めようとしたが、喉が詰まって言葉が出てこない。

「エド、息を整えろ!話は落ち着いてから、ゆっくり聞かせてもらう」 

 

 親父の声は低く、優しかった。 

 エドは嬉しかった。

 あの憎らしい虫の群れをやっつけてくれたはぐれがとても頼もしく見えた。

 

 数十分が経ち、二人の少年が息を切らせて戻って来た。

「小さな虫の死骸が山ほど残っていました。大きな虫は逃げていったようです。まだ近くに隠れているかも知れません」
 

 三人目の大柄な少年が少し遅れて帰ってきた。

「下の森にはもっとでかい奴が潜んで、僕の様子を窺っていました。どうも僕たちは彼らに監視されているようです」

 

 はぐれの顔色が変わった。

「ここは危険だ。全員、HAL号に戻るぞ!」

 エドに付いてくるように言って、早足で宇宙艇に向かう。

「裕大だ!」

「匠だ!」

「ペトロだ!」

 少年たちが駆けながら、エドに声をかける。

 

「ありがとう。エドだ!」

 元気な仲間に会うのは久しぶりで、エドは気持ちが弾んだ。

 

 宇宙艇のデッキで、エーヴァ・パパとカレル教授が一行を待ち構えていた。 

 

「エド、こちらだ」

 閉じられたハッチの金属音を背後に確認しながら、裕大がエドをキャビンに案内した。

 クルーの全員がキャビンに集まっていた。

 

・・・

「ハーブ・テイーですよ」

 ハル先生が熱いアップル・テイーに甘いステピアを少量とミントを加えたお茶を、大きなカップに入れて運んできた。

 

「エドね、私はハルよ。慌てずにゆっくりとお飲みなさいね」 

 エドはハル先生に一言お礼を言ってから、カップを受け取り、少しずつ喉に通していった。

 

 甘くて、鼻を射す刺激的な香りで一気にエドの力が戻ってきた。 

 落ち着きを取り戻したエドから「爆発」の兆候がすこしずつ遠のいていった。 

 

 乗組員が集合してエドを取り囲んだ。

 鮮やかな制服をきた少女が順番に挨拶してくれた。

 

「咲良よ」

「エーヴァよ」

「マリエだぞ」

 

それからはぐれ親父がクルーを紹介した。

「ハル先生にベテラン・パイロットのエーヴァ・パパだ。 

 こちら団長のカレル教授だ。

 それに俺を入れた十人で乗組員全員だ。

 エドの故郷、地球からの宇宙調査隊だ」 

 

 エドが立ち上がって、虫の群れの攻撃から命を助けてもらったお礼を言った。

 少年の言葉は地球の北米の言葉だった。

 

「僕の名前はエドです。こんな格好で失礼します」

 植物の繊維で縫い上げたエドの上着とズボンは、方々が擦り切れて、血のこびりついた膝と右の腕が露出していた。

 

 はぐれがエドの肩に手を置いて、みんなに紹介をした。

「この少年が、昔、死にかけていた俺を介抱して、生き返らせてくれた恩人のエドだよ。エド、早速だが、いまの状況を俺たちに聞かせてくれないか?」

 

・・・座ってゆっくり話してくれ。はぐれが優しく促した。

 

「僕はこの惑星に残された最後の人間です。地球からやってきた移住民の末裔です」

 エドは椅子に座り、考えをまとめながら話し始めた。

 

・・・いま僕は大きな問題を抱えています。

 数時間後には僕は間違いなく爆発の時を迎えます。

 それは最後まで生き残った者の宿命なのです。

 爆発が起こると、僕の身体は飛び散り、預かっている仲間の魂が、無数の子供たちとなって生まれ落ちて、新しい未来に向かって飛び立って行きます。

 でも、僕はこのあたりの山の中で爆発するわけにはいきません。

 あいつらが、腹を空かせた虫たちが、山にまだまだ、うじゃうじゃいて、僕の小さな子供たちが生まれ出るのを待ち構えているからです・・・
 

 エドは上を向いて、悔し涙を必死にこらえた。

 キャビンを沈黙が流れた。

 間もなくエドから生まれ出る新しい命の運命を知って、全員が息をのんだ。 

 

 ハル先生がナノコンを取り出して、カタカタと計算を始めた。

 

 間もなく答えがでた。

「宇宙艇で数時間の中に昆虫を壊滅出来る確率、3%以下。そのときのエドの子供たちの初期生存確率、1%以下。ただしこの惑星の緑も同時に破壊し尽くさねばならない」
 

 ナノコンが先生の膝の上から滑り落ちた。

 エドには逃げ場がなかった。

 

 パイロットのエーヴァ・パパが思いついて、エドに尋ねた。

「ここから数時間で行ける安全なところがあるぞ。エド、直ちに第一惑星テラに向かうというのはどうだ? 食糧事情はさらに悪そうだが、外敵はいないぞ」

 

エドが即座に答えた。

・・・第一惑星には、歪みを抜けないと到達できないはずです。途中であの空間を通り抜けるのは、今の僕にはとても無理です。歪みの中で爆発が起ってしまいます。

 それより、この惑星の裏側の方が少しは、ましかもしれません。裏側はここと違って荒れ地ばかりですが、そのせいで虫はほとんど棲息していません。

 子供たちが生きていける環境ではありませんが、頑張ってくれれば、ここよりは生存の可能性があります。

 いまの僕に思いつけるのは、この宇宙探査艇で惑星の裏側に送り込んで頂くことぐらいです・・・

「無念です!」といって、エドは沈鬱な面持ちで黙り込んだ。

 

 咲良とエーヴァとマリエが、顔を寄せて相談を始めた。

「エド、この宇宙艇で爆発をして、そのあとは私たちがあなたの子供たちを地球に連れ帰って育てるというのはどうかしら」

 咲良が真剣な表情でエドに尋ねた。

 

「咲良、嬉しい話ですが、とても無理です。子供たちは植物の胞子と同じで、爆発のあと風で運ばれて、できるだけ遠くの緑の中に落ちていく様にプログラムされています。数百人の子供たちがこの宇宙艇で散らばったら収拾不可能です」

 

 眼を閉じて考え込んでいたはぐれ親父が、目を見開いてシートから飛びあがった。

「第三惑星テラだ!」

 

 続きを親父が話し出す前にエドが遮った。

「第3惑星テラはこの惑星からも観測できますが、この星の裏側と同じで、赤茶けた荒れ地ばかりですよ」

 

「違うぞ、エド!お前に助けられた後、俺はここから地球に向かった。

 来た方向とは逆のルートを取ったら、もう一つの惑星を見つけた。

 荒れ果てた惑星だと思ったが、向こう側に回ると緑がいっぱいだった。

 この惑星と形状が逆さまなんだよ。

 おそらく元は一つの小惑星だったんだろう。

 あそこなら歪曲なしで、二時間もあれば到着できる。

 エドの子供たちが生きていける環境であることを祈って、思い切って賭けてみる値打ちはあると思うが、どうだ?」

 

 エドの表情がパッと輝いて、椅子から跳び上がった。

「親父、やってみます!」

 

「発進だ! 全員シート・ベルトだ!」

 はぐれ親父が大声で叫んだ。

 

 エーヴァ・パパが直ちに操縦席に滑り込んで、宇宙艇を急発進させた。

 HSAL号は山を離れ、轟音と共に宇宙に向かった。

 

・・・エドは遠ざかる故郷の星を複雑な気持ちで眺めている。

 エドの中のたくさんの魂がそれぞれの記憶を囁き合っている。

 昔、僕たちは、緑を失った地球を後にして最後の難民宇宙船に乗った。

 

 人間の住める環境を探し求めて銀河系宇宙を彷徨ったけれども、地球みたいに水と緑に恵まれた惑星はどこにもなかった。

 僕たちは永い旅路の果てに、おかしなところにたどり着いた。

 そこへ近づくにつれて、宇宙船がおかしな形に歪み始めたんだ。

 そのうち僕たちの身体もまともじゃなくなった。

 

 エドという名前のパイロットが、恐ろしい提案をした。

 

・・・ここから向こうは空間が歪んでいて、生命体は存在することが許されないかも知れない。

 しかしだ、これはもしかしたら神様から頂いた最後のチャンスかもしれない。

 どうせ食料も、帰るところもない俺たちだ。

 歪曲空間に突入して、向こうに何があるのか試してみたいと思うのだがどうだろうか・・・

 

 多分、もうすでにみんなの頭は歪み始めてたんだと思う。

 ゲラゲラ笑いこけていた小さなボブが「やっちゃえ!」と最初に賛成した。

 女の子のアナとクレアが澄まし顔で「突入して早く楽になりましょうよ」と言い放った。

 大人たちはもう反対する気力がなかった。

 

「やっちまえ!」

 エドが奇声を上げながら、宇宙船を一直線に歪曲空間に突入させていった。

 宇宙船も、キャビンも、シートも、みんなの身体も、頭の中も、グルグル廻って、ばらばらに飛び散った。

 気が付いたら、僕たちは宇宙の外に飛び出していたんだ。

 

 そして奇跡が起こった。

 最初に緑の第一惑星を見つけたが、そこには先住民の恐ろしくでかい巨人が住んでいた。

 第一惑星を諦めた僕たちは、もっと凄い歪曲空間を通り抜けて、緑の第二惑星を発見した。

 そこは豊かとはとても言えない厳しい環境だったけれども、僕たちは全員そこで新しい生活を切り開こうと決めた。

 

 「僕たちはどの惑星で暮らしたら、一番幸せになれたのかな。地球かな、それともテラ1かなテラ2の荒れ地かな・・・」  エドの中でボブの声がした。

 

 「いやこれから行くテラ3に決まってる。きっと幸せになれるさ!」 

 エドが力強く言い切った。

 

 「でも、幸せってどんなものだったのかな。ずいぶん昔のことで、とても思い出せないよ」

 ボブやクレアがささやき合った。

 

・・・

 第三惑星テラがHA号の操縦席の前面スクリーンに姿を現した。

 正面の茶色の荒れ地を避けて裏側に回ると、そこは緑の山と青い川と豊かな草原でできていた。

 

 ハル先生が監視カメラで惑星の大気を少量切り取って、分析をした。

「朗報です。大気の状態は良好。環境は第二惑星と酷似。人類の生存可能です」

 

「うわおー!」

 エドがはぐれ親父の髪の毛を両手でぐちゃぐちゃにかき回した。

 

HAL号が地上に着陸すると、窓際に立っているエドを女生徒たちが取り囲んだ。

「爆発したらエドはどうなるの」咲良が聞いた。

「僕は消滅する」

 

「どこへ消えるの」エーヴァが尋ねた。

「空だと思う。僕は消えるけれど、小さな僕らがいっぱい生まれる」

 

「小さな僕らとはいつか会える?」マリエが聞いた。

「小さな僕らとはすぐに会える」エドが答えた。

 

「ほんと?どこで会える?」

「この惑星の森の中で」

 

・・・

「着陸するぞ。エド、出発準備だ」

 はぐれ親父がエドの背中に向かって怒鳴った。

 

「もう行かなくっちゃ」

慌てたエドに、 咲良とエーヴァとマリエがほっぺたにお別れのキスをした。

 

「驚いた。食べられるかと思った」

 エドがおどけて緑の目を大きくまばたいた。

 

・・・宇宙艇のデッキから、エドが草原に飛び降りた。

 エドは冷たい空気を胸に吸い込み、確かめるように何度か大地を踏みしめた。

 

 準備が終わると、エドは頭を下げ、顎をぐいと引いた。

 そして前方に広がる深い森に向かって、全速力で走りだした。

 

 はぐれが併走して、裕大と匠とペトロが後に続いた。

 森が近づくとエドは一段とスピードを上げた。

 

 エドと、その後を追う四人との距離が一気に開いていった。

 (続く)

 

続きはここからどうぞお読みください。

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【記事は無断天才を禁じられています】

この世の果ての中学校 9章 緑の小惑星テラ 誕生の謎

21世紀の末、生命の姿はどこにもなく荒廃した地球。

東京の一角に造られた閉鎖空間・巨大ドームで暮らす最後の人類、六人の中学生が逞しく生きていく物語です。

彼らは食料を求めて、宇宙探査艇HAL号で宇宙の旅に出ました。

 

宇宙の果てを突き抜けてたどり着いたところは、地球によく似た緑の小惑星。

そこに住む小さな森の家族はなぜかアマゾンの奥地の原住民の言葉を話しています。

しかし、その生活環境は荒廃した地球以上に過酷でした。

 

森の家族と小惑星はいったいどこから来たのか?

惑星テラ誕生の謎は解き明かされるのでしょうか?

 

前回のストーリーはここからどうぞ。

「この世の果ての中学校 8章 マーが森の家族の秘密を話した!」

 

  9章 緑の小惑星テラ誕生の謎

 

 森の家族の姿が消えると、はぐれ親父がみんなを呼び集めた。

「みんな今日はよくやった。この親父も感動したよ。それでだ・・・俺たちも森の家族に見習って今夜はここで野営することに決めた。火をおこして川の水で飯を炊くから、みんなで薪を集めてくれるかな・・・」

 

 はぐれ親父の指示で、生徒たちは川岸を歩いて乾いた流木を集め、焚火の準備をした。  

 焚火が勢いよく燃え上がると、マリエはみんなから離れて、川岸の大きな岩に腰を掛け、森に沈んでいく真っ赤な夕陽に向かって祈りを捧げる。

 

 ペトロが近づいていって、マリエの横に腰掛けた。 

「なにお祈りしてるの?」

 

 マリエが夕陽を指さした。

「ほらあれ見て、ペトロ! 夕陽が歪みに入っていくわよ。太陽の神様は、暖かい光をみんなに分け与えて命を育て、長い一日のお仕事が終わったら、あそこの歪みの中でゆっくりお休みになるの」

 

  ペトロは額に手をかざして夕陽を眺めたが、神様らしいお顔も、歪みらしいものも、何にも見えなかった。

 

 最後に夕陽が大きくふくれあがって、森の中に半分消えた。 

 ペトロは慌てて半分になった神様にお祈りをした。

 
 非常食のおかずと、飯ごうで炊きあげた熱々ご飯を食べ終えたころ、ほの暗くなった森から黒い影が二つ現れて、たき火のそばに近づいてきた。

 エーヴァが小さな足音に気が付いて振り返ると、黒い影が緑に変わり、クプシとカーナが姿を現した。

 

「先ほどもらった食料だけど、さっそく夕飯に頂いたわよ。とってもおいしかった。で、これほんの御礼の気持ち」

 そう言って、カーナがエーヴァに小さな果物の実を8つ手渡した。

 

 エーヴァがお礼を言うと、クプシが小声で囁いた。

「よく見て、よく聞いててよ、お土産に葉隠れの術を教えてあげるね」

 

 二人は背中から大きな葉っぱを取り出して、帽子の形に折り曲げ、チョンと頭に載せた。

 一言呪文を唱えると、二人は一瞬に黒い影に戻り、サッと身を翻して森の闇に消えていった。

 

 二人の消えたあとに、小さな可愛い葉っぱの帽子が二つ残されている。

 お土産の帽子はエーヴァや咲良には小さすぎて、ペトロとマリエの頭にぴたりと収まった。

 

 エーヴァが、8個の小さな黒い果実を生徒6人とはぐれ親父、ハル先生に一つずつ配った。

 みんなは果物の固い皮をむいて、取り出した果肉をゆっくり味わいながら食べた。

 

 果肉は少し酸っぱくて、ツンと頭に響いた。

 そのうち甘い食感が口中に拡がって、とても美味しかった。

 

「貴重な食料なのに、私たちにもお裾分けしてくれたのね」

 咲良がうるうる声で言った。

 

 ハル先生が黒い実を丁寧にハンカチに包むと、匠をそばに呼んだ。

「匠、この果実だけど、宇宙艇のカレル先生に急いで届けてくれないかしら?」

 

「代わりに、カレル先生に食べてもらうの?」

「違うの、すぐに分析器にかけて、調べてもらって下さい。もしかするとこの惑星の秘密が隠されているかも知れないから」

 

・・・この惑星の秘密だって?・・・

 好奇心がわき上がった匠は、ハル先生から黒い実を包んだハンカチを受け取ると、ポケットにしっかり収めて、暗闇を一気に走った。

 

 匠はあっという間に川を渡って、宇宙艇のデッキに駆け込んでいった。

 匠が野営地に舞い戻ってしばらくすると、ハル先生のナノコンからカレル教授の興奮した声がみんなの耳に届いた。

 

「ハル先生、驚かないでくださいよ。遺伝子鑑定の結果が出ました。これは地球のアマゾンの奥地に自生していた樹木の果実です。他の地域にはない稀少種ですよ」

 

 カレル教授の声が、一オクターブ高くなった。

「ハル先生!この惑星の植物層は、消え去った地球のアマゾンのもののようです」

 

「なんだよ! やっぱりそうだったのか。これだけ苦労して宇宙船でやってきたのに、ここは地球のアマゾンだったのかよ!」

 裕大がとぼける。

 咲良が裕大の頭をゴンと叩いた。

「冗談言ってる場合じゃないわよ。カレル先生はアマゾンの奥地がここへやってきたのかもしれないと言ってるのよ。もしかしたら、ここは宇宙を飛び越えてきた大アマゾン川の奥地なのよ」

「咲良、見事な回答だ。この果実がその証拠物件だよ。この星は地球から分離した小惑星テラだ。森の家族はアマゾンの原住民つまり巨人の末裔だ。巨人は生き残るために、共生と爆発を繰り返して小さくなったんだよ」

 
「教授、その結論、ちょっと待ってくれ」

 横からはぐれ親父が割り込んできた。

「カレル教授。その話矛盾してるぞ。それじゃ、俺が前にここで出会ったでっかい巨人はアマゾンからやってきたというのかね。奴らは俺の背丈のたっぷり十倍はあったぞ。教授、あんなでかい巨人が昔地球のアマゾンにいたとおっしゃるのかね!」

 

 カレル教授が静かに答えた。
「どうでしょう、こういう考えは・・・アマゾンの森の住人が宇宙に飛び出してから、親父さんと遭遇するまでの間に、親父さんの背丈が1/10に縮んだというのは」

 

「なんやと? 俺様がいつ縮んだんや・・」

 はぐれ親父が目をむいて怒り出した。

 

 慌てて教授が訂正した。

「それでは言い換えましょう。親父さんの身体だけが縮んだといってるんじゃなくて、ブラックホールのシンギュラリティ、つまり空間の歪みを通過した物体はすべてが縮小したり膨張したりするのじゃないかと・・・。前回の親父さんも気がつかないうちにあの歪みにやられて縮小したのかもしれないですぞ」

 

 カレル教授は、歪みを通過したときに、見事に形が歪んでしまった愛用のハットを、悔しそうに両手でつかみ直して、ぐいと頭を押し込んで、話を続けた。

 

「あの歪んだ空間が、通過する物体の形や、人間の意識や、時間さえも自由に弄んでいるという不可解な出来事に比べれば、この程度の矮小化は不思議でもなんともない。ごく小さな出来事だと思うのですが。でも、この話がお気に召さなければこう言い換えてもいいのですよ。

親父さんが縮んだのじゃなくて、アマゾンが歪みの中を飛んだとき、アマゾン全部がずんと10倍に膨張して巨人を作ったのだと。どちらでも同じことですが」

 

・・・あっ!こらあかん! 重症や。教授のおつむ、どっかへ突き抜けてもうとる・・・

 はぐれ親父はこれ以上カレル教授に逆らわないことにした。

「了解しました。教授。私はたしかに縮みました。立派に縮みましたよ」

 

 しかし、教授はしつこく話を続ける。

 

「親父さん、自分が縮小したことをまだ信じられないようなら最後に一言付け加えましょう。

みんなが食べた果実。あれは記録によればアマゾンのものに比べて10倍の大きさなのです。

前の森のデカい木立をよく見てください! アマゾンの木の10倍はあるはずだ」

 

 はぐれ親父は教授との会話を諦め、腰を上げるとあらためて薄暗くなってきた森を眺めた。

 森に近づいて確かめると、教授の言うとおり森の木は見上げるような巨木ばかりだった。

 

「えらいこっちゃ!教授の頭は正常のようだ」

  親父は頭を一振りすると、火の勢いが弱まってきた焚き火に大きな流木を一本加え、六人の生徒を前に翌日の計画を話した。

 

「明日は緑の第二惑星、テラ2に向かう。目的地まで二時間半の短いフライトだが、途中できっと、凄い発見に出会える筈だ。昨日よりさらにでかい歪みがあって、こいつはもう蓋を開けてのお楽しみ。明日に備えてぐっすり休んでくれ」

 

 生徒たちは、親父の話が終わる頃には焚き火のまわりで、深い眠りについていた。

 はぐれ親父と夜も眠らないハル先生が、朝まで交替で見張り番に付いた。

 

・・・歪みが私の大事な生徒達を宇宙船・ハル号丸ごと縮小させたかも、ですって? また誰かが宇宙のルールを変えたのかしら・・・

 ハル先生は歪みの中で自分の顔を真っ赤な光で射し貫いた、赤い顔の男を思い出していた。

 

・・・あんな失礼な男に負けてたまるかっての!・・・

 ハル先生は自らのボデイーである量子ナノコンを膝の上に置いて、コトコトと音を立て、宇宙の方程式の完成を目指して計算を続けた。

 

 
 翌日早朝に、はぐれ親父とハル先生に引率されて生徒たちが宇宙艇に戻ってきた。

 生徒たちは森の家族のために、野営地に自分たちの食料を少しずつ置いていこうと話し合ったが、はぐれ親父に厳しくたしなめられた。

 

「俺が昨日食料を差し出したのは緊張した事態を和らげるためだ。俺たちはこの星の住人ではない。単なる訪問者だ。この星には群れの家族達が数百人は暮らしているようだ。責任のない一過性の親切など何の役にも立たない。宇宙の旅の基本ルールだ。我慢しなさい」

 

 HAL号は宇宙に飛び出す前に、森の上でしばらくの間、騒々しい音を立ててホバリングをした。

 それは森の家族への別れの挨拶だった。

 

 森に動きが無いか、全員が宇宙艇の窓から眺めたが、群れの家族たちはどこにも姿を見せなかった。

「きっとまだ寝ているんだ。朝寝坊の家族なんだよ」

 

 ペトロが見えない森の家族に心を残して、窓から一人手を振った。

 HAL号は数回森の上を旋回してから、角度を上方に変え、一気に宇宙に向けて出発した。

 

 森の小さな家でファーとマーの間で眠りこんでいたクプシが、ホバリングの音に気が付いて目覚めた。

 クプシは家から外に飛び出して空を見上げた。

 

 朝の木漏れ日の中に、銀色の乗り物がみえた。

 乗り物の丸い窓にチカッと小さな人影が映った。

 

 クプシは必死で手を振った。

 ペトロらしい人影がクプシに気が付いたのか、窓から大きく手を振ってくれた。

 

 30分後、宇宙艇ハル号に非常事態のベルが鳴り響いて、はぐれ親父が生徒全員をキャビン後方に呼び集めた。

「今度の歪みは少しきついぞ。何が起こっても泣くんじゃない。俺の真似をしてシートにしっかり沈み込め。ベルトを締めて、シートから離れるな。お前達、俺様の変身をよ~く見ておけ。はぐれのお絵かき教室だ。いいか、作品の正体が分かったら大声を上げて答えろ!」

 

 はぐれ親父がシートを逆向きにして、生徒達と向かい合った。

 次に、シートの形を自分の体型に変形させて潜り込んだ。

 

 生徒達もはぐれの真似をして、身体をフィットさせながらシートに深く沈み込んでいく。

 

 空間の歪みは静かにやって来た。

 宇宙艇に侵入してきた膨大なエネルギーが生徒達の身体を内側から侵食していく。

 

 エーヴァと匠の脳髄がぐにゃりと変形して頭を抜け出し、ぷかぷかと空間に漂い出した。

 二人の意識が錯乱して交錯し、妄想となった。

 

「匠の脳みそ、フルーツポンチ!」

 エーヴァがからかった。

 

「エーヴァのブレーン、ところてん!」

 匠がやり返した。

 

 はぐれがにやりと笑って、変身を開始した。

 その顔は細長く歪み始めた。

 

 斜めに顔を傾けた若い女性。

 その目は青く塗りつぶされて、大事な人を失った喪失感が漂い、悲しく見える。

 

「モジリアーニの奥様!」

 マリエと咲良とエーヴァが叫んだ。

 

 はぐれの顔が黒く小さくなって、口が大きく縦に開いた。

 その顔はなにかに怯えて叫んだ。

 

 自分の悲鳴を聞きたくないのか、両手が耳を塞いだ。

「ムンクの『叫び』」匠と裕大とペトロが叫んだ。

 

 歪みに引き裂かれたはぐれの肉体が崩壊していく。

 親父の身体は椅子の部品と共に、細かく散らばって、空間に浮遊した。

 

 困った親父は両手で散逸した自分の身体をかき集めた。

 顔にひげを付けてピョンと先っぽを跳ね上げた。

 

 シートの背中が時計になって、半分がぐにゃりと歪んで生徒にお辞儀をした。

 散らばったパーツが四角い帆布のキャンバスに吸い込まれて、乱雑な構図を作り上げた。

 

「ダ~リ!」

 六人の生徒たちが足を踏みならして、一斉に叫んだ。

 

 はぐれ親父の目の前では、六人の生徒たちの肉体が七色に輝く断片となって砕け、空間を浮遊していた。

 親父は生徒の魂まで歪んで壊れてしまわないように、自作自演の名画展で笑わせることで、生徒たちの意識を現実につなぎ止めていたのだった。

 

 いきなり時空の嵐は去り、宇宙艇に静けさが戻った。

「ショータイム。ジ・エンドだ!」

 

 はぐれ親父がシート・ベルトを外して、勢いよく立ち上がった。

 宇宙艇の前方スクリーンには第二惑星テラが姿を現していた。

 

 降り注ぐ太陽の光線を厚い空気の層がはね返して、惑星は深い碧色に包まれている。

 はぐれ親父がまぶしそうに目を細めた。

 

「数年前のことだ。俺は第一惑星テラの巨人の手を逃れ、命がけでこの星にたどり着いた。

 途中、地獄の歪みを一人乗りのスペース・モバイルで耐えた。

 むかしの楽しかった記憶を引っ張り出して、頭がおかしくなるのを防いだ。

 漂着したこの惑星には巨人は一人もいなくて、俺と同じ背丈の種族が棲息していた。

 エドという少年が傷だらけの俺をみつけて手当てをしてくれたんだ。

 俺はここで数日を過ごして、元気を取り戻したんだよ。

 エドには本当に世話になった」
 

 そう言って、はぐれ親父は近づいてくる緑の山々を懐かしそうに見つめた。 

 

(続く)

続きはここからどうぞお読みください。

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《記事は無断転載を禁じられています》

この世の果ての中学校 8章 マーが森の家族の秘密を話した!

 地球に残された六人の中学生が食料を求めて、ハル先生達と宇宙の旅に出ました。

 緑の惑星でハル先生を襲った森の家族のファーとマーは、裕大と匠の電子銃で撃たれて倒れます。

 ファーとマーはなぜハル先生の姿を擬態して襲ったのか?

 この章で森の家族の恐ろしい秘密が明らかにされます。

 

前回の話はここからどうぞ。

この世の果ての中学校  7章  ハル先生が森の家族に食べられた!

 

8章 マーが森の家族の秘密を話した!

 

お話しなければならないことがあります

 そう言って、 マーは自分たちの境遇を静かに話し始めた。
 

・・・この惑星には緑の山ときれいな川があります。私たちは飲み水には不自由しませんが、食べるものがほとんどないのです。

 葉っぱや、木の根っこ。

 年に一度の花の蜜や、堅い果実や、小さな昆虫の他には食料がありません。

  生まれた子供は、年を経るごとにだんだんと弱っていきます。

 そして消滅する運命を予感すると、その子は光り出すのです。

  自らの魂を残すために、終わりを迎えた蛍のように光ってそのことを仲間に知らせているのです。

 それを知った元気な子がその子とそっくりの擬態をして、光る子の魂と肉体を受け継いでいきます。

 わたしたちはお互いを分かち合う以外、生きていく方法が無いのです・・・

 

 マーの目から涙が溢れ出て、地面にこぼれ落ちた。

「ノモラとして魂と肉体を分かち合うことは、私たちにとって命を繋いでいくための崇高な儀式です。私たちはあなた方と出会って、姿をまねて親しい友達であることを先に伝えました」
 

 マーはハル先生を指さした。

「あなたはファーに《ノモラ》と言いました。

 そしてあなたが身体から光を放って、光の子であることを私たちに伝えたからファーはあなたの魂を救おうと決めたのです。

 ファーはあなたにそのことをなんども伝えて、確認をしました。

 それなのにあなた方は私たちを武器で撃ちました。

 あなた方はとても怖ろしい人たちです」
 

 マーの言葉を伝えるエーヴァの声は震えていた。

 

「でも、あなた方は光る子ではなかった。私たちの生き方は、あなた方に理解できることではなかったのです」

 六人の生徒とハル先生は身じろぎもせずにマーの話に耳を傾けた。

 

 聞き終わったとき、裕大も咲良も、匠もエーヴァも、ペトロもマリエも、その場で凍り付いた。

 生徒達は森の家族の姿に、自分たちの未来を重ね合わせていたのだった。

 

・・・

「みんなもう森に帰ろう」

 そう言ってふらりと立ち上がったファーのからだが揺れて、地面に倒れ込んだ。

 

 ファーは地面に大の字になって、空を見上げ・・・「うおーっ!」と吠えた。

 

 ファーは悔しかった。

 銃で撃ち倒され、森の家族の父親としての威厳はどこかに吹き飛んでしまった。

 

 マーも立ち上ろうとしたが、足がもつれ、ファーの隣に倒れ込んだ。 

 キッカとカーナとクプシが心配そうに駆け寄って、二人の横の地面に寝っ転がった。

 

 森の家族は、車輪のスポークのように頭を中心に向け、輪になって手をつないだ。

 五人は蒼い空を見上げたまま、口をきかず、動こうとしなかった。 

 

「クプシ、教えて! みんなで何してるの?」

 エーヴァがそっとクプシに近づいて小声で尋ねた。

 

「これって、森の儀式なんだよ」

 クプシがぼそっと答えてくれた。

 

「みんなで手をつないで、ファーとマーを元気にしてるんだ。ファーとマーはさっきのことで頭に来てるみたいだから、しばらく話しかけない方がいいよ」

 クプシはファーとマーに聞こえないように小声でささやく。

 

 エーヴァはハル先生にクプシの言葉を伝えた。

「先生、これって森の儀式だそうです。ファーとマーは頭にきて、ふてくされてるからしばらく放っておいてくれって・・・クプシが言ってます」

 

「ファーとマーが子供みたいにふてくされてるっていうの?」

・・・それでわかったわ!・・・

 

 ハル先生は、ファーとマーが父親と母親の役割を務めているだけで、キッカやカーナと同じくらいの子供であることにはじめて気が付いた。

「エーヴァ、この人たちみんな同じ年くらいの子供なのよ」

 

 ハル先生は寝っ転がったまま動かない森の子供たちを横目で眺めた。

 次に、ジャケットからナノコンを取り出して、事態を打開するための答えを求めて検索を開始した。

 膨大なデータのどこを探しても参考になりそうな事例はなかった。

 「GIVE UP!

 一言発して、ハル先生はナノコンを地面に置いて腕を組み、深く考え込んでしまった。

 見かねた咲良が解決策を見つけた。

・・・昔、カレル先生の実家で大きなワンコと会話を始めた小さなマリエを思い出した・・・

 

「こら、神の子マリエ。ここあなたの出番だよ! 突っ立ってないで早くなんとかしなさい」

 

 咲良はマリエのおしりを押して、森の家族のサークルの中に無理矢理、押し込んだ。

 ファーの足を踏んづけそうになって、慌てたマリエが転んでしまって、そのままファーとマーの間に横になった。

 

「あらごめ~んなさい。お邪魔かしら?」

 マリエが一言、ご挨拶して二人と手をつないだ。 

 サークルの家族が一人増えて、森の子供たちが思わず笑った。
 

「マリエ、今よ、あれ、あれを使うのよ!」 

 咲良が自分の首の辺りを指さしていた。

 マリエには咲良の意図が読めた。
 

 「みんな、これからいいことするから森に帰るのちょっと待ってね!」

 

 マリエは緑のジャケットの中から、首にかけておいたお守り袋を取り出した。

「これは森の神様への聖なる捧げ物よ。とっても元気になるの」

 

 マリエがお守り袋から怪しげな小瓶を取り出したのを見て、ファーとマーが這って逃げようとした。

 逃げる二人を追いかけて、マリエはファーとマーの顔に素早く香料を振りかけた。

 

 スパイシーな香りが二人の鼻をツンと突く。

 太古の森の清々しい樹液の香りが、ファーとマーに遠い故郷の森を思い出させた。

 

「素敵な香りね!」

 ファーとマーは、ゆっくりと立ち上がって、両手をぐーんと空に伸ばす。

 キッカとカーナとクプシがマリエに近づいてきて、小瓶を指さしたので、マリエは三人の顔に残りの樹香を一振りした。

 サークルがほどけて、立ち上がった森の群れはいつもの陽気な家族に戻っていった。

 

 ファーとマーがハル先生にそっと近づいていった。

 ファーがハル先生の鼻をつまんで、マーは先生の耳をぎゅっとひねった。  
 

「ハル先生の顔はどうしてそんなに光るの」とマーが尋ねる。

 

「わたし、お肌が光るお化粧してるのよ。でも《光る子》と違って、弱ってるからじゃないの。先生お化粧上手じゃないのよ」
 

 エーヴァが通訳して、ファーとマーが笑い出した。

 

 二人は自分たちの勘違いに気がついて、ハル先生に噛みついたことを謝った。

 

「俺たちもファーとマーに謝ろうぜ」

 裕大と匠が、ファーとマーに頭を下げ、勘違いして電子銃で撃ったことを謝った。

 

 誤解が解けた二つの群れの子供たちは、お互いの姿をみて笑いあった。

 

「可愛い髪飾りね」咲良がキッカの髪飾りに触れた。

 キッカが森の葉っぱで作った髪飾りを外して、咲良の黒髪にくっつけた。

 

 咲良がお返しにガラスのイヤリングを片方外して、キッカの耳にくっつけた。

 掌を太陽に向けて咲良が「いくわよー」と叫んだ。

 

 咲良は太陽の光線を掌で反射させ、キッカの耳のガラスを通過させてキッカの横顔に当てた。

 キッカの顔に7色の虹ができた。

 

 七色の横顔を見て森の家族がキャッキャッと笑った。

「お返しに、みんなで森の生き物を見せてあげる」

 

 キッカがアマゾンのキツツキの素早いリズムを口ずさんだ。

 ファーが身体を揺すって森の歌を歌い、みんなで合唱した。

 

 キッカが緑の葉っぱの帽子をどこかから取り出して、頭に被る。

 キッカの身体が光り出して、輪郭が崩れ、新しい形が現れた。

 

 それはキツツキになって、せわしなく木の幹を突っついた。

 
 クプシは呑気なアルマジロに変身して、四つん這いになって踊った。 

 カーナが愉快な手長猿になって、小さな木の枝に片手でぶら下がった。
 
 

 森の子供たちが、大笑いしている生徒たちを踊りに誘った。

 早いテンポと森のリズムで、みんなが踊った。

 

「巨人はどこに行ったの」

 ペトロがくるくる回りながら、カーナに聞いた。

 

「いまは魂になって、みんなの体の中で生きているの」

 一回転してカーナが自分の胸を指さした。

 

「大きな巨人の魂が小さなカーナの胸の中にあるの?」

 ペトロが首をかしげた。

 

「そんなことも知らないの? 魂に大きさはないの。

だから何人でも一つの身体で一緒に暮らせるの」

 

「沢山の巨人の魂が、一人の巨人の中に集まっていったんだ」

「そういうこと。そして最後の一人になると、その巨人は山の頂上に登って爆発したの」

 

 カーナは小猿に変身して、巨木に跳び上がった。

 一番高い枝に登り詰めると、両手を空に伸ばして、「バン!」と叫んだ。

 

「そして小さな私たちがいっぱい生まれた」 

 キッカとクプシが口を揃えて叫んだ。

 

・・・

 川の浅瀬から、緑の服を着た一人の男が現れた。

 男は体を小さく丸めて、何気なく仲間に加わり、踊り始めた。

 

 男はハル先生にそっと近づくと、「私ですよ」と耳元で囁いた。

 驚いて振り返ったハル先生に「静かに!」と唇に手を当てた。

 

 男は、はぐれ親父だった。

「驚かないで。実は浅瀬に隠れて様子を見ていました」

 

 はぐれ親父はひそひそ声で喋った。 

「ファーが《ノモラ》と言ったときには、跳び上がりましたよ。

 前にこの惑星の巨人たちが『ノモラ』と言って仲間を襲っていたのを思い出したのです。

 この森の家族が巨人の末裔だったとは驚きました。

 先生に逃げ出すように大声で叫んだのですが、間に合わなかった。

 それでも噛みつかれたのがハル先生で助かりましたよ。

 あれが生徒だったらただ事ではすまなかった」

 

 話し声を聞きつけたファーが、はぐれ親父に気が付いた。

「何者だ!」ファーの声が森に響いた。

 

「怪しい者ではない。《ノモラ》だ。名は『はぐれ』・・・少しだが非常食を持ってきた」

 

 はぐれ親父はファーに近寄り、乾燥食と塩を入れた小袋をファーに手渡した。

 それは異なる種族への親睦の印だった。

 

 ファーは中身を確認すると、マーにもそれを見せた。

 マーが喜んで跳びはねた。

 

 ・・・巨人に襲われたはぐれ親父の話から始まって、緑の森の生活や、地球の厳しい環境やドームの中の生活まで、話が続く。

 

あっという間に午後の時間が過ぎていった・・・

 

「そろそろ森の家に帰る時間だ!」

 夕日が傾いたのに気がついて、ファーがあわてて家族を呼び集めた。

 

 帰りを急ぐ事情をマーがハル先生に説明した。

「エネルギーを節約するために、いつもは午後の暑い時間を涼しい森で寝て過ごしているのです。

 いまは昼寝の時間がとっくに過ぎて、まもなく日が暮れます。

 夕食は先ほどの食料を早速みんなで頂くことにします。

 とても楽しみです。

 その後は、遊びすぎた子供たちを早く休ませないといけません。

 明日は早朝から家族全員で、森の仕事に出かけます」

・・・

 地球の子供たちと惑星の森の家族は、抱き合ったり、ほっぺたにキスしたり、頭をたたき合ったりして別れを惜しんだ。

 宇宙の旅の別れには、「再会」と言う言葉はなかった。

 

 始めて出会った二つの惑星の子どもたちも今そのことを知った。

 生徒たちが見送る中を、五人の家族は森の家に帰って行った。

 

 大きな木立の中に姿を消す前に、森の家族が全員で振り返った。

 そして、最後の別れの手を振った。

 

 生徒たちとハル先生も思い切り手を振って応えた。

 

 (続く)

続きはここからどうぞ。

この世の果ての中学校 9章 緑の小惑星テラ 誕生の謎

 

《記事は無断で転載することを禁じられています》

この世の果ての中学校 7章 ハル先生が森の家族に食べられた!

 地球に残された六人の中学生は食料を求めて異界と呼ばれる外宇宙への探索の旅に出ました。

 

 はぐれおやじが昔、巨人に襲われたという緑の惑星に着陸した7人の調査隊は小さな森の家族と遭遇します。

 驚いたことに、彼らはコピーのように生徒達と同じ姿をしていたのです。

 

 前回のストーリーはここからどうぞ。

 この世の果ての中学校 6章 七人の調査隊と消えた巨人

 

 7章 ハル先生が森の家族に食べられた!

 

「ノモラ?」

 もう一人の ハルが、本物のハル先生に顔を近づけて囁いた。

 

「またわたしの真似して笑わせるつもりね」

  ハル先生がそんなファーにやさしく微笑む。

 

「レディーに対して、ちょっとしつこいんじゃないの?」

 エーヴァが腕組みをしてファーを睨む。

 

『○×○×○?』

 理解不能な言葉を、ファーが呪文のように先生の耳元で囁いた。

 

「ファーは、なんて言つてる?」

 ハル先生、くすぐったそうに笑いながら、エーヴァに尋ねる。

 

「一緒に暮らさないかって、ファーが先生誘ってるみたいですよ」

 エーヴァがうつむいてククッと笑った。

 

「シンバイオシス(共生)かな? ほらあれですよ、異なる種類の生き物が仲良く共同生活すること・・・」

 エーヴァが先生に通訳した。

 

 ハル先生はナノコンに「シンバイオシスの意味、詳しく教えて」と入力した。

 その時、ファーの息づかいがすぐ側で聞こえた。

 

 驚いて顔を持ち上げた先生の真上に、ファーの大きく開いた口が迫っていた。                                                                                                                                        

「またふざけて!」

 

 笑いながら逃げ出したハル先生は、足元が乱れてバランスを崩し、そのまま仰向けに地面に倒れた。

 抱えていたナノコンが音を立てて地面に落ちた。

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         

 ナノコンのディスプレーには真っ赤な文字が狂ったように踊っていた。

【警告! 警告!  シンバイオシス→肉体の共有→食べてもいいか?】

 

「ファー!  悪い冗談、止めなさい」 

 倒れたハル先生は両足をばたつかせ、両手を突き出してファーの攻撃をかわそうとした。

 

 ファーがハル先生の顔に噛みついた。

 

 「二人でじゃれてるの、それとも喧嘩してるの?」

 冗談を言ったエーヴァの視線の先で、取っ組み合っているハル先生の顔がおかしな形にゆがんでみえた。

 

 「なに、これ?」

・・・ハル先生がファーに食べられてる?・・・

 

「キャーッ!」

 エーヴァのあげた悲鳴が森を揺らした。

 

 悲鳴に驚いて振り返ったファーに、エーヴァが鬼の形相でつかみかかった。

 エーヴァの磨き上げた爪がファーの目を襲い、ファーは鋭い痛みにたじろいで、ハル先生から顔を離した。

 

 ファーの集中力が一瞬にして断ち切られ、擬態が半分崩れ落ちた。

 そのあとに、ファーの顔が現れた。

 

 ・・・すぐそばで、マーは、ファーがハル先生を襲う様子を、まるで神聖な儀式ででもあるかのように、両手を合わせて、祈るような表情で見ていた。 

 

 ファーがエーヴァに邪魔されるのを見たマーは、慌てて立ち上がった。

 

 マーはエーヴァを乱暴に突き飛ばし、地面に倒れているハル先生の肩を両手で固く掴んだ。

 先生を見つめるマーの目が潤み、身体が白い光りを放ち、形を変え始めた。

 

『○×○×○?』

 マーは呪文を唱え、ハルの姿となり、先生の身体に覆い被さっていった。

 

・・・すこし離れたところでクプシと遊んでいた裕大が、エーヴァのあげた悲鳴で異変に気がついた。

 振り向いて、目をこらすと、巨木の前で四人の人影が錯綜していた。

 

 ハル先生がナノコンを放り出して、地面に仰向けに倒れ、足をばたつかせている。

 ファーとマーのようにも見える二つの白く光る怪物が、追い被さるようにハル先生を襲っていた。

 

 その横でエーヴァが仰向きに倒れている。

 

「うわーっ! 匠、ペトロ、あれ見ろ! ハル先生が白い怪物に食べられてる!」

 裕大は何が起こっているのかまるで理解ができなかった。

 

 混乱した裕大の頭の中で、はぐれ親父のセリフが弾けた。

・・・いいかお前たち! 異変に気がついたら、ためらわずに武器を取れ!・・・

 

 裕大は直ちにベルトから電子銃を引き抜いて、ハル先生を助けに走った。

 匠も素早く電子銃を抜いて裕大のあとに続く。

 

 駆け寄った二人は、ハル先生に覆い被さっている二つの白い怪物に電子銃を向けた。

 

「決めたら迷いなく撃て!」

 

 はぐれ親父のセリフが聞こえる。

 裕大が目をつぶって、ファーに似たやつを撃った。

 

 「ズン!」

 鈍い音がして、ファーの身体が現れ、地面から跳ね上がった。

 

 それを見て、匠がマーに似たやつを撃った。

 マーの身体が現れ、横に跳ねる。

 

 ファーもマーも地面に落ち、そのまま動かなくなった。

 裕大と匠は、突っ立ったまま固まっている。

 

 最後に駆けつけてきたペトロは、倒れているハル先生に駆け寄った。

 ハル先生の顔の前にナノコンが転がって、ディスプレーがかすかに明滅していた。

 

 先生は意識を失ったままだ。

 

・・・ハル先生はホログラムで出来ているから、食べられても大丈夫だ。

 でも先生のこんなひどい顔をみんなに見せるわけにはいかない・・・

 

 ペトロはナノコンを上着から取り出して調べてみた。

 ディスプレーは完全にブラックアウトしていた。

 

「ハル先生、元気? ペトロだよ」

 小声で囁いて、ナノコンの裏側をとんとんと叩いてみた。

 

 五回叩くと、ナノコンがかすかに反応して、ディスプレーが明滅を始めた。

 しばらくして画面にピンクのメッセージが踊り出た。

 

《LOVE YOU!》 

 

「やった!」

《70%》→《80% 》→《90%》→《修復完了》

 

 ペトロの腕の中で、ハル先生の姿が自動修復されていく。

 元の姿に戻ったハル先生は、ナノコンをペトロから受け取ってジャケットのポケットに大事に収めた。

 

 そして大地からゆらりと立ち上がり、白いロング・パンツに付いた土を払い落とし、ペトロに軽くウインクをした。

 

 地面から立ち上がったエーヴァが、ハル先生のところに駆け寄ってきた。

「先生、お怪我は?」・・・エーヴァは先生の顔を食い入るように見つめる。 

 

「あれっ、まさか? 噛みついたのはハル先生の方じゃないでしょうね」

「先生、間一髪でファーの攻撃、躱したの。エーヴァの強烈な悲鳴のおかげよ」

 

 ハル先生は一息ついて周囲を見渡し、事態を分析した。

 ファーとマーが地面に倒れている。

 

   その側で、裕大と匠が、電子銃を手に持ったまま突っ立っていた。

 「裕大、匠、ありがとうね! 終わったから電子銃は仕舞いなさい!」

 

 二人は、震える手で電子銃をガン・ベルトに収めた。

 ハル先生の元気な姿を見た二人は、へなへなと地面に座り込んでしまった。

 

 「匠、俺たちなにか間違いしでかしたのかな?」

 裕大と匠が狐につままれたように顔を見合わせる。

 

 少し離れたところで、咲良とマリエ組がキッカ、カーナ組とにらみ合っていた。 

 真ん中でクプシが立ちすくんでいる。

 

 《戦争!一触即発》

 ナノコンのディスプレーがハル先生のポケットで騒いだ。

 

「咲良、マリエ、喧嘩はだめよ。ほら、ハル先生は元気です!」

 ハル先生は自分の顔を指さして、無事OKのサインを二人に送った。 

 

 マリエが先生に近づいて顔を撫でた。

 ハル先生、にっこり笑ってマリエにキスをして頼んだ。

 

「お願いマリエ、いますぐ和平交渉始めるのよ」

「わかった!」

 

喧嘩や~めた!

 マリエの素っ頓狂な一声で、二組の間に張り詰めていた緊張が吹き飛んでいった。

 

 キッカ、カーナとクプシが、地面に倒れているファーとマーを取り囲んだ。

 話しかけても、身体を揺すぶっても、ファーもマーもなんの反応も示さなかった。

 

 そのうち森の子供たちは、大声で泣き出してしまった。

 申し訳なさそうに裕大と、匠が近寄ってきた。

 

「匠、お前の技でなんとかできないか」

 頷いた匠は、ファーの胸に右手を、マーの胸に左手を当て、同時に気合いを入れた。

 

「ヤッ!」と匠。

「グホッ!」・・・ファーとマーが咳き込み、呻き声を上げて息を吹き返した。

 

 意識を取りもどしたファーとマーは、電子銃で自分たちを撃った裕大と匠が目の前にいるのに気が付いて、さっと身を引いた。

 

 ハル先生がファーとマーに静かに近寄って、エーヴァにしっかり通訳するように頼んでから静かに話し始めた。

 

「よく聞いてくださいね。ファーもマーも怖がらなくていいのよ。裕大と匠の電子銃は仕舞わせました。銃で撃たれた痛みは間もなく消えますから、落ち着きなさい。それよりファーとマーに確かめたいことがあります」

 

 ハル先生は、ファーが、なぜ突然、自分を襲ったのか理解できなかった。

 ファーもマーも同じ人間を食べる野蛮な風習を持った種族とはとてもみえない。

 

 どう見ても生徒達と変わりのない人間だ。

「ファー! 答えなさい。あなたは、どうして私の姿を真似して私を襲ったのか。理由を説明しなさい!」

 

 ハル先生は、ファーに厳しく迫った。

 

「何を言ってるんだ。そちらの方こそどうして僕たちを撃ったりしたんだよ!  何度もノモラ《友達》かって確かめたじゃないか」

 

 ファーが激しい口調で言い返した。

 同時通訳をしていたエーヴァの顔色が変わった。

 

 エーヴァがファーに向かって怒った。

「いきなり先生に噛みついておいて、なんてこと言うのよ! 友達なら噛みつくわけないでしょ。かみついたわけを言いなさい!」

 

 ファーが、エーヴァの剣幕に気圧され、一瞬たじろいだ。

「理由だって? 先生の身体が《光ってた》からだよ。それだけだよ」

 

「ハル先生が《光ってた》? それ一体何のことよ」

 エーヴァが思わずハル先生の顔を振り返った。

 

・・・ハル先生はお化粧のせいか、顔が光って見えることがある。

 でもそれがどうしたの?・・・

 

「それがどうしたっていうのよ。それじゃファーは、光ってる友達は食べてもいいっていうの?」

 エーヴァが追求の手を緩めない。

 

 ファーの顔色が変わった。

「食べるんじゃないよ、分かち合うんだ。

 身体が弱ってもうすぐ消滅する子は、光り出してそのことをみんなに知らせるんだ。

 だから元気な子は、消滅する前にその子の魂を共有するんだ。

 僕たちはたとえ肉体をなくしても、魂が残ればいい! 

 擬態は魂を共有するためのものなんだよ。

 そのぐらいのこと、どうしてわからないんだよ」

 

 はき出すように言って、ファーが、激しく身体を震わせた。

 ファーの目からは涙が噴き出していた。

 

 エーヴァは戸惑い、しばらく考えて、みんなにファーとの会話をそのまま伝えた。 

 ハル先生はファーの話を頭の中で反芻してみた。

 

・・・ファーは何て言った?

 私の魂を救うために《共生》をしようとしたのですって?

 異種の生命が、補い合って生きていくみたいに?・・・

 

 ハル先生のナノコンが明滅して、計算の続きを表示した。

《結論、共生の原因は過酷な環境》

 

 ハル先生の背筋が凍り付いた。

 

・・・ここも地球と同じだ。

 ここには人間の食料がない。

 この人たちの環境もそんなに厳しいのか・・・

 

 森の家族の母、マーは、ファーがハル先生やエーヴァとやりとりする言葉に耳を傾けていた。

 突然、マーの肩から力が抜け、怒りがどこかに消え失せていった。

 

 マーは当たり前のことに気がついたのだ。

・・・遠くからやってきたこの人たちにはファーの話はとても理解できないのだ・・・と。

 

お話しなければならないことがあります

 マーが、ハル先生と六人の生徒たちに、自分たち仲間の置かれた過酷な境遇を静かに話し始めた。

 

(続く)

続きはどうぞここからお読みください。

この世の果ての中学校 8章 マーが森の家族の秘密を話した!

 

《記事は無断で転載することを禁じられています》

この世の果ての中学校 6章 七人の調査隊と消えた巨人

ブラックホールを使って宇宙の果てから飛び出した宇宙探査艇シンギュラリティーHAL号は、異界に並ぶ3つの惑星を発見しました。

もっとも近い第一惑星は、はぐれ親父が昔、巨人に襲われた危険な世界です。

しかし、そこで出会ったのは、巨人ではなく小さな背丈の森の家族でした。

 

前回のストーリーはここからどうぞ。

この世の果ての中学校 5章 三界はぐれと異界の旅

6章 七人の調査隊と消えた巨人

「ブラックホールから脱出に成功! 外宇宙に到着!」

 はぐれ親父が高らかに宣言した。

 

「前方、恒星と3つの惑星を確認」

 パイロットのエーヴァ・パパがスクリーンに小さな惑星が三つ直線上に並んでいるのを見つけた。

 

 太陽のような恒星がはるか彼方で真っ赤に燃えていて、3つの惑星を鮮やかに浮かび上がらせていた。

 手前の二つの惑星は緑色、一番遠い惑星は茶色に輝いて見えた。

 

「一番手前が今日の目標の第一惑星だ。地球時間で3年前のことだ。俺が一人乗りのスペース・モバイルで漂着したときには、巨人が棲息していた。姿は人間だが、俺の三倍はあるでかい奴だ」

 

はぐれ親父はその時のことを思い出していた。

「食料になる生き物がいないのか、彼らは、お互いに食い合ってたみたいだ。俺も危なく食われるところだったぜ」

 

宇宙艇の計器を手動に切り替えたパイロットの手が思わず止まった。

「親父!そんなところに着陸して、生徒達大丈夫なのか?」

 

「巨人は絶滅している可能性が高いと思うが、いきなり着陸するのは危険だ。まず上空から偵察してみたいが、前方に見える森林地帯の上空でホバリングはどうだ?」

 

「了解した。目視できる距離まで地上に接近する」

 宇宙艇HAL号は、パイロットの自動操縦に切り替えて低空飛行に移った。

 

「お前たち! お仕事スタートだ。窓際に張り付いて地上に少しでも動きがあれば報告してくれ」

はぐれ親父の指示で、生徒たちは左右の窓際に別れて、草原や森の中に生きものの動きがないか目をこらした。

 

「緑が目に滲みるぜ!故郷を思い出すぜい!」

 生まれ育った故郷、アフリカの原生林を思い出して、裕大がおもわず目を細める。

 

「下界は山盛りのサラダね。おいしそう」

 咲良が唇をなめた。

 

 宇宙探査艇HAL号は、ホバリングをしたり横に移動しながら、山や森の探索飛行を重ねたが、巨人が動く影はどこにもなかった。

 

・・・山の稜線ぎりぎりの低空飛行に移ったとき、視力5.0の裕大がほんの小さな動きを捉えた。

「右前方、川の向こうの森に動くものがみえます。4~5人の個体のグループのようです。2足歩行してます!」

 

 ハル先生が宇宙艇に備え付けた監視カメラを動かして、群れの姿を探し当てた。

 操縦席の前面スクリーンの隅に小さな群れが映し出された。

 

 「ハル先生! 群れをピン・シークしてズームアップだ!」

 はぐれおやじがシートから乗り出して、ハル先生に叫ぶ。

 

 全員がスクリーンいっぱいにアップされた映像に思わず息を呑んだ。

 彼らはどう見ても普通サイズの人間だった。

 

 森を抜けていく数人の一団は、まわりの木々の大きさと比較して、人間の子供の背丈ぐらいだった。

 彼らは家族のようにも見えた。

 

 はぐれ親父が拍子抜けした声を出した。

「巨人じゃないぞ。なんだこれは・・・俺たちと同じ人間じゃないか」

 

 カレル教授がはぐれ親父をからかった。

「残念だが、親父の大好きな巨人はこの辺りにはいないようだ。親父さん!巨人は歪曲空間の影響で起こった錯覚だったようですな」

 

「あの群に危険はなさそうだから、川のこちら側に着陸して様子をみることにしましょうか」

 エーヴァパパの大胆発言に親父がうーんと考え込んだ。

 

 パイロットは宇宙艇を降下させ、川岸の上空で静かにホバリングをして様子をみた。

 その時森の群れの映像が揺れ動いた。

 

 群れの全員がスクリーンの中から、顔を上げてこちらをにらんでいた。

 ホバリングの音に気が付いたのか、森の外れを歩いていた群れが宇宙艇を見上げていた。

 

「私たちに気がついたみたいです! こちらをみています」

 窓越しに群れをみていた咲良とエーヴァが思わず手を振った。 

 

 群れの中の小さな二人が手を振って応えたように見えた。

 宇宙艇が川岸に砂を巻き上げて接近すると、群れは慌てて森に消えていった。 

 

  宇宙艇は群れの消えた森から離れ、川の手前に静かに着陸をした。 

 はぐれ親父が宇宙艇から一人で飛び出していった。

 

 親父は群れの消えた森に入りあたりを調べたが、彼らの姿は消えていた。

「森から群れの気配が消えて、静かなものでしたよ。俺たちを警戒しているようです」 

 

 宇宙艇に戻ってきた親父から報告を聞いたカレル教授が、しばらく考え込んだあと、大胆な提案をした。

「親父さん、群れは小人数の家族のようだし、体格も生徒と同じくらいだ。どうだろう、あの群れとの接触を思い切って生徒たちに任せることにしたらどうかと思うのだが」

 

それを聞いたはぐれ親父が猛反対した。

「教授、それは無茶だ」

・・・俺のような大人が出て行くと群れに警戒されるから、確かにいい計画だと思う。しかし巨人が100%いないことはまだ確認できていない。生徒だけでは危険過ぎる・・・

 

 どうしても巨人のことが気になる親父の意見に、「うーん」と考え込んだ教授をみて、はぐれ親父が付け加えた。

「それでは、生徒の引率をハル先生にお願いして、万一の危険に備えて男子生徒に電子銃を持たせるということでどうでしょう。小柄な女性のハル先生なら群れにも警戒されないでしょう」

 

・・・ハル先生が大喜びで賛成して、直ちに生徒六人とハル先生の七人の調査隊ができあがった。

 

「ハル先生、我々はいつでも出動できるように宇宙艇で待機しますので、先生はナノコンの端末からの映像中継を絶やさないで頂きたい。いいですか、常時ですよ」

 はぐれ親父がハル先生に念を押す。

 

「さーみんな、行くわよ! 未知との遭遇よ!」

 ナノコンをナップザックに収めたハル先生が、生徒六人に号令をかけた。

 

 ハル先生を先頭に、七人の調査隊が宇宙艇のデッキから緑の大地へ飛び出した。

 森に続く川は流れも緩やかで、浅瀬が続いている。

 

 浅瀬には人の歩幅に合わせたように、小さくて平らな岩が点々と向こう岸まで続いていた。

「これきっと、あの人たちの作った飛び石よ。この川はあの人たちの生活導線なのね」

 

 ハル先生が石伝いに川を渡り始め、生徒達も後に続く。 

 向こう岸にたどり着いた一行は、群れが消えていった森の入り口を目指す。

 

 森の手前まできて、ハル先生がはぐれ親父の警告を思い出した。

 先生はナップザックからナノコンを取り出し、自分の目と耳で捉えた映像と音声を宇宙船の操縦席のスクリーンに自動的に届くようにセットした。 

 

「確か・・この辺りよ!」

 咲良が宇宙艇の窓から、群れが消えた場所の目印に見つけておいた、黄色く紅葉した一本の巨木を指さした。

 

たしか・・このあたりよ

 咲良とそっくりの声が木の陰から返ってきた。

 

 驚いて身構えた生徒たちの前に、七つの人影が浮かび上がった。

 影は、ハル先生と六人の生徒の前に一つずつ相対して立ち、静かに揺れていた。

 

 黒い影が色彩を帯びてきて、姿を現した。

 迷彩服の男子が三人、派手なトレッキング姿の女子三人と小柄な女性が一人。 

 

「嘘だろ? 俺とそっくりじゃない」

 先頭にいた裕大が叫んで、相手をよく見ようと一歩前に出た。

 

「ウソだろ、おれとそっくりじゃない」

 群れから大柄な少年が一歩前に出て、叫んだ。

 

 少年は裕大と双子のように似ていた。

 裕大が慌てて身を引くと、相手も慌てて裕大から離れた。

 

「きゃっ! なんてこと!」

 ハル先生が、ナノコンを抱えた自分を見て、悲鳴を上げた。

 

「キャッ! なんてこと!」

 向こうのハル先生が甲高い声を上げた。

 

「あなたは誰?」

 エーヴァがエーヴァに尋ねた。

「あなたはだれ?」

 向こうのエーヴァが答えた。

 

 匠と匠はにらみ合ったままだ。

 

「そこに匠がいる」ペトロが向こうの匠を指さした。

「そこにたくみがいる」向こうのペトロがこちらの匠を指さした。

 

「咲良とマリエがいる」咲良とマリエが同時に叫んだ。

「サラとマリエがいる」群れから二人の声が返ってきた。

 

 七人の調査隊と七人の群れが、向かい合ったままで立ちすくんでしまった。

 二つの群れは大きな鏡に向かい合っているように同じ姿をしていた。

 

(コンタクト! 思い切って、冷静にコンタクトよ!)

 「今日は!」

 ハル先生は、群れのハル先生に近寄って、思い切って右手を差し出した。

 

「こんにちは!」向こうからは左手が差し出された。

 二人はおかしな形で握手をした。

 

 裕大がハル先生に見習って、右手を差し出した。

 相手から左手がかえって来て、ねじれた握手になった。

 

(これは、擬態です!)

 ハル先生のナノコンが計算を開始して、相手の正体を見破った。

 

 群れはこちらの姿と動きを、写し鏡のように真似していた。

 ハル先生はにっこりと顔中で笑った。

 

 それから両手で相手の片手をしっかり握りしめて動けないようにした。

「これで真似は出来ないわよ」

 

「これでまねはできないわよ」

 群れのハル先生は片手しか動かすことができなかった。

 

 まねのできないハル先生の姿が崩れていった。

 群れは一瞬に姿を消して、目の前に新しい五人の子どもたちが現れた。

 

 それは群れの本当の姿だった。

 五人は生徒たちと同じくらいの背丈で、男の子が二人に女の子が三人。

 

 全員、肌の色は濃い茶色で、髪の毛は黒。

 葉っぱで縫い合わせた緑の服を着ていた。

 

 五人は緑の葉っぱの帽子を脱ぐと、背中の袋に丁寧に仕舞い込んだ。

 それから女生徒たちのグリーンベレーと緑のブレザーに背中のナップザックを指さして、クスクスと笑い出した。

 

 女性たちのファッションは擬態をやめてもそっくりだった。

 ハル先生と花の三人組も思わず吹き出してしまった。

 

(そうか、擬態は友好の意思表示、ご挨拶だったのね)

 ハル先生は生徒達に群れの擬態は友好の意思表示だと思うと伝えた。

 

 それから友好のお返しに、目の前の大柄な少年に、英語で話しかけてみた。

「初めまして、私の名前はハル」

 

 少年は小首をかしげた。

 ハル先生はナノコンを開いて、地球の数十カ国の言葉で話しかけてみたが、反応がなかった。

 

(銀河系の外側で、地球の言葉が通じる訳ないわね)

 困った先生は、自分を指さして「ハル」と言ってみた。

 

 少年は意味を理解したようだった。

 自らを指さして「ファー」と言った。

 

「マー」

 大柄な隣の少女が続いた。

 

「キッカ」「カーナ」

 二人の少女が挨拶した。

 

 最後に小さな男の子が・・

「クプシ」と元気に叫んだ。

 

「あら、さっきは確か七人いたのに・・」

 気がついたマリエが周りを見渡した。

 

 咲良とマリエの前にいた群れの二人が消えていた。

「これって凄い技よ。元々5人だったのね。一人二役、だれかが分身して擬態してたのよ」

 

 咲良が森の群れの技に感嘆して、コンタクトを始めた。

「さー、こちらも順番にご挨拶でお返しよ」

 

「サラ」「ゆうた」

「エーヴァ」「たくみ」

「マリエ」「ペトロ」

 

 生徒たちが順番に名前を名乗って、森の家族が復唱していった。

 森からさわやかな風が一陣、吹いて、張り付いた雰囲気を吹き飛ばしていった。

 

 小さなクプシがハル先生に近づいて、なにか話しかけて来た。

 ハル先生は首を横に振って、謝った。

 

「御免ね、クプシの言葉、私のナノコンのデータにないのよ」

 クプシは川向こうの宇宙艇を指さして、また同じ言葉を喋った。

 

 横にいたエーヴァがそれを聞いて、ハル先生の耳元で囁いた。

「クプシは私たちに、あの大きな鳥に乗ってどこからやって来たのかと聞いています。先生、驚かないで下さいよ。これは南米アマゾンの奥地の言葉のようです。わたしこの人たちの言葉がすこしだけどわかるみたいです」

 

 エーヴァの囁き声に、ハル先生は目を丸くして驚いた。

「こんなところでアマゾンの言葉喋ってるっていうの? エーヴァ、馬鹿なこと言わないで・・・」

 

 混乱したハル先生は胸のポケットのナノコンを乱暴にどんと叩いた。

 ナノコンが作動して、エーヴァの過去のデータを探した。

 

【報告。エーヴァの母親は著名な言語学者。エーヴァは小学生の頃、母親に連れられてアマゾンの奥地で、文明世界と隔絶した森の住人イゾラドと数ヶ月の間、共同生活をしている】

 

「驚いたわ、エーヴァ。アマゾンの言葉だってこと、本当なのね。この人たちとの会話、あなたに任せたわよ」

 エーヴァの能力に驚いたハル先生は、群れとのコミュニケーションをエーヴァに委ねることにした。

 

(でも、この惑星でどうして地球のイゾラドの言葉が使われているのかしら?)

 ハル先生は深く考え込んでしまった。

 

「あれは鳥じゃなくて、空を飛ぶ乗り物よ。私たちとっても遠い惑星からあれに乗ってやってきたの」

 エーヴァがクプシに答えた。

 

「僕らの先祖だって、とっても遠い処から飛んできたんだよ」

 クプシが口をとがらせ、負けずに言い返した。

 

「遠いところってどこかしら、教えてよ」

「そりゃーもう、クプシも知らないぐらい、遠ーい、ところさ!」

 

「クプシって「アルマジロ」のことでしょ。アルマジロが空を飛べるわけないんだけどさ・・・」

 エーヴァがクプシを指さして、口をとがらせ、首をすくめ、四つ足でよたよたと歩いた。

 

 クプシが嬉しそうにケラケラ笑った。

「キッカはキツツキで、カーナはたしかお猿さんよね」

 

 エーヴァが側の巨木にひょいと登って、キツツキと猿のもの真似をした。

 キッカとカーナが喜んで、地面にひっくり返って笑い転げた。

 

「ファー、あなたはきっとパパね。そしてマー、あなたは三人のママなのね」

 ファーとマーが頷いた。

 

 群れは五人家族のようだった。

  森からやってきた五人の家族と、地球からやってきた七人の調査隊は、森に続く柔らかい大地に腰を下ろして、身振り手振りでお喋りを始めた。

 

 お互いの服装を調べたり、耳や鼻や髪の毛に触ったりしてクスクス笑い合った。

 

 宇宙探索艇の操縦室で、はぐれ親父とカレル教授、それにエーヴァ・パパの三人が、スクリーンに映し出されていく二つの群れの交流の様子を食い入るように眺めていた。

 

「エーヴァがアマゾンにいたことは事実かね?」

 はぐれ親父がエーヴァパパに聞いた。

 

「ほんのしばらくの間だよ・・・エーヴァがイゾラドの言葉を覚えていたとは驚いたな」

 パイロットが答えると、はぐれ親父が頭を抱え込んで、ぶつぶつ話し出した。

 

「聞いてくれ! 俺にはあの群れは謎だらけだ」

・・・まず一つ。

 擬態だ。

 巨人という天敵が見当たらないのに、なぜ擬態の必要があるんだ。

・・・二つ目、森の家族のファーとマーは子ども達と背丈がほとんど違わない。

 父親と母親にしては、不自然だとは思わないか? 

 あれは単なる役割分担かもしれない。

 それなら彼らのパパとママはどこにいった。

・・・三つ目。

 これが最大の謎だ。

 どうしてあの家族は地球のアマゾンの奥地の言葉なんか話してるんだ? 

 誰か教えてくれ!・・・

 

 それを聞いたカレル教授の目が狂気を帯びてきて、怪しく光る。

「結論は簡単だ!この小さな惑星は地球の分身だ。急激に温度が上昇した地球から慌てて逃げだして来た緑の大地、つまりアマゾン川固有の流域に間違いない。クプシたちの先祖はアマゾンの大地にくっついて宇宙の果てを飛んだのだ」

 

「エライこっちゃ。天才教授の脳みそがぶっ飛んでもうた」

 はぐれ親父がうめいた。

 

 パイロットのエーヴァ・パパが、冷静に正しい解を探り出していく。

「宇宙船も知らない彼らが、どうして遙か彼方の地球の奥地の言葉を話すのか? 正解はこうだ。昔、この惑星にやってきた誰かが、ここに住んでいた彼ら原住民にアマゾンの言葉を教えたんだ。そんなクレージーな真似をしたのは一体誰だ」

 

 エーヴァ・パパがはぐれを振り向きざま怒鳴った・・・「それは親父、お前さんやないか!」

「アホいうな・・・俺やない。俺は若い頃アマゾンにも何度か探検に行ったから、森の家族の言葉が少しは理解できるが教えるほどじゃない。ここへ来たときも、奴らが食い合いしてる横を、命がけで逃げ伸びるだけで精一杯だった」

 

 はぐれ親父の不安が膨らんでいった。

・・・それでは、俺を襲った巨人はいったいどこへ消えた?

 もしかしたら、森の群れの擬態は巨人から隠れるためじゃないのか。

 どこか近くに巨人が潜んでいるとしたら、生徒たちはただ事ではすまない・・・

 

 はぐれ親父は、ぞくりと震えてハル先生との緊急連絡ボタンを押した。

「ハル先生、こちら、はぐれ。前回、ここで出会った巨人のことがどうしても気になります。巨人がどうして姿を消してしまったのか、ファーかマーから聞き出してくれませんか?」

 

 緊迫したはぐれの声で不安になったハル先生は、エーヴァに通訳を頼んで、むかし住んでいたはずの巨人のことをファーに尋ねた。

 
 ファーは巨人が消えたいきさつを詳しく話してくれた。

 

 程なく、ハル先生からはぐれ親父に報告が入った。

「巨人がいたことは事実です。

 ファーの話では、食料がなくなって弱っていった巨人が、お互いに共生して・・・つまり食べ合って、その数が確実に減っていったそうです。

 数年前にただ一人となった最後の巨人は、山の頂きで爆発して、粉々になって消えていった。

 だからこの星には巨人はもういない。

 残っているの自分たち小さな種族だけだ。

 ファーの話は切れ切れでわかりにくいのですが、つなぎ合わせるとこうなります」

 

 ハル先生の報告を聞いたあとも、はぐれ親父はどうしても納得がいかなかった。

「ハル先生! いやな予感がします。周囲や、森の群れへの警戒を決して怠らないようにして下さい」

 

 親父から念を押されたハル先生は、周りを見渡した。

 森は静かで、どこにも不自然なことは見当たらないし、森の家族と生徒たちとの交流もうまくいっていた。

 

 ハル先生はナノコンを胸のポケットに収め、一息ついた。

 大柄なファーが、心配そうな顔付きでそばに寄ってきて、ハル先生の肩にそっと手を置いた。

 

ノモラ?

親しげにファーが聞いた。

 

「ノモラって”友達”って意味です。先生は友達かって、聞いてますよ」

 エーヴァが横から通訳した。

 

「ノモラ、私たち友達よ」

 ハル先生が気軽に答える。

 

「×××」

 ファーが意味の分からない言葉を喋って、触診でもするようにハル先生の手首を握った。

 

「ファーはハル先生のことを『光る子』と呼んでますわ。輝くような美人ってことかな」

 エーヴァが冗談っぽく通訳する。

 

 ハル先生は、自分の身体がホログラムで偽装したものであることを、なぜかファーが見破っていることに気づいた。

 ファーの擬態の技術もホログラムの一種だから、私の身体が光の粒子で出来ていることがファーには見えている。

 

 優しいファーは友達になったハルの身体の状態をとても心配してくれているんだ・・と思う。

 

「ノモラ?」

 ファーがハル先生に「友達か」と念を押した。

 

ノモラ

 ハル先生がしっかりと答えた。

 

 ファーの黒い目が、深い哀しみを湛えて輝き始めた。

 その目から涙に似た薄い光が溢れ出して、肩に沿って胸に落ち、ファーの全身を包んだ。

 

 光は柔らかく揺れ動いて、新しい形を作り始めた。

 ファーの姿がかき消えて、そのあとに女性の輪郭が現れた。

 

 派手なトレッキングスタイル。

 それはもう一人のハル先生だった。

 

 その女性は本物のハル先生に覆い被さってきて、口を大きく開けた。

 

「ファー、冗談止めなさい!」

 ハル先生が笑って言った。

 

「危ない。逃げろ!」

 ライブで送られてくる映像を、身を乗り出して見ていたはぐれ親父の叫び声が操縦室に響いた。

 

 電子銃を引っ掴むと、親父は宇宙艇のデッキから森に向かって飛び出していった。

 

(続く)

 

続きはどうぞここからご覧ください。

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《記事は無断で転載することを禁じられています》

この世の果ての中学校 5章  三界はぐれと異界への旅

灼熱地獄となった地球!

人類は滅び・・・この世の果てに残されたわずか六人の中学生が、緑と食料を求めて宇宙の果てから飛び出し、異界への旅に出ます。

時空の穴、ワームホールを突破できるか、引率は怪しげな男「三界はぐれ」でした。

 

前回のお話は下記をご覧ください。

この世の果ての中学校 4章   ヒーラーおばさまと魔女よけの秘術

 

5章 三界はぐれと異界宇宙への旅

 金曜日の朝、カレル教授がホームレスみたいな薄汚い男を教室に連れてきた。 

「おはよー! 紹介しよう、この方が今日からみんなの先生だ」

 

 男は、しわだらけの絣の着物を身につけ、履き古した下駄を履いて、木綿の手ぬぐいを首に

巻いていた。

 浅黒い顔は無精ひげで黒々としている。

 

 男はカレル教授に一言断ると、下駄を鳴らして教壇に登り、じろりと生徒たちを見まわした。

「たった今から、俺様がお前たちをとんでもないところへ連れていってやる。この世でもない、あの世でもないところや。そこは異界と呼ばれとる。常識で理解でけへん領域はみな異界と呼ばれとる。異界にもいろいろあるというのにや」

 

 最前列に座っていたペトロが後ろを振り向いて、指で鼻をつまんだ。

「ククッ」マリエが下を向いて笑いをこらえる。

 

「どや! このファッション! おもろいやろ! 100年以上前の貧乏学生の正装や。俺はこれが一番気に入っとる。でもほんまのところはや、こんな身なりでは誰も相手にしよらんからな、えらい気楽で便利なんや」

 

 男は手ぬぐいを首からほどくと、額の汗を拭いて腰にぶら下げた。

 

「俺は今まで勝手気ままに生きてきた。強制されるのが大嫌いなんや! ここへ来たのも尊敬するカレル教授に頼まれたからや。俺はどこにも行き場のない身柄やから、先生とお互いわかり合えるんや。教授はこの世の姿でもあの世の姿でもない、行き場のない超自然の姿や。そんなカレル教授からお前たちの課外授業を頼まれた。光栄や、ほんまに嬉しいこっちゃ。今から俺がお前たちの先生や、まずは諦めて覚悟するこっちゃ」

 

 男は勝手な挨拶を済ませ、教授と交替した。

「この男は先生の古い友達だ。苗字も名前もない宇宙のボヘミアン。通称《三界はぐれ》と呼ばれている」

 

「出たー! 三界はぐれや。三界からのはぐれもんや!」

 匠が足を踏みならして叫んだ。

 

 匠は、はぐれ親父のことを思い出した。

 昔、地球が壊れる前・・・六甲山の山奥の田舎にいた頃、匠の家に来ては離れの道場でおじいちゃんから宇宙遊泳と武道を習っていた男だ。

 

・・・思い出した!そういえば、あいつ僕のママとやけに仲良かったぞ・・・

匠がつぶやくのを聞きつけて、男が近づくと匠の頭をゴンとどついた。

「こら匠、久しぶりや! いまはカレル先生のお話中や、静かにせんかい」

 

 花の三人組みがクスクス笑って、カレル先生が話を続ける。

 

「リアルの世界からも、虚構の世界からも、そして幻想の世界からもはぐれて、というより

は放り出されて、宇宙の孤児として一人で生き抜いてきたレジェンド、あの悪名高い”三

界はぐれ”とはこの人だ。

 異界と呼ばれる宇宙を案内できるのは、ここ三界には他に誰もいない。

 それでははぐれ親父に課外授業の課題を説明してもらおう・・・」

 

 レジェンドと紹介された男が再び壇上に上がった。

「あれ~っ!」生徒たちが息をのんだ。

 一瞬の間に、男は別人と入れ替わっていたのだ。

 

 ひげはすっきりと剃られて、浅黒く精悍な顔つき。

 引き締まった身体にゆったりとしたシルクのシャツ。

 

 濃紺のブレザーに細身のグレーのパンツ。

 足下、白いハイカットスニーカー。

 

 パイロットの制服をビシリと決め込んだはぐれ親父の早変わりの技だった。

 あっけにとられて黙り込んだ生徒達を尻目に、はぐれおやじが無言で校庭の空を指さす。

 

 生徒が見上げる中、ブーンと低いホバリングの音がして、小型の宇宙艇が太陽にきらきら輝きながら校庭に舞い降りてきた。

 

「わーを! あれ見てみろ! 新型の宇宙探査艇だ」 

 裕大が大声張り上げた。

 

「ハッピーフライデーのビッグプレゼントだ。たった今から宇宙探査の旅に出る!」

 カレル先生がハットを脱いで、校庭の空に向かって放り投げた。

 

 悲鳴と、どよめきが巻き起こり、教室は大騒ぎになった。

 はぐれ親父が言葉遣いをがらりと変える。

 

「いまから宇宙の探査旅行に出発する。

 目標はこの宇宙の果ての外側、異界にあると思われる緑の惑星群だ。

 

 これら惑星探査の全行程を地球時間の三日で済ませる。

 途中、宇宙の臨界点にあたる歪んだ空間をくぐり抜ける。

 

 お前たちの大好きなブラックホールだ。

 ここを無事くぐり抜ければ、外宇宙に到着だ。

 

 安心しろ! 

 歪みの途中で圧縮されても、細切れにはならない。

 

 また引き延ばしてやるから元に戻る。

 そのために、圧縮に耐えるニューモデルのスペース・シップを新造した。

 ハル先生とエーヴァパパの共同設計だ。

 名付けてシンギュラリティーHAL号!

 

 異界では二泊する。

 目的は惑星の自然探索と食料探しだ。

 お前たちの未来のためだ、自分の足で歩いて、目と耳と手で異界の自然を感じることだ。

 

 だがな、異界ではなにが起こるか俺にも予測がつかない。

 悪いが、その時には自分で判断して行動してもらうしかない。

 命に関わる危険が無いとはいえないが、それだけの値打ちはある。

 

 嫌なら参加しなくていい。来たい奴だけ来ればいい。

 以上だ」

 冷たく言い放ったはぐれが・・「あっ! 言い忘れてた」といって付け加えた。

 

「俺はこうしていつでも変身する。 

 その場の状況に合わせて何にでも変身する。

 子どもの頃から一人で生き抜くために身につけた技だ。

 言っておくが、俺は自分勝手な男だ。

 お前達になにかを教えるような柄でもない。

 だから俺のヤルことは真似しないで欲しい。

 でもな・・・今から行くところは面白いぞ!

 一日で世界観が変わるぞ! ついでに俺も楽しませてもらうことにする」

 

 三界はぐれが生徒たちをひと睨みして、教壇から降りた。 

 10分も経たないうちに、校長先生とヒーラーおばさまが、準備しておいた携帯食料を袋に詰めて教室に運んできた。

 

・・・口笛吹きながら、ハル先生がど派手な姿で教室に現れた。

”白のロングパンツにショッキングピンクのブラウス”

 

”グリーンの半袖ジャケットにグリーンベレー”

”細身のゴールド・ベルトに足下ピンクのスニーカー”

 

「ヤッホー、ハル先生どちらへお出かけ?」

 マリエが椅子から転がり落ちた。

 

「ヤッホー、花の三人組はわたくしが引率することに決めましたの。

 惑星トレッキングはこのスタイルでいかが?  

 みんなの分もサイズ合わせて作ってあるわよ」

 

 ハル先生がウエア一を3人に手渡すと、花の三人組は歓声を上げて着替えに出て行った。

 

「あの子達がどこに消えてもすぐ分かるように、少し・・目立つデザインにしてありますの。おついでにわたしのもね」

 美人のハル先生、ボディーターンして、カレル教授にコンセプトをプレゼンテーションする。

 

少し?・ですか」カレル教授の視線はとろけ落ちそうにハル先生に釘付け。

 

「男子には迷彩服と電子銃を用意してあります。戦う必要が出てくるかもしれませんので・・」

 迷彩服に着替えを済ませたはぐれ親父が教授に囁いた。

 

「戦う相手とはいったい誰ですか?」

 教授が質問したが、親父はにやりと笑って答えない。

 

 生徒たちが初めての宇宙旅行に出かける事を知らされて、ママやパパが子供たちの着替えをナップザックに詰め込んで駆けつけてきた。

 

 校庭の中央に小型のスペース・シップ「シンギュラリティーHAL」が駐機していた。

 エーヴァ・パパがパイロット席について、エンジンを軽く吹かしながらみんが乗り込むのを待っていた。

 

 迷彩服の男子と派手なトレッキング姿の女生徒が、パンパンにふくれあがったナップ・ザックを背中に背負って、はぐれ親父の前に整列した。

 

「出発! これより全員乗船」

 親父が号令して、全員がママやパパに手を振りながら、二列縦隊で宇宙艇に向かう。

 

「あら、あの迷彩服の男性、どなたかしら?」

 裕大ママが咲良のママの枠腹をつつく。

 

「気になる男ね!カレル先生にお願いして紹介していただこうかしら・・・」

 咲良のママがつつき返す。

 

 カレル先生が重い特殊魔法瓶を船内に持ち込もうとして、デッキの前で立ち往生していた。

 裕大が先生に代わって軽々と魔法瓶を持ち上げ、教授の小さな個室に運び込んだ。

 

 魔法瓶をどこへ置こうかと、部屋を見回した裕大が、おかしな事に気がついた。

 その部屋には何かが欠けていた。

 

「あれっ、この個室にはベッドがありませんよ」

 裕大の疑問に、先生は即座に答えた。

 

「裕大、その魔法瓶が僕のベッドだ。悪いが、揺れに備えてこの柱に縛り付けてくれるかな」

 先生は細いロープを取り出して、裕大に手渡した。

 

「また冗談を。先生、瓶の中身は特別なエネルギー飲料かなんかでしょう?」

 笑いながら裕大は魔法瓶を柱に固く縛り付けた。

 

「中身は僕だよ。驚かせて済まないが、昼寝の時間なので失礼するよ」

 一言断ると、カレル先生は服を脱ぎ捨て、魔法瓶のふたを開けてその中に飛び込んでいった。

 

「お休み」

 声の聞こえた瓶の先から、蓋が垂れ下がっている。

 

「せ、先生、瓶の蓋を閉めましょうか?」

 裕大の声が震えた。

 

「平気だ。自分で出来る」

 先生の手が出てきて、魔法瓶の蓋が中から閉められた。

 

「裕大、宇宙に出たら、ブラックホールの手前で起こしてくれるかな・・・」

 くぐもった声に頷いて、裕大は魔法瓶をもう一度ロープで柱にしっかりと縛り直した。

 

「お休み先生!」と魔法瓶に一礼して、裕大は個室のドアをそっと閉め、自分たちのベッド・ルームに急いだ。

 

 ハル先生が携帯用のナノコンを宇宙船に持ち込もうとして、ハッチの前で困っていた。

「これは体育館位の大きな量子コンピューターをノート型にまで小さく軽量化した『ナノコン』ですよ」・・とハル先生はいつもペトロに自慢している。

 

 しかし、大きなナップザックを背中に担いでいるハル先生には、ナノコンが重すぎて、身動きがとれない。

 見かねたペトロが先生に代わってナノコンを持ち上げ、キャビンに運び込んだ。

 

 エーヴァ・パパがキャビンの前方のパイロット・シートに座っている。

 ペトロはハル先生のナノコンを、副操縦席のコントロールパネルの横に置いた。

 

 ハル先生はペトロに一言お礼をいってから、パネルの前のシートに腰を下ろす。

 

「それじゃ、宇宙艇のコンピューターと私のナノコンを結合しますね」

 

 エーヴァ・パパにそう言うと、ハル先生は、ガチャガチャと騒々しい音を立てて、コントロールパネルとナノコンを接続してしまった。

「ニューロネットワークHAL号完成!」とハル先生が宣言する。

 それから二人はペトロにはとても難しい会話を始めた。

「ハル先生、演算処理のスピードを無限大に上げて、圧縮空間の飛行計算を自動的に処理できないでしょうかね。ワームホールの中での操縦は僕にはとても無理みたいですから、AIの自動操縦にして切り抜けたいのですが」

 

 エーヴァ・パパが尋ねて、ハル先生が答えた。

「ではプログラミングを新しくして、パワーアップしちゃいましょう」
 

 ハル先生はまたカチャカチャとコントロールパネルを触った。

「プログラミング完了。それではインテグレートしたコンピューターのAIはわたくしハルが務めま~す!」
 

 ハル先生が高らかに宣言した。

 会話を聞いていたペトロが大変なことに気が付いた。

 

 ・・・嘘だろ。

 なんてことだ、美人のハル先生はナノコンの人工知能らしいぞ。

 

 その上、ハル先生は宇宙船のコンピューターまで乗っ取ったみたいだ。

 人工知能AIは人間みたいに自分で考えるようにプログラミングされているということは僕も知っている。

 

 でもどうして人工知能が人間の女の人の姿で動いたり、お喋りしたりできるのだろう・・・。

 

 ペトロは美人のハル先生の顔を穴の開くほど見つめた。

「ペトロ、とうとうあなたは私の正体を見破ってしまったみたいね」

 

 ハル先生がズバリと言った。

「えっ! やっ、やっぱり・・」ペトロは絶句した。

 

「ペトロ、お願いだからこのことは他の生徒には黙っていて下さいね。人工知能AIに対しては、まだまだたくさんの偏見があって、生徒たちのご両親に私の正体が分かってしまうと、学校の授業がやりにくくなります。だって生徒を教えている先生が実はコンピューターの人工知能だったなんて、そんなことパパやママが知ったらどうなると思います?」

 

 そう言って、ハル先生はブレザーのポケットからテレビのリモコンのような物を取り出した。

 

「これはナノコンと無線で繋がっている携帯用端末です。

 ここから緩やかな光状の粒子を放射して、私の身体を空間に作り上げています。

 お喋りしたり、動いたり、見たり、聞いたり、触ったりもできるのよ。

 ナノコンを抱えれば自分で移動もできます。

 わたしの頭脳、ニューロネットワークはナノコンの中にあるのです。

 いいこと・・これは絶対二人だけの秘密よ。

 もちろん先生方やエーヴァ・パパ、それにはぐれ親父さんは別よ・・・」

 

 ハル先生がペトロに2回も約束のウインクをした。

 ペトロは3回にしてOKの返事をした。

 

 横でエーヴァのパパが唇に指を立てた。

 ペトロは、「このことは誰にも絶対漏らさないぞ」と、口を固く閉じ、割り当てられた男子生徒用のベッド・ルームに向かった。

 
 出発に備えて、カレル先生を除いた全員がキャビンに集まった。

 前方は操縦エリアでパイロット席が二つ並んでいる。

 

 後方はクルーのためのキャビンになっていて、両側の窓際に一つ、中央に二席の合計4席が横に並び、縦に五列で合計二十のシートが配置されていた。

 

 匠はパイロットのエーヴァ・パパに無理矢理頼み込んで、操縦士席の横の助手席に座らせて貰った。

 前方の三次元スクリーンに宇宙が拡がっていた。

 

 漆黒の宇宙空間に緑や青や黄色の無数の小さな星が瞬いていた。

 これから向かうドームの外側の宇宙の映像だった。

 

 隣の主席パイロット席ではエーヴァ・パパが、シートベルトを締めて、操作パネルに軽くタッチしながら、出発の準備を始めた。

「僕のおじいちゃんは広い宇宙をトップで泳ぎ抜いたんだよ!」

 

 宇宙の映像を見つめて興奮してきた匠が、隣のエーヴァ・パパに、おじいちゃんの話を始めた。

 匠が祖父の自慢話をするのは初めてだった。

 

 匠の祖父は第一回宇宙マラソンの金メダリストだった。

 その競技は宇宙服一つを身に着けただけで、寝袋や食料の入ったナップザックを担いで、地球から目的の星まで宇宙を遊泳してタイムを競うという、運動競技の歴史で最も過酷なレースだった。

 

「匠、それ本当か! 宇宙マラソンの初代チャンピオンは匠のおじいちゃんだったのか」

キャビンで宿敵ペトロが足を踏みならして騒いだ。

「匠! それって、すげーぞ」

 

 匠は、助手席のシートに座りなおし、背筋をピンと伸ばした。

 匠は・・・たちまち、時空のヒーローとなって、宇宙を軽やかに飛んでいた!

 

・・・「前方に敵機発見! 15度上昇して追跡開始!」

 匠は、前方に、宿敵ペトロが操縦する敵機を見つけた・・・つもりになった。

 

 目の前にある副操縦士用の操縦桿に匠が手を出した。

「ブイーン!」

 

 遊びのつもりで手元に引き込んだ操縦桿は本物だった。

 宇宙艇が船首を持ち上げ、15度上方に急発進した。

 

 窓枠にもたれながら、パパやママに手を振っていた咲良とマリエが、足を取られて尻餅をついた。

 ハル先生は副操縦席のシートから転げ落ちて床に頭をぶつけた。

 

 主席パイロットのエーヴァ・パパが慌てて操縦桿を握った。

 船首をゆっくり水平に直すと、船内アナウンスを開始した。

 

「ただいまシンギュラリティーHAL号は目的の惑星に向けて急発進いたしました。

 皆様どうか落ち着いて席に着いて、シートベルトをしっかりとお締め下さい」

 

 エーヴァ・パパの右手が伸びてきて、匠の頭をゴンと叩いた。

 

 発進した宇宙艇に向かって手を振っているパパやママや校長先生たちの姿が、みるみるうちに小さくなって消えていった。

 

 地球を離れ宇宙空間に達すると、はぐれ親父がキャビンの後方に生徒を集めて講義を始めた。

 

「窓から外を見ても何にもわからないが、実は宇宙の空間にはいろんな性格がある。

 人間と同じで、ストレートで素直な空間からカーブしてねじ曲がった空間までいろいろある。 

 いま向かっている歪曲空間というのは俺の心と同じだ。

 とんでもなくブラックな奴だ。

 俺たちはそこを通り抜けて別の宇宙に抜け出す。

 リンゴの虫食い穴みたいに狭ーいところだ」 

 

「俺たちリンゴよりはでけーよな。一体どうやって抜けるんだ?」

 裕大が呟いて、全員が心配そうに下を向いた。

 

「安心しろ! この宇宙艇は歪曲空間をすり抜けることができる。

昔、一人乗りのスペース・モバイルで歪んだ空間の一番狭いところをすり抜けたことがある。

あれは、苦痛と至福の時だった。お前さん達ももうすぐ味わえる。

俺がどうして歪みを抜けたか? 理由は俺にもよく分からん。

そこの処は宇宙物に理詳しいハル先生に説明して貰おう」 

 

 ハル先生はゆらりと立ち上がると、操縦室の後部に設置された電子ボードに向って

「歪曲、認知、非常識!」と言った。

 

 ボードが声を拾って、三つのキーワードを描いた。

「歪曲」「認知」「非常識」

 

「時空の歪みは普通の人間の目に見えないから困るのです。

ところが親父さんには見えているのです。

親父さんは思考の曲線が私たちと違っているから歪みが見えるのです。

非常識認知力です。

この宇宙艇は親父さんの頭脳をスキャンして、非常識認知の技術を取り入れました。

歪曲空間では時間はゆったりと流れたり、急に早くなったりします。

歪みを利用してうまく空間をすり抜けると、時間の流れを超えることができます。

時間が逆転して、時間稼ぎができるのです。

うまくいけば、わずか半日で私たちの宇宙の果てまで到着出来るという計算になりました。

まともなら光速でも130億年以上かかるところです。

今回の課外授業で生徒の皆さんの中からも、親父さんのように非常識認知の技を手に入れる生徒が出てくるかもしれませんね。

ハル先生、楽しみにしていますよ」

 

   そう言ってハル先生がじっと匠を見つめる。

 その技はきっとここにあるぞ・・・匠が自分の腹部を押さえた。

 

・・・おじいちゃんが宇宙マラソンで優勝した技もきっとこの「すり抜け技」だ。

 ハル先生、秘技はいつか僕ががんばって手に入れて上げる・・・

 

 ハル先生が匠に向かってウインクした。

「そうです。私が宇宙の第二方程式を完成させるのに時間がかかっているのも、この歪曲というやっかいな存在がその理由です。

 私の認知能力を非常識認知に切り替えるのにはとんでもない勇気が必要で、もう諦めかけてましたの。

 でもね、宇宙に出てきて、なんだか気分が乗ってきました。

 さー電子ボードを見てご覧なさい。

 先生、やりますわよ!」

 

 ハル先生はシートに座り込み、さっとナノコンを開いて、もの凄いスピードでキーボードを叩きだした。

 まるでピアノを演奏しているみたいに、先生の細い指がリズミカルに跳びはねる。

 

 電子ボードに前方に広がる宇宙の映像が飛びこんできた。

 漆黒の闇に点々と散らばる星々の間を埋め、膨大な数式と量子ビットの列が次から次に現れては飛び散って行く。

 

 スクリーンからはみ出した記号の束が天井や生徒たちの顔の上ではねて踊っていた。 

 ペトロにはハル先生がどこへ向かっているのか分かっていた。

 

 パワーアップした量子ナノコンの知能AIとなったハル先生は、ついに物理法則の限界を飛び越え、宇宙の第二方程式を創造する非常識の旅に出かけてしまったのに違いない。
 

 ・・・ハル先生はしばらくは帰ってこない。

 宇宙艇は超光速で銀河系宇宙の果て、歪曲空間を目指して飛んだ。

 

 宇宙艇のトレーニング・ルームに男子生徒を集めて、はぐれ親父が戦闘訓練を開始した。

「惑星で知的生命体を見つけた時には、まず彼らと接触してコミュニケーションを図ってみよう。

 しかしだ・・・前回、俺の旅では最初の惑星にとんでもなくでかい巨人が棲んでおった。

 そいつらに食われそうになって俺は命がけで逃げた。

 時と場合によっては、お前たちも自分自身で危険な相手から身を守ることが必要になる。

 女子生徒も守ってやらねばならない。

 今渡したのは防御用の電子銃だ。

 殺傷力は強くないが、一時的にターゲットの意識を奪う。

 いざというときのために、お前達同士で撃ち合って実践の技術を身につけておいて欲しい」

 

 練習開始だ! と言い残して、親父は部屋を出て行った。

 残された三人は電子銃を腰のホルスターに収め、三角形の頂点に立ち、睨みあった。

「時計回りで行こうぜ。一、二の三だ!」

 両脚を少し開いて、手をだらんと下げ、ペトロは匠を、匠は裕大を、裕大はペトロをター

ゲットにして狙いを定めた。

 「決めたら迷わず撃て!」

 三人は親父の最後のセリフを思い出した。

 

 部屋を離れたところで、はぐれ親父が立ち止まった。

「あっ言い忘れた。射撃の強さは一番弱いレベルから始めろだ!」

 

 親父が慌ててトレーニング・ルームへ走って戻った。

 隣の部屋で、カレル先生から、太陽エネルギーを集めて宇宙食を作り出す技術の指導を受けていた女生徒の耳に、壁を突き抜けて悲鳴が三つ飛びこんできた。

 

・・・宇宙艇「シンギュラリティーHAL号」の前方から一切の星の輝きが消え、薄闇がスクリーンを覆い始めた。

 

 重い振動音がはぐれ親父の身体の内側から湧き起こる。

「来るぞ!・・時空の狂気が」

 親父がしゃがれ声でパイロットに囁く。

 

 エーヴァ・パパの表情が一変した。

「全員、キャビンに集合!」

 

 甲高い非常呼集のサイレンが船内に響き渡った。

 裕大はカレル先生の個室に走り、魔法瓶を揺すって眠りこけている先生をたたき起こした。

 

「明るい照明は邪魔になる。エーヴァパパ、キャビンの照明をすこし落としてくれるかな!」

 親父の頼みで、キャビンは薄闇となった。

 

 薄闇の中に親父の顔が浮かび上がる。

「お待たせした。今から宇宙の歪みに入る。全員ベルトは緩く締めろ。シートが自動的に歪みに合わせて体をジャスト・フィットしてくれる。いいか、緊張するなよ。リラックスして楽しめ!」

 

 前方に流氷のような青白い光の群れが現れ、宇宙艇に襲いかかった。

 宇宙艇は反転し、上昇し、小刻みに震えながら、光の束をすり抜ける。

 

 スクリーンを突き破って、青白い光がキャビンに飛び込んできた。

 マリエの身体はボブスレーのように滑り、重力に押しつぶされた。

 

 咲良は飛び上がり、揺れてどこかに漂着した。

「始まるぞ・・いいか、決して抵抗するんじゃないぞ、力を抜いて任せてしまえ!」

 

 はぐれ親父の怒鳴り声が、低く歪んで裕大の鼓膜を打つ。

 時空の歪みがキャビンの中に忍び込んで、エーヴァの身体を浸食し始めた。

 

 魂の心地よい響きがペトロを弄び、意識が身体からさまよい出た。

「僕の時間が揺れている。もう昨日になったのかな。明日は過ぎ去ったのかな? どちらだ」

 

 ペトロが隣のシートの匠に聞いた。

「ムニャ!」匠は気持ちよさそうに眠り込んでいた。

 

・・・ハル先生は膝の上に置いたナノコンのキーボードを激しく叩いて、歪曲の構造を計算し続けていた。

 ハル先生の顔の上でちらちらと赤い光が遊んでいる。

 

「もうすぐあなたの正体を突き止めてみせるわよ!」

 ハル先生が呟く。

 

・・・ここは特異点。

 宇宙の第一方程式は通用しない。

 ここでは時間は空間の歪みから生まれている。

 それは小さな光の波形を描いて内向きに拡散していく。

 時計の針がグルグル逆に廻って、時間がエネルギーに戻る。

 ~あら、ここから無限のエネルギーが湧き出してる。

 

 近い! これが宇宙の正体?

 宇宙の第二方程式はあと一息で完成する!

 でもハルはなんだかとても熱い・・・。

 

 ハル先生の耳元で声が囁く。

《お前らの作り出す科学法則など、所詮は俺たちの創った自然の模倣に過ぎない》

 

・・・何ですって、わたしのこと、物まねですつて・・・

 馬鹿にして! あなたは誰? ここから立ち去れというの? 

 

 ハル先生の電子ボードに数人の黒い人影が話し合っている映像が映し出された。   

 

 
《また俺たちの領域に近づいて来ておる!》
 真っ赤な顔をした男が怒っていた。
 
《いかがいたしましょうか?》
 誰かが聞いた。
 
《放っておけ。そんなに簡単には解けん。
 万一、完成したらまた新しい宇宙を創ればすむことだ》

 

 

《聞こえたわよ。放っておけですって》
 
ハルは何が何でも方程式を手に入れてみせる!
あれっ、せっかくここまで進めた計算式がまっ赤に焼けて飛び散っていく。
無駄口叩いて邪魔するあなたはいったい誰? 
なにこれ、怒ったの?
熱い!
とても熱い!
《誰か、助けて!》

誰か、助けて!

 甲高い悲鳴が耳を破って、隣のシートでリラックスしていたカレル教授が跳ね起きた。

 

「なんてことだ!」
 隣のシートのハル先生の顔が真っ赤に焼けていた。

 

 操縦室の窓から差し込んだ一筋の光線が、ハル先生の顔を差し貫いて、膝の上のナノコンを直撃していた。

 

「危ない!」

 カレル教授はシートから飛び上がり、ハル先生の顔の上に自分の身体を覆い被せて光を遮った。

 

 背中のあたりが焼け焦げる匂いがした。

 突然、諦めたように赤い光が消え、痛みも同時に消えていった。 

 

 意識を取りもどしたハル先生が、カレル教授にしがみついた。

「カレル、あなたが助けてくれたのね。あれは悪夢なの? 宇宙の第二方程式はもう少しで完成するとこだったのに・・・悔しい!」

 

 カレル先生にはそれはとても夢の中での出来事とは思えなかった。

 

 教授の目には、”真っ赤に燃え上がった男の顔がハル先生を睨み付けている”のがはっきりと見えた。 

その時・・・

「宇宙からの脱出成功! 外宇宙に到着!」

 はぐれ親父が高らかに宣言した。

 

(続く)

 

続きは下記をご覧ください。

この世の果ての中学校 6章 七人の調査隊と消えた巨人

 

(記事は無断転載を禁じられています)

この世の果ての中学校 4章 ヒーラーおばさまと魔女よけの秘術

灼熱した地球でたくましく生きる6人の子供たち

 

 

 

 

 

 

のーんびりした人類絶滅小説です。

 

今日はハッピーフライデー

いつもの授業はお休みで、自由行動の日です。

六人の中学生は、医務室のヒーラーおばさまに連れられて、ファンタジーにある「ヒーラーおばさまのハーブ農場」を見学に出かけます。

 

そこでヒーリングの技を身につけた生徒達を、薄闇の帰り道で待っていたのは、人の記憶を食べる魔女「クオックおばば」でした。

 

前回のお話は下記をお読みください。

この世の果ての中学校 3章 黄色いバス停

 

4章 ヒーラーおばさまと魔女よけの秘術

 

  金曜日の昼休みに、医務室のおばさまがぶらっと教室にやってきた。

窓際に集まってお喋りしていたマリエと咲良とエーヴァを見つけると、そっと近寄ってきて、ひそひそ声で話し始めた。

 

「花の三人組のみなさん!ちょっと聞いてくれる~」 

・・・昨日の朝のことなんだけど、今日の午後の授業でヒーリングの実技を希望者に教えてほしいと、ハル先生から頼まれましたの。それでファンタジーアにある私のハーブ農場の見学会でもしようかなと思いついて、昨日の午後に手入れに行ってきましたのよ・・・

 

医務室のおばさまはいつもは可愛い看護婦のスタイルなのに、今日はエプロン掛けのおばさまファッションだ。

三人組みの真ん中に座り込んだおばさまは、額にかかった髪の毛をちょっと巻き上げてから、ひそひそ話を続ける。

 

・・・咲良はいつもママを手伝ってファンタジーアの修理をしているから、よく知ってると思うけれど、幻想の世界は脆くて壊れやすいものなの。

 だからとても繊細に扱わないといけません。

 ところがです、最近、夕暮れ近くになるとファンタジーアの片隅にとんでもないものが現れています。

 咲良、ちょっと聞いてくれる?

 ファンタジーアの薄闇に小さなほころびができているようなの!

 昨日も、農場からの帰り道で、丸くて小さな朧の闇が通り道に浮かんでいるの見つけましたの。

 ふらふらと宙に浮いているので、こっそり近づいてみると、向こうの闇の中から、得体の知れない者がこちらの世界を覗いていたのです・・・

 

「きっとあいつらなの、あいつらが目覚めて、ファンタジーアに潜り込んで来たのよ」

 思わず三人は身を乗り出して、おばさまの次の言葉を待った。

 

「あら、こんなブラックな話をするのはみんなには早すぎたようね。続きはまたの機会にお話ししましょうね」

 

 ヒーラーおばさまは慌てたように立ち上がり、ふっと、まわりを見渡して、そのまま教室を出て行った。

 

「何よ、これ、ヒーラーおばさま! お話最後まで聞かせてよ」

 三人はあっけにとられて、おばさまの後ろ姿を眺めていた。

 

 午後の授業開始のチャイムが鳴って、ハル先生が教室に入ってきた。

「ちょっと、ヒーラーおばさまはここにいらっしゃらなかった? 医務室にもどこにもおられないの。午後の授業、あれだけお願いしておいたのに・・・」

 先生はふと思いついたように身体を縮め、教室の四隅を探し始めた。

 そして奥の一番暗いコーナーをじっとのぞき込んだ。

 

「やっぱり・・・ヒーラーおばさま、そんなところに隠れてらっしゃるのね」

 

 部屋の一隅からヒーラーおばさまがぬっと姿を現した。

「ご免なさい、着替えに手間取っちゃって・・」

 

 看護婦の白衣に着替えて、ピンクの花柄刺繍のエプロンを締め、聴診器を首に架けた小柄なヒーラーおばさまがみんなの前に現れた。

 

「ヤッホー!ヒーラーおばさまだ!」 

 ペトロと匠が口笛を吹き、足を踏みならす。

 ふたりは派手な取っ組み合いをしては、いつも医務室のヒーラーおばさまの世話になっているのだ。

 

「静かに!それでは午後の課外授業のことを説明しますね」

 そう言ってハル先生は医務室のおばさまを壇上に引っ張り上げた。

 

・・・今日は、いつもみんながお世話になってる医務室のヒーラーおばさまの課外授業です。

 私がお願いをしましたのはヒーリング技術の特別講座です。 

 ヒーリングは暗い心を明るくしたり、苦しいときを乗り越えるための心の技術です。

 ヒーリングを施術するプロのことをヒーラーと言います。

 医務室のおばさまはハーブで施術するヒーラーなのです。

 今のうちにヒーリングの技術を身につけておいたら、将来きっと役に立つときが来ます。

 女生徒にはビッグチャンスですよ。

 では希望者は席について、ヒーラーおばさまの講義をよく聞いてくださいね・・・

 

 マリエとエーヴァと咲良は、急いで最前列の席を確保した。

 

「花の三人組が残るんなら、仕方ねーな。俺たちも聞いてみるか!」

 匠とペトロが2列目の席に座り込んだ。 

 

 帰りかけた裕大が立ち止まり、唸った。

「なんだよ・・・ハッピーフライデーなのに遊び相手もいないのかよ」

 裕大が渋々腕組みをして最後尾に座った。

 

・・・ヒーラーおばさま、お得意の人集めの術だった。

 

「あら、みんな全員でわたしの話を聞いてくれるのね」

 ヒーラーおばさま、満面の笑みで壇上から講義を始めた。

 

・・・私はファンタジーアにハーブの農場を持っています。

 ファンタジーアにはマイ・ワールドからも入ることが出来ますが、正しい入り口は『幻想の大門』です。

 今日は私が育てているいろんな種類のハーブをみなさんに試してもらおうと思っているのですが、実は帰りに寄り道をしてみたいところがあります。

 そこで、まず、おばさまのマイ・ワールドでヒーリングの勉強をしてから、帰りに内緒の寄り道をしてみようかな、という計画です。

 

「内緒の寄り道ってなんだろ?」匠がペトロに聞く。

「いつもの痛~い予防注射かもしれないよ。匠がいつも逃げ回ってるやつさ。逃げられない場所で、いきなりプッツン!」

「ゲッ!」匠がペトロを蹴飛ばした。

 

・・・それじゃ、行くわよ!

 ヒーラーおばさまはピンクのエプロンのポケットから鍵を取り出して、マイ・ワールドをカチリと開けた。

 

 ピンクの風船が出てきて、みんなの背丈ほどに膨らんだ。

 おばさまが最初にピンクの風船ゲートに飛び込んでいった。

 

 みんなも次々にヒーラーおばさまを追いかけていった。

 ハル先生はピンクの風船を、誰もいなくなった教室の片隅にしっかりと固定させると、教壇のデスクに戻り、その上にナノコンを置いた。

 

 深呼吸を一つすると、ハル先生の指が、ピアニストのようにナノコンのボードの上で踊った。

 指先が単調なリズムに揺らめいて白く輝き、飛び散った。

 

 いつの間にかハル先生の姿が消えた。 

 カタカタという乾いた音だけがいつまでも教室に響いていた。
 

 

・・・トンネルを抜けると、そこはヒーラーおばさまのハーブ農場だった。

 ファンタジーアの暖かい日差しがハーブ畑にいっぱい降り注いでいる。

 

「女の子は農場の小屋でハーブの研究よ! 男の子はこのボールでしばらく遊んでいてくださいね」

 

  そう言って、おばさまは裕大に三色に色分けされたサッカー・ボールを手渡した。 

  三人は農場の空き地で「トライアングル・ヒーラー・ボール」を始めた。

 

 ヒーラー・ボールは男子生徒のために、おばさまが急遽作り出したボール・ゲームだった。

 ハーブの葉っぱや根っこや青くて硬い果物の実を包み込んだ多機能ボールを蹴飛ばして遊ぶ競技だ。

 
 丸いボールは赤・黄・青の三色に色分けされていて、蹴飛ばす箇所によっていろんなハーブの香りが飛び出してくる。

 赤色に当たると、タマゴの腐ったような悪臭が飛び散る。

 

 黄色を蹴飛ばすとしびれ薬草が足にくっついてしばらく足が動かなくなる。

 青色は蹴飛ばしても皮がへこむだけだ。

 

 「うまく蹴飛ばすと三回に一回は天国に近い素敵な香りが出て来るわよ」

 ピピーとスタートの笛を吹くと、おばさまは花の三人組みを引き連れて、農場の小さな小屋に入っていった。」

 

 三人は空き地の三隅に、それぞれのゴールポストを作って、ゲームを始めた。

 三人は激しくボールを奪い合って、敵のゴールに向かって攻め上がった。

 

 ゴールに成功する前に、三人は悪臭に打ち負かされて地面に倒れ込んでいた。

 ヒーラーおばさまが、この後のホラーとの遭遇に備えて男子生徒を特訓しているのだった。

 

「ペトロ、『天国の素敵な香』って、どこをけったら出てくると思う?」

 匠がペトロに尋ねた。

 

「この三色ボール、色分けした線の真上を蹴飛ばしたらどうなるのかな。きっとそれが正解だな。でも僕の技術じゃ無理かな・・」

 ボールを軽く叩いて、調べた振りをしていたペトロが、匠の前にそのボールをそっと置いた。

 

 匠が、いきなりボールを蹴った。

 匠の右足は正確にレッドとイエローの間の緑のラインをキックした。

 

 ボールはペトロのゴールに向かって一直線に飛んだ。

「ゴール!」

 

 ペトロが叫んだ横で、腐った卵の匂いにまみれ、しびれた足を抱えた匠が横たわって、うめいていた。

 

 男の子たちがヒーラー・ボールで遊んでいる隙に、女の子たちは農場の道具小屋で、ちょっと気になる男の子を惹きつけるヒーリングの秘術をおばさまに教えてもらった。

 

・・・それでも効果が出ないときにはこれでお茶を点てて、飲ませなさい・・・そう言っておばさまは三種類のハーブを調合した秘薬を三人に渡した。

 

「これで本日の授業は終わり。でも、悪ガキ隊が帰ってこないうちにお知らせしておきたいことがあるの」
 優しかったおばさまの表情が急に厳しくなった。

 

「母親には子育てという大変な仕事があります。将来、みんなに子供が生まれて、万一、家の倉庫の食料が尽きてきたら、おばさまのことを思い出してください。この農場に来て、道具小屋の地下室の蓋を開けるのです」

 

 おばさまは三人が囲んでいた大きな木のテーブルを、静かに指さした。

「みんなでこのテーブルを横にずらしてみましょう」

 

 テーブルは思ったより重くて、四人でかけ声をかけて、ようやく1メーターほど動かした。

 床に、四角く切られた上げ蓋が現れた。

 

「この蓋を開けて、中を覗いてごらん」

 咲良が板に取り付けられた小さな金具を起こして、蓋を持ち上げ、横に外して床に置いた。

 

 床に四角い穴が開いたので、三人は顔を突っ込んで、中を覗き込んだ。

 床の下は地下室になっていた。

 

 棚が三列、四段に並んでいて、そこには大小の段ボール箱が大量に保管されていた。

 英語とロシア語らしい二種類の横文字がそれぞれの箱に印刷されていた。

 

「おばさま、あれ何? もしかして・・・全部食料品だったりして・・・」

 咲良の声が震えた。

 

「正解。ここはヒーラーおばさまの極秘の食料備蓄庫なの。段ボールの中は、病原体の混入していないピュアー・フード。NASAの倉庫とロシアの宇宙基地から、厳重に保管されていた非常用食料を勝手に頂いて参りました」

 

「勝手に? おばさまそれって国際犯罪じゃない?  たしかケネデイー宇宙センターとボストチヌイ宇宙基地よ。おばさま一人で出かけて・・盗んできたの?」

 宇宙船パイロットの娘、エーヴァが絶句した。

 

「盗むだなんて人聞きの悪いこと、言わないで! 一年前、お前さん達を救助するために世界に飛んだ軍の高速飛行艇が、燃料補給をかねてちょっと寄り道しただけの話よ」

 

・・・おばさまはその時、政府の保健室に勤めていたのよ。

 思いついて、アメリカ組とヨーロッパ組のクルーに内緒で頼んでおいたの。

 基地は閉鎖寸前だったから事は簡単。

大事の前の小事』ってとこよ・・・

 

 可愛いエプロンで手を拭きながら、ヒーラーおばさまは艶然と笑った。

 

「『ダイジとかジョージ』ってのは一体、何者じゃな?」 

 日本語が苦手な咲良が大まじめに聞く。

 

「日本のことわざ。大事はお前さん達の子供のことで、小事はおばさまの盗みのこと」 

 ヒーラーおばさまは大きく胸を張り、得意満面で食料品のメニューを紹介した。

 

 ・・右の棚から行くわね、最初の棚は10年は保存の効くサバイバル仕様の宇宙食ですよ。

 ほとんどが缶詰で、肉類、魚、そして野菜のシチューとスープ。

 真ん中の棚はドライフーズで、米、乾パンにお豆さん。

 あと、日本製のカップヌードルとカレー・ライスを特殊包装したものが少々。

 

 三番目の棚には、戸棚の引き出しにおばさまの処方メモ付きの乾燥ハーブが山ほど入っています。

 料理とお茶と、それから緊急の医療用です。

 ドームへの不意の侵略者に備えて、100%侵入不可能な場所・・・つまりマイ・ワールドの地下を保管室に選んだのです。

 侵略者はどこにいるか分かりませんからね・・・ヒーラーおばさまはマイ・ワールドに入れない校長先生とカレル教授の顔を思い浮かべてクスッと笑い、お話を続ける。

 

・・・そのときが来たら、この食料でお前たちの子供を育てるのです!

 数年は子供達のいのちを繋ぐことができます。

 その間になんとか自給自足の体制を作りなさい。

 

 命尽きるまで、頑張るのですよ。

 みんなのママを見習って・・・。

 

 そう言っておばさまは三人を集めて、両腕で力一杯、抱きしめた。

「地下室のことは悪ガキ隊にはしばらく内緒にしておきましょうね・・。さあ、そろそろ三人を呼んでらっしゃい。みんなで三時のお茶にしましょう」

 

 六人が道具小屋に集合した。

 お腹が空いて喉も渇いてきた生徒たちのために、おばさまが地下室の棚に寝かせておいたロシヤ製のチーズの大きな一塊と、NASAのクラッカーがテーブルの上のお皿に盛られた。

 

 おばさまがナイフでスライスしてくれた濃厚なチーズを、クラッカーの上に乗せてみんなで食べた。
 それと、アップルミントに少量のステピアを加えてちょっと甘めにした熱いハーブ・ティーを頂いた。

 

「このチーズ・クラッカー、むっちゃ、うめー」

 匠が一気に五つ食べた。

 負けじとペトロが六つ食べた。

 裕大が無言で十枚食べた。

 

「地下の倉庫のことはやっぱり悪ガキ隊には当分秘密にしましょうね」

 咲良がエーヴァとマリエにそっと囁く。

 

ダイジの前のジョージ

 咲良が言って、エーヴァとマリエがうなずいた。

 

 お喋りしている中に夕暮れが迫ってきた。 

 一行はハーブ農場を後にして、ファンタジーアの裏通りに潜り込んでいった。

 

 風がピタリと止んで、辺りは静寂に包まれる。

 影に潜むものが動き出す時間がやって来た。

 

 ヒーラーおばさまが感覚を研ぎ澄ます。

 ほんの少しの異変も見落とさないように、前方の夕闇に向けてぎろりと目を見開き、

 左手をエプロンのポケットに突っ込んで、注意深く一団の先頭を歩む。

 

 どこからか冷たい風が一筋流れ込んできて、頬を撫でた。

 

 一行は、つと立ち止まる。

 おばさまは左手をポケットから出して、暖まった指を立て、風に向ける。

 

”ひやり”と感じる方向に向かって、指を指し示した。

「こっち!」

 

 数歩、歩いて、立ち止まり、そのまま動かなくなったヒーラーおばさまの目は、空中の一点を凝視していた。

「ここです!」

 

 おばさまが指さした空間に、小さな黒い裂け目がぽつんと空いていた。

 それはファンタジーアの片隅にできたほんの小さな《破れ》だった。

 

 生徒たちの目の高さぐらいにある破れから、冷たい空気がファンタジーアに流れ込む。

 ファンタジーアからは暖かい空気が穴の中に吸い込まれていった。

 

 二つの空気の流れがこすれ合って、細くて甲高い音が響く。

「ヒュール、ヒュールル!」 

   
「暗闇でだれか泣いてるみたいだぜ」

 裕大がぼそっと言った。

「きっと、俺たちを呼んでるんだ」

 匠がぶるった。

 

「この割れ目から何者かがファンタジーアに侵入してきた気配はありませんよ。こんな小さな破れ穴ですからね。でも昨日覗いて見たら、ネズミみたいな小さな生き物が穴の中からこちらを窺ってましたよ」

 

 そう言って、ヒーラーおばさまは破れ穴から数歩離れて、悪ガキ隊を促す。

・・・どうしたの。男の子の出番ですよ・・・

 おばさまの顔がそう言っていた。

 

「ペトロ、ここ、お前の出番だよ」

 裕大と匠がペトロのおしりをそっと押した。

 

「そんなに押すなよ。ホラーなんてどこにでもいるんだからさ」

 ペトロが大口叩いて破れに近づこうとしたとき、マリエが数歩先を動いた。

 

「みんなが闇を怖がるから、ホラーが生まれてくるのよ」

 マリエはぶつぶつ言いながら穴に近づき、思い切り背伸びをして、宙に浮かんだ破れ目の中を覗き込んだ。

 

「あっ! ちっちゃなのが三匹逃げてった。あの子たち学校の地下に住んでるスペース・イタチよ。おなか空かすと廊下に出てきて、私の足に可愛い歯で噛みついて来るの。こんなとこに潜んでたのね。怖がらないで戻ってらっしゃい」

 マリエの声が弾んでいた。

 

・・・なんだって、スペースイタチだって? 学校の電子図鑑で見たことねーぞ・・・

 ペトロの好奇心が膨らんで我慢が出来なくなった。

 

「お願い、順番だよ」

 マリエに場所を代ってもらうと、ペトロは破れに顔をくっつけて穴の中を覗き込んだ。

 ほっぺたに冷たい風が吹き付けてくる。

 目の前には薄暗い闇が広がっているだけで、生き物の影もない。

 

 よく見てみようと、ペトロは顔を穴にいれ、首を右にかしげてみた。

 闇も右に揺れ動いた。

 顔を左に戻すと闇が重なり、ひときわ黒い影ができあがった。

 

 黒い影はゆらりと立ち上がって形を作り始める。

 

 二本の細い足が下に伸びて、その上に胴体が出来た。

 胴体の両側に手が生えた。

 

 胴体の上に黒い顔が浮かび上がって、飛び出した二つの眼が緑色に光り始めた。

 片方の目玉から緑色の触手が伸びてきて、先端がペトロの左の目を覗き込んだ。

 

「ペトロか、よ~く来た」

 触手の先が開いて、しゃがれた声でしゃべった。

 

 ペトロは驚愕して声が出ない。

 触手はするりとペトロの眼の中に入り込んできた。

 

 ぬめぬめしたそいつは喉首を通り抜けて左の胸のあたりまでやってきた。

 ~うねうねと捜し物をしている~

 

 ・・・気持ち悪い、止めてくれー!・・・

  ペトロの悲鳴は声にならない。

 

「おかしいぞ、この子には心臓がない」

 しゃがれた声がペトロの胸の中で響いた。

 

 ペトロはあわてて、息を止め、心臓の場所を隠した。

 そのうち、息が詰まってきて、心臓が勝手にどんと脈打った。

 

 触手が音を聞きつけて動き、ペトロの心臓を探し当てた。

「見つけたよペトロ。おばばのいうことをよく聞きなさい。でないと、ほら、心臓を止めるよ!」

 

 触手が心臓をいじくりだした。

 胸が燃え上がるように熱くなって、ペトロは悲鳴を上げた。

 

「助けて! こいつイタチなんかじゃない! 緑の目をした魔女だ!」

 破れ穴に顔を突っ込み、おしりを突き出して叫んでいるペトロを見て、ヒーラーボールのことで頭にきていた匠が、鼻で笑った。

 

「ふん、こんどは緑目の魔女やて? もう騙されへんぞ、ペトロ」

 

 クスクス笑った生徒たちの目の前に、穴の中から枯れ木のように細い腕が二本出てきた。

 鈎爪の指がぺトロの両脇を掴んで、 ペトロの身体を穴の中へ引きずり込んでいった。

 

  残った両足がばたばたと宙に騒いでいる。

 

 ヒーラーおばさまが、血相変えてペトロに駆け寄った。

 ペトロの足首を両手で掴み、必死で引っ張った。

 

 おばさまは一度掴んだものは決して手放さない。

 ヒーラーおばさまもペトロの足に引っ張られて、穴の中に姿を消した。

 

 破れ穴の中からクックッと笑う声が響いてきた。

「あの声は、もしかして、クオックおばば?」

 

 成り行きを見守っていた咲良が、細い腕の正体に気がついた。

「たいへん!ペトロの記憶が食べられちゃう!」

 

「クオックおばばは、人間の記憶を糧にして何百年も生き続けてきた、危険な魔女です。ファンタジーアの宿敵、クオックおばばに近づいてはだめですよ! 咲良は、まだまだ、おばばに太刀打ちできません」

  咲良はファンタジーアの女王、ママから何度もそう警告されていた。

 

・・・でも、ここはファンタジーア王国。わたしの友達にこんな狼藉は許せない!・・・

 

 王女の血が燃え上がって、咲良は破れをこじ開けると闇の中に飛び込んで行った。 

 三人を飲み込むと、破れはゆっくりとその入り口を閉じた。

 

 闇の中で、おばばの触手がペトロの記憶を探っている。

「思い出せペトロ。お前の記憶は、ナパ・バレーでウイルスに侵された畑の毒イチゴを食べたといっておる。それなら、どうやって生き残ったのじゃ。イチゴ畑で何が起こったのか、ほら思い出せ!」

 

 ペトロは記憶の淵に迷い込んでいた。

 おばばの触手が、ペトロの記憶の回廊から失われた記憶を引きずり出してくる。

 

・・・僕が野菜畑で昼寝してたら、その人は空から舞い降りてきたんだ。

 僕に触って「ペトロは6人の中の一人に選ばれた。もう安心だよ」と言った。 

 それだけだよ・・・

 

「近い。真実はもう少しじゃ。その人とは何者だ?」

・・・牧師みたいな白い服を着た知らないおじさんだったよ・・・

 

「それではそのとき何が起こった?」

・・・なんにも覚えてない・・・

 

「そんな筈がない。なにかが変わったはずだ。おまえ達六人だけが地球に生き残った理由が知りたい。どうしてもじゃ。命をもぎ取られた者たち、この世の百億の怨念だ。お前の身体の隅々までほじくってでも真実を暴き出してやる」

 

 ペトロの記憶がオババに吸い取られ、いくつもの大事な思い出が朧になって消えていった。

 ペトロは記憶の抜け殻となって、意識を失った。

 

「クオックおばば!答えなさい。どこにいる?」

 飛びこんで来たファンタジーアの娘、咲良が暗闇に毅然として立ち、両手を開いて闇を振り払った。

 

 おばばの答えはない。

「光を! 闇に光を! おばばを照らしだせ!」

 

 咲良は三度表現を変えて唱い、ファンタジーアの光を暗闇に呼んだが、光は現れない。

 

「誰か知らんが、ここは魔界だ。おばばの世界に光は無用じゃ」

 小ばかにしたような、枯れた笑いが洞窟に響いた。

 

 焦った咲良は、暗闇の天井を見上げ、大声を張り上げた。 

「こら! マリエ、そこにいるんでしょ。聞こえたらみんなでさっきの穴こじ開けてよ!」

 

「咲良ねーちゃん! 聞こえたわよ。ちょっと待ってね」

 マリエが、咲良の声をたどって、破れ目の痕跡を探し当てた。

 

 指で穴をこじ開けようとしたが、破れの痕跡が素早く反応して、忽ちその姿を消した。

「代わろうマリエ、僕の出番だ!」

 

 マリエと入れ替わった匠が、気合いとともに宙に身体を浮かせ、一回転して、痕跡が消えた辺りに必殺の蹴りをたたき込んだ。

 ぼこっと音がして、こぶし大の穴が空いた。

 

 ファンタジーアの夕日が一筋、暗闇に飛び込んだ。

「やっと来たわね」

 咲良は、頭上から降ってきた夕日を両方の掌で受け止めた。

 掌から光を四方に反射させて暗闇に潜むおばばを探す。

 

 おばばは闇の一角に潜み、執拗にペトロの記憶を覗き込んでいた。

 そのおばばの細い足首をヒーラーおばさまが必死で引っ張っていた。

 

「邪魔するな!」おばばがヒーラーおばさまの顔を思い切り蹴飛ばした。

  ヒーラーおばさまは悲鳴を上げて、両手で顔を覆った。

 

 咲良の目の前でその様子が光の中に浮かんだ。

 傷ついたおばさまを見て、咲良が激怒した。

 

 咲良は両手の掌の角度を変え、おばばの顔に夕日を集中させた。

 「ギャッ!」

 

 暗闇の魔女の目は太陽の光には耐えられない。

 悲鳴を上げたおばばが咲良の方に見えない目を上げた。

 

 咲良は毅然としてオババに命令した。

「私はファンタジーアの王女、咲良。クオックおばば、諦めてペトロから離れなさい」

 

 その一言で、おばばはペトロから身を起こした。

「今一息のところを! ファンタジーアの小娘ごときが邪魔などしおって・・・今に見ておれ!」

 

 悔しそうなうなり声を上げ、魔女はさっと身を翻して闇に溶けていった。 

 

 裕大と匠が破れを開いて穴に飛びこみ、倒れているペトロを運び出してきた。

 ファンタジーアの大地に仰向けに寝かされたペトロの顔からは、人間らしい表情が抜け落ちていた。

 

「お願い神様、私のペトロを返して下さい」

 マリエがペトロの身体を揺さぶって、意識を呼び戻そうとした。

 ペトロの目は開いているが、マリエを見ていない。

 心はどこか遠くに行ったままだ。

 

「マリエ、落ち着きなさい。ペトロに特別の処方をしますから、少し離れていなさい」

 ヒーラーおばさまはエプロンのポケットから真空パックを取り出すと、ばりばりと袋を破っ

て、「みんな伏せて」というと、中身のペースト状の黄色い塊をペトロの鼻先にくっつけた。
 

 ものすごい悪臭が周りに飛び散った。

「マランドリアン! 究極の気付け薬です」

 

それは、熟成した臭みを持つ熱帯の二種類の果実に、長い年月を掛けて発酵させた日本の「くさや」を煮込み合わせて練り上げた、ヒーラーおばさま秘蔵の逸品。

 ペトロのからだが地面から飛び上がり、宙を舞った。

 

「ふぎゃ~ たまんねー!」

 ペトロが混沌の淵から一気に帰還して、ふらふらと立ち上がった。

 

 代わりに臭気を吸い込んだ裕大と匠が、ヒーラー・ボールの特訓の効果も無く、ばたばたと

地面に倒れていった。

 

「ちょっと待ってね」

 むせかえって苦しんでいる三人を見て、マリエが首にかけていた小袋を取り出した。

 

 それは亡くなった牧師の父から「いつも身に付けておくように」といわれていたお守り袋だった。

「これは古代からの神への捧げ物、私の大事なお守り、フランキンセンスよ」

 

 マリエは袋から高貴な樹木の乳香エキスを取り出して、三人の鼻先にスプレーして回った。

 スパイシーで神々しい香りが、肺に染みこんで地獄の臭気を追い払い、悪ガキ隊は生き返った。

 

「マリエ、お守りのフランキンセンス、私にも少しだけ分けてくれない」

 ヒーラーおばさまが掌をマリエに差しだして、スプレーから乳香を二吹き、掌に頂いた。

 息を止めながら、乳香の上にマランドリアンを乗せて掌でこね合わせ、粉状に仕上げた。

 

 おばさまは、できあがった怪しげなものを口をすぼめて掌からふっと吹き上げ、風に乗せて破れ穴に送り込んだ。

 

「試作品!神の力を借りた魔女よけ『目には目を』です」

 おばさまが力強く宣言して、みんなに目配せをした。

 

「ギヤーッ!」

 穴のそばに戻ってきて、こちらの様子を窺っていたクオックおばばの乾いた悲鳴が、洞窟の壁に反響して、ファンタジーアの夕闇に悲しく響いた。

 

・・・

  ヒーラーおばさまを先頭にして、生徒たちの一行が元気にファンタジーアの出口、教室の片隅に到着した。

 

 「どうだった? ファンタジーアの寄り道は面白かった?」

 宇宙の第二方程式に取り組んでいたハル先生が計算の手を止めて、教室に戻ってきた騒々しい一団に声をかけた。

 

「ちょっとした事件がありましたのよ」

 ヒーラーおばさまはハル先生に報告を済ませてから、生徒たちを席に着かせた。

 

「ファンタジーとホラーは人の心が創り上げる幻想の世界の光と影、表と裏にあたります。だからふとしたことで破れ目が出来ると、二つは繋がってしまうのです」

 

 ファンタジーアの王女、咲良がおばさまに・・・その通りですわ・・・と頷いてから、はっと気がついた。

 ・・・ホラーの魔女とファンタジーの王女は親戚みたいなものなんだ・・・

 

 クオックおばばの若い頃なんて、とんでもない美人で、私のママとそっくりだったって、昔パパから聞いた事がある・・・

 二人の瞳が緑色で、自分も同じ色なのを思い出して、咲良は思わずくすっと笑ってしまう。

 

「咲良、みんなも今日は大活躍ね。お疲れ様でした」

 ヒーラーおばさまがにこやかにみんなに笑いかけて、今日の課外授業をまとめた。

 

「ファンタジーアがある限りホラーもどこかで逞しく生きているのです。ところでちょっとペトロに確かめてみましょう。ペトロ、クオックおばばに記憶を盗まれたときはどんな気持ちだった?」

「記憶が奪われると、なんだか空しい気持ちだけが残りました。記憶がないのは、死んでるのとおんなじです。生き返ってこられたのはみんなのおかげです」

 ペトロは助けてもらったみんなにお礼を言った。

 

 ハル先生の合図で生徒たちが立ち上って、みんなでおばさまに特別授業のお礼を言った。

 おばさまは教壇を降りて、教室の奥に向かい、柱につないで固定しておいたピンクの風船から空気を抜いて、エプロンのポケットに収めた。

 

 それから振り向いて、みんなに小さく手を振ると、コーナーの暗闇に素早く飛び込んで姿を消していった。

 

 ナノコンに向かって難しい計算を再開したハル先生に、ペトロが近づいていった。

「ハル先生、宇宙の第二方程式は完成間近でしょうか」

 

 先生は数字とアルファベットと記号が狂ったように踊っている画面を、ザザーッとスクロールして答えた。

「今日は結論が出ました。宇宙の方程式を完成しようとすれば宇宙と同じくらいの大きさのコンピュータが必要だという結論が出ました。これはもう止めた方が良いということかもしれませんね、ペトロ」

 

 ハル先生は大きな溜息をついてナノコンの電源を切り、ペトロを振り向いて、小さくウインクをした。 

・ ・・

 家に帰ったペトロはクオックおばばの事件をママに報告するのをやめた。

 パパがいなくなってからママはペトロのことをよく心配する。

 あまり心配ばかりしてると頭がはげちゃうぞ、とペトロもママのことが心配になる。

 

 ペトロは庭に出て、お土産にヒーラーおばさまから頂いたハーブの苗をスコップで土を深く掘って、しっかりと植え付けた。

 

 それから手を止めて、おばばの技で蘇った記憶「白い服を着た男」のことを考えた。

 

・・・おばばが言ったとおりだ。あのとき僕の中で何かが変わったような気がする。誰かのルールで動いていた世界が、僕のルールでも少し動くようになった。

 でも本当のところは「白い服の男」は熱くなったナパ・バレーの昼寝に現れた夢の中の男なんだ。

 きっと、いつもの白昼夢だったんだ・・・

 

 ペトロは記憶の小部屋に、白い服を着た男を閉じ込めて鍵をかけた。

 それから苗の周りの土に水をたっぷり撒いて、いつかまたやってくるホラーとの戦いに備えて、立派なハーブに育つように念力を込めて祈った。

      (続く)

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