この世の果ての中学校22章“クレアとボブは緑の怪物を探しに森に出かけた” 

 第三惑星テラに住む小さなエドの家族に、遠く離れた地球のエーヴァから至急の電子メールが届いた。

 メールの中身はともかく、仲間の生徒達から頼まれて、宇宙の長~い旅をして外宇宙の第三惑星テラに電子メールを届けたのは、宇宙遊泳の上手な匠だった。

 

(前回のお話はここからお読みください)

この夜の果ての中学校/エピソード“ゴルゴン一族宇宙の旅”

 

この世の果ての中学校22章“クレアとボブは緑の怪物を探しに森に出かけた”

 

 匠は宇宙マラソン初代チャンプの祖父から、「決して諦めないアスリートの魂」を受け継いでいる。

 さらに匠は、三界はぐれのおじさんから教えて貰った宇宙遊泳の秘技を、毎晩人知れず磨き上げていた。 

 

 匠は一人地球を旅立ち、スペース・ウエア一つで宇宙を泳ぎ、銀河系宇宙の果てにある巨大な歪みの前に一週間をかけてたどり着いた。

 

 匠は緑の第三惑星を目指したが、巨大歪曲を泳ぎ抜けることはできなかった。

 目に見えない壁が匠を押し戻し、突き進もうとする体ははじき飛ばされた。

 

 あきらめた匠は、宇宙服のポケットからスペース・フォンを取り出して、エーヴァが生徒代表で書いた電子メールを、惑星の広場に建てられたエドの記念碑、円筒金属板の表面に送り届けた。

 空に散った英雄エドの記念碑を作ったとき、円筒ボックスの表面はスペース・メール用の受発信プレートに加工されていたのだ。

 匠は、メールを発信し終えると、返事を待つことにして、背中のナップザックから休憩用のハンモックを取り出して宇宙に広げ、横になった。

 

・・・その朝、第三惑星テラでは、小さなエドの一家がいつものように森の花を集めて、エドの記念碑にお供えにやってきた。

 

「大変! 地球のエーヴァお姉ちゃんからメッセージが届いてる」

 目のいいクレアが最初にメールを見つけた。

 エドの記念碑のプレートに鮮やかなメッセージが浮かび上がっている。

 

「クレアは文字が読めるかな」と、パパ・エドがクレアに聞いた。

「長文の英語ね、読むのはまかせて・・。行くわよ!」

 昔、アメリカの北の大陸から宇宙船でやってきた避難民の孫、クレアが長いメッセージを一気に読み上げた。

 

・・・お久しぶり、みんな元気? こちら地球のエーヴァ。

 地球の6人の仲間から、小さなエドの家族に大事な相談があるの・・。

 驚かないでね、じつは第一テラと第二テラそれに第三テラも地球の分身かもしれないの。

 三つの惑星テラは地球から逃げ出した緑の森からできあがった惑星だという、生徒会の結論が出たのよ。

 

 地球の環境がどんどん悪くなって、このまま地球にいたら緑の植物は全滅してしまう・・・危ないと思った緑の植物が地球から逃げ出してできあがったのが惑星テラじゃないかって。

 もしかしたらよ・・・どこかに緑の守り神がいて山や森や畑を土ごと連れて行ったんじゃないかって噂まであるの。

 第一テラの巨人たちはそのときアマゾンの奥地からくっついていったんじゃないかって。

 匠が大事にしてた庭の柿の木も地面ごとくりぬかれたように無くなってたそうよ・・・。

 ここから、よく聞いてね。

 突拍子もない話なんだけど『離れたものなら、もと通りくっけられないかって』みんなで考えたの・・・小さなエド達のテラ3と私たちの地球を融合させるって計画よ。

 テラ3の緑が地球に戻ってきたら、研究室に隠してある凍結細胞から絶滅した動物たちを再生して育てるの。つまりすべて元通りにして、みんなで一緒に暮らすってこと。

 この考え・・・どう思う?

 でさ、地球からの分身説が事実かどうか大至急確かめたいの。

 言い伝えとか、地球の痕跡が見つかったとか、それみたいな話ないかしら?

 咲良ねーちゃんが言うんだけど、もしも、むかし地球にいた緑の守り神様が、そちらの惑星に住んでらしたら直接お聞きしてもらってもいいわよ・・・なーんちゃって! 

 ところで小さなボブも可愛いクレアもそこにいるの? 

 も一度会いたいな! 

 そうだ、返信はやり方分かるわね。

 これ消して同じ場所に指で文字書いてどんと叩いて打ち込んだら終わり。

 自動発信で中継基地の匠に届くわよ。返事待つわね・・・エーヴァ」

 

 読み終えたクレアがパパ・エドに頼んだ。

「パパの出番よ。英語文字書き込めるのパパ・エドだけ。お願い、OKって返事して!わたし森の中で緑の怪物を見たことあるってことも伝えて・・・」

パパエドが、プレートに向かって昔の記憶をたどりながら、英文で返信メールを指で書きはじめた。

・・・こちらパパ・エド。エーヴァのメール読んだよ。

 みんな元気だよ。地球のみんなも元気? 

 メールみたけど、惑星テラが地球から逃げ出してできあがったって話、誰からも聞いたことないよ。

 テラ1の巨人の孫ならなにか知ってるかもしれないけど遠くて会えない・・・。

 緑の守り神に会ったことないな。

 でも、クレアはときどきこの惑星の森の中ででっかい緑の怪物を見かけるんだって。

 木から木へ飛び回ってる半分透明な生き物だ。

 僕たちにはみえないけど、クレアにはみえるらしい。

 エドの子供たちの中でクレアの目が一番緑色してるから、緑の怪物が見えるのかな。

 いまから探してみて、もし会えたら、なにか知ってないか聞いてみるって横でクレアがいってる。

 匠、元気?そのまま中継基地で夕方まで待っててくれたらなにか報告できるかもしれないよ・・・

 記念碑のプレートに書き終えたメールをパパ・エドがどんと叩いて送信すると、しばらくして返事が来た。

 
「了解、パパ・エドへ。しばらくここで待つよ。地球の仲間はみんな元気だよ。中継基地から匠」

 

・・・

「いまから森に出かけてくる。緑の怪物の通り道はいつも決まってて、今日は渓谷沿いに下ってくると思うの。そこでしばらく待ってみる」

 森の小さな家に戻ったクレアが出発の準備を始めた。

 

 ヘヤー・バンドの中から緑の葉っぱで作り上げた一番大きなものを選んで、長い髪を引っ詰めた。

「緑の怪物さんに仲間だと思ってもらわなくっちゃね!」

 クレアがボブに囁いた。

 

 緑のヘヤー・バンドを見て、小さなボブがやる気になった。

「ボブも手伝う!」

 

 ボブは緑の怪物がすぐ気が付くように、葉っぱで織り上げた目の覚めるようなグリーンのジャケットと白い短パンに急いで着替えを済ませる。

 「ボブに負けちゃったみたい」クレアが目を丸くして笑った。

 

 二人は手をつないで、朝の日差しの中を森に向かって出発した。

 

「気をつけてね!」

 ママ・アナとパパ・エドが小さな家の前に立って、二人を見送った。

 

「あの子たち、怪物に食べられてしまわないかしら」

 ママが心配してパパに聞く。

 

「女の子のクレアと小さなボブだけなら怪物も警戒しないし、悪さもしないと思うよ。今日はクレアに任せてここで二人の帰りを待とうよ」

 パパ・エドがママ・エドの肩にやさしく手を回した。

 

 クレアとボブはいつもの森の小道を元気に登っていく。

 森では、硬い果肉の詰まっている木の実とか、柔らかい根菜とか、パリパリに焼き上げて食べる小さな昆虫とかを集めることができた。

 

 森の奥深くまで分け入ったところで、水がはじける音が聞こえきた。

 二人は小道を外れて、木の枝を伝いながら、急な斜面を水音のする方向に降りて行った。

 

 底地に着くと、さっと視界が開け、冷たい水の飛沫が降りかかってきた。

 上流から数本の渓流が集まって、一本の滝になって目の前の滝壺に落ちている。

 

 クレアが耳に手を当て、なにかを聞き取ろうとした。

 滝壺にはじける水の音に混じって、遠くで小さな風が騒ぐ音が聞こえた。

 

「ボブ、ここで待ち伏せするわよ!」

 クレアはそう言って水際の岩に腰を下ろした。

 ボブもクレアに並んで、隣の岩に腰掛けた。

 

 いつも陽気なボブが、両手を握りしめて緊張している。

 目をいっぱいに見開いて、滝の上流を睨んでいた。 
 

 しばらくして、さわさわという不思議な音が近づいてくる。

 音の正体を見極めようと、ボブが思わず立ち上がりかけた。

 

「そのまま、動かないで!」

 クレアがボブを片手で制した。

 白地に薄いピンク色をした、目も覚めるような美しい蝶が群れをなして、川上からやってきた。

 ボブの目の前で、ピンクの虹が跳びはねる。

 

 蝶の群れはクレアとボブの身体に当たりそうになると、いくつかの群れにさっと分かれて、空に舞った。

 戯れ、しばらく遊んでいたが、ふと、なにかに怯えたように静止した。

 

 突然空が陰り、雲間から一陣の風が吹いた。

 群れは大慌てで風に乗り、下流に群れ落ちていった。

 

「来るわよ!」

 クレアが一声叫んで、岩の上に立ち上がった。

 緑のリボンをさっと髪から外して手に掴み、上流に向かって大きく振り廻す。

 

 ボブも小さな岩の上に立ち上がり、緑のジャケットを脱いで頭の上で振り回した。

 風の音が変わり、ざわざわーっと、強い風が岩の上の二人に吹き付けた。

 

「止まって下さい! 止まって下さい!」

 クレアが両足を踏ん張って緑のリボンを振り、風に向かって叫ぶ。

 

「止まれ! 止まれ!」

 小さなボブも立ち上がった。

 両脚を踏ん張って、緑のジャケットを脱いで頭上に振り回した。

 

 青かった空の色が薄緑に変わり、音を立てて風が吹きつけてくる。

 クレアの体が大きく揺れた。

 緑のリボンがばらばらの葉っぱになって飛ばされていった。

 

「止まれ!止まれ!」

必死で叫ぶボブのジャケットが風に煽られ、身体が足元から浮き上がった。

 

「ボブ、危ない!ジャケットを手から離しなさい!」

 クレアの叫ぶ声はボブには聞こえない。

 

 ボブは緑のジャケットを必死で振り続けた。

 

 クレアの悲鳴と共にボブの身体が舞い上がり、岩から吹き飛ばされてしまった。

 ボブは川に落ち、呑み込まれ、流されていく。

 

「止まれ!止まれ!」

 流されながらもボブは叫び続け、緑のジャケットを水面に上げて振り回す。

「と・ま・れ!」

 息が苦しくなったボブが最後の声を上げた。

 ジャケットがボブの手を離れて流されていく。

 

 風が緑のジャケットに気がついたようにいきなり止んだ。

 岩の上に立ちすくんでいるクレアに、風の中に動く、緑色をした半透明のものが見えた。

 

 緑の風は流されていくボブの上に集まって回転を始めた。

 小さな渦巻きが次第に竜巻となって、川の水を吸い上げて空中に吹き上げる。

 

 巻き込まれたボブの身体が、水中から宙に浮かんだ。

 竜巻はそのまま横滑りをして、ボブの身体をツツーと運び、クレアの横の砂浜にドサリと落とした。

 

 風に巻き込まれてきた緑の葉っぱと一緒に、ボブの緑のジャケットが砂浜に舞い落ちた。

「おい小僧!びっくりするじゃないか、こんな山の中で交通整理はしないでくれ。ジャケットの緑はGO!で“止まれ”じゃない。このおじ様、混乱しちまったぞ。ところで小僧、俺になにか用か?」

 緑の風の塊が、ざわついた声でボブに話しかけた。

 ボブは水を飲み込んで、むせかえっている。

 クレアがあわててボブの背中をトントンと叩いた。

 

 呼吸を整えたボブが声のした方に向かってなにか言ったが、声にならない。

 クレアは緑の正体をみて震えた。

 そこには、緑色した半透明の怪物!

 怖い!声が出ない。

 

 ・・・何してるのクレア! ボブは命がけよ! 頑張りなさい!・・・

 クレアは息を詰め、はき出し、もう一度大きく吸い込んだ。 

 そして風に向かって一気に話した。

 

「弟のボブが・・・助けて頂いたお礼を言っています。でもボブにはおじ様の姿はみえないようです。私には緑のお姿がぼんやりと見えます。今日はどうしてもおじ様にお聞きしたいことがあって、無理矢理お止めしました」

 

「長い話になりそうか?」

 風の怪物が意外に優しい声でクレアに尋ねた。

「はい、出来れば・・・」

 クレアが答えると、風は方々に飛び散った自分を呼び集め、大きな一つの形を作り出した。

 

 緑の髪、緑の目、薄緑の皮膚、薄緑の手足・・・巨大な半透明の緑の怪物がボブを覗き込んだ。

「どうだボブ、これで俺がみえるか?」

 

「はい!でも半分は透けて向こうがみえます」

 ボブが元気に答えた。

 

「怖くはないか?」

「おじさんは少し気味悪いです」

 

「そのくらい我慢しろ。俺様のお通りを無理矢理止めた人間は、ボブお前が二人目だ。

 昔、咲良とか言う可愛い娘がこの辺りで俺を止めた。

 人間と話すのはそれ以来だ。いいかボブこれを見てみろ」

 

 風がそっと差し出した緑の手の中には、ピンクの小さな蝶が羽根を震わせていた。

 
「おじさんは蝶々を追いかけて、掴まえて、食べちゃうの?」

 心配になったボブが聞く。

「違うね。こいつは、弱ってみんなからはぐれてしまったのさ。元気が戻るまで俺が運んでやってるんだよ」

 風は蝶をそっと宙に放り上げると、下流に向けて一吹きの風を起こした。

「そーら仲間の処へ飛んでいけ!」

 風が命じると、蝶は宙を舞い、風に乗って仲間の群れを目指して元気に飛び去って行った。
 

 ボブが手を叩いて喜んだ。

 風が笑ってボブに聞いた。

「ボブは俺のテーマソングを知ってるかな」

 ボブが首を横に振った。

「♯友よ、答えは風に吹かれて♭」

 風の声がボブのよく知っている歌をうたい始めると、ボブはもう大喜び。

 

 ボブたちの先祖は遠い昔の地球、北米大陸の生まれ。これはビールが大好きなボブじいちゃんがよく歌っていた曲だ。

 ボブも風のおじさんと一緒に歌った。

「自己紹介は終わりだ。どうだ、まだ俺様が怖いか?」

「もう怖くなくなったよ。この歌は地球の歌だ。だとすると、おじさんは地球からきたんだ。僕のパパも壊れた地球から逃れて宇宙船でここにやってきたんだよ。そうだ、僕、風のおじさんの友達になってあげようか」
 

 風が笑って、一筋のつむじ風が吹き、クレアの髪を乱した。

 クレアははっと我に返って背筋を伸ばした。

 

「私の名前はクレアです。先ほど咲良という名前をお聞きしました。地球の咲良ちゃんなら私もよく知ってますよ」

「そりゃ違うな。咲良が俺を止めたのは90年も前のことだ。きっと違う咲良ちゃんだな。遠い昔の別の世界のことだよ。でもな、なにかの縁かも知れん。クレアにボブ!じっくり話を聞こうか」

 風のおじさんはクレアとボブのそばに座り込んだ。

「おじ様は昔、地球にいらしたのね。緑の風のおじ様、差し支えなければあなたの正体を教えていただけないでしょうか」

 クレアがいきなり訊ねると、風は思わずため息をついた。

「ふーっ!可愛いクレアに“緑の風のおじ様”と呼ばれて悪い気はしないよ。でもな、俺の正体は森を守る男、ただの森の管理人だよ。

 俺様の仕事は森に適当な風を通すことと山火事を消すことだ。森は風通しが良くないとろくなことにならないからな。

 暗闇の藪みたいになっちまって木が育たない。それと木の枝が風でこすれたり、雷とかで火が起こると山火事になる。

 大火事になる前に、俺様が風をさっと吹かせてさっさと消しちまう。

 風を吹かせる方向や強さ加減がなかなか難しくてな。

 これにはかなりの熟練がいる。

 へまをしたら山火事になって仲間の雨雲親父を呼ばなきゃならんことになる。

 一言で言って、俺の正体は緑の環境整備の下働きだよ。三っつの惑星テラを飛び回って、忙しいのなんの・・・緑の守り神にこき使われてる毎日だよ」

 

 緑の守り神というフレーズが出てきてクレアは跳び上がりそうになった。

・・・これは答えが近そう。おじ様の紹介で本物の守り神に会えて、地球から緑が消えたいきさつを聞けるかも・・・

 でも、そこに割って入ったボブの質問が鋭いところを突いた。

「おじさんは大変だね。地球にいた頃も今みたいに忙しかったの?」ボブが何気なく聞く。

 

「とんでもない、地球にいた頃はこんな生やさしいものじゃなかったね。

 それこそ身体がいくつあっても足りなかったよ。

 どんどん広がる森林の開発に、高値で売れる木の乱伐、森に火をつける焼き畑。

 ボブは知ってるかな? 森の修復には何百年もかかるんだよ。

 そうだ、それに加えて大気汚染と温暖化だ。

 俺たち管理人がいくら踏ん張っても、無くなっていく森林の修復なんぞとてもじゃないができる状況じゃなかったね」

 

「それっていったい誰の仕業なの?」

 ボブが恐る恐る聞いた。

 

「そりゃー、お前さんたち人間の御先祖様の仕業じゃねーのか? 

 だから人間の一族がうじゃうじゃいる地球はもう諦めて、木や草や緑の一族が土ころくっつけたままこちらに引っ越してきたんじゃないかな。

 もちろん森の管理人の俺様も、そのとき一緒に地球から逃げだしてきたって訳だ」

 

「引っ越しするなんて、一体誰が決めたの? 緑の守り神が勝手に決めたことなの?」

 クレアが直裁に問うと、風のおじ様は、首をかしげて考え込んだ。

 

「そうだな・・・多分みんなで決めたんだと思うよ。人間どもにやられる前に逃げてしまえとな。みどり色した一族の望みが叶えられたんだよ。緑の守り神はきっとこういうだろうな、俺様はみんなの希望を叶えただけだ。地球には荒れ地ばかり残ったけど、悪いのは人間どもだってね」

 

 “悪いのは人間どもだ”と決めつけられて、クレアとボブはどんと落ち込んだ。

 ボブはうなだれて下を向き、クレアは天を仰いだ。

 

 それをみた緑の風のおじ様は、ちょっと言いすぎたかなと反省して、黙り込んだ二人を慰めようと思った。

 

「でもな、地球の人間は別にして、ここに来たお前さんらは大した悪さはしないし、目も緑色になってきたから、俺たち緑の一族の親戚みたいなものだ。

 おじ様が森の守り仕事のついでに、お前さんたち人間も守ってあげようかな。

 この世の命の種にはみんな守り神がついているのに、人間だけは守り神までいなくなってかわいそうだからな」

 お喋り好きの風のおじ様が、またまた口を滑らせてしまった。

 

「守り神がいないとどうしてかわいそうなの」

 ボブが驚いて聞き返す。

 ボブもクレアも命の種にはそれぞれ守り神が付いていて、自分たち人間だけが守り神がいないなんてことは初耳だ。

 

「そりゃ当たり前だろ、守るものがいなけりゃ命の種は長くは生きられねーからな」

 答えを聞いて、クレアとボブは腰掛けていた岩から後ろにひっくりかえった。

 

「おいおい、大丈夫か。そんなにびっくりしないでくれ。命の種の絶滅なんぞいくらでもあることだ。多少長いの、短いのがあってもすべての生命の種はいつかは消滅する。そうだ、絶滅の理由で一番多いのはそりゃ食い物が無くなることだ」

 とんでもない結論と、岩から落ちた衝撃で、クレアとボブは意識を失ってしまった。

 風のおじ様は砂の上に倒れている二人を前にして、途方に暮れた。

 

「確かこの子らの家は緑の森の入り口の辺りだったぞ」

 しばらく考え込んでいた森の管理人は地図を取り出して二人の家の位置を確認すると、つむじ風を巻起こして二人を両腕にかかえ、空に舞い上がった。
   

××
 ボブは風に優しく包まれて森の上を飛んでいる。

 目の前に大好きな地球のおじいちゃんがいた。

“おじいちゃん、地球はもう緑には戻らないの?”とボブが聞く。

「ボブそれは無理だよ」おじいちゃんが答えた。

“地球のエーヴァも匠も咲良も、ペトロに裕大にマリエも、みんな死んじゃうよ。僕たちもこのままだといつか小さくなって消えちまう。緑のテラを地球に呼び戻してよ”

「テラと地球がぶつかったら、破裂して消滅しちまう。多分それも無理だな」

“おじいちゃん、ボブは地球にどうしても帰りたいんだ。上手くいく方法を教えて”

「そうだなボブ、答えは風に吹かれちまって、誰にも分からないのさ」

 

・・・ どんどん! と大きな音がして、おじいちゃんは緑色の風みたいになってボブの前から消えた。

 

 森の管理人は、森の小さな家に到着すると、ベランダの椅子に、ぐっすり眠り込んでいる二人をそっと座らせた。

 次に風を起こして扉に吹きつけ、どんどん!と大きな音を立てると、パパとママが扉から顔を出す前に、いつもの風の通り道を目指して大急ぎで帰っていった。

 

・・・

 匠は歪曲空間の壁の手前で、休憩用の寝袋のスペースハンモックに身を任せ、宇宙の歪みの存在を近くに感じながら時間を過ごしていた。

 

 ここに来ると、匠は不思議な感覚を覚える。

 歪曲空間は僕たちの地球のある「内なる宇宙」と、ボブたちのいる「外なる宇宙」を遮断している巨大なエネルギーの塊だ。

 内と外では時間の過ぎていく早さがずいぶん違っていて大きなずれが起こる。

 そのずれが巨大なエネルギーを生み出しているのだと匠は思う。

 歪曲の存在を理解しようとしたら、認識を変えないといけない。

 そのためには非常識認知という技がいる。

 匠のお爺ちゃんはその技を持っていた。

 三界はぐれの親父も持っていた。

 匠ははぐれ親父からいろんな技を教えてもらった。

 もしかすると三人には同じ血が流れているのかもしれない。

 それは、決して諦めないアスリート魂だ。

 本物のアスリートは理屈でものを考えない。

 魂で感じるだけだ。

 それに、なんといっても宇宙空間は小さな歪みだらけだ。

 歪みに魂をゆだねて、すり抜けたり、波乗りしたりしていけば、スペース・ウエアだけで楽に宇宙を泳ぐことができる。

 それに、泳いでいるときは、余分なことを何もかも忘れられる。

 途中で休憩して、スペース・ハンモックに揺られて過ごすのあhも最高の気分だ。

・・・

 宇宙に薄い闇が訪れ、匠が眠りに落ちたたとき、いきなりハンモックがぐらりと揺れた。
 ざわざわと一陣の風が吹くと、少し遅れて野太い声が聞こえた。

 

「また小僧か。ここは天上へのたった一つの開かずの出はいり口。急用に付き、邪魔な生身の身体なんぞは、通り抜け御免とする」 

 そういって、匠の身体の中を薄緑色をした半透明のなにかが通り抜けて行った。

 そいつは、少し先の歪みの壁にぶつかると、入り口など影も形もない処から、一風吹かせて重々しい扉を作り上げ、もう一風吹かせてこじ開けると、騒々しい音を立てて中へ潜り込んでいった。

 閉ざされた空間の手前に、数枚の緑の葉っぱがはらはらと舞い落ちる。

 

「なんだか、悪い夢を見た!」ハンモックの上で目覚めた匠が身震いをした。

(続く)

 

続きはここからお読みください。

この世の果ての中学校23章“匠は開かずの扉を開けて守り神の大会に迷い込んだ”

 

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この夜の果ての中学校/エピソード“ゴルゴン一族宇宙の旅”

 

 

 

 

 

 

 

 

スペース・イタチ一族の長(おさ)、パパ・ゴルゴ ンが薄ら寒い地下の穴蔵で焚き火を起こした。

パチパチと火がはぜて暖かくなってくると、焚き火のまわりに子どもたちを集めた。

「いまのうちにお前たちに伝えておかなきゃならんことがある。俺たち一族の話だ」 

パパ・ゴルゴンは長~い話を始めた。

 

・・・前回のお話はここからお読みください。

この世の果ての中学校21章“ゴルゴン一家と蘇ったカレル先生の記憶 ”

ゴルゴン一族宇宙の旅

 
 たいした昔でもない時のことだ。

 この世は無数・無限の世界から出来ておった。

   一番上には善意の者達が集まった世界があった。

   ここでは日頃からみんな仲良く暮らし、一日中明るい光が溢れていた。

 

  一番下の世界は極悪人がうじゃうじゃと潜んでおる闇の世界だ。

 そこでは憎悪がはびこり、命ある者たちがお互いに殺し合っていた。

 二つの間には無数・無限に世界が存在し、命あるものが様々な形をとって生きておった。

 それらの世界は、生き物たちの往き来が出来ないように、でっかい歪んだ空間で隔てられていた。

 

 この歪みは宇宙の意志と呼ばれる巨大なエネルギーでできていた。

 俺たちはこの存在を神様と呼んで、崇めておった。

 

 でっかい歪みには裁判所があった。

 無数・無限の世界で死んだ者たちはそれぞれの黄泉の国でのんびり過ごしておったが、

生前に悪事を働いた疑いのある者には裁判所から黒い仮面の使者が逮捕状を持ってやってきて、裁判所に連行して裁判を受けさせた。

 裁判所はそれぞれの生きものたちの守り神と、守り神から選ばれた長老で構成されていて、投票と長老会によって判決が出ておった。 

 

 ここからは話をよ~く聞いて欲しい。

 少しややこしいからな。

 

 ゴルゴン一族の先祖は、明るい光で溢れた世界で生まれた、まっとうな人間だった。

 しかし、俺たち末裔の人間がとんでもない過ちを犯した。

 善人たちに思いつく限りの悪さを山ほどしたんだ。

 生きていくためではなくて、力を見せつけて、楽しむためにだ。

 こいつはちょっとやり過ぎた。

 

 俺たちはやりたい放題やって、死んじまったあとで、黄泉の国から天上の裁判所に集められた。

 裁判の結果、俺たちは極悪犯罪人とされて、罰としてイタチの姿に変えられ、闇の世界に追放された。

 

 闇の世界の惑星というのが、この地球だったんだよ。

 

 つまりだ、善人は輝く世界に生まれ変わり、 悪さをした者は暗闇の世界に放り込まれるというわけだ。

 それが裁判所の仕事だった。

 

「俺は前の世界で極悪人だった。ママも同じ極悪人仲間だった」

 二人は闇の世界を流浪して、あげくにこの世の果て、ここ地球に流れ着いたんだ。

 

 そしてお前たちが生まれた。

 

「ここは闇の世界。とても怖い処なんだね」

 そういって、一番年下のチビゴンがぶるっと震えた。

 

「それがどうやらそうでもなかった」

 パパゴンが大笑いした。

 

 命あるものの殺し合いと、果てしのない絶滅ゲームはもう終了したらしい。

 生き残ったのは人間の若い生命”いのち”が六つ、まだ悪も善も知らない人類の最後の世代だ。

 あとは彷徨う魂がいくつかと・・・黄泉の国からの通い人。

 それにホラーやアンデッドたちのちょい悪くらいだ。

 

 ここには残虐な奴らはもういないようだし、食い物の苔やミミズもここ地下洞窟に少しは残っているようだから、もうしばらくはここに逗留しようと思う。

「しかしだ、悪い予感がする」 

 パパゴンは鼻の下の長いひげを撫でて、言った。

「この先、光の球の爆発があるかもしれん。とんでもなくでかい奴だ」

 

 そのときが近づいてきたらパパには分かる。

 このひげが教えてくれる。

 長くて細~いこいつがぴくぴくと震え始めたら危ない。

 

 そのときは家族揃って宇宙へ逃げ出す。

 みんな、身体をなまらせるんじゃないぞ。

 そのときに備えてスペース・イタチの宇宙遊泳術を鍛えておけ。

 

 今日は疲れたろう。

 みんな良く戦った。

 パパはお前たちを誇りに思う。

 

 マリエにペトロに裕大はいい奴らだ。

 あの子たちと仲間になれただけでも幸せだと思わなきゃな。

 

「今度死んだら、輝く世界にもどろうぜ!」

 話し終えると、パパゴンは焚き火のそばで穴蔵に響き渡るような大きないびきを掻いて寝込んでしまった。

 

「やったろうやんか!」

  後ろ足で立ち上がった12人のチビゴンたちは宇宙遊泳に備えて、地下の洞窟で筋トレを開始した。

(続く)

 

続きはここからお読みください。

この世の果ての中学校22章“クレアとボブは緑の怪物を探しに森に出かけた” 

 

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この世の果ての中学校21章“ゴルゴン一家と蘇ったカレル先生の記憶 ”

クオックおばばとホラー一族に囚われたカレル先生を助けようと、地下の広場に飛び出した裕大、ペトロ、マリエの3人だったが・・・

 

 ペトロの発射した放射光で身体を貫かれ、おばばはため込んだ記憶をはき出していく。

 

もがき苦しむおばばの姿を見て、ホラーとアンデッドが怒った。

壁画からホラーが踊り出して四方を取り囲み、空にはアンデッドが舞う。

 

カレル先生と救助隊3人は絶体絶命のピンチだった。

 

・・・前の章はここからお読みください。

この世の果ての中学校20章“クオックおばばにカレル教授の記憶が盗まれた!”

21章“ゴルゴン一家と蘇ったカレル先生の記憶”

 

「ヒュッ! ヒュッ!」とマリエが口笛で甲高い音を立てた。

 

「ウオーッ!」トンネルの暗闇から雄叫びが上がって、小さな茶色の助っ人たちが広場に飛び出してきた。

 

 先頭を切って走るのはパパ・ゴルゴン。

 宇宙を彷徨うスペース・イタチ、ゴルゴン一族の長だ。

 

 イタチ族は逞しく、多産だった。

 地下で生き延びているわずかなネズミと苔を食料にして、家族を増やしていた。

 

 その上必要となればいつでも凶暴になることができた。

 ゴルゴン一族がうなり声を上げてホラーに食い付き、空を舞うアンデッドに飛びついていく。

 

 ペトロはハンドの赤いボタンを押し続けたまま、なぎ倒すように放射光を連続発射した。

 ホラーは広場の壁際に追い詰められ、アンデッドがゴルゴン一族に地面に引きずり下ろされていった。

 

 クオックおばばの喉笛を、パパ・ゴンの鋭い牙が襲った。

 おばばは両手を伸ばして必死の形相で抵抗している。

 

 広場の方々からホラーとアンデッドの悲鳴が聞こえた。

「そこまでだ!」記憶を取り戻したカレル先生が地面から立ち上がって叫んだ。

 

「そこまでよ!」マリエが「ひゅっ!」と口笛を吹いた。

 おばばののど頸に噛みついていたパパ・ゴンが、マリエの口笛に聞き耳を立てて、後ろ足で立ち上がり、“ヒュッ!”と鳴いた。

 

 ゴルゴン一族の攻撃がぴたりと止む。

 マリエが、ちょんとおばばに近づいて囁いた。

 

「おばば、降参した方が身のためよ。でないとゴルゴンに命じて、この広場におならをまき散らすことにします。悪臭で数年間は寝泊まり不可能です」

 おばばはしつこく首を横に振る。

 

「一発軽くかましてやりなさい!」

 マリエが命じてパパゴンがおばばの顔面に軽くかました。

 

 おばばの顔が歪み、よろよろと立ち上がる。

「参った、参った! マリエ、降参する、降参じゃ。いや停戦でどうじゃ」

 

 今度はマリエが首を横に振った。

 
「分かった。でもおばばは少し疲れた。しばらく眠りにつくことにする。そうじゃ、この凍結細胞ボックスはお前たち若い三人に預けておく。そのときが来るまで命がけで守るのじゃ!」

 言い残したおばばは、身を翻して広場の奥の壁に向かって走り出した。

 

 岩壁に着くと、ぴょんと飛びついて、苔を頼りに手をかけ、ひょいひょいと登っていく。

 洞窟のてっぺんに登り詰めると、下を眺めて片手を振った。

 

 最後に一声笑うと、天井に苔で描かれた美しい娘に姿を重ねて、その身体に溶け込んでいく。

 天井画は100年前のおばばの若い姿だった。

 

「参った、参った」

 動物のホラーたちがおばばの後を追いかけて、壁を登り、抜け出してきた壁画の中に逃げ込んでいった。

 

 アンデッドたちは宙に舞い上がり、広場の天蓋の薄闇に消えた。

 異形の姿は消え、ホラーの広場に静寂が戻った。 

 

・・・

 3人の救助隊とカレル教授は広場をあとにした。

 先導するのはパパゴン。

 裕大がカレル先生を背中に担いで、ペトロが後から支えていく。

 凍結ボックスを両手で抱えたマリエが後に続く。

 

 ママゴンとチビゴンが四人を囲んで、地下道を学校に向かう。

 パパ・ゴンがビート効かして歌い始めた。

 

 ママ・ゴンとちびゴンも身体を揺すって歌い出した。

 

「なに歌ってるの?」

 カレル先生のお尻を両手で支えながら、ペトロが振り向いてマリエに聞いた。

 

「邪魔する奴には、強烈な悪臭をかませるぞって」

「ゴルゴン一族のテーマソングかな」

 

「今夜はスリラー・ナイトだって」

「あれ、この曲知ってるよ。マイケル・ジャクソンだ。100年前のビッグヒツト」

「一緒に怪物達と戦おう。そしたら今夜は君がぞくぞくするほど抱きしめてあげるって」

「僕、そのセリフいただきだよ! いつか、マリエにあげる」

 

 ククッと笑ってマリエが続けた。

「おれたちで明日の世界を変えられる。でも本当のワルは誰だって」

 

「ん・・・深いな」ペトロが考え込んだ。
 

・・・ゴルゴン一家は学校の廊下に通じる小さな穴まで四人を案内すると、太い尻尾を左右に振って挨拶を済ませ、曲の続きを大声で歌いながら秘密の巣穴に帰っていった。
 

××
 カレル教授は裕大の背中でぐっすり眠り込んで、昔の夢を見ていた。

おばばに引っ掻き回されて戻ってきた記憶の中から、 思い出したくない澱のようなものが浮かび上がってきた。
 

“ゲノムの逆襲”

 遺伝子操作で科学者が作り上げた新しい種である食料が、逆襲に出た。

 彼らは人間に食べられないように自己防衛を始めた。

 まずくて食べられない食料に化けたり、栄養価の少ない食物に変化した。

 

 はじめはその程度だった。

 ある日、家畜や野菜たちは自らを兵器に変えた。

 

 人間が食べると、胃袋や腸の中で病原体に変質して人間の細胞を食べた。

 新しい種は、人の体内で臓器を食べ増殖した。

 

 人類には食べることを止める以外、取りうる対策はなかった。

 カレル教授が出した結論はただ一つ。

 

 その有機体は人類の絶滅によってのみ根絶が可能。

“完璧な寄生体は宿主そのものの絶滅によってのみ絶滅させられる”と。 

 

 研究員がつぎつぎに倒れ、ついに愛するハルがやつらから攻撃を受けた。

「カレル! カレル!」 

 

 助けを呼ぶハルの声が遠くから聞こえる。

・・・

「カレル!カレル!」 

 ハル先生が医務室のベッドに横たわっているカレル教授を呼び続けていた。

 六人の生徒たちが、そんな二人を心配そうに見守っている。

 カレル教授のまぶたが突然開いて、ベッドから半身を起こしてまわりを見回した。

 

「あれ、ここどこ? みんな、おはよ!」

 間の抜けた挨拶をしたカレル教授に、ハル先生が“キャッ!“と悲鳴を上げて、抱きついていった。 

 

 咲良とエーヴァが歓声を上げ、匠がこぶしを突き上げた。

 騒ぎを聞きつけて、医務室のヒーラーおばさまが駆けつけてきた。

 

「ハイこれ! おばさま特製、たちまち記憶回復薬」

 ヒーラーおばさまが処方した蜂蜜入りのハーブテイーをゆっくり飲み干して、カレル教授が元気を取り戻した。

 

 教授はハル先生から血糊のついた愛用のハットを返してもらうと、一振りして斜めに被った。

「私を助けてくれたこのハットは、ハルからの婚約記念のプレゼントです」 

 

 教授は右手でハル先生の肩を優しく抱いた。

「あらためてみんなに紹介します。私のフィアンセのハルです」

 

 美人のハル先生がカレル教授に飛びついて、熱くて長いキスをした。

 匠が派手に口笛を吹いて、裕大とペトロが足を踏みならした。

 

「今のうちに、みんなに話しておきたいことがある。ハルの誕生と君たちの秘密にかかわることだ・・・」

 騒ぎが収まるのを待って、カレル教授は6人の生徒を前に、おばばから取り戻した記憶を語り始めた。

 

・・・ハルには子供の頃から一つの夢があった。

“いつの日か必ず宇宙の方程式を完成させる”という壮大な夢だよ。

 

 人類に終末が近づいて、研究所から研究員の姿が消えていったときのことだ。

 最後の研究員になったハルが、ついに病原体に襲われて倒れてしまったんだ。

 

 ハルの身体の異変に気がついたとき、私はある約束をハルと交わした。

“たとえハルが命をなくしても、わたしが必ずその命を復活させてみせる。ハルが方程式を立派に完成させる日まで”と。

 それは無謀な約束だったけれども、わたしは本気だった。 

 

 必死の看病の甲斐なく、ハルはその日のうちに神に召されてしまった。

 ハルの横たわるベッドの側でわたしは、ハルとの約束を決行することを心に決めた。

 

 カレル教授はハットを脱ぎ、そっと膝の上において話を続ける。

・・・その夜のことだ。

 人気のない研究室に白い法衣を身につけた見知らぬ男が突然訪ねてきた。

 

 驚いたわたしは思わず防犯ブザーを押したが、研究所のどこからも応答はなかった。

 法衣の男は“ハルの訃報を聞いて”バチカンのキリスト教会の本部から派遣されて来た、位の低い牧師だと名乗った。

 

 それから、牧師はハルに長い祈りを捧げた。

 終わるとわたしにハルの復活を預言したんだ。

 まるでわたしの計画を見透かしているようにだ。

 

 牧師はドームの計画をわたしから詳しく聞き出したあと、本部から預かってきたという極秘のリストをわたしに手渡した。

 そこには教会のネットワークで見つけたという、6人の子供たちの名前と国と住所が載せられていた。

 

「その子供たちは例の病原体に対して特殊な免疫システムを持っていて、生き残る可能性が強いのです」

 牧師はそう言って、この子供たちと家族を至急救出して、ここ巨大ドームで収容して育てるようにわたしに頼んだ。

 

 6人の子供たちとはもちろん君たちのことだ。

 この不思議な牧師こそ君たちの命の恩人だ。 

 

 だが、そのあと牧師を不幸が襲った。

 

 本部へ戻るために研究所を数歩離れたとき、外は熱風が吹き荒れていた。

 吹き上げるつむじ風が、あっという間に牧師の身体を空に持ち上げて掠っていったんだ。

 

 あれが幻視なのか、それとも現実だったのか、わたしにはいまだに分からない・・・

 話を続けるカレル教授の手の中でハットが激しくまわった。

 

「牧師から励ましと預言をもらった私は、ハルと交わした約束を決行した。採取したハルの遺伝子をナノ・レベルに縮小したユニット・モデルを無数に作り上げた。そしてそのユニットを使って世界最小の量子コンピューター“ハル”を完成させた」

 

・・・ハルはいまでも君たちとともに成長を続けている。

 たとえ君たちの両親やわたしや校長先生や医務室のおばさまの魂がこの世から消滅したとしても、ハルは君たちの側に寄り添ってくれる。

 

 ハルは君たちの未来のために尽すようにプログラミングされているのです。

 そしてハルはいまも大好きな宇宙の方程式に挑戦しています・・。

 

 話し終えたカレル先生の手から、廻していたハットが勢いよく宙に飛び出してしまった。

 ハル先生が素早く立ち上がって、ハットを受け止め頭にかぶった。

 つぎにハットを斜めに少しずらして、ポーズを決めるとみんなにウインクした。

 

「とんでもない私の秘密に驚かないでね! あらためまして、よろしくね!」

 挨拶したハル先生の顔は晴れ晴れとして、一点の曇りもなかった。

 

 6人の生徒達が歓声を上げてハル先生に飛びついていった。

 

・・・医務室の柱の陰で「6組の家族の救助」を軍に指令した当時の総理・校長先生と蔭の総理・ヒーラーおばさまが仲良く肩を寄せ合っていた。
 

・・・ペトロの横でマリエが不思議な牧師のことをカレル先生にしつこく質問している。

「で、カレル先生、その牧師さんは夜空に消えていなくなったというの?」

 

「そうだよ、最初、牧師の白い法衣が熱風に持ち上げられてはためいた。それから身体が夜空に浮かび上がって・・・遠い闇に消えていったようにみえた」

「その牧師さんの目の色はどんなだった?」マリエが聞く。

 

「はっきりと覚えている。澄み切った青い色をしてた。深い湖のような瞳だった」

 マリエの表情がこわばってきた。

 

 ペトロの耳にマリエの心臓が激しく高鳴るのが聞こえる。

 マリエの目も澄み切った青だ。

 

 ペトロはマリエから何度も聞いていた。

 “マリエのパパはポーランドの首都ワルシャワの郊外、丘の中腹にあるキリスト教会の牧師よ。

 “次から次に近所の人が亡くなって、お葬式で教会が大忙しになった頃、突然パパはマリエに一言も言わずにどこかへ逃げていったの。

 

(もしかしたら牧師の正体はマリエの・・・)

ペトロが思わず呟いたとき、マリエが小さな声でペトロに言った。

 

「パパがいなくなったのは救助の人が日本からやって来たちょうど2日まえのこと。パパは仕事でしばらく留守なのとママがいってた。ママは嘘つきと思ってたけど、空に消えた牧師はパパかもしれない」

・・・パパは牧師の勤めから逃げたのじゃなくて、私達を命がけで助けてくれたのかもしれない・・・

 

「このこと絶対みんなに内緒よ!」

 マリエが小さな手でペトロの手をつかんだ。 

「分かった、極秘事項だ!」

 ペトロもあわててマリエの手を握り返した。

 

・・・ペトロにはどうしても納得がいかないことがある。 

 マリエのパパは僕たち6人のことをカレル教授に頼んだあと、熱波に掠われて空に消えた。

 

 みんなを病原体から救うために必死で実験をしたハル先生も命を失った。 

 カレル先生も校長先生もヒーラーおばさまもじつは仮装している幽体だ。

 

 未だに内緒にしてるけれど、パパやママたちも幽霊だ。

 僕たちを命がけで育てたのに、みんなたった一つの命を失った。

 

「一体誰がこんなひどい仕打ちをするのか? 神様が犯人なら、捕まえてとっちめてやる。でないと気が済まん!」

 ペトロのブレーンに血が上って、ブーンと鳴った。

 

・・・

「一つ覚えておいて欲しいことがある。おばばから取り返した凍結ボックスのことだ」

 カレル教授がベッドでなにか言ってるけど、ペトロはまるで上の空だ。

 

「ペトロ、凍結ボックスとはなにか、みんなに説明してくれますか」

 ベッドの側に置かれた箱を指さして、カレル教授がペトロに話しかけている。

 

 「ペトロ、先生が凍結ボックスのこと聞いてるわよ!」

 マリエにいわれてペトロは我に返った。

 

「えーっと、それはノアの箱舟です」

・・・選ばれた生命体の種を保存したボックスです。中には植物の原・細胞や動物の幹細胞が凍結保存されています。

 地球に緑が戻ってくれば、幹細胞を再生して、野生動物や大事な家畜として育てあげることができます。

このボックスは、えーっと・・・いま世界に3つあって・・・

これはおばばが盗んだのを取り返した分で、あと二つは図書館の奥にある実験室のなかです。例え誰かに盗まれても決して無くならない方法で隠されています・・・。

 

「ペトロ満点です。・・・それではみんなに質問します。この植物や動物たちを再生出来る日が来たと仮定します。再生したあと、生命体を育てる上で私たちが必ず守らなければならないこととは何でしょうか?」
 

 答えを期待したカレル教授が、6人の生徒の顔を順番に見回した。

 いくら待っても誰からも返答がなかった。

 

 カレル教授は悲しそうに肩をすぼめると、だれもいない壁の方を向いて黙り込んでしまった。

 咲良とエーヴァが生徒会長の裕大に囁いた。

「ほらあれよ、きっとあのことよ。『先生が私たちに伝えたかったこと』」 

 

「それだ!」裕大が慌てて立ち上がった。

「カレル先生! 僕らが守らなければならないこと、それは生き物たちの尊厳を守ることです」 

 振り向いたカレル教授の顔が嬉しそうに崩れて、次の言葉を待ちこがれている。

 

「ペトロ、フォローしてくれ」

 裕大に脇腹を突つかれて、ペトロが立ち上がった。

「ただいまの生徒会長のコメントは先生に対する解答のほんのイントロです」 

 

 カレル教授がにやりと笑った。

「ほう~ペトロ、それではその続きとやらを教えて頂く訳には参りませんでしょうか」 

 

 教授は待ちきれないといった表情で愛用のハットをクルクルと廻し始めた。

 ペトロが裕大を指さした。

 

「食べ過ぎない、残さない」

 裕大が始めた。

 

「生き物と仲よくする。でないとホラーの逆襲に遭う」

 咲良が続ける。

 

「大事な緑は瞬時にいなくなった、なぜか?」

 匠が疑問を投げた。

 

「惑星テラには緑。地球は荒れ地」

 エーヴァが疑問を繋ぐ。

 

「我々を超える存在が我々に怒っている」

 マリエが締めくくった。
 

 カレル教授がベッドの上に立ち上がって、愛用のハットを天井に飛ばした。

「お見事!みんなの答えは私達が抱えている問題の核心を突いた。解決へのヒントまで隠されている。もう私の授業は必要がなくなった。本日をもって終了、生徒の皆さんは卒業とします」

 

 満面に笑みを浮かべたカレル先生はベッドを出て、一人で歩き出した。

「今から私はおばばに拉致されていた1週間分を休ませてもらう。急用でないかぎり誰も起こさないように!」

 

 カレル先生は自分の個室に戻ってドアを閉めると、愛用のハットを慎重に専用ブラシで掃除してから、壁の帽子掛けに欠けた。

 それから乱暴に服を脱ぎ捨て、「イエーイ」と一声叫んで、特殊魔法瓶に飛び込んでいった。 
 

××

 医務室に残った生徒たちは、ペトロの神殿のミーティングの続き「これからの行動計画」を検討し始めた。

 ハル先生がナノコンを取り出してシミュレーションを開始した。

 なんだかいい匂いが漂ってきた。

 ヒーラーおばさまが厨房に立って、お腹の空いたみんなのために大好きなスペシャル・カレーを作り始めた。

 

「ペトロ! ある動物の種が絶滅しないで生存をつづけられる最低限の個体数はいくつだ?」

 口いっぱいにカレーをほおばりながら、裕大がペトロに尋ねた。

 

「僕たちのことだね?」

 カレーを食べ終わったペトロがすかさず聞き返した。

 

「そうだよ、この地球に俺たちの他にだれがいる・・・?」 

 偉そうに答えた裕大の声が、切ないトーンに切り替わる。

 

・・・ペトロ!頼むから6人だと答えてくれ・・・

 

「まえにアーカイブ図書館の学術記録をスマホから調べたことがあるよ。個体数が6だと遺伝子的に問題が出て来るかもしれない。そうだ、図書館長のハル先生に調べてもらおう」

 

 ペトロがハル先生に近づいていって相談をはじめた。

「ペトロ、これシミュレーションが膨大だから少し時間をもらうわね」

 ハル先生がナノコンを図書館のアーカイブとつないで、カタカタと計算をはじめた。

 しばらくして・・「みなさん答えが出たわよ」

 

 カレーを食べ終わった 6人がハル先生に駆け寄って、ナノコンのディスプレーを覗き込んだ。

 数字と記号が一杯で意味不明。

 

 ペトロが得意顔で解説を始めた。

「えーっと!前提は、地球環境が正常に復元したとき・・・100年から1000年後の人類の生存確率が90~95%であるためには・・・存続可能な最小個体数は・・・500~1000人必要

 

 赤い数字を読み上げるペトロの顔が青ざめていく。

 

 裕大がため息をついて、匠が下を向いた。 

 咲良とエーヴァとマリエは床に座り込んでしまった。

 深夜になって生徒会議の結論が出た。

 

 逃げていった緑の惑星テラをなんとかして呼び戻そう。

 地球と融合させて元の緑の地球を復元しよう。 

 そして小さなエドたちや緑の植物や蘇った動物たちと仲良く暮らそう、という計画だった。

(続く)

 

続きはここからご覧ください。

この夜の果ての中学校/エピソード“ゴルゴン一族宇宙の旅”

 

【記事は無断転載を禁じられています】

この世の果ての中学校20章“クオックおばばにカレル教授の記憶が盗まれた!”

 老婆が朱塗りの椅子に座り込み、軽く頷くと、四人のアンデッド達は担いできた大きな袋を老婆の目の前に乱暴に放り投げた。

 ドスンと地面に落ちた袋から、手足を縛られたやせた男が転がり出してきた。

 男は土と血で赤黒く汚れた実験着を身につけている。

 

「あっ! カレル先生だ!」

 窪地から頭を突き出して、広場で揺れ動く人影を見ていたペトロが、大声を上げてしまった。

 

 叫び声に気が付いた老婆が耳に手を当て、ゆっくりと首を90度廻してこちらに目を向ける。

 その顔から緑色をした二つの目玉が飛び出し、ペトロを凝視した。

・・・あっ、あれはクオックおばば!・・・

 老婆は人の記憶を盗んで生きながらえる魔女“クオックおばば”だった。

 

 ペトロはファンタジーアの破れ目でおばばに記憶を半分抜かれて、”彷徨い人”になったときの、あの虚ろな気持ちを思い出して、ぶるっと身体を震わす。

 

(前回のストーリーはここからお読みください)

この世の果ての中学校19章 “ホラーの広場”

 

この世の果ての中学校20章“クオックおばばにカレル教授の記憶が盗まれた!” 

 

・・・やべー!・・・

 ペトロは小さく叫んで、窪みに頭を隠した。

 

 地下水の流れる音がペトロの声をかき消し、老婆の緑の目はペトロを見過ごしてしまった。

 「子供の声が聞こえたようだが、飛沫の音か?」

 

 おばばは首を半回転して元に戻すと、地面に横たわる白衣の男を見下ろした。

「クックッ! お目覚めかなカレル教授。お前さんが眠っている間に、生身の頃の記憶をぜーんぶいただいておいたよ。命がけで手に入れた大事なゲノム実験の記憶まで失った気分はどんなものかな? 空しいかな? おかげでおばばの気分は満ち足りて、幸せ一杯だよ。クックッ!」

 おばばが底意地悪く笑う。

 

「水、水をくれ。喉が渇いて声が出ない」

 カレル教授の声は、しわがれていた。

 

「だめだ!お前が一仕事やり遂げたら一口くらいは飲ませてやってもいいがな」

 おばばが冷たく言い放つ。

 

 ・・・顔の半分を窪地から出して様子を窺ってみたが、ペトロとマリエに広場の会話はまるで聞き取れない。

 アフリカの原住民の血を引き、聴力が人の倍以上ある裕太が何とか聞き取って、二人にひそひそ声で伝えた。

 

「作戦どうする? 三人で急襲してカレル先生、救出しようか?」

 神の子マリエに怖いモノはない。 

 ペトロが頷いて、裕大を見た。

 

「ちょっと待った。ハル先生に聞いてみる」

 学校の廊下で連絡を待っているハル先生や仲間の顔が頭に浮かんだ裕大は、マルチ・ハンドの青い連絡ボタンを押した。

 

「こちら裕大! カレル先生らしい人影、発見!」

「こちらハル! そこどこ? カレルがどうなってるって?」

 ハル先生の甲高い声がいきなりハンドから飛び出してきて、裕大は飛び上がった。

 

 裕大は携帯のボリュームを抑え、声を潜めた。

「地下道から小さな広場に出ました。実験着を着たカレル先生が、縄で縛られて地面に放り出されています。取り囲んでいるのはクオックおばばとホラー一族。おばばが尋問して先生がなにか答えています。遠すぎて会話の内容がなかなか聞き取れません。でも先生はなんとかご無事のようです」

 

 落ち着きを取り戻したハル先生の声がハンドから伝わってくる。
「ありがとう、カレルは無事なのね。裕大、今押した青いボタンをトリプルクリックしなさい。ハンドが集音装置になるから、まず二人の会話を確認してください」

 

「了解、やってみます」

 裕大は青いボタンを短く三回押して、ハンドの先端をおばばに向けた。
 

 聞き覚えのあるしわがれ声が三人の耳に飛びこんできた。

「教授、壁画の動物が人間と戦うシーンはしかと見てくれたかな? 何だと、よく見えなかっただと。そういえばお前さんは生き人ではないからホラーはぼやけてよく見えんのじゃったわ。それでは教授、よーく聞け。いまの幻想シーン。あれは、命を失った生きものの過去への強ーい想い!お前たち人間どもが奪いとった古き良き時代への追憶じゃ・・・」

 魔女の緑の目が飛び出して、教授を睨めつけた。

「では、カレル教授、今度はお前の出番だ。立ち上がって、我らの失われた過去を現実のものにしてみせろ!」

 おばばがアンデッドに命じてカレル教授の縄をほどかせ、自由にした。

 教授は地面に手をついて立ち上がろうとしたが、身体がふらついて後ろにひっくり返った。

 

「一口、水をやれ!」

 おばばがアンデッドに命じた。

 差し出されたボトルから教授が水を一口飲んだ。

 

 おばばは、一息ついた教授を横目にみて、正面にしつらえた祭壇の小さなボタンを押した。

 祭壇の蓋がギギーと左右に開いて、中からどこかで見たような装置がせり出してくる。

 

・・・あの装置、図書館の奥にある秘密の実験台とそっくり同じだ・・・

 ペトロが裕大とマリエに囁く。

 

 おばばは実験台についた引き出しを鍵を使って開け、小さな携帯ボックスを両手で慎重に取り出した。

・・・あっ、あれ、凍結細胞だ! おばば、それ僕らの未来の食料だぞ!・・・

 ペトロは思わず広場に手を伸ばした。

 

「カレル教授、準備はできた。この優良ゲノムの凍結細胞から、本物の動物たちを蘇らせてもらうこととする。さー、お前の技を見せてホラーを喜ばせろ! 今すぐここでじゃ」

「それは不可能だ。私の実験記録も技術ノウハウも、おばば、お前に吸い取られてしまって私には技術も力も残っていない」

「フッフッ! 大丈夫じゃ。お前の技術記録はおばばの体内記録庫にきちんとアーカイブしてある。お前のやってきたゲノム編集の全記録がここにある。その上、この凍結細胞はただの細胞じゃない。幹細胞じゃ。幹細胞は骨とか血とか神経とか何にでもなれる原細胞と聞いておる。こいつを解凍して手順を尽くして成体に育てあげれば済むことじゃ。手順は記憶庫から少しづつはき出して、おばばが指示してやる。時間はいくらでもある。さー始めるのじゃ」

 

「おばば、もう一度いうが、できないものは出来ない!」 

 教授の素っ気ない答えに、魔女が怒った。

 緑の目玉が飛び出して、白髪が天井に向けて逆立った。

「何を抜かすか! ほれ、道具も祭壇の上に並べた。お前のラボから盗んでおいた道具じゃ。蛋白質も電気エネルギーもホラーとアンデッドが用意した。もっと必要な物があればお前の実験室と学校の倉庫から取ってきてやる。これでも出来ないというのなら、カレル教授! お前の可愛いハル先生や生徒どもをアンデッドに命じてかっさらってきて、ここで実験用に痛めつけてやろうか?」

 

「止めてくれ、おばば! ハルや生徒を拉致しても生体再現は不可能だ」

「何だと?出来ないとはいわせない。お前がうんと言うまで、お前たち研究仲間がしでかしたことをホラーとアンデッドに見せてやる。ホラーを怒らせたあと始末はお前に取ってもらうから覚悟しておけ!」

 

 魔界の老婆が朱塗りの椅子から立ち上がり、洞窟の壁に向かって両手と顔を突き出した。

 真っ赤な口腔から、噛み取ったカレル教授の記憶が、猛烈なスピードではき出されて来る。

 魔女は、空間に漂う大量の記憶を両手でぐるりと逆回転させ、時間を数年前に戻して切り立った壁に映像として鮮やかに映し出して見せた。
 

・・・マリエとペトロ、裕大が窪みから身を乗り出した。

 “チチッ”

 ゴルゴンも首を突き出して、目を凝らしてみている。

 

「教授! ここはどこかな、見覚えがあろう。お前たち科学者の悪行の砦、地球最後のゲノム研究所じゃ」

「ブーン」

壁の映像が動き始めた。
   

××
 空調が静かな音を立て、白衣を着た数人の若い科学者が、覆い被さるように実験台を取り囲んでいる。

 実験台の上には、先端に鋭利なメスをつけた内視鏡や攪拌機の心棒、昆虫の触手に似た装置が何本も上部のクレーンからぶら下がっている。

 180度回転の椅子に座った研究員が、モニターを見ながら操作している。

 実験台の上で一つの生命体が動いた。

 実験室で育てられ、荒れ地に放される予定のその生命体は、赤い実をつけた蔓性の植物だったが、その根の一部は節足動物の足に入れ替わっていた。

 荒れ地に強いトマトの幹を上体に持ち、砂漠に棲息する大型サソリの八本の足を持った生命体。

 それは太陽の照りつける荒れ果てた土地でも棲息が可能で、水とわずかに残った良好な土壌を求めて自力で移動する植物だった。

 トマトの花の蜜が、サソリの好物の小さな昆虫を呼び寄せ、サソリはそれを食べる。

 その対価としてサソリは最適環境にトマトを運んで行く。

 人手をかけずに、荒れ地から甘いトマトを採取できる自動プログラムだった。

 

「オフ・ターゲット効果が出ています」

 若い技術者が甲高い悲鳴を上げた。

 

・・・「オフターゲット効果ってなんだ?」二年先輩の裕大がペトロに聞く。

「狙いと違う結果が出たってことだと思うよ」英語が得意なペトロが答える・・・

 

 画面では、実験台の上でサソリの二本の触手が立派に実ったトマトに手を出して、自分の口に運んで食べてしまった。

 サソリは目の前にある豊かな栄養分を含んだ果実を、栄養として胃袋が吸収できるように自らを雑食性に変えていた。

 トマトもそれで何ら差し支えがなかった。

 サソリが種を地面にはき出してくれれば、その土から新しい芽が出て種族を増やすことができた。

 

・・・「また失敗か!」

 白衣の男たちはクレーンを操作して、その先に取り付けられた鋭利なメスで実験台の上の失敗作をいくつかに切断した。

 そして一部を標本にして瓶に詰め、残りをミキサーで高熱処理を済ませると排水溝から研究室の外へ捨てた。

 

「次回はサソリの食性のリセットと、トマトが熟成して採取時期になるとどこか一カ所に集まってくるような・・・そうだ、魚類の帰趨本能を植え付けてみるか」

 主任研究員が自信ありげに仲間に提案をした。

 

 突然、実験室のドアが開いて、実験結果をみるために白髪の所長がやってきた。

 所長は主任研究員から報告を聞くと、諭すような口調で言った。

「これはバイオ安全委員会にかければ間違いなく有罪だろうな」

「実験は中止いたしましょうか?」

 主任研究員が残念そうな表情で、所長の真意を確かめた。

 

「安全委員会の委員はもう誰一人生き残っていないよ」

 所長のカレル教授は、そう答えて研究室の壁に取りつけられた標本棚を長い間眺めていたが、やがて首を横に振りながら無言で部屋を出て行った。

 そこには実験に失敗した生命体の標本が壁一面にずらりと並んでいた。
××

 

 おばばが、カレル教授を振り向いた。

「クックッ、どうかな、思い出してくれたかな、カレル教授。この映像はお前自身の記憶じゃ。これを見ればお前たち科学者が一体何をしでかしたのか、よーく分かった筈じゃ。お前たちは動物たちの住み家である緑の山々や草原まで奪った上に、自分たちの食料にするために彼らの遺伝子を好き勝手に・・・それこそあられもない形に切り刻んだのじゃ」

 

「異形の息子よ、恥ずかしがらずにそこから出てきて教授に姿を見せなさい!」

 おばばが手招きして、地下の排水溝から何者かを呼び寄せた。

 

 枯れたトマトの蔓を背中に背負った巨大なサソリが排水溝から這い上がってきて、ハサミを振るわせながら魔女に近づいた。

 魔女がサソリの頭を優しく撫でながら、教授に話した。

 

「この情けないサソリの姿を見て哀れと思わないのかなカレル先生とやら? いいかよく聞け、罪を償う最後のチャンスをお前にやる。一つでもいい、凍結細胞から元気な動物を蘇らせろ!われらホラー一族の切ない想いをひとときでも叶えてみせろ」

「おばば、悪いがそれはできない。例え成功して立派な鹿や熊やイノシシや鶏を復元できたとしても、一時のことだ。生きながらえることはできない。この苔だけではとても生きていけない。地上に出て行っても緑の森や甘い果実はどこにもない。おばばも知っているはずだ。地球上には動物たちの生き残れる環境はどこにも残されてはいない」

 カレル教授がかすれた声を絞り出した。

 

「そうか、どうしても実験はできないというのか。それならカレル教授、お前にもう用はない。凍結細胞はそのときが来るまでおばばが大事に預かっておく。お前の技術記録はぜーんぶおばばの腹の中に収めた。ホラーもアンデツドも、今か今かと待ち構えておるわ」

”お前たち!カレル教授を好きなようにするがいい”

 言い捨てたクオックおばばは、祭壇の上に腰掛けて腕組みをすると、ゆっくりと高見の見物を始めた。

 

 ホラーの集団が一斉に歯ぎしりを始め、口から泡を吹き、よだれを垂れた。

 アンデッドたちは、実験台の引き出しから鋭利なナイフを何種類も持ち出して、好きな形を取り合って喧嘩を始めた。

 

・・・裕大の顔色が変わった。

「ペトロ、大変だ!俺とマリエで先生を助けに走る。お前はこのハンドで俺たちを援護してくれ!」

 裕大は武器を外してペトロに手渡し、窪地から飛び出して大声を上げて走り出した。

 

「イエイ! マリエも行くわよ!」       

 小さなマリエも広場に駈けだしていく。

 

 ペトロは武器のハンドを右手に装着すると、二人を追いかけた。

 

 裕大は、カレル先生を取り囲んでいる異形の者たちに走り寄ると、そのまま体当たりを食らわせた。

 不意を突かれたホラーとアンデッドがはね飛ばされて、宙を飛び、祭壇にぶつかった。

 

「カレル先生、もう大丈夫ですよ!」

 裕大は地面に倒れている先生に一言声をかけてから、両手で抱きかかえる。

 

「えっ、おっ、君はたしかYUTA言うたな? 後ろにいる二人、マリーにピーターだったっけ・・・おれのキオク・・・おばばに抜かれてアヤしい!」

 

 騒いでいる先生を肩に担ぐと、その身体はずいぶん軽かった。

 もともと軽い幽体なのに、水もエネルギーも取れなくて、おまけに記憶まで抜き取られてしまったからだ。

 

「マリエ、撤退だ!」
 急いで引き返そうとした裕大の前に、黒い大きな影が立ち塞がった。

 絶滅したヒグマの雄がおばばの力で蘇り、その太い右手で裕大の顔をひっぱたいた。 

 裕大はカレル先生を肩に担いだまま地面に仰向けに倒れた。
 

「うまそー」

 可愛いマリエを見つけて、アンデッドたちが嬉しそうに舌を鳴らした。

 アンデッドが大口を開けて、マリエを襲う。

 

「食いもんじゃねーよ」

 マリエはパパの牧師からもらった神様のお守り袋から、太古の森の聖なるスプレーを取り出して、アンデッドの顔に狙い定めてシュッ!と振りかける。

 

「ギャッ!」

 アンデッドが、顔を押さえて地面を転がりまわる。

 
 ペトロが裕大とカレル教授を助けに大熊の前に出た。

 後ろ足で聳え立っている大熊のホラーを真正面から狙い、ハンドのボタンを押して強烈な放射光を顔面に発射した・・・つもりだった。 

 熊の大きな顔が広場の宙にぼーっと浮かび上がり、口をゆがめてにやりと笑った。

 

「あっ、ペトロ! それ懐中電灯のボタンだ」

 裕大が叫んだ。

 

「退却!」

 二本足で立ち上がっている大熊の間隙をついて、裕太がカレル教授を担いで立ち上がった。 

 ペトロとマリエが裕大をサポートして、四人で背走する。

 

 ひときわ高い祭壇の椅子に腰を下ろして、戦況をみていたクオックおばばが首を一振りして立ち上がった。

 おばばが右手を左右に振ると、ホラーの一群が救援隊を遠巻きに囲んで地下道への出口をふさいだ。

 

 おばばが手を空に振ると、アンデッドたちがゆーらりと宙に浮かび上がり、生徒たちの頭上を舞った。

 気が付くとカレル教授と救助隊は上下左右から追い詰められ、ホラーとアンデッドに取り囲まれていた。

 

 退路は断たれた。

「ホッホッホー、これはこれは、思いもかけない嬉しいプレゼントじゃ。カレル教授、枯れきったお前の代わりに、フレッシュな子供たち三人の魂をいただくことにする。子供たちの恐怖こそ、楽しいデイナーじゃ。ホラーもアンデッドも涎を垂らしておる。さー、生身の人間どもへのゲノムの逆襲の総仕上げの時じゃ。とはいえ・・旨そうなものはクオックおばばが一番に頂くのがホラー一族の習わしじゃ。まずはペトロ、ファンタジーアの破れ目で覗いた記憶の続きをじっくり楽しませて貰うぞ」
 

 おばばが素早く動いた。

 真っ赤な口が裂けて、ペトロの首に噛みついてきた。

「ペトロ間違うな、赤色だ!」

 裕大が叫んだ。

 ペトロがあわててハンドの赤ボタンを押す。

 

 一瞬の間をおいて、白く輝くエネルギーがハンドの先端から放射された。

 それは愛するカレルを助けようと、学校の廊下に立つハル先生が我が身の量子ナノコンから発射した怒りの放射光!

 

 放射された量子エネルギーは地下道を走り抜け、魔女の暗い口腔に飛びこんで身体の中を駆け巡る。

 おばばがひっくりかえって、口から青い煙が吹き出した。

 

 放射光の一撃でおばばの記憶庫が破壊され、アーカイブされた中身が漏れ出した。

 青い煙はおばばが溜め込んできた膨大な記憶の最新の記憶、カレル教授のデータだった。

 

「おれのキオク、帰っておいで!」

 浮遊体は手を伸ばしたカレル教授に近づき、その口から懐かしい身体の中に戻っていった。

 

「あっ、おばばの命がどんどん縮んでいく!」

 おばばは口を押さえ、必死で記憶の漏出を食い止めようとしている。

 

 異形の者達にとってクオックおばばはただ一人の母親だった。

 その母親が目の前で打ち倒され、身をよじって苦しんでいた。

 

 どんどん縮んでいくおばばを見つめるホラーとアンデッドの目玉が真っ赤に充血してきた。

 異形の一族が低いうなり声を上げ始める。

 

「来るわよ!」

 マリエの一言で、三人はカレル教授を真ん中に挟んで背中合わせになり、四方上空の守りを固めた。

 

 ホラーとアンデッドがその凶暴な正体を現した。

 異形の群れが鋭い爪を立て、牙をむきだして、四人に襲いかかって来た。

 

「痛えー!」

 小さなサソリに足を噛まれたペトロが、大きなターゲットに狙いを定めて放射光を発射していく。

 敵は一体ずつ確実に倒れていったが、新たなホラーが岸壁の壁画から抜け出して襲って来る。

 

 マリエの武器、聖なるスプレーも底を突いた。

 裕大は素手で必死に戦っていた。

 地面に横たわるカレル教授は戻ってくる膨大な記憶を整理するのに精一杯だ。

 

“ひゅっ!ひゅっ”マリエの口笛に似た悲鳴が広場に響いた。

・・・

「もう我慢できん。助けに行くぞ!」

 学校の廊下で、ハンドの集音マイクからハル先生のナノコンに送られてくるノイズに聞き耳を立てていた匠が叫んだ。

 

「匠!我慢しなさい。ペトロの計算式を思い出しなさい。あなたまでホラーにやられたら人類は絶滅します」

いつも優しいハル先生の顔が鬼になった。

   (続く)

 

続きはどうぞここからお読みください。

この世の果ての中学校21章“ゴルゴン一家と蘇ったカレル先生の記憶 ”

 

【記事は無断の転載を禁じています】

 

この世の果ての中学校19章 “ホラーの広場”

  カレル教授が実験室から失踪して1週間がたったとき、血糊の付いた教授のハットが発見されて、教室は大騒ぎになった。

 

 前の章の話はここから読んでくださいね。

 この世の果ての中学校18章 “カレル教授が実験室からさらわれた”

 

この世の果ての中学校19章”ホラーの広場”

 金曜日。まるで元気のないハル先生が宇宙の方程式の講義をなんとかやり終えたあとの昼休みのことだ。

「ペトロ、ちょっと相談があるの」

マリエが慌てた様子で、ペトロの席にやってきた。

 

「これ見てくれる?」

マリエが上着の裾から取り出したのは、見覚えのあるハットだった。

 

「それって、カレル先生の帽子じゃない?」

 ペトロは震える手でハットを受け取る。

 

 カレル教授は今週の月曜日から姿がみえない。

 校長先生をはじめ生徒たちのパパやママが三班の捜索隊を編成して、ドームの隅々や、黄泉の国まで出かけて探し廻ったが、その姿はかき消えていた。

 

 カレル先生は幽体で、とても高齢だから、特殊魔法瓶の中で休まないと疲れが取れずにどんどん衰弱していく。

 恋人のハル先生はすっかり元気をなくしていた。

 

 今日の授業も、ハル先生は宇宙の方程式の講義を途中でほったらかして、ぼーっと校庭を眺めているばかりだった。 

 そんなときカレル先生がいつも被っている大事のハットが見つかったのだ。

 

「カレル先生の帽子がどうかしたって?」

 ひそひそ話を聞きつけた裕大が、二人のそばに飛んできた。

 

「これ、カレル先生の帽子みたいなんだ。マリエがどこかで見つけたんだ」

 ペトロが裕大にそう言ったらマリエが首を横に振った。

「私が見つけたんじゃないの。この帽子が廊下を歩いて私の所にやってきたの。なんてこと・・・ちっちゃなゴルゴンが先生の帽子を被って歩いて来たのよ」

 

 「それに、これ見てくれる?」

マリエが声を潜め、ペトロの手の中にある帽子をひっくり返して、ひさしの裏側を指さした。

 そこにはグレーの生地の上に爪でひっかいたような文字が、赤くかすんで浮かび上がっていた。

 

《ホラーの広場》

裕大とペトロがゆっくり読み上げた。

 
「これ、カレル先生からのSOSだ。赤いのは・・・多分先生の血!」

 ペトロの声がかすれ、裕大の顔から血の気が引いた。

 

 帽子のリボンが茶色い土でべっとりと汚れている。

 ペトロが指で触れてみると土はたっぷり湿っていた。

 

 ・・・このあたりの地上には、湿った土はない・・・ 

 ペトロのシノプスがつながって、ブーンと回転を始める。

 

 ペトロの推理がセリフになってはき出されてきた。

「間違いないよ!先生は地下に潜んでるホラーにさらわれたんだ。湿った土は水脈のある地下のどこかのものだ。捕らえられて動けない先生がゴルゴンを見つけてこっそり頼んだ。自分の血でSOSを帽子に書いて、マリエに届けるようにだ」

 

 ペトロがしばらく考えこんでから、マリエに尋ねる。

「マリエ、ゴルゴンはどこから地上に出てきたと思う?」

 

「ほら、いつも出入りしてる校舎の廊下の破れ目だと思う。きっとホラーのいるところと地下道で繋がってるのよ」

 三人は同時に立ち上がった。

 

「僕がハル先生に報告してくる。そのあとカレル先生を捜しに行く・・・全員! 廊下の破れ目で集合!」

 声を張り上げると、裕大は猛烈な勢いで教室を飛び出していった。

 
 ペトロとマリエも裕大の後を追ってかけだした。

 廊下の破れ目で立ち止まって穴に近づくと、破れ目からかすかに湿気を含んだ風が吹き上げてきて、二人の頬をなでた。

 

「ゴルゴン、そこにいるの?」

 マリエが暗闇をのぞき込んで、小声で言った。

 返事がなくて、代わりに二つの小さな目が信号みたいにチカチカ光った。

「ゴルゴンが待ってくれてる。地下道をカレル先生の所まで案内するから、早くしろよって!」

 

マリエの声に合わせたように、廊下の向こうからバタバタと走る音が聞こえた。

裕大がナノコンを抱えたハル先生を片手で引っ張って、まるで宙を飛ぶようにやってきた。

 

どんと二人の前に着地したハル先生が、息を弾ませてマリエに叫ぶ。

「マリエ、そ、そのハット見せて!」

 マリエがあわてて差し出したハットを先生は受け取って、土で汚れたリボンを外して調べた。

「間違いないわよ、このリボン、カレルの自慢のネクタイで作ったの。これって、私がカレルと婚約したときプレゼントしたハットよ。世界で一つしかないの」

 ハル先生はプレゼント用のハットを買った時に、オリジナルのリボンを作ろうと思った。

 山ほどあるカレル先生のネクタイのコレクションから、思い出の一本を選んでリボンに仕立て直して、ハットに巻き付けた。

 

 できあがったのは、世界でたった一つしかないハットだった。

 

 ハル先生はカレル先生と婚約していた秘密を喋ったことに気が付かない。

 

 二人が婚約していたことは遠い、過ぎ去った日の二人だけの秘密だった。

 ハル先生はハットを裏返して、カレル教授の血で書かれた文字を見つめた。

 

 《ホラーの広場》

 ハル先生は昔、実験室で仲間を襲った悲惨な事故を思いだした。

・・・私や仲間はあのときカレルに助けを求めた。今はカレルが助けを求めている・・・

 ハル先生の手が震えて、手の中のハットが揺れた。

 

 ハル先生はいきなりしゃがみ込んで、ナノコンを抱えたまま廊下の破れ目からゴルゴンの待つ穴の中に入ろうとした。

 ナノコンは破れより横の幅が大きすぎて、穴の端につっかえてどうしても入れない。

 

 ハル先生はナノコンを置いていくわけにはいかなかった。

 先生は、抱えているナノコンから放射されるホログラムで姿と形を作っている。

 ナノコンはハル先生そのものだったからだ。

 

 そのことを知っているペトロが、慌てる先生を必死で止める。

「ハル先生、落ち着いて! 僕たちがカレル先生を助けに行ってきますから、先生はここで待っていて下さい」

 

 匠が校庭でお喋りしていた咲良とエーヴァを呼びに行って、三人そろって駆けつけてきた。
 カレル先生がホラーにさらわれたことを聞いて、咲良が目をむいて怒った。

「ホラーが学校の地下にまで手を伸ばしてきたのね。ママのファンタジーアでは大目に見てあげたのに、カレル先生に何するつもりよ。許せません。とっ掴まえて、三界から追放してやる」
 

 咲良が腕まくりして叫んだ。
「さー、みんな、行くわよ!」

「待ちなさい! 咲良、その前に計画に伴う危険を確かめてみます」

 ハル先生が冷静さを取りもどして、ナノコンで行動計画のリスク計算を開始した。

 ナノコンがカタカタいって演算が開始された。

 答えはすぐに出た。

 

 十進法で、6ー6=0

「全員でホラーと戦ってはだめです。誰も帰って来なかったら人類は全滅します。校長先生とヒーラーおばさまにお願いして、カレル先生を助けに行って貰います」

 

 ホラーを熟知している咲良が、口をとがらせてハル先生に反論した。

「それはだめです。校長先生もヒーラーおばさまもホラーの暗闇に入ってはなりません。黄泉の国との通い人には暗闇のホラーは見えません。ホラーは暗闇を怖がる生き人にしか姿がみえないのです。そのうえハル先生は体が軽すぎてとてもホラーと戦えません。私達が助けに行かないとだめなのです」

 

「それならペトロ、俺たち二人でカレル先生を助けにいこうぜ。これで決まりだ」
 生徒会長の裕大が決めた結論に、黙って聞いていた匠が怒った。

「俺を外すな!」

 

 ペトロが横から割り込んで匠に告げた。

「男全員の三人はだめだよ。二人までだ。先輩、理由は分かるよね。そのうえ敵はホラーときた。ホラー相手なら匠より僕が上だよ」

 

 匠が下を向いて諦めると、咲良が腕まくりをして叫んだ!

「ホラー退治に、私は絶対外せないわよ!」

「咲良、悪いわね。私でないと、ゴルゴンに案内させてカレル先生のところに行き着けないわよ」

 言い捨てるとマリエはさっさとゴルゴンの待つ穴に入っていった。

 

「こらマリエ、出てこい!」

 咲良が叫んだときはもう遅かった。

 

「そこまで!」と、ハル先生が言って人選が終わった。

 

 それから、ハル先生は裕大を呼んだ。

「裕大、いまから渡す武器でホラーをやっつけなさい! それから・・・みんなはもう私の正体を感づいていると思うから、驚かないでね」

 そういってハル先生は左手で、自分の右腕の手首から先を取り外すと、左手でトントンと手袋の形に変えて裕大に手渡した。

「これは私のナノコンと無線で繋がっている多機能ハンドです。懐中電灯兼通信機器兼武器。ボタンは三つ。手前から順に、黄色は懐中電灯、真ん中の青は連絡用スマホ、先端の赤を押すと強い放射光が発射されます」

 

 ハル先生は多機能ハンドを裕太に手渡しながら、そっと忠告をする。

「暗闇に住むホラーは強い光を嫌がります。私は研究所時代にゲノムのホラーに襲われたことがあります。人間に怨念を持っているホラーには特に気をつけて下さい。生身の人間に出会うと、興奮して視覚細胞が真っ赤に充血してくるからすぐ解ります。裕大、あなたがリーダーよ。常に私と連絡を取ること。決して無理はしないこと。危なくなったらすぐ引き返すこと。いいわね。それとペトロにお願い・・・できたら私のカレルを連れて帰って来て欲しいの」

「了解!」ペトロが即答した。

 裕大は、ハル先生の右手を受け取って、自分の右手の上に慎重に重ねて嵌めた。

 

「さー、行くわよ!」

 マリエが穴の中から促して、裕大とペトロが頭から飛びこんでいった。

 

 トンネルの薄闇の中、三人を先導してゴルゴンが走る。

 道が枝分かれしているところにやってくると、ゴルゴンは立ち止まって地面の匂いをかいだり、頭を持ち上げて、風の方向や湿気を感じたりしている。

 

 マリエがゴルゴンのお尻をときどき叩いて、早く決めなさいと急がせている。

 ペトロが真似をして前を行くマリエの可愛いお尻をときどき叩いた。

 

 マリエが振り向いてペトロのほっぺたをパチンと叩いた。

 最後尾を行く裕大が、吹き出しそうになるのをぐっとかみ殺しながら、懐中電灯でみんなの足下を照らしだしていく。

 

 三人と一頭の救助隊が囚われのカレル教授の救出に向け、着実に前進していく。

 

「裕大は咲良ちゃんと婚約してるの?」

 ペトロがいきなり裕大を振り向いて、マリエに聞こえないように小声で聞いた。

「当たり前だろ!」裕大が平然と答える。

「少し早すぎない?」

「ペトロも勉強不足だな。歴史をよく見ろ。動乱の時代は婚約や結婚は早めにしておくもんだぞ」

「どうして?」
「敵はいっぱいいるのに、結婚相手は少なくなるからだよ」

「ふうーん?」
 ・・・敵っていったい誰のことだ?・・・

 

 考え込んだペトロの前方に、灯りが見えてきた。

 地下水がごうごうと流れる音が聞こえる。

 

 ゴルゴンがぴくりと耳を立て、後ろ足で立ち上がる。

 行く手になにかが動く気配を感じて「チチッ」と口から警戒音を発した。

 

 三人は目的地が近づいたことを知った。

 暗いトンネルが終わり、薄明かりに包まれた広場が現れた。

 

 広場のそばには、轟音を上げて川が流れている。

 それは、ペトロにはとても不思議な光景だった。

 

 地上にはこんなに水の豊かな川はなかった。

 大地の方々で地下に潜り込んだ水脈が、時間をかけて一本に集まっているようだった。

 

 急な川の流れから飛沫が空中に飛び散って霧になり、広場の地面や切り立った奥の壁や、洞窟の天上にまで舞い上がっている。

 霧がまき散らす水滴のおかげで、地面や壁や天上にこげ茶色の苔が厚く密集していた。

 
・・・これ、食料として改良できそうだ。サンプル採集しとこうっと・・・

 ペトロは近くの苔を一むしりしてティッシュで包んで大事にポケットに収めた。

 

 苔の中には赤い光を発しているものがあって、壁や天上の数カ所に集まっていた。

 そのため、広場にはぼんやりとした明かりのスポットがいくつも作り出されている。

 

 広場の中央で無数の黒い影がゆっくりとうごめいている。

「あ、あれがホラーの広場!」裕大が声の震えを必死に抑えた。

 

「ホラーにアンデッドまでいるわ。みんなとても怒ってる!」

 マリエが囁いた。

 

「アンデッドって何者?」

 声を潜めてペトロが聞く。

「言葉通りよ。死んでも、死にきれない者たち。肉体を失っても、怨念を抱えてさまよう魂」

 マリエが胸の前で十字を切った。

 

 己の身の不幸を嘆いてすすり泣く声が、風に乗って聞こえてくる。

 三人は広場の側に小さな窪地を見つけて身を隠し、そこから広場の様子を窺うことにした。

 

 ゆーらり、ゆらりと、かすかな風に揺れながら、人間の形をした者達が数人、広場の中央に集まって立ち話をしている。

 恨みを晴らすまでは、死んでも死にきれない人間たち、アンデッドの集会だった。

 

 アンデッドの群れの周りでは、いろんな動物の姿をした異形の者たちが、地面に座り込んで、自らの形が崩れないように毛繕いをしたり、細いくちばしで姿を整えたりしている。

 大きな角を持った鹿に、大小二種類の熊、野生の猿に猪、人間に飼われていた牛に豚に鶏たち。

 

 異形の者たちはいつも形の手入れをしていないと、すぐに醜くゆがんでしまう。

 葉っぱや根っこに果実、エサになる川や池や海の魚、命を支える食料を失い絶滅した動物のホラーたちだった。

 

 広場の突き当たりは、苔むした岩が高い壁となってそびえ立っている。

 岩壁の表面には様々な動物たちの姿が描かれていた。

 

 壁に密生した苔を削り取って、浮かび上がるように描き出された動物たちは、いまにも壁から飛び出して、広場を走り回りそうだ。
 

 巨大な一枚の岩に、見事な壁画があった。

 

 数頭の大鹿の群れが軽やかに跳躍を繰り返している。

 後方からは上半身裸の逞しい人間たちが、槍を掲げて鹿を狙っている。

 

 捕食者と被捕食者の間に繰り広げられる、戦いの一瞬を切り取った見事な構図。

 「これが俺様の本当の姿だ。どうだ、美しいだろう。俺様の作品だ」

 槍を大きく構え、見事に盛り上がった胸を、近寄ったアンデッドの一人が誇らしげに撫で上げた。
  

 数頭の鹿のホラーが壁画の大鹿に近づくと、身体を形取っている壁のこけを上手にかじり取って、肉体の凹凸を際立たせていく。

 

 彫像が完成すると、ホラーたちはうなり声を上げて、それぞれの守り神に祈りを捧げる。
 

 ホラーの祈りに応えて、アンデッドたちが戦いに向かう咆吼を上げた。 

 

「なにかの・・・儀式が始まるわよ!」

 マリエがペトロの耳元で声を震わせた。

               
 洞窟に鬨の声が響き渡り、岩壁の壁画がじわりと動いた。

 壁画の人間たちが身体を反らせ構えると、一斉に壁の大鹿に向かって槍を投げた。

 

 大鹿は狩人を振り返ると、逞しい四肢で地面を蹴り、空に舞う。

 槍の攻撃を軽々と躱した大鹿は、小馬鹿にしたように一声「ヒョーン!」と鳴いて、槍の届かない洞窟の天井に逃げていった。

 

 アンデッドたちが悔しそうに天井の大鹿を見上げ、動物のホラー達は身体をくねらせて笑った。

 

 騒ぎは収まり、地下の広場でアンデッドの集会が始まった。

 

 広場の中央に横長の祭壇と朱塗りの椅子が数人の手で運ばれてきた。

 隅の闇から一人の老婆が現れた。

 

 老婆はまぶしそうに薄目を開いて祭壇に近寄っていく。

 その後を数人のアンデッドが大きな袋を肩に担いで従ってくる。

 

 老婆が朱塗りの椅子に座り込むと、アンデッド達は担いできた袋を老婆の前の地面に乱暴に放り出した。

 袋から、手足を縛られた男が転がり出てきた。

 

 男は土で汚れた白い実験着を身につけていた。

 「あっ! カレル先生だ!」

 

 窪地に隠れて広場の成り行きを見ていたペトロが、思わず大声を上げてしまった。

 叫び声に気が付いた老婆が窪地に顔を向けた。

 

 耳に手を当て、声の主を探っている。

 その顔から緑色をした二つの目玉が飛び出し、ペトロを凝視した。

 

「クオックおばば!」

ペトロの声がかすれた。

 (続く)

 

(続きはここからお読みくださいね)

この世の果ての中学校20章“クオックおばばにカレル教授の記憶が盗まれた!”

【記事は無断転載を禁じられています】

この世の果ての中学校18章 “カレル教授が実験室からさらわれた”     

「ペトロ、その世界には近づかない方がいい」

 手品師の声が震えていた。

 

・・・ペトロは神の存在を信じてるかな?

 “我々を越えた宇宙の意志” とは、カレル先生独特の表現だよ。

 一言で言えば神様のことだ。

 君たち六人を残して地球に人類がいなくなったのは、神様の仕業だと教授は信じているようだ。

 神は、自然の調和を乱した人間を見限ったのかもしれないとね・・・

 

 手品師の説明を聞いたペトロは、牧師の娘、マリエが昔ペトロにささやいた言葉を思い出した。

「この世界では、いくらお祈りしても神様の声はもう聞こえないの。人間の守り神はいなくなったのよ」・・・と。

 

「手品師のおじさん、僕のことなら心配いらないよ。ちょっと気になって聞いてみただけだよ」

ペトロは手品師のおじさんに余計な心配を掛けないよう、努めて明るくこたえた。

 

(前編のストーリーはここから読んでくださいね)

この世の果ての中学校17章“虚構の手品師と秘密の技”

 

この世の果ての中学校18章 “カレル教授が実験室からさらわれた” 

 

「ペトロ、その世界には近づかない方がいい」

手品師はペトロを見つめてもう一度繰り返した。

 

 言い終わると、手品師はふと周りを見回す。

 しばらく視線を彷徨わせ、なにか怪しげな世界でも覗いてしまったように身震いをした。

 

「ペトロ、何者かが、よからぬことを企んでいるようだ。じつは先ほど教授の実験室を覗いてみたら、部屋の中がひどく荒されていた。あれはとても教授自身の仕業とは思えなくて、心配になってこの部屋に先生を探しにきたんだよ」

 

「カレル先生が行方不明だって? もしかしてお昼寝中かもしれないよ」

 ペトロは思わず部屋の隅の魔法瓶を覗きにいつた。

 

 魔法ビンの中はもちろん空っぽだった。

 

・・・手品師のおじさんの様子がどうもおかしい。

 仮面の下で、何か僕に隠している。

 

 多分、カレル先生の行方のことだ。

「おじさん!カレル先生は何者かに誘拐されて、姿を消したのじゃないか・・・おじさんは本当はそう思っているのじゃないですか? 僕に言えば心配すると思って・・・」

 

”手品師のおじさん!正直にいいなさい!”

 そう言ってペトロは手品師の仮面を、厳しく睨んでみた。

 

 能面の下から、ぷっと吹き出す音が聞こえた。

 それから、能面がぎゅっと引き締まった。

「白状しちゃうと、犯人は教授に恨みを持っている者の仕業じゃないかと思ってるんだ。教授が命がけで作った《とても貴重な物》が実験室から盗まれていたからなんだ」

 

・・・先生が命がけで作ったとても貴重な物だって? 一体何のこと?・・・

 

 ペトロが質問する前に、手品師が答えた。

「君たち6人全員の将来に関わる大事な物だ。そうだ、実験室で説明しよう。ペトロ、いまから私と一緒に、実験室まで付き合ってもらえないかな」

 「うん、いいよ!」とペトロが頷くと、手品師は小さなスマホを取り出してだれかに連絡を始めた。

 

 相手は校長先生のようだった。

「先ほどはどうも・・・いやまだ教授の姿が見つけられなくて、いまからもう一度ペトロと二人でラボの様子を確認して参ります。たまたま教授の部屋にペトロがやってきたもので・・・私の助手としてしばらくお借りしますよ」

 

 手品師はスマホをポケットに収めると、椅子から立ち上がって部屋の奥に行き、大きなキャビネットをギシギシと横にずらした。

 キャビネットの後ろに隙間が出来て、暗闇の向こうに通廊が見えた。

「いくぞ、ペトロ!」

 ペトロはあわてて手品師のあとを追いかけ、勝手知った通廊に潜り込んでいった。

 

 手品師はまるで暗闇が見えているみたいに早足で歩く。

 回廊を下って小さな踊り場に出ると図書館の方を指さしてペトロに言った。

 

「なぜかこのあたりは最近、旨そうなイタリアン・レストランの匂いがするな」

 ペトロはゴルゴンの必殺の技を思い出して、クスッと笑った。

 

 図書館に入ると、エントランスの視界から隠れた一角に、奥に通じる細い通路があった。

 通路は図書館の裏側に回り込んで、突き当たりになって終わっていた。

 

 突き当たりの壁に「入室禁止、危険エリア」と書かれたちいさな扉があった。

 「ここが教授の実験室だよ」

 

 そういって手品師は、扉に取り付けられたドア・ノブに右手を差し出す。

 ドア・ノブには鍵穴も取っ手も無くて、真中に赤いの付いた、ちいさな四角いプレートが張り出していた。

 

 手品師はプレートの表面ではなくて、左右の側面に親指と人差し指を貼り付けた。

 ピピーと小さな金属音がして、ロックが解錠されてドアが開いた。

 

「指紋照合だよペトロ。よく覚えておきなさい。ドア・ノブの表面の赤いで囲まれたところに指を貼り付けたりすると、くっついて指は離れなくなる。アウトだ! 防犯の仕掛けはシンプル・イズ・ベストだよ」

 

 二人は笑いながらドアをくぐり抜けて実験室に入った。 

「私の指紋はすでに侵入者に盗まれている可能性があるな」

 

 手品師はそういって、指にフッと息を吹きかけて指の紋様を変えた。  

 次に、ドア・ノブの裏側を開いて、認証のサインを新しい指紋に変えてしまった。

 

 手品師の技に見とれているペトロに、手品師は伝えた。

「この部屋に入ることが出来るのは教授と私の二人だけだ。そして今からはペトロ、生徒代表で君もOKとなる」

 

 ペトロは手品師の真似をして親指と人差し指にフッと息を吹きかけ、ドア・ノブの裏側を開いて認証登録を済ませた。

 一歩入ると、部屋は広くて壁も天上も真っ白。

 最先端技術を装備した大病院の手術室のようだ。

 

 空調が静かな音を立てて、部屋の温度を一定に保っていた。

 中央の実験台の上には、大きな昆虫の触手みたいなものとか、ぐるぐる回るミキサーみたいなものとか、ペトロには意味不明の装置がクレーンからぶら下がっている。

 

 回転椅子が中央の操作盤の前にあって、いつでもパネルの操作ができるように準備を整えて待っていた。

 ペトロは実験シートに座ってみた。

 

 装置は万全で、実験の準備はOKだった。

「あれっ!よく見たらこの実験室はどこも荒らされていませんよ!」

 

・・・さっきの話では部屋はむちゃくちゃに荒らされてたはずなのに・・・

 ペトロが怪訝そうに手品師の顔を振り返ったら、手品師は答えた。

 

「すでに部屋は自分で掃除を済ませたようだ。それより奥の小部屋をもう一度調べてみよう。小部屋に隠しておいた貴重なものが盗まれてなくなっていたのだよ」

 

・・・掃除済みって、いったい誰が掃除してくれたんだよ?・・・

 手品師が手招きをしたので、ペトロは黙って付いていった。

 

 突き当たりに小さなドアがあって、銀行の金庫室の入り口そっくりだった。

 手品師が大きな回転式のハンドルを右と左に数回廻した。

 

 カチリと音がして、重い扉が開く。

 扉の奥の小さなスペースに、持ち運びができる頑丈で大きなボックスが収められていた。

 

 ボックスの蓋は開いているが、なにかが盗まれたような目立った形跡はどこにもない。

 ボックスの中を覗いてみると、小さな魔法瓶のような容器が整然と並べられている。

 

 ペトロが手品師に疑問をぶつける前に、手品師が先手を取った。

「おー、ペトロ! 盗まれた物はすでに再生済みのようだ。一体誰が部屋を掃除した上に、盗まれたものまで再生してくれたのかな・・・ペトロの疑問には後で答えることにして、まずこちらからペトロにクイズだ。盗まれた魔法瓶の中身は何だったと思う?」

 

・・・盗まれてもいないのに、盗まれた物は何だとは何だろう。僕らにとつて、とっても大事な物とか言ってたな・・・

 

 ペトロは、お腹も減ってきたので、口からでまかせを言った。

 

「冷凍食品?」

「近い! 冷凍食品じゃなくて、凍結細胞だよ」

「人間のですか?」

「まさか。絶滅した動物の幹細胞だ。身体の中のどんな細胞にも成長できる細胞のことだよ。いろんな家畜の幹細胞が含まれている。それも最強、最良のものだ。それから少しだが植物の細胞も保存されている。ペトロ、このボックスはなにかに似てると思わないか?」

 

「ノアの箱舟!」ペトロが即答した。

「正解!ノアの箱舟のゲノム版だ。カレル教授とハル先生が、将来君たちが、食料となる成体を作り出せるように主な生物の幹細胞を凍結保存しておいてくれたのだよ。二人が命をかけて作り出したものだ」

 

 ペトロはハル先生とカレル教授がゲノムの実験の犠牲になって、命を失い、幽体になってしまったことを知っていた。

 二人の先生が僕たちの未来のために、命をかけて凍結保存してくれた物だと知って、ペトロの胸は締め付けられた。

 

・・・でもなんだかおかしい。動物たちの幹細胞は大事に保存されているのに、どうして僕たち人間の幹細胞は保存されていないのか? 順序が逆じゃないか。人類の保存が優先されるべきなのに・・・

 

「おかしいじゃないですか?」

 ペトロが厳しく問いただすと、手品師は落ち着き払って答える。

 

「おかしくもなんともない。人類の種はとても慎重に、あるべきところに保存されている。よく考えてご覧、それはどこかな?」

 ペトロはしばらく考え、答えを見つけて絶句した。

 

 そしてゆっくりと自分の胸のあたりを指さした。

「その通りだ。君たちだよ。君たち六人こそ、大事に保存されている人類の幹細胞だ」

 

 ペトロはなんだか嬉しいような、馬鹿にされているようなおかしな気持ちになった。

 手品師のおじさんが大きな手をペトロの肩の上に優しく置いた。

 

「ペトロの疑問は解けたかな?」

「一つは解けました。でも、おじさん、実験室はきれいだし、冷凍庫からもなにも盗まれていないじゃないですか? 僕には、この部屋はなにも荒らされていないように見えますよ?」

 

「さっき調べたときには、部屋は荒らされて、凍結細胞の入ったボックスは失われていたんだよ。でもペトロ、こんな貴重な物を無くすわけにはいかないじゃないか! 実は教授と二人で凍結細胞が絶対に無くならないような方法を考えだして、実行に移していたんだ。そのからくりを順を追って説明しよう」

 

   手品師は手品のからくりをペトロに明かした。

・カレル教授研究チームの実験室は、子供たちの未来に備えて、地球上の動物たちの最優良ゲノムを凍結幹細胞として永久保存し、隠した。

・それは例え見つけられ、盗まれても、決して無くなることはない。

・それは何故か? どこに隠したのか。またどんな仕掛けをしたのか。

 

ペトロにだけ答えを教えよう。

・一つ 実はラボは二つ存在する。

・しかしこの世の見かけは常に一つである。

・二つのラボにはそれぞれに「隠された物」がある。

・ 二つのラボに同時に進入することは絶対に出来ない。

・部屋は常にどちらか一つしかこの世に存在しないからだ。

 

 だから「隠された物」が二つとも同時に盗まれることはない。

 例えこの世のラボから「隠された物」が盗み出されたとしても、あの世のラボの「隠された物」が即座に自動増殖を開始し、盗まれたラボの空の冷凍庫に自らを分け与える。 

 そして荒らされたラボはいつも通り自らを自動清掃する。

 

 これら三重の防御によって隠された物が無くなることはない。

 

・・・ペトロにはさらに秘密の情報を教えよう。

 ラボの一つは常に実験に使われていない状態にある。

 もったいない空間なので、私の古書店を昔のレトロなたたずまいのまま部屋の一角に再現してある。

 

「古書が山ほどある。いつかペトロをご案内するよ!」 

 手品師はすべての秘密を弟子のペトロに明かした。

「理解出来たかな? どうだペトロ!」 

 返事はなかった。

 ペトロは深く考え込んでいるうちに、眠ってしまったからだった。

 

・・・目を覚ましたペトロと手品師の二人は「隠された大事な物」が元通りに復元されていることを確認すると、姿を消したカレル先生の捜索を始めた。

 図書館の中や隣の議事堂、地下の通廊の隅々まで調べたが、先生の姿はどこにもなかった。

 あきらめた二人はいったん教授の部屋に戻ることにした。

 

  部屋にも先生の姿はなかった。

 代わりに、校長先生とハル先生、ヒーラー・おばさまが心配して集まっていた。

 

 それからみんなで手分けして学校中を探した。

 校庭の隅の道具小屋や、使っていない教室や、屋根裏部屋や、トイレや、ペトロが知らなかった秘密の小部屋まで探し廻ったが、教授の姿はどこにもなかった。

 

 ペトロは、裕大や咲良やエーヴァや匠やマリエやみんなのパパやママにカレル先生の失踪を連絡して、なにか情報がないか尋ねた。

 手がかりはなにもなくて、夕闇が迫ってきた。

 

「今日はもう無理だ。捜索はあすの朝から再開しよう」

 暗くなった校庭を見つめて、心配顔の校長先生がぼそっと言った。

 

「ペトロ、もう遅いから家まで送ろうか?」

 家に帰ろうとして立ち上がったペトロに、手品師のおじさんが声をかけてくれた。

 

「こんなのへっちゃらだよ。一人で帰れるよ」

 ペトロは強気で答えたが、じつは少し不安だった。

 

 カレル先生が凍結ボックスと一緒にどこかへ消えてしまった。

・・・地球が暑くなってから、ペトロの前から大好きな人が次々とどこかへ消えていった。これ以上、大事な人がいなくなるのはもう嫌だ・・・

 

 ペトロの不安が、ペトロを見つめる手品師の表情にも映し出されていた。

 その表情には見覚えがあった。

 昔このドームにやってきた頃、ペトロはよくママを困らせた。 

 ママの用意した夕食を「こんなまずいの、食べたくない」と言ってママを困らせているのを見て、パパが浮かべた悲しそうな表情にそっくりだった。

 

 そんなある日、大好きなパパが突然いなくなったのだ。

「パパはどこへ行ったの?」とママに聞くと。

 

「『子供たちの未来を探しに旅にでる。必ず帰って来るから心配するな』と言って出かけたの」

 ママはそれだけしか答えてくれなかった。

 

 ペトロはあの日からパパが現れる日を待ち続けている。

 きっとママも同じだ。

 

 ペトロにはパパの悲しそうな表情と、目の前の手品師の顔が重なって見えた。

 ・・・もしかしたら手品師のおじさんは僕のパパ・・・

 

 でも待てよ! 

「ペトロはパパにそっくりよ」とママがよく言ってたぞ。

 なーんだ、おじさんの能面が僕の顔を写してるだけか。

 

「元気出せ、ペトロ! あしたは朝から裕大や匠やみんなでカレル先生を捜索だぞ!」

 自分にハッパをかけたペトロは、ママの待っている我が家に向かって、薄闇に包まれた坂道を一目散に駆け登っていった。

(続く)

 

続きはここからお読みくださいね。

この世の果ての中学校19章 “ホラーの広場”

 

【記事は無断転載を禁じています】

この世の果ての中学校17章“虚構の手品師と秘密の技”

  
 深夜の生徒会議の翌日、ペトロはカレル先生に相談したいことがあって、先生の個室を覗いた。 

 部屋のドアをノックすると「どうぞ」という返事があった。

 ドアを開けて部屋に入ると、窓際のデスクに黒いコートを着た背の高い男の人が座っている。

 

 男はゆっくりと後ろを振り向いた。

「やー、ペトロ、こんなところでどうした?」

 

 真っ黒で表情のない顔がペトロを見つめていた。

 黒い仮面とくぐもった声、ペトロの憧れのスーパー・スター、虚構の手品師だった。

 

(前の章のストーリーはどうぞここからお読みくださ)

この世の果ての中学校16章“深夜の生徒会議”

 

この世の果ての中学校17章“虚構の手品師と秘密の技”

 

「あれ~っ! 手品師のおじさんじゃないですか。カレル先生にどうしてもお聞きしたいことがあってやってきたのですが・・・先生はお出かけのようですね」

 

「教授はご不在だよ、私もカレル教授を探してやってきたのだが姿が見えないんだ。そうだ、ペトロ、教授が現れるまで、私でよければ相談に乗りましょうか?」

 

  ペトロは 一度虚構の手品師に会ってどうしても秘密の技を聞き出したいと思っていた。

 もちろんタイムトラベルの秘術だ。

 

・・・これって絶好のチャンスだ・・・

 

 ペトロは椅子を探して、手品師の座っているデスクのそばに運んでいった。

 それから、椅子の背を手品師の方に向けて座り込んだ。

 

 椅子に逆さまに座って、腕を背もたれに乗せると、ペトロの頭は素早く回転を始める。

 気持ちもどんと落ち着いて来る。

 

 ペトロのすぐ目の前に手品師の仮面があった。

「私の顔は、無気味かな?」手品師がペトロに聞いた。

 

・・・きっと、仮面を外せない深ーい訳があるんだろーな・・・とペトロは思う。

「う~ん! 黒い仮面ぐらい、僕は平気ですよ」
 

そう答えて、手品師の気持ちを気遣ったペトロが何気なく話題を変える。

「手品師のおじさんなら・・・どんな嫌なことがあっても、コートの下のスオッチをちょっと操作したら、過去でも未来でも好きなところに行って気楽に遊べるのでしょう? 手品師のおじさんは怖い物なしですね」

 

 手品師の黒い顔がにやりと笑った。

「とんでもないよペトロ。私にも怖い物はいっぱいあるんだよ。一番怖い物、それは自分の過去だ。自分が経験した本物の過去には二度と行くこともできないし、やり直すこともできない。でもペトロ、良きにつけ悪しきにつけ、過去は二度とこないからこそ、この世で一つしかない貴重な思い出になるんだ」

 

「おじさん、それって話が矛盾してますよ。それじゃこの前、課外授業で連れて行って頂いた昔の東京。あれは一体何だったのですか? カレル先生は何度かカレル少年とハルちゃんに会っているみたいだし、あの東京は虚構で旅はマジックだったなんてふざけたこといわないで下さいよ」

 

 手品師がやさしく首を横に振った。

「虚構でもなくて、ふざけてもいないよ。あれは現実に存在する別の世界だよ。私たちの過去の世界ではなくて、今同時に存在する別の世界だ。いいかなペトロ、現在という時空に存在する世界は無数にあって、少しずつ時間軸がずれ込んでいるんだよ」

「うーん!」

 ペトロが腕を組んで、考え込むのを見ると手品師は付け加えた。

「あの2016年の東京はこの世界の過去ではなくて、時間軸のずれた別の世界の東京を覗いていたんだ。もし、あの世界が真実の過去だとしたらどうなると思う?カレル教授は2016年の東京で中学生だったのなら、2092年の現在はカレル先生の年齢は90を越えていることになる。ペトロはいくら何でもおかしいとは思わなかったのかな?」

 

「ウ~ン!う~ん」

ペトロがなんどもうなり始めたので、手品師はわかりやすい例え話に切り変えた。

・・・想像してごらん。ペトロの右手には過去の世界が、左手には未来の世界がいくつも存在している。世界は幾層にも切り立ったバウムクーヘンみたいなもので、時間がずれ込んだ無数の平行世界が、同時に未来へ進行しているんだと・・・

 

ペトロは頭の中でバウムクーヘンの世界を想像してみた。

無数の平行世界のイメージなんかは出てこなくて、焼きたてのバウムクーヘンのうまそうな香りだけが頭に漂ってきた。

 

「僕の右手と左手の先にはそのおいしそうなバウムクーヘンはいくつ位あるのですか?」 

 ペトロの質問に、手品師の仮面が笑った。

 

「世界は無数で無限に存在するよ」

 手品師の仮面が答えて、ペトロの頭は無数のバウムクーヘンで溢れかえってきた。

 

「バウムクーヘンが無数にあるというのは分かります。でも無限のバウムクーヘンって、どういうことですか」

 ペトロの質問に答えて、手品師は両手でバウムクーヘンの形を宙に描いた。

 

・・・ペトロ、君は今、独立した幾層もの平行世界の真ん中にいると想像してみよう。

 次に平行世界を、ガラスでできた透明な串で横から串刺しにしてみよう。

 ではペトロ、やって来たガラスの串の中に入ってみよう。

 ペトロは串のちょうど真ん中にいる。

 

 そこから左の方に行けば少し未来の世界が、右に行けば少し過去の世界がガラス越しに見えてくるはずだ。

 もしも左の未来を覗いて帰ってきたペトロが、その未来を参考にして、新しい行動を起こしたとする。

 

 その行為は新たな世界を創りだすことになる。

 世界が一つ増えるのだよ。

 

 それがペトロ、君の新しい未来だ。

 誰もが日々、未来を選択して、それぞれに自らの世界を自由に創造していく・・・未来は無数・無限に存在するのだよ」

 

 ペトロは手品師の言葉に感動して椅子から立ち上がった。

 横に広がる無数の世界、前途に広がる無限の未来だ。

 

 ペトロは嬉しくなって両手をいっぱいに拡げ、足を一歩左に踏み出した。

 そして自分の前方に新しい未来が見えてこないか、目をこらしてみた。

 

 でもそこにはカレル教授の空っぽの魔法瓶以外なにも見えなかった。

 

 がっかりしたペトロは・・・この機会に思い切りおべんちゃらを言って、手品師から時空を駆ける秘密の技を聞き出してやろうと思いついた。

 

「手品師のおじさん! あなたは偉大な天才です。僕にはバウムクーヘンも、未来の世界もちっとも見えてきません。新しい世界が見えるようになるには、きっと大変な修行が必要なんでしょうね」

 

「ペトロ、私は偉大でも、天才でもない、ただの古本屋の店主でしたよ。店には客もさっぱり来なくて、一日中、時間を持て余していたんだ」

手品師は懐かしい昔を思い出したのか、黒い仮面がうれしそうに揺れた。

 

・・・今思えば、そんな私にも一つだけ才能があったようだ。

 どんなに退屈でつまらない本でも、読み始めたら我慢して最後まで読み切るという根性だ。

 

 私は世界中から収集したすべての蔵書を最後まで読み切った。

 いつの間にか、作者の意図した様々な魂胆や、意図しない作者の心の奥底までがほのみえるようになった。

 

 ある日、世界最古の書といわれる、失われた種族の書を読み終えた時、描かれた2600年前の世界がまるで現実のように、目の前に現れたんだ。

 

 そのとき私は確信をした。

 すべての虚構を見破って、作者の心の世界を覗き込む技を私が身につけたことをだよ・・・

 

 そのときの興奮を思い出したのか、手品師の仮面の奥で二つの瞳がぎらりと光った。

 

・・・ペトロ、私はそのあと決して忘れられない体験をしたんだ。

 自宅に帰るために、夜遅く店から表の通りに一歩踏み出したとき、私は自分を取り巻く現実の世界というものの虚構に気が付いた。

 

 私は、世界はたった一つしか存在しないということの嘘を見破ったのだ。

 目の前の道路から続く町並みに重なるように、ほんの少しずつ時間がずれた世界が、浮かび上がってきた。

 

 まるで本をめくる一ページごとに世界が変わるように・・・パラレルな世界が、無数、無限にみえてきた。

 横に広がる無数は魅力的で、未来に待ち構える無限はとても美しく見えた。

 世界の真実がみえて、私は震えた。

 

 ペトロ、すべては古い蔵書を読むことから始まったんだよ・・・

 

 手品師は自分の能面を指さしながら、話を続けた。

 

・・・そこまでは良かったのだが、それこそ夢中になって、無数の表情を持った世界を片っ端から覗き廻っている中に、私は自分自身の表情を失ってしまった。

 

 ほらペトロ、私の顔にはなんの表情もないだろう? 

 誰かが私を見ると、その人の世界観が表れる顔、能面になり果てた。

 

 でも不思議なことに、他のパラレル世界に行くとこの顔は自分の物になって、私自身の気持ちがそのまま表情にあらわれるんだ。 

 

 人生、なにかを手に入れればかならず失う物があるようだ。

 おかげで恥ずかしくて家族にも会えない・・・手品師の仮面が暗く揺れて、口から大きな溜息が漏れた。

 

・・・手品師の家族ってだれだろう?・・・

 ペトロはなにか言葉をかけて手品師を慰めようと思ったが、いい言葉が見つからなかった。

 

 仕方が無いので手品師のおじさんの真似をして、大きなため息をついて、にっこり微笑んであげた。 

 手品師の仮面も微笑んだように見えた。

 

「そうだ、ペトロにいい物をお見せしよう」 

 手品師はそう言って、教授のデスクを、指でトントンと二回叩いた。

 次に掌を上に向けて、ゆっくりと開いた。

 

 そこには一冊の分厚い本が乗せられていた。

 「ペトロは古書に興味はあるかな?」

 

 ペトロが読むのは電子書籍ばかりで、紙の本は読んだことがなかった。

 返事に困ったペトロは「古書ってどんなジャンルのものでしょうか?」と、とぼけてみた。

 

「紙で出来ている過去の書物すべて。たいがいは、かたくなってごわごわしていたり、紙が黄色く変色していたり、読んでいった人たちの食べていたものの痕跡とか、いろいろなメモや印が残されているあの紙の束だよ」

 

「ときどき白い小さな虫が現れるあれですか?」

「アッ、それはシミだ。本の虫、可愛い奴です!」

 

 ペトロは、手品師が紙の本にとても愛着を持っていることを知って「僕は電子書籍以外は読みません」とはとても言えなくなってしまった。

 

「これは未来のパラレル・ワールドの一つから手に入れた古書だよ」

 手品師は、立派な装丁を施した本をペトロにそっと手渡した。 

 

 ペトロは古書を両手で慎重に受け取った。

 その本はびっくりするほど軽かった。

 

 真っ黒い厚手の表紙から、銀箔のタイトルの文字が鮮やかに浮かび上がってきた。

 《虚構の手品師と不毛の楽園》

 

 なんだか凄そうなタイトルなのに、作者の名前がどこにもない。

「その本は、その世界では結構有名な伝記物だったよ。裏表紙を見てごらん」

 

 手品師に言われて、ペトロは本を裏返してみた。

《無名の手品師に贈る。弟子ペトロ著 2125年秋 地球・テラ》

 

  漆黒の裏表紙に銀文字で、そう書かれていた。

 自分の名前に驚いたペトロは、危なく本を落としそうになった。

 

「その本は軽いから気をつけて!」

 手品師が叫んだ。

 

 ペトロは古書を持ち直して、もう一度裏表紙に目を通し、大きな声で読み上げた。

「弟子ペトロ著。2125年秋 地球・テラ・・・なんてこった。これから手品師のおじさんの伝記を僕が書くということですか?」

 

 そういったペトロのほっぺたが緩んで、崩れそうになっている。

「ペトロ! それは古書だよ。ここから相当離れた時間軸、2300年のパラレル・ワールドで偶然手に入れたんだ。その世界のペトロ君が2125年に書いた古書だ。掘り出し物だよ」

 

・・・僕が書いた掘り出し物の伝記!だって?・・・

 一体なにが書かれているのか、好奇心がむらむらとわき上がってきたペトロの手が、古書の真ん中辺りをいきなり開いてしまった。

 

 そのページに書かれた文字が飛び込んできた。

 「“あっ!、ペトロ、そこを開いてはだめです” と手品師があわてて叫び声を上げた」と書いてあった。

 

 ペトロが慌てて本を閉じようとしたそのとき・・・                

「あっ!、ペトロ、そこを開いてはだめです」と手品師があわてて叫び声を上げた。

 

 手品師の叫び声は間に合わなかった。

 さっと小さな風が一陣吹いて、ペトロの手の中から古書をどこかへさらっていった。

 

「あっ! ご、ご免なさい!」

 あわてたペトロが必死に謝ったが、手品師は両手を広げ、がっくりと肩を落とした。

 

「まだ書き始めてもいない別の世界の作者が、いきなり物語の真ん中を読み始めたもんだから、慌てた古書は本物の作者のいた元の世界に逃げ帰ってしまった」

 

・・・本を取り囲んでいた元の世界の結界が破れたからだろう。私たちの未来を研究する資料を失ってしまったよ・・・そういって手品師はちらりとペトロを見る。

 ペトロは何度も、何度も手品師に謝った。

 

「ペトロ、気にしなくていいよ。未来の本は電子書籍並みに軽い。ちょっとした時空の風でもすぐに飛んでいってしまうから始末に終えない。あの古書は本来あるべきところに戻ったのだから、私も潔く諦めますよ」

 

 虚構の手品師はそう言って、ペトロを慰めてくれた。

 お返しに、ペトロも手品師のおじさんを慰めようと思った。

 

「あの古書はきっと、虚構の手品師にまつわるエピソードをいくつも集めたものだったのでしょうね。僕もいつか手品師のおじさんの伝記に挑戦してみようかな。それにしても本はやはりずっしりとしていて、重みのある紙を一枚ずつ丁寧に指先でめくって読まないと、本当の知識が身につきませんね。電子本はやたらと軽すぎて・・・」

 

 お詫びの気持ちで、ペトロがついつい調子のいいお追従を並べてしまった。

「ペトロ、決まりだ! 私の古書店を継げるのは君しかいない」

 

 手品師が椅子から立ち上がり、両手を差し出した。

 気が付くとペトロも椅子から立ち上がって、手品師の差し出した手をしっかりと両手で握り返していた。

 

 ペトロは虚構の手品師の仕掛けた罠につかまってしまった。

 

「一度私の書庫をご覧に入れよう。書庫は地下の電子図書館の奥だ。カレル教授の秘密の実験室の隣、ここからわずか10分だ。約束しよう。いつか、虚構を見破る技をペトロに伝授しますよ」

 

 虚構の手品師は探していた弟子をようやく手に入れた。

 ペトロはしばらくは虚構の手品師から離してもらえそうにない。

 

・・・

 「ところでペトロ、カレル教授になにか大事な質問があるって言ってなかったかな? 良ければ教授の代わりに私が答えてみましょうか?」

 ペトロはどうしても教授に聞きたかった質問を、虚構の手品師にぶつけることにした。

 

「それでは、手品師のおじさんにいきなりの質問です。カレル先生とドクター・マーカーとの会話に出て来たキーワードです。『我々を超えた宇宙の意志』というのは何を意味しているのでしょう」

 

 ペトロの質問を聞いた虚構の手品師の黒い仮面が、ぎゅっとこわばるのがみえた。

 

「過去からの訪問者の映像記録を見たんだね」

 手品師の質問に、ペトロが頷いた。

 

「ペトロ、その世界には近づかない方がいい」

 手品師の声が震えていた。

 

(続く)

 続きはここからお読みください。

この世の果ての中学校18章 “カレル教授が実験室からさらわれた”  

 

【記事は無断転載を禁じられています】

この世の果ての中学校16章“深夜の生徒会議”

 

エトロとマリエが、国会図書館から「過去からの訪問者の映像中継」を無事終了したときのことだ。

 

 パパやママの叫び声が図書館の入り口から聞こえてきた。

「侵入者が国会図書館の中にいるようです!」 

「なにものだ? 出てこい!」

 

 二つの怒鳴り声が重なって聞こえてくる。

 ペトロとマリエは大あわてでデスクの端末を閉じて、椅子から立ち上がった。

 

 (前回のストーリーはここからどうぞお読みください)

この世の果ての中学校15章 “過去からの訪問者の家族は暗黒宇宙に消えた”

 

 16章 深夜の生徒会議              

 

”PTA”と称して開催された秘密の臨時国会は審議を終了していた。

 パパやママが地下室の国会議事堂から踊り場に出てきて、となりの国会図書館に照明が付いているのに気がついたみたいだ。

 

 図書館の出口は一カ所だけで、二人の隠れるところはどこにもない。

「やべーな! これじゃ葉隠れで姿消しても、だれかとぶつかっちゃうよ」

 

「スパイ諦めて、二人でいさぎよく自首して出ようか?」とペトロがマリエに聞く。

・・・だめ!そんなことしたら、咲良ねーちゃんやエーヴァにぶん殴られるわよ・・・マリエが首を横に振った。

 

「そこにだれかいるのか?」

 パパたちが、ばたばたと図書館のエントランスに入り込んで来る。

  二人はあわててデスクの下に隠れた。

 

 “チチッ!”

 マリエが葉隠れの葉っぱをポケットから取り出そうとしたとき、マリエの上着の中から鳴き声が聞こえる。

 

「ペトロ! いいこと思いついたわよ」

 そういって、マリエが上着の裾から黒くて細長い生き物を引っ張り出した。

 

「ゴルゴン! 緊急事態発生よ。エントランスまで走って行って、あなたの最終兵器を思い切りぶっ放してらっしゃい」

・・・“ゴルゴンは臭くってとても食べられない”ってみんなに思わせるの・・・。

 

「いいわね、いくわよ!」

 マリエがゴルゴンのお尻をパチンと叩いた。

 

“チチッ!”

 ゴルゴンは小さな目を二、三度瞬いてから、エントランスに向かって勢いよく走り出していった。

 

「はいペトロ!これパパからもらった匂い消し。しっかり吸い込んでおきましょう」

 マリエは首に架けたお守りから乳香スプレーを取り出すと、ペトロと自分の鼻に“シュッ!”と振りかけた。

 

“ぎやーっ!”

 踊り場から悲鳴が聞こえてきた。

 パパやママたちが未体験の悪臭から逃れようと、廊下を走り回っていた。

 

「大変! 図書館にスペース・イタチが入り込んでいます。この悪臭、イタチの最後っ屁です! 皆さん急いで校長室へ引き上げてください」

 ヒーラーおばさまの叫ぶ声が聞こえて、パパやママの悲鳴と足音が遠ざかっていった。

 

 ほどなくあたりは静かになった。

 

 ペトロとマリエは小さな声でハル先生にお礼を言って、踊り場に出た。

 二人は誰もいなくなった石畳の通廊を、遠くにかすんでみえる小さな明かりを目標にして上がって行った。

 

 灯りは校長室から漏れていた。

 開いたままのタンスの隙間をすり抜けて校長室に戻ってみると、部屋は電気がつけっぱなしで、誰もいない。

 

 床の上にゴルゴンが仰向きに寝そべって二人を待っていた。

 ゴルゴンの得意そうな顔を見たマリエが“クスッ!”と笑って、ご褒美にお腹を撫でてあげた。

 

 校長室の電気を消して廊下に出ると、辺りは静かで人の気配がなかった。

 

 廊下の破れ目までやってくると、ゴルゴンが尻尾を振って、二人にお休みの合図をした。

「ありがとう。じゃ、またね」

 マリエとペトロはゴルゴンにお礼を言った。

 

 ゴルゴンは、“チュッ!”と一声叫んで、嬉しそうに破れ穴の中に飛びこんでいった。 

 時刻は夜の一二時を過ぎていた。

 

 廊下にも、教室にも、校長先生やパパやママの姿はなくて学校中が静まりかえっている。

「ペトロ! あれ見て!」

 

 マリエの声が静寂を破った。

 廊下の窓越しにマリエが校庭の砂場を指さす。

 

 砂場の横のスペースに、見覚えのある黄色いバスが、月明かりの中で浮かび上がるように止まっている。

 バスの窓越しに、マリエのママとペトロのママが仲よく並んで座っているのが見えた。

 

 校長先生とヒーラーおばさま、それにパパやママたち、秘密の会議を終えた11人の大人たちが全員バスに乗り込んでいた。

 

「発進しまーす!」 

 運転手の声が風に乗って二人の耳に届いた。

 

 「行ってらっしゃーい!」

 マリエが小声でいったので、ペトロも思わずバスに向かって手を振った。

 

  黄色いバスは校庭から空に舞い上がり、スピードを上げると、あっという間に夜空に消えていった。

 

・・・ペトロとマリエは校庭を横切って、正面の門を開け、小高い丘につながるいつもの小道に出ると・・・。

 

 門の蔭から声がした。

 

「ずいぶん待ったよ」

 すぐ近くで匠の声がして、マリエとペトロは飛び上がった。

 

 黒い影が四つ立ち上がった。

 咲良とエーヴァ、裕大と匠が校門の蔭で二人が出てくるのを待っていた。

 

「お疲れ様!」

 年長の咲良が二人にねぎらいの言葉を掛けた。

 

「ママやパパ、黄色いバスに乗ってくの見た?」

 マリエが誰にともなく尋ねた。

 

 みんながもう一度黄色いバスが消えていった夜空を眺める。 

 見上げる咲良の目が潤んできらきらと輝いていた。

 

「ここからはっきり見たわよ。

みんな月の光を浴びて、きれいに輝いて仲よくバスに乗り込んでったわ。

私、感動しちゃった」

 

しばらくしてマリエが話題を変えた。

「中継放送はみてくれた?」

 

「国会中継も、ハルちゃんのかっこいいシーンもちゃんと見たわよ」

そういって、エーヴァが着込んできた厚手のセーターを派手に腕まくりした。

「こんやはパパもママも留守だし、もう興奮しちゃってとても眠れそうにないな・・・みんなこれから・・・どうする?」

 

・・・秋の夜の冷気が身体を突き抜けて、六人の生徒たちの気分は冴え渡っている。

 

「俺たちも生徒会議やろうぜ!」

 匠が緊急の提案をした。

 

 生徒会長の裕大が結論を出した。

「明日は学校休みだからさ、俺たちきっと朝寝坊すると思って、パパとママは油断するぞ。間違いなく、明日はゆっくりの朝帰りだ。俺たちの時間はたっぷりある。今から一番近い家に行って、日が昇るまで打ち合わせしよう。・・・近いのは俺の家だ」

 

「裕太兄ちゃん、ちょっと待って。一番近い家はと、そりゃーもう、僕のマイ・ワールドで決まりだ」

 ペトロがポケットからマイワールドのキーを取り出した。

 

「なんてったって、ここが入り口だもんね」

 ペトロの神殿につながる風船ゲートがプーッと開いて、みんなを誘っていた。

 

 ペトロはマイワールドをリフォームしていた。

 改修されたペトロの神殿は議事堂と違ってとても明るく、暖かくて機能的、その上護衛官に兵隊まで付いていた。 

 

・・・「子供たちの生徒会議が始まったようです。ペトロの神殿に6人が集合しています」

 咲良のママが黄色いバスの中で深夜の生徒会議の中継を始めた。

 

 実は、ファンタジーアの女王にはファンタジーアの中にあるペトロのマイワールドは自分の心の中にある一つの情景として、手に取るように見えていた。 

 

「あら! もうパパやママに自分たちの未来を任しておられないと全員が言ってますわ」

 

 パパやママが、バスのシートから歓声を上げた。

「あの子たちはついに、立ち上がりました。今夜の子供たちへの仕掛けイベントは大成功のようでございます」

 

 咲良のママが報告を終えると、代わりに裕大のママが立ち上がった。

・・・それでは、今夜の表彰式に移らせていただきますね・・・

 

「本日の演技賞は、なんと言いましてもあのいかにも頼りなげで、投げやりな答弁で子供たちの自立心を駆り立てられた・・・我らが校長先生に差し上げたいと思います」

 

 裕大のママは、黄泉の国に向かう途中でお腹の空いた人のために用意した手作りの特大ケーキを持ち出した。

 

「あら、裕大ママ、そのケーキは私が頂きますわ。

 総理の答弁、あれは演技ではございません。

 あれは地のままでございます。

 主人に代わりまして、大臣への早変わり演技で、その賞は私が頂戴いたします」

 

 隣のシートでいびきをかいている校長先生を横目に、ケーキには目のないヒーラーおばさまがついにその正体を現した。

 

 ヒーラーおばさまの真の姿は、日本国最後の総理大臣の奥様、万能のファースト・レデイー・・・かっては影の総理と言われた女性だった。

 

 夜も更け、ペトロの神殿で始まった子供会議の様子にひと安心したママとパパたちは、子供たちより一足先に、黄色いバスのシートでお休みのひとときとなった。

 

・・・深夜を過ぎて、ペトロの神殿で続けられている生徒会議は、意見が方々に飛び散って、収拾が付かなくなっている。

 

「お手上げだ! ペトロ! 適当に・・・もとへ・・なんとかうまくまとめてくれないか」

 疲れきった裕大がペトロに頼みこんだ。

 

「それじゃ、まず一人ずつ簡単に結論を述べよう!」

 ペトロが立ち上がって全員に尋ねた。

 

 「眠たい」「腹減った!」「お腹空いた」「喉渇いた」

 マリエと匠とエーヴァと咲良が同時に答えた。

 

 ペトロは自分の影を呼びつけて何事か頼んだ。

 まもなく、リニューアルした厨房から、焼き上げた非常食用のクッキーと熱いコーヒーの香りが漂ってきて、みんなは目を覚ました。

 

「それじゃ、もう一度元気を出してみんなでまとめてみようよ」

 ペトロがサッと手を一振りすると、空中に電子黒板が現れた。

 

 ペトロは右手で熱いコーヒーを一口飲んで、左手に持った電子ペンでボードにテーマを書き込んだ。

【カレル教授とハル先生が僕たちに伝えたかったこと】

 

「テーマはこれに絞るよ。それじゃ、順番に思いついたポイントを一つずつ言うことにしよう。まず生徒会長の見解をどうぞ」と、ペトロが裕大を指さす。

 

「やるべきことの第一、それは環境を守ること。やってはならないことは生き物の尊厳を奪うこと。カレル教授が別れ際にドクターにそう言ってたぞ・・・うーんと、一言で言えばだ・・・むやみと食べ過ぎない、それから食べ残しをしないことだと思うよ」

 

【食べ過ぎない、残さない】

ペトロがまとめてボードに書いた。

 

「生き物たちと仲良くすることだと言ってたわ、でないと逆襲されるって・・・命を失ったホラーがダークサイドから出てくるのよ」

 咲良がファンタジーアの王女の見解を述べた。

 

【生き物と仲良くする。でないと暗闇から逆襲に遭う】

 ペトロがボードにまとめる。

 

「大事な緑が逃げだしたのは、ほんとにあっという間だったよ。ぼくの田舎の庭の柿の木もアッという間に枯れちまったもんな。あの頃食い物なくなって毎日おなかが減ったよ。地球の緑、奪ったの誰の仕業だ」

 匠が怒りのパンチを空に突き上げる。

 

【地球の緑は瞬時にいなくなった。誰の仕業だ!】

 電子ペンを持つペトロの左手が踊った。

 

「荒れ果てた地球と違って、惑星テラには緑がいっぱいあったわ。小さなボブもクレアも元気にしてるかしら」

 小さなエドの家族を思い出したエーヴァの目が、潤んだ。

 

【地球は荒れ地、テラには緑!】

 ペトロの目も潤んでくる。

 

「生き物を見守ってる大きな存在が怒ったのよ。きっとそうよ」

 マリエが両手を合わせて祈っていた。

 

 ペトロが最後の一行を加えた。

【大きな存在が我々に怒っている】

 

 みんなは眠い目をこすりながら、ボードを見上げた。

 何のことか分からなくなって、ペトロは頭をかしげた。

 

 かしげたついでに、電子ボードのコメントを上から順番に大きな声をだして読んでみた。

 

・・・食べ過ぎない、残さない→生き物と仲良くする。でないと暗闇から逆襲に遭う→地球の緑は瞬時にいなくなった。誰の仕業だ→地球は荒れ地、テラには緑→大きな存在が我々に怒った・・・

 

 な~んだか、核心がほの見えてきた。

「でも、大きな存在っていったい何者なんだ!」

 

・・・大変だ! 犯人が見えてきた・・・

 ペトロが頭の中で叫んだ。

 

「あーと三年、あと三年」

 寝ぼけ眼のマリエがまたあの歌を歌っている。

 裕大のいびきが聞こえてきた。

 

 ペトロの影が、眠り込んだ裕大の肩を優しく揺すった。

「生徒会長! もうすぐ夜が明けます」

 

 裕太が目を覚まして、寝ぼけ眼で閉会を宣言した。 

「今日はこれでブレイクしようぜ! つぎはアクション・プランだ!」

 

・・・六人はペトロの神殿を出て、風船ゲートをくぐり抜け、学校の門の前に戻った。

 そして、明るくなってきた東の空を眺めて、パパやママが黄泉の国から戻る前に家に帰り着こうと元気に掛けだしていった。

 (続く)

 

続きはここからお読みください。

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【記事は無断転載を禁じられています】

 

 

この世の果ての中学校15章 “過去からの訪問者の家族は暗黒宇宙に消えた”

 

 過去から未来にやって来た科学者八人の愛する家族は、悲鳴とともに闇の手に連れ去られて消えていった。

 会議場の空間に、焦げ付いた色の巨大な地球儀がぽつんと浮遊していた。

 

・・・虚構の手品師が映し出したこの映像はなにを意味しているのか?

 家族の安否を確かめたくて、科学者たちは会議場の中を手品師の姿を求めて、探しまわった。 

 しかし、手品師の姿は黒いコートとともにどこかにかき消えてしまった。

 

(前回のストーリーはここからどうぞお読みください)

 この世の果ての中学校 14章 過去からの訪問者

 

この世の果ての中学校 15章 “過去からの訪問者の家族は暗黒宇宙に消えた”   

 

「俺たちの家族と、虚構の手品師はどこに消えた? 無責任な手品師に代わって、このふざけた映像の意味を説明していただきたい!」 

 家族を闇に掠われ、激怒した副団長が腰を半分浮かして、目の前に座っている校長とカレル教授を上から睨みつけた。

 

 返答に困ってしまった校長先生は、となりのカレル教授に助けを求めた。

 カレル教授は校長先生に頷いて立ち上がり、手品師の映像の意味するところを話した。

 

「私の推測ですが、手品師が映し出した映像は、皆様の世界の出来事ではなくて、私たちのこの世界の過去を映し出したものだと思われます。

 映像の指し示す結論は、まことに申し上げにくいことですが、“この世界における皆様のご家族は悲劇的な結末を迎えられた”ということになります。

 言うまでもありませんが、訪問団の皆様方も、この世界では、ご家族と同じ結末をすでに迎えられているということです」

 

 副団長からうめき声が漏れたが、カレル教授は意に介せず話を続けた。

「いま私にできることは、あの映像が皆様方の世界の未来を映したものではないことを祈るだけです。

 手品師は訪問した世界にしばらく残って、自分自身の痕跡をすべて消し去ってから戻って参ります。

 私の説明で不十分なら、後ほど手品師本人に質問されて、映像の意味を確認されればいかがでしょうか?」

 

 カレル教授は冷たく言い放って腰を下ろした。 

 副団長の顔から血の気が引いた。 

 

 副団長と科学者の全員が手品師と教授の意図に気がついたようだった。

 手品師は自分たちの世界の残酷な破滅をみせつけることで、訪問者に警告を発してくれているのだった。

 

 ”この映像こそ、あなた方の未来かもしれない”・・・と。  

 

 目が覚めたように、科学者はそれまでの態度を一変させた。

 

「この世界の地球環境はいつから劇的な変化を見せたのか?」

 科学者は、真剣に詳細な記録データをほしがった。

 

 特に希望したのは、自分たち科学者グループの記録だった。

 自分たちはどんな研究をして、どんな成果を上げたのか?

 

 質問と答えが交錯して、飛ぶように時間が過ぎていった。 

 専門用語が飛び交って、科学者同士で激論がはじまった。

 

・・・ペトロとマリエには話の内容が理解できなくなったが、どうして議論しているのか、議論の目的は分かった。 

 地球がこんな荒れ地だらけになったのは、いったい誰の責任だと、科学者の間で責任の押し付け合いが始まっていたのだ。

 

 そんな中で、ただ一人ドクター・マーカーだけは腕組みをしたまま、不機嫌きわまりない表情で沈黙を守っていた。

 ゲスト席の端っこでは、科学者たちからほったらかしにされたハルちゃんとカレル君が、発言のチャンスが巡ってくるのをじっと待ち続けていた。

 

・・・マリエとペトロは、偉い科学者の専門的な質問なんかより、ハルちゃんとカレル君がどんな質問をするのか早く聞きたくて仕方がなかった。

“ なんてったって視察団の本当の団長はハルちゃんとカレル君だ”

 

・・・二人は、21世紀のカレル家の庭でカレル先生と話していた秘密の話の続きを質問するはずだ。その質問の答えを聞くことが、きっと今回の“過去からの訪問”の目的のはずだ。 

 

 画面の中のハルちゃんが質問したくてうずうずしている。

 カレル君がいらいらし始めた。

 

「ハルちゃん、頑張れ!」

 マリエが画面のハルちゃんに大声かけた。 

 

 マリエの声が聞こえたように、画像の中のカレル教授のスマホが “ジャン!”と鳴った。

 取り出したスマホに耳を傾けた教授の顔色が変わって、出席者に電話の中身を知らせた。

 

「訪問団の皆様、手品師から緊急連絡が入りました。

 暗黒宇宙と接触したために時空の嵐が起こり、皆様を守っている過去からの結界が吹き飛ばされる危険が出てまいりました。

 手品師が応急処理を済ませましたが、皆様方の旅の安全が保証できなくなっています。

 残り時間も少なくなりました。

 質問がまだの方はどうか急いでください」

 

 そう言い終わると、カレル教授はハルちゃんに早く質問するように目で合図を送った。

 

・・・あの電話、きっと、ハルちゃんに質問させるためのカレル教授の一人芝居ですよ・・・

 ハル先生がクスクス笑いながらナレーションを入れた。 

 

「カレル教授に質問です!」

 ハルちゃんとカレル君がさっと右手を上げて、同時に椅子から立ち上がった。

 

 顔見合わせて、ハルちゃんが代表で質問をした。

「カレル教授、先生の見解を正直にお聞かせ下さい。過去から来た私たちの未来もこの世界のようになってしまうのでしょうか? これは私たちが、どんな努力をしても避けられない運命なのでしょうか?」

 

「やった!」マリエとペトロが歓声を上げた。 

 ついにハルちゃんが決定的な質問をした。 

 それはどの科学者からも出てこなかったもっとも重要な質問だった。

 

 ハルちゃんとカレル少年はすでにその答えを知っていたのだ。

 しかし、過去からの科学者たちに未来の人から直接その答えを聞かせる必要があった。

 

・・・そのためにはるばるここまで来たのだから・・・

 

 カレル教授は訪問団の全員に向かってゆっくりと答えた。

「ハルちゃん、そしてカレル君。君たちの世界は私たちの世界のようにはならないと私は信じています。

 そのために本日の視察を企画して、先生方を招待申し上げたのですから。

 私たちと皆さんの世界は平行した異なる世界なのです。

 それぞれが時間軸の違うレールの上を走っています。

 虚構の手品師にも、皆さんの未来をお見せすることは出来ません。

 なぜなら未来はみなさんご自身の選択によってその姿が変わるかららです。

 未来がどこへ行き着くかは、皆さんドライバーの運転次第でしょう。 

 未来は皆様の手の中にあるのです」

 

 教授の答えを聞いた科学者たちが、家族の顔を思い起こしながら胸をなで下ろした。

 

 ・・・その時だった。 

 カレル教授が急にカメラに視線を向けて話し始めたのだ。

 

 「私たちはわたしたちで未来を切り開いて参ります。私たちの大事な生徒たちも必ず自分たちの手で未来を切り開いてくれるものと信じております」
 

 ・・・ ペトロとマリエは気がついた。

 先生は本気で僕たち六人に話しかけている。

 一年も前から、いつか、こうなるように仕掛けていたのだ・・・と。
 

 ・・・記録映像は続いた。  

 それまで無言で腕組みをしたまま一言も口を挟まずに黙り込んでいたドクター・マーカーが、団長席からいきなり立ち上がって、発言した。

 

「ところでカレル教授、そこまで分かっていながら、この世界の人達を暗黒宇宙に送りこんでしまって、あなたはまるで他人事のように話しておられる。一体あんた方、科学者や政治家はこの責任をどうやって取るつもりだね。そこんところは同業の責任者として是非ともその口から直接この場で聞いておきたいもんだ」

 

 団長の野太い声が会議場に響きわたり、ゲストもホストも全員が凍り付いた。

 沈黙の中、カレル教授と団長の二人はテーブルの中央で睨みあった。

 

 最初に口を開いたのはカレル教授だった。

「校長先生! 会議室の灯りをすべて消してください」

 

 校長先生は急いで議長席のサイドに付いた操作パネルを開いて、会議場の全照明の電源スイッチに手を伸ばした。

 

「私達の姿を見ていただこう!」 

 教授の声と共に、広い会議場は真っ暗闇になった。

 

「あっ!」

 ゲスト席から科学者の小さな悲鳴が漏れた。

 

 彼らの目の前、先生達が座っていたホスト席の暗闇に青い火の玉が五つ浮かび上がって揺れていた。

 真ん中あたりの火ノ玉が喋った。

 

 カレル教授のものらしい声が、暗闇に弦をならすように震えた。

「いまさら・・・なにを申し上げても言い訳にしかならないが、私たちは人間も自然の一員であることをすっかり忘れてしまったようだ。

 自然は脆く、壊れやすい、天からの頂き物だった。

 地球の温暖化が進み、山や、森や、畑から緑がどこかへ消えていった。

 まるで人類に愛想を尽かして、地球から逃げだしていったみたいだった。

 気が付いたら食料が枯渇していた。

 私たちは遺伝子操作による食料の増産に務めて、かなりの成功を収めたように見えた。

 しかしある日、自然からの復讐が始まった。

 “ゲノムの逆襲”だ。

 ある日、被捕食者がピラミッドの頂上で君臨していた捕食者を襲った。

 食料として食ったものが、内側から人を襲ったのだよ。

 それは我々には防ぎようがなかった。

 仲間がやられ、私もやられた。

 そして人類は終末を迎えた。

 神に選ばれた六人の子どもたちを残して、地球には誰もいなくなったのだよ」

 

・・・私達は、これからも黄泉の国と往復しながら、残された子供たちが自らの未来を切り開いてくれるように、生存のエネルギーが尽き果てるまで贖罪の旅を続けていくつもりです・・・。 

 声が闇に散り、会議場の照明が戻された。

 

 校長先生も、カレル教授も、咲良のママも、裕大のパパも、何事もなかったような顔をして席についていた。

 後には帰ってきた虚構の手品師の姿が見えた。

 

 ドクター・マーカーの心臓が脈打った。 

 “黄泉の国と往復しながら”贖罪の旅だと?

 

 青い火の玉の残した最後の言葉がドクター・マーカーの胸を差し貫いた。

・・・なんということだ・・・

 この人たちは命を失っている。  

 

 魂だけの存在となって、なお贖罪の旅を続けているのか・・・

 ドクター・マーカーはその場で立ち尽くし、震えた。 

 

 「そ、そんなことが! 

 あるのか? 

 どうか

 許してほしい

 カレル教授

 それから

 みなさん」

 

 野太いドクター・マーカーの声がかすれた。 

 「カレル!私は・・・自分の失敗を君の姿の中に見てしまって、君を責めた。

 あげくの果てにとんでもない質問をしてしまった。

 なんともお恥ずかしい限りだ」

 

 深々と頭を下げたマーカー博士は、そのまま前のテーブルを押し分けてカレル教授に駆け寄った。 

 しばらく確認するように、にらみ合ってから、二人はがっちりと抱き合った。

 しばらくして顔を見合わせ、ほっぺたを叩き合った。

 

・・・

「ずいぶん変わったけど~ 成長したな、カレル坊や!」

「ちっとも変わらんな、くそ親父め!」 

 二人はまるで仲直りした喧嘩仲間のようだった。

 

・・・ハル先生がすかさずナレーションを入れた。

「二つの世界のどちらでも、マーカー博士とカレル教授はお互い科学者として論戦しながら、一方では尊敬し合ってきたライバル同士だったのですよ」

 

教授と団長が抱き合っている姿を、近くで眺めているハル少女とカレル少年の幸せそうな表情が、映像にアップされた。

 

「あれッ! ハル先生、ハルちゃんのこのコスチューム、めっちゃ可愛いけど、どっかで見たことあるぞ」   

 これ突然のマリエの声。 

 

 こんな大事なときにいったいなにごと?

 ペトロが画面のハルちゃんをよく見ると、確かにどこかで見た記憶が・・・。

 

 真っ白いスラックス。

 ピンクのTシャツにグリーンのジャケット。

 足もとピンクのスニーカー。

 

「マリエ聞いてよ! 過去からやってきたハルちゃんのこのファッション見て、カレル先生なんて言ったと思う。また初恋しちゃったですって。私、動揺したわ」

 これハル先生の声。

 

「そっか、ハル先生! 昔の自分に焼き餅焼いたんだ」

「悔しいから、私たち花の四人組の宇宙服にデザイン盗んだってわけ」

 

「宇宙の旅の三日でぼろぼろになっちゃったけどね」

 マリエとハル先生、揃ってクスクス笑った。

 

・・・

「そろそろお別れの時間で~す」

 虚構の手品師がコートの中のマスター・ウオッチに手を伸ばした。

 

「カレル教授、科学者としてやってはならないことのキーポイントを教えていただけないだろうか?」

 ドクター・マーカーがカレル教授に別れ際の質問をした。

 

「それは生き物の尊厳を奪うことだと思う」

 カレル教授は不思議な体験を思い出したのか、虚空を睨んで声を落とした。

 

「人類は命あるものすべてと共生していく道を探さない限り、いつかは自然からの逆襲に遭う。彼らからではなくて、彼らを見守っているもっと大きな存在からだよ。それは我々の理解を超えた宇宙の意志みたいなものだと思うのだが・・・」

 

 ペトロは教授の最後の言葉を聴き取ろうとしたが、その声は次第に小さくなっていった。

 過去からの訪問者が、約束の時間を迎えようとしていた。

 

 カレル教授が慌ててカレル少年とハルちゃんに駆け寄り、二人を両手で胸に抱きしめている。

 映像画面がだんだん白っぽくなって、最後にぷつんと消えていった。
 

・・・

「侵入者が国会図書館にいるようです!」 

 叫び声が図書館の入り口から聞こえてきた。

 

 ペトロとマリエはあわてて椅子から立ち上がった。

 (続く)

 

続きはここからご覧ください。

この世の果ての中学校16章“深夜の生徒会議”

 

【無断転載は禁じられています】

 

この世の果ての中学校 14章 過去からの訪問者

 

 西暦2016 年の過去の世界から、カレル少年とハル少女が、二人で選んだ世界の科学者八人を引率して、今から一年前の2090年の地球世界を視察に来ているはずだった。

 

 二人は、世界を動かせる影響力のある科学界のリーダー8人に”このままでは未来の地球は破滅する”ことを知ってほしかったのだ。

 

 ペトロはその視察の結果がどうなったのかをどうしても知りたかった。

 

 地下の電子図書館で”最高機密・過去からの訪問者”と書かれた記録ファイルを開けることに成功したペトロとマリエは、四人の仲間に早速、実況中継を始めた。

 

「ただいまから、国会電子図書館より、カレル少年とハルちゃん出演のドキュメンタリー番組『過去からの訪問者』を中継でお送りいたします」

 ”驚くな!解説は図書館長のハル先生だよ”

 

 マリエのナレーションが四人のスマホに流れた。

 

 家のベッドに寝っ転がって中継を待ちわびていた咲良と裕大、エーヴァと匠の四人が、ベッドから一斉に飛び起きた。

 

前回のお話、まだの方はここからお読みくださいね。

この世の果ての中学校 13章 学校の地下室は”国会議事堂”だった!

 

この世の果ての中学校 14章 過去からの訪問者

 

「こんばんは、こちらハル先生。ビックリした?  先生、夜は電子図書館の館長してるのよ。ハル先生の正体、実はスパコンの人工知能AIだってことくらい、みんなもうとっくに知ってるわよね。今夜のみんなのスパイ行為、パパやママにはばらさないからさ、先生がAIだってことも絶対内緒よ!」

 

 ハル先生の声がスマホから流れた。

「ところで、この映像記録はとっても長いから、大事なとこだけ放送します。カットしたところはいつか図書館に遊びにきてゆっくり見て下さいね」

 

・・・それじゃ映像、スタート!

 

【2090年11月3日(祭)AM10時00分  過去からの視察団は宇宙船で地球視察に出発】 

 撮影年月日の書かれた表示が画面の下に出て、いつもの見慣れた中学校の校庭が画面に写し出された。

 

 校庭の中央には一艘の小型宇宙船が、朝の太陽の光をきらきらと反射しながら、乗客が乗り込むのを待っていた。

 学校の校舎から校長先生が姿を現して、そのあとに10人の人影が続いた。

 

 10人は虚構の手品師に連れられて2016年の過去からやってきた訪問者だった。 

 小さな姿が二つ、視察団の先頭に立って小型宇宙船に乗り込んでいく。

 

「カレル君とハルちゃんも元気に宇宙船に乗って地球視察に出発です」 

 ハル先生の解説が始まって、画面が切り替わった。

 

 大気圏外に飛び立った宇宙船のカメラから地球を望む映像が画面いっぱいに写し出された。

 画面に映る地球はさびた鉄のような色をしている。

 

 赤茶色の土で覆われた地球の大地が、どこまでも大きくうねりながら続いている。

 不毛の世界に、動くものの気配のない都市が廃墟となって横たわっていた。

 

 海は青くなかった。

 海岸線からしみ出した茶色い潮の流れが、渦巻状に海洋全体に広がっている。

 

 宇宙船は小さな四つの島の上空を離れて、西回りに地球の上空を一周した。

 地球の五つの大陸が画面に次々と写し出されていった。

 

 緑豊かだった大陸の自然は消え失せ、巨大なシャベルで削り取られた跡の様なクレーターがどこまでも続く。

 

「おい! これなにか、悪質なトリックじゃないのか。ここ地球じゃないよな。火星か金星か他の惑星だとだれか言ってくれ!」

 一番若い科学者が最初に悲鳴を上げた。

 

 窓から地球を観察していた科学者たちは、 全員、頭を抱えて宇宙船のフロアーに座り込んでしまった。

 

・・・ハル先生によって、そのあとの映像はすべて早回しされた。

 廃墟と化した地球の映像は、四人の生徒たちには見慣れた景色だったからだ。

 

 宇宙船は地球を一周して出発地点、東京の上空に戻った。

 

 視察団の眼下に、再び巨大なドームが現れた。 

 ドームは薄い膜で覆われ、お椀を伏せたような半円球状になって広がっている。

 

 宇宙船のキャビンで校長先生が科学者達にドームの説明を始めた。

「この巨大ドームの内部に私たちの住んでいる世界があります。ドームの薄い膜は、太陽光線の直射を遮ったり、大気を環流させて温度を一定に保ったり、真水から作り上げた貴重な酸素を蓄える構造になっています。この中ではわずかですが緑の植物も育成中です。地球の各地から集められた元気な六人の子供たちと、この緑が私たちの宝物なのです」

 

 視察団の科学者たちが、むさぼるようにドームの写真やメモを取る姿がクローズアップされた。

・・・画面が飛んで、学校の地下の議事堂に移った。

 真ん中の広い空間に、長いテーブルが二列に向かい合って並んでいる。

 ゲスト用に設けられた列には10人の訪問客が座っていた。

 

 真ん中の席にひげを生やした団長、その両側には落ち着かない様子の科学者が七人、小声で言葉を交わしながら腰を下ろした。

 列の端には、ハルちゃんとカレル君が並んで座った。

 

 視察団を迎えるホストの列には、校長先生を真ん中に挟んでカレル教授と裕大パパと咲良ママが座り、後方の椅子に黒いコートを着た虚構の手品師が一人目立たないように座っていた。 
 

 元・日本の総理として、校長先生が歓迎の言葉を述べたあと、視察団の団長に挨拶を一言お願いした。

 ひげの団長が椅子席から立ち上った。

「あなた方の地球の惨状はたったいまこの目で確認させて頂いた。我々の視察の目的はこの原因を究明して未来に備えることにある。したがって、私どもの質問には嘘偽り無く、正直にお答え頂こう。まずはそちらの席に座っておられる方々からお名前と役割をご紹介頂きたい」

 

 まるで”お前たちの不始末を見届けるために遠くからきてやったんだぞ”と言わんばかりの傲慢な挨拶を済ますと、ひげの団長は腕を組んで座りこんでしまった。

 

・・・この態度みた?この男こそ、かの悪名高きマーカー親父です!・・・

 頭にきたハル先生が間髪入れずナレーションを入れる。

 

 マーカー親父は目の前のテーブルに置かれた「ドクター・マーカー」の名札を取り上げて、面倒くさそうに胸につけ、元・総理と名乗った校長先生をうさんくさそうに眺める。

 それから、カレル少年にそっくりのカレル教授を「お前は何者だ」といわんばかりに、顎ひげをなで回しながら睨めつけた。

 

 校長先生が会議のスタートを宣言して、はじめにカレル教授とリアルの王を紹介した。

 カレル教授は地球の環境と生徒たちへの教育カリキュラムを説明して、リアルの王はドーム世界の空調や水資源の現状を説明した。

 

・・・団長と副団長は一言も発しないで腕組みを続けていますが、科学者達はときどきメモを取っている様子です・・・

 映像が流れ、ハル先生の解説が続く。

 

・・・ファンタジーアの紹介は、21世紀の科学者の理解を遙かに超えていますので、技術的な説明は省くことになりました。

 ただし、ファンタジーアの歴史について”サラ一族の女王”が紹介をしました。

 でもここで、ちょっとした事件が起きたのです・・・

 

 画面では、咲良のママが椅子から立ち上がり、優雅な手つきを交えて、ファンタジーアの紹介を始めた。

「私たちサラ一族は、地球の森林地帯の奥深くで静かに暮らしてきました。サラ一族は世界の子供たちが作り上げる心の中の幻想を大事に育ててきたのです。子供たちのいろいろな夢や、空想を緩やかに紡ぎ上げて、ファンタジーアと呼ばれる一つの幻想の世界を作り上げたのです。ファンタジーアの対極にあるのは恐怖の世界です。恐怖を作り上げているホラー一族は闇の世界で生きています。二つの世界がお互いに戦うことで、子供たちに現実世界を生きていくエネルギーを供給してきたのです」

 

「なに? 夢と恐怖が生み出す命のエネルギーだと? 馬鹿げたこというんじゃねーよ」 

 末席にいた若い科学者があくびをかみ殺しながら、隣の席の仲間にささやく。

 

 その声は、机の上の集音マイクに拾われて、出席者全員の耳に届いた。

 突然の思わぬ発言に、会議室は静まりかえった。

 

 かすかに頬を紅潮させたサラ一族の女王の右手が、静かに若い科学者の顔に向けられた。

 女王の右の掌から夢と希望に満ちた真っ赤な光が放たれて、科学者の顔の左半分を襲った。

 

 至福の時を受け入れた顔の半分は恍惚として耄けはじめ、たちまち老人のものとなった。

 

 次に、女王の左の掌から暗黒の光が放たれ、受け止めた科学者の顔の右半分が恐怖にゆがんだ。

 

 二条の光は若い科学者の顔の真ん中で交わり、男の顔は頭の真ん中から口まで縦に長く裂けた。

 

 男の口から甲高い悲鳴が宙に飛んだ。

 

 驚いた科学者たちが一斉に立ち上がり、若い男に駆け寄った。

 左右に裂けた二つの表情の顔を持った男は、宙を見つめ、椅子の上で放心していた。 

 

「ご免なさい。どうしてもファンタジーアの存在を信じていただきたくて・・・こんなことを」

 

 咲良のママは謝って、ゆっくりと掌の光を消した。

 男の顔が元に戻り、正気を取り戻すと、ファンタジーアの女王はもう一度丁寧に謝ってから、話を続けた。

 

「人類の絶滅とともにファンタジーアは地球から姿を消しました。でも、ここドームの中に小さなファンタジーアが、砂漠の中のオアシスのように生きながらえております。元気な六人の子供たちの創りだした六つのマイ・ワールドのおかげです」

 

 咲良のママは訪問者たちを一渡り見渡してから、先ほどの若い科学者のところで視線を止めた。

 

「あなたのお顔から、大事なものが抜け落ちているように見えます。夢と希望、それに畏れまでも。元の世界にお帰りになったら、まず子供たちの声に耳を傾けてください。子供たちはみんな秘密のマイ・ワールドを創っています。皆様の世界の希望がそこから見えてくるはずです。子供達の夢や空想を無視し続けたら、子供達の世界も冷え切ってしまいます。豊かであるはずの未来が、ぎすぎすとした世界に変貌して参ります。一言、皆様に申し上げたかったのはそのことです」

 

・・・そこで画面が切り替わり、次の画像では校長先生が虚構の手品師を紹介している。

「パラレル・ワールドへの旅行をお願いしている”虚構の手品師”をご紹介します。ご存じの通りですが、本日の皆様のタイムトラベルも彼の手配で実現したのです。主な目的は、生徒たちが課外授業の一環として、こことは次元の異なる世界を体験することにあります・・・」

 

 突然映像が乱れて、校長先生の話を遮るように訪問団の一人が立ち上がり、虚構の手品師を指でさした。

 それは21世紀の高名な科学者の一人で訪問団の副団長だった。

 

「最後の虚構はパラレル・ワールドですか。私も21世紀の科学者の端くれですが、幻想や虚構の話には飽き飽きしましたよ。そろそろ子供だましを中止して、マジックの種を明かしてもらおうじゃないですか!」 

 虚構の手品師は、薄暗い席に座ったまま表情を変えず、一言も言葉を発しなかった。

 

 会議室は再び静まりかえった。

   気まずい雰囲気に耐えかねたのか、校長先生が手品師に目配せをして、会議室の正面にかけられた時計の針を指さした。

 次に指先を一回転して、時計の針を動かす仕草をした。

・・・ここでハル先生の解説が入った・・・

 

「無理もないことですが、訪問団の皆さんはいまだに21世紀末の未来に来ていることが信じられないのでしょう。というよりも・・・この荒廃した世界を自分たちの未来として認めたくないのです。それで校長先生は科学者に信じてもらうために、虚構の手品師に《非常手段》を取ってくれるように頼んだのです」

 

 手品師は校長先生に頷くと、無言で、つと立ち上がる。

 その顔は仮面をかぶったように暗く、意図していることは誰にも読み取れない。

 

 手品師は黒いコートを脱いで机の上に置いた。

 「それでは、マジックの種をお見せしましょう! 訪問団の皆さんは今朝お渡ししたスオッチをご用意ください」

 

 手品師は、視察団の全員に向かって、それぞれの手首に巻き付けたタイム・トラベル・スオッチをマイナス、1億7000万年きっかりにセットするように指示した。

 次に、会議室の照明を少し落とす様に校長先生に頼むと、コートの下の体に巻き付けたマスター・ウオッチを操作して、みんなと目標時間を合わせる。

 

 手品師が手を振り上げて出発の合図をした。

「行きますよ・・・ご一緒にボタンを・・・GO!」

 

  科学者たちが慌てて、手首のスオッチの発進ボタンを押した。 

 

「ジュラシック・ワールド!」

 手品師の声が議場に響き渡った。

 

 会議室は轟音とともに、真っ白い光に包まれ、ジュラ紀の森林が訪問団の背後の空間に出現した。

・・・

 樹林帯から数頭の恐竜が現れて、科学者たちをみつけて興味深そうに近づいてくる。

 先頭の一頭が副団長の前に後ろ足で立ち、巨大な口を開けて咆吼した。

 

「う!う!嘘だろ!」

 副団長の頭上や横に座っている科学者に、恐竜の唾液が降り注いだ。

 驚いた科学者は椅子から転げ落ち、テーブルの下に逃げ込んだ。

 

 一頭の小型の肉食恐竜がテーブルの下に隠れた副団長をみつけて近づき、ズボンの裾に噛みついて明るみに引きずり出した。

 副団長の悲鳴が会議室に響いた。

 

「あっ、やりすぎたか!」

 あわてた虚構の手品師がマスターウオッチを現在に戻した。

 会議室に白い光線が走り、訪問団の前から、森林と恐竜は消えていった。

 

 映像が切り替わった。

「次のマジックはこの世に無数に存在する未来の一つ、暗黒宇宙! どなたも決して闇に手を出さないように! 闇に消えた手は二度と戻ってこない!」

 

 警告を発して、手品師は科学者たちのスオッチに七文字のアルファベットと十三桁の数字を打ち込むよう指示した。

 

「GO!」

 一瞬にして会議室は光が存在しない無限の闇と、音が存在しない永遠の静寂の中に放り込まれた。

 科学者たちは両手を身体に巻き付けて呼吸を止めたまま、彫像のように固まったままだ。

 

 ・・・映像が数分飛んで、再び手品師の声が響いた。

「三つ目のマジックは皆様の日常世界にご招待」

 

 手品師は手元の電子手帳を開いて、副団長の家族が暮らす家の住所を読み上げた。

 手品師は、住所が間違っていないことを本人に確認すると、その住所をマスタースオッチの座標軸に打ち込み、発信ボタンを押した。

 

 副団長の目の前に、小さなリビングが現れた。

 そこには小さな子供が、一人で元気に遊んでいる。

 

 科学者の目が潤んで、おもわず我が子に手を伸ばす。

 その子は、なにかに気が付いたように科学者に向かって小さな手を伸ばした。

 

 そして幼い口を開いて「パパ」と言った。

   副団長がおもわずわが子の手を握りかけた。

 

「だめです。手を握ってはだめです」

 手品師の警告とともに、子供の姿は闇に消えていった。

 

「ラスト・マジックです」

 そう言って虚構の手品師は、会議室の空間に巨大な地球儀を出現させた。 

 

 そして、八か国を代表する八人の科学者それぞれの家族の集合写真をどこからか取り出して、モザイクの映像のように地球儀の8カ所に貼り付けた。

 次に手品師は、地球儀の上空に先ほどの暗黒宇宙を呼び出した。

 

 暗黒宇宙は、地球儀に8本の黒い触手を伸ばした。

 八つの家族の写真は、家族の悲鳴と共に漆黒の闇の手に連れられて暗黒宇宙に消えた。

 会議室の空間には赤茶色に焦げた地球儀がぽつんと残されていた。 

 

・・・映像の意味と家族の安否を確かめたくて、科学者は会議室の中を手品師の姿を求めて必死に探した。

 しかし、手品師の姿は黒いコートとともにどこかにかき消えてしまった。

  (続く)

 

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この世の果ての中学校 15章 “過去からの訪問者の家族は暗黒宇宙に消えた”

 

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